はてなキーワード: トリビアとは
いまや観光名物となった人が車を引き人を運ぶ人力車。その普及当時、引き手の車夫は過酷な仕事から心臓や肺が5年ほどで死んでしまうといわれたらしい…あぁ恐ろしい恐ろしい。おぉショッギョムッギョ。運動は足りてるので睡眠と瞑想と野菜不足だろうか。
https://twitter.com/noa_izumi1998/status/1405647209043922950
『人力車を引けばほとんどどの職工より儲かるので、何千人もの立派な若者が農業に従事するのをやめて人力車の引き手になろうと町に集まってきます。』
とはいえ車夫になってからの平均寿命は五年しかない、その多くが心臓または肺の重い疾患に罹かかると言われています。まずまず平坦な地面の上を、優秀な車夫は時速四マイル[約六・四キロ]で一日五〇マイル[約八〇キロ]走ることもあります。』
とある。
ん…どうなんでしょう。儲かるから就職するとしても死亡率が極端に高い…まあ現代でもベーリング海のカニ漁などがあるのでありえるのでしょうか。
気になる点はいくつか。
まず人力車が登場した時期。これはツイッターの前の文章にもあり別途調べることもなかったのですが。
『あなたも知っているとおり、この乗り物は日本の特色のひとつで、日に日にその重要性は増しています。七年前に発明されたばかりなのに、すでにある都市ではその台数が二万三〇〇〇近くに達しており、』
7年前に生まれた職業の平均寿命が5年と言われても感覚としてはちょっと引っかかる気がしますな。
なんだか仕事を始めて数ヶ月でバッタバッタと死んでいかないとこういうイメージはできあがらないのかな。
人を運ぶことの過酷さについても、そもそも人力車が初めての人を運ぶ仕事ではないわけで、大名行列のイメージかな?日本には駕籠があった。
人力車はそれと入れ代わるように入ってきたはずだ。
人力車は安全性の高さと運賃の安さ、玄関先まで届けられるという小回りの良さが大衆に受けて急速に普及し[16]、1872年までに、東京市内に1万台あった駕籠は完全に姿を消し、逆に人力車は4万台まで増加して、日本の代表的な公共輸送機関になった。これにより職を失った駕籠かき達は、多くが人力車の車夫に転職した。1876年には東京府内で2万5038台と記録されている[17]。19世紀末の日本には20万台を越す人力車があったという[18]。人力車夫は明治期都市に流民した下層社会の細民の主要な家業となり、明治20年代には東京市内に4万人余も存在したが、その後都市交通の発達により数を減少させていった[19]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%8A%9B%E8%BB%8A
二人以上で運ぶ駕籠と車輪の力を借りる人力車のどちらが過酷な労働かはわからない。しかし運送業として駕籠から人力車へと系譜があると見れば駕籠の時代から平均寿命が短かったのでは?そんな業態で長年何万人と働き文化・職業が残り続けた。しかも(車夫と比較して裕福な?)他人と接する接客業で。これは発展途上国ゆえの残酷さなのか、実際のところは致死的とまではいかない重労働程度だったのか。気になりますな。
次に、おそらくなのだが、お抱えでなく流しの人力車ならばいわゆる自由業的な働き方になるのかなと思う。
ひとまず自由意志で体を動かす労働を体が壊れるほどする必要があるということは、それは貧乏暇なし。働けど働けど…ということなはずだ。
"ほとんどどの職工より儲かるので、何千人もの立派な若者が農業に従事するのをやめて人力車の引き手になろうと町に集まって"くるならば、他の職より稼いだ金で休息に充てられないものか?
久保田重孝'6)はこのバードの旅行記をとりあげて,これは人力車夫の職業病にふれたものだとしたが,筆者'7)は当時の日本人の平均寿命が40幾歳という時代で,人力車夫の若死を職業病としてしまってよいかどうかわからないと書いたが,現在の作業関連疾患に関係があると考えてもよさそうである。
横山'8)は当時の人力車夫には「おかかへ」,「やど」「ばん」「もうろう」の区別があるとする。「おかかへ」は月に幾程と約束を定めて紳士の家に「おかかへ」となった者,「やど」とは一名部屋住み車夫で,挽子がこれにあたる。「ばん」とは一定の駐車場に所属する株車夫である。
そして人力車夫中最も多いのが,貧民窟に住んで,車を借り,ひどい者は筒袖股引の衣裳まで借りて働く「朦車夫」で,車の借代は上等10銭,中等8銭,下等6銭で,3,4年前より2銭宛高くなった。この車夫の収入は日によってちがうが1日平均50銭くらいにはなる。
「家に女房あり,子供あり,如何に節約するも四十銭は之を要せん。残れる十銭を以て屋賃,衣服料,子供の小使等を除けば餘す所幾何なるべきか,特に不規則の労働に従ひ不定の収入に服する人力車夫の常として,途中不用の飲食物に金を捨てること多きを思へ、ば,束京市中五萬の人力車夫,知らず一日の生活
まったくもって儲かってないという。自由業ゆえの収入の不安定さまで述べられている。
バードさんに話した内容とは食い違うものがあるのか、やはりこれでも「他よりマシ」レベルの貧困さだったのかもしれない。バードさんに話した人が誰か、あるいは複数の聞き取りをまとめたものなのかはネット上ではわからないが、明治9年東京府管内統計表とほぼ同じ台数を述べておきながらの賃金、寿命への言及をしていたとしたら両方とも正しいと見るかちょっと変と見るべきか。
ひとつ付け加えると引用の横山は1871年生まれで、バードさんが居た時代ではまだ8歳?時代に多少ずれがあることは覚えておく。
あと平均寿命も。19世紀末で40ちょっとというのはわかっていたようなでも結構驚く数字で、重労働できる年齢になって酷使して平均寿命も短いとなると数年が寿命ないし廃業のラインとなるのも一理あるのかなと覚えるしだいだ。
2,3のwebページを見ただけだが、自分の感覚としては5年説はそういう印象が流布程度には信憑性があって、でもまあ誇張や比喩のようなものも感じて100%統計的事実として平均5年で死ぬと言った訳ではないのかな、と受け止めておく。
そもそも(バードさんに)誰が言ったかがわからないので町人の世間話の採集かもしれん。
ひとまず自慢げにトリビアとして吹聴できるレベルではないなと記憶しておく。
そもそも気になった原因の漫画版では、知識階層ではないが勤勉で聡明な作劇上、日本文化を解説する立場のキャラクターが自分の持つ知識としてセリフを披露している。だからまるで歴史的事実のように感ぜられてしまって調べたのだ。
作中では人力車が広まって何年かは書かれていな…かったと思うので、受け取りかたしだいではもう十何年も人力車が続きそのなかでの収束した寿命とも取れかねない印象だった。
原文のもひとつまえの「七年前に発明されたばかりなのに」というセリフも含まれていれば舞台が78年なので即座にまあうろんげだなと留保の立場で流せたのだ。
…
pyro - 火の hydro - 水の dendro - 樹の electro - 電気の cryo - 寒気の anemo - 風の geo - 土の
chrono - 時の
とかもそれか
あっ調べたらいっぱい出てきたわ
petro - 岩石の aero - 空気の photo - 光の thermo - 熱の hypno - 眠気の necro - 死の bio - 生命の toxico - 毒の sophio - 知識の psycho - 精神の helio - 日の astro - 星の neo - 新規の pseudo - 偽の xipho - 剣の
かなり使われてるんだなギリシャ語由来のやつ
興味深いのは、電気の意味だと思ってたし実際その意味で使われてる印象しかないelectroが
さらに調べると琥珀をこすると静電気が発生することから、電気の、という意味に変化してったというトリビアらしい
1へぇ
私は歴史が好きなのでトリビア的な歴史エピソードはだいたい知っているしそれにいちいち心を動かされることはなくなった。
ただそんな中でも「大黒の芝」のエピソードは時々思い出してグッとくることがある。
710年に造られた平城京は、その後長岡京〜平安京と遷都の中で主役の座を譲り、810年の平城太上天皇の変以降は周囲には水田が広がるばかりになっていた。
時は流れて明治時代。関野貞という人物が平城京の跡地を探していたところ、付近の農民たちが「大黒の芝」と呼ぶ小高い場所があることを知った。
関は「大黒って大極殿がなまったんじゃね?」と考え、実際に朝廷の中心である平城京の大極殿がばっちり発見され、現在への史跡整備につながっていく。
1000年以上よく農民が語り継いだなぁと思う。
大極殿の意味は失われたが、音だけが残り、近い言葉で信仰でも身近な大黒になった。
それでも残ったわけだ。実際の建物がなくなっても、言葉の意味が分からなくなっても、それでも残った。
藤原道長とか足利尊氏とか織田信長とか西郷隆盛とか色んな有名な日本史を彩ってきたけど、その一方で誰もしらない農民たち誰もその重要性を鑑みず、ただ土地を示す言葉としてひたすら1000年語り継いできたとものなのだろう。
もちろんここは水田地帯で、おそらく遺構部分は水田造成に不向きのため芝生として残ったという現実的な考え方もできる。
それでも、世の中失われるものはいくらでもある中、なぜか語り継がれ、明治の考古学者のヒントになった。
このエピソードから思うに、自分が何気なく喋ったり伝えたりしているものの中にも、何か未来へ伝えるべき内容(未来の人が知りたい内容)が僅かながら含まれているのかもしれない。
何も知らない農民と同じで、私はそれに気づくことはできないだろうけれども。
彼女とか恋愛とかセックスとかにはかなり興味あるんだけど、デートには本当に興味ない。
なぜかわからないけど本当にデートに関心がないのが弱者男性の特徴だと思う。
「彼女ほしい」「恋愛したい」とかは結構聞くけど、「こんなデートがしたいなあ」は全くと言っていいほど話さない。
デートに関心があれば弱者男性にならないのか、弱者男性だからデートに関心を持てないのかはわからない。
これってトリビアになりませんか?
◆
反応を眺めながら思ったのは「え、デートって楽しくない?」ってこと。
「男にとってデートは関係性の維持やセックスのため仕方無くやるもので、デートがしたい男はいない」みたいな世界観の人が多いみたいだ。
で、多分そういう世界観こそが本文で言及した「特徴」そのものなんだろうな〜って思った。
【追記】9/30 13:46
◆
改めて反応を読んでいると、特に「男女どっちだろうな?」と悩む様子もなく「女性である増田」に対して男性の立場を教えてくれる意見が多いことに気付いた。
ただ、僕は男性なんだ。
どこに行こうかなって考えるのも楽しいし、それを提案したり一緒に話すのも楽しい。
相手はどんなことを楽しめる人かな、とか、この人とあそこに行ってみたいなとか考えるのって楽しい。
◆
あといくつか意見があったのは、「付き合う前のデートは辛い。付き合ってからは楽しい」みたいな意見。
僕がマッチングアプリをしていた頃は初アポから楽しみにしてたタイプで、お昼にカフェごはん行って話したり、夜に居酒屋とせんべろをはしごしたりするのが本当に楽しかった。
評価される側というのはお互い様で、むしろ相手を知ったり自分を知ってもらえることにワクワクしていたように思う。
事前にメッセージと通話をして、会いたいなと思える人と会ってるわけだしね。
結果としてフェードアウトされることも、してしまうこともあったけど、基本的にデートは楽しかったよ。
ここでは関係性の薄い二人のデートってことでマッチングアプリを挙げたけど、学校やバイト先、サークルなんかのリアルのコミュニティの二人でも同じだ。
一時期YouTubeでよく見かけた、微妙な絵に微妙な声が乗ったFlashアニメみたいないわゆるマンガ動画。(マンガといってもマンガのコマが順番に出てくる程度のものから、吹き出しもなく立ち絵がピョコピョコ動くほとんどエロゲのオートモードみたいなものまで幅広いが、とりあえずここでは「漫画っぽいイラストを多用した動画」ということで漫画動画と呼ぶことにする)
フェルミ研究所なんかが大手だったよね。広告として流れる場合もある。
5ch読み上げスクロール動画に毛が生えたような感じで、ネットの体験談やバズったトリビアをサクッと動画にしたようなものも多かったが、オリジナルストーリーを連載するものも結構あって、一部にはコアなファンもついているようだ。ちょっとVTuber文化に近いような感じもある。源流はやる夫スレなんだろうけど。
で、今それがバンバン打ち切りになってるっぽい。やっぱり儲からないのだろうか?今思えばフェルミ研究所は損切りが早かったのか。
「円満解決!閻魔ちゃん」なんか、最終回のサムネがトレス疑惑で謝罪してて、有終の美とは言えなかった。このままグダグダで消えるんだろうなぁ。
https://yutura.net/news/archives/81747
で、連中が次に目をつけたのが韓国風縦スクロールマンガのウェブトゥーンてやつ。マンガ動画には見切りをつけ、これに参入を表明する企業が出始めた。次の狩場はここか。
元々漫画動画はフルカラーで何カットも描かせてたったの数千円など低賃金で問題になってた業界のようだが、そんな体質で参入してやっていけるもんなんだろうか?
しかもだ。YouTube動画には動画マンも声優もいたはず。静止画の縦スクロールコミックにはそれらは必要ないよね。彼らはどこへ行くのだろう。やっぱゲーム?こういうのって時代の徒花だよなぁ。大多数は夢から覚めて日常に戻って行くんだろうか。
ただFlashが死んでも、今アニメや動画業界で活躍してるクリエイターの中には実は元Flash職人なんて人も結構いるから、身体だけは壊さないように気をつけて頑張ってほしい。面白い人ってのは媒体が変わっても生き残るもんだ。面白ければね…。
長浜市の高時川が氾濫した航空写真の件で「あれは遊水地だから洪水じゃない」と言ってる人が多いのだが、あれも洪水です。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/kentaoki/status/1555648450955735040
洪水っていうのは普通水が流れない場所に水が流れてる事をいうので、河川敷の河原が水没しているのも洪水なのだ。
だから元記事の「河川敷も水没」っていう記述に文句言うのもおかしいのである。
そもそも河川=堤防の向こう側=人間の営み無しの地というのは今は常識になっているが、この常識は精々50~100年程度の歴史しかない。
人類文明は有史以来水と戦ってきたが、それは必ずしも堤防で川を閉じ込めるという意味ではなかった。氾濫が頻発する箇所は氾濫するに任せておき、水が少ない季節に洪水で肥沃になった土で農業をするという方法もあった。
田んぼというのはこの最たるもので、田んぼに適した土地というのは要するに河川の氾濫原だ。水も引きやすいし度たびの洪水でぐちゃぐちゃで栄養豊かな土のある平地。
そもそも低地での河川というのは思いっきり出鱈目に蛇行したり枝分かれしたり三日月湖が残って沼になったりと無茶苦茶な流れ方をするもんである。
例えばこれは熊谷の昔の河川状況を地質から推定した地図だが、見よ!この荒川の出鱈目ぶりを!
そもそも真っすぐな箇所なんて皆無だったのだ。真っすぐな箇所は全て明治以降に工事したもんだ。
そのままじゃしょうがないからこのうちのある程度真っすぐな河道を選んで繋げたのが今の荒川だ。しかも江戸初期まで元荒川を流れて幸手とかをぐちゃぐちゃにしていて開拓の邪魔なので切り替えられたのだな。
それでも蛇行しまくりで氾濫起こしてばかりの川から田んぼや集落をを防御しなきゃならない。
そこで河道から1km近く離れた箇所に低い堤防を築き、その堤防の中の田んぼや家の人は洪水の際は泣いてくれやとしたのである。これを「堤外地」と云う。堤防の中が堤外なんだな。
こうすると水の流れが弱まるし遊水地効果で水位の上昇も抑えられるから堤防に対する攻撃性が低くなる。
で、この広い堤外地があってそこが浸水すると当然泣く人も多く出るというのが当たり前の状態だったのを近代的治水で無くして来た、というのが今の状態なのだ。
だから堤外地が浸水するのを「洪水じゃない」と考えるのは現代的治水が頭にあるからなのだ。
一方で霞提というのは近世からある訳で、こっちは「堤防で全てが守られるのが当たり前」じゃない時代のものなので、そのせいで水没した土地を見て「これは洪水じゃない」と言っちゃうわけだ。
非現代のものを見て現代の価値観を援用するので、被害が出て泣く人もいる状況を「洪水じゃないし問題ない」と処理しちゃうのだ。
以上の理由から河川敷が水没するのも洪水であるのはお分かり頂けるかと思う。堤外地があるのが当然だったし今も残るので「洪水」は堤防の向こうこっちを隔てないのでありますよ。
地役権の事を書いてる人もいるが、これは河川工事で誰かの田んぼを遊水地にする時に設定するものだ。
例えば先の荒川でいうと、熊谷~彩湖までの河川敷というのはとても広い。特に鴻巣の辺りは河川敷が2km以上あるのだな。広すぎ!
これはこの広い河川敷を洪水時の遊水地にする為で、大正に工事がされた。
すると当然この中の家の人は田んぼが洪水時に水没しちゃうし、家を建ててもパーになるから建てられない。
こういう時に地役権設定がされるのだ。
地役権は元々、あんたの土地を使わせてほしいから金出すよ、でも工作物とか建てないでくれよって時に、登記簿に設定する民事契約の事だ。水路引かせてとか通路引かせてっていうのが多い。
河川の場合は「この土地は洪水で水没するって使い方させてくれ」っていう国と地主の契約だな。
一方、霞提は近世の仕組みだから、わざわざ地役権設定する動機っていうのがないので、補償を受けらるようにはなっていない可能性が高い。(農協の共済で救済されるが)
という訳で、堤外地と遊水地、地役権といった概念の時代背景がごっちゃになって、古いものを見るのに現代的基準を拡大しているのが誤解の原因と思われる。
昔は河川から離れた個所に堤防を作ったと書いたけど、その跡は住宅地の中の一段高い土地として残ってる事が多い。
宅地化すると土地を均す事が難しくなるのでちょっと高い土地っていうのが残り易いのだな。~~曽根なんて名前の地名があるところはあやしいぞ。
こういう土地はゲリラ豪雨の時にも浸水しにくくてお得なんだけど、その近傍は水がせき止められるので水位が上がりやすく注意が必要だ。
堤外地であっても浸水しにくい箇所と水位が上がりやすい箇所がある。
例えば荒川は彩湖下流の笹目橋付近が狭いのでその下流は水位が上がり難い。また熊谷~彩湖の中流域の堤外地に家やサーキット、教習所がある所もあまり浸水しない。40年くらい水没しなかった箇所が殆どだ。
それで当初は水没して困るものは置かなかったのだが、段々とエアコンとか高価な家電や設備とかを置くようになってしまい…
そこへ台風19号ですよ。当然電気モノは全滅で結構な損害を出したと聞きます。
広い河川敷に普通の堤防と直角の堤防を築いて、洪水時に河川敷の方の流れが連続しないようにする。遊水地機能をアップさせて下流の水位が上がるのを遅らせるようになってるわけだ。
例えば荒川を渡る川越線は鉄橋を渡る前に土手を走るが、実はこの土手、新たに作ったものじゃなくて横提の上を走っているのである。
江戸川区の殆どが荒川破堤時には浸水地域になると区が警告して話題になったことがあったが、荒川は上記の構造により豪雨発生時から水位が最大となるのに1日以上余裕がある。
荒川は堤防のかさ上げ工事を行っているが、ネックになるのが鉄道の鉄橋で、鉄橋の部分だけ堤防が低い状態になっている。
つまり水位が上がると一番危険なのが鉄橋であり、越水、破堤する場合は必ず鉄橋付近から起こる。
以上の為に、水位が上がると鉄道が不通となるので、サイレンがなってからでは電車で逃げる事が出来ないのである。
必ず前日に決断せねばならない。
多摩川の二子玉川駅の真下から南に掛けて、堤防が住宅地の外側にある箇所があった。
元々ここは料亭や芸者屋敷などがある地域で、大正に近代的な堤防工事をする事になったら「堤防で川が見えなくなる、商売あがったりだ」と反対されたのである。
そこでここを堤外地として堤防を築造して、交通の為に堤防に切れ目を入れた。洪水時になりそうなときは2枚の板を入れてその間に土嚢を投入する(角落しという)。
角落しが間に合わない場合はニコタマ全域洪水である。堤外地の料亭群は全部水没して流されてしまうが契約なので仕方がない。
ところがこの料亭群は戦争で早々に潰れて宅地として売りに出されてしまい、危ない住宅地が出来てしまった。
この為に10数年前から新たな連続堤を作っている。つまりこれまでずっとニコタマは水害的に危険な地域だったのだ。
霞提の代表格は信玄提なんだが、甲府盆地は河川の近代化が進んで殆ど連続堤に改修されてしまっている。土地利用が制限されるので発展の障害になっちゃうので仕方がないな。
(1)サッカー選手自身はアレかっこいいと思ってやってるんですか?
(2)「ここでアピールしてファール取れれば戦況有利になるからひと芝居やったるか!」って思ってやってるんですか?
A.やってる。
しかし運営側も問題視してVARが導入されたことで改善されている。
(3)それとも本気で痛がってるんですか?
A.怪我の程度による。
A.一般的にはしない。
(5)小学生くらいからサッカー始めたとして、何歳くらいからああいう大袈裟に倒れて痛いアピールするようになるんですか?
A.個人による。
(6)最初にやったときはやはりちょっぴり恥ずかしかったりするんですか?
A.個人による。
(7)試合後、監督とかチームメイトから「なかなかよかったよ」的な言葉をかけられたりするんですか?
A.人による。
(8)アレにまつわるトリビアがあれば教えてください。
2.ネイマールはダイバーとして有名だがブラジルw杯で相手選手の膝蹴りを受けて腰椎骨折した。その時は動けなかった。
古い時代のサッカーではファールの基準が厳しく、結果として苛烈なタックルで大怪我を負い選手生命が絶たれる選手も多かった。
また優れた選手をファール覚悟で止めることは個人戦術の共通理解となっている。
そのため、しっかりとアピールをして審判からファールを貰わないと削られ放題になる。
そして転がるのは柔道で言う受け身の役割があり、怪我を予防を兼ねている。(ネイマールとかは大袈裟すぎるけどね。)
もしダイブをせずにチームが敗北したのならば干される可能性がある。
また治安が悪い地域にいる選手ならば生命の危機に晒される場合もある。
あとダイブの話になると転がる側が問題視されるけど危険なタックルに笛を吹かない審判や危険なタックルを行う選手には全然フォーカスされないよね。
連れ去りするのはだいたい女、これってトリビアになりませんか?
プロではないけれど学生時代に選抜される程度には熱心にボールを追いかけていた私がお答えしよう!!!
(1)サッカー選手自身はアレかっこいいと思ってやってるんですか?
➡️特に何も考えてないぜ!!
君が息をすることを意識しないように、ほぼ無意識でイタイイタイ出来るんだっ
(2)「ここでアピールしてファール取れれば戦況有利になるからひと芝居やったるか!」って思ってやってるんですか?
➡️その通りだぜ!!
普段の練習から「お、ここファールチャンスやん!」と腕を磨いているんだ!
(3)それとも本気で痛がってるんですか?
でも稀に痛い。超痛い。でも誰も信じてくれない…。
➡️するぜ!!
といっても、友達とのふざけ合いとか、有名選手ファールの真似っこでやる感じだぜ!
(5)小学生くらいからサッカー始めたとして、何歳くらいからああいう大袈裟に倒れて痛いアピールするようになるんですか?
高学年にもなるとみんな悪知恵も付き始めるからね!
ピュアな子ほど転ばすに頑張ろうとしているから、応援してあげると嬉しいぜ!
(6)最初にやったときはやはりちょっぴり恥ずかしかったりするんですか?
➡️うん…。
(7)試合後、監督とかチームメイトから「なかなかよかったよ」的な言葉をかけられたりするんですか?
➡️その通りだぜ!
そのファールから点が決まったり失点を阻止したり、チームの勝利に貢献したときは評価を得るぜ!
(8)アレにまつわるトリビアがあれば教えてください。
➡️まあ、見苦しいよね、ごめんね。
しかしながら「プレイヤーの相互監視によって危険行為のデメリットをより高めて、選手が積極的に安全にプレイする」システムなのよ。
ちょっとでと違反行為したら不利益をもたらす仕組みをみんなでつくってるのよ。
審判を子供にやらせたり、ルールがよく分かっていない方が審判すると『肘で腹を打つ』『スパイクで足の露出部を狙う』『倒れ込むときに膝で潰す』など腐れ外道のクソ野郎が悪事を働くのです(恨)
もし貴方が許せるのであれば、選手がアレしたときには「あぁ可哀想でちゅね〜」「イタイイタイでちゅね〜」「わぁ!自分でおっきして偉い偉い」とあやしながら鼻で笑っていただけば幸いです😌
プロではないけれど学生時代に選抜される程度には熱心にボールを追いかけていた私がお答えしよう!!!
(1)サッカー選手自身はアレかっこいいと思ってやってるんですか?
➡️特に何も考えてないぜ!!
君が息をすることを意識しないように、ほぼ無意識でイタイイタイ出来るんだっ
(2)「ここでアピールしてファール取れれば戦況有利になるからひと芝居やったるか!」って思ってやってるんですか?
➡️その通りだぜ!!
普段の練習から「お、ここファールチャンスやん!」と腕を磨いているんだ!
(3)それとも本気で痛がってるんですか?
でも稀に痛い。超痛い。でも誰も信じてくれない…。
➡️するぜ!!
といっても、友達とのふざけ合いとか、有名選手ファールの真似っこでやる感じだぜ!
(5)小学生くらいからサッカー始めたとして、何歳くらいからああいう大袈裟に倒れて痛いアピールするようになるんですか?
高学年にもなるとみんな悪知恵も付き始めるからね!
ピュアな子ほど転ばすに頑張ろうとしているから、応援してあげると嬉しいぜ!
(6)最初にやったときはやはりちょっぴり恥ずかしかったりするんですか?
➡️うん…。
(7)試合後、監督とかチームメイトから「なかなかよかったよ」的な言葉をかけられたりするんですか?
➡️その通りだぜ!
そのファールから点が決まったり失点を阻止したり、チームの勝利に貢献したときは評価を得るぜ!
(8)アレにまつわるトリビアがあれば教えてください。
➡️まあ、見苦しいよね、ごめんね。
しかしながら「プレイヤーの相互監視によって危険行為のデメリットをより高めて、選手が積極的に安全にプレイする」システムなのよ。
ちょっとでと違反行為したら不利益をもたらす仕組みをみんなでつくってるのよ。
審判を子供にやらせたり、ルールがよく分かっていない方が審判すると『肘で腹を打つ』『スパイクで足の露出部を狙う』『倒れ込むときに膝で潰す』など腐れ外道のクソ野郎が悪事を働くのです(恨)
もし貴方が許せるのであれば、選手がアレしたときには「あぁ可哀想でちゅね〜」「イタイイタイでちゅね〜」「わぁ!自分でおっきして偉い偉い」とあやしながら鼻で笑っていただけば幸いです😌
かっこいいというよりは、勝負に勝つため。
そう。攻めている時でも守っている時でも、勝利しようと思えば思うほど、有効な戦略になることが多い。
(3)それとも本気で痛がってるんですか?
痛い時もあるけど、痛くない時の方が多い。
したことない。遊びでやる事はあるけど、試合になると誰でもできると思う。
自分が勝負にこだわるようになったのは、中学生くらいからだから、中学の時に外部のチームと試合する時には、すでにやってたと思う。
小学生くらいの時には、痛がるどころか倒れるのすらダメだと思っていた。
気づいたらやっていた。試合中、何がなんでもこいつらに勝つぞ、と思ったら体が勝手に演技してた。というか「いたっ」とか「おー」とかの声が腹の底から出ていた。
自分の場合、審判と試合の流れを見た上でやるので、笛吹かなければすぐ立ち上がるし、恥ずかしくもない。
(8)アレにまつわるトリビアがあれば教えてください。
倒れたからにはファール判定にしてもらわないと、自分の守備エリアを相手に空けてしまうことになるんで、ファール判定確率を上げる「痛がる演技」はすごく重要。
ボランチやセンターバックがファール受けたアピールする事はそもそも少ないと思うけど、もしアピールしてるとしたら、審判だけではなく仲間へのアピール(俺はやられたからあとは任せた)にもなっている。
「痛がる演技」にはそこでプレイを止められる意味、その瞬間の守備陣形、その後の仲間からの信頼低下などの様々な状況を加味した上でのアクションだと思ってみると、その意味が理解できるかもしれません。
サッカー選手がほんのちょっとした接触で、場合によっては接触していないにもかかわらず、大袈裟に倒れて痛いアピールしてファール判定をもらおうとするあの一連の仕草。
ほんのちょっとに見えるのかもだけど痛いもんは痛いという前提を持って欲しいんだけど。
んなわけねーだろ
だいたいこれ。有利な位置でフリーキック欲しいし、ペナルティキックだったら最高だし、守備の時だったらプレーを切りたいの。
(3)それとも本気で痛がってるんですか?
だいたいの場合は本当に痛いんだよ。どのくらい痛みに耐えてプレーを続けるかは人による。
敢えて練習したりはしないけど気付けばなんか身についてる
人による
プレー中に対戦相手と「さっきの実はあんま痛くなかっただろ」とか言われる・言うことはある。
(8)アレにまつわるトリビアがあれば教えてください。
「本当にマジで一切接触してないのに完璧なダイビングをして相手を退場させた」
事件があった。
サッカー選手がほんのちょっとした接触で、場合によっては接触していないにもかかわらず、大袈裟に倒れて痛いアピールしてファール判定をもらおうとするあの一連の仕草。
(1)サッカー選手自身はアレかっこいいと思ってやってるんですか?
(2)「ここでアピールしてファール取れれば戦況有利になるからひと芝居やったるか!」って思ってやってるんですか?
(3)それとも本気で痛がってるんですか?
(5)小学生くらいからサッカー始めたとして、何歳くらいからああいう大袈裟に倒れて痛いアピールするようになるんですか?
(6)最初にやったときはやはりちょっぴり恥ずかしかったりするんですか?
(7)試合後、監督とかチームメイトから「なかなかよかったよ」的な言葉をかけられたりするんですか?
(8)アレにまつわるトリビアがあれば教えてください。