はてなキーワード: トリビアとは
教育の敗北
イオン化傾向って義務教育って習ったっけと思って少し調べたが、発展的な学習内容が容認されたゼロ年代後半には既に扱われ始めていて、それ以降の脱ゆとり教育で育った今の若者は知ってて当然な知識だったんやな
あと、近世どころか古代から洗剤として使われていた天然物質はいろいろあるわけだけど、そこまで書いたらこの事件に関するトリビアの範疇を超えるか
西新井駅切符売り場でアルミ缶が爆発して女性が怪我をしたという事故。やらかした中国人が逮捕されたが、実はこの事故は度々起こっている。
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20230509/1000092245.html
有名なのは数年前に地下鉄日本橋駅で乗客の荷物が破裂してガスが発生、機動隊や消防が出動して駅ごと閉鎖、電車は不通になった事件があった。
今次の事故でも爆発なので警察は念の為にG事案(広域ゲリラ事件)として捜査を行うが、コーヒー缶爆発と来たら業務用洗剤ちょろまかしによる爆発に決まっている。
やってる事は馬鹿であり、よくわかってない馬鹿が扱えないような仕組みになってるのだが、ルーズな会社が多くてこの手の事件が起きてしまう。しかも時限爆弾みたいに当初は大丈夫なのに時間が経ってから事故になるという仕組みがあるのだ。
家庭で使うような洗濯洗剤、キッチン洗剤、マジックリンとかは弱アルカリ性になっている。これで脂分を分解して落とすのだ。
もうちょっと細かく言うと、動植物性の油と水の間に界面活性剤が入って乳化させ、同時にアルカリ成分が皮脂汚れなどを鹸化して石鹸にしてしまう。その石鹸が水に溶けて流れるのね。
でもご存じなようにギットギト汚れにはあまり効果が無い。固まった汚れも落ちない。
そこで清掃や調理業務では市場では売っていない業務用クリーナーを使う。これは大抵が強アルカリの水酸化ナトリウムや水酸化カリウムだ。
まずこいつらは動植物油脂をどんどん鹸化してしまう。全部石鹸になっちゃうわけ。そして石鹸は水に溶けるから水に流れていってしまう。
次にタンパク質の分子結合を破壊するので、生物由来の汚れを全て除去出来る。
一言で言うとなんでもキレイになるし、その威力は家庭用洗剤がおもちゃのようだ。インクジェットプリンタと輪転機の違いというか。
まず皮膚に掛かったら忽ちに脱水され、タンパク質も変質して黒く炭化する。しかも酸と違って水で流しても全然反応が止まらない。
皮膚の奥にどんどん侵攻して皮下脂肪を石鹸に変え、真皮も筋肉も不可逆的に変質させて炭化させて行く。もの凄い痛みを長時間伴いながら。
しかも皮膚に掛かった時には特に痛みが無い。あとから激痛が出てきて反応がとまらないのだ。そして最初に痛みが無いので手当が遅れてその間に皮膚の奥まで浸透してしまう。眼球に飛んだら失明だ。
また、勝手に持ち出されたり勝手に使われたりしないように施錠して保管する事が義務付けられている。ロッカーでも倉庫でもいいが、鍵のかかった場所以外にしまってはいけない。
だがその超強力さゆえ、家で使うためにくすねてしまうやつが多いのだ。
そして会社の方もちゃんと施錠せずに使ってるテキトー管理の会社が多いのが実情だ。きっちりした会社では昔の軍隊のように始業時に員数チェックをして終業時に照合して施錠するのだが、そんな会社はごく一部だ。料理屋の厨房なんて施錠しなきゃいけない事も判っていない場合がある。
そしてこのくすね方に化学の素養がもろに出てしまい大事故を引き起こしてしまう。
アルミは亜鉛と並んでイオン化傾向が大きくて反応しやすく、更に酸にもアルカリにも溶けるという特性がある。
だからアルミ缶に飲料を入れてアルミに接触させた状態にしておくと、アルミが酸化して液体中に溶けて出して変な味がついてしまう。コーヒーならコーヒーが酸化して酸っぱくなり、ミルクやコーヒーフレッシュ(スジャータみたいなの。植物性)が酸化して膜が出来たり沈殿が起きてしまう。
アルミ鍋ではこれを防ぐ為にアルマイト処理をする。アルミ表面に酸化被膜を作る処理だ。酸化アルミは反応性が低いので溶けだしたりしにくく固いので鍋の形もしっかりする。(でも酸/アルカリにはやはり弱いのでこんにゃく茹でると黒くなってしまうが)
アルマイト処理は手間と時間がかかるので使い捨ての飲料缶には使用できない。そこで缶の内側にプラスチックのライナーが貼ってあるのだ。ごく薄い膜で耐久性が無いが使い捨ての中性に近い液体の封入になら問題が無い。
このライナーがある為に強アルカリ洗剤をコーヒー缶に入れてもその時は何も起こらないのだ。
だがこれはデーモンコアに反射材を被せてドライバーで開け閉めしてるようなもんだ。そのうち手が滑って臨界させてしまう。
こういうものを入れるのに使われるのはやや高いコーヒーのキャップ缶だ。差別化の為にフタが着脱出来るようになっている。
また、缶自体が厚めでしっかりしている。因みにコーヒー缶が厚いのは内圧がない為だ。炭酸飲料の缶は中の炭酸が蒸発しようとして飽和圧力まで内圧が上がるので薄い缶でも強度を保てるが、コーヒー缶はそれが無いので厚い板を使うしかない。
しかし何度かの蓋の着脱でネジ部やパッキンに当たる上面のライナーが取れてしまう。
すると強アルカリがアルミと接触して水素と酸素がじゃんじゃん発生する。それであっという間に内圧に缶が負けてBOM!
そもそもコーヒー缶は内圧対応になってないから簡単に爆発する。
今回の事故では缶を切符売り場の地面に置いていたとの事だから、「シュー」とかいいだして刺激臭も出てきたのではないかと思われる。それでビビッて置いていったのでは。
だったらせめて蓋を開けて行けばよかったのだが。
ペットボトルやポリプロピレンボトルは酸にもアルカリにも安定なのでこういう事にはならないのだが、そこで少しだけ高価なアルミコーヒー缶に入れてしまうというのが教育の敗北というか。
こういう知識がない人間が扱うと危険なので施錠する事になっているのにテキトー管理してるから事故に至ってしまうのである。
数面前の地下鉄での破裂事故ではやはりキャップ式コーヒー缶に入れて乗車中にガス漏出の上で破裂し、やはりテロが疑われて地下鉄全線が半日ストップした。
損害賠償は数千万円に上るだろう。本人は払えないので雇用元に請求が行ったはずだ。施錠せずにテキトウ管理してたので責任を逃れるのは無理そうだ。高い代償である。
報道の方もG事案って事で警察のいうがままに報道して「故意は無かったとの供述です」と追って報じてるが、この事故はもう何度も起きてるのだから、ちゃんと掘り下げて「施錠しないとこういう事になる」「結局雇用元に全責任が行く」「せめて盗むんならペットボトルにしろ化学の時間寝てたのか」って事を言わないと報道の意味が無いんじゃないのかと疑問に思うところだ。
因みにキャップ式コーヒー缶にスポーツドリンクを入れても小規模の同じようなことになるから注意が必要だ。スポーツドリンクはステンレスポットも溶かしちやうから要注意なんだな。
江戸時代など昔は今のような洗剤は無かった。なら食器は汚いままで使ってたのだろうか?
実は水酸化カリウムを使っていたので魚の脂汚れもばっちり落として使っていたのだ。
かまどで炊飯をして薪の灰が残る。これを桶の水に入れて放っておくと灰汁が出来てこれは水酸化カリウムなのだ。
生き物の体はカリウムを大量に使う。浸透圧調整に使うし植物は光合成時の気泡の開閉に使い、動物は筋肉の収縮に使う。それを燃やすとカリウムが残るのだ。
だから業務用クリーナーを家で使いたいなら自分で灰汁を作るという手もあるのだな。ただゴム手袋をしないで使うと指紋が溶けてなくなり化学火傷も起こしてしまうし、防護メガネも必須だ。コーヒー缶に入れて保管せぬように。
https://twitter.com/himasoraakane/status/1641662940775591936
暇空が小学校に在籍していた平成元年~6年の間に吉野郡に異動した男性教員は…ンアォア
それではご覧ください
安堵(生駒)
真弓(生駒)
伊那佐(宇陀)
神末(宇陀)
上曽爾(宇陀)
育成(高取町)
朝和(天理)
浮孔西(大和高田)
暇空茜「小学校の先生とレスバになって詰めたら「E=mc^2」って黒板にかいてお前これ解いてみろっていうから、「お前俺より”先に生まれた”だけじゃん」って言ったら泣いちゃって、相撲やるぞとかいわれて相撲でボコボコにされたから校長にいいつけたら吉野の小学校に左遷された(実話)」は、たぶん実話
デパートの1階になんで化粧品売場があるかっていう擦られたトリビアがあるけど、ふとゲーセンもその辺考えてフロア分けされてるんだなって思った。
1階は大抵プライズゲームとかプリクラ、ジャリ向けのカードゲームとか、ゲーセン通いが趣味って訳でもない若人が入りやすいようになってる。
ちょっと上がってコインゲーム、そのまた上に格ゲー音ゲー麻雀とかのACゲームがある。
オタクくんや中高年は隔離されてるって訳だ。まあ格ゲーとかだと煽り煽られがあるらしいしなあ。昔はレベチだったみたいだけど。
音ゲーなんかいい晒し者だし、棲み分けされてるのは有り難い話。
逆にたいたつみたいな馴染みのあるゲームは1階に置かれてるな。バンナムは太鼓一本だけど、たった二つの入力で老若男女、初心者から上級者まで惹き付けてすごいや。前に新しいのやってコケたのは知らん。
アーケードなんてどこの会社でもお荷物部門の斜陽らしいな。社会の隅のゲーセンのそのまた隅の居場所を守り続けて頂きたいもんだぜ。
固有の感覚だと思っていたけれど、誰かが言葉にしてみたら共感の集まる案外普遍的なものだった、という事はままあると思う。
そういう発信はよくバズるし、なんなら文学にもそういう側面があると思う。
ニッチなのにバズった物の捉え方、感じ方、考えたあるあるには、着眼点のセンスの評価に加え、「解像度」の高い「言語化」でスゴーイという意見が集まる。
脳内でボヤ〜っと漂っている感覚の輪郭が鮮明になるのは確かに気持ち良いし、スッキリする。
でもそれをするのにあたって常に他人の言葉におんぶに抱っこで、自身の固有性に目を向け多少書き換えるといった事をせず、なのに「教養」を積み「解像度」が上がったと喜ぶ人がいる。
他人の言葉は、自身の細部を捉える言葉としての大意としては間違っていないだろうけど、本当は捨象された細部に各々の固有性があり、そこに気付いていないかしれない。あるいは、自己に固有なものに気付けず、他者固有のそれにすり替えてしまう事だってあるかもしれない。
そんな事を繰り返して生まれるのは、ネット言説受け売り人間かトリビア披露ロボットだ。
解像度という言葉を使っていれば物事の解像度が上がる訳ではないし、言語化という言葉を使っていれば言語化が得意になる訳でもない。
こういう事言うと、学びを否定して「自分で考えた結果」陰謀論にハマる奴じゃ〜んとか言うカスが現れる。一言も言っていない事を思い込みと邪推で見出すのは勝手だが、それで以て何故かウエメセの説教を垂れるのは勘弁願いたい。
日本返還前占領中の沖縄で米軍放出品のオイルを使った天ぷらがあったっていうのは結構有名なトリビアなんだが、これが「モービル1を使った」って変換されて流布されてるのをよく見るのだ。例えばこの増田のブクマとか。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221221194930
自分はモービル天ぷら見た事もないんだけど、この正体は判るのでちょっと解説したいあるよ。
因みにモービル1は沖縄返還後の1974年に市販開始された化学合成油で、鉱油が基油なので摂取すると死んでしまう。
結論から言うとモービル天ぷらに使われたのはひまし油であると考えられる。
一般的な機械潤滑油というのは石油を蒸留して作られる「鉱油」だ。原油を蒸留すると上の方からガソリン(の気化ガス以下同じ)-灯油-軽油-重油-鉱油-アスファルトという風に分離するのでそれを冷やして液体として回収する。
ガソリンや灯油、軽油を燃料として使うと鉱油も沢山出来るのでこれをエンジンオイルに使う訳だ。こういう風に出来た鉱油をそのまま使う時代は原油の産地によって鉱油の質が違った。
この方式で格段に質が良かったのが米国のペンシルバニア産で、例えばPennzoil(ペンゾイル)っていうオイルブランドなんかはペンシルバニア産を誇った名前なんである。黄色地にヒビが入った黒い鐘のポップな意匠でナスカーレースとかで見た事ある人も居るかもしれない。あの割れた鐘は有名な「リバティ・ベル」で、ペンシルバニアのシンボルで、アメリカ独立と奴隷解放のシンボルなんであるな。
ペンシルバニア産鉱物油の油膜特性は優れていた。油膜特性とは、高温で金属同士が擦り合わさっても油分が残り続けるって事だ。
だが、植物油であるひまし油の油膜特性はもっと優れている。エンジンが高温になってぶん回されるレースや航空機のレシプロエンジン、ターボエンジンなどではひましじゃなきゃダメ、ていうシーンが多かったのだ。
因みに他の植物油ではダメである。例えばサラダ油である大豆油は中華料理屋のキッチンを見れば判るが、料理程度の温度(200~300°)で酸化重合してしまう。固まってしまうのだ。亜麻仁(アマニ)油は常温でも酸化重合する。オリーブ油はサラサラし過ぎて機械の油膜保護は無理。菜種油(キャノーラ油は菜種油を品種改良で毒性を除去したものだ)は安い機械油であって飛行機などのエンジンに入れるのはもってのほか。
この高性能っぷりにあやかったオイルメーカーが「カストロール/Castrol」でcastor oilの事である。
どんだけ高性能かというと、1995年頃までレースに使われるのはひまし油一択という感じですらあった。カストロールのR30というオイルが有名だ。
こんな高性能ひまし油だが、植物油である為に弱点もあり、寒くなると固まってしまう。だから使用前に保温が必須で、冬にエンジンに入れっぱなしで冷えたエンジンを始動するみたいな使い方は出来ない。固まっているのでオイルが流れずに焼付き事故になってしまう。
次に、酸化し易い。脂肪酸なので酸素と結びついて重合し、固まってしまう。
だから缶詰に入れて保管し、使用直前に缶切りで開封して入れるという使い方になる。使用後、レース終了後や飛行機の着陸後はそのままにしておけず、抜き取りと洗浄が必須だ。でもレース車はレースごとにエンジンオーバーホールするし、飛行機、特に軍用機は飛行ごとに重整備もするのでこれもさして問題が無い。B29なんてフライトごとに全エンジンを新品かオーバーホール済み品に交換していた。
こういう感じなので街乗りの車などに使うのは難しい。
そしてオイル缶詰も未開封であっても酸化重合で粒状の塊が出来てしまうから、製造から数年の「消費期限」がある。戦時なら飛行機がどんどん飛んで消費されるが、平和になれば消費量は減る。
でも有事に備えて備蓄は必要だから期限切れのオイルが沢山出る→放出品になるという訳だ。
だから鉱物油の放出品というのは余り無かったが(消費期限なんてほぼ無いに等しいから)、ひまし油の方は未使用品がどんどん出てきたはずだ。
薬局でほう砂とかクレゾールとかグリセリンとか塩化ベンザルコニウム液とか古いアイテムを置いてある所にはひまし油も置いてある。
これはひまし油が昔から便秘の薬として利用されてきたからで、日本薬局方に収録されている。
日本薬局方ってのは漢方とか蘭方とかと同じで、薬のレシピを国が指定してあるもので、同名称品ならどの会社のものでも同じ内容のものが流通している。
日本人と言わず、世界中の文明ではひまし油=便秘薬であって、摂取すれば下痢しまくるというのは常識として共有されていた。
そしてそれは毒性があるからなのだが(タンパク質毒)、その毒性はちょっとぐらいじゃ死にゃしねぇってくらいって事も共有されてきた。
って事で、米軍がオイル缶を頻繁に放出して、castor oilと書かれていたら、「これってひまし油じゃけん。天ぷら油が無いが、これで天ぷらしたらどうか?下痢しまくるが死にゃあせんべ。」と沖縄人が考えたに違いない。自分が沖縄人ならきっとそう考える。
前述のように25年前まではレース=ひまし油(というかカストロールR30)一択みたいな感じがあったんだが、今ではR30もディスコンになってしまってサーキットで使ってる人もいなくなった。
だがその前の時代のサーキットは独特な香ばしい匂いがする場所で、それがひまし油のR30が燃える匂いであった。
今この匂いを嗅ぎたいと思ったら、河原で模型飛行機遊びしてる人が多い場所や、カートサーキット、ミニバイクレースサーキットがお勧めだ。
後者のサーキットは東京北部だと埼玉県の秋ヶ瀬公園隣にある秋ヶ瀬サーキットなんかが近い。浦和所沢バイパス、通称浦所の隣にあるのでちょっと道を外れて河原に下りると灼けるような匂いがしてくると思う。
因みにレンタルカートは4ストロークで遅い上にあの匂いがしないので注意が必要だ。これは本物のレーシングカートは2ストで、潤滑に使うオイルをガソリンに混ぜて燃やしてしまう為だ。だから灼ける匂いがするのだね。
焼きおにぎりと小海老天とエビフリャーとお好み焼きとごま油多めチャーハンとビーフステーキと新品のオーブンに火を入れた時の匂い混ざったような香ばしい匂いだ。
今はカストロR30も無くなってしまったが、薬局に行けばひまし油は売っているし、amazonドラッグストアでは500mlや1Lのものも売っている。こういう大きいのは自家製化粧品で使うようである。
ひまし油100%であれば用途外使用だが2ストエンジン潤滑油として使っても大丈夫なはずだ。
また、azという潤滑油メーカーはMEG-004 Circuitというレース用潤滑油をだしている。
また、広島高潤というメーカーは「ひましじゃけん」というひまし油ベースの化学合成油を出している。なんだその商品名は。高い商品なのに…
http://www.kz-hiroko.com/?pid=98820823
このうちひましじゃけんは化学合成で成分をいじってあるので危険だが、残りはひまし油100%なので、こいつらでモービル天ぷらを再現することは可能だ。
なので、次はモービル天ぷらの体験リポートを投稿したいと考えているが、激しい下痢やばらむつ油の無意識漏出のような社会的死を賭してのチャレンジになるので慎重に行きたい。
モービル天ぷらの趣旨を考えると日本薬局方のひまし油じゃなくてAZ MEG-004 Circuitの方でやるべきだろう。
もし「食用ではない油で天ぷらして死亡」のようなニュースが流れたら、量を食べ過ぎるほどサーキット天ぷらは美味かったのだな、とか、あれほど自分で書いてたのにひましじゃけんでやっちまったんだな、と思って頂けたら幸甚である。
いまや観光名物となった人が車を引き人を運ぶ人力車。その普及当時、引き手の車夫は過酷な仕事から心臓や肺が5年ほどで死んでしまうといわれたらしい…あぁ恐ろしい恐ろしい。おぉショッギョムッギョ。運動は足りてるので睡眠と瞑想と野菜不足だろうか。
https://twitter.com/noa_izumi1998/status/1405647209043922950
『人力車を引けばほとんどどの職工より儲かるので、何千人もの立派な若者が農業に従事するのをやめて人力車の引き手になろうと町に集まってきます。』
とはいえ車夫になってからの平均寿命は五年しかない、その多くが心臓または肺の重い疾患に罹かかると言われています。まずまず平坦な地面の上を、優秀な車夫は時速四マイル[約六・四キロ]で一日五〇マイル[約八〇キロ]走ることもあります。』
とある。
ん…どうなんでしょう。儲かるから就職するとしても死亡率が極端に高い…まあ現代でもベーリング海のカニ漁などがあるのでありえるのでしょうか。
気になる点はいくつか。
まず人力車が登場した時期。これはツイッターの前の文章にもあり別途調べることもなかったのですが。
『あなたも知っているとおり、この乗り物は日本の特色のひとつで、日に日にその重要性は増しています。七年前に発明されたばかりなのに、すでにある都市ではその台数が二万三〇〇〇近くに達しており、』
7年前に生まれた職業の平均寿命が5年と言われても感覚としてはちょっと引っかかる気がしますな。
なんだか仕事を始めて数ヶ月でバッタバッタと死んでいかないとこういうイメージはできあがらないのかな。
人を運ぶことの過酷さについても、そもそも人力車が初めての人を運ぶ仕事ではないわけで、大名行列のイメージかな?日本には駕籠があった。
人力車はそれと入れ代わるように入ってきたはずだ。
人力車は安全性の高さと運賃の安さ、玄関先まで届けられるという小回りの良さが大衆に受けて急速に普及し[16]、1872年までに、東京市内に1万台あった駕籠は完全に姿を消し、逆に人力車は4万台まで増加して、日本の代表的な公共輸送機関になった。これにより職を失った駕籠かき達は、多くが人力車の車夫に転職した。1876年には東京府内で2万5038台と記録されている[17]。19世紀末の日本には20万台を越す人力車があったという[18]。人力車夫は明治期都市に流民した下層社会の細民の主要な家業となり、明治20年代には東京市内に4万人余も存在したが、その後都市交通の発達により数を減少させていった[19]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%8A%9B%E8%BB%8A
二人以上で運ぶ駕籠と車輪の力を借りる人力車のどちらが過酷な労働かはわからない。しかし運送業として駕籠から人力車へと系譜があると見れば駕籠の時代から平均寿命が短かったのでは?そんな業態で長年何万人と働き文化・職業が残り続けた。しかも(車夫と比較して裕福な?)他人と接する接客業で。これは発展途上国ゆえの残酷さなのか、実際のところは致死的とまではいかない重労働程度だったのか。気になりますな。
次に、おそらくなのだが、お抱えでなく流しの人力車ならばいわゆる自由業的な働き方になるのかなと思う。
ひとまず自由意志で体を動かす労働を体が壊れるほどする必要があるということは、それは貧乏暇なし。働けど働けど…ということなはずだ。
"ほとんどどの職工より儲かるので、何千人もの立派な若者が農業に従事するのをやめて人力車の引き手になろうと町に集まって"くるならば、他の職より稼いだ金で休息に充てられないものか?
久保田重孝'6)はこのバードの旅行記をとりあげて,これは人力車夫の職業病にふれたものだとしたが,筆者'7)は当時の日本人の平均寿命が40幾歳という時代で,人力車夫の若死を職業病としてしまってよいかどうかわからないと書いたが,現在の作業関連疾患に関係があると考えてもよさそうである。
横山'8)は当時の人力車夫には「おかかへ」,「やど」「ばん」「もうろう」の区別があるとする。「おかかへ」は月に幾程と約束を定めて紳士の家に「おかかへ」となった者,「やど」とは一名部屋住み車夫で,挽子がこれにあたる。「ばん」とは一定の駐車場に所属する株車夫である。
そして人力車夫中最も多いのが,貧民窟に住んで,車を借り,ひどい者は筒袖股引の衣裳まで借りて働く「朦車夫」で,車の借代は上等10銭,中等8銭,下等6銭で,3,4年前より2銭宛高くなった。この車夫の収入は日によってちがうが1日平均50銭くらいにはなる。
「家に女房あり,子供あり,如何に節約するも四十銭は之を要せん。残れる十銭を以て屋賃,衣服料,子供の小使等を除けば餘す所幾何なるべきか,特に不規則の労働に従ひ不定の収入に服する人力車夫の常として,途中不用の飲食物に金を捨てること多きを思へ、ば,束京市中五萬の人力車夫,知らず一日の生活
まったくもって儲かってないという。自由業ゆえの収入の不安定さまで述べられている。
バードさんに話した内容とは食い違うものがあるのか、やはりこれでも「他よりマシ」レベルの貧困さだったのかもしれない。バードさんに話した人が誰か、あるいは複数の聞き取りをまとめたものなのかはネット上ではわからないが、明治9年東京府管内統計表とほぼ同じ台数を述べておきながらの賃金、寿命への言及をしていたとしたら両方とも正しいと見るかちょっと変と見るべきか。
ひとつ付け加えると引用の横山は1871年生まれで、バードさんが居た時代ではまだ8歳?時代に多少ずれがあることは覚えておく。
あと平均寿命も。19世紀末で40ちょっとというのはわかっていたようなでも結構驚く数字で、重労働できる年齢になって酷使して平均寿命も短いとなると数年が寿命ないし廃業のラインとなるのも一理あるのかなと覚えるしだいだ。
2,3のwebページを見ただけだが、自分の感覚としては5年説はそういう印象が流布程度には信憑性があって、でもまあ誇張や比喩のようなものも感じて100%統計的事実として平均5年で死ぬと言った訳ではないのかな、と受け止めておく。
そもそも(バードさんに)誰が言ったかがわからないので町人の世間話の採集かもしれん。
ひとまず自慢げにトリビアとして吹聴できるレベルではないなと記憶しておく。
そもそも気になった原因の漫画版では、知識階層ではないが勤勉で聡明な作劇上、日本文化を解説する立場のキャラクターが自分の持つ知識としてセリフを披露している。だからまるで歴史的事実のように感ぜられてしまって調べたのだ。
作中では人力車が広まって何年かは書かれていな…かったと思うので、受け取りかたしだいではもう十何年も人力車が続きそのなかでの収束した寿命とも取れかねない印象だった。
原文のもひとつまえの「七年前に発明されたばかりなのに」というセリフも含まれていれば舞台が78年なので即座にまあうろんげだなと留保の立場で流せたのだ。
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