知恵遅れ、いわゆる、精神発達遅滞の同級生と地下鉄の電車で会った。正確には電車内で騒ぐ声を聞いて彼だとわかった。
彼と会ったのは十八、九年前、小学生のとき、先生から学校の特別枠、児童擁護組(花の名前といった●●組)の生徒と紹介された。体育や図工の時間など合同で授業するので、クラスのみんなとは面識はあった。
彼はいついかなる場所もえへらえへらと笑い、日本語をはっきりと喋ることができなかった。クラスのみんなは早い時期から自分達とは違うんだと気づいた。児童擁護組にいるからという理由で“ヨーゴ”というのが彼のあだなだった。
小学五年生のときだったか、彼は知恵遅れ(当時は精神発達遅滞という言葉を教えてくれなかった)という先天的な障害だということを理解した。しかし、クラスは同じいじめを続けていた。中には彼をかばう女子もいたが、彼がいなくなると決まって陰口を叩いていた。頭の中ではわかっていても、彼を同じ人間とは認めていなかった。
で、というオレも同じようなもので触れるのも触るのも嫌だった。顔からただれる涎がばい菌が移ると思ったこともあったし、フォークダンスの時間、彼と手を握るのも吐き気を覚えたぐらいだ。そして何よりもオレをヨーゴと呼ぶヤツがいたから、余計、彼とは一緒にいたくなかった。わけもわからず、なぐりたかった。
だが、小学五年生の時に、先生(小学一年のときとは別の先生)が必死に知恵遅れについて熱く語ってくれたのを最後に、オレは心を変えた。彼を特別視するのをやめ、付き合っていけるように自分の偏見と戦いながら、残りの小学生時代を過ごした。
中学からは彼は児童擁護専門の特別学校へ行ったので会っていない。きっと立派な人間になって、自立した人間になるんだと希望を持っていた。
そして、十三年後、地下鉄の電車内で甲高い笑い声が聞こえた。オレは、ああ、またか、いるんだよな、と思いながら視線を向けると、十三年前に別れた彼だった。
自分と同じ障害を持った友達と一緒だった。
彼らが電車に乗ると友達に、「欧米か」「欧米か」と言葉足らずに言い、友達は「南米か」「南米か」と応えた。近くに居たおばさんは彼らを見て、ああ、今日運が悪かったな、と絶望的な表情を浮かべていた。
なぜ彼だとわかったか? それは彼の小学生のときから一つも変わっていない顔を見たからだ。まさかと思いつつ、友達が彼の下の名前を呼んだことで、やっぱり、そうか、と確証を得たのだ。
彼を遠くから観察していると、同じ言葉を繰り返してはきゃきゃと笑っていた。
彼はいきなりカバンをあけて「お茶飲もう」と言って、500mlのペットボトルのお茶を飲んだりして、まさに自由奔放だった。一方、友達は通路口で隣の電車内に行き来して、彼にかまってもらいたいという合図を送っていた。
彼は小学校の居た時と変わらないまま、大人になった。精神的に大人になったわけもなく、ましてや世間というものについて学んではいない。大きくなったこどものままだった。
いや、オレは何処かで期待していたのかもしれない。どんなヒトもいつかは自立した人間になって、立派になれるんだと夢を持っていた。しかし、それはない。それはなかった。
オレもハロワで仕事を見つけられず、家に帰っていた。時を重ねなれば自動的に立派になれるんだというエスカレーター式な幻想はない。何かが欠けているとずっとそのままなんだ、と面食らった気分だった。
到着駅に着き、俺は電車から出る前にまだ居残っていた彼を見た。午後四時に地下鉄の電車に乗っているオレを見て、笑っているかもしれない。まるっきり成長していない自分と偶然会った彼と重ね、オレは電車を後にした。
精神発達遅滞の方を悪くいうつもりで書いたわけではない。地下鉄に乗車した彼の一面を見ただけに過ぎない。
先日の事件で世間にご迷惑をかけ、精神発達遅滞の社会的立場が弱くなった中、捨てたはずの偏見をまだ持っていた自分に気づき、それをなくす意味で増田に書いた。
不愉快を感じた方がおられましたら、ごめんなさい。拙い文面失礼しました。
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