はてなキーワード: アニメーターとは
なんかこういうのが見たいんじゃないんだけどなぁって感じなんだよな。
サブカル臭かったり、一般ドラマの延長線みたいなのだったり、劣化ジブリだったり。
アニメで見たいのって、かっこいいバトル演出!爽快なアクション!って感じじゃないの?
鬼滅や呪術がウケたのって原作の評価もあるにせよ、そういうのを見せてくれるからじゃないのか?
カッコイイを詰め込んだデザインのキャラたちが戦い、ちょっと陰のある物語を描きつつ、クライマックスはカタルシスのある覚醒!アニメーターの渾身のアクション!BGMとの同期がバチっと決まって1000回見返したくなるような爽快感!叫ぶ声優!激しいがその声は心地よい!ピカカッ(絶妙な間)チュドドドカーン!気持ち良いタイミングでブワーッ!イケメンキャラの顔がサワー!ウオオオー!グワー!すげー!かっこいい!かっこよすぎるっ!すごい!みんな見ろっ!って言いたくなるようなさぁ、そういうのを作ってほしいんだけど。
アニオタの大嘘にアニメは世界的に認められている。でもアニメーターは貧困でこのままだと国益に損失だから保護しろという主張
これを20年以上近くアニオタは言ってきてるがまったくの欺瞞だね
アニオタはアニメーターが貧困なのは製作費を電通なんやらが中抜きしているからだという大嘘を言ってきた。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1706/18/news001.html
しかしこの記事にある通りそれはまったくの大嘘であるというのが数年前にバレている。
君の名は。がヒットだの鬼滅がヒットだの呪術廻戦がヒットしているのになんでアニメーターが報われないのはなぜだみたいな疑問を呈しいるが
その答えは記事にも書かれてる通り10本つくって9本外れで1本のヒットで他の赤字をカバーしているからという単純な話だった。
要は出版不況と同じでアニメ会社が増え過ぎてアニメをつくり過ぎた結果が今の悲惨な現状なわけでありアニメ業界の自業自得であるわけだ
それをアニオタは完全スルーして中抜きされてるだの不当だと騒いでいるわけだ。
挙句、アニメーターを国で保護しなきゃ国益に損なうだの中国に乗っ取られるだの騒いでいる。
結論から言うとアニメに税金を1円たりとも使う必要はない 中国に乗っ取られるのならくれてやればいい。
そもそもアニメやアニメーターを助けたければ円盤を買えばいいことそれが一番
ところがネットに蹂躙跋扈しているアニオタはソシャゲや薄い本に金は出すけど円盤にまでに金を出していない
結局のところは自分らの懐は痛めたくないけどアニメはみたいので税金で支援お願いしまーすって言ってるわけだ
もちろんこんなふざけた主張に耳を貸す必要はない税金を1円足りも使う必要もない
そもそもこんな現状を招いたのはアニメーターの自業自得だし、やつらとリアルで会う機会もあったけどアニメのことしか知らないような世間知らずが多い
こんな連中が上行けばそれはダメになるってのがよくわかる。
一般社会のメーカー会社が物だけつくってればいいなんてのはとっくに過去の話で広告やマーケティング、販売販路の確保、営業etc それぞれをきちんとこなしていかなければ成り立たないのは常識のことなのに
アニメ業界はただTV局の言うままに製作したり、漫画原作のアニメ化してきただけ こんなことしてれば時代についていけず苦しくなるのは当然なんだよ
むかしむかしある所に、三匹のサクブーがいました。
三男豚「(作画を)語らざる!」
ある日三匹は、荒れ果てた「作画を語るスレ」を捨てて、独立することを決心しました。
長男の豚は、Twitterのサクブーと楽しく暮らしたいと思いました。
次男の豚は、海外のサクブーとSAKUGAフレンドになろうと思いました。
三男の豚は、エロ絵を練習して同人で年収1000万円になろうと思いました。
長男の豚は、最初はおとなしくTwitterで暮らしていましたが、徐々に攻撃的なツイートを連投するようになったので、周りと揉め始めました。それで、自分の優秀さを愚民どもに見せつけてやろうと思って「このカットは明らかに○○さんの作画。このシワとエフェクトが特徴的」とか解説するのですが、Twitterにいるアニメーター御本人に「あー、そのカット描いたの俺じゃないです(^_^;)」とかツッコまれてしまう始末。そんな失態と暴言を繰り返すうちに、いつしかフォロワーの9割にミュートされてしまいました。その後、作画は語りたいけどツッコまれるのは恐いので、ポエム的なふわっとしたツイートとサザエさんの実況だけするアカウントになりました。
次男の豚は、さっそく英語と中国語の教科書を買ってきましたが、あっという間に挫折しました。彼の部屋には、英語の教科書と中国語の教科書と液タブとデッサン人形とたくさんの絵の教本と原画集とポーズ集とアニメーター同人誌がありましたが、なにひとつ役に立っていないので、ひどい無力感に襲われました。また、海外のサクブーは母国語と日本語が堪能で、作画も語れて絵もそれなりにうまいという高学歴エリート集団でした。それで、次男は嫉妬に狂って外国を憎みはじめ、最終的には「海外の反応まとめ」を見て「日本凄い」だけ言う生き物になってしまいました。
三男の豚は、一念発起して「なぞるだけで絵がうまくなる」というドリルを買ってみました。しかしすぐに、なぞるのだって簡単じゃないと気づいてしまいました。それでもう絵の練習は止めて「作画を語るスレ」に帰ろうかとも思いましたが、「女の子の匂い好きすぎてつれえ;;」「エイトフォー買ってきな;;」みたいなアニメと無関係な書き込みばかりで居場所がありません。しかたなく、コツコツと絵を描き続けました。そうこうするうちに金田伊功が好きだった昔の気持ちを思い出し、数年後にはプロのアニメーターになりました。そして「あー、そのカット描いたの俺じゃないです(^_^;)」と長男豚のまちがいツイートにリプライするまでに成長したのでした。
(終わり)
2人目が身に覚えあって、増田でもブコメでも自己中なんて評価あってまじか…となる。
まじかってなった人いたから茶化した返歌もあったりしたんだろうけど。
全国転勤である仕事を選んだ自分なので、ミスマッチとなる人が多いのは仕方ないと諦めつつも、条件に合致した人がいたらいいなと思い結婚相談所に登録しようか悩んでるところ。
大学時代は9割男性だったしいかにも○大生って感じの青春を過ごした。
職場は9割男性だし、金融みたいに同じ職場に若い男女いないし、工場勤務でもなく、給料は凡だ。
自分の育った環境が共働き親だったこともあり、その記憶から、この給与体系では専業は生活の質が容易に悪化することが想像される。
子を自分よりもさらに幸せにしたいという欲求を満たしたく、土地を気にせず共働きしてくれるor各種行政補助の諸手続きに明るく資産構築ができるor私のアーリーリタイアを許してなお余裕のある年収の方を探したい。
この要望は、家庭を持ちたいなんて欲求を持つ者が本来に持つ自己中性から逸脱した要求なのだろうか。
むー。
フリーでやってけるようなアニメーターさんだとか、自宅で受注できるようなwebさんとか、勤務先変わってもいいよっていう優しい看護師さんとか、なんか頭良いさんとか、普通に過ごしていて出会えぬ。
婚活市場では人気の安定職?らしいから、やっぱ相談所行ったら出会えるのかなぁ。
私から出せるのは安定した年収とぷにぷにしたお腹と突発的な障害対応能力とご飯幸せに食べる顔とやれと言われたらはいと言う消極的素直さと自然科学に対する好奇心。
登録、悩むー
──「富野由悠季の世界」展を拝見して、富野由悠季監督のキャリアをあらためて振り返っていただくと、ご自身でも言及されているように『機動戦士Vガンダム』以降のお仕事はフェーズが変わったのではないかと感じられます。それまでほぼ毎年のようにオリジナルアニメの新作を手掛けていた富野監督が、新作から数年遠ざかり、久々に発表された作品が『ブレンパワード』でした。ガンダムシリーズから新たな路線に踏み出したのは、何がきっかけだったのでしょうか。
富野:『ガンダム』を20年近くやってきて、はっきりと行き詰まりを感じました。行き詰まりを感じた一番の理由が「ニュータイプ論みたいなものを立ち上げておきながら、それをハウツーとして示すことができなかったこと」です。『ガンダム』をやっているうちに冷戦は終わったのだけれども、じゃあ冷戦が終わったからと言って世界中がまとまっていくかというと、まとまってはいかなかった。具体的に言うと、それぞれ主要国家のトップにいる人物たちが、必ずしもニュータイプ志向を持ってる人ではなかったという現実を突き付けられたからです。それで挫折するしかなかったということです。
だからもう『ガンダム』をやっていられないと思った。あと、『ガンダム』は構造だけで見ると、旧来の戦記物に則っているわけだから、戦記物ができる人や好きな人に任せれば良いと思いました。20年くらいやってきて、戦記物はやっぱり体力的に若くなければできないということもあって、年を取ってから戦記物をフォローしていくには、古代史を扱うような歴史的な学識を持つ必要があるということが分かってきた。そこでどうしようかなと考えたときに『ブレンパワード』に行きついたということがあります。
――今、富野監督は「ニュータイプ論のハウツーが確立しなかった」ことに挫折を感じたとおっしゃいました。富野監督は人々の多くをニュータイプにしたかったということなのでしょうか。
富野:いや、多くの人だけではありません。人類そのものがニュータイプにならないと、これ以後一万年という単位で人類は存続しない、人類を存続させるためには人の革新……というよりも、社会の革新をしなければならないんだと考えています。ですから、総体がニュータイプにならなければいけないということです。
――富野監督はガンダムシリーズでニュータイプを新しい感覚を持つ人類として描いています。劇中では、ときには距離や時間を超えてさまざまなことを感知したり、意思疎通をしたりする。具体的にはどんな人間の到来を期待していたのでしょうか。
富野:それについては、実はこの数年で具体的にニュータイプが現われたということが分かりました。
――なんと…! それはどんな人なのでしょうか。
富野:将棋の藤井聡太竜王とか大谷翔平選手です。将棋も野球の世界も勝負事です。何億通りの手がある中で、藤井竜王は勝つ手を選ぶことができる。僕は将棋のことがまったくわからないけれど、「この人がニュータイプなんだ」ということがわかった。それに気づかせてくれたのは先代の竜王であり、永世七冠である羽生善治さんの言葉です。羽生さんは、藤井竜王のことを「自分があまり見たことのない局面でも対応力というか、適応力みたいなものが高い」と評していまする。天才が、新たに現われた天才のことを評価しているんですよ。
大谷選手は大手術を受けた後でも基本的な身体のケアをつづけ、社会人としての基本としての勉強をつづけています。しかも壁を相手に投球練習は毎日つづけている!! 彼のスポーツマンとしての基礎の積み上げこそニュータイプ的と言えます。時代の移り変わりとともに、レベルの違う才能と人物が出てくるんだと感じられる好例です。ほかにも、工学の部分でも蒙が啓かれるような事例を承知しています。それは電動航空機の開発です。まだ決して大型機ではないのだけれど、それがすでに開発されているということは、僕のような世代にとってはもう腰が抜けるような事例でした(2018年7月、JAXA、航空系企業、電機系企業、経産省が航空機電動化コンソーシアムを設立)。工学や電気関係では、そういうことが起きている。そういう開発者たちは30代や40代だろうと思うけれど、彼らのような人たちに続く若い世代は、さらに違うものを作ってくれるでしょう。
――新しい想像力を持った人たちが、新しい時代を切り開く。富野監督が待ち望んでいたのはそういう方々だったんですね。
富野:藤井聡太竜王や大谷選手を見ていると、ギトギトしていないでしょう(笑)。ギトギトした人間が何億人もいたら、地球が潰れていくんです。ニュータイプにならなければ、地球は保全できないという考え方は、つまりそういうことです。おそらく、あらゆるジャンルの新進、若手の世代はこういう人たちがいるだろうと思います。僕がとくに想定しているのは現代のコロナ禍を経た、現在5歳や6歳の子どもたちです。免疫学的にも、彼らの中からニュータイプが出てくるのではないか。そういうふうに期待をしています。
『ブレンパワード』以降は、「当たり前に暮らすということの重要性を、アニメでもやるべきなんじゃないの?」という思いが大きくなった
――『ブレンパワード』についてもう少しお聞かせください。『ブレンパワード』の制作前は、ニュータイプにたどり着けなかった挫折感があったということですが、その中で富野監督が『ブレンパワード』にたどり着いたのは、どんなことがきっかけになったのでしょうか。
富野:挫折感から、僕は鬱病を患ってしまって、一年近くほとんど外に出られなかったんです。そこからリハビリをしていく中で、何を考えるかというと「なんで人間は鬱になるのか」ということでした。そこでたどり着いた答えは、健全、つまり普通の生活をしないと鬱になってしまうんだということです。それだけのことだと思ったんです。この健全とは何かというと、自分ひとりだけの問題じゃなくて、親子関係、子どもから両親がどう見えているか、周囲の人間関係も含めてのことです。普通であるということ。そういう当たり前の環境を維持するということ、それが人の暮らしにとって一番大事なんだということがわかった。
そのときに企画していた作品のタイトルが『ブレンパワード』だった。ブレーンという言葉を使うことで、知的な方向に行こうと思っていたんだけど、「いや、そうじゃないんだ」と。知的な回路を形成するためには、当たり前の健全な生活をしていないとやっていけないんだとわかった。じゃあ、その最もシンプルな話、つまり親子の関係を正面切ってやってやる、と思ったわけです。それで主人公たちの家庭環境(主人公の伊佐未勇とクインシィ・イッサーの姉弟は、研究者である父母から顧みられなかった)やジョナサン(・グレーン)みたいなキャラクター(優のライバル。ジョナサンは母のアノーアに屈折した愛情を抱いている)ができあがったんです。だから、東京が水浸しになっている、みたいな話がやりたかったというわけではないんです。
――地球の各地が自然災害で荒廃しているという『ブレンパワード』の世界観は、当時としてもインパクトがあったと思います。
富野:なんでああいう設定がいるのかというと、要は「アニメとしてのだまし絵」なんですよね。その設定があったほうが、アニメっぽく見えるから。あくまで技法論にすぎなくて、別に水浸しになった事件を描くわけではない。そうではなくて、ものすごく簡単に言っちゃうと「ママは僕のことを優しく育ててはくれなかった」という親子関係のことをドンとやっちゃうことが、一番良いことなんですよ。そういうものをアニメとして描く中で、もう少しだけ、リアルなものと接触できる作品を作れないかと思っていたんです。
――人間関係の中でも一番シンプルな「親子関係」に焦点を当てることで、普通のこと・健全なものを模索しようとしていたんですね。
富野:先ほどの質問に基づいて言うと、『ガンダム』は旧来のメカもの、戦記物の体裁に則っている部分があるんだけど、『ブレンパワード』以降は基本、心の問題……つまり「当たり前に暮らすということの重要性を、アニメでもやるべきなんじゃないの?」という思いが大きくなっています。僕が「『ガンダム』の富野」だったことで、ずっとそれができなかった。『ガンダム』の後期では自分でプロダクションを立ち上げて、新たな作品に出資しようと考えたこともあったけれど、僕にはそれをするだけの能力がなかった。実務者になれなかったという自分の能力論もあったうえで、スポンサーに理解してもらえるように、永野護くん(メインデザイン)に手伝ってもらったりして、なんとか『ブレンパワード』をかたちにした、ということです。だから、中途半端なところはあると思いつつ、とにかく『ガンダム』から脱出するための作品でもあったとは言えます。
思想や理念があったから、技術者たちを動かすことができた。だから、アニメのことだけを考えていたらダメなんです
――『ブレンパワード』ではメインデザインのいのまたむつみさん、永野護さん、音楽の菅野よう子さんといったベテランだけでなく、脚本の浅川美也さん、カナン・ギモス役の朴璐美さん、のちの『∀ガンダム』ではデザイナーとしてゲーム業界から安田朗さんといった才能を、アニメ作品に起用しています。その背景には、富野監督にとってはどんな思いがあったのでしょうか。
富野:これは『ガンダム』から教えられたことです。僕がやったことではなくて、当時の録音監督(松浦典良)の采配で古谷徹さん(アムロ・レイ役)と池田秀一さん(シャア・アズナブル役)を呼んでくれた。他の声優さんも、声優専門ではない方が多かったんです。そういう人選を見せられていましたから、それこそ20年30年経てば今度は僕がやらなければいけないことだろうと、当たり前のように思えたわけです。それでやってみたというだけのことです。むしろ思ったよりも、それが成功していないという意味では、本当に人を見る目がない、育てる力がないという自覚をしています。
――富野監督作品参加以後も、みなさん大きな活躍をされています。
富野:結局、上手く行っている人たちっていうのは、もともとそういう才能を持っていたんですよ。全部、彼ら彼女たちの力なんです。僕が彼らに刺激を与えたとか、インプットしたという記憶はあんまりありませんね。人を育てるということは、本当に難しいことです。これはわからないんですが、おそらく触っちゃいけないんです。触らないで、出会ったときの関係で、その人の持っているものを見つけだす。それ以上のことをしては絶対にいけないんです。これは実をいうと、愛の問題にもつながってくるんです。
――愛ですか!!
富野:愛し合っちゃうと、一点しか見えなくなるんです。正しく接することができなくなる。その瞬間にとらわれてしまって、相手が今後どうなっていくのかを考えられなくなる。正しい距離感で、この先を考えて相手と正しく接していくものでしょう。ちゃんと愛を育むことが大事なんです。
――そういった愛のお話は教育論にもつながりそうですが、そういった考えは、富野監督はアニメ制作の中でお気づきになり、考えを深めていかれたのでしょうか。
富野:もちろんです。僕は基本的に絵を描けないし、原画や動画を今もチェックしているのですが、腹が立ちますもん。「なんでアニメーターは画が上手なんだろう」「なんで線が綺麗に描けるんだろう」って。しかも、彼らは平気で何十枚も描いてくるんですよ。
――ははは。
富野:でも、そういう優れた技術を持っている人たちがいるから、僕は作品を発表できるのであって、技術を持っている人たちの総代に立つには、技術論ではなくて、理念を持たなければいけないわけです。そういう思想があったから、ここまでやって来られたんでしょう。
――思想があるから、約50年にわたるキャリアで監督として活躍してこられたとおっしゃるわけですね。
富野:思想や理念があったから、技術者たちを動かすことができた。だから、アニメのことだけを考えていたらダメなんですよ。「マンガ絵が好きだからって、マンガが描けると思うな」という考えにもつながります。この話って、何にでも通用するでしょ? 僕が文化功労者のお礼のコメントの中に「アニメのストーリーテリングは万能である」と書いたけれど、そういうことなんです。あれは良い文章になったなと思っています。僕がアニメの制作を通じて描いてきた思想は、どんなものにも通じる。それがあるから作品に公共的な意味が出るんだと思っています。
お風呂上がりに自分の姿を鏡でふと見たときに、そういえばアニメの乳揺れってリアルじゃないなと思った
ファンタジーだからそもそもリアルである必要もないんだけど、なぜわざわざリアルでない描写になったのだろうか
乳揺れを描写するアニメーターさんは多分男性のことが多くて、そして彼らに女体を見る機会が足りないわけじゃなく、むしろ一般的な女よりもAVとかで本物の乳揺れをまじまじと観察しているはずだ
これらをふまえると、つまり意図的にデフォルメされてるということなんだろう
リアル乳揺れよりも理想化された乳揺れが存在するんだなあなどと勝手に納得した
胸は大きい小さいだけじゃなくって、揺れ方にも好みとかあるんだろうなあ
自分でやるとヒットしないんだよね
絵は天才的に上手いんだけど
アリオンは当たった方なんだろうか
ヴィナスとかスゴいんだけどね…
ゴーグで失敗したと思ってアニメ業界から撤退して漫画家になった気がする
なんかあんまり記憶がないというか、起伏がないというか、大風呂敷広げない
富野は大風呂敷広げて、意味深に思わせといてボカシてそのままにする気がする
というか、それはエヴァもそうだし、ツインピークスというかキューブリックっぽいのかも
本当は裏側は空っぽなのに、なんかスゴいものが詰まってるように見せる
オズの魔法使いじゃないけど
安彦さんは根が真面目なんだろう、その裏側にも詰めてしまうので、
だから、ガンダムORIGINもやっぱり蛇足感が否めないというか、
あまり裏側を詰めすぎると、裏側が見えないけど期待だけデカかった頃に比べると、
なんか、その歴史の裏側がこんなに小さくまとまってていいんだろうか、
そうならないように苦労しただろうというのは見えるのだけど、
所詮フィクションだし、漫画ではなくアニメなので、動きや見た目が重視されるわけで、
ORIGINは富野ガンダムに比べると絵は格段に綺麗だけど、凄く地味に思える
あと、ゴーグのデザイン見てると、やっぱりガンダムのデザインは安彦さんだよね
大河原氏はファーストガンダムの時点ではガンダムのデザインに貢献してない
本人も最近になって言うようになってきたけど、僕が貢献したのはザクです、だよね
玩具会社の意向も含めてああまとめ上げたのは本当にすごいと思う
多分、モビルスーツという名前通り、本当はテッカマンとかHALOみたいなサイズで、
それをスポンサーに巨大ロボットにしろと言われたんだろうけど、
名前そのまんまにした方がかえってその違和感が味になってしまった感がある
偶然も手伝って、汚いテレビの作画を一部修正して編集して劇場版にするとか、
ああいうのは安彦さんにはなんとなくできないというか、
全部やり直しそうなタイプに思える
そういえば、いしかわじゅんだったかに安彦漫画が酷評?されてたけど、
なんとなく言いたいことは分からなくもないところもあって、
要はいわゆるベタな漫画的表現というか、流線があったり、ベタウニフラッシュがあったり、
ジョジョのゴゴゴゴゴみたいな露骨な擬音を使ったり、そういうのがない
アニメーターだからでもあるんだろうけど、アニメの作画を描いてる感がある
当然、中割の動画はない
しかし、アニメーターの漫画は酷い、特にコマ割りが酷い、という法則があって、
例えば結城信輝のヴェルバーサーガ?だったか、絵は上手いけどコマ割りが酷い
というか、もっと酷い人が普通で、アニメーターの人はコマの中の絵をちゃんと描こうとしてしまう
それよりもコマ割りが重要というか、漫画の文法が重要というか、
文法がちゃんとしていれば、コマの中の絵は意外といい加減でもいいというか、
だから、漫画が天才的に上手いのに、一枚絵はう〜んという漫画家は逆にまた多い気がする
そういう感じなので、安彦氏の漫画は漫画の文法には沿ってるし、コマ割りはおかしくない
たしかに独特な乾いた感じがあるが、それは個性というものだろう
宮崎駿のナウシカでさえ、コマ割りというか漫画の文法的にう〜んはときどきある
コマの順番が混乱する箇所があった気がする
漫画家はコマの順番を重視して、読者が読む順番に困らないようにして、
コマの中の絵はどうせ読み飛ばされるのだから、ある程度手を抜いて描くものである
そのへんを両立させてしまったのが大友AKIRAとかなんだろう
あの時代は漫画の作画コストが肥大してしまった一因だと思ってる
そして、それが今のパソコン時代になって楽になっているかというと、
未だに液タブにガリガリ描いて腱鞘炎にまでなってたりするというのが、
意外と現状だったりするのではないだろうか
みたいになる日が来るのかもしれないが、
なんとなくだが、それはそれで納得できない絵が出てくる気がするのである
悪夢のような絵が出てくるのではなく、AIがちゃんとした絵を出力するのだろうけど、
それでもワナビーとして絵を描いてる自分がそれで納得するのか甚だ疑問なのである
というのが楽しいというか、肝なのであって、
例えば、AIが自動作曲してくれて、それが素晴らしい曲だとして、
それが自分の脳内のイメージと直結しているわけではないわけで、
オチはない