はてなキーワード: 青春とは
テレビドラマや青春映画に出てるような若手俳優でなく、いわゆる2.5次元舞台などでラケットを振って踊ったりするような若手俳優だ。
数いる若手俳優の中でも自分より2つ年下のAくんが大好きだった。
Aくんの舞台やイベントには、東京公演はもちろんのこと地方公演もほぼ全て通うほど、何よりも優先させてきた。
推しはだれ?って聞かれたら、もちろんAくんって答えていた。
もちろんわたしも行った。
イベント終了後、いつも通り連番していたオタク友達とそのままオフ会を行なった。
友達と別れ、1人で駅に向かっている最中に目の前にある人を見つけた。
「お疲れ様です、Bさんですよね?今日のイベント参加してました。とっても楽しかったです」
ありがとう、と足を止めて話を聞いてくれたBさんだったがかなり顔が赤くなっていて酔っ払っていた。
あとから聞くと、イベント終了後出演者たちは打ち上げを行い、その場でかなり呑んでいたとのこと。
酔っ払ってない、まだ全然呑み足りないくらい、このまま呑みいっちゃう?と誘われた。
一瞬でわたしの酔いが覚めた。
このままBさんと呑みにいき、うまく行けばAくんと繋がれるかもしれない、と脳内で計算式が駆けめぐった。
「わたしもまだ呑み足りなくて」
じゃあ行こう、と歩き出したBさんの後をついて行き居酒屋のようなカラオケのような個室に入った。
別にエロいこともせず、今日のイベントのことなどで盛り上がった。
そこでBさんがわたしに、絶対俺のファンじゃないよね?Aくんのファンでしょ?っと投げかけてきた。
「Aくん目当てで今日のイベント参加したんですけど、Bさんがほんと面白くて一瞬でファンになっちゃいました」
それを聞いたBさん気を良くし、じゃあAくんをこの場に呼ぼう!と言い出した。
電話をかけるBさん。
電話が切れた。
数十分後、扉が開いてやってきたのはもちろんAくんだった。
わたしを一目見て固まった。
Bさんは、わたしがAくんのファンだって伝え、Aくんも知ってますよと答えてくれた。
それだけですごい嬉しかった。
帰り際、酔っ払ってるBさんを先にタクシーに乗せ、路上でAくんと2人きりになった。
ごめんね、とAくんが謝ってきた。
迷惑かけちゃったね、先輩に呼ばれたから行かなきゃと思ってきたけどまさか○○ちゃんだと思わなかった、と。
終電もなくなり、タクシーで帰るには遠いわたしが困っているとAくんはうち来る?と言ってきた。
断れるはずもなく、そのままAくんの家で朝を迎えた。
どんな顔して行けば良いのかわからない。
でもAくんのプライベートで会えるようになった。
彼女になれないもどかしさがあったがセフレで充分だと思っていた。
でもAくんの舞台を見ることが生きがいだったわたしが、自分の愚かさで生きがいを殺していた。
AくんともBさんとも関係を切った今は、別ジャンルの芸能人のファンとして生きている。
新しい生きがいを見つけ、毎日が楽しくなった。
Aくんの活躍も別ジャンルながら、毎日のように聞く。わたしがファンだった時も人気だったが、さらに有名になっているらしい。
純粋なファンとしてまたいつかAくんの舞台を見に行ける日が来ることをまっている。
ヤマもオチもないお焚き上げの話。
当方27歳女。
相手27歳(数え)男。
その昔いにしえの小学生時代、クラスの連中から冷やかされるようなあまずっぱい関係だった。
わたしはその頃の気持ちがずーっと忘れられず、中学に上がり彼に彼女ができても、高校に上がり彼と進路を別っても、大学に上がってお酒やいろんな楽しいコトを覚えても、心の片隅に居座る消えない懸想に引きずられて生きてきた。
卒業後も、彼の誕生日は毎年メールを送った。たまにクラスの同窓会では顔を合わせた。それだけのかすかなつながりの中でも好意が薄らぐことはないどころか日増しに増していった。きっとこの人以外に心奪われることはない、そういう人生なんだろうと開き直っていた。われながらアホすぎる青春の浪費である。
そんな彼と、就職後に再会した。
お互い就職した業界が偶然にも近かった。そのことを人づてに知ったわたしは、それを口実に彼を夕食に誘った。
そしてその晩、初めて彼に抱かれた。
ここまでド純情っぽい文章を書いておいてなんだが、彼以外に恋できない人生だと開き直ってからは、わたしも相当奔放に生きてきた。来る者拒まず去る者追わず。どうせ心から求める人とできないなら同じことだと。そういう欲望が強いという自覚もある。
彼を夕食に誘ったのもそういう下心込みだったので、うまく誘って結果としては上々だった。
でもこの晩ばかりは、(この人とこうできるとわかっていたら、とっておいたのにな)と感傷的になって少し泣いた。
あまりにもピュアな長年の片思いと、心を置き去りにした奔放な生活のアンバランスさに、すっかり疲弊していると自覚したのもこの時だった。
それからもう4年になるけど、相変わらずわたしたちは抱き合っている。
この4年間で、ただ漠然と思い続けていた17年間とは比べ物にならないほど彼と対話し彼を知った。
進路を別ってからのこと。ずっと執着心にも似た恋心を抱き続けてきたのに、知らないことばかりだった(当たり前だけど)。
うれしいことや悔しいこと、悲しいことがあったら自然に飲みにでかけた。
はたからみてると危なっかしいくらいの彼の仕事への愚直さに、改めて惚れた。
この四年間の間にわたしは随分強くなった。
今まで注ぎたくて仕方がなかった行き場のない愛情を、他でもない彼に(曲がりなりにではあれど)そそぐことができた。
今まで空想し続けた彼の声を聴くことができた。触れることもできた。
それだけのことに相当癒された。
彼には感謝してる。
このまま永遠にそばにいてほしい。
だけどそろそろ彼を開放してあげたい。
世界一好き。
だけどそれだけで引き止めるわけにはいかない。
実は四年間の間にも、彼はなんども別れようとしたり迷ったりを繰り返していた。
丸一年近く会わない期間もあった。
いつも結局、惰性だか怠慢だかわたしに根負けしたんだか、最後のところでわたしのところに戻ってきてくれたけれど。
彼はきっと、今後もわたしを拒絶はしないけれど、わたしを選ぶこともない。
今夜、ずっと避けてきたその"本題"について話すつもり。
いやそう自分に言い聞かせて生きてきたけど、この春27歳になって、綺麗ごとも言ってられなくなってきた。
わたしはこのまま売れ残るけど、彼はまだ間に合う。
メインヒロインルート一直線だから仕方ないよねって態度で何もかも諦めすぎでしょ。
滑り台の前で失恋同盟作るレベルは求めてないんだけどさ、もうちょっと自分にもルート分岐の可能性を感じてもいいんじゃないのかな。
うん、お前らのことだよネフレン・アイセア。
そこそこ出番貰ってるのに攻略対象としては壁の花も良い所じゃん。
ロリ組のティアットにすらヒロインポイント負けてる状態である自分に何か違和感覚えないのかと。
クトリとナイグラートの二択に絞られきってる現状を何かおかしいと思わないのかと。
エロマンガ先生を見てみろよ。
完全にエロマンガ先生でルート分岐固定されてる状態なのに、食らい付くように自分の方にルートを向けようと足掻くヒロイン達の姿を見ろよ。
とにかく当たるだけ当たって砕けるだけ砕けてこその青春だろ。
何諦めてんだよ。
遠回しにチラチラとチャンスの薄さを確認してる時間なんてもうないぞ。
私は、京大理系出身で、年齢は30代後半。先日、同じ学科出身の友人と飲んでたら、友人はこんなことを言った。
「別に、自分たちって、大したことないよなあ。周囲からは『京大出身だ。凄い』って騒がれることもあるけど
私もこれには全く同感。でも、大学時代の周囲を見てても、確かにめっちゃ頭がいい人とか、めっちゃ変わった人がいることは事実。
ただ、そういう人の割合は、せいぜい全体の1~2割程度で、逆に考えれば、8~9割は常人ということになる。
まあ、京大と言っても、実際のところは、そんなもんじゃないだろうか…。
じゃあ、どうして京大生って言っても、みんな普通なんだろうか?ちょっと考えてみた。
やっぱり、何やかんや言っても、京大に入学するのは難しいと思うので、入学試験でどういう人が合格して入ってくるのか?を
考えた。私の場合、理系なので、理系に絞って話をする。(文系は分かりません)
まず、日本で入学するのが難しいのは、東大と京大、それと国公立医学部である。理系の定員は、東大が約2000人、
京大が約2000人、国公立医学部が約6000人で、合計すると約10000人。つまり、全理系受験生の中で、上位1万人に
入ることができたら、京大に合格して入学することができる、ということになる。
理系学部に入るために、必須なのは、微分積分と物理である。これが理解できてなかったら、多分入学してから死ぬだけなので、
ここは外せないだろう。で、18歳人口は100万人くらいいるわけだが、その中で微分積分と物理が理解している人口って
どのくらいだろうか?と考えると、せいぜい7~8万人くらいじゃないか?と思う。これは、理系ならみんな受験するであろうセンター試験の
物理で70点以上取った人数を、平均点から推定すると、だいたいこのくらいだ、ということ。センター物理で70点っていうのは、若干理解が怪しい
と思われるけれども、根本的な部分をある程度分かってないと取れない点数じゃないだろうか…ということで。
次に、微分積分と物理を理解していたとして、本当に東大や京大、国公立医学部を目指すのか?という問題がある。
まあ、試験は非常に難しいと言われているので、最初から「自分はムリだ」と決めつけて目指そうとしない人や、家の近くの地元の大学に行きたくて
かつ医学部がイヤな人、高校時代の青春を受験勉強以外のことに捧げる人など、いろんな理由で目指さない人の方が多いだろう。
そうすると、目指すのは上記の7~8万人のうち、せいぜい2万~2万5千人程度になるのではないだろうか…。
で、最後に、目指した人の中で、上位1万人に入る必要が出てくる。人数としては、せいぜい2万5千人程度しかいないので、その中で上位1万人に
入るのは簡単だと思われるかもしれないが、実際にはそれなりに頭脳に自信がある人ばかりが挑戦するので、よほど天才的な
人じゃない限り、普通にやってただけでは、なかなか上位1万人に入ることは難しいだろう。
ただ、自分なりに工夫して対策を立てて勉強すれば、上位1万人に入ることは可能だと思う。例えば、私の場合は1浪したんだけど
浪人中は途中から予備校に行かなくなり、家に引きこもって、ひたすら問題を解いていた。予備校の授業に行っても、結局は解いた問題の
解説をしているだけで、「授業で解説している時間に、他の問題を解いたら、人よりたくさん問題演習できるんじゃないか?」
ということに気付き、予備校に行かずに、家でひたすらたくさんの問題を解いたのである。そんなわけで、自分が京大に合格した大きな要因は、
「人よりたくさん問題を解いたから」ということに尽きるのではないか?と思っている。
にすぎないんだ、ということ。まあ、微分積分や物理を理解するのは結構大変だし、才能も必要だと思うが、もし理解できるような頭脳の持ち主で
あれば、あとはそれなりに工夫すれば合格できるんだと思う。このことが、そんなに凄いことか?と言われると、別にそれほどのものでは
ないだろう、と思う。人間業があれば十分に達成できるものではないだろうか…。なので、京大生って言っても、結構普通の人が多い、という
感覚は、このように考えれば、確かにそうなるだろうなあ、と思うわけです。
なのではないか仮説
二次元美少女とは純粋な芸術であり、彼女達のような存在と青春を過ごしたいと願うこと、そして最高の仲間と青春を過ごすなかで人として成長することこそ人間の本質である。
18歳以上を登場人物としながら高校生の恋愛を描くという矛盾は、純粋に芸術を描くためなら他の事は放っておけという純文学精神の現れだ。
CROSS†CHANNELはその中でも最高に純文学だ。
思春期の揺れ動く少年少女の心を描くと共に、現代人が抱える社会適応の難しさとそこから来る複雑怪奇な心の有り様を描いている。
社会に適応できない事に悩み、社会を避けようとし、だけども社会と共に歩もうとする二律背反が織りなす、掴みどころのない心の機微こそ現代人の精神活動においてとりわけ芸術性を宿す部分だと私は考える。
そして、その悩みの果にある答をCROSS†CHANNELは描く。
人間を必要としながらも、人間と関わらない生き方を求める姿は、インターネット社会の果てにある一つの答えのように私は思う。
ラストで絵が書き出される、主人公なりの、作者なりの答、それに対する各登場人物なりの色とりどりの反応。
そして、受け手もまた1人1人がそれをハッピーエンドと捉えるか、バッドエンドと捉えるかを迫られる。
答を用意しながら、その答に対する答を読者に投げる事で、この作品は読み手がこの作品に心揺さぶられるうちに何を思ったかを浮き彫りにして物語を終える。
純文学が、その芸術性により、人の心を揺さぶり、人間の感情の持つ複雑な味わいを想起させる存在ならば、CROSS†CHANNELこそが最高の純文学だというこの仮説も、ただの妄言以上の意味を持ちうるのではないだろうか。
以上、CROSS†CHANNELの「生きている人いますか」の言葉が無ければ今頃この世界から居なくなっていたかも知れない男より。
ミキミキと桜庭があのラストを肯定してくれたから、そのシナリオをロミオが描いてくれたから、今の自分は自分の存在を許す事が出来ている。
少なくとも、フィクション作品の中で自分の人生に最も大きな影響を与えたのはCROSS†CHANNELだ。
あの作品があり、あのラストを同じくハッピーエンドだと感じた誰かがいる事を知ったから俺は今生きている。
1人だけど1人じゃなくて、1人だからこそ1人じゃない(同じく1人を求める誰かがこの世界にいるのだから!)ことに気づけたから俺は俺を肯定出来るようになれた。
新譜といってもセルフカバーベストみたいなやつで、しかも発売までロクに知らされてなかったけどコンセプトは「ライブ感」なんだそうでほぼ全曲一発録りだったとのこと。
自分は中村一義大好きで、このアルバムも総じて大好きで、でもこの一発録りであるが故の「雑さ」みたいなのがすごくもどかしくもあって。
それを誰かと共有したいんだけど残念ながらリアルの知人に中村一義のファンはおらず、また相手がファンならファンで「自分がクサしたとこ相手が気に入ってたらどうしよう」とか余計な事考えてたぶん本音のとこは言えないと思うんで増田って素晴らしい。
ライブでさんざん聞いてるバージョンなんでまあ今さらこれといった印象もなく、でもこれがいつでも聞けるのはやっぱり嬉しいし、原曲とはまた違った聞きやすさというか中村一義知らない人にも勧めやすい類のよさがあってやっぱりいいよねって思う。完成された名曲。
これも犬猫同様、安心して聞ける一曲。まあでもこっちは、原曲ののほほんのした声の方がむしろ精神的にクるものがあるかなあと。
アレンジというか、方向性自体はとっても好き。ただ一義自身が変に熱込めすぎて一部歌い方がアレな感じになってるとこがあって、それがすごく惜しい。
具体的に言っちゃうと「すっぷーうーくぬぁいんかんねー」とか。やりすぎなんす。
そんな一義の対極に走ることでバランスを取りに行ったかのような、あずままどかの甘〜いコーラスが大好き。こういう、原曲にまったくない要素でいいなあと思えるのはカバーの醍醐味よね。
これも好き。一歩間違うと名無しのおっさんがチャリティだか地下商店街の広場だかで歌ってそうな感じになりかねないんだけど、そこはそれ曲も本人もやっぱ名無しのおっさんとは格が違うので。
てか仮に中村一義が97年にデビューすることなく名無しのおっさんとして街の片隅でこれ歌ってたとしても、きっとなんか耳に残って気になるんじゃないかと思う。
好き。楽しい。「オイ! オイ!」て掛け声も、ほどよく品がないというかケンカ弱そうな感じがしてとってもよい。わーんつーすりー!
ああこれもいいなあ。まあ原曲から印象があんま変わってない気もするけど。「特に変に手を加えずに、2017年の今ロザリオをやるとこうなりました」って感じ。
あらら…また。ちょいやりすぎですよ一義さん。奥歯のないおじいちゃんですか。曲自体はいい曲なんだけどねー。
ラジオでもちょこちょこ流れてて「あ、なつかし!」ってなった人もいるっぽいけど。やあ、名曲ですわあ。
そしてこれに関しては、「ライブ感」てコンセプトがドハマりして大成功の一曲だと思ってる。
てか、久しぶりに原曲聞くとすごいテンポがもっさりしてて驚く。いや、もったりしてんのは初期中村一義の最大の魅力のひとつなんだけど。
なにせ元々からして曲後半の疾走感が素晴らしい曲なので、そこにライブのアレンジとウルフの雄叫びパワーが上乗せされるともうバッファローマンも砕け散る1200万パワー砲ウルフマン。
力押しかも知んないけど、だからなによっていう。いや、ウルフすげえ。
これまた、方向性はとってもいい。てか大好き。大好き、なんだけど、もうちょっとだけコーラスを綺麗に揃えてほしかった。そこら辺のファンを4、5人かき集めて歌わせたかのような揃わなさというか、きたなさ。
あとまた一義さん。「ちぇちょちぇ〜を合わ〜すちゃみぇ〜にぃ」てもう中村一義がシャクレた顔で歌ってるとこしか頭に浮かばない。ノッポさんのチューリップハット被ってシャクレて歌う一義さん。
でもそれでも、聞いててすごい幸せな気分になるんだよなあ。
もう一回録ってよ。
原曲がまず名曲中の名曲。それのアレンジとして、こういうのもいいよねっていう。てかこれもライブでいっぱい聞いたし。
こういう可愛らしい曲、なぜか中村一義はよく似合うんよねえ。声が活きるっていうか。
これもなかなかいい。原曲も大好きだけど、これはどっちもありだな。一切捻りなしの、ファンに向けたド直球。
最初にシングルで聞いた時はなんか歌い方がホモっぽくていまいちだったけど、20周年記念のこのアルバムのラストに持ってこられるとやっぱりちょっと心に染みるもんがある。
思い入れの強いファンの中には「俺の青春のアレをアレばっかりをまた作って」って不惑までそれ引きずってどーすんのみたいな声もずっとあるみたいだけど、俺はこの先も変わってく中村一義を楽しみにしてるよ。
ここのところ人のご祝儀袋ばかり買いに来ている。今日も残業上がりに会社の目の前のイオンに滑り込んで、明日使うご祝儀袋を買った。こっちはご祝儀をいただく予定どころか相手もいない、アラサーにもなってこんなことでいいのだろうかと自分の人生について考えてしまう。
明日は学生時代の友人の結婚式がある。正直そんなに楽しみじゃない。お祝いする気持ちがないわけではない。そんなにお金に困っているわけでもないし、おいしい食事にありつけるので、行くだけならまだいい。憂鬱なのは知人たちとの再会、それから余興やサプライズやらの結婚式イベントだ。
いつのまにか女子のカワイイ合戦についていくのがしんどくなった。あたりさわりのないドレスを褒められたって大して嬉しくないし、こちらから相手を褒め返すほうが面倒だし。○○ちゃんカワイイ〜の流れに適当な笑顔を添える自分、その想像だけで疲労感が増してくる。なんなら先月同じことをした。静かに食事だけ食べていたかった。
お祝いする気持ちがあるならいくらでも協力してくれるよね、みたいな空気。なんなんだろうねあれ。こっちは自分ひとりの面倒見るのでいっぱいいっぱいだし、案件は炎上中で深夜残業チャンスありまくりだし、晴れの一日とはいえ正直そんなに楽しみじゃないと書いてしまう程度の相手なので余興に付き合ったりサプライズやら見せられるのを考えるだけで元気がなくなってくる。なぜ人は結婚式をするのか。いやでも、お祝いする気持ちがないわけじゃないんだ。祝儀は出す。ただ大切な土曜の睡眠時間を守りたい、休日に早起きするモチベーションなんてプリキュアの力をもってしても実際起きるかは五分五分ってとこだ。やっぱり無理かもしれない。
明日結婚する友人もそうで、お祝いする気持ちはある、でも数々の余興の準備やらなんやらそういうのがひたすらに面倒で仕方ないからちょっと憂鬱になっているだけで、まあ行けば楽しいんだ。引きこもりによくあるやつだ。彼女とも学生時代はまあまあ仲良くしていたはずだ。なんかケンカしたとき部屋に乗り込まれたりその後シカトされたりしたような気もするけど。そういうのもたぶん、ありがちな輝きし青春の一ページなのだろう。そう思ってないとやってられない。というかこないだまでそう思ってた。
でもねー。
先日、別の友人から「あの子はあなたのことを下に見ている、あの子のそういうところが嫌い」って言われて、ああわたしはあの子のことが好きじゃなくっても良かったんだな、って今更だけど思えた。同じ学科でゼミも一緒で、ずっと一緒にいなければいけない子で、気が強くて、外面が良くて、あの子に嫌われたら大学で生きていけなかったから。好きでいなきゃいけないと思っていた。でももしかしたら本当はそんなところに縛られていなくても、わたしには、こんなふうにわたしのかわりに怒ってくれる友達だっていたんだなって、ほんとに今更だけれど。
肩の荷が下りたような気がした。
未だに怖い。あの子のことを好きでいなければいけないと、卒業した今でも思ってしまう。
だからお互いの近況報告ということで会うことになった。
フラれた当初は全然立ち直れなくて、一週間ぐらい家から出られなかったし、仕事に行けてもLINE見るたびに思い出して、ランチ食べながらボロ泣きしてたときには店員さんに心配されたりもした。
「最愛の人だった。」から始まる、45分もの一人語り。彼女への想いを忘れないために記した。
でも、そんなにまで好きだった想いが、数ヶ月の時間を経ただけで、こんなに失われるとは思わなかった。
何度フラれても、何度興味ないと言われても、四年も好きだったのに。
今は録音を聞いても薄ら寒いだけだった。
もちろん彼女は、今でも十分に魅力的で、なにかのきっかけでまた好きになってしまうかもしれないけれど。
けれどもこうやって、青春は過ぎ去っていくんだと感じた日だった。
【追記】
自分の恋愛観はエヴァンゲリオンの同人誌「RE-TAKE」を15歳で読んだときのままだし、とりあえずもう一回読み直そうと思う。
幼女戦記に限らずだけど、性別入れ替わりの転生ものを見るとき緊張する
僕はオチンチンを大きくする器官が、男女、男男、女女のそれぞれを見るときにそれぞれのモードに切り替わるタイプなので、
「よし、これは女女モードだな」とオチンチンを大きくする器官がそのモードに切り替わってから、
これは、青春期に読んだ金田一蓮十郎の漫画の影響が大きく、おそらくそのオチンチンを大きくする器官を司っているのが金田一蓮十郎のアバターなんだと思う。
体に金田一蓮十郎を宿しているんです。(何が何やら)
だって、アクエリオンだしARIAだしツバクロだしNHKだし、アニソン界の10年選手だよ
高垣楓に早見沙織だとか、輿水幸子に竹達彩奈だとかそれどころじゃなくて
なんならめったに参加しないサプライズゲスト枠でも納得なくらいで
それが蓋を開けてみたらどうだい、2nd以降コンスタントに出てくれてさ、そしてとうとうセンターだよ
しかも、ソロ活動でも声優活動でもイケイケゴゴーで、間違いなく今が一番脂の乗ってる時期で
そんな牧野由依が、トップバッターのソロ曲から参加したユニット曲から、ずっとキーポジションで圧巻のセンターしてんのよ
だのにデレマスとしての軸はぶれて無くて、遂にデレマスは牧野由依を飲み込んだと思ったね
もう信じられないよね、素晴らしいよね、アイマスに来てくれてありがとうと、佐久間まゆを演じてくれてありがとうと
うん、それだけ
ALL OUTという漫画を10巻まで読みました。そこで思ったのが、「性欲ってなんだろう」「性的興奮ってどんなものだろう」という事でした。
この漫画、作者の性欲がすごいダダ漏れなんですよ。『萌え』とかじゃなくてあくまで『性欲』ね。
高校生が主役のスポーツ漫画にド直球で作者の性欲が持ち込まれている事に、私は大きな衝撃を受けました。
脈絡がなくて申し訳ないけど、この漫画の世界にはチンフェが存在してるのんだろうなぁって思った。あと性犯罪もこの世界のどこかで起こってるんだろうなって思わされた。
なんていうか、作者という三次元人の性欲を通して現実の世界と地続きになっている気がする。
たとえばゾンビ映画の世界の住人って、初めてゾンビを見てもすぐに「あっ、ゾンビだ!」とは理解してくれないじゃないですか。「死者が蘇ったうえに人肉を食った!信じられない!」「食われた人も生き返った!もしかして感染するのか!?」っていちいち驚いて、ゾンビという概念を知らない。なぜならそこは『ゾンビ映画の世界』だから。我々の世界と地続きじゃないから。
スポーツ漫画もそんな感じで、スポーツに励むキャラクターを性的に消費するのは従来は読者の役割だった。なのにALL OUTの世界では最初からキャラクターが作者の性的対象なのがビンビン伝わってくる。
でもこの違和感、たとえば麻雀漫画の咲とかでは感じなかったんですよね。あれも青春部活モノ漫画なのにキャラクターが無意味にパンツ見せてたり乳首勃ててたりケツ出したりしますけど、ここまでの戸惑いは覚えなかった。
なんでだろう。作者とキャラクターの男女が逆だからかなぁ。そう思うと、これってジェンダーとか性差別とかそういう根深い問題を抱えた話になるんじゃないかと思った。まぁ自分はそういうのよくわかんないのでパスで。ちなみに野球漫画のおおきく振りかぶってでもここまでの違和感は覚えませんでした。『萌え』は感じたけど『性欲』って感じではないからでしょうかね。
ちょっと前にキンドルで格安セールやってたんで暇なときにでも読もうと思って買っておいた『昭和極道史』。
独特の(ある意味ではよく見る)絵柄で苦戦しつつも五巻くらいまでよみました。
そうすると、アレですな。
いろんな話し方が『昭和極道史』に影響されてもう大変。
ちょっと前に友達と話した会話もその言葉に置き換えられて再生される始末。
*
「よお、マッツンやないけ。久しぶりやの」
「ああ、久しぶり」
「結婚生活はどないだ。うまくやってんのけ?」
「え、結婚してないよ」
「……!……なんでや。去年会うた時、もうすぐ結婚する、言うてたやんけ。いや、ワシは確かに覚えてるで。酒の席で、次の日に向こうさんのご両親に挨拶に行く言うておまはん、緊張してたやないけ」
「そうだね。結局、次の日に挨拶行ったよ」
「なんでかな。なにか上手くいかなかったんだよね」
「うまくって、なんだんね。おまはんはそこまで進んだ話を水にされて悔しくないんけ」
「別に……もう終わったことだし」
「ほな、その女は今どないしよるんや」
「今も隣の席で仕事してるよ」
「同じ筋の女に手を出したんだっか。それじゃおまはんも心ぐるしいやろ」
「そんな事ないよ。喧嘩別れじゃないし」
「……いろいろあったんやな。よし、ワシもボンクラとはいえ男の端くれや。今夜は好きなだけ飲ませたる。女も抱かせたろやないけ。遠慮のう楽しんでくれや」
*
Buono! が最後ということで、平日のために行くことも出来ず、明日は泣きながらタイムシフトを見ると思う。一応雰囲気だけは他人の呟きで掴んだが。Buono! は私の青春だったわけだ。何年でも待てたし、これからも何年後であってもまたライブをして欲しい。今日がラストライブだと本当は言わないでほしい。だがももちこと嗣永桃子はハロプロを卒業するし、6月には℃-uteも解散を迎え、雅も新しいバンドに勤しむだろう。悲しいがまたそれぞれの道で輝く姿を応援したい。
なぜここまで心動かされるのだろう。ただひたすらに好きで好きで仕方なくて、憧れて泣いて笑って、綺麗な景色を見せたいとペンライトを必死に降る。アイドルは不思議だ。ただ女の子達がキラキラするために歌って踊る。それだけで世界が宇宙のようにひろがる。素晴らしい。ステージの彼女たちに幸あれ。彼女たちを見上げる人間たちに幸あれ。これからも、アイドルが世界のどこかを照らしていくように。Buono!ありがとう、お疲れ様でした。
こっちだって、少し手や物が当たるくらいなら自分の勘違いかも?と疑うよ。当たり方に何か意図的な不自然さを感じれば次は警戒する。車内に酔っ払いがいたら実害がなくても距離を取るのと一緒で、怖い気持ちがあるから身構える。
できる限り距離を開けたり、体の位置を変えたり、障害物(荷物とか)を間に挟んだりとか。出来ることをやって、それでも触ってこようとする意志を察知して、または小さな違和感が積み重なって偶然では起こりえない所まできて、はじめて「あ、痴漢だ…」と確信する。
ここまでに、①疑う②警戒する③対策(自衛)する、という3つのステップは踏んでいるわけで、正直、冤罪の可能性ってとても低いと思う。
①の段階で「痴漢です!」と声を上げる人はものすごく少数だけどいるかもしれない。けど、女だって基本は面倒ごとに巻き込まれたくないから、「泣き寝入り」件数はとんでもなく多いと思う。
そもそも、痴漢を咎めることはかなりの勇気がいるし、相手が男性の場合は体格だって不利で、本能的にも恐怖がある。
「痴漢です」と言うのはかなりの確信がないと言えないこと。それでも声を上げるのは、怒りもあるかもしれないけど多くは正義感からだと思う。
犯罪者をを車内に放置してしまえば、また同じ被害に遭う人がいると思えば、放置することに罪悪感が湧くのは想像がつく。
それを、どれほどの葛藤と恐怖と勇気だったかも知りもしない人に「冤罪だ!」「自意識過剰だ!」と一方的に決めつけられるのは、男性不信になっても仕方がない。
加えて、男性の中には「尻を触られたくらいで騒ぐな」と言ってくる人が一定数いて、ただ、こういう人たちはレイプ犯と同じで「知らない女の人生なんて知ったこっちゃない」という考えなんだよね。
痴漢が与えるトラウマって、かなり根深い。少なくとも被害にあえばそのことは何年経っても消えない記憶になる。
多感な時期に男性恐怖症になると、怖い記憶を払拭できない限り、青春も結婚も、まるで台無しになってしまうんですよ。多くは語らないけど、私のことです、ハイ。
ところで、「グレーゾーンおじさん」というエントリで痴漢側の考えを垣間見ることができて衝撃だった。偶然を装えば一回一回で訴えられる確率は確かに低いだろうけど… 「あ、今日もあのおじさん偶然装って痴漢してる…」と複数の女性に思われれば、いつかは逮捕になる流れなんだろうなぁと思った。それがいつかはわからないけど。
私は男性専用車両に全力で賛成する派なんですけど、痴漢対策で女性専用車が出来たのは「痴漢犯罪件数がむちゃくちゃ多い」からだと思ってる。
男性専用車両の役割っていわば「痴漢冤罪を防ぐ」役割しかないわけで、冤罪が年に何件あるのかわからないけど、「痴漢冤罪がむちゃくちゃ多い」状態にならない限り実現しないものなのかもなぁ…とはうっすら思ってる。試験運用くらいしてみればいいのにね。
カメラ設置は、証拠としてはもちろん完璧ではないけど、痴漢、痴漢冤罪共に犯罪抑止力にはなるので今すぐすればいいのにと思います。
一応男性専用車とカメラ設置についてはJRに問い合わせてみた。回答が来たので転載OKなら回答は後でトラバに貼ります。内容はそんなに嬉しい感じではないので期待はしないでほしいけど。