はてなキーワード: 自己肯定感とは
エンジニアということもあってあってさほど苦労もなく年収が1000万円を超えた。
1万円以上するお店は何店も行って確かに美味しいのだが、ファミレスでも十分美味しい。
価格は高い料理は価格が高い味がして、美味しいのだが、一つの属性という感じ。
スーパーでは食べたいものや健康を優先して買う。値段もカロリーもあまり見ない。
飲食店でも同様。値段は基本的に気にしない。しかし金があるからと言って
毎回チャーシュー麺を頼むわけではなく、選ぶメニューは変わらない。
年収が600万とかのさほど高年収でない時は物事がわかっているようでわかっていなかった。
例えば「スキー板に10万?それは高すぎる」などのように思っていた。
しかしぼったくりや悪意あるごく一部のケースを除き、ほとんどのケースでは価格というものは
概ね正しい値付けがされていることがわかった。
モノの値段の背景がわかってくると、株式市場でも勝てるようになった。
そこそこの値段(一人7000円〜10000円前後)のお店に連れてご馳走してると
否が応でも「懐に余裕のある人」と伝わる。その余裕感がモテにつながっていると思う。
つまり直接的な金ではなく、金があることによって得られる自信や器の大きさが
そういうこともあって割といつでもセックスに応じてくれる女性は複数人いる。
なお風俗は不潔なので興味ない。
知人女性にご飯をご馳走したりホテル代を払う余裕は十分あるが、
知り合いに起業家なども増えて来るので、そういう人から見たらまだまだ自分なんて矮小だと感じる。
自分もこんなところでくすぶっていたらダメだ、という思いが日々募る。
例えばプログラミングの技術を得れば、月50万円の収入を得ることは容易い。
業界が異なる人でもプログラミングの勉強をして副業に精を出せば月10万円の収入も難しくはない。
そう考えると、何もしないで月給20万円で不満を言ってたり、生活保護で生活している人は
「なんでそういうことをするの?」という印象が強くなる。
ほんの少し頭を働かせれば稼げるのに、それをしないで社会や政府に文句を言うのはおかしい。
ほとんどの場合は多少の努力で金を稼げば不幸を撃退できるのに、それをしないのだから、自己責任では、と思う。
自分は物を教える立場の人間で、生徒には10代の若者も多くいる。その中に、信じられないことに顔と体型と性格が自分が昔作った恋愛ゲームからそのまま抜け出てきたような、理想が服を着て歩いているような生徒がおり、とても聞けた話ではないが、ドキドキしてしまっている
これは本当に危険だと思って、その生徒への指導や対応はすべて他の人にやってもらい自分はそもそも顔を合わせることがないよう取り計ろうとしたが、生徒側が自分からの指導を希望しているとのことで自分の管轄になってしまった
仕方がないので完全に指導に集中してやるつもりだったが、その生徒とラブラブ状態な夢を三夜連続見てしまい、いよいよ終わりだと思った。人として最低過ぎて自己肯定感の喪失がやばい。17の子供に何を欲情しとるんじゃボケと。キモいわと。同世代に相手されないから子供に行くんだよとかロリコンに向けられるあらゆる批判が身に刺さる
自己肯定感が高くて素晴らしいですね
「弱者男性の指す範囲が広すぎる」という意見も目にしたから、「ある種の弱者男性」としておこうか。
ここで言う「ある種の弱者男性」というのはいわゆる非モテ男性、そのなかでも容姿等の外面的な要素で女性から嫌悪・排斥され、そのぶつけられた嫌悪を内面化した人達のことだ。
容姿がキモい、喋り方がキモい、動作がキモい、、、、女性はまあカジュアルに言い放つ。
そしてそんな言動は一切咎められず、むしろ「不快にさせられた女性こそ被害者」として正当化される。
女性は正しいので悪いことをしないだろう、女性は弱者だから男性というだけで恵まれているだろう、
女性は被害者だから男性に対して加害者にはならないだろう、女性にとって好ましいものこそ善だろう
こうした世の中のリベラルな通念が呪詛となって、後々「ある種の弱者男性」を苦しめることになる。
言われた側の男性は自然と「自分はキモい」「女性にとって不快」、果ては「自分は世の中の害悪」と自己を規定する。
なぜか?女性に不快な思いをさせ嫌悪させるものは「悪」だからだ。
(そうでしょ、フェミニストのみなさん?)
社会の正義に沿おうと真面目に考える男性ほど、こうしてより深く罠に嵌る。
「おまえは『悪』だ」と判定を下されたら、もちろん返上しようとする。だがその成否を判定するのも結局女性でなければならない。
つまり、男性が「善良な存在」であろうとすると、必然と女性ウケ(モテ)を意識せざるをえなくなる構造になっている。
だが、キモい男性がアプローチしても害悪扱い(セクハラ、告ハラetc…)されるだけなので、
多くの場合は徐々に恋愛=女性からの承認、すなわち「善良」であることを諦めていく。
「女性は男性の人格を、外面的な要素から正しくジャッジできる」という信仰のもとに、
「清潔感」という言葉で包められ正当化されたルッキズムにさらされ、(努力も虚しく)女性に好ましい容姿を実現できないというだけで
「不潔で不衛生」「人格が劣悪」のレッテルを貼られては正当化され、それをまた内面化していく。
(そもそも女性のジャッジ次第で人格までレッテル貼りされること自体が不当なのだが、そう思うことも難しい状況にある)
そして「ある種の弱者男性」は、「自分は害悪だ」と思ったまま、自信も自己肯定感も失っていく。
女性のいる場所はもちろん、女性に(人によっては同性にさえも)話しかけることを恐れて所謂コミュ障になっていく。
自信も自己肯定感も物怖じしないコミュニケーション能力も、男性が豊かに生きるには非常に重要だ。
むしろそれらが欠如するのは致命的とも言える。
女性の場合なら自信なさげな態度と言動は奥ゆかしさとも捉えられることもあるだろうが、男性、それも容姿が悪いともなればどうか。
例えば一般的な企業の入社面接を想像してみてもらえばその悪影響の大きさがわかると思うが。
そして流れ着くのは薄給のバイト、ブラック企業、危険を伴う肉体労働。
こうして、学校で女子にキモいと罵られた少年は、弱者男性となっていく。
女性たちからキモい害悪とレッテルを貼られ拒絶され、女性との交際を諦めた弱者男性は、
それでも大抵は「害にはなりたくない」と願い、女性を避けるように生活する。
弱者男性の多くは、女性から承認されない、恋愛できない自分はダメな奴なんだろうかと不安を抱え、SNSやgoogleで検索をする。
すると遅かれ早かれこうした文が目に入ってくることになる。
言い換えれば、「(異性愛者で)女性に選ばれない男は人格的に劣っているに決まっている」
あるいは「女性にとって好ましい男性は人格面も優れているに決まっている」、ということになる。
そしてそんな類の暴論が数百、時には数千単位の「いいね」を集めている。
さらに社会正義を謳うリベラルやフェミニストは、非モテ男性を敵視し、口を極めてその人格を貶める。
曰く、非モテ男性は甘ったれている。曰く、非モテ男性は性欲の権化である。
曰く、非モテ男性は誠実さがないからモテない。曰く、非モテ男性の悩みなど低レベルだ。
曰く、非モテ男性は女性を搾取しようとしている。曰く、非モテ男性は・・・
他でもない反差別を掲げるリベラルからすら平然と差別をされることで、ますます自己肯定感を失っていく。
―――女性たちに外面的な要因で拒絶されることで同時に人格まで否定されてしまうなんて、
それが正当化されるならば、払拭するには女性に承認されお墨付きをもらうしかないじゃないか―――
そのような指摘は、今度は「女をあてがえということか!」と歪められる。
「女をあてがえ論」の他には「ありのままの僕を受け入れて論」なんて言い方もしたりして、
とにかくあたかも自堕落で自分本位な男性が主張しているかのようなイメージを擦り付け人格否定が行われる。
それが例え「同じ人間として扱ってほしい」「外面的な部分だけで排斥しないでほしい」「あなた達と恋愛できないからといって人格を貶めないでほしい」という
願いから出たものであっても、女性に対して批判的だからというだけで「ミソジニー」果ては「インセル」呼ばわりされ邪悪のレッテルを貼られる。
挙句の果ては、「男性というだけで恵まれているんだから被害者面をするな!」と遮断され、
(女性のジャッジは正しい。)(男性なんだから恵まれていると思え。)
(女性は加害をしない、お前に落ち度がある。)(女性に嫌われるなんて悪に決まっている。)
フェミニストたちが形成するこうした世の中の通年は、人格否定された「ある種の弱者男性」をさらなる自己嫌悪と自信喪失、自暴自棄へと追い込み、その人生を淀ませていく。
女性たちはこの呪いのもたらす苦しみと構造の強固さを知ってか知らずか、今日も気に入らない男性へ気軽に「キモい」と言い放つ。
「キモい男は害悪」、そんな女性たちの価値観が正当化され力を得る世の中では、
善良であろうとするほど「キモイ男性」は何もできなくなっていく。
すこし思考実験と言うか、考えてみてほしい。
普段のあなたの行動範囲のなかで、女性(とくに若い人)に遭遇することがどのくらいあったか。
そして女性と遭遇するたび、それだけで自分がその人を不快にさせ、害を与えているとしたら。
場合によっては「キモい!」と面罵され、それに対して異議を唱えることはおろか、反感を抱くことさえ許されない、そんな価値観が正しいと思い込まされているとしたら。
あなたはまともな精神で社会生活を送れるだろうか?程度の差こそあれ、概ねこれが「ある種の弱者男性」の見る光景、生きる世界だと思ってほしい。
おそらく、俺たちのような人間はほとんどのリベラルの人たちの観測範囲には入っていないだろうと思う。
女性からいじめやハラスメントを受けて人生の舞台から転落なんて、そんな少数のレアケースの問題など、いちいち考えてられないと思うだろうか?
念の為に言っておくと、「ある種の弱者男性」は決して少なくない。少なくとも、リベラルの人たちが考えるよりはずっとずっと多い。
全国の学校ひとつにつき数名はいるんじゃないか。心当たりがある人も多いんじゃない?
まあ数が少なく見えるのも当然ではあるかも知れない。彼らは大抵が、社会の下層で怯えながら隠れるように暮らすから。
リベラルたちの視界から外れた社会のはずれへ疎外され、自分は世の中の害悪だとひたすら信じ込まされたまま、
ろくに声もあげられずに死んでいく。俺が同じ境遇ということで交流してた人たちはみんなそうだった。
「ひっそりとオナニーしながら死ね」だったか、フェミニストの偉い教授が言ったそうだが、「望み通りだ」と彼らの末路を見て笑うのだろうか。
女性にとって好ましくない外面というだけで人格まで否定しないでほしい。
同じ人間として扱ってほしい。
無限ループって怖くね?
いや冗談はともかく。ここ最近新生活の疲れとか人生に対する希望の持てなさとか自分の無価値感の再認識とか色々あって、いやこれじゃダメだ! 自分で自分の好きだと思えるところ探して自己肯定感上げさせるやつやろう! プラシーボでもいいから! と思ったけど好きなところ見つからなくて余計鬱になった。無限ループって怖くね?
他人は褒めてくれなくても自分はいい、好きだと思ってるところ探すって難しくないか? そもそもそういう長所短所も最終的には全部他者からの批評でできていくものでは。だって自分しか存在しなかったら自分がどんな人間性なのか知るよしもないし、自分の身体機能・芸術センスその他諸々の価値判断ってできないじゃんか。いやまあ自分一人しか存在しない、他者と比べることのできない世界で芸術が生まれるのかとか、そういうのは一旦置いておいて。
優れている、と好き・良いと自分が思う、が別物なのは理解できる。
それにしたって、そもそもの自己肯定感が低いやつが他人から言われたこともないような自分の好きなところ褒めれるところって見つけられるか? 自己肯定感が低くて鬱っぽい自分みたいな人間は基本的に自分の全部が嫌いで醜くて劣ってて無価値だと思ってるんだぞ。他人に言われてやっと向き合ってみるか、と思える時もあるけど、それって結局誰かから与えられた肯定感でしかないし。本当に、心の底から「自分にはこれがある!」って自信がない。
自分のダメなところはボロボロ出てくるのに、じゃあ自分を褒めてあげてくださいって言われると途端に困る。自罰的でいて精神的リスカをして傷ついて、やっと世間に存在を許されていると思っている自分もいる。自分が傷ついていると楽でいい。傷ついていることを理由にずっと何かから許されていたい。それは社会的責任だったり、やらなければいけないこと(例えば課題、学業、仕事)だったり。そんなことも思う。
鬱になる→ちょっとでも良い状態に戻そうと自己肯定感を高めようとする→肯定できる場所がなくて鬱になるの無限ループ。
ところでどれぐらいの人間が希死念慮を抱いてるんだ? 自分は希死念慮抱くのが普通だし、インターネットの深層にいるようなやつは希死念慮抱いてそうなのは分かるけど、世間的にはどうなん? 明日朝起きることなく世界が全部消えてればいいとか思わないのか? 気がついたら全部リセットしててほしいとか、早く安楽死させてほしいとか。思わないのかなあ、やっぱり。
「そもそも弱者の問題であって性別で分けて考える必要は無い」というのは認識していて、元の記事でも次のように書いている。便宜上彼らを「ガチ弱者」と呼ぶことにする。
女性で生きるのがつらそうなのは、キモくて金のないことではなく、普通に働けないレベルの深刻な病気や障碍を抱えていたり、食うに困るレベルの貧困だったり、毒親や介護などの事情を抱えていたりという人。
ただそれは男性も一緒
ガチ弱者は、現状の救済策が十分ではないにしろ改善すべき社会問題として認識されている。というのが論旨のひとつめ。
女性だって容姿がキモいかキモくないかでジャッジされ、嘲笑され不当な扱いを受けてきたと思うけどね(これは個人的な経験もあるし一般的にもよくあることだと思う)。昔からあるエンタメの記号で、美人は性格が良くてデブスは性格が悪いってのあるじゃん?これってそういう扱いがメジャーだったから浸透したわけでしょ?
これ、実は男性の内心と女性自身の自認で大きく異なる。男性は美人をもてはやすが、いわゆる不細工といわれる女性でも生涯の伴侶とするのに抵抗はない。ただそのことを口に出さない。
理由としては、そういうことを口に出すと男性社会での地位(マウンティングランキング≒モテランキング)が落ちるから、あるいは女性をけなした方が女性を獲得しやすいから(恋愛工学)。もちろん、対立した女性の悪口としてあえて言うこともある。悪口なので本心ではなく、対立しなければ普通に恋愛関係になれる。
ためしにネットじゃなくてリアルで恋愛をあきらめたような弱者男性の声に耳を傾けてみると、彼らは全然女性の容姿をけなさないことがわかるんじゃないかな?恋愛をあきらめた男性は異性をけなしてモテランキングを上げるモチベーションがないから。
何が言いたいかと言うと、美人はポイントとして加算されるが、不細工は減点にならないということ。いわゆるルッキズムと男性の内心とは相違があるということ。これが主旨のふたつめ。
まあ、これはこれまで何度か増田に書いても女性には信じてもらえなかったから、今回もあんまり期待してないけどね。
弱者男性論はいろいろとフォーカスがぶれることもあるが、基本的にはガチ弱者よりもう少しマシな人たちと認識してほしい。彼らは食うに困るほどではないから生活保護をはじめとする社会的支援は受けられない。
男の場合、いわゆる男らしさも、キモいことも、金のないことも、同性からの評価も、異性からの評価も、自分自身からの評価も、すべて強く関連していることが最大の生きづらさの原因だ。
高い収入を得る職業に就けば、同性からも異性からも高く評価される。自己肯定感も上がる。金があれば身だしなみもきれいになる。男性の服は女性の服ほど工夫のしがいがなく、高い=かっこいい、なのだ。ユニクロで小ぎれいにしたところで嫌悪感が消えマイナスがゼロになるだけで、性的魅力はプラスに転じない。もっと上位の身だしなみが必要だ。
つまり、収入が普通レベルよりも低く生活保護を受けるほどでもない男性は、それだけで「キモい」も「モテない」も「同性からの低評価」も「社会からの低評価」も「自分からの低評価」も必ずセットでついてくるのだ。
女性の場合、金がないけど美人とか、不細工だけど家庭的、といった一芸入試的というか複数軸の評価がありえるが、男性はそれがなく一本道ということだ。
そしてこの、中途半端に金がなくて、それゆえにキモくて、それゆえにあらゆる人から蔑まれ、努力不足と言われ、的外れなアドバイスを勝手にされ、無害にも関わらずネットで女性を攻撃しているとあらぬレッテルを貼られる、社会からまったく同情されない人たちが弱者男性なのだ。
これが主旨のみっつめ。
あそこまで危険ではないがワイが編み出した遊びはたぶん自己肯定感を下げるんだよな
マスクの着用が日常になった今ではちとやりにくいかもしれん遊びだがまあ聞いてくれ
1.自分の足元を出来る限り見ない(自分の体とか持ち物が目に入らんようにする)
3.街中でやる
やり方はこれだけ
やってるうちに段々不思議な気分になってくるんだよ
あれ、ワイって本当にみんなに見えてないのかもなーって…
隣を歩いてくれるパートナーという人が現れても向こうが余程天使みたいな人じゃない限り、一時的な承認欲求だけ満たされて「完治」なんてしないよ
『マズローの5欲求』みたいな俗説使って自己分析してないで、「何故女性に必要とされたいのか」という自分の気持ちに向き合わないと根本的解決にならないぞ
女性に必要とされたい気持ちがどんどん大きくなって、久しぶりにめそめそと泣いた。
マズローの5欲求に分類すると、社会的欲求が満たされていないようだ。たしかに自分は愛が欲しい。
別に誰彼構わずモテたい、セックスがしたいというわけじゃない。
ただ隣を歩いてくれるパートナーが欲しい。
いいなと思った女性に、同じようにいいなと思ってもらいたい。それは贅沢なのだろうか。
もちろんクロワッサンも生活の基盤や自己肯定感においてはとても良い方法だと思う。が、それは対処療法であって完治には向かわないのではないかと懸念も残る。
風呂に浸かってもアニメやドラマで気を紛らわそうとしてもあまり効果はなかった。特にラブコメは逆効果だった。自分には縁がないなと引き戻される。
と書いたらそこそこ反応をいただいたのでもっと具体的に書いていこうと思う。
あくまで弱者男性を語って社会問題として扱う話ではなく、趣味のオススメ程度に思って欲しい。
掘る掘られるは準備が大変なので実はあまりメジャーじゃなくて、
お触りプレイがメインだよ。
女装さんが集まるエッチなお店やハッテン場として有名な映画館でできるよ。
Twitterなどで出会って、ホテルでオフパコすることもあるよ。(ハッテンの定義と違うかもしれん)
公園をハッテン場としてる人もいるけどやめたほうがいいよ。
気持ち良いことできるよ。場合によっては可愛い(男の)娘とえちえちできるよ。
普段の自分とは違う存在になって気分転換にもなるし、チヤホヤされたり男性としては経験できないことができるよ。
弱者男性として嫌気がさしている人はいっそ女性として扱われる環境に身を置いてみればいいかも?
そんなことないよ。まず男性としてモテる人と女装でモテる人は違うよ。例えば背が低い方が女装向きだよ。(もちろん高くてもOK)
顔も化粧でどうとでもなるよ。年齢は20代ならもれなくチヤホヤ、30代でも人気、40代50代でも需要があるよ。
「女装同士でセックスすることと、オッサンに犯されてメス堕ちすることにはだいぶ性癖の隔たりがある」
私が最初に女装にハマったのは小学生の頃にスカートを履いてみた時だった。
女の子の格好にもともと興味があったのですごく興奮し、鏡を見ながらしこってしまった。
それから女装のクオリティがどんどん上がり、鏡をみてしこり、時には2chなどに画像をアップするようになった。
2chで「可愛い」「えっち」と褒められると自己肯定感が満たされて、普段モテない自分はどんどん沼にハマっていった。
鏡の中の自分、写真の自分とエッチしたいけどできない……そんなわけで他の女装さんと女装レズをすることになった。
女装レズをしばらくしていくと、男性の肉体に抵抗がなくなった。
というのも、エッチの過程で服をはだけさせていくとだんだん男になるからだ。
それで女装さんの集まるお店に行くと男の人に声をかけられたり、周りの女装が男性とやってたりしている。
相性が合う合わないはあるが、ぶっちゃけ体を触れるなら女装も男性も同じだった。
むしろ自分を女性扱いしてくれて積極的に気持ちよくなれるようにしてもらえる分よかった。
このころには「女装さんがいない時は男性でもいいか」ぐらいにはなっていた。
今までは女装さんが集まるお店で遊んでいたが、新しい刺激が欲しくなったのでハッテン映画館に行ってみた。
そこは暗闇で女装子が映画を見ていると四方からオッサン(爺さん?)が集まってきて体中を触られたり舐められたりする。
私はそこでハマった。
女装子を相手する時みたいにこちらから気持ちよくなるように奉仕する必要もないし、
男性と一対一でやる時みたいなコミュニケーションも必要ない。(別にコミュ力がなくても男性が盛り上げてくれるから関係ないが)
4,5人の人に同時に責められて、可愛いねって言われて、頭がぼーっとして、肉体も精神も気持ちよくなった。
事が終わったら「ありがとね~」と感謝されて、たまにジュースをごちそうしてくれたり。
別に相手が女だろうが男だろうが女装だろうが、性感帯を刺激されるだけなら関係はないのだ。
だったら男性、特に高齢の男性の性的価値が暴落しているところで若い女装の私が無料で大勢の男性をはべらせて気持ちよくなるのはコスパがいい。
しかも男性たちは大喜びだしいいことをした気分になる。これほどいいことはない。
女装の新人さんがハッテンをしたら女装レズ人口が増えてみんな幸せになる!
まず第一に私は「ゲイ」「ホモ」については本記事において一切言及していません。
なのになぜこのような意見が出るのだろう……と思ったのですが、
これは世間の人がヘテロセクシャル以外「LGBT」という一つの人種であると誤解しているからではないでしょうか?
界隈で遊んでみての感覚ですが、レズとゲイは決して交わることはない世界にいるし、女装とゲイも明確に区分けされています。
考えてみれば当然だと思いますが、ゲイの方は男性のことが好きであるので女性として扱われる(ことの多い)女装と相手したいわけではないのです。
そこでお店やハッテン場ごとにジャンルが分かれ、界隈ごと分かれているのです。
またゲイの人は男性が好きな人であって、ハッテンと安易に結びつけるべきではないです。
ハッテン好きはハッテン好きという趣味の話であって、性的指向とは切り離さなければなりません。
ヘテロセクシャルの人が全員ハプニングパーに行っているわけではないのと同じです。
私は今まで女性にモテなかったし、モテていたらハッテンもしなかったでしょう。
弱者男性である私が性的に満たされた趣味の一つとしてハッテンをオススメしました。
やりもしないことを「せいぜいお前はこれやってろw」というのはバカにしていますが、
私はハッテンを身をもってやっているので本心でオススメしています。
これがジェンダー論の論文や国連の宣言ならまだしも、はてな匿名ダイアリーの記事に対して影響力が本当にあると思っているのか疑問です。
どうせ来月には電子の山にうずもれてしまう議論の中で、匿名での弾糾が社会を大きく変えられるのならば、私たちはこんな苦労をしていないのです。
私は匿名でのレスポンスのやり取りの中で社会が変わるとは信じていません。
この駄文を読んで「ハッテン場、興味があったけど行ってみようかな」という人や、
私のお尻を触って「今日は女装子ちゃんのお尻を触れて性的に満たされた」というオッサンがいたら、私個人でできる範囲の救済だと思います。
これは大事なので守りましょうね!
触るだけでもゴムをつけよう!
経済的にきついから弱者なのだろうけど、父子家庭への援助も少ないながらあるし、無条件で自分の存在を頼る人間がいるなら強い心で色々頑張れるんじゃない?
子供がいれば女性からの目も世間の目もやわらぐし、自己肯定感も増すと思う
というか考える暇も必要もなくなるよ
ただ、子供はアクセサリーでもペットでもないし、自分を高めるための道具でもない、ひとりの人間だということだけは忘れないでください
その後地元に戻り、失われた自己肯定感を取り戻すべくバイトを少しやって、今は派遣社員だけど大手の会社で働いています。
お給料安いけど仕事はむちゃくちゃ楽で、しかも良い人ばかりで、ものすごくよくしてもらってます。
PC作業がまあ出来る方なので、田舎の事務員としては重宝されています。
CADも教えてもらい、少し使えるようになりました。
無職期間に、とあるコンテンツにハマり、そこから新しい友人もたくさんできて、鬱はほぼ治りました。
お休みの日の朝、ふと見てみたら自分がこんな日記書いていたのを思い出しました。完全に忘れてた…
今の職場も2年後になくなることが決定したけど、なんとか元気にやっていけそうです(それまでにコロナが落ち着いてくれて、求人状況がよくなるといいんだけど…)。
まず俺のスペックを書く。
・35歳男性
かつては自分の不甲斐なさ、社会の冷たさに涙したこともあったが、ここ数年は比較的平穏に暮らせてる。
何故か。理由はいくつかあるかもしれないが、最大のものはネトゲを始めたからだと思う。
ネトゲに容姿は関係ない。自分の好きなアバターをつかって遊べる。格好いいイケメンも、可愛い女の子も自由自在だ。
俺は格好いいイケメンを作って遊んでいるが、結構褒められる。格好いいねーとか、その装備似合ってるねとか。
それはアバターが褒められているんであってお前が褒められているわけじゃない。空しくならないのか、と思うだろ?
それが案外空しくならない。何というか、自分の子供が褒められている感覚に近いかもしれない。俺に子供はいないけど、そう感じる。
自分の子供が褒められたら、多分嬉しいだろ。誇らしく感じさえするかもしれない。それを通じて自分も褒められているように感じているのかも。
大人になれば、普段の生活で褒められることなんてまず無い。弱者男性ならなおさらだ。
しかしネトゲなら簡単にそれがもらえる。これを知ったときは衝撃だったな。
特に深い考えがあったわけではなく、なんとなく女性キャラで遊んでみようかなーという程度。
そしたら驚いた。ただ単にフィールドを歩いているだけでも声をかけられるのだ。それに答えていたら簡単にフレンドが増えた。
他にも俺のキャラの動作にいちいち反応してくれたり、アイテムをポンとくれたり、ミスしても優しかったり。
男性キャラで遊んでいるときはまずこういうことは起こらない。ネカマにはまる人の気持ちがわかった気がした。
でも何故か罪悪感と違和感がつのり、そのキャラは消してしまった。別に騙していたわけではないんだけど。
そして容姿の問題がクリアできるなら、他者とのコミュニケーションは容易になる。
「俺みたいなのが話しかけて迷惑じゃないかな?」という考えが起こらないから、本当にポンポン話しかけられるのだ。例え初対面の相手であっても。
そのキャラいいね!から始まり、今どこら辺を遊んでいるのか、どこが難しいか、どのキャラが好きか。そのうち他の人も入ってきて、会話がキャッチボールのように飛び交う。
もうすごく楽しい。時間が矢のように過ぎていく。リアルではまずこんなことは無い。俺の人生では。
案外そうでもない。上手いに越したことは無いが、下手でもまあ問題ない。俺だって別に上手くはないしな。
何故なら、最近のネトゲはゲーム下手でも楽しめるように作られているからだ。
例えば生産系。いろんなアイテムをこねくり回して貴重なアイテムを作り出す。これにスキルはいらない。根気さえあれば誰にでもできる。
そうやって作ったアイテムを仲間に提供するだけでマジ感謝される。
最近のゲームはストーリーを追うだけだったらそれほど難易度は高くないし、自分が下手でも仲間が何とかしてくれる。
そしてそういった過程をSNSにアップするだけでもいいねが結構付く。
他にも世界設定を考察したりキャラのロールプレイをしたり。いいゲームは楽しみ方のすそ野が広い。
そういうのを通じて、他にも同じようなことが好きな人たちと繋がっていく。
要はネトゲをやれば俺たち弱者男性が求めてやまない「他者とのコミュニケーションと、それを通じた自己肯定感」が非常に容易に得られるということだ。
俺はこのお陰で日々の苦痛、虚しさをうまく中和できてる。それどころかネトゲ仲間と自分のアバターに恥じない自分でありたいと最近転職活動まで始めた。成功するかは分からないけどな。
以前の俺なら考えられなかったことだ。
ネックがあるとすれば初期投資がそれなりにかかるというところか。
ただはてなに居るならPCぐらい持ってるだろ?低スペックでも始められるネトゲはある筈だ。
まあダメだったらいつでも止めれるんだし、始めてみてもそう損はないんじゃないか?
そういう簡単でドライなところもネトゲのいいところだ。特にコミュニケーションに難がある俺たちみたいな人間には。
ネトゲでは容姿も年齢も経歴も能力も関係ない。ただできるだけ誠実であればいい。
これを読んでいる全ての弱者男性に、幸があるよう祈っている。