はてなキーワード: 善良な市民とは
今回の災害で発生した数あるお騒がせ事件のうち2つを比較し、人々はなぜ一方を非難しもう一方を許容するのか、それぞれの事件では何が違うのかを考えてみる。
なお、とりあげる2事件の詳細は省略。また、法的見地からの検証ではないのであしからず。
最初に結論を述べると、2事件の違いは第一に検証可能性、第二に緊急性にあるっぽい。
前者の事件は、ある企業のサーバルーム内で瀕死の重傷を負ったというデマをツイートしたというもの。
これが事実であるか否かを確認するには、実際にサーバルームの様子を確認するか発言者の無事を確認するかしかないよね。
第三者による検証が困難な状況かつ、事実であるとするならば一刻を争う緊急事態なわけだ。
(冷静で合理的かつ)善良な市民であれば、重体であろう発言者の知人・同僚に状況が伝わるようRTしたり、
生命の危機を察知して救急に電話をすることだろうね。(未確認ですが、実際に救急が出動したという情報も)
後者の事件は、ありふれた(無害な)物質をあまり一般的でない別名で呼称し、それが水道から検出されたと速報したというもの。
たしかに、あたかも何らかの危険をはらんでいるかのようなツイートだった。元ネタも受け手を不安に陥れる効果を狙っているわけだからね。
でもこの件は、DHMOという単語で検索をかければジョークだってことがすぐに分かる。
ちょっと調べるというほどのものでもない。辞書を引くより簡単な手順・時間で脅威の有無を確認できるわけだ。
得体のしれない危険物がありそうなとき、それがどういった物なのか確認しようとするのはごく自然な行為だよね。
さらに、第一印象で不安感を抱いたまま正体を確認しなかったとして、
すぐさまRTしたり周囲の人に連絡しないと命が危ないことが予想されうるか否かというと、
放射性物質を連想しているならさほどの緊急性を感じないだろうね。
継続して摂取したら危険な物質なのかもって気分にはなってもおかしくないけど。
検証する手段も、時間も与えられている状況で、善良な市民ならどう行動するだろう?
こうした(愉快犯的)ツイートはスルーするか、危ないものではないというつぶやきをするだろう。
上記から、サーバ下敷きの場合ではRTや通報をすることが合理的、DHMOの場合ではひとまず真偽を確かめるという行為が合理的っぽい。
だから、前者は叩かれて後者は許されるという違いが生じたんじゃないかな。
ついでに、さらに一歩踏み込んで、DHMO検出速報事件の善悪を分ける論点を考えてみる。
DHMOが検出されたというツイートを許容する意見の代表は「調べもしないであたかもデマを糾弾するがごとき指摘は理性を欠く」。
許容しない意見の代表は「人々の不安感を徒に煽るような言動は慎むべき」。
この事件では"許容しない方"の言動に人格や正常な判断力が疑われるような点が多々あったから核心がぼやけた気がする。
DHMOがナニモノか調べなかったことが問題だという認識は本質じゃない。
「(十分な検証可能性、時間が確保されている状況で)冷静に検証することは受け手の義務であって、なにも考えずに恐慌状態に陥るのは自己責任」であるという考えと、
「多くの人々は見聞きする情報の真贋や危険度を冷静に客観的に判定することはできない。正しい情報を流布するのは送り手の責任」であるという考えの対立なんだよな。
もちろん、受け手になるなら前者、送り手になるなら後者の考えに則って万人が適切な判断をし、行動できることが望ましい。
要するに「受け手はどれだけ馬鹿か、馬鹿でいることが許されるか」っていう基準が違っためにここまで話題になったってことだろうね。
■http://anond.hatelabo.jp/20100809011728
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■で
昔の「欧米に追いつけ追い越せ」「日本を文化国家に」からずいぶんおちぶれたな。
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808160707
おまえばかだな。
公共の福祉じゃないか。
Permalink | トラックバック(0) | 16:14
それでは人権と同じになってしまう。公共の福祉が指示しているものはたんなる日本人全体の欲求であってはいけない。もっと日本人の欲求に反するキチガイみたいな目標をもち、それでもって人権を虐げる必要がある。もともと高度成長期の不必要に難解な入試問題も大学受験競争も経済界も邦楽界も日本人離れした目標による日本人の抑圧だったはず。なのに今ではそういう公共の福祉がないのではないか。
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808120540
公共の福祉が消えるかもしれないという未曾有の事態になってるんだな。数十年前までは公共の福祉はあって当たり前だった。しかしここ最近ずっこけて日本が統率者不在のただの集団になった。それを戻すための統治行為論的状態になっている。
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808115014
確かに、公共の福祉が特別感をなくしているよな。政府権力者が国民の中に埋没して憲法が想定していない状況が生じている。
Permalink | トラックバック(1) | 12:05
■http://anond.hatelabo.jp/20100808114639
つまり、一心同体の国民がこれで幸せだ、と思える利益の外に、政府権力担当者の利益というのがあって、そいつでもって国民の利益が抑圧されているのが日本だよ。だから学校にせよ何にせよ、国民が「これで幸せになるのに何でそうしないんだ」って場合は、政府が絡んでいるんだよ。そういうことでしか憲法は説明できない。
あと、憲法を説明するには、政府権力担当者というのは国民の支持や意識により生まれたらいけないものであり、国民から分離ないし乖離し、別の利益共同体を形成し、常に国民の利益に相反していないといけない。でないと人権と公共の福祉が混同して憲法が崩壊する。早い話、政府権力担当者的利益共同体は、一般国民の幸福を抑圧する形でこの社会の中に入り込み、領分を確保してなければならないわけ。
そういうふうに、日本人一般の利益が、政府権力者という特別な人間の利益に抑圧され、政府権力者は自己利益だけを追求し、国民を益したらいけないわけだ。しかしここ最近、その構造が感じられなくなってきた。これは一体どういうことなのか。
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808114039
だから政府権力担当者の利益と国民の利益は同じじゃいけないんだよ。政府権力担当者には一心同体の日本国民とは別の特別の利益があって、それが公共の福祉になるんだから。
Permalink | トラックバック(1) | 11:43
■http://anond.hatelabo.jp/20100808113024
だから、人権は金になる、と言ってる奴の利益が公共の福祉だろ。つまり公共の福祉というのは政府権力担当者の頭の中の都合だよ。そうであるとすれば、日本国民の中に政府権力担当者という特別な領域を置いて、国民全体とは関係のないそいつらの利益が公共の福祉であると言える。
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808111925
だから実質的衡平の原理なんてなくて、人権それ自体が公共の福祉なのではないか。つまり、公益というものを、ここが人権で、ここが公共の福祉と分けられず、人権即公共の福祉になっているから、憲法は説明がつかないだろ。だから公共の福祉ってのは人権とは関係のない別の利益を指していて、その利益に反しない限りで人権が認められるというわけだが、じゃあその利益とは誰のどんな利益なのか。
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808105728
つまり人権行使と別の利益が確保されていないといけないわけだが、問題は、その利益も国家行政の活動によりもたらされる以上、実は人権行使と同じじゃないかということ。つまり人権と公共の福祉は結果的に同じ公益になるわけ。その公益の中身を、ここは人権で、ここは公共の福祉というふうには分けられないんだよ。なぜならそれは別のものではなく同じものだから。
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808104757
なら公共の福祉とは、国民の人権行使とは関係のない国家や行政の利益ということになるが、国家や行政の構成員も国民であって人権を行使できるんだが。それとも公共の福祉とは、人権行使とは別の、人権行使から結果的に得られる、国家や行政の利益なのだろうか。しかしアメリカで言う公共の福祉とは人権とは別にみんなで共通に実現しようという価値なので、国家や行政の利益でなくて、国家や行政の活動によって得られる、社会一般の人権行使とは別の利益なのではないか。
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808103923
その人権相互のバランスをとる公共の福祉とやらはやはり特定の誰かになるのではないか。それは誰なのか。その人が国民であったならば人権論とは矛盾しないのか。その特定の誰かの考え方によって人権が調整されるとすると、その考え方と人権の問題はどうなるのか。
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808103209
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808102426
国民全員の人権行使による特定の誰かの利益が公共の福祉ということでいいの?それなら別に矛盾ではないが。公共の福祉がみんなの幸せという意味なら、人権行使の状態と一致するから矛盾。
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808101319
その弁護士バカだろ。公共の福祉=他人の人権とか説明したらおもいっきり混同してるじゃん。何で「公共の福祉が憲法の最高価値で、人権はそれに適合するように行使しなきゃいけない」という真相を教えないのか?ってかそれ以外に実務を説明できる考えはない。
人権を金に接続して、人権も満足、金も回って満足ってのは同源だから、この最高状態を公共の福祉と呼び、人権がそれに適合的に行使されろってのが12条の意味だろ。
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808100617
憲法には人権と公共の福祉が書き分けられているわけだよ。だったらそれに対応する何かが別異のものじゃないとおかしいだろ。しかしお前のいうとおりだと同じものを指示してるとしか思えんわけだが。仮に全ての概念はあいまいな部分を含むとしても、人権と公共の福祉の場合、同一感が強すぎる。
Permalink | トラックバック(1) | 10:08
■http://anond.hatelabo.jp/20100808100251
なら人権イコール公共の福祉になるだろ。おもいっきり矛盾してるわけだが。
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808095706
公共の福祉は公益だろ。すると人権行使で金が回るってのは全部同じ公益だろ。だから人権と公共の福祉が同じものを指しているってことで矛盾する。
■http://anond.hatelabo.jp/20100808095235
じゃあそれと公共の福祉の関係はどうなるんだ。お前の言い分だと人権と公共の福祉が混同しているようだが。
Permalink | トラックバック(1) | 09:54
■結論
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808091041
金よりも、お前が犯罪をしたときに逮捕して獄に送る警察や裁判所、んでお前にどんな教育を施すかについて権限を持っている中央官庁の権限の方が強大なわけだが。
なんで人権は金より学歴、社会的地位や職務権限で差がついていることを認めないんだ?
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808090418
一概に金だけとも言えない。少なくとも世の多くのサラリーマンは学校で16年も勉強漬けにされ、本来の人格と乖離した高級な感情や言語を刷り込まれて虐待を受けている。だから妥協でしょ。だから裁判官とか役人みたいな上級職につけなかった落ちこぼれがやたら金を強調してるんだよ。
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808090309
つまり金の論理で人権を制限しているんだろ。人間のクズは死ね。
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808090043
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808085311
お前みたいな会社員は善良な市民に飯を供給する能力があるから天皇に存在を認められているだけであって、お前みたいな醜い奴が仕事以外の場所で人格を発露することは本来認められていない。天皇からすればお前みたいなサラリーマンは結果を出す能力があるからビルの中に隠れて仕事をしてもらうようになっているわけで、天皇が本当に評価しているのはお前じゃなくて宮崎駿とか学者のように素晴らしい芸術や研究をしている人間なんだよ。
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808084349
会社員なんて掃いて捨てるほど居るんだから大きな視点からは人権はないよ。それにお前みたいな発想をしている奴は健全な市民や子供にバッシングされるように仕組まれてるから、地下でゴキブリのように這いずり回るしかない。結局常に評価され、最後に盛大に評価されるのは宮崎駿みたいな天才とか大学の学者とか森毅みたいな教養人だろ。要はゴキブリに人権はないんだよ。
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808084006
お前が会社の書類とかで形だけでも最高級の語彙を使わないといけないのは、お前の卑劣な人権を高級な人権が抑圧している証なんだがな。そしてお前は高級な言語の中でいかに卑劣な目的を実現するか熟考を重ねるうちに自己欺瞞の矛盾に埋もれてゆき、歳をとってからNHKの教養番組などにいじめられ、鬱を発症して自殺することになる。つまり悪は働けるときに利用されるだけで利用されて、社会からポイされたら学者や教養人に人生を否定されて不満たらたらのジジイになっていくんだよ。
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808083639
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808083021
ねーよ。人権の価値は、脳みそ筋肉にして働いているかどうかより、いかに難しい入試問題が解けたか、そして高度な教育を受けて人格が洗練されているかで決まる。お前は日ごろ使用しなければいけない言語を形だけでも最高級なものにすることを強制されて卑劣な人権を虐げられているんだからくやしさで泣き喚けよ。
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808082701
人権の価値は正社員かニートかではなくどこの大学に入ったかで決まる。
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808080401
人権を金の論理で制限するところが最悪。どうせ世の中なんて金につなげられるかどうかで全てを見ているんだろ。んでしまいには「お前も満足したし政府も金を生めて満足したしハッピーエンドじゃん」とか言うんだろ。要はお前が最悪。人間のクズだな。
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808080237
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808075947
最低の発想だね。
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■政府の発想
人権は金になる。
ものすごく当たり前すぎて、ある種の論者には分かってないかも知れないことをあえて言うと、外国人参政権に反対している人たちは、外国人が嫌いだから言っているというよりは、それが法律や憲法に違反するという感覚を持っているから反対している。法律は守るべきだし、憲法は特に守るべきだからという極めて素朴な感覚があるからだ。
究極的には憲法の思想的根拠を守るべきだということになるが、これは制度的なものではないので、守る優先順位は低くなる。それでも、思想にそぐわない憲法は改憲の可能性が常にある。
さて、外国人参政権と自衛隊の話だが、どちらも憲法に反している可能性がある。
左翼は外国人参政権を合憲とする解釈を取るか、改憲して外国人参政権を認めさせたい。超国民的な基本的人権という思想が背景にある(この思想は必ずしも国民に共有されている訳ではない)。
右翼は自衛隊を合憲とする解釈を取るか、改憲して自衛権を認めさせたい。国防という思想が背景にある(この思想も必ずしも国民に共有されている訳ではない)。
国民に共有されてないのなら、国民に共有しなければならず、誰にも理解・共感可能で明快で無矛盾的な理論武装が必要なのだが、そうなっていない。どちらも力ずくで押し通そうとしている。
立法はパワーゲームであることはもちろんだが、同時にルールを作ろうという事柄であるから、非論理的なルールを定めた場合、必ず根強い反対意見が生じる。自衛隊はずっとそうだったし、外国人参政権もそうなるだろう。
だから結局は理論武装しなければならない。その理論は議論で高まる可能性もあるが、はてなダイアリーでは議論即パワーゲームというところがあるから困る。練られた言論の上のパワーゲームは建設的だが、練れてない言論の上でパワーゲームをやってもネット上にゴミを増やす役割しか果たさない。そういう言論がはてなブックマークで上位に上っていたり、精緻な言論に対して粗雑なトラックバックがつけられたりするとうんざりしてしまう(私もそれではてなダイアリーそのものをやめてしまった)。
パワーゲームは構わない。だがパワーゲームをクリエイティブにするには、もっと皆ちゃんと言論を練ろうぜ。そうしないと言論の場はどんどん不愉快なものになってしまうし、権力闘争や法はでたらめになってしまう。順法精神といっても、でたらめな法を前にすると、善良な市民の順法精神は混乱してしまう。そういうことをできるだけ少なくしたい。
フランチェス子がヌルいのは、「被害者は十分自衛している」という主張だ。寝込みを襲われた時に、携帯していたナイフで、強姦魔である知り合いを刺すことができてこそ自衛というものだ。それは明らかに現実にできることだが(だって外国はそうだからね)、そこまで覚悟完了している人がどれだけいるだろうか。その結果犯罪になろうとも、それが自衛なら断固やるべきだし、断固法改正すべきなのだ。被害を受けたくない者が暴力をもって対抗することが、明らかに一つの解決策なのだ。
そもそもフェミニズムの歴史は普通選挙権運動や公民権運動と同じく破壊工作の歴史だ。暴動、不法占拠、無賃での資源奪取、サボタージュ、そして本当に警察への暴行。
暴力は停滞した人間関係や社会を粉砕し、非常時に物事をなせるよいものでありうる。その認識がフェミニズムには当然備わっているはずだ。フランチェス子にも備わっているだろう。いないとしたら呆れる。彼女は暴力を論じながら、暴力に全く太刀打ちできまい。口先だけということになる。
男が暴力を誇るのは、停滞した人間関係や社会を粉砕できて、非常時に物事をなせて、あるいは不当な暴力に対抗できるからだ。暴力の能力がないことは鍵穴の鍵を一つ欠いているということに他ならない。鍵穴に合う鍵を持っている/欠いていることは基本的に誇る/悔しがるべきことだ。
勉強ができないけどスポーツができるからといって、スポーツを通じて勉強が出来るか? 勉強を捨ててスポーツだけで身を立てるという約束事の上に、初めてそれは正当化される。逆にスポーツができないけど勉強ができる人は、勉強で身を立てるという約束事の上でしか自分を正当化できない。
私は怠惰だから、警察が守らないいざという時に戦えずにただ攻撃を甘受することになるだろうし、それを悔しいと思っている。その感覚がないことはおぞましいことだ。
「鍵穴に合う鍵を持たないことが素晴らしい」という世の中は基本的に何らかの欺瞞に支えられている。普通は「鍵を持つべきではない」という倫理観に支えられていたり、あるいは鍵を他の誰か(軍や警察)に委任していて分業を円滑に行うためだったり、何らかの意味で鍵が必要ない場が形成されている場合に限られる。そういう場が成り立たない局面に備えるには、やはり鍵は持つべきなのだ。備えないなら不運に対処できなくなり、その時にものすごく悔しい目に遭う。
そういう人に「何で鍵を持たなかったの」と言って悔しがらせないことは倫理として大いに是認されるだろうが、「だったら鍵を持てば対処できるんじゃないの」という主張を非難することはただの欺瞞にすぎない。
実際、そういう非難をする人は、鍵を持っていないし、「鍵を持ちたくない」という自分の主張の正しさをまともに考えたことがない。正当化できるなら「これこれこういう理由で私たちは鍵を持ちたくないし、鍵が必要とされる局面に遭遇したくない、それは社会的に是認される」と言えるはずだからだ。言えないから「お前たちがとにかく間違っているから私たちは正しい」としか言えていない。それは全く説得ではない。正当化としても極めて稚拙で欺瞞的としか言えない。
要するに鍵を持ちたくないし、鍵を持たなくてもいい場を保ちたいし、それが社会的に是認されるならいい訳だ。たったそれだけの正当化ができればいいということになる。
それでも場が成り立たなくなることは常に起こりうる。その時は鍵がないから対処できない。それはそういうものだ。コストとリスクはトレードオフということだ。鍵を持ちたくないのならば、場が成り立ち続けるために何か努力するしかない。例えば、暴力が全く必要ない場と社会を維持し続けるにはどうするか、という命題に立ち向かうことになるだろう。それが暴力を捨てた代償となる。(普通はそれは軍事力・警察力に委任するということになるはずだ)
善良な市民が善良に生きていても、犯罪者は犯罪を犯すし、その時すぐに警察が出動して迅速な対応ができるとは限らないのだから、私は日本に武装権が必要だと思っている。一から導入するので、軍事力や警察力との調整も容易なんじゃないかな。
debito.orgの読者の一人であるSteve氏による投稿です(有道氏の投稿ではない)。
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「問題、反応、解決
DM氏の案(http://www.debito.org/?p=5475#comment-188363)には僕も賛成だ。
いや、本気で取り組んでみましょうよ。僕らの最終的な目標は差別を禁止する法律を日本で成立させる事ですし。
誰かこの時代のローザ・パークス夫人になる勇気のある人はいませんかね?これを読んでる誰かにそんな人がいてほしいですが。
現状、個人で経営されている施設が国籍を理由に利用を拒否する事が実質合法ですが(そうでなくとも、実質罰せられていない)、ならば個人施設が日本人の利用を拒否すれば日本の国民だって物凄く反発するでしょうし、「個人施設に国籍や人種を元に利用を拒否する事は違法であり、これを違反する者は厳しく罰せられる」と明記した法律の必要性を理解してくれるのではないでしょうか。間違いなくそういった法律が要求されるようになると思いますが。
ひとまずこんな作戦を提案してみます:法律を守った善良な市民(税金も保険も年金も∀完全に収めていて、ビザの拒否といった反撃の恐れもあるので出来れば日本国民か永住者)で、何らかの施設を経営していて(バーやレストラン、お店など何でも)、損害保険に加入されていて(右翼に窓を割られたりするかもしれないので)、そして一番大事ですが、勇気のある方が、「日本人お断り」や「日本人入店禁止」、「非日本人の方のみ歓迎」等といった張り紙を、ちゃんとお店の前に日本語で貼りつけます。さらにその写真の下には、日本中で見られる、いわゆる「ジャパニーズ・オンリー」の張り紙の写真を張ります(www.debito.org/roguesgallery.htmlや、特に日本語でも書かれているhttp://www.debito.org/edensign030707.jpgなど)。そしてさらにその下には、「日本には『個人施設に国籍や人種を元に利用を拒否する事は違法であり、これを違反する者は厳しく罰せられる』という法律が必要」という旨が書かれた張り紙を張ります。
しっかりと書かれたプレスリリースと、「日本人お断り」の張り紙、「外国人お断り」の張り紙の写真のポスター、そして差別の違法化を訴える一文を一つの写真に写したベストショットを用意するのです。
恐らく多くの新聞やテレビ番組がこれを取り上げるでしょう。「日本人お断り」と書かれた張り紙が写っている、写真の上の部分を見た日本人の方々はもちろん激怒します。そして、彼らの目が写真の真ん中に降りていき、「外国人お断り」の張り紙を見ると、こういった差別が日本に存在する事を理解します。そして最後に写真の一番下まで目を向けると、こういった張り紙を違法とする法律が提案されている事を知り、願わくば賛同してくれる事でしょう。
こういった「問題、反応、解決」テクニックは、頭のきれる指導者によって、間違った目標へと市民の意識を向けるのに利用されてきました。例えば、テロリストの作り出した「問題」が恐怖や怒りといった「反応」を引き起こし、指導者の望む「解決」、つまり人権やプライバシーの現象、他国への空襲や武器のための増税を市民に納得させる、といった具合です。今こそ、この手法で「平和的」な小さな問題(差別的に入場を拒否する標識)を引き起こし、それに対する反応を促し(人種差別に対する怒りを引き立てる)、そして最終的に国民がこういった差別を廃止する法律を求める声を上げさせるべきです。
ただ、一部の新聞やテレビ番組は写真の上半分にのみ重点を置き、下半分をカットして無視してしまうという事も十分考えられます。なら、「外国人お断り」の写真を「日本人お断り」の写真の中に入れるなどすれば(法案も含めて)、一番大切な部分を無視しようとする編集者の働きを阻止する事が出来るかもしれません。
この他に、日本に反差別法を成立させるための、より効率的で真剣なアイディアのある方がいれば、是非ともお聞かせください。
そして、このスレッドの中でポジティブな意見を書き込んで下さってる方の中に「私がやる!」という方が現れる事を期待しています。スティーブより。
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なんかもう、ワケ分からん。まず、スポーツ好きな人が分からん。
野球好きのおっさんは自分がひいきする球団の試合見て一喜一憂するし、キッズどもは、通過儀礼のように野球チーム入って、坊主にして、練習に励んじゃう。
そんで、文集に○○選手のようなプロになってお母さんにラクさせたいとか言う。
それ、100%言わされてるやん。サッカーにしろ、他の陸上にしろ水上にしろ、何であんなにファンは熱くなれるのかわからない。
カッコイイと思うのはイメージの刷り込みでしょ。
へえへえ、私は競争本能が薄れた弱者ですね。君たちは思うさま、私を睨みつけ、嘲笑し、勝ち誇り、情けをかけなさい。とにかく、なぜそんな全世界中がスポーツに熱くなれちゃうのか。
スポーツは戦争の代わりだ。全然健全じゃないのに、なぜ「僕たちスポーツ観戦をたしなむ善良な市民です」みたいな顔するのか。
なぜそんな、競争させて優劣付けたがるのか。
確かに、一番熱くなれるエンターテイメントなのかもしれない。
確かに競争がないとシラける。みんなでお手手つないでゴールするリレーでは、本当の平和を体現できているとは言い難い。
その子ども達は次の日からテストで優劣を決められ、偏差値で人間性を決めつけられる。そうなのだ。確かに社会に生きる上で競争は必然だ。
え?本当に?ほんとに生きることって競争なの?競争しない社会は不可能なの?競争が必要な社会を作ってるから、オリンピックみたいなのに熱くなれちゃう人も出てくるんじゃないの?
競争させて得するのは誰?感動を共有できた気になってる観衆?いや違う。得するのはカネを得る人間、主催者側だ。
平和とかきれいごとぬかしてんのも主催者。(「平和」なんて、選手が戦ってる最中に考えてるワケがない。全てエライさん同士のご都合。)
当然、私と同じ、スポーツなんぞどうでもいい派の石原都知事はどうでもいいスポーツ予算を削り上げる。「どおでもええんじゃ、スポーツなんぞとっとと廃れろ!」
と言ったかどうかは知らんが、
石原都知事個人にとってスポーツはどうでも良かった。しかし「東京都」という視点に立ってみれば、オリンピックほどおいしい話はない。
もし東京がオリンピック開催地になれば、苦しい借金を一括返済、それどころかあまった利益で毎日遊んで暮らせる!
このオイシさに気づくや否や、早速、石原都知事は地域活性化計画をでっち上げ、オリンピック招致を開始。
ところがこれに民衆は怒る。「なんだい、さんざんスポーツ予算削ってたくせに!あいつ絶対私腹を肥やそうとしてるだけだろ!都市開発なんて、一体どこの東京都民が望んだんだ!」
で、結局土地も向いてない、という直訴が通じたのか、招致は失敗に終わった。
http://anond.hatelabo.jp/20091010202941
その分野に詳しくはないけど文章を読んで理解しようとする人にはそうとしか映らないね。
実際は玉石混淆なんだと思う。ネットウヨクの事を糞糞いってるサヨクも糞だ。
煽ったり知ったか自慢ばっかしてる奴は帰れ。
一時期、こいつらネットウヨクが左翼を貶めるために居るんじゃないかと疑った事があったが、
おそらく彼等は右でも左でも善良な市民でもなく、
こういうの排除した方が良いよマジで。情報のS/N比を下げるばかりか敵を作る。
・・・まぁ、こういう事書く辺りでご想像の通り俺は元ネトウヨですよ。
新風辺りが出しゃばりだしてからその臭さに逃げ出したクチ。
ちょうどその事について書いてるブログみてたわ。
お堅く色んなとこに話飛んでて読みにくいんだけど、
最も解りやすくその傾向が見られる場所はmixiニュースにトラバした日記。
コメントが集まりやすいのは「3人乗り原付きに逃走車が衝突、5人死傷」の様な、加害者=悪人と被害者=善良な市民とは一見見受けられないような記事である。
被害者は原付に3人乗りをし、そこに違反車両で警察から逃亡中の車がぶつかったというニュースだ。
上記の衝突事故では、2人の若い人が実際に死亡している。
それにも関わらず「クソガキは地獄で反省しろ」、「馬鹿を巻き込んで自爆か」などと、素性を知らない若者二人の死を責め立てる人がかなりたくさんいる。
こんなひどいコメント欄になってしまったのは「3人乗り」していた事が書かれているからだ。
もし16歳の原付にのっていた少年が撥ねられて死亡したと書いてあれば、きっと「カワイソス」一色で埋まるだろう。
「3人乗り」という文字が記事にあるかないかで、被害者は同情されるか死しても尚馬鹿者と罵られるか決まってしまうのだ。
罪の無い少年が撥ねられたと報道されれば「かわいそう」コメントが並び、心無いコメントがあれば叩かれるだろう。
逆に「被害者も悪い」パターンの場合、心無いコメントが許容されてしまう。殺人者が亡くなった時も同様に。
このスイッチが入ったかのように文章だけで人の死に対する感情が180度逆転してしまう現象は私には理解出来ない。
素性を知らない人の死に「死んで当然」とか「かわいそう」などと言う権利は無いと思っている。
「かわいそう」は一見遺族の感情を配慮したコメントに見えるが、結局は他人に変わりは無く、たまたまmixiにログインしたら目に入った文字に反応して「かわいそう」と言っているだけであり、そういった短絡的な感情の吐露自体そもそも不要なのだ。
そういう話は居酒屋で友人同士との席で「あの事件かわいそうだよねー」と、一時的に倫理観の共有さえすればよいだけのチラ裏な話なのである。
まーmixiなんてネット詳しく無い層が殆ど占めてるだろうからくだらん日記が多いのは当然かと。
mixiニュース日記がチラ裏というより、mixiの収益体制からすればチラ裏大歓迎なわけで意図的に炎上しそうな記事をピックアップして滞在率・クリック数アップを狙ってるのかも。
ネット初心者にとってはブログを書く事自体敷居が高いだろうし、上のブログにも書いてあったけど自分自身のスキルや知識だけで良記事書ける人なんて中々いないだろうから、それらが1軍とすれば人の記事にあれこれつっこむ人は2軍、記事やアフィリンクを貼って意見殆ど書かないスパマー予備軍は3軍、あとはオンラインで公開する意味がないような糞ログ書く4軍。増田なんて責任放棄した根性なしの5軍以下だ。
3年ほど付き合ってた彼女と先日別れた。
それまでは『彼女いない歴=年齢』を、20ウン年こじらせた結果の初恋愛だったんで、そりゃショックも大きかったさ。
んで。失恋して。
「貴方いい人なんだから、次があるよ!」
などと、いろんな人が慰めてくれたワケですが。
(いい人っていうのは、性格的な意味合いね。わたしゃ見た目はあまり宜しくない。)
いや。
うん。
そうなんだろうけどさ。
だけど当然、聖人ほど出来た人物でもない。
それこそ街中で石なげたらぶつかるくらい、普通にそこら辺にいるわけよ。
コレ、全然ウリにならない。
性格がいいっていうのは、あくまで基本条件なんだよなぁ。
それ以外の魅力を、プラスアルファで加えていかにゃ~この先どうにもならんのだろうけど。
何かにつけ「許せない!」って思うのってなんなの?
つーか勝手に都合よく「何かにつけ」にすんな。俺は喫煙と酔っぱらいにしか言ってないだろ。
「自分は絶対間違いを犯さない」という前提に立たないと
そんなこと言えないよね?
こういう事言うやつよく言うけど、それこそなんでだよ?こういう人の言ってる理屈が俺には分からん。
「自分だって間違いを起こすことがある」と思えば、「許せない!なんて言えないはず」ってこと?
だとしたらそれこそ問題なんじゃないの?「自分だってやっちゃうからお互い様、許せないなんていえませんわwだって自分がやったとき他人にそういわれると思うとねぇ、やっぱり甘くしてもらわないとw」ってことじゃねーか、それ。
別に自分だって間違いを犯すかもしれない立場でも言えるだろ。何故「言えない」んだ?そういう立場で、それでも尚許せないことには「許せない」というべきなんだろ。自分もやっちゃうかもしれないから「許せない」から格下げするのか?
俺は俺自身間違いを犯すかもしれないけど許せないこと(自分がやったとしてもその自分に対して許せない)には許せないと言う。
殺人だって誰でも可能性としてはありうるけど、それでもなお「許せない」と言うべきじゃないのか?
つーか殺人強盗強姦に対してはこういう奴だって「許せない」っつーくせに、飲酒や喫煙っつーことになると「あなたは絶対自分は間違いを犯さないと思ってるんですね」とか言ってくる奴が湧いてくるのは何なんだ?せめてどちらかに統一しろよ。そういう事いうならお前は自分だって殺人を犯すかもしれないから殺人に対しても「許せない!」とは言えない、そういう態度を貫き通すんだろうな?
世の中をギスギスさせてるんだろうな。
ギスギスさせてんのは、お前みたいな人格否定だろ。
言い分に反対するのはいいが、「こういう人が、きっとこうしてんだ」って気持ち悪い言いがかり・決め付け(だろうなって言ってるから決め付けじゃありませんっつー逃げ道を用意してるとしたら、もっと糞)をするなよ。それって「女が世の中悪くしてるんだろうな」ってのとどう違うんだ?俺は「これが正論」なんていった覚えも善良な市民代表した覚えもない(寧ろ善良な市民さまとやらが、「酔ってるんだからしかたない」とか言うんだろうがよ)のに勝手にそうやって都合よくレッテル貼り。
お前こそそれで反論になってるとでも思ってるんじゃないだろうな?お前がしてることって終始一貫ねちねち気持ち悪い言いがかりや単なる悪口を言ってるだけだぞ。
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20090108/1231416207
そりゃまあ出てこないだろうなあ。今回の派遣村に対する感情は肯定派も否定派も大部分が一種のレイシズムに依って立ってるんだから。
要は「あそこにいる人たちは私たちとは違う劣った人たち」という考え方。なぜか自分は「絶対に」あそこへは行かないという(根拠のない)自信。これらが派遣に対する感情の根っ子なんだもの。
早い話が「派遣」というユダヤ人に対するナチス状態。最初っからスタート地点がそこなんだから、そんな「民族自決」を促すようなことを言い出す奴なんかいやしないと思うよ。
万人が万人に対してナチスである社会。たぶんそういう時代が訪れようとしてるのかもね。しかも国家権力から強制されたとかではなく、「善良な市民」が望んだ世界として。
話がとっ散らかっているという批判は本当に申し訳ないです。まぁこんな自分なんでニュアンスだけでも伝わればと思うけど。
で、マスコミが企業を叩き潰すのにその逆は許されないのかと言っているけど、当然どっちもダメに決まってるでしょ。
でもそういうニュースを求めているのはいわゆる「善良な市民」なわけですよ。マスコミと市民がゆっくりと長い間共犯関係にあって、今の図式が出たんだと思うんだよね。
だから声を上げたり批判するのはいいと思うけど、それが「毎日が変態だから、毎日を潰す」という方向に行くのはおかしくない?それではそのまま、あなた方が憎んでいる「マスゴミ」のやり方そのものなのでは。しかもマスゴミでさえおおっぴらに「潰す」なんてこと言わない。ある意味マスゴミよりも下品なやり方でマスゴミ批判をしているのではないか?
一般の人が「潰す!」って言って潰れる範囲って本当に限られてるんだってば……。
結局電凸もネットイナゴも、今のように必要以上に攻撃的な態度のままでいたら、ずっと昔からある「風評被害」の一部みたいに取られてしまうんじゃないの。真にマスコミを反省させたり、スポンサーに届くような批判として取ってもらえないと思います。ちょっと頑張れる営業がいる会社なら、電凸されたスポンサーに直接会いにいって説得できると思うから、電凸しても意味ないって思うし。
俺が気になるのはなんでそんなに攻撃的なのか?ってこと。批判以上の感情が入っているんだろうなと。マスコミも過熱報道で攻撃的になることもあるけど、どうしてかっていうと、そういう記事を読みたい人がいて売れた時期がちょっと前にあったからで、話題を提供してやってると思ってる人がマスコミにもいる。そしてワイドショーを見るような人がいる限りそう言うことはあるんじゃないかな。それはもう需要が出来てしまった時点で仕方ない…。個人的にはそう言うのはホント終わってほしいと思うけど。でもネットだって、サイゾーとか探偵ファイルとか、似たようなメディアはあるけど、そちらは何故叩かれず、逆に「探偵ファイルに依頼しようぜw」みたいに頼られているのか?結局、ネット側にもそう言う下世話な欲求があるじゃん。ネットもメディアも、そんなに聖人君子ではないだろうと思う。
ネットもメディアなんだからネットのやり方に歩み寄れと言う人もいたけど、「潰す」なんて穏当じゃないことを言ってる方に歩み寄れるわけないじゃないですか……。新聞・テレビもさすがにそこまで敵意をむき出しにはしない(出来ない)です。「潰す」とかおもしろ半分の電凸行為を勧める行為やネットイナゴが「マスメディア」としての役割だとは言えないです。マスメディアがそんな反社会的な行動を取ってそれで良しとしてたら、人々に「ネットはメディアだ」と認めさせる道は遠のくばかりでしょう。
「自分たちはもうネットがすっかりメディアとして機能してる」って人もいるかも知れないけど、いまだにニュースなどについてはネットの人の一時情報はテレビや新聞に頼りっきりって言うのは少し滑稽じゃない?結局自分がいわなくてもその辺はネットと旧メディアが共存してるんだなーと思います。
この文が「じゃあやってみろ」論法だという人もいるけど、そうじゃない。
何をやっていいかわからないからとりあえず叩いてる感じの人は是非、叩く以外にも方法があるってことを知ってほしいです。
ネットが本当にマスメディアとして認められるには電凸や祭りなどの手法を使っていたらいつまでたっても説得力がないんじゃないの?それに、大体においてネットの人たちの一時情報は結局テレビか新聞じゃない。
それではいつまでたってもテレビか新聞に代わる新しいメディアにはなれないのではないですか?というかその態度が結局「新聞、テレビなしには生きていけない」ということの体現になってしまっている。ネットで政治について語るのはそう言うことにつながるのでは。だからいつか記者クラブ制度や電波の権利が解放されるまでは、結局共存しかないんだと思う。マスコミを潰したいなら記者クラブや電波の権利について熱く議論するほうが簡単そうだけど…そう言う行動はあまり見られなさそうだから、やっぱりマスコミが感情的に嫌いなだけなのかなって印象を受けるので、残念だなぁと。そんな嫌い!って言う感情に巻き込まれて職を失ったらたまったもんじゃないだろうなあと思ってエントリーをあげました。人生初ホッテントリ。
もう、まじ有り得ない。
交差点で信号待ちしてたら、ほとんどノーブレーキで突っ込まれました。
マフラーもグンニャリ。
衝撃でブレーキペダルが右に曲がり、左足をクラッチペダルに打ちつけ、打撲しました。
運転席のドアも分散された衝撃で少し歪んでます。
事故が起こって加害者・被害者両者は道路脇の空き地に車を寄せたけど、僕が警察と連絡取り合ってるうちに逃走。
まだ名前も聞かないうちに。
加害者は最初は平謝りで、「まぁかわいそうだから足の打撲はそんなにでもないから黙っておくか・・・」と最初は思っていたのだが、近日病院行って診断書もらってきます。。。
逃げ得を試みる者に対してはそれなりの応酬は必要でしょう。
で、警察の対応も悲惨でした。
事故発生後10分くらいして到着。
車種と色とナンバー教えたのに、「当て逃げは諦めて」といわんばかり。
調書も何も作ろうともせず、5分くらいで帰っていきました。
「名前聞いてないんじゃねぇ・・・」
「時間経ってるから、もう見つかんないよ??」
と吐き捨てるようにのたまひ、またパトカーに乗り込んで帰っていきました。
時間経ってるからって・・・
わずか10分で何もかも諦めろですか。
ナンバーも車種もわかってんのに。
てか、事故証明、どうすんの?何も書いてないでしょ?
やっぱりこの世の中「逃げ得」なんだと、あのおまわりさんが教えてくれた気がします。
警察官にとっちゃ、小市民同士の追突事故でクルマがオシャカになったくらいで「公務」が増えたんじゃたまったもんじゃないもんね。挙句、「当て逃げだ」だのガタガタぬかされた日にゃ、ブチ切れですよね。お給料に見合わないもんね。同じお給料なら、少しでも楽なほうが絶対いいよね。
民間企業でそんなこと言ったらソッコー窓際行きだけど。
善良な市民でいるためには
「当て逃げを警察に通報して仕事を増やしてしまい申し訳ありませんでした。」
と謝るべきですよね。
ゼロ年代の想像力やPLANETSで最近になって惑星に興味を持ったけど旧サイトが見れないorいちいちURL直すのが面倒くさいという人のために。
旧惑星開発委員会は宇野常寛(善良な市民)さんが大学生のころ趣味で運営していたサイト(2002~2003年)です。
http://anond.hatelabo.jp/20071031195955
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