はてなキーワード: 仕舞とは
正確には「可愛い子が自分に向かって話しかけてくるゲーム」が楽しめない.
どういうことかと言うと,自分はボイス機能をONにしてゲームを継続できたことがない.
ギャルゲでも乙女系でもシミュレーションゲーでもソシャゲでも.
理由は簡単で,どうしようもなく恥ずかしいから.
恥ずかしいと言っても「二次元キャラの会話を真面目に聴くとか(笑)」みたいな恥ずかしさではなく
「自分が好意を寄せている子が話しかけてきてるどうしよう」という恥ずかしさ.
だから,自分があまり興味が無いキャラ相手ではそんなことはないし
好きなキャラが他の子と話してる音声なんかでは全く問題ない.むしろどんどん喋って欲しい.
「好きなキャラ」が「自分に向かって音声を発している」という状況が多分ダメなんだと思う.
おかげで,あぁダメだって思った瞬間からもうボイスはOFFにして進めざるを得なくなってしまう.
で,今日ふと悲しくなったんだ.艦これのケッコンカッコカリ実装の知らせを聞いて.
艦これを普通にプレイする分には平気.可愛い子の独り言は好きだし,戦闘シーンも問題ない.
ケッコンしたい子はいるし.ケッコンカッコカリシステム自体は嬉しい.
でも,きっとボイスは聴かず仕舞いなんだろうな,と思うとすごく悲しくて,あぁもうケッコンもしなくていいやって.
私は公共セクターで広報に関わる仕事をしています。数年前から、いわゆる萌えキャラクターを活用した広報をやっています。
萌えキャラクターを活用した広報は、うちの仕事では今までにないぐらいの話題性が出ていて継続的にやりたいというところです。
また、今までの心積もりとしては、男性向けと女性向けを交互に展開する方向ですすめてきました。
確かに、スプツニ子さんの指摘のとおり、人工知能学会の紀要の表紙は差別的であると非難されてしまう要素はありました。また海外で活躍されているスプツニ子さんやメイロマさんのご指摘のとおり、海外からの指摘として、ああいった日本的なサブカルチャーに依拠したものは理解され難く、非難の対象になることも、おっしゃる通りです。
特にメイロマさんの指摘の通り、リスクマネジメントの観点から言えば、公共性のある舞台では避けるべきというのはもっともな見解であると思います。
さて、どうしてもオタクカルチャーの文脈は異性を性的に見る視線が脱臭できません。それは、その出自からも明らかなことです。宮崎駿ですら、その少女を描く視線にオタクあるいはロリコン、あるいはマザコンとしてのリビドーが見受けられるでしょう。
しかし、いや、だからこそというべきでしょうか。そのようなリビドーとファインアートの反対としての技巧主義的な姿勢に裏打ちされ、同時に作家性(=ファインアート性)を抱き込みながら、大衆向けポップカルチャーとしての地位を築く原動力となりました。
もう第4四半期です。予算の執行も迫っています。私はイラストレーターやデザイナーを選定しなければなりません。
しかし、ここで下手を打てば。つまりスプツニ子さんやメイロマさんなどに批判的に取り上げられ、ネットで賛否両論が話題になれば、この方向性は二度と日の目を見ないでしょう。
最近は、コンテンツツーリズムや萌えおこしといった文脈で同業他社さんからの問い合わせもあります。
ここで、私がコケれば、公共セクターがサブカルチャーを活用した広報や事業を行うことに、大きな影響ではないでしょうが問題が生じるでしょう。少なくとも、私の所属する組織では日の目を見ることは無くなります。育てたキャラクターは倉庫の奥に仕舞われ、死に至るでしょう。そして、これは今まで、後ろ暗い趣味であったオタクを世に認めさせてきた諸先輩の顔に泥を塗ることにもなります。
しかし、冒険を嫌い、安全な道を選び続けてきた公共セクターは、とてもつまらないものしか生み出せず、時代や社会にそぐわない「誰も文句を言わないが、誰も得をしない」事業ばかりやるようになっています。いや、現実はもっと悪くて、過去の経緯からの利益誘導に堕しているものが多くあります。
しかし、それが組織はもとより、個人のリスクマネジメントの観点からも妥当なのでしょう。私はそれが嫌で嫌でたまりませんが、しかし、ここで私が怒られ、出世の目がなくなるぐらいで済むならいざしらず、新しいことをやろうとする多くの仲間に水を差すことになるのは避けなければならないと考えてしまいます。
正直言えば、私はスプツニ子さんに恐怖を抱いています。この私の泣き言だって、要するに彼女の顔色を窺っている、あるいは畏れ多くも内心を忖度しているにすぎません。
私はどうすればいいんでしょう。今まであったような、ありがちで文句を言われない、でも誰の記憶にも残らないような広報をすべきなのでしょうか? それとも、リスクを甘受して、新しいものを目指せばいいんでしょうか?
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家に帰ってみたら、すごい勢いで言及されていてびっくり。とりあえず、はじめてtwitterアカウント作ってみました。
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1 釣りじゃないの?
釣りではありません。
2 萌え絵が否定されているのではなくて、差別的なモチーフが批判されているのでは?
確かに一義的には、ステロタイプな女性像が描かれたことによって、差別的であると判断された、ということが問題であるというのは認識しています。
しかしながら、フェミニズムの観点から検討すれば、それだけではない問題が明らかになると思います。
そもそも、ある性別が特定のジェンダーロールに縛られるという過程においては「まなざし(視線)」と「客体化」ということが問題になります。女性がジェンダーロールに縛られてきた過程においては、女性が客体、選ばれる性として扱われてきたということがあります。女性が主体化せずに配偶者に付き従う、といったようなステロタイプな見方は客体化という作業なしには存在しえません。また、その客体化はまなざし(視線)によって形成されるものです。
翻って「萌え」というカルチャーを見れば、ササキバラゴウを引用するまでもなく、少女を消費することによって成立してきました。
仮にジェンダーロールに反旗を翻すキャラクターを想起しましょう。古典的にリボンの騎士でも考えてみてください。さて、今、あなたがpixivで「女騎士」というタグで検索すればどういう絵を見ることができるでしょうか?
つまり「まなざし」や「客体化」というプリミティブな作業を経由すれば、ジェンダーロールに従っているかどうかに関係なく、私たちは少女性を食らい尽くすことができます。そして、萌え絵というのは、まさにそのようなカルチャーに根差しているということを指摘しなければならないでしょう。
やりようはいくらでもあります。ネタの絡ませ方や、出し方一つでおもしろい方法はいくらでも考えられます。
少なくない作家が今の時代にオリジナルはないというような事を言っていますが、逆に言えばエピゴーネンの組み合わせというのはまだまだ余地のある分野です。
4 コンサル入れたら? めいろまさんやスプツニ子!さんに頼んだら?
5 追記
仕事上はこんな突っ込んだ話なんかできないし、差別問題への深い理解を求めるというのも難しいのが現実です。そのために、公式見解的なものは、木で鼻を括ったようなものになりがちです。
だから、この問題が公共セクター業界で真剣に扱われ、前向きな解決策が出るなんて思わない方が良いでしょう。
奇しくもめいろまさんがこの件についてマニュアルとコンサルティングによるリスクアセスメントの価値を論じましたが、まさにそういった形で外部有識者という免罪符を買うか、あるいはマニュアル化された手法で乗り切るしか、組織においてはできません。
非常に残念ですが、現実はそのようなところです。
ここ数年俺はクリスマスプレゼントとして俺にドラムロ(1/48)のプラモデルをプレゼントする事にしている。
俺に貰ったプレゼントを枕もとで発見した俺は、速攻でラッピングをビリビリに破り、「ドラムロだあ!!」と叫んでからシャンパンを開けてショートケーキとチキンを食う。もちろんコンビニ製だ。
そしてひとしきり眺めた後に、「ボゾンの方が良かったなあ。サンタさん手紙ちゃんとよんでくれなかったのかな?」とプンプンして発泡酒を開ける事にしている。
もちろん翌日はドラムロをきちんと押し入れに仕舞い、来年のクリスマス祭りへの準備も怠らない。
そして今日の俺はドラムロをラッピングしている。あの匂いが大切だから包装紙は毎年買い替えるのがお勧めだ。あとはリボンをかけて枕もとに置いて寝るだけで良い。
そんなこんなで皆様今年もメリークリスマス。
似たような感情なら俺の中にもある。
俺の場合元カノは何名かいるけどそれぞれから色んな事を学んだ。
今は感謝してる。
普通に生活してて何かのきっかけでその人たちのことを思い出すことがあって、
たとえば皿の洗い方であの人はこういう手順で洗わないと文句言ったよなとか、些細なことなんだけど。
お互いに感情をさらけ出し合って、一時期とはいえ人生のある点で重なっていた人のことを
よく覚えているって、そういう人は割と多いんじゃないかな。
少なくとも俺はそう思ってる。
引きずってるとかそういうことではぜんぜんなくて、ただ単純に自分の人生の一部だから
それを否定しようとしたり無理矢理忘れようとするのは、
まあ、こういうことを人前でどうどうと話すのは気が引けるから、
一生懸命サードブロガーに擦り寄ってブクマしまくってるのに、さっぱり相手もされないわ、
http://b.hatena.ne.jp/pkm/20131119#bookmark-169854830
http://b.hatena.ne.jp/pkm/20131119#bookmark-169833110
妙に上から目線だわ
http://b.hatena.ne.jp/pkm/20131119#bookmark-169807170
http://b.hatena.ne.jp/pkm/20131119#bookmark-169759770
その割には他人の上から目線には敏感だわ
http://b.hatena.ne.jp/pkm/20131119#bookmark-169811378
http://b.hatena.ne.jp/pkm/20131119#bookmark-169800082
ほんともう救いようが無いぞw
サードブロガー批判には「好きにやったらいいじゃん」とかいいながら、
サードブロガーのブクマコメントにはサードブロガー批判批判をするという。
好きにやっていいんじゃなかったんですかねーw
http://b.hatena.ne.jp/pkm/20131031#bookmark-167378710
http://b.hatena.ne.jp/pkm/20131031#bookmark-167418130
http://b.hatena.ne.jp/pkm/20131031#bookmark-167411918
追記
この記事書いてすぐブックマーク止めちゃったから、どうしたのかなーと思ったら12/3からしれっと再開している。
だめだ、どうしてもきもちわるい。新興宗教みたいなエピソードばっかりだ・・・。
面接の失敗パターンと成功パターンが書かれているんだが、俺には失敗パターンも成功パターンも話している内容は大差ないように思える。
むしろ成功パターンでは無駄に自信満々で不安すら覚えるような応対だと思う。
しかも失敗パターンでは「中略。特に大した内容ではなかった」とか書かれていて、成功パターンは面接者の体験について具体的に書かれている。
それじゃわかんねーだろが。てめーの基準で割愛してるんじゃねーよ。
さらに面接官の心の声が書かれていて、それが前者だとだんだん悪くなっていき、後者だとどんどん良い印象になっていく。その後者のテンションがマジキチ。進研ゼミの漫画とかあおぞら家族みたい。
仕舞いにゃ(というか本の冒頭からなんだが)、コンピテンシーコンピテンシー連呼してくる。なんだその中二ワードと思ったら
「ビジネス能力」(ビジネス社会ではコンピテンシーと呼ぶ)だと。じゃあビジネス能力って書けや!文字数多くなってるだろ!ていうかコンピテンシーってWikipediaみてもさっぱり要領を得ない。従来の評価と言い方変えただけだろ。なにこれ流行ってんの?
はてなメディアガイドで、はてなのアクセスが激減しているわけだが。月間2億PVってこれまた少ないな。それに2億PVは盛ってる数だろうに。
はてなブックマークがはてなサヨクのお馬鹿な罵詈雑言で近寄りたくない臭い場になってアクセスしたくない場所になってるとは認めたくなく、「2chまとめサイトが悪い!」と、2chまとめサイトにはてなのアクセス激減の責任を押し付けているが。
スーパーサイヤ人がフライドポテトに変身!? ミニストップで映画「ドラゴンボールZ」キャンペーン - はてなブックマークニュース
http://b.hatena.ne.jp/articles/201303/13138
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ここで、はてな運営がハムスター速報をソースに使ってる。これに反して、はてなサヨクの記事をソースにするのを避けてきたはてな運営に「はてなサヨクのソースを使わないはてなが許せん!」とか言ってた馬鹿がいた。こんな馬鹿がいるから、はてなはますますアクセスが激減する。
ニホンウナギがどれぐらい終わっているのかについての図 - Muchonovski always get it wrong
生き物を食材として全て食い尽くすとか何処の未開拓人だよとか思ってたんですけど、
まさか日本で見られる(予定)とは思って無くてビックリしました。
1回食べて、「あ〜まあうまいんじゃない?」ぐらいのレベルだと思うんですけど、
美食家の方達によるとそうじゃないらしい。
爪楊枝を加えてシーシーしている美食家を前に
「ウナギの旨さがわからない」等と口を滑らせてしまうと、もうおしまい。
美食家がシーシーしていた爪楊枝を放り投げ、まるで獲物を見つけたウナギのように目を黒々と光らせて詰め寄ってくる。
ふがふが鼻息の荒くしながら「お前は本当にうまいウナギを食ったことがないんだな、可哀相に。俺が食わせてやるよ」と、臨戦態勢に。
「あれやこれや、ウナギの何処が上手い、ここが他と違う。彼処の店のウナギを食ってみろ。」と
ウナギのようなつかみ所のないヌルヌルとしたご高説を承り、仕舞には
「ウナギは滋養強壮栄養豊富、一匹食べれば1000万メートル」などと某グリコのキャッチコピーでチャンチャンときたもんで。
「はあ、そうだったのか、自分が馬鹿だったのか」とぽっきり心の串が折れた日には、
ウナギは美味いと言う認識が頭に伝染して、食わずしてウナギ美食家の一丁出来上がりときたもんです。
ウナギ美食家1人が10人になり、10人が1000人になり、そのまま1億人がウナギ美食家になってしまい、
ムシャムシャ食べられ続けたウナギはそのまま絶滅。後の時代ウナギ絶滅事件の事を、ネズミ講ならぬウナギ講と呼んだとか。
そうだ、元はと言えば土用の丑の日を作ったエレキテルさんが悪いに違いない。
と思ったもののエレキテルさんは獄中で死亡し、檻に焼かれて蒲焼きになってしまったそうな。
その後、ショボショボと炭火焼の様な形で御用もないのに土用の丑の日は生き続けていたらしいが、
近年になってウナギ養殖業者と美食家が「客寄せのためにウナギを使った土用の丑の日の文化をもう一度!ワンモア!」と
ウナギカムバックキャンペーンを発展させたところコレが大いに受けてしまった。
「ウナギを食うのは土用の丑の日?そんなもん元から土曜に食ってないから関係ないだろ?」と暴徒化してしまい、
水中に隠れたウナギをこれでもかこれでもかと掴み取り、躍り食い、炙り焼き。
難なく逃れた最後の一匹は2014年5月に確認されたきりとなってしまった。
やはり美食家が悪いな
この前ある番組で
[人は良い記憶は直ぐに思い出せるけど悪い記憶を思い出すのには時間が掛かる]
と言っていた。
が、自分は幼稚園位から今までの悪い嫌な記憶を(恐らく)全て覚えている。
というのか日常生活内で常に過去の悪い記憶が脳裏にあり思い出すもなにもない。
今現在楽しい状態や、集中して仕事をしているはずの時や、食事中などなど。
寝ている時以外の時間は本当に常に何かしら嫌だった時の事が・・・例えるなら回転寿司の様に次から次へと脳内で流れている・・・勿論今も。
だからその悪い記憶が忘れられずどうしても我慢できない時だけ「わーぁぁぁ」と叫んで「大丈夫大丈夫」と自分を落ち着かせているけど、日常生活を送っていくとどうしても悪い嫌な記憶が増えていく。
人間生きていれば誰だって嫌な事はあるだろうし、忘れられない過去もあると思う。
けど日常の些細な事でも忘れられず、脳裏に1回焼き付いてしまうとずっと(脳内を)回り続ける悪い記憶。
そもそも人は本当に忘れるという能力を持っているのか?
自分だって忘れる事はある。よくさっき使っていた物を何処に置いたのか分からなくなったりする。
ただ悪い嫌な記憶だけは忘れる事が出来ない。
アカウント忘れちゃったんで新しいので書きますけど、手取り16万で毎月貯金を増やしていく方法(http://anond.hatelabo.jp/20091220012905)を書いた増田です。
久しぶりに住信SBIネット銀行のウェブにログインしたら、いつのまにか「定額自動入金」というナイスな機能が増えていたので、紹介がてらにまた貯金術を書く次第。
前のネタでは「給与受取口座は会社指定なので変えられないよ」というコメントを見た気がしたので、今回はそれに対応します。あと「めんどうくさい」「ややこしい」とも言われたので、簡単な方法から紹介します。
まず簡単な方からね。
ポイントの一点目「決めた金額以内で毎月生活する」に関することですが、「おれ来月から月1万で生活するわ!」と宣言しても、無理なものは無理です。なので無理せず、今の生活から考えます。貯金できない人はたいてい自分がどれだけ毎月使っているのか、把握できていません。今から把握しろと言っても面倒なだけなので、最初はざっくり決めてしまいます。
住信SBIネット銀行のカードだけで生活費をまかないます。
セブンイレブンのATMなら何度でも24時間引き出し無料なので、ばんばん引き出しましょう。
毎月残高ゼロまで使い切っていいんですよ。給与受取口座のほうには残っていますから、そのぶん毎月貯金は増えていきます。
この方法で毎月後半に金欠になってしまうひとは、次の「ちょっと複雑な方法」を読んでください。
まず上の「簡単な方法」をやってください。
毎月残高ゼロまで使い切っていいんですよ。給与受取口座のほうには残っていますから、そのぶん毎月貯金は増えていきます。
毎月、4日、14日、24日あたりに金欠が分散するだけ、かもしれませんが、毎月給料日が3回もある!とポジティブに考えましょう。
あんまりタイトルと関係ない話になりましたが、定額自動入金機能の便利さに感動したので書いてしまいました。大和ネクスト銀行の後追いとはいえ、ほんとSBI様々です。
全部全部焼き払ってしまったと思っていたのに。アルバムから滑り落ちたのか、今日まで暗がりの奥に隠れていたようだった。
残っていた細々とした小物を整理していた私は、思わず感傷に浸ってしまった。
おい、忘れるなよって、どこからともなく野太い声が聞こえたような気がしたのだ。
もう二度と聞くことのない、おどけた調子で。声はダンボール箱をいっぱいにし続けていた私の手を引き止めた。
へたり込んだフローリングの床が冷たい。うららかな西日が射し込んでストーブがいらないほど暖かな室温なのに、押し入れからはひんやりとした空気が漂ってきている。
辛くて、悲しくて、忘れてしまいたくて、一つ残らず火にくべたはずだったのに。たった一枚の写真に引き寄せられて、記憶は鮮明によみがえってきた。
交わした笑い声が、他愛のない言葉の数々が、光を放ちながら胸に込み上げてくる。
些細な事で喧嘩して泣いたこともあった。二人押し黙ったまま手をつないで浜辺を歩いたこともあった。
切なくなるほど懐かしく、日々は私の中に大切に仕舞われていたのだった。
あいつが最後に部屋を後にした時の表情が、今更ながらに思い出せた。写真に涙がぼれ落ちる。あの日から一度も流れなかった感情が、ぽたりぽたりと堰を切って溢れ出していく。
いつもどんな時でも、あいつは私に微笑みかけてくれていたのに。
失くした現在が重たくて、私はもう二度とその場から立ち上がることができないような気がした。
声もなくしばらく泣いてから、聞こえた囀りにふと目を上げた。ベランダに顔を向けると、金属製の柵に二羽のツバメが留まっていることに気が付いた。
どうやら二羽はつがいであるらしい。巣作りの場所を探しているのか、一声鳴いてやにわに飛び立つと、相方を追って残りの一羽も素早く宙へと羽ばたいた。
もぬけの殻となったベランダには、柔らかな春の西日が射し込んでいる。
想い人はもう追いかけられないけれど。
ここ3日間で、2、3ヶ月サボっていた部屋の掃除をした。
クローゼットの中や、コンポの周辺など、まだまだ気になるところはあるが、
とりあえず現状で良しとする。
とりあえず床は見えるようになった。
数ヶ月出しっぱなしだったフィギュアの箱も日の当たらないところに仕舞った。
ついでに冬物の一部をクリーニングに出すものとそうでないものに分類した。
おかげで部屋は妙にスッキリした。
部屋が片付けば、ここ数ヶ月続いていた鬱屈な気分も、もしかしたら晴れるやもと考えていたのだが、
いざ実際実行に移してみると、気分は晴れるどころか、どうも空虚な方向にばかり向かってゆく。
捨てるかどうか悩んでいた書類や雑多な小物立ちを捨てているうちに、
思い浮かぶ言葉は「掃除」と言うよりも「身辺整理」に近かった。
別にちょっと前にブームになってた断捨離を気取っているわけでもないし、
今のところ死ぬつもりもないのだが……
飛行機のトランジットを待っていて暇なので、ちょっと昔のことでも書いてみようと思う。数年前、この空港にはじめて来たとき、僕は今とはまったく違う人間だった。あの頃の僕は、希望と理想と好奇心に満ちあふれていた。でも今は? 僕の心は冷たく凍っている。そしてこれには訳があるのだ。
僕は父親を早くに亡くし母子家庭で育ったが、まじめに勉強したので成績はいつも一番だった。そのまま東大法学部に入ったあとも、僕は常に一番だった。東大を主席で卒業したとき、母はどれほど喜んだことだろう。その後、僕は外務省に入省し、上層部の大きな期待をうけて、ドイツの大使館に派遣されることになった。当時のベルリンはいまだ東西ドイツ分断の爪あとも生々しく、その一方で、新たな統一国家を創りあげるのだという若々しいエネルギーにもまた満ち満ちていた。その高揚感に僕は目を見張り、自分が今歴史のまっただ中にいるのだということに感激を覚えた。僕はドイツ語とフランス語がとてもよくできたので、大使館でも重宝された。そして、これはすでに上層部の許可を得ていたのだが、大学に籍を置き、仕事の合間にはさらなる勉学に精を出した。
あっという間に三年がすぎた。僕は相変わらず真面目に働き学んでいたが、心の何処かに落ち着かないものがあった。激動の時代を経たベルリンの大学にはさまざまな思想が渦巻いていた。その気風にあたって、僕の心になにがしかの変化が生まれたようだった。それまでの僕は、ただ真面目に生きてきただけだった。母親は僕を歩く辞書にしたかったのだろうし、今、官僚となった僕は歩く法律書であることを求められている、そんな気がした。僕が、自分の頭で物を考えること、そんなことは求められていなかった。そのことに気付き、僕は少しずつ別のことを学び始めた。歴史や文学を学ぶことで、自分なりの思想を作り上げようとしはじめた。
上層部の人間がそれをおもしろいと思うはずもなかった。彼らは僕が機械の歯車であることを望んでいたのだから。そもそも僕は同僚たちの間でも受けがよくなかった。彼らが飲み歩いて遊んでいるとき、僕はそれに加わらず、ひたすら勉強していたのだから。上層部の不興と、同僚たちの嫉みによって、大使館のなかでの自分の立場は危うくなってきていた。
僕が遊び歩かなかったのは、実のところ、僕が臆病だったからというだけだ。僕は子供の頃からずっと優等生だった。僕はまるで処女みたいなものだった。僕はただ極端な臆病者だったのだ。少しでも道を踏み外すのが怖かった。だから敷かれたレールの上を必死で走ってきたのだ。ばかにされてもしかたがないと思う。だが、うらやまれるのは納得がいかない。僕は遊ぶことができなかった。旧東ベルリンのすさんだ地域で、けばけばしい化粧をした娼婦たちに声をかけられても、それを買う勇気すらなかった。
ある日のこと、家に帰る途中ベルリンの壁に程近い、そんな貧しい地域を通りかかった。教会の廃墟の前で、一人の少女が泣いていた。十五、六歳に見える。ジーパンはは着古されているけれど清潔で、パーカーのフードからこぼれる髪は、明るい金髪だった。僕の足あとに気づいて振り返ったその顔を、どう表現したらいいのだろう。真っ青な目は清らかで憂いをたたえていて、その長いまつげからは今まさに涙のしずくが滴り落ちようとしていた。
僕は思わず声をかけていた。
「どうしたのですか。なにかお助けしましょうか」
彼女は驚いて僕を見つめたが、僕が真摯なのがわかったのだろう、こう答えた。
「助けてください。パパが死んだのに、お葬式をあげるお金がないの。私が言うことを聞かないから、ママは私を殴るの」
「こんなところで泣くのはおやめなさい、人目もあることだし」
「ごめんなさい、あなたはいい人ね。頼りにしていたオーナーに、借金を断られたんです。私は彼のところでもう二年も働いているのに。身体で払えと言って来ました。ねえ、お金を貸していただけませんか。かならずお給料からお返ししますから……」
彼女は涙ぐみながら上目遣いに僕を見た。なんともいえず色っぽかった。
僕は財布にたいした現金を持っていなかったので、時計を外して彼女に渡した。
「これをお金に替えなさい」
彼女は感動してポロポロと涙をこぼしながら、僕の頬にキスをした。
その後、彼女は僕が渡した名刺を頼りに僕のアパートを訪ねてきた。僕たちは頻繁に会うようになった。やがて、このことは同僚たちにも知れ渡るようになった。僕が場末のストリッパーと交際していること、もともと僕を快く思っていなかった連中は、それをあることないことで脚色して大使の耳に入れた。僕が学問をつけ生意気なことをいうようになったことが気に入らなかった上層部はこれをいい機会と僕を免職した。
本当は、このころ僕たちはまだ身体の関係をもっていなかった。彼女とその家族は社会主義下の東ベルリンで貧しくも慎ましく生きていたが、壁崩壊後の資本主義の流入で食べるにも困る状況に陥った。そんな時新しくできたストリップクラブでストリッパーとして働かないかと声をかけられたのである。昼は稽古、夜の舞台とこき使われて、そんななかでも努力が実り二番人気まで上り詰めたが、それでも少ない給料で家族を養うのにはとてつもない苦労があったようだ。
僕が首になったことを伝えた日、僕たちははじめて結ばれた。はじめて見たその日から僕は彼女のことを愛していたのだけれど、その気持ちを抑えこもうとしていた。僕の免職をきいて悲しみに震える彼女の姿をみて、僕ははっきりと自覚したのである。彼女を愛している、と。
僕は困窮した。給料はとめられ、滞在許可の期限も切れようとしていた。そんなとき僕を救ったのは、Aという友人だった。
Aは大学時代の同期で大蔵省に勤務していたが、僕が困り果てているのを人伝てに聞いたらしい。知り合いの新聞社の編集長に頼んで、僕をその新聞社の特派員という形にしてくれた。なんとか滞在許可を延長できたものの、給料は雀の涙であった。今度は彼女が僕を助けてくれた。僕はアパートを引き払い彼女の家に転がり込んだ。僕は彼女と、彼女の母親の住む部屋で、互いの少ない給料を持ちあってそれでも楽しい日々を過ごした。僕はもう学問にも本にも見向きもしなくなった。けれど、いわゆる世俗的なもの、今まで見向きもしなかった、見ないようにしていた世界が、僕の前に広がった。
冬が来た。ある日僕はAから電話をもらった。今、大蔵省の次官に同行しベルリンに来ているという。「君の名誉を回復するチャンスだ」、彼はそう言った。彼女にそのことをいうと小躍りして喜んで、戸棚に仕舞いこんであった僕のスーツに念入りにアイロンをかけて着せてくれた。Aが与えてくれた仕事は次官の通訳と翻訳だった。そして、ロシアへの出張の同行を打診された。まとまったお金が入ったので帰ってくるまでの生活費として、僕は彼女にそれを与えた。彼女の体調が優れないようなので、それが気がかりだった。
ロシアへの出張はすばらしいものだった。なによりも国際政治の舞台に再び立っているということが、僕の心を高揚させた。彼女のことを忘れていたわけではない、けれども、僕は迷い続けていた。日本に帰ってふたたびキャリアを積み重ねることができたなら……
ようやく出張から帰ったその瞬間まで、僕はそんなことを考えていた。けれど、彼女が戸口から飛び出して抱きついてきたその時、そんな迷いは吹き飛んでしまった。彼女とともに生きよう。僕は彼女を愛しているんだ……部屋のテーブルには、編みかけの靴下があった、それも、ミニチュアのような靴下だった。彼女は幸せそうに微笑みながらいった。「どう?」
数日後、僕は次官に呼ばれた。彼は言った。君の能力はすばらしい。ポストを用意するから、日本に帰ってこないかね。
僕はとっさに思った。このチャンスを逃したら、僕はこのまま落ちぶれて、日本に帰ることもできず、異国に散ることになってしまう。その瞬間、僕は、「光栄至極です」と言っていたのだった……
真冬のウンター・デン・リンデンを、僕はさまよい歩いた。僕の肩には厚く雪が積もった。固く凍った路面で、何度も滑り膝を着いた。ようやく家に帰ったとき、僕はまるで死人のような有様でそのまま床に倒れこんでしまった。
それから数日間の記憶はない。高熱を出してうわ言をいっているのを、彼女は必死に看病してくれていたらしい。そんなときAが訪ねてきて、僕が次官に帰国の約束をしたことを告げた。意識を取り戻したとき、僕は彼女の変わり様に驚愕した。Aは彼女を精神的に殺してしまったのだった。彼女は、「なんていうこと、そこまで私を騙していたなんて」と叫び、倒れてしまったのだという。ふたたび目をさましたときには、もう正気を失っていて、僕の名を呼んで罵ったり、髪をかきむしったり、小さな靴下に頬ずりをしてさめざめと泣いたりするばかりだった。
僕のほうの病気はすっかり治った。日本に帰国する際には彼女の母親に、幾ばくかの金を与え、可哀想な彼女の胎内の子供のことも頼んでおいた……
チョコレートは買ってあった。
今更ながら思い返してみると、誰かに日本式バレンタインという意味をもたせた
チョコレートを渡したことがない。
かっちりした箱だけでも高そうな箱に詰められて4個で2,000円とかするチョコはとてもじゃないが買えなかった。
そりゃあ値段は無理をすれば買えなくはないけど、問題はメンタルで
「こんなガチのバレンタインチョコ然としたバレンタインチョコを自分が買って相手に渡さんと欲す」
もし渡せたとしても相手に好意が伝わってしまうのが怖い(自分でも今更何を言っているんだとは思う)。
渡せなかったとしてもそんな意気込んだ挙句渡せずに高級チョコを自分で食う羽目になったら死にたくなるだろう。
そんなこんなで相手にも自分にも誤魔化しがきくようにと低価格帯だがそこそこ評判のいい海外製を購入。
最終的に渡せず仕舞いだけは避けたいのでこっちの方が渡しやすいと思った。
そこまで考えても結局はぐだぐだ言い訳を並び立てて、結局は友チョコ義理チョコのついでに安かったから買っちゃいました、
もしくはイベント事にのっかってみました、とか、前に食べておいしかったからとか言っちゃうんだろうけど。
もう明日当日に渡さないで金曜にしようかなあ、翌日顔合わせたくないし。
その写真を見た瞬間クソ吹いた。
俺がカメラを持って手を伸ばして撮ったであろう写真で、その彼女が後ろから首元に俺に抱き着いてほっぺとほっぺが触れていて、俺は勝ち誇ったようににやついていた。
こんなの全く記憶にない、どんなに頭の中をスキャンしても出てこない。
俺が初めて本気で好きになった思える人で、当時俺は28歳、彼女は19歳だった。
それ以前も何人か付き合ってはいたが、さほど好きになれない人ばかりだった。
なんでそんな好きにもなれない女の子とばかり付き合ってたかというと、ヘタレだったからだ。
自分から告白する勇気もなくて、たまたま手近にいた女の子を話のノリで食事に誘ったりしてずるずるって感じでいつも惰性もいいところだった。
ほんとはもっと可愛くて好きになれそうな女の子はいっぱいいたのに、声をかけるどころか目を合わせることすら出来なかった。
そして、そういう俺の気持ちはあっさりそれら付き合ってた女の子たちに見抜かれて、自然消滅を繰り返していたのだった。
それでも彼女がいたのだからリア充じゃないかと思われるかもしれないが、ちっとも充実などしてはいなかったよ。
いつもいつも、付き合ってた女の子とデートしてる最中ですら、他の可愛い女の子を連れてる男どもが羨ましくて仕方なかったんだ。
その本気で好きになった彼女と出会ったのは付き合う一年前の事。
いわゆる出会い系の走りみたいなとあるサービスを通じてだった。
当時はまだ彼女は高校生で、淫行条例のなかった時代だけども、年の差があり過ぎと思って手を出すまでには至らなかった。
ただ、めちゃくちゃ可愛かった。
会ったのはその時は1度きりで、食事をしただけだ。
それから一年程たって、彼女の方から連絡があって、すぐに付き合うことになった。
たぶん、まともに告白らしきことをしたのは初めてだ。
そして、俺は彼女のことをものすごく大好きになり、すぐに独り暮らしを始めたし、付き合って二か月ほどで結婚しようとさえ思った。
それからしばらくはほんとに充実した恋愛生活を送ったが、半年ほどで別れることになった。
どういうわけか俺と付き合いだして数か月ほどして宗教活動に目覚めたらしい。
さんざん勧誘されたが、俺は決してそれだけは受け入れることはできず、そのことでほとんど気が狂うくらいの状態になって、こんな男はもーあかんと彼女から別れを告げられたのだった…。
それから10年以上の歳月が流れ、例のFBで彼女側からの検索の網に掬い取られる形で再会したわけだ。
そんな過去のこと、ほんとに遠い記憶で覚えていた事柄も脳の奥深く仕舞い込まれていたし、大半の思い出はシュレッダーにかけられて再生不能だった。
上で書いたような事柄も、彼女と再会して色々と思い出した断片を繋ぎ合わせたに過ぎない。
俺は彼女と別れてから割とすぐに知り合った別の人と付き合って、また以前と同じように可愛い女の子を連れている他の男どもを羨ましく思いながら、しかし今度は自然消滅に至らずずるずる結婚し、現在に至っている。
そして、数年前からセックスレスとなり、満たされぬ日々を過ごしてきたわけだ。
多少の悪さはしてきたけども。
残っていた写真で二人で写っているのはただその一枚だという。
「…あっ、思い出した!、そうだそうだ、この時さぁ…」
みたいな感動は全くなかった。
その写真に結び付いた記憶のすべてはシュレッダーダストに消えてしまって、焼却場まで行ってしまったんだ…。
とりあえず記憶はなくしても記録はなくさないでおこうと、その写真はグーグルに預かってもらうことにした。
しかしま、そのリア充ぶりには口の中の唾を全量吐き出すほど吹いたし、自分が信じられなかった。
実は彼女も覚えてないらしく、別れる前後の俺のgdgdぶりに呆れて、いい思い出は全てなくしてしまったらしい。
でも確かに、僕らの間にはそんな輝いた時期があったんだ、と再会した彼女と話してたら…
「うちら記憶の中にはおられへんねんて」
と言いながら、ぎゅーされてキスされたのだった…