はてなキーワード: 孤立とは
まあ男が孤立するのは全てにおいてだよな
ついこの間、ツイッターで「海外にいるのにネトウヨになってしまう人間って何が起こっているんだろう」という意見を見た。気持ちはわかる。ツイッターで海外情報を発信する様な人って、海外のリベラルな雰囲気が好きな人が多いし、多くは海外在住だ。そうした人の周りに集まるのはやはり似たような思想の人。「海外に行きさえすれば、差別発言に敏感になる」と思う様になるのも無理もない。
自分も海外に約7年住んでいた。外国人のみならず、海外在住の日本人も人種差別に断固反対、ネトウヨなんてもってのほかという人が多い。日本在住の日本人がなんの気もなしにポロリと漏らす一言が海外なら顔をしかめられる程の差別発言だったりする事があるのも身に染みているし、同じ日本人としてちょっと恥ずかしいと思う事もある。
ただ、そんな私も昔ネトウヨになりかけていた。今では恥ずかしい黒歴史だが、11歳の時に親の都合で某欧米諸国に移住、高校卒業まで欧米で育った自分がネトウヨになりかけた過程を、何かの為になるかもしれないのでここにつづる。
こうした思想に染まりかけた理由としてまず第一に挙げられるのが日本へのホームシック。
社会人、日系企業勤めでの海外転勤なら、周囲の人間も日本人が多い。お金を出して日本食レストラン(メニューは日本語と現地語併記、店員も簡単な日本語ならわかるし、日本人の扱いになれている)に行ったり、日本式カラオケにも遊びに行けるし、そこまでホームシックは強くならないかもしれない。
ただ10代の学生という身で望んでもいないのに海外へ来させられた自分にはそんな事は許されなかった。親も早く英語を覚えてほしい一心で「あまり日本人とつるむな」と言いつけ、日本人の店員がいるレストランや店には一切連れて行ってもらえなかった。日本語に触れると英語を覚えないという理由で、日本で小遣いを貯めて集めた日本語の小説本も目の前で捨てられた。しかし英語も喋れない自分に外国人の友達ができる訳もない。一度だけ現地の日本人と仲良くなりかけた事もあったが、先生が母に「最近増田さんにお友達ができた様でよかったです。○○ちゃん(日本人)っていうんですけど」と、先生的には「ようやく友達ができてよかったね!」という善意の報告をしてくれた際、親はそれを「裏で日本語を喋っているという密告」と取らえ「あんた日本人と友達になってるんだって!日本語で喋っているのか!」とこっぴどく叱られてしまった。それからは日本人からも距離を置くように。英語のコミュニケーションも全く取れない上に、「助けようと日本語で話しかけてみたが反応が薄い」という事で数少ない日本人の学生からも遠巻きにされる様になり、どんどんクラス内で孤立していった。
そんな中、唯一の息抜きと言っていいのがインターネットだった。当時はまだダイヤル回線でスピードも遅かったが、学校の課題で必要という事で使用を許され、かつ父が仕事で日本語を使用する事もあり日本語の読み込み・書き込みができる父のお古のPCを手に入れた。遠目に見れば何語のホームページを読んでいるかはばれず、これが唯一「家族に秘密で日本語と触れられる媒体」だった。
元々アニメが好きだったし、海外に出た事で日本のアニメがいかに評価されているかというのかを肌に感じるように。自分が作ったわけでもないが「日本のアニメはすごいね!」と褒められるとやはり嬉しくなるし、海外オタクが何人か話しかけてくれた。つたない英語しか喋れない自分が外国人オタクと対等に喋るには向こうが知らなさそうなネタを仕入れなくてはいけない。それには日本語で検索した方がより精度の高い情報をゲットできるだろう。2ch(現5ch)に出会うのは時間の問題だった。
ここまで書いてきてわかると思うが自分は内向的な性格をしている。外で遊ぶより家で一人で本を読んだりお絵かきしたりしている方が楽しいタイプ。日本ではそれでもかろうじて友人はできたものの、言語の問題もあり、海外では全くできない。日本で友達がいたという事は性格の問題ではないはず。じゃあ何が問題なんだ?→周りの環境だ。と考えを飛躍させてしまった。
今となっては自分が周りと馴染もうとしていなかったのが要因だとわかる。外国人との話題だって自分がわかる日本のアニメの事ばかり。彼女達が勧めてくれたアメコミやカートゥーンを下に見て、日本のアニメを英語吹き替えで観る外国人オタクの事も内心馬鹿にしていた。口にこそ出さなかったものの、周りにもその空気は伝わったのだろう。日本アニメばかり放送している国内ではそうした見下す雰囲気もバレずにオタク友達はできたかもしれないが、海外では無理な話だ。せっかくできた外国人のオタク友達もだんだんと私と距離を置くようになっていき、私はそんな友達を「日本アニメのネタを知っている自分に嫉妬しているに違いない」と恨むようになった。
そしてこの思考は「ニッポンスゴイ!」と称賛する2chととても相性がいい。
自分に友達ができないのは外国人が悪い。日本の文化は世界一なので日本人である自分が悪いはずがない。
クラスで孤立していた自分はこの2chの「ニッポンスゴイ」に自尊心を擽られ、ネトウヨ的思想に少しずつ染まっていった。
脱却したきっかけ
上記に色々書いたものの今はネトウヨはやっていない。というよりあのミソジニーや人種差別発言に嫌気がさして距離を置くようになった。親に反抗して日本人の友達を作ったこと、自分の性格を見直し外国人の友達もできた事、成績を上げて「日本人である事」以外に自尊心を保てる様になった事も大きい。
自分のネトウヨ的思想を見直すようになったきっかけは2ch特有の人種差別発言だった。海外にある程度滞在をした人なら多分わかってもらえると思うが、自分が外国人というマイノリティになった時に、手を差し伸べてくれるのは大抵同じアジア人だ。そんで留学してる日本人学生なんかも最初に仲が良くなる外国人は圧倒的に中国人・韓国人が多い。もちろん中には悪い奴もいるが、それは日本人も同じ。
自分も漏れず、初めてできた外国人の友達は韓国出身の女の子だった。生活環境が近く(主食が米だとか、鬼ごっことかの遊びのルールの細かい決め事とか、好きなアイドルとか)アニメ以外に共通の話題があり、海外で初めて「アニメに頼らずに」できた友達だった。この子とは2chに出会う少し前あたりから仲良くなり始めたので、初めて2chでの人種差別発言を見た時も中国人・韓国人に関しての流説は最初から懐疑的になれたのは大きかったし、完全に洗脳されずに済んだのは彼女のおかげだと思う。
そしてそれ以外に自分が腐女子だという事。ご存知の通り(ていうかついこの前も話題に上ったけど)基本的に女というのは2chで馬鹿にされる。801板や喪女板等の限定された場所以外で女を出せば「臭い」と罵られ、飯炊き女、ダッチワイフ以上の価値は認められない。違和感を覚えながらも最初は男のふりや名誉男性的発言で書き込んでいた。この違和感が確信に変わったのが「男の体ってなんの価値もないよな」的なスレで「腐女子とかゲイとか専門にやっていけば」という書き込みをした時だった。(一緒に並べてしまってゲイの方に本当に申し訳ないです。謝ります)。臭い、お前の話す戯言には何の価値もない、早くおぱいうpしろ等の罵詈雑言を浴びながら、今の今まで女として直接自分の書き込みを攻撃された事がなかく「こいつら女を馬鹿にしている割には直接女っぽい(この場合は腐女子として自分の意見を書き込む様な)レスをしない限りどの書き込みが女の書き込みなんだかわからない程度の頭脳しかないんじゃないか」と気づいた。
ちょうどその頃からピクシブやツイッター等、2ch以外のSNSも活発になり始め、日本語でコミュニケーションが取れるコミュニティも増えていった事から2chから離れる決心がついた。
学校で孤立していたからインターネットに居場所を求めた。これは別に日本海外関係ないと思う。海外で孤立しかけていたのは母親に日本人とつるむなと言われたのが要因の一つと認識はしているが、ずっと日本にいてもそれ以外の理由で孤立していたかもしれない。自分はあまり社交的な性格ではないので、親の事がなくとも運が悪かったらいじめられていただろう。
でもそれ以外の理由。例えばインターネットの普及がもう少し早くて、韓国人の友人ができる前に個人PCを与えてもらっていたら。先に2chと出会っていたら完全に洗脳されてしまっていたかもしれない。
自分が海外に出て友達ができない理由を「外に」向けていた事の問題を認識できなかったら。実際私はそうしたからこそ、その思想と親和性の高いニッポンスゴイ、ガイコククソ思想に陥りかけた。
これって私の様に幼少期から海外に出た人以外にも、今の世代の人間なら十分にこの危険性はあると思う。今の様にネットが発達して外国人の知り合いができる前にネトウヨ的スレやツイッタラーに共感する様になっていたら、その後海外に行っても友達はできないだろう。よくて日本人の友達のみ、アジア人からはそっぽを向かれるし、レイシストという事で非アジア人からは軽蔑される。それを顧みないでいると「だから外国は駄目なんだ!ニッポンスゴイ!」とさらにネトウヨ的思想に巻き込まれる悪循環に陥りやすい。
それ以外にも日本で一所懸命英語を勉強して留学をしていたのに、全然英語が通じず友達ができなかったら。ホームシックに強くかかってしまって、日本語のコミュニティを探し、そうしたネトウヨ的思想を持つところに入ってしまったら。
例えば自分が男だったら。マジョリティとして2chの民が認める生き物は「日本人の異性愛者の男(パリピは不可)、ヤマジュンネタをニコニコ笑って許してくれるゲイ(ただし自分には絶対に危害を加えない)、ダッチワイフ」という事に気づくのが遅れて、あるいは気づかないふりをする事ができて、深みにはまっていったかもしれない。
例えば同時期に海外へ住した来た女性のコミュ力が高く、自分より馴染んでいるように見えていたら。そして自分が男だったら。女性蔑視に陥ってネトウヨの方に転がり落ちるかもしれない。私は女という性別だからこそ、自分より海外に馴染んでいる日本人の女友達に対して「彼女はコミュ力を高める努力をしたから」「英語の勉強を頑張っているから」と思えたが、自分が男だったらそこらへんすっぽかしてたかもしれない。ていうか多分そうしてたと思う。
海外に行けばリベラルな思想になるというのはある意味では間違いではないと思う。結局出会う日本人のリベラル率、海外の方が断然に高い。そうした人が海外に出ていくわけだし、海外が受け入れる人材もそうした日本人だ。今は自分の経歴を生かして留学生なんかを支援する活動をしているんだけど、1年以上の留学を経て帰国した人たちはやっぱりずっと日本で育ってきた人に比べて差別発言に敏感になっているし、自分もできるだけそうした言動をしない様に気を付けている。
でもだからと言って海外に行けば自動的にそうなる訳ではない。必ず数人はネトウヨになりかけて、或いはなって帰国する。自分が2chに入り浸っていた事、ネトウヨに染まりかけていた事、今ではあまりにも恥ずかしくてリアルでは言えない過去。幸いにも脱却できたが、こうした事が「自分が海外にいた」事も要因だったのも事実だ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/yujinfuse/status/1108056956529340416
戦争は避けなければならないのか?
いや、分かりやすく言えば、侵略を、侵略こそ避けなければならない。
侵略は協調とは違う。相手の合意がない。だから避けなければならない。
安全保障といっても軍備だけではない。
最低限の衣食住の自給自足、地産地消。食料、燃料の自立が必要。
軍備の自立には製造維持コスト削減のために戦争材の輸出が必要。
つまり、東シナ海、日本海、オホーツク海、太平洋のいずれかには
腹を見せなくてはならない。
現在の日本政府の政権運営能力ですべてを上手くこなすことができるか。
自衛隊に、日本の技術者に、技術者をまとめる日本の組織に、核兵器の管理がまともにできるのだろうか。
完全な自立独立にはコストがかかりすぎるので、無理そうに思える。
社会保障?年金?傷痍軍人?働かざるもの食うべからずの自己責任。
米中どちらに付くかのほかにも選択肢がなくはないが、無理そうに思える。(大事なことなので)
丸腰になんてなれない。
物語の根幹に関わっていることは分かりますよ。でも挙げられた三つの特徴のために主人公が誕生したところのメインの世界とは別に異世界を用意する必要ないですよね。勇者の特異性とか孤立とか、そういう舞台一つの英雄譚はいくつもあるわけで。だからメインの世界から転移したという設定にオリジナリティやらを見いだすわけですが、では別の世界に移った人たちがメインの世界に対してどういう心情を抱くのかとか、メインの世界で抱いた心情が異世界でどのように作用するのかとか、例えば仲間がテーマの場合に、異世界という舞台がどういう意味を持つのかとか、せっかく用意した新しい舞台についてのそういう問いに答えようとする作品はあるのかどうか、私の主な疑問はそこにあります(最初の疑問を読んでわかるように) 。
それに対して異世界設定いらないという発言だけが一人歩きしてるように思えてなりませんね。書き方が悪かったのと、現行のアニメである盾の勇者を挙げたのは誤りだったと思いますが。
元増田は上司にも先輩にも嫌われててみんな用件済んだらさっさと無視して立ち去るから最初の一言しか聞いてもらえない説
周囲にとことん嫌われて孤立するような無能じゃなきゃたかが礼の一つもまともに言えないなんてつまらん悩みまず持たないからな
つまりはそういうことだ
自分も夜間大学出身。高卒で1年ぶらぶらしてたんだけど、やっぱり大学入ろうと思って、でも金がないから学費の低い夜間にした。
あの頃はとにかく楽しかったなぁ。授業が少ないから毎日行くのが唯一大変だったけど……。
授業で社会人の女性の隣に座って話しかけて、仲良くなっていちゃいちゃするのが楽しかった。
社会人ってたいてい孤立しているから、話しかけたらすぐ仲良くなれるんだよ。
だから、授業ごとにいちゃいちゃする相手を見つけて、授業終わったら相手の家で遊んで、って生活をしていた。
たまたま最寄り駅の隣に住んでる女性がいて、合鍵ももらって半同棲みたいなこともしてたなぁ。
毎年、どんな社会人女性が入ってくるんだろう、って四月になったらわくわくしていた。もう最初に話しかけたら仲良くなれるのは確実だから。
面白いことに卒業したらみんな連絡取らなくなったな。一時的な火遊びだと割り切ってたんだろうな。みんな社会人で、10歳以上年上だったからな。
ぼくは社会人になってからそんなにモテないから、彼女らに連絡してみようかなってたまに思うけど……。
ま、こういう楽しみ方もあるよ、と元増田には言っておくw
元々夜鶴黒羽という存在に対してよく思っていなかったが、最近になってそれが強くなってきた。
2部から現在までのメインストとイベストを全て見た上で2部設定で嫌いな理由が多いので、ちゃんと全部読んだのか等、こちらの把握不足をつつくのも、それを逆手に取ってマウントを取るのもやめてほしい。
理由としては
・話を聞かない
・人気が高く展開が多い事
要点としては以上なので、長い文章が読みたくない人はここで読むのをやめてほしい。
それぞれの理由の思う所について
黒羽がプロデューサーを憎む理由は共通認識として理解は出来ても、それが他のアイチュウに対して攻撃的であっていい理由にはならない。
アイチュウという立場に甘えているのが気に入らないというが、他のアイチュウがどんな立場でいようと、黒羽にはそのアイチュウどう考えているかなんて分からないし、逆に黒羽にアイチュウという立場に甘えているなんて決めつけられる筋合いはない。
ましてや、一部を除き殆どのアイチュウが黒羽と面識が無いはずであり(情報として知っているかもしれないが)、そんな相手を一括りに見下す精神が気に入らない。
黒羽はアイドルとしてプロ意識を強く持っているが、恒常GRの恋愛ストで敢えて仕事を被らせ、プロデューサーが持ってきた案件を潰した。
本人はそれに対してファンを利用した事に罪悪感を持ってはいるが、プロデューサーへの復讐心を抑えて仕事を調整させるのが真のプロなのではないだろうか。
プロ意識の定義を押し付けたいわけではないが、黒羽のプロ意識への言動と行動が一致しない事に不信感が募る。
黒羽自身、プロデューサーに復讐する為にアイドルになったと言及している。
アイドルになった動機にとやかくいうつもりではないが、理由がどうであれアイドルになったからにはファンの事を考えて行動してほしい。
プロデューサーへの復讐が動機だからといってそれを仕事に持ち込むのは別だ。
アイドルへのプロ意識を語るのであれば、アイドルの仕事においてプロデューサーへの復讐よりファンを優先するべきであり、それが出来ないのであれば二度とプロを語らないでほしい。
あと恋愛ストの性質上仕方がない事ではあるが、2部設定の黒羽の恋愛ストはこちらへの態度も不安定で、その度に都合の良い事を言う男だなと思う。
・話を聞かない
黒羽は2部設定ではプロデューサーに復讐心を持っており、プロデューサーのやる事なす事否定し話を聞かない。
いくらプロデューサーに復讐の理由があるにしても話をしようとするプロデューサーを拒んでいれば、プロデューサーに復讐する事を黒羽自ら選んでいると思ってしまう。
これで黒羽が思春期にあたる年齢であれば自意識が強い為に話を聞かないという事でまだ納得できるが、25歳という成人した男性が相手の話をまともに聞こうとしないのは流石に器が小さいと思う。
復讐以外のある程度のキャラ付けは必要だと思うが、そのキャラ付けの活かし方が雑過ぎる。
別に黒羽が節約キャラだろうが優待券を失くそうが行けなくて落ち込もうが好きにしたらいいと思うが、それで年下の子を悩ませてしまうのは年上としてみっともないし卑しいと思う。
「自分はあんな事をしたが許された、受け入れてくれた、アイチュウとして頑張る。」
引け目を感じるのも他のアイチュウに感謝するのもアイチュウとして頑張るのもいいが、黒羽は今までアイチュウに何か返しただろうか。
今の所「他のアイチュウは優しいな」くらいしか思ってないのではないかと思う。
他のアイチュウの優しさに甘えて受け身になっている所が嫌だ。
・人気が高く展開が多い事
他推しの僻みだと思われるかもしれないが、上記のような事があるのにやたら人気が高く、運営からも贔屓されている事が多いのが腹立たしい。
誰かが黒羽を好きになるのも、黒羽のどの部分を(私が嫌いと言った部分でも)好きになるのかも好みの問題だと思うので別に気にならないが、問題はその数だ。
単純に疑問だ。黒羽が人気である事が。
そして、黒羽が人気であれば今度は運営が贔屓する。
前数えたら黒羽より総カード枚数が少ない3期生がいた。1年も違うのに。
逆に言えば、黒羽は1年ブランクがあるのに初期からいる3期生以上にカードが用意されていた。
ここまで夜鶴黒羽が嫌いな理由を書いたが、全ては最後のあからさまな運営が嫌い、に収まるかもしれない。
黒羽も望んでそうなったのではなく、運営にそうされただけである。
私は黒羽の事が嫌いだが、アイチュウに絡まず孤立する黒羽を見るのは嫌だし、黒羽が普通に過ごしている分には何も思わない。
結局一番悪いのは運営が下手なせいなのかもしれない。
〜注意喚起〜
このブログはモラルの欠けらもない。悪口・愚痴・文句など言いたいことを言うだけのブログなので、彼らのファンは絶対に見ないことをおすすめします。
もしこのブログにコメントする人は彼らの擁護コメント以外でお願いします。
ココ最近Twitterで我々だ!や我々だ!のファンに対してのアンチ長文が出回っている。我々だ!のアンチとしては「周りに迷惑をかけている」「最近面白くない」など。ファンのアンチは「マナーが悪い」「民度が低い」「キッズが多い」などなど。
自分は我々だ!はhoi全般、マイクラ(見てないシリーズ多々)、マイクラ人狼(途中で切った)、Wot(全部見たか記憶曖昧)は見たことがある。異世界は体に合わなかった。
我々だの実況スタイルは広い層に受け入れられるようにできている。大人数で全員を覚えにくいと最初は思ったが、動画を邪魔しない程度の字幕や簡潔なアイコン・色分けでわかりやすいように工夫されていた。薄いがストーリー性があり、企画もよく練られていて安定の面白さ。芝居かかったセリフなども人気のひとつ。まぁ自分が見ていたものだけで言わせてもらうとこんな印象があった。
今回の文章を書くために最近の動画をちらっと見てきたが、質の落ち方が酷くていろんな意味で笑った。字幕もyoutubeでよく見る安っぽいクソデカ文字。「異世界の主役は我々だ!」という漫画のキャラクターが決め台詞を言う寒いシーン。何もかもが薄ら寒い。なるほど、昔からのファンが離れるのも分かる。
ファンのコメントも他の実況動画のコメントと比べるまでもなく酷い。「結婚して」だの「〇〇×〇〇萌える(腐を匂わす発言)」だの、自分が言うのもなんだがモラルの欠片もない。
ファン、と一括りしてはさすがに一部の純粋に応援しているファン(いるのか知らないが)に申し訳ないので害悪とこれから呼ぶ。害悪達は我々だ!を「二次元のキャラクター」かなにかと勘違いしている。そういうもの達が書くイラストは動画内容と関係ない、所謂「捏造イラスト」は我々だ界隈のみならず他の実況界隈までも汚している。
関係ないゲームのコスプレ。女装・女体化。創作(笑)漫画。何もかもが妄想の産物。それを嬉々として描いているもの、見ているもの、全員が狂っている。
どうして他の界隈よりも圧倒的に荒れているのか。それは我々だ本人から、ファンアートに対する公言が主な原因。
「(我々だ二次創作全般において)私たちは『あらゆる創作表現を歓迎』しており、
表現の自由はこれまでも、そしてこれからも保障され続けるべきであると考えています。(一部抜粋)」
コスプレ、成人向け表現(R-18)もルールを守るならOKと書かれている。
頭が可笑しいのでは?
自分が一通り上記のグルッペンの文章を読み終わった後、そう思った。
別にこの文章内容に思ったわけじゃない。重要な文章がないことに思った。
どうして「他の実況者のルールは自分たちのルールと違うので迷惑をかけないように」と書かないのだろうか。
我々だが現在進行形で荒れ、他の界隈に嫌われるのは、我々だ自身がこういう所に配慮が足らないせいだろう。
そのせいで元我々だ界隈にいた少し有名な害悪が他の界隈に移動した途端に、態度の悪さにそこのファンにボロクソに叩かれて、そこでようやく自分たちがとんだ恥さらしだった事に気づく。なんとも面白い話だ。そこで気づくならまだしも、気づかない馬鹿もいる。そういう奴ほどUターンしてまた我々だの評価を下げる。悪循環だ。
我々だは他の実況者とコラボすると途端に面白さが減る。気の利いたコメントも言えず、痛々しい自分たちのキャラも振る舞えない。幕末のように迷惑はかけないが、孤立してるせいで微妙な空気を生み出す。害悪も右にならえで態度が一層悪く見える。
我々だが他の界隈に嫌われなくなる事はほぼない。唯一あるのは、もっと頭のイカれた実況者が現れてそっちに流れていくのを祈るしかない。
弟は兄が犯した事件によって職を失い、家を転々とするが、マスコミは彼のことを放っておいてはくれなかった。
就いた職場にもマスコミが来るため、次々と職も変わらなければならなかった。
そんな暮らしの中にも、希望がなかったわけではなかったという。
日本は昔から村社会における連座の発想があり、犯罪者の家族は犯罪者と同等の扱いを受けることになる。
社会的にリンチされる習慣は、江戸時代の話ではなく、現代にも続いている。
正体を打ち明けるのは勇気のいる作業でしたが、普段飲まない酒の力を借りて、自分のあれこれを話して聞かせました。
一度喋り出したら、後は堰を切ったように言葉が流れてました。
自分の意思で犯罪を犯したわけでなければ、親族は「関係ない」というのが真実だろう。
ようやく心を開いて話ができる異性との出会いは、彼に夢を与えてくれたのだろう。
しかし、優次の夢は叶うことはなかった。
一番こたえたのは『一家揃って異常なんだよ、あなたの家族は』と宣告されたことです。
これは正直、きつかった。
確かに欠点が全くない人間はいない。だから、他人を異常と見てしまうことは止むを得ないだろう。
しかし、その原因がただ家族だったからでは、全ての欠点・異常性を説明することはできない。
持ち上げられてから落とされた感じです。
もう他人と深く関わるのはやめようと、僕は半ば無意識のうちに決意してしまったのです。
(中略)
犯人だけでなく、犯人の家族も丸ごと殺したいのが、被害者遺族の本音だろう。
結局、他人を殺したいほど憎いという気持ちは加害者も被害者も、同じ人間であれば変わりはない。
許斐先生がTwitter始めてから盲信して崇めてる人ばっかりになってつまらないよね。
「昔はみんなたしけ(笑)って言ってたのに最近はそういうの言えない。昔のTwitterは楽しかった」
「たしけ()」呼びとか空耳テニミュとか、楽しみたい人は楽しめば良いよ。
馬鹿にするような呼び方や違法アップロードして笑いものにするのは正直不快だったけど、それも先生が拒んでないなら良いよ。
好きにすればいい。
でもその「おふざけ」を私たちにまで強要しないでくれ。私たちにまでたしけ()呼びを強要しないでくれ。
去年のサマバレやディナーや、最近だとカップヌードル関連のこととか、先生の言動を不審に思うこともあるだろう。
先生のファンである私でも「そこはちょっと別の言い方した方が良かったんじゃないかな」と思うことは時々ある。
私たちは今までテニスの王子様にたくさんのものを貰った。色んなハッピーを貰ってる。
99のハッピーを貰っておいて、1過失があったら「こんなことをするコンテンツは信頼ならない。もう嫌い。でも今まで関わった時間がもったいなくて腹立たしいから黙って離れたりなんかしないで叩いてアンチ活動する」っておかしいよ。
そこは「今までありがとう。ばいばい」か「そこは訂正した方がいいよ!」となって欲しい。
たしけ()呼びも空耳も好きにすればいいし、先生批判も作品批判も好きにすればいい。
でもずっと黙って我慢してた私たちが「実はたしけ呼びも空耳も嫌いなんだ」って呟くことくらい許して欲しい。
「昔はみんな楽しくたしけ()って呼んでたのに」じゃなくて「ふざけた愛称でもそこに何がしかの愛があるのは分かっていたから黙って我慢していた人が我慢せずに済むようになった」だけなんだよ。あなたの楽しさは誰かの我慢の上に成り立っていたものなんだってことわかって欲しい。
極端な例えになってしまうけど、18歳まで優しく厳しく健康的に育ててくれた親が18歳の誕生日に「選挙権持てたね!じゃあ次の選挙山田さんに投票して!お父さんが世話になってるから!」と言った時に『選挙法違反だ。こんな親に育てられて恥ずかしい。こんな親嫌いだ。こんな親とは二度と連絡を取らないし、選管に通報してSNSで晒して他の知り合いにも教えて社会的にバッシングして孤立させよう』って発想にならないと思う。
悪いところは注意しようor考え方が合わないからちょっと距離をおこうorそこは賛同できないけどこれまで受けた恩は返す。というあたりが妥当でしょ。
2~3年の通り過ぎて消えていくコンテンツじゃないんだよ。約20年お世話になり、またこれからも続いて欲しいコンテンツの生みの親なんだよ。
貶し愛みたいな愛があるの分かるよ。私はそれをしたいとは思わないけど、そういう身内ノリ的なものが楽しいことは理解出来る。
ただ、貶し愛がストレートなファン心理より上だとは思わないで欲しい。もちろんストレートなファン心理が貶し愛より上ってこともない。ただ愛の表現方法が違うだけだ。
「たしけ()って呼ぶ人がいなくなって窮屈」「駄目なことをしても擁護意見ばっかりで反吐が出る」
そう思うのは自由だけど、どうして呼ばないのか、どうして擁護意見が多いように見えるのか考えて欲しい。
もちろん盲目的に許斐先生を盲信して先生がおっしゃることは100%正しい!とか言う人もいる。そういう人はどうかと私も思ってるよ。
でも、ただ「貶し愛が得意ではない」「悪いことは悪い。毎日美味しいご飯を作ってもらってるのに味噌汁の味が1回濃かったくらいでちゃぶ台ひっくり返すみたいな恩知らずなことをしたくない」という人の方がずっと多いと思う(私の周囲の体感でしかないけど)
今日の味噌汁は味が濃いね。次から気を付けてね(指摘)とか、お湯少し足していい?(サポート)とか、味噌汁作るの苦手ならインスタントも美味しいよ(作品外のことは編集その他に任せる提案)とか、そういう当たり前の意見が突飛な熱烈信者やアンチに押されて見えなくなってしまっている。
要は
(1):たしけ()呼びが許されなくなったわけじゃない。我慢していた人たちが嫌だと言える世界になっただけ。呼びたければ呼べばいい。これ以上こちらに我慢を強いないでくれれば良い。
(2):20年も世話になってるコンテンツには多大な恩がある。一緒になって叩かない人を全て一律に『盲信的な擁護』と思わないで欲しい。間違いに対する対処は指摘や叱咤、解決策提案、今後の動向見守り等が妥当だと考えているだけ。
ということが言いたかった。
「ミスしたら批判だけでなく叩きも甘んじて受けなければならない」
そういう考え方ももちろんあるだろう。
そうじゃない考え方もあること、知って貰えたらいいな(と思って書いたけどこれをその人たちが見ることはなさそうだなぁ。まあ、テニプリに限らずどのコンテンツでも言えることだと思うので目に止まった誰かの思考材料になれば幸い)