はてなキーワード: 怪異とは
その自動販売機のマシーンの中を
ジャっと湯切りする音が聞こえて、
既に茹で上げられてる若干ふにゃふにゃになったパスタ麺が湯どおしされーの
そして、
しばらくして出てくると、
熱々のナポリタンやらミートソースの美味しいパスタが楽しめるのよ。
まあ人気のようよ。
田舎の国道沿いの自販機が並んだパーキングエリアのなんだけどね。
私も食べてみたけど
案外美味しいわ。
プジョーって書いてあった。
どうでも良いけど、
JAGUARとJUJIYAって見間違えたりしない?
ま、いいけど、話を戻すわね。
でも、
こないだ酷かったのよ!
もー、素パスタかよ!
仕方なくいつも鞄にしのばせてある、
器だけじゃなかったのが不幸中の幸いね。
素うどんなんてあるけど、
素パスタの素晴らしさを知った一日だったわ。
うふふ。
サンドイッチよ。
お会計ピッタリ500円!
なんかフィーヴァーしてないのに、
フィーヴァー感あるわよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「宇宙人騒動、絶園の樹騒動を経て、造物主は地球から異物を排除することを決定した。
そのために、まずダムピールを根絶やししろ、そうオラクルを贈られた。
「なるほど、だいたいわかった。
あいにく、俺はダムピールとやらに義理も何もないが、兄貴が造物主側につくってんなら、俺はダムピール側につく。
(中略)
「はあ? てめえなにを言ってんだ」
「仕方ないだろ、ダムピールは兄貴を倒した後の生活を考えると力をふるえない。
その点、不破愛花はもう死んでるし、話を聞く限りそういうことを気にするタイプじゃない」
「……なるほど、過去に転移し、まだ生きてる愛花ちゃんを連れてくると?」
「察しが良くて助かるよ」
(中略)
「さしもの、鳴海清隆も無味無臭の毒薬に気づけない、それも自分のスタッフの作った料理に入っているなんて」
「潜入捜査が得意な知り合いが一人いてね」
「……忘れた」
(中略)
「所詮、造物主だの神様だの何だと言っても、ちっぽけなんだろうさ。
ひょっとすると見た目はカエルみたいで、趣味は相撲かもしれないぜ?」
「なかなか笑えない冗談ですが、いいでしょう、怪異たちの知恵の神である私も手を貸しましょう。
(中略)
「決着は、常伊市。蓬莱とやら、まあどうせいつものように異星人のような気もするが、と繋がりが強いこの市だ。
ここなら造物主の関与も薄れ、兄貴もまだそこそこ普通の人間扱いできる。
あの時は……」
「あの時?」
http://anond.hatelabo.jp/20160609011058
http://anond.hatelabo.jp/20160611053943
・韓国で実際にあった未解決連続殺人事件を扱った「殺人の追憶」
・女優志望の女と記憶喪失の女が秘密を探るうちに変なことになっていく「マルホランドドライブ」
・エレベータ内に閉じ込められたメンバーに潜む悪魔を探す「デビル」
・孤児院を舞台に幽霊にさらわれた息子を母親が探す「永遠の子どもたち」
・ドライブ中に山から抜け出せなくなった家族に次々怪異が襲いかかる「-less[レス]」
・人体発火殺人の謎を追う「王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件」
・宇宙的な何かからサインを受け取った家族が落語的にオチをつける「サイン」
・二人を残して街を壊滅させた病原菌の謎を科学者たちが探る「アンドロメダ…」
・記憶を失った搭乗員が襲いくる何かと戦いながら宇宙船の謎を探る「パンドラム」
・五感を体験できる装置を使ったレイプ殺人事件を追う「ストレンジ・デイズ/1999年12月31日」
掲載誌が休刊になったか出版社が潰れたかなんかで、第一部・第二部みたいな感じになってる。アニメにもなった。
ネタバレしない範囲で書くと心優しきガンマンの話(もっと書き方あるだろうに)
1.5がでたことによってシリーズとして完結といっていいかが少し疑問だけれど基本的に1巻完結ということで。
近未来を描くSF作品の潮流を変えたと思う。漫画→映画(押井)→マトリックスの流れは有名か?映画という意味では押井守の作品の影響が大きいのかもしれないけど。
銃夢火星戦記が連載中のため、シリーズとしては未完ではあるものの、上記2つで完結してるのでそれはそれでよいかと。
サイボーグの女の子?が管理社会に武力で挑む話(大嘘) 脳みそプリンが美味しい(๑´ڡ`๑)
鎖国を続けた江戸時代というか、江戸と明治のあいなかというかちょっと昔の日本っぽいどこかが舞台
この世はヒト知れぬ生命に溢れている。妖怪の話みたいだけれどそうじゃない。怪異譚集的な何か。
おそらく元増田の好みとは違うかもだけれど、おすすめ。宇宙旅行が当たり前になりはじめた未来の話。1巻2巻以降で哲学的思想が入るので少し雰囲気変わる。
高校生の少年の右腕に宇宙からの生命体が寄生しました。生命体には意志も知能もあるので少年は自分で発散することもできません。
SFじゃないかも
みんなで幸せになろうよ
" イオンエンジンも眠る丑三つ時。墨を流したような暗がりの中に縞模様の宇宙服の男が歩いています。手には提灯もなく、月は雲で隠れているのにひたひたと日中をゆくが如く堂々と街道を歩いています。向かう先は町外れにあるNASAの酒蔵です。ご存知のように老舗の宇宙問屋であるNASAは宇宙燃料に、嗜好品に、と使い勝手のいい酒を自家栽培するようになり今日では「まるな印のNASAの酒」として市場を賑わせています。その酒蔵へ、男は吸い込まれるように入っていくのです。カードキーで施錠されたNASA鉄壁のセキュリティーも男の手にかかれば造作もありません。懐から取り出した木の葉を滑らせると「ピッ」という小気味良い音を立てて開いてしまいます。扉は油を引いたように滑らかな動きでスライドし、真っ暗だった通路に灯りが点ります。ぬっ、と入ってきた宇宙服の男は電灯の下ではまさしく異様な風体でした。六尺はあろうかという見上げるような宇宙服の大入道で、全身に黄色と黒のだんだら縞が入っています。奇矯奇怪な風体ですが不思議と品位を感じるのはそのゆっくりした立ち振る舞いからでしょうか。やおら男は歩を進めます。警備員はというと監視カメラに睨みを利かせていたのですがちっとも男の侵入には気づきません。煙のようなものがモニターを横切ったようにしか見えないのです。男は真っ直ぐ酒蔵に向かうと醸造樽をにハシゴをかけ、猿の様な勢いで一気に上りきるとそのままどぶり。酒の中に入ってしまいました。立ち泳ぎをしながら男のヘルメットが横一文字に裂けたと思うと大きく開きます。中から輝く白い歯列。どうやら口のようです。そのままごうごうびゅうびゅう音を立てて酒を飲み始めます。しばらくすると宇宙服が全体に赤みを帯び、満足したのでしょう大きな大きなげっぷを垂れました。ぐえーふ。そして滑らかな樽の表面に手を突くとヤモリのように登りきり、ふちから外に飛び降りました。流石に酔っ払っているのでしょう。尻からどっかと落ちてしばらく寝転がっていびきをかきます。しかしそれも寸刻のこと。ふらふらした上体を揺らしながら起き上がるとゆっくり出口へ向かって歩き出します。ここへきて警備員は物音から動き出すのですが男はすんでのところで逃げてしまって行方はようとして知れません。これが月に何べんもあります。
NASAの高官たちは寄り合いを開いて対応を協議することにしました。長官がぱちぱちとはぜる囲炉裏の火を見ながら語ります。「これは我らが神をないがしろにし、ロケットでただ宇宙を駆ることばかり考えた罪ではないのか」かぶりを振って「気ばかりのスティーブ」と呼ばれる翁が怒気混じりの声を上げます「こんなものは怪事でもなんでもない!ただの泥棒だ!警備員を倍増させ、捕まえてしまえば問題ない!」そこへ人事部のロジャースが鼻声で反論します「君、警備員を倍増させるのはいいよ。しかしね、その給料はどうするのかね。10人増やせば月に3万ドルの出費だ。それに泥棒を捕まえたらすぐクビにできるのかね?一ヶ月でクビ切り?おお、怖い。私は幽霊よりも労働組合が怖いね!」長官は二人のやり取りを呆けたような目で見て震えるばかり。とても裁定ができるような状態ではありません。先週妻と協議離婚をしたばかりなのです。親権も奪われました。涙ばかりがぽろぽろこぼれます。頭に浮かぶのは幸せだったころの自宅の庭。今では古タイヤがつまれているだけです。そこへ新役員のホプキンスが手を上げます「それならここにいる役員全員がかりで泥棒を取り押さえようではありませんか。幸い我々は一般職員と違って仕事をしていない。時間は十分にあります。それに私は我々の日本の友達、JAXAから棒を貰う算段をつけています。アジアに生える桃の木で作った棒は邪気を払うといいます。この棒で泥棒を叩きのめせば普通の泥棒なら死ぬでしょうし、怪異であっても無事ではありますまい」その後、閑をもてあました役員たちはそれでも命令を出すのに忙しいと文句を言って中々重い腰を上げませんでした。しかし、長官が人寂しさから全員酒蔵でキャンプをしようと訴えだし、その様があまりに哀れだったため無下に断ると死んでしまうような心持にさせられたため役員総出で寝ずの番をすることになりました。
老人たちの酒蔵生活が始まりました。杜氏は黙々と仕事をするだけで彼らを一瞥もしません。なぜなら彼らはロボットであり視覚センサーを備えていないためそもそも見ることができないからです。終業時刻を迎えそれぞれ酒蔵の目立たないところに張ったテントに戻ると全員それぞれテント内でちびちび酒を飲んだりマンダリンを弾いたり思い思いのことをしています。そんなことで泥棒が捕まるのかはなはだ疑問でありますが、彼らは仕事をしない生活が当たり前になっていたため全員目標を忘れていたのです。そんな生活が四晩も続いた頃でしょうか。ついにだんだらの宇宙服がやってきました。彼は既に見つからないことが当たり前になっていたせいでしょうか。宇宙服の表面は毛羽立ち、ヘルメットからは大きな舌が覗いています。鼻歌を歌いながら酒樽に近寄りハシゴをかけようとすると「ジュワッ」肉を炙るような音がして宇宙服の手袋が黒く焦げました。ハシゴを桃の木製に架け替えていたのです。あっ、とうずくまる大男に老人たちが殺到しました。堕落したとはいえ元はやり手のサラリーマンたちです。身のこなしが違う。久々の仕事に興奮した役員がやたらめったら男の全身を打ち据えます。ぼっ、じゅっ、叩く度に焼きゴテを押し当てたような音がします。きゅうきゅうという音を立て、身をくねらせる大男は徐々に身長が縮んでいき宇宙服もぼろぼろになり獣の毛皮のようになっていきます。狂乱の二分間が過ぎると長官が割って入りました「みな待ちたまえ。もうこの泥棒に盗みを続ける気力はあるまいよ」そこには大男だった痕跡もほとんど残っていない一匹の狸が傷だらけの全身を震わせ横たわっていたのです。不憫に思った長官が狸に尋ねます。ここは人間の酒蔵だ、一体どうして人間の酒蔵を荒らすのか、狸は目に一杯の涙を貯めて語ります。「つい先年、妻と協議離婚をしたのです。親権も奪われ自暴自棄になり、とにかく酒以外に救いがなかったのです。人間様にご迷惑をかけたのはわかっています。それも今日のように罰せられるのを期待していたのかもしれません」それを聞いた長官は膝から崩れ落ちて泣き出しました。おお、お前は私だったのだ。狸を抱き上げ介抱を始めました。もうこんなバカなことをするものではないよ。酒が欲しいのなら私に言いなさい。獣一匹が飲む量くらいはすぐに都合してやろう。「ああ、旦那様。人間とはかくも暖かいものだったのですね。いいえ、いけません。貰うばかりでは狸のプライドが立ちません。どうか私にもできることをやらせてください。そうだ、エンジンの出力を上げるくらいなら狸にとってはどうということはありません。これからNASAで打ち上げるロケットは全て狸の加護を加えましょう」それからというものNASAから打ち上げられるロケットの出力は全て30%増加することになりました。それによりNASAの宇宙開発は飛躍的に進み、今でもNASA本社の玄関には傷ついた狸を抱き上げるかつての長官の銅像が立っているのです。とっぴんぱらりのぷう。"
『映像ミザンセーヌの黄金則 ヒットする映画の作り方』において金子は次のように指摘している。
シナリオは筋書き(プロット)と描写(レンダリング)から成り立っていますが、シナリオからの分析局面では、プロットそのものはあとに残る印象要素ではないということです。複雑なプロットであればあるほど、観る人をひきつけはしますが、覚えることは難しい。したがって他の人にも伝えにくいのです。したがってプロットに関しては「面白い」「いい」だけ。覚えている印象のほとんどは、描写です。つまり、シナリオライティングのミザンセーヌに関していえば、レンダリングが重要だということになります。
ラノベにおいても抽象度の高い「筋書き」を具体的に「描写」していくという作業は多くの作家が認めるところである。映画は「筋書き」である台本と「描写」である映像に明確に分離可能であり、それと比較すればその境界は曖昧でありつつも、基本的な考え方としてラノベにおいても両者を区分することは可能であろう。
様々な作家による小説、ラノベの創作技法において、そこに書かれた技術がどちら寄りかを意識してみると、人物設定はどうあるべきか、世界と主題の関係についてといった「筋書き」寄りの内容に対し、「描写」寄りの内容はその紙幅のほとんどが正しい日本語講座に費やされていたりする。
正しい日本語で書けるようになりました、とは読者に苦痛を与えずに「筋書き」を伝えられるようになりました、というに過ぎず、そして苦痛なく読める文章であることは読者にとっては当然であり、その意味でこうした日本語講座は「マイナスをゼロにする」ものでしかない。実際、ラノベワナビを数年続けているような人であれば読めない文章であることは少ない。しかしそれがなぜつまらないのか、といえば、まさしくそれがゼロでしかないからではないのか。
一方で「ゼロではなくプラス」のラノベは確かに存在する。とすると「ゼロをプラスにする」、すなわち「筋書き」を単に読者に苦痛を与えずに伝える方法ではなく、魅力的に伝えるための方法はあるはずである。
ラノベを含む多くの創作論では「とにかく色々読め」という指摘がなされている。それは直接的な知識の吸収のみならず、そうした多読から無意識に「魅力的に伝えるための方法」を抽出し、そしてそれを自作においても無意識に利用するようになることを期待してのものであると筆者は考えている。
であるならばそれは、システマチックに再利用可能な一定の演出法――いわば「テンプレート」として抽出可能なのではないか。
仮にそうだとすれば、筆者はこの演出法には大きく二段階あると考えている。一つは筋書きを主たる場面に分解したとき、そのそれぞれの場面をより魅力的に見せるための場面展開の組み方、いわば「レイアウトの仕方」であり、もう一つは場面それ自体の品質を直接的に上げるための「描写の仕方」である。
金子が映像に関して指摘するように、ラノベにおいても「描写の仕方」の影響は非常に大きいだろう。しかし一方で「よく出来た話だ」という感覚を覚えるラノベがあるとき、それはこうした「レイアウトの良さ」によって得られる感触であり、それは文体が合わないとか、パロディが不快だといった個人の直接的な好みとは一つ別の次元での評価――「自分の好みではないけれど、でもよく出来た話だと思う」といった、評価の底上げに繋がる効果があるのではないか、と筆者は考えている。
「描写の仕方」については稿を改めるとして、本稿ではまずこの「レイアウトの仕方」についてのいくつかの私見を述べることとしたい。
本稿で抽出したいのはラノベの「筋書き」を魅力的に見せるための展開の仕方であって、あらゆる物語に普遍的に存在する何かではない。ロシアの昔話とギリシャ神話とキャラ萌え特化の現代ラノベに普遍的に存在する要素を抽出したところで、物語構造論的にはさておき「よく出来たラノベ」を書くためという点で言えば糞の役にも立たないと筆者は考える。
と大塚と新城をDisった上で、つまりある特定の様式における「テンプレート」の抽出が必要なのであり、本稿ではボーイミーツガールの様式をもつラノベに限定することとした。
ボーイミーツガールの定義として、例えば伊藤ヒロは「涼宮ハルヒやゼロの使い魔など、メインヒロインとの「出会い」がきっかけで平凡な主人公が非日常に入る、という構造」を持つと述べる。裕時悠示もまた「ヒロインが非日常をつれてくる」としており、まとめると主人公とヒロインの出会いとそれによる非日常の始まり、といったところだろう。
まず本稿では「主人公」は単に語り手もしくは視点人物とする。『涼宮ハルヒの憂鬱(以下ハルヒ)』においてはキョンが主人公であり、涼宮ハルヒはヒロインである。加えて主人公とヒロインの性別は問わない。『マリア様がみてる(以下マリみて)』においては主人公もヒロインも女性であり、『エスケヱプ・スピヰド』においては主人公は女性でヒロインは男性である。表現上の混乱を避けるため、本稿では男性ないし無性であっても「ヒロイン」と呼称する。
次に、では「非日常」とは何か。
例えば『灼眼のシャナ(以下シャナ)』では主人公はヒロインと遭遇する前に外敵に襲われ、これは明らかに「非日常」として描かれる。もっとも襲撃直後にヒロインとの遭遇がある以上、広義にはヒロインが「非日常」を連れてきたと言っていいだろう。ところが例えば『化物語』では主人公はヒロインと出会う随分前から怪異に接する生活に入っており、ヒロインがそれをもたらしたとすることには広義といえどいささか無理がある。
そこで「非日常」とは主人公を取り巻く環境の変化ではなく、主人公のとる「意識と行動の変化」であると筆者は定義した。『ハルヒ』も『シャナ』も『化物語』も、いずれもヒロインと遭遇後、主人公の行動はヒロインを意識したものへと変化し、その意識した行動を軸に物語が展開していくことになる。この点から本稿ではヒロインを「主人公が意識している相手」と定義する。
以上をもとに、本稿では下記の条件を満たすラノベをボーイミーツガールと考える。
なお、本稿におけるボーイミーツガールは排他的なものではない。ゆえに例えばハーレムラノベの代表格と言えるであろう『IS〈インフィニット・ストラトス〉(以下IS)』も、本稿ではボーイミーツガールとして扱う対象である。
これを基本条件として、さらに人気作の方が魅力的な展開が内在する確率が高いだろうという推測から、映像化された作品を中心に絞り込むこととした。
シリーズ化している場合、本稿での調査は原則としてその第一巻のみを調査対象とした。最初の一巻はそれだけである程度のまとまりを見せる構造を持っているだろうと思われ、またその出来がいいからこそ続刊が決定したと言うことができるだろう、という推測によるものである(細かく言えばボーイミーツガールとしてのひとまずのオチが付いたと筆者が判断したところで区切ったため、『化物語』はひたぎクラブのみ、『星海の紋章』は全三巻と対象範囲に差はある)。
以上からWikipediaのアニメ化されたラノベ一覧からランダムに選び出し、上記の条件に該当する作品50冊を調査した(一部個別判断からアニメ化されていない作品も含めた。また本稿では「ラノベ」の定義については特に踏み込まない)。これらを以下本稿では「ボーイミーツガール」と表記する。
長くなったが、以下やっと本題に入る。
本稿では「ボーイミーツガール」を遭遇と関係構築で成り立つものと考え、それぞれについて「テンプレート」を抽出することを試みた。いずれも個々のラノベからその要素の類型化をまず行い、次にそれらが実際にどう扱われているか、またどのような扱い方がされるとより「よく出来ている」と筆者が思ったか、という恣意的な判断によってまとめたものである。学術的な検討がされたものではないし、類型化の際の用語も筆者が勝手に命名したものでしかない点は注意されたい。
「主人公がヒロインとの出会いののち意識するようになる」とは、主人公のヒロインに対する見方が変わる、と換言してもいいだろう。その意味でヒロインとの物理的な出会いのみならず、「ヒロインに対する主人公の見方が変わる」ことも含めて本稿では「遭遇」と定義する。
さて、「よく出来た遭遇」は印象に残るものであり、そして意外性は印象を残す一つの要素たりえる。実際多くの「ボーイミーツガール」は遭遇時にヒロインの「意外性のある設定」を明らかにする。
問題は、その「意外性のある設定」は凄まじい勢いで陳腐化する、という点である。
突然同じ部活に所属することになったヒロインが毒舌家であることが明かされる『やはり俺の青春ラブコメは間違っている(以下俺ガイル)』、突然同じ寮に入ることになったヒロインが天才画家であることが明かされる『さくら荘のペットな彼女』、突然同居することになったヒロインがサキュバスであることが明かされる『ご愁傷さま二ノ宮くん』などいずれも「意外性のある設定」が明かされるが、それが筆者に十分なインパクトを与える意外性であったかといえば否定せざるをえない。ヒロインが魔王だろうが神様だろうがそれがどうかしたのかと微塵も関心を示せない読者は特に筆者に限ったものではないだろう。
筆者が考えるに、これに対するアプローチは大きく2つに分けられる。ひとつは「設定の極端化」、もう一つが「演出の工夫」である。
「設定」の新規開拓はもはやほとんど絶望的だが、既存の陳腐化した設定を極端化することによって意外性を勝ち得ているものは確かに存在する。例えばヒロインが挨拶代わりに主人公を撲殺する『撲殺天使ドクロちゃん』はその典型例と言える。問題は極端化が進めば進むほど馬鹿げた内容になりがちであること、さらに所詮は既存の内容の延長上にあることから読者の十分な意外性を得ることができず、陳腐で馬鹿げたものとしか認識されないリスクを内包する、という点である。
既存の陳腐化した設定を使い回しつつも、その演出によって読者の興味を喚起することは可能である。そこでまずいくつかの代表的な遭遇における演出の類型を整理したい(以下で全ての類型を網羅しているといった主張ではない。為念)。
クーンツは『ベストセラー小説の書き方』において、物語冒頭で主人公が困難に直面することが読者の興味を喚起する重要な要素である、としている。ヒロインの設定に意外性が乏しく魅力が無くとも、遭遇の場面の魅力はこの「困難さ」で補填することが可能である。ヒロインの奴隷だと告げられる『ゼロの使い魔』、異星人に狙われる立場だと判明する『這いよれ! ニャル子さん』、突如男性主人公が美少女に変わる『俺、ツインテールになります』などが具体例としてあげられる。
とはいえこれらの例において実質的に主人公が困難を自覚しているものは少なく、その解決へ向けて真剣に行動することはほとんどない。いわば形式的な困難さでしかなく、そうした困難さは筆者の興味を喚起するものではなかった。
一方で『シャナ』は主人公が強く困難な状況を自覚し、絶望するところで始まる。トーチ云々の中二病はともかく、ヒロインに命を救われたと思いきや「いやもう死んでるから」と否定され、残りわずかな自分の人生に悩む流れは使い古されたそれでありながら、筆者は悪くない印象を持っている。形式的困難に全く効果が無いわけではないだろうが、より効果的にしたいのであれば実質的困難とした方が無難とは言えるだろう。
偶然からヒロインの秘密を主人公が知ってしまい、ヒロインもまたその漏洩を把握する、という遭遇の類型もまた古典的展開と言っていいだろう。『乃木坂春香の秘密』などはこの典型例と言える。
知ってしまった秘密を主人公はどうするのか、秘密を知られてしまったヒロインはどうするのか、という次に当然起こるであろう緊迫した事態への興味を効果的に喚起させることができる上、それまで互いに無関心であった主人公とヒロインが相互に強烈に意識し始めることが読者に必然的に伝わる、という強力な副次効果を持つ。また秘密の漏洩はヒロインにとってみれば「困難の直面」に他ならず、そこで極限状態に置かれたヒロインがどのような行動をするか、とはそのヒロインの人格であったり本性を端的に表すものと読者に暗黙に理解させる点でも効果的に機能する。
その状況が主人公にとって予期せぬ事態であり、なぜそんなことになったのかという困惑と疑問が生じる遭遇は読者の興味を喚起するという点で効果的である。
例えば『タイム・リープ あしたはきのう(以下タイムリープ)』においては記憶の混乱という謎がまず読者につきつけられ、その解決が物語の主たる軸となる。『のうりん』においては主人公の崇拝するアイドルが電撃引退の上突如転校してくるが、彼女がなぜ転校してきたのかが物語の中心に据えられている。
しかし『タイムリープ』と『のうりん』を比較すると遭遇の出来の良さは(筆者にとっては)圧倒的に前者である。その違いは、おそらく単純に「読者の興味を引く謎か」という一点に尽きると思われる。この類型はヒロインの設定の意外性ではなく謎の意外性で勝負していると言ってよく、ゆえにどれだけ読者の興味を惹起することのできる「謎」を思いつくかがこの類型の要点と言っていいだろう。
例えば『マリみて』における「タイが曲がっていてよ」のように、これまでに見たことが無いような強いインパクトを与える絵面を描くことで読者の興味を喚起することに成功しているものがある。
筆者は全く百合趣味が理解できないが、そうであっても「美人が美少女のネクタイを締めてあげる絵」というのはなるほど悪くない絵だという実感が得られ、印象に強く残っている。
『マリみて』ほどの強力さは筆者には感じられなかったが、例えば『とある魔術の禁書目録(以下禁書)』における「帰宅したらヒロインがベランダにひっかかっていた」という絵もこの類と言っていいだろう。
以上、いくつかの類型を述べたが、より効果的に演出する方法としてこれらを多段階構成にする、という手法があると筆者は考えている。
例えば『俺の妹がこんなに可愛いわけがない(以下俺妹)』ではまずヒロインのエロゲ趣味が主人公に漏洩する第一の遭遇(秘密の漏洩)があり、それについての一段落が描かれたのち、夜中ヒロインが主人公の自室に侵入する第二の遭遇が発生する(謎の提示)。
『化物語』の第一の遭遇は階段から落ちたヒロインを抱き留めるという古典的なそれであるが、これは同時に「ヒロインに体重が無い」という「謎の提示」と「秘密の漏洩」として機能する。次にヒロインの病弱さがひとしきり語られたあとで、ヒロインがカッターナイフとホッチキスを主人公の口に突っ込み脅迫するという第二の遭遇が描かれる。攻撃的性格のヒロインに特段の目新しさはないが、文房具を凶器として使うこの絵面は筆者にとって十分インパクトがあった(印象的な絵面)。
『とらドラ!』の第一の遭遇はヒロインが主人公を睨みつけるだけの地味極まりないものである。ところが第二の遭遇はヒロインが机を吹き飛ばし掃除道具入れに隠れるところを目撃するという奇妙なものであり(謎の提示)、ラブレターの入れ間違えの発覚を踏まえ、その「秘密の漏洩」への対抗策として主人公宅へ夜襲をかける第三の遭遇と畳みかける。
興味深いことに、このときいずれも各段階の間に一拍が置かれている。それぞれの遭遇は矢継ぎ早に連続して矢を刺すというより、一本矢が刺さってちょっと痛みに慣れてきたところで二本目を刺す、というテンポと言ってもいい。
例えば『俺妹』ではエロゲをヒロインに返した際、その場でヒロインが主人公へ自室でそのゲームをプレイすることを要求しても物語上何ら影響はない。しかし一旦そこで一区切りさせ、主人公に「これで今まで通り、互いに無視しあう兄妹関係に戻るのだ」と吐露させ、その上でヒロインに夜這いさせることで、単にその場で依頼をするより読者に強いインパクトを与える効果を生んでいると考える。
http://copipe.cureblack.com/c/35112
1 名前:名無しさん:2012/09/01(土) 23:59:26 ID:3PhY68g2
ふーん。何とでも作れそうな話しだよね。
2 名前:名無しさん:2012/09/02(日) 00:15:41 ID:hmQMkRhx
そうだね
でもお前には無理だよ?
1のような人でも作れるように、手順をマニュアル化してみよう。
①時代設定は数年~50年前といった、あまり昔過ぎず、かといって容易には検証・再現できないくらい遠い過去を選ぶ。
②登場人物に異常行動をとらせる。
ポイントは、日常生活で行われる行為をちょっとずらした程度の異常行動にとどめておくことです。
「大声をあげて、全裸になり、包丁を振り回して発狂した」などはわざとらしすぎて、創作であることがばれてしまいます。
また、「人物」と表現しましたが、無生物の異常現象でもかまいません。
うまく使いましょう。
霊や怨念、この世のものではない存在を容易に結びつけることで、恐さを演出することができます。
④今現在も何らかの影響があることを臭わせる。
「それでこの話はおしまい」だと、「なーんだ今は何ともないんだ。」と読者に安心感を与えてしまいます。
「今でも、時々女のうめき声が~」などのようにその怪異が続いていることを示し、読者に恐怖の尾を引かせます。
その際は、大風呂敷を広げ過ぎないように注意。
早速実例を。
今から5年くらい前の話。
電子レンジが壊れたので、新しいのを買おうと思っていた。
しかし金がなかったので、できるだけ安いレンジを探していたら、ネットで中古の安いレンジを見つけたので購入。
届いたレンジは問題なさそうだったが、飼っていた猫の様子がおかしくなった。
レンジのある台所になかなか入ろうとしなくなったし、
レンジを使うときには、毛を逆立てて、レンジを威嚇するようになった。
前のレンジではそんなことなかったのに。
しばらくして、動物虐待で、ある男が逮捕されたというニュースを見た。
男の名前になんとなく見覚えが・・・確認して見ると、電子レンジを買った相手だった!
男は頻繁に虐待に使用する道具を買い替えていたらしく、古くなったものはネットで売っていたという・・・
電子レンジを替えたのは言うまでもない。
あれ以来、中古品を買わないようにしてる。
いかがでしょうか?
皆さんも恐い話を作ってみて下さいね。
障害とはいっても、主に知的障害の話です。
多動、自閉、ダウン等ありますが勿論軽度から重度まであり、一概に言えない分野でもあるとお断りを入れておきます。
主に自閉の場合です。
世話をしなければいけないし、気苦労は耐えないし、なにより日常の一般社会から外されてしまう。
外されてしまうというより、子供が物心付く頃には障害児の子と自分二人の普通ではない世界の<普通>が彼らには常識になってしまうから。
―不思議なもので子供が不可解な奇声を発していてもそれが普通になる。
―多少変な行動をしていても目を離せるようになる。
―一つの対象に執着し、例えば人形の髪をこねくり回していても気持ち悪い所か微笑ましい。
そうして外へ出れば当然奇怪な視線に晒され、そこで彼らの奇怪が日常になっていた親は一般社会との差異を初めて猛烈に感じることになる。
そんな一般社会から親はわが子をどう守り育てればよいか?
そのポイントで一般社会からどういう目で見られるか分かれ目になっていると思う。
どうにも残念な親の方が多い気もするが・・・
一般学級に通う兄弟が居る親の方が、我が子の振る舞いに申し訳なさそうに腰が低いパターンが多い。(※1)
「親が付いているのに奇声奇行をスルー」それは親にとっては<普通>だから。
残念だが奇声は静止できない。
けれども障害のレベルでは危害を加えないもしくは他人に不快感を与えないレベルに出来なくはない。
勿論親も度が過ぎる場合は叱らなければいけない。
それがどのレベルか分からない人もいるが、個人的には人に興味を持ち絡む時には相手と場所を考えて静止すべきはする辺りがライン。
周囲に理解がある場所が少なすぎる⇒施設だけでなく社会でも、が理想だが理解を得られていない。寧ろ偏見。
http://anond.hatelabo.jp/20081211235156
注意して理解は出来るレベルなら怖がらずに注意を入れたほうがいい。
でないと野放しになるから。
彼らは親と施設関連という狭い世界で育ってきたから一般社会の常識はその住民が教えてあげるしかない。
実際の所は怖い、危うきには近づかずの偏見で注意する人はいないが・・・。
それに「人に注意されても聞かない聞けない(逆キレ)」レベルの重度、
そういう躾をされていない(親が障害だからと叱ってこなかった)場合、ストレスが貯まっていてプッチン、
もあるので難しい問題ではある。
ついでにhttp://anond.hatelabo.jp/20091108162347
何も分からないと思っていたら大間違いで、一般の人より感情が分かる。
周囲の気持ちが筒抜けだったんだろう。
お金をちゃんと払えたんだから、せめて「ちゃんと払えた!出来た!」と生暖かい目で見守ればよかったパターン。
所謂池沼に理解が全くない例。
(奇行が)キモイ・(何も出来ないから)邪魔という認識しかないから、世間から消えろと思うのは当然。
せめてそれが(奇行は)ある程度しょうがない・(学習能力はあるから)お金をちゃんと払えたな、そういう人も居る、
位の理解を持てれば、障害者とその親も少しは生き易くなるのかもしれない。
苦労は一般の子供の数倍手は掛かる。
成長はするが遅い。一日で覚えることを一年かかって覚える。十年かかることもあるだろう。
当然障害者支援施設のスタッフならばそれを親と見守り理解して褒めるが、それはその閉鎖された世界だけの話であって社会は厳しい。
そもそも成長する事すら知らない人が大半だと思う。
彼らにはその数倍手を掛ける事が<普通>であって、
その彼らは「彼らにとってはあたりまえである<普通のきくばり>を周りにもして欲しい」と考えている節がある。
問題なのは「周りにもして欲しい」という思いが一般社会の他者にはとんでもない負担なのだという事実を彼ら自身気付かない事。
世界に落差がありすぎて、その主張は奇怪異端にしか聞こえない。
しかも彼ら自身はそれを当たり前だと感じているからどうしようもない。
当然両者は合間見えない。
モンペに近いとは思うが、その感覚を一般社会に持ち込むパターンも性質悪い。
上長の親戚が障害児、受け入れられないか?というレベルならまだしも、出来ないなら自分が直接見るから受け入れて
という事を平気でやる。身内びいきを悪びれなくナチュラルに言う辺り過保護さに唖然。
言いたい事は多々あるが別で。
まずは理解してもらうしかない。
同性愛のように、こういう人間が居ると主張し、まずは存在を認めてもらうのが偏見脱却には一番だと思う。
そういう団体もあるかもしれないが、いきなり「路頭で奇声あげて困りうろついてたら助けてあげてというレベル」
で理解を求めようとしても落差があり過ぎる。
同性愛者団体が「自宅で兄が男とセックスしてても理解して許して」と主張するような物で、
まずは「同性を好きになる人が居ます」から始めないといけないように、
障害者も「奇声をあげたり言葉を繰り返したりしてします人間が居ます。奇怪に見えますが危害を加えません。」から
理解を求めないといけないと思う。それでも敷居は高いが。(※2)
勿論差別はなくならないが、障害の内容を理解してもらえば実際問題少しはマシになるからだ。
奇声を発する/意味のない言葉の連呼/突発的な所作、この辺の騒音+奇怪行動レベルでも理解は得られる。
我慢して頂ける。
勿論当初はクレームも付いたが・・・駄目と注意すれば理解し成長すると周囲理解が得られるとその子へ声を掛けてくれるように。
当然こちらも静かにするよう注意したりもする。(が、きつ過ぎると我慢後酷くなる場合があるから難しい。親の苦労を思うと・・・)
ただしその「我慢していただいている事」を当たり前だと思ってしまっては駄目。
この部分を忘れて「我慢するのが当たり前」とならないよう(なってしまっている親はモンペと言われる)気をつけないといけない。
大変だと思う。現に大変ではあるし。家から社会から。
出来るのは「障害者が居る」という事と「育てる人の苦労」を理解する事。
親がモンペとなり理解されないからせめて権利を主張する、とならないように。
※1;周囲の目を気にして行動できるが、兄弟に負担を求める。
※2;「わが子の見せしめ」と思うだろうからほぼ無理かもしれないが。