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2014-04-08

http://anond.hatelabo.jp/20140408155008

社会的にはおまえが消えたほうがいいんだが。

おまえの独善のために多くの善良な市民を巻き込むんじゃない。

2014-03-23

歴史修正主義=疑似歴史学

最近従軍慰安婦問題を中心とした歴史修正主義大手を降って表通りを歩く様になって来ていてまったく嘆かわしい限りだが、要するになんでこんな馬鹿げた嘘つき連中に騙される善良な市民がいるのかと言うと、それはヘイトスピーチがその定義に「出自アイデンティティに関わる属性などによって差別する」という意味があるのも知らずに、「差別をしたら罵倒された。これはヘイトスピーチに対するヘイトスピーチだ」などという滅茶苦茶な主張に騙されてしまうのにも似た、まあ一言で言えば「言葉定義を語感でなんとなくしか捉えない」国語力の低下に起因するものであろうと考えられる。残念ながら、「歴史修正主義」という言葉を前に「歴史は仮説に過ぎないのだから、見直すのは良いことなんじゃないの?」というような自分では冷静に考えたつもりであろう意見は、単なる無知の成せるわざと断ぜられる。なんとなれば、簡単に歴史を「見直せる」と考えること自体が、疑似科学ならぬ疑似歴史学とでも呼べるような間違った発想だからだ。

歴史は元々、矛盾内包するものである。それはどういうことかというと、普通どんな定説が作り上げられる過程にも矛盾した史料と言うのは必ず存在するということである現存する矛盾した史料を全て集め、突き合わせ、読み込むことによって、「少なくともこの出来事はあった/なかった」をひとつひとつ確定していったもの歴史定説なのである。この過程史料批判と言い、要するに文書と言うものはどうで執筆者主観立場、その他もろもろの事情から切り離せぬものなのだから、そこを考慮して信ずべきところとそうでないところを選り分けるという作業である特に言えば、官僚作成した政府資料などと言うものとき政府の都合に合わせきった単なるプロパガンダと見るのが当然であり、そんなもの歴史に限らず今のご時世だって政府発表の資料や説明をそのまま鵜呑みにするのは馬鹿のすることだとまともな大人ならわかることなので、「当時の政府は悪いことはしてないと発表している。だから悪いことはしてないはずだ」などと言う幼児のごとき論理は真っ先に排除される。

矛盾する史料を付き合わせて組み立てられた歴史の「定説」は、当然ながら、仮に今新しい、何か定説矛盾するところのある史料発見されたとて、そう易々と覆されうるものではない。本当にそれが未発見の新史料とでも呼べるものであったのならば、それまであった他の史料と同じ様に読み込まれ、史料批判を行い、もしかしたら定説に多少の修正が見られる可能性もないではないが、殆ど場合それほど影響をもたらさない可能性の方が高いであろう。言うまでもなく、「ここに新たなる史料の見つかった。これは定説矛盾するからして、定説は見直されるべきである」などという歴史修正主義によくある主張は純粋ナンセンスである歴史学は、人の書いた文章の嘘を見抜くのがその手法重要な部分を占めている学問である。嘘をつかない自然を相手にしている自然科学とは違い、単純にひとつ事象観測して、その観測勘違いがなく、その上で定説既存理論と折り合わないようであれば十分な反証が得られたと考えるような、いわば性善説にでも則ったような発想はしないのである

以上が、原理原則から歴史修正主義の疑似歴史学性、それが如何に歴史学的な主張として正当を欠いたものであるのかの説明であるが、もっと現実的処世術として持っていると便利な視点は、歴史修正主義とはためにする運動以外の何ものでもないと言うことだ。歴史修正主義者は常に結論から全てを考える。結論に合わせて史料を探し(多くの場合彼らのいわゆる「新史料」は実は史料批判の終わっている既知のものである)、求めるものから逆算して史料を読み、ときにその史料が結論を裏付けてくれるものでないと知れれば、あっさりとそれを捨て別の史料に根拠を求める。こういったやり方が史料批判という歴史学的な手法に反しているのは言うまでもないが、残念ながらこの恥知らず姑息さこそが、善良な素人をして歴史修正主義に理ありと錯覚させることもある要因となっているのも否めない。素人目に一見正しそうに見える主張をしている手合いにこそ、その「正しそう」に見える部分が何か狡猾な手段から来たものでないのか、学問的な手順の不正によるものではないのかと疑うことが必須である

歴史修正主義は疑似歴史学である。それが用いるロジック一言で言って詭弁であり、歴史を簡単に見直し、修正することが出来るかの様に喧伝する議論は学問的にまったく正当性がないのみならず、不見識な素人を騙すためならなんでもする詐欺師にも似た卑劣な活動に他ならない。昨今の日本の歴史修正主義の台頭は、国外から戦後体制に対する反逆と見られるのみならず、こと21世紀に至ってもまったく成長の見られない日本人論理的な思考力の弱さ、都合の良い結論への飛びつきやすさ、畢竟ためにする勢力のプロパガンダに如何に簡単に騙され流されるかという知的脆弱さを露呈しているのである

2013-08-15

基地害は死ね!!!





わず表情がこわばったそこのあなた






おめでとうございます

基地であることを自覚しているあなた善良な市民です。

これから人生頑張りましょう!

2013-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20130729161116

かい事件って、むしろ成りすまし詐欺のような、ある程度のインテリ層が資金を使って巨額の詐欺をしたり、教育とか関係なしにわけわからん通り魔的な事件起こすことの方が多いんじゃない?

本気で分からないんだけど、いつから「でかい事件」の話になったの?

在日朝鮮人インテリ層が多くて巨額の詐欺をしてるってことなの?

通り魔社会的精神的に追い詰められた末に起こすもので、教育は大いに関係あるでしょ。

まともな教育、って、日本にいれば公的教育ならほぼ無償で受けられるっしょ。

公教育さえ受ければ教育として十分だというのはさすがに無邪気すぎる。

雇用については、そもそも日本で職がないなら自国に帰れっつー。

善良な市民様なら無責任に「国へ帰れ」とか「帰化しろよ」とか言えるけどさ。

政府にとっては寝た子を起こすようなものでしょ。

やると絶対に面倒くさいか放置されてるんだよ。

過去にやったときは大失敗したし。

外国人に優先的に仕事を与えなきゃいけないの?

誰も「雇用を与えろ」なんて言ってないよ。

雇用を与えれば犯罪率は下がる」と言ってるだけだよ。

単に事実を述べただけなのに、勝手にあれこれ解釈するのは止めてくれるかな。

ヒステリックにすぎるよ。

2013-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20130724173518

各地のゴミステーション行政に運営させるとなると、えらい額の金が動きそうだぞ。

毎日ゴミステーションを見回りするだけの管理人掃除夫を雇うために毎年数千万予算が使われると思う。わりとガチで。

だって一人でカバーできる範囲は限りがあるから僻地を込めた市内全域をカバーできる人数が必要だし、

ゴミ毎日出るし、時間外に出されたゴミカラスに荒らされるのも行政責任になるからフルタイム勤務になるしょ?

最低時給としても1次受けで一人150万必要として、それがだいたい三次受けくらいかまされるとして一人頭年間300万程度が必要になるんじゃね?

ちょい少な目に5人としても、年間1500万の血税を投入しなきゃならなくなりますよ。

実際は三千~四千万くらいになると思う。

そういう予算を使いたくないケチな市が自治体かい名目ボランティアにかき出そうとしてるんだよな。

カラスの食い散らかされた家の前のゴミステーション掃除しても1円も貰えないんだぜ?ふざけんなっての。

市の仕事だろうがこういうことは。俺の家まで来て掃除しろボケ善良な市民を当然のようにタダ働きさせてんじゃねーぞ労働には対価が発生するんだよ資本主義国家の一地域の運営任されてるという自覚はあんのかゴラアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!

2013-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20091215100454

もうちょっと調べればわかると思うけどさ、『惑星開発委員会』って、仮面ライダー用語じゃないのよ。

カイゾーグだとかなんとか言っているのと並列で、惑星開発用改造人間って単語ならスーパー1に出てきたことあるけど、それも造語といえるほどのものではないと思う訳よ。

別に宇野さんが自分仮面ライダーのファンを隠してる訳でもないってのはそうだけど、元々の『惑星開発委員会』ってので仮面ライダーを大きく扱ったことってないと思うのよ。

という訳で、その宇野だか善良な市民だかの人って、たぶん特撮に関しては平成ライダー以外は興味ないって意味では仮面ライダーとかの特撮おたくって表現はその通りじゃない。

だけどなぜかよくわからないけど、ゼロ年代の色々なサブカルチャー社会批評平成ライダーのカラミが特撮ヒーローに多少は興味ある程度の層にも受けたのか、一定の読者が存在して、しか特撮ヒーロー漫画雑誌なんかにも呼ばれちゃったから「俺なぜか仮面ライダーとかの特撮おたくしてる」って錯覚に囚われてしまったのが件のルサンチマン壮年さんだろ。

あくまで皮肉気味に自称しているだけじゃなくて、いつの間にか本人も自分のことを特撮に詳しいと信じ込んでいると思われ。

かの矢口真里と同じで、実際の特撮ファンの冷たい視線を気にせず「子供の頃から特撮作品が好きで、この年代では2~3位になれるくらいDVDとか持ってます」って言えちゃうポジションだと受け取るのが正解。

2013-01-23

結婚なんてしなきゃいいのに

結局そういうことでしょ?

転職したいならすればいいし離婚したいならすればいいだけ。

要は既婚者という“善良な市民”の特権を捨てる勇気がないんでしょ?要は勇気がないんでしょ?

2012-12-24

武装警官を配置することに反対する理由がわからない

ライフル協会が武装警官を配置しろと言ったことに対して、えらい反応がよかったんだけど、いうほど変なことだとは思わないんだが。

だって、銃の所持を規制して回収するのにいったいどのくらいの時間費用がかかるのか?明日すぐできるの?

今日から店先で売りませんったって、今まで出回った銃が全部回収できるかっていったら難しいわけで。

善良な市民けが回収に協力して、ヤベー人たちは地下で取引して手に入れるだろ。

対して、武装警官を配置するのは明日だってできるわけで。

そもそも、「銃規制」と「学校セキュリティを固める」というのは相反する概念ではない。

学校に武装警官を配置することが、銃規制を後退させることにはつながらない。

生徒個々人が自分安全を守るため銃を携帯しろってんなら話は別であるけれども。

なんでそんなに違和感を覚えるのか謎。

犯人を射殺するってこと?

無差別に銃乱射した犯人なんて、死刑でしょ。

射殺されたって、そんなに違わないような。

あるいは無期懲役精神鑑定病院送りだったとしても、血税で養わないといけないわけで。

生きたまま確保できなかったところで、手間省けてそれはそれでいいような。

そりゃ、法律からするとよくないんだろうけど、細かいことを考えて犯人を無傷で確保することより、さっさと事件を早期終結することのほうが重要じゃないかな?

追記

どう控えめに考えたって、銃を持った犯人制圧するためには銃しかないっしょ。

警官がいたけど防げなかったって?

じゃあ数と火力を増強しかないだろ。

全ての銃がどこにあって誰がもってるか捕捉できてるわけ?

どうやったって全て回収なんて無理。

から市民を守るために銃を使って何が悪い

2012-11-11

私が詐欺師になったわけ

もともと善良な市民である私がどういった経緯で詐欺師になったのか、そのことについて良い機会だから書きとめてみたい。

元来私は人とは距離をおいて接するところがあった。決して私が重度の厨二病からというわけではないが、自分は周りの人たちとは

何か異質だと感じていて、不用意に自分さらけだすのは得策ではないと考えていた。また、幼い頃から人間社会の裏側を

目にすることが多く、優しさの裏にあるものを敏感にかぎとってしまい、拒絶的な態度を表してしまうような、ある意味ひねくれた子供だった。

そんな子供だった私が選んだサバイバル戦術が、「自分を偽ること」だった。本当の自分を表に出すと、その異質さが人々の

目を引いてしまい、私の意図とは違ったところで、さまざまな誤解を生んでしまう。ちなみに、私自身は異質である自分

べつだんコンプレックスがあるわけでもなく、かといってそんな自分が密かに好きというわけでもなく、ただ自分はそういう人間だと思ってるだけである

ただ、それをオープンにした場合、さまざまな不利益を被る場合があるので、無闇にオープンにしていないだけのことである

しかしながら、オープンにせず自分を偽るのは精神的に負担が大きいし、オープンにしないと手に入らない利益もある。そのことを青年時代の私は繰り返し学んだ。

もっとうまいやり方はないのか?そこでたどりついたのが、「詐欺師という生き方」だった。

何も最初から詐欺師になろうと思ったわけではない。気付いたらなっていた。最初自分をうまくさらけだすやり方を偶然見つけた、ただそれだけだった。

ところが、その「うまくさらけだす」やり方に改良を重ねるうちに、狡猾さがエスカレートしていったのだ。ウソの設定を適当に追加し、その設定に信憑性をもたせれば、

もっと容易にさらけだせることに気付いてしまったのだ。さらけだせるだけでなく人々に私にとって有益な反応を起こさせることもできる。

ストレートさらけだしたのでは得られない反応がたくさん得られる。なぜネカマが多いのかの一つの理由が、そのとき初めて分かった。

それまでは人を騙すメリットの背後には、自分を押し隠す苦しみというデメリットがついて回っていた。

それが、人を騙すメリットに、自分さらけだせるという項目が加わったことで、完全にデメリットが無くなってしまった。

人を騙してはいけない理由が、もうなくなってしまったのだ。このうま味を覚えた私は、自分に関するウソをつくだけでは歯止めが利かなくなった。

さまざまな事柄に関して情報操作することで、他では得がたい結果がたくさん得られることに気付いてしまったのだ。

そうして私は詐欺師になった。世の中にいる他の詐欺師のうち、私と似た経緯で詐欺師になった人は結構いるのではないかと思う。

2012-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20121107161544

目線なんだろう、こういう俺はどこにも属してないキリッ みたいな奴って

「俺は低所得者だけど善良な市民としてつましく生きてるけど!」みたいな?  

こういうのも何らかのルサンチマンの帰結なんだろうな

2012-10-22

容疑者卒業文集同級生コメントはどこで見れるのん

TVで見れへんかったら、いったい、どこで見れんねん?

善良な市民虐殺されたやぞ?

事件発覚から日経ったとおもてんねん?

いまだに朝鮮学校卒業文集朝鮮学校同級生コメントが出てこんって

どういうこっちゃ

なにしとんねん、

ファミコンでもやっとんのか、アホボケカスザコ、マスコミ

2012-10-18

悪魔の辞典

警察: 善良な市民が二人いれば、うち一人から自白を引き出すことのできる組織

2012-07-24

完全な監視社会にするしかない

犯罪不正の防止のためには社会のあらゆるところに監視カメラをつけて死角がないようにするしかない。

更衣室やトイレはサーモグラフィで人影だけ映るようにして、

問題が起きたら実物の画像が見えるようにしたらいい。

執行猶予中の犯罪者や出所者については家の中までそうしたほうがいい。

一般の善良な市民でも家の中までは映さないにせよ、

家の出入り口付近に録音機をつけてそれこそギシアンの音まで聞こえる精度で室内の物音を録音したらいい。

イギリスでは少年凶悪犯罪きっかけに監視カメラを各地に導入し、

今や一日に一人の人間が300回も監視カメラに映るのが普通だという。

日本もそれぐらいしないとだめだ。

見られて困るのは悪いことをしている人間だけだ。

2012-05-20

他人が楽して金もらうのがそんな嫌か?

誰がどんな方法で金を得ようがどうでもいいじゃん。悪いことしてるわけじゃないんだしね。

いくら妬んでも君には一銭も入ってこないんだよ。

でもキミらはてな民は「妬んでなどいない」というんだろうね。

適当な理由をくっつけてそれらしい言葉を並べて、心が綺麗で頭の良い自分を演出するんだろうね。

気に入らないのならただスルーすればいいだけなのに。

それでも妬ましいかブコメせずにはいられない自分の醜い心を直視してみようよ。

ね、だからさ、せめてこの増田では「妬ましい!俺はこんなに苦労しているのに!妬ましい!キーッ!」って正直に言っちゃいな。

人間らしくていいじゃん。そんなもんだろ人間なんて。頭のいい善良な市民を演じるのも疲れるでしょ。

2012-05-17

合法的に踊る

こんなこと許されていいのだろうか 踊る自由について - 大友良英のJAMJAM日記

何時以降は踊ってはいけないとか、指定された店以外では踊ることを禁ずるなどという法律自体が、わたしにはおかしものに見えるんだけど、間違ってるかな? 

クラブ行かない人達からは「法を守れば問題ない」という意見もあることなので、まとめてみる。

合法的に踊れる店とは、

風俗営業の許可をとっている。

24時以降は営業しない。

以上。

文章にすると簡単。踊るために風俗営業許可が必要という時点で違和感あるけど、法がそうなっているんだからしょうがない。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO122.html]

第一章第二条を見ると「設備を設けて客にダンスをさせる営業」のみでも、第二条一項四号に該当する。これに、飲食が加わると同一項三号にあたり、さら接待が加わると同一項一号に該当する。そうすると「風営法を尊守したクラブ」は三号の営業許可がとれればいいわけだ。

「許可の基準」は第二章第四条から記載されている。第三項と第四項は「風営法を尊守したクラブ」にはあまり関係ないので無視。なので第一項と第二項を満たせばOKになる。

では第一項から。「許可を受けようとする者が次の各号のいずれかに該当するときは、許可をしてはならない。」とある。まとめると、クラブ経営者は「犯罪暦がなくて未成年でなくてジャンキーでない」人ならOKということ。善良な市民だったら大丈夫、って感じだろうか。

続いて第二項。「許可の申請に係る営業所につき次の各号のいずれかに該当する事由があるときは、許可をしてはならない。」とある。これをまとめると「店の構造設備及び住所が基準を満たしてないとダメ」となる。構造設備については公安が、住所については都道府県条例で決められている。条例地域によって違うけれど大体は「住宅街の中、学校病院の近くはダメ」という感じ。構造設備についての条件は以下のようになっている。

1 客室の床面積は、一室の床面積を66平方メートル以上とし、ダンスをさせるための客室の部分の床面積をおおむねその5分の1以上とすること。

2 客室の内部が当該営業所の外部から容易に見通すことができないものであること。

3 客室の内部に見通しを妨げる設備を設けないこと。

4 善良の風俗又は清浄風俗環境を害するおそれのある写真広告物、装飾その他の設備を設けないこと。

5 客室の出入口に施錠の設備を設けないこと。ただし、営業所外に通ずる客室の出入口については、この限りではない。

6 第29条に定めるところにより計つた営業所内の照度が5ルクス以下とならないように維持されるための必要構造又は設備を設けること。

7 第31条に定めるところにより計つた騒音又は振動の数値が法第15条の規定に基づく条例で定める数値に満たないように維持されるための必要構造又は設備を有すること。

1について。床面積66平方メートルということは20坪でおよそ40畳。あくまで「客室の」というところに注意。その上「一室」とあるように「40畳の客室と20畳の客室」という構成だとダメらしい。この2つを合わせて一つの客室とする場合、3が邪魔をする。「見通しを妨げる設備」の条件は、仕切り/つい立て/カーテン/背の高い椅子など高さが1メートル以上のもの、となっているから壁なんて問題外。新規で店内レイアウトして基準に合わせる、であればクリアできそうだけど、既存営業所を利用してとなるとこれに合わないことが多いらしい。あったとしても大家風俗営業所としての利用を認めない、とかもあるし。

じゃあ飲食なしでいいから第四号の許可を・・・としても条件は第三号とほとんど同じ。違いは「営業所内の照度10ルクス以上」ということくらい。さらに、「設備を設けて客にダンスをさせる営業」ということなので「ダンススクール」もかつては四号営業に含まれていた。しかし、

社交ダンス - Wikipedia

1998年映画Shall We ダンス?」の大ヒットや国際ダンススポーツ連盟(IDSF)の国際オリンピック委員会IOC)加盟など世論の後押しを受け、14年ぶりに大改正された。文部省認可の公益法人日本ボールルームダンス連盟(JBDF)の存在や、ダンスに理解の深い国会議員組織ダンススポーツ推進議員連盟」の精力的な活動により、ダンススクール風営法適用除外が実現した。

ということで、ダンススクールは四号営業に該当しなくなった。法律を見ても、

(第一号若しくは前号に該当する営業又は客にダンス教授するための営業のうちダンス教授する者(政令で定めるダンス教授に関する講習を受けその課程を修了した者その他ダンスを正規に教授する能力を有する者として政令で定める者に限る。)が客にダンス教授する場合にのみ客にダンスをさせる営業を除く。)

と書いてある。だからクラブ」じゃなくて「ダンススクール」としてダンスさせるのは合法なのだ・・・というのは早計で「ダンス教授する者が客にダンス教授する場合にのみ客にダンスをさせる営業」、簡単にいうと「習うときだけ踊る」という条件の上、ダンス教授する者、いわゆる先生は「政令で定めるダンス教授に関する講習を受けその課程を修了した者その他ダンスを正規に教授する能力を有する者として政令で定める者に限る。」わけで。講習については以下のとおり。

http://www.npa.go.jp/syokan/shiteitouhoujin/03dansu.pdf]

ダンス教師の要件については、社団法人全日本ダンス協会連合会及び財団法人日本ボールルームダンス連盟が行う講習であって国家公安委員会が指定するものの修了者又はこれらの法人が同講習の修了者と同等の能力を有する者として国家公安委員会に推薦した者(これらの法人が行う試験であって国家公安委員会が指定するもの合格者等)に限定されている。

要は「資格を持った先生ダンスを教える」以外の営業はダンスホールとして四号許可が必要ということで。無許可でかつ無資格の人がダンスを教えると、風営法違反という解釈も成り立つ。「どこか場所を借りて会費を集めて盆踊りの練習をする」のも会費を集めるという行為が「営業」と判断されたら摘発の対象になる、ということだ。

・・・さて、こうした「人・環境設備/構造」をクリアできれば、晴れて「合法的に踊れる店」の出来上がり。ただし、許可が降りたその後も、店内のレイアウト変更などに制約があったりする。そして閉店は24時。志がある人はぜひ経営に乗り出してほしい。

風営法は厳密に運用すると「許可された所以外では何時だろうと踊らせるな。許可した所でも24時以降は踊らせるな。」ということになってしまうんだなーと。「踊っている人を見たらとりあえず通報」したらどんなことになるだろう?「風営法を尊守したクラブ/ダンススクール」ってかなり少ない気がする。

じゃあ店じゃなくて外で踊ろう、というのも結構厳しくて。公園で音を出していると大抵警備員さんや警察の方に「苦情があったから止めて」って注意される。イヤホンすれば、「無音で動いている人」になるから不審人物ということでやっぱり注意される。運良く注意されずに満足いくまで踊れるかもしれないので「踊るのはどこでもできる」という人は是非チャレンジしてほしい。

「合法的に踊る」のは案外難しかったりする。踊るってそんなに迷惑なことなのかなー。

2012-03-13

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20120313001659

相変わらず、おめでたい嫌儲ブコメで盛り上がってるなーと思いつつわたくしも思うところを

3、4年前くらいの状況は、元増田に大いに同意せざるおえない

本当に、mixiの営業やディレクターは「稼ぐ」とか「儲ける」とかに興味なさそうだった。

あえて言うならば、中世貴族のようだった。


儲けるというのは庶民の為すことと思うのが当然であるかに思えた。

どこぞのCMプランナーになったつもりで斬新なクリエイティブこそ価値があると思うのは当然であるかに思えた。(但し思いつきレベルしか所詮ピグのパクリとかだけど)

電通博報堂ですら呼びつけて足蹴に使うことさえ当然であるかに思えた。

パートナーに向かってタメ口で「ぜんぜんわかってない」と言ってのける事も当然であるかに思えた。

会議中ずっと携帯をいじって会議の話などろくに聞かないのも当然であるかに思えた。

mixi API仕様上の問題であっても「なぜそんな仕様にしたのだ」とトンチンカンクレームパートナーに上げてくる事も当然であった。

最近入社したばかりのおねーちゃんやおにーちゃんですらそれを真似するのも当然であるかに思えた。


mixiにあらずんば人にあらずの時代未来永劫続くのも当然であるかに思えた。



祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり


苦笑い


少なくとも、グリーDeNAの営業も「パートナーと一緒に稼ぐ」事については真剣に取り合ってくれたように思う。当然それが自社の売上につながるからだろうが。

ブコメにもどるが、こういう派手に稼ぐ業種に厳しい善良な市民のご意見もっとであるが、カルテル組んでちゃっかり儲けてる業種がどれだけ多い事には感心が薄いのだろうな。

いずれにしても、焼ける森畑も少なくなってきた所でどうなるのやら

2012-01-02

安全なところから、高みに昇ったつもりで、関わりのない弱き者を断罪するのは楽しいですか。

自分をまともな人間という枠に入れて、異端者を拒絶することは正義ですか。

そんな馬鹿げた差別なんかに傷つく必要はない。

ただ怒りは覚えておくべきだと思う。

いつか自分が違う立場から同じような過ちを繰り返してしまわないように、

クズがしたことは一つ残らず覚えておかなくてはいけないと思う。

あなた方は善良な市民なんかじゃない、立派なクズです。

当然のように、まるでそれが洗練された方法かのように、

エレガントに差別をする一流のクズです。

2011-09-12

http://anond.hatelabo.jp/20110912104828

まじきめえんだよ日本はよ。政治家はどいつもこいつも偉そうな警官口調で、少し突っ込めば地をさらして怒り狂う鬼畜相場は決まっている。これはどこの世界でも一緒。つうか人格が一緒。それ以外は公務員のように同じことしか言わない無感情機械ロボット。後は陰湿な主婦女子高生、頭の悪いクソガキ、キチガイ受験生ヤクザしかいない。


どこにも優秀な生徒も眉目秀麗女生徒も、善良な市民もいない。ゴミ民族めが。

2011-08-18

満員電車で一番怖いのは痴漢じゃない

満員電車が嫌いだ。好きな人はいないと思うけど。それこそ痴漢行為をたしなむ方くらいだと思うけど。

わたしの人生に満員電車が登場したのは12歳のときで、私立の中学に通うための行き帰りだった。

それから6年間、片道1時間ちょっとかけて通い続けたわけだけどもうそれはそれはつらかった。

毎朝それだけでぐったりだ。疲れてしまうし、気が立つ。

体力的にもつらかったし、女子校に通っていたことに加えて、この6年間の途方もない電車での息苦しい時間の積み重ねがわたしの男性への超根本的な嫌悪感を刻みつけたような気がする。

 

いつも嫌な想いをしててでも言えなくてつらかったんですぅ、とかそういう感じでもない。

わりと気が強かったし(女子高生特有の世界に対する恐れのなは今思い出してもすごいと思う)「ちょっとやめてもらえますか?」って言い放って駅員さんに引き渡したこともあったけど、

わたし(あるいはもしかしたら「わたしたち」)がこわいのは痴漢をしてくる男の人じゃない。

もっとなにか、大きなものへの恐怖だった。男の人に囲まれると今もすごくこわくてこわくてたまらなくなる。接触がこわい。そんなこと言ってると電車乗れないんだけど…。

もちろんそんな下衆な犯罪行為におよぶひとはほんの一部だってことはわかってるし善良な市民のみなさんがほとんどだってことはわかってる。それでも怖い。恐怖の対象は一握りの犯罪者だけではない。

 

そういう人が近づいてくるとすぐにわかる。空気が淀む。ああ、と思う。

例えばその人は電車のゆれのように思わせて体を密着させてきたりする。

例えばその人は体をすきまにねじこむように見せかけて胸元をのぞきこんできたりする。

例えばその人はおしりやもものあたりにあたってしまった手をあえて動かさずにそのままにしてたりする。

例えばその人はわたしの腰のあたりに何か体温の高いもの押し付けて(あるいは、押し付けざるをえなくなったように見せかけて)きたりする。

例えばその人はわたしの首筋や髪の近くで少しだけ荒い息遣いをしたりする。

もしくは、すべてわたしの電車やだ、って気持ちが産む錯覚かもしれない。

 

別にわたしはお世辞にもかわいくはなくて露出が多いわけでもなくてもうとにかく平凡だ。

電車のなかでは熱心にケータイを触ってるか一心不乱に本を読んでるかどちらかなので、下を向いて没頭してて外部のことに鈍感なように見えるんだろうと思う。

で、身長は160センチくらいで、平均身長くらいの男性目線クロスするほど近い身長ではないし、かといって小さすぎて表情が見えないわけでもない。

そういう平凡な理由で狙われ…というか巻き込まれるのだと思う。そしてそんな特徴の女の人は掃いて捨てるほどいるだろう。わたしではない誰か。

 

腰にあたる温度の高い何かはわたしに対しての欲情ではなくて電車中吊り広告柏木由紀ちゃんのグラビアを見た結果かもしれないし、

もしくはわたしの自意識過剰なだけで家族おみやげに買ったたい焼き天津甘栗や石焼きいもかもしれない(と、一応考えを巡らせる)。そんなのよくわからない。というか知りたくもない。

ほんとに絶望的な気持ちになる。とにかく不愉快だ。意図も実態もわからないけど、そして、だからこそ。

わたしはどろどろしたものに包まれながら平然と本に没頭する「ふりをする」。

なぜならばそこであたふたするのが癪だからだ。お前みたいなやつにわたしの精神や行動を左右されなくなんてないのだ。

とか思うと同時に本当にどうしようもなくみじめな気持ちになる。早く離れたい。気持ちが悪い。

そういうときに頭をよぎるのは相手への怒りではなくて、今自分がここにいることへの苛立ちなのです

消えたい、と思う。こいつを降ろしてやりたい、ではなくて、早くここから逃げたい。

急行電車は次の駅までが長くて、なんとかして降りる。追ってくることはまずない。気付かれてると思ってるし。

顔は絶対に上げない。目を合わせたくない。彼らはわたしを見下ろしている。それがまた気持ちが悪い。

電車を降りて、同じ電車の隣のドアか車両にまた乗り込む、その絶望感は何度やってもやばい

わたしはなにから逃げていてなにに耐えていて何に向かっているのか。

 

痴漢行為として突き出すためには、そうだな、具体的に言うと、手の甲ではなくて手のひらのほうが明らかに意志を持って体の部位に触っていたり、

欲情の矛先が明らかにこちらを向いていてかつ増強していたり、何かしら確信を持てないと断定できない。

そういうのやめてもらえますか、の「そういうの」がお互いにわからないと告発にならない。

さっきの例はまた別だけど「妙に体を近づけてくる」とかはそんな確信は持てない。

混んでるのですみません。おわり。まあ、そうなるよね。言ったことないし言うほどじゃないよ。

冤罪だってわんさかある昨今ですから、こちらだって無責任にわめきたてるわけにもいきません。

でもね、わかるんだ、そういう人は、女というよりもメスだと思って物理的な接触をしようとしてくる人は、わかるんだよ。具体的な行動でなくたって、わかるんだよ。

もうどうしようもない不愉快さに包まれるんだよ。まなざしで、息遣いで、手への神経の集中具合で。

 

女性という生きものの持つプラス恍惚感はよくわかる。

わたしも電車に乗っている近くで、透き通って白い肌の人だったり上品な香りを漂わせてたりきれいな髪の毛をしていたりシャンプーのいい匂いを漂わせていたり

うなじのラインが見える髪型だったりする人がいるととまじまじと見たり、ああ女の子かわいいなあ、すてき、とうっとりしたりするもん。それは男女関わらずまったくふつうのことだと思う。

でもそれとはまったく異質だ。わたしが怖い人たちは。

まったく異質だけどたぶんそう遠いものでもないんじゃないかってなんとなく思う。わかんないけど。わたしは女だし。

 

電車が怖いです。男の人は(基本的に)怖いです。無言で負けるしかないんだな、って思うからかな。

恐怖症というまででもないけど。恋人が作れないほどひどくはないけど。でも電車で、男の人に囲まれる状況には極力なりたくない。女の人の近くに立ちたい。

今日すごく、嫌なことを思い出してしまったので勢いに任せて一気に書いてしまいました。

もうすぐ引っ越せる。そしたらずいぶん、毎日を生き延びるのが楽になるような気がする。がんばれわたし。

2011-06-12

それでも宇野常寛を評価する。

まだ宇野氏が「善良な市民」というHNを名乗り、ウェブサイト萌えオタ批判に熱心だった頃、私は彼の言説と2ちゃんねらーの煽りとの区別がつかなかった。批評家っぽい言葉を使う2ちゃんねらーだな、と思っていた。その後、東浩紀批判を展開し、「東浩紀劣化コピーがうんたらかんたら」と言っているときは単なる喧嘩屋だと思っていた。

今でも彼の言葉選びや論説には意地の悪さを感じるときがある。性格が悪いなあ、と思わず呆れる。

しかし、それでも彼とブログで息巻いているだけのほかの凡百の批評家気取りは違う。彼は「ゼロ年代決断主義の時代だった」と主張し、その正当性は確かに認められ、コンテンツ批評の刷新に成功した。その際、展開したエロゲー批判、萌えオタ批判はいささか強引ではあったが、デスノート仮面ライダーなどを俎上に上げ、「数字」という誰の目からも明らかな根拠でもって想像力の主流が変容したことを浸透させた。

また、批評の対象にジャニーズドラマNHK連続小説を持ってきたことも見逃せない。これらの作品は大勢に受容されながらも、批評家たちのあいだでは「ないもの」とされてきた。コンテンツとしてまともに認識されてなかったのだ。宇野氏の活動が批評の対象を拡げたことは、確かな功績だ。

ほかの批評家気取りが有名な批評家言葉を真似てしか語らないのと違い、彼は自分言葉でほかの人間が語っていないことを文章にした。彼の作った言葉には「レイプファンタジー」「サークル貴族」などいまいちなコピーはあるが、「ゼロ年代」「サークルクラッシャー」は、これらの言葉が出てきたことでずいぶんと語りやすくなっただろう。そして、それら自分言葉自分の考えを雑誌にしたり、商業媒体に売り込んだりする努力を怠らなかった。

その点において、宇野氏が新進気鋭のやり手批評家なのは間違いないのである

2011-06-03

http://anond.hatelabo.jp/20110603174221

からさ、的外れとかこだわってる時点で、執着してるのはどっちですか?って話さね。

勝ち負けに拘ってないなら、スルーすればいいじゃない?

あの問答で、多くの善良な市民は、私の返答があなたの反応への「的外れな返答」だと理解可能なんだからさ。

2011-05-18

人をあやつる

世にはコミュ力を高めると銘打った書籍が多いが大半は善良な市民向けのものであるしか社会で役立つのは往々にして狡猾な世渡りコミュ術であったりする。例えば人を意のままに操るというと道義に反するので真面目なライターは書きたがらないが、そういう本のほうが実践的だと私は思う。ファシリテーションコーチングリーダーシップも人を操るものだと言えなくも無いが、これらは通常は相手の人間性を尊重するものである。対して、催眠術洗脳術は人間性を必ずしも尊重しない。術者の配慮がなければそれは非人道的なものになりうる。そして実用性を求めれば求めるほど、術者の配慮にかかわらず倫理的ギリギリのラインを行くことになる。もちろん破壊カルトが用いるような洗脳は明らかに倫理に反するが、もっと狡猾な洗脳はグレーでいて決してブラックはならないギリギリのラインを行く。例えば、極めて有効な洗脳方法に相手に考えさせて答えを出させるというテクニックがある。こちらが思考材料を提供し相手の思考の方向を誘導した上で相手に質問を投げかけるか疑問を起こさせるような発言をして考えさせる。すると相手はこちらの望んでいた判断や決断を下してくれるという算段だ。この方法は思考力の無い人間コントロールするにはあまりにも有効であるため、良心的な人間は心が痛むかもしれない。この手法はファシリテーションコーチングリーダーシップの手法にも部分的に含まれるものだが、それをラジカルに行っていくと詐欺まがいの商法マインドコントロールまがいの人心掌握術に繋がってしまう。術者の配慮が行き届いていないとたちまち恨みを買うか、酷い場合には犯罪者になってしまう恐れのある危険な技法だ。そんな強力な手法が何故世間に広まっていないかというと使いこなすのが難しいからだ。セールス勧誘や統計トリックのような限られた状況においては広く知られた思考誘導の技法が存在するが、より一般の場合にも誘導を行えるような共有されたテクニックはたぶん存在しない。伝えるのが難しいからだ。結果として、セールス勧誘や統計トリック等に騙されないための知識を身につけた人達は大半の誘導を防ぐことができている。しかし、少数の狡猾な人間は任意の状況において高度な誘導を行える。この種の誘導に対しては、残念ながら自己防衛を行う有効な方法が存在しない。文脈に依存しないため、こういう危ない手口がありますよという知識は一切役に立たないからだ。文脈によらない誘導はコミュニケーションに長けた人間なら誰でも使えるレベルのものから、高度な知能を持っていないと使いこなせないものである。前者については文脈依存性をまだ残しているため対策のしようがあるが、後者に至るともう手の打ちようが無い。中身は限りなくブラックに近いグレーであっても、透明度が高いためホワイトにさえ見えてしまうのだ。

2011-04-10

http://anond.hatelabo.jp/20110410145715

「悪い政治家は、投票しない善良な市民によって選出される」北アメリカ

と言うらしいが、投票しない奴は善良ではないよな

2011-04-03

原発と君とそれから

こんにちわん。

あれだね。日本人みんなダメだね。

いや、みんながみんなダメって訳じゃないんだけどさ。何がって本当人間やめたくなってくるくらいなんだけどさ。

あんまりふざけた前置き書いておくとみんな読んでくれないから本題に入ろう。

ネット見てて思ったけど、みんなアホやろ

インターネットを見てるといろんな人がいるよね。

twitterでは反原発デモやるよ、とかいう人がいたり

ニュー即では、ひたすら政府叩いてたり

mixiでは未来子供たちが放射能でどうたらこうたら、って日記書いてたり

はてブコメントで水掛け論してたり(そんな水掛けるんやったら原発にかけろってね)

色々な人が誰かを悪者にしたいみたいですね。

悪いのはお前らだ

どうも君たち人類と言うのは歴史をみても失敗を誰か特定少数のせいにしたいみたいですが、僕には全くわからないよ。

特に政府であったり、東電を批難して、(潜在的にも)「自分正義や」みたい勘違いをしてる人がいるけど、数百年後の未来からしたら、今の時代を生きている人たちはみんな加害者だ。

今、困難な中、原発で作業してる、東電はもとより、自衛隊とか警察とか消防とかの人もみんな加害者だ。

なんか、被害者ぶって、「原発危なかったじゃないか」とかキレてる人も、

「俺は前から危ないっていってたのに」とか、いってる予言者さんも、

革命の一端を担ってるとでも勘違いして「子供たちのために反原発運動するお、ついでに腐った日本の政治も変えてやるお」とか言ってる善良な市民も。

君たちは被害者でも革命家でもなくて加害者だ。

今までだって、ずっと原発止めるチャンスはずっとあったんでしょ。

「俺は原発やめろっていってたから、俺は悪くないもん。ぷいぷい」みたいなこと言う人もいるけどそうじゃない。

もし、日本原発運用することが正しいことでないならだけど(まあ、これから正しくないって方向に世論も進むんだろうけど)、

「やめろ」っていうだけじゃなくて、やめさせなきゃ駄目だった。

事故が起こる前に止めなきゃいけなかった。

それができなかったんだから推進派だろうと廃止派だろうと、君たちは全員加害者だ。

難しくてよくわかんないからって何もかも放っておいて生きてきたのは君たちだ。

まあ、どうせこの問題も政府とか、東電とか、推進派とか、アメリカとかのせいにして、君たちは反省せずにまた似たような間違いを繰り返すんだろうけど。

というわけで、僕は反省しながら生きていきます未来子供たち、僕らダメな時代の人間でごめんね。

まだ選挙権もないキューイチ世代だけど、なにかできたことはあったはずだと真摯に受け止めているし、これからできることはなんでもするつもりです

戦争も止められてなくてごめんね。僕まだ数十年人生残ってるだろうから、もっとましな方向に動くように頑張るよ。

長々と書いたけど、言いたいことを1行でまとめると

みんな加害者なのに責任感ないよね。

(あ、先に断っておくが、自分ブログに書いても誰も構ってくれないからここに書いたなんてことはない。)

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