世にはコミュ力を高めると銘打った書籍が多いが大半は善良な市民向けのものである。しかし社会で役立つのは往々にして狡猾な世渡りコミュ術であったりする。例えば人を意のままに操るというと道義に反するので真面目なライターは書きたがらないが、そういう本のほうが実践的だと私は思う。ファシリテーションやコーチングやリーダーシップも人を操るものだと言えなくも無いが、これらは通常は相手の人間性を尊重するものである。対して、催眠術や洗脳術は人間性を必ずしも尊重しない。術者の配慮がなければそれは非人道的なものになりうる。そして実用性を求めれば求めるほど、術者の配慮にかかわらず倫理的にギリギリのラインを行くことになる。もちろん破壊的カルトが用いるような洗脳は明らかに倫理に反するが、もっと狡猾な洗脳はグレーでいて決してブラックにはならないギリギリのラインを行く。例えば、極めて有効な洗脳方法に相手に考えさせて答えを出させるというテクニックがある。こちらが思考材料を提供し相手の思考の方向を誘導した上で相手に質問を投げかけるか疑問を起こさせるような発言をして考えさせる。すると相手はこちらの望んでいた判断や決断を下してくれるという算段だ。この方法は思考力の無い人間をコントロールするにはあまりにも有効であるため、良心的な人間は心が痛むかもしれない。この手法はファシリテーションやコーチングやリーダーシップの手法にも部分的に含まれるものだが、それをラジカルに行っていくと詐欺まがいの商法やマインドコントロールまがいの人心掌握術に繋がってしまう。術者の配慮が行き届いていないとたちまち恨みを買うか、酷い場合には犯罪者になってしまう恐れのある危険な技法だ。そんな強力な手法が何故世間に広まっていないかというと使いこなすのが難しいからだ。セールス勧誘や統計トリックのような限られた状況においては広く知られた思考誘導の技法が存在するが、より一般の場合にも誘導を行えるような共有されたテクニックはたぶん存在しない。伝えるのが難しいからだ。結果として、セールス勧誘や統計トリック等に騙されないための知識を身につけた人達は大半の誘導を防ぐことができている。しかし、少数の狡猾な人間は任意の状況において高度な誘導を行える。この種の誘導に対しては、残念ながら自己防衛を行う有効な方法が存在しない。文脈に依存しないため、こういう危ない手口がありますよという知識は一切役に立たないからだ。文脈によらない誘導はコミュニケーションに長けた人間なら誰でも使えるレベルのものから、高度な知能を持っていないと使いこなせないものまである。前者については文脈依存性をまだ残しているため対策のしようがあるが、後者に至るともう手の打ちようが無い。中身は限りなくブラックに近いグレーであっても、透明度が高いためホワイトにさえ見えてしまうのだ。