はてなキーワード: 聖人とは
記者20代後半。
ツイッターの記者クラスタの人たちがみーんな「実名は必要」「亡くなった人の人生を伝えることに意義がある」とか言ってるのに違和感を感じて仕方ないので、備忘録的に感じたことを書く。
何の落ち度もない被害者たちの名前を公開する必要はない。報道の仕事を経験したからこそそう思う。
日揮の判断は英断だったと思う。社員をちゃんと思ってるいい会社だ。
記者が殺到して遺族の心がかき乱される可能性がある以上、教えてはいけない。
新聞は一昔前のテレビや雑誌みたいにマイクやカメラ向けて「今、どんな気持ちですか?」みたいなゲスな取材はしないけど
それでも締め切りに追われて殺気だった何人もの記者に押しかけられてピンポン連打されたり、近所の住民からも話を聞き出されたりして気持ちいい人はいないだろう。
「話を聞いてもらいたい、亡くなった人のことを世に訴えたい遺族もいる」という意見もあるけど、俺には言い訳じみて聞こえる。
「一切取材されたくない人」に合わせるべきだ。
ツイッターでは遺族取材にこだわる理由を「売りたいだけでしょ」と決めつける意見に「記者も遺族取材は辛い」「これを報じれば売れるとか数字になるという意識はない」と答える記者もいた。
確かに売れることを考えてる記者はまずいない。が、それは単にセクショナリズムのせいであって、功名心すら一切ないと言い切れる人はいないだろう。いたら信用できない。
よくデスクに「泣かせで書け」「いまいちインパクトが弱いな。もっと心ゆさぶるエピソードないの?」と言われたなー。
刷りを見たら遺族が勝手に「声を震わせた」ことになってたのもざらだった。
酒乱でどうしようもないオッサンでも、性格がゆがんでいて両親も手を焼いていたガキでも、近隣住民から死んでせいせいしたと言われる強欲ばあさんでも
「事件事故の悲惨さを世に訴えるために」(そして「泣かせる」社内でも評価の高い記事に仕立てるために)と悪いところは捨象され、紙面では悲劇の聖人になって登場する。
そんなん読ませて何になるんだ?
いやまあ、それで悲しいとか辛いとか心動かされたとか言う人は一定数いて、それで飯を食ってはいるんだけど。
これはやっぱり、弔いとか、そういう美しいものではないよな。
「仕事は、社会は、そもそもそういうえげつないものなのだ」と言ってしまえばそれまでだが、えげつない行為を正義で塗り固めて恥じないほどは、まだ面の皮が厚くなりきってない。
こういうことを言うと「政治部脳」とか言われるけれどいわゆる「社会部脳」よりはマシだと確信している。
もし俺が遺族だったら、家族が亡くなったばかりの状態で記者に取材にしてほしくなんかない。そっとしておいてほしいと思う。
なぜ恋人を作らないのですか?
別に自分が彼氏をやる必要性がないから、ちやほやされれば女性は誰でもいいんだと思うから
みんな為に頑張っていれば、誰か一人の為に頑張らなくとも後ろ指をさされないから
いずれ嫌われる人の為に我慢を続けるのが嫌だから
「情に篤い女性」なんて自分の人生には存在しないように思えるから
全て自分の思い込みだと思いたいが、あながち的外れでもないから
なぜ女性が嫌いなのですか?
あざといから
下手にでないと不機嫌になるから
馴れ馴れしいから、かといって慣れ慣れしくされるのは嫌らしいから
女性と付き合っている画面の前の男性諸君、君たちは真の聖人だ。
なんで私はこんなにキチガイなのだろう、もっとまっとうに育ちたかった。
とっくに人格の形成器は過ぎた。
今まで、あまりにも人間関係でみじめな思いをした、それの鬱憤が溜まっていたのかもしれない。
もうまったくどんな女性も愛おしくも、美しく感じない。
興味も関心もない。
2chではリア充がいい奴と扱われる事が非常に多く、オタクを迫害するのはキョロ充だという主張をよく見かけるが
リア充と性格の良し悪しは関係ないし、世間の価値観に迎合してるからリア充な訳でマイノリティに優しいのは幻想だと思う
リア充故に社会性は高いから面と向かって君は駄目だねとは言わないけど彼らはオタクな方々の友達や彼女になってくれるだろうか?障害者や老人に表面上優しくするのと同じ話だよね
就活も容易くクリアしてくし幼い頃からスクールカーストの上位にいた日向の人間には日陰の人間の気持ちは分からないだろうし相容れない
知能の高さは社会性の高さに繋がってるのかエリート層にリア充が多い気がする、だから建前と本音の使い分けが上手いだけ
彼らの会話を盗み聴きしてると身内での会話では就活先で人間のランク付けしてるのも聞くし、躓いた奴も馬鹿にする
マイノリティには優しくないし就活で躓いた奴も平気で見下す連中だろ、オタクよりずっと競争心が強い奴も多いしな
宗教的な問題のある国はまだしも、日本みたいな国で同性婚に反対する人がいることについて思うことがある。
異性婚のみOKな今、同性愛者が異性愛に転じて子どもを作ってるかというと、まあないと思う。
そういう人たちが子どもを持つとすれば、海外で精子や卵子や代理母の提供をうけたり、養子をもらったりしてるんじゃないか。普通に考えて。
だってもし自分が今日から同性婚のみ許可とか言われても同性愛に転じるわけないし、結婚はできなくても愛する人と一緒に暮らそうとか、まあそうなると思うんだよね。
むしろ子ども増やしたいなら結婚くらい認めたらいいのではと思う。内縁のカップルよりは、結婚関係にあるカップルの方が子どもを持つハードルがまだ低いと思う。
子どもがかわいそうという理由。
子どもを残さないに比べて一見もっともらしさが小さいこの根拠だけど、実にもっともらしいと思う。
日本では「かわいそう」と思われる境遇を生み出すことは何より罪深い。
相互監視で横並び意識ガチガチの中だと、「かわいそう」とおもわれる環境をわざわざ作りだすのは万死に値してしまうんだろうな。
だから、アメリカやヨーロッパの同性カップルの子どもと比べて、ゲイカップルの子どもも成功してるから~ってのは説得力を持たないように思う。
日本だと潰されるとおもう。
公務員が相変わらず人気のようです。
確かに、現在の日本を取り巻く現状から公務員になりたい人の気持ちはわかります。
私自身公務員をしておりますので、公務員志望の方からアドバイスを求められることがあります。
http://anond.hatelabo.jp/20120922164617
前回、ちょっと暗くなるようなエントリーを書いたので今回は少し軽いノリで書きたいと思います。
私は一地方公務員ですので、市民と日々接する機会が多いのでよく感じるのが公務員に対する嫉妬と憧れの眼差しです。公務員に対しては、俺らの税金で飯食いやがって、もっと働けと思ってる一方で、自分の息子は絶対公務員、娘は公務員の嫁と考えている人が地方はやっぱり多い。確かに、地方でまともな職業といったら、公務員、教員、銀行員といったところです。だから、地方では公務員予備校が大人気なんですよね。
夜の街といっても風俗ではありません(地方公務員は顔がバレるとまずいので地元の風俗には行きません)いわゆる飲み屋ですね。なんだかんだで、総務系の部署は案外定時で終わるので、飲みに行く職員が多いです。そして、地方で繁盛する店は公務員のリピーターがいる店です。公務員は安定収入ですので、その店に対しても安定した顧客になってくれるわけです。民間だったら、明日の仕事を気にして平日に飲みに行く事を控えるかもしれませんが、時間を持て余した職員は今日も夜の街の経済活性化に貢献するわけです。
これは今度ちゃんと書こうと思いますが、案外生活保護が地方経済を支えている面は多いです。具体例をいうと、基本的に生活保護の大半は国の補助で地方への負担はほとんどありません。たとえ負担があっても交付税措置で軽減されています。生活保護が自治体財政を圧迫すると思っている人がいるかもしれませんが。嘘。地方財政を担当している時は、国の生活保護がある意味地方に対する所得移転、再分配的側面があるような気がしたものです。(当然、生活保護は国家財政には負担になる)それに生活保護受給者は車が持てないので、買い物は地元のスーパーで買うことになります。郊外のイオンとか利用すれば安いけど、足がないので地元のスーパーで買う。だから、生活保護受給者が多く住んでいる地区のスーパーや小売店ってなかなか潰れない。パチンコに行ってけしからんという人もいるけど、パチンコ屋はパチンコ屋でなんだかんだで地方に雇用を産み、税金も納めてくれるし、イメージ戦略のために地域の協力を惜しまない。なので、生活保護をバッシングする人はある意味正しいのだけれど、ある意味見落としているよなぁと思う。今度、この生活保護のことはじっくり書きたいと思う。
これは前のエントリーにも書いたけど、昼間に基本若い人は来ない。高齢者ばかり。年金、健康保険、税金といった類は業務の範疇なので対応は容易だが、陳情にも似た「地域の代表者」系がときどき来るのが厳しい。地域の代表というと、民生委員とか町内会長だとおもいきや、そういう地域のコミュニティには距離を置きながら独自のコミュニティ論を展開する人々が増えている。おそらく、出自は退職世代でしょう。彼らは今まで会社に属していたので地域コミュニティと関係を持たず、いわゆる「社縁」で生息してきたわけですが、退職して地域にどういうわけか関わるようになり、積極的に市町村に提言をするようになりました。おそらく、今後彼は豊富な財力を元手に市議会議員、町村議会選挙に出馬するかもしれないと思うと本当に怖い。
地方において、人脈は大切ですけど、それ以上に「カオ」が大切。さっきの地域の代表じゃないけど、ある程度信用がなければ地域のあの独特のコミュニティには入れない。ぶっちゃけ、実力とか、実務能力がなくても、基本ユーザーは高齢者なので、「○○さんにはお世話になっているから」という理由で仕事ができる。いくら行政事務に詳しくても、市民にとったらどうでもいい。ましてや地方でfacebookで人脈作るよりも、寄り合いとか町内会とかにカオを売った方いい。最初は雑用というか役員に祭り上げられて冷や飯食わされるけど、かならず報われる。そうです、それがムラ社会ってやつです。
自民党、民主党とかいろんな党派がありますけど、地方議会なんて党派無視です。基本田舎は共産党と公明党を覗いて、みんな基本は同じ考え。地域コミュニティの再生と経済活性化という方向が同じで選択肢も限られるから政策論なんて難しい。本当に議会の仕事って、地元の有力者(町内会長、古株民生委員、先述のカオのある人)の御用聞き的側面がある。だから、たかが補助金の申請に議員を同行するからこっちとしては始末に負えない。あと、議会は政策を提案すると思っている人もいるかもしれないけど、基本的に地方議会は元農家とか、自営業とか、公務員OBとか制度や運用の粗捜しはできても政策は作れないからね。国がアレだから地方は。。。。
私は商店街よりイオンを使います。イオンの株主でもあります。それぐらいイオンを使います。確かに商店街というところの店主は本当に個性豊かで面白いし、地方の顔であります。だからその意義は街の観光を語る上でも必要不可欠です。しかし、商店街には組合というものがあり、それが一種の圧力団体となっている現状があります。かならずその商店街を地盤とする議員が存在し、商店街活性化を名目として、いろいろな助成金、補助金、低い融資なりを要求します。商店街店主の有力者は近くに駐車場を持っている地主なので、お金には困りません。これは商店街に限らず、農家、建設業者、医師、地方にはいろいろな圧力団体がありますが、要求はお金をくれです。しかし、彼らの圧力が結果的に国から地方を支える補助事業の圧力になるので、否定もできませんが、うーん、なんだかなぁ
ヒントだけ。職員は月額最高2万7000円の家賃手当がつきます。これは持ち家には適用されません。あくまで賃貸です。では、賃貸物件のオーナーが親族だったらどうなるでしょう?頭の良い人は気づいたでしょ?
公務員OBって案外楽しそう。長年地域で活動してきたので、地域活動にも積極的に参加する人も多い。あと、公務員には多趣味な人も多い。作家になった公務員もいるぐらいですしね。なので、地方の文化水準とか、ボランティアとか非営利領域を公務員、それも公務員OBが支えていると思う。私もそういう人になりたいものです。
公務員は公僕だし、私は一生その地域に貢献して死ぬべきだと思う。だけど、決して下僕だと思わない。主権者である国民、市民が誤ったことを言えばそれを諌めるのも公僕の使命だと思う。公務員も同じ人間だし、今のデフレ日本では相対的に恵まれているかもしれない。残業代もでるし、社会的にも認められている。だけど、公務員だからといって聖人君子を求めているのはやっぱりおかしいと思う。この国はじわじわ衰退の道をたどっているけど、それでも公務員として精一杯がんばって、大好きな地域で死にたいものです。
http://anond.hatelabo.jp/20121013233222
ブログを始めました
俺は行きたくありません。
死にたくもないし殺したくもないです。
人を殺して英雄だ、物を壊して英雄ならそいつやそいつを支援する何者かは狂ってる。
第二次世界大戦時でも同じような事がありました。
神風特攻隊のようにただ死ぬだけのイスラム風自爆行為を英雄視する声が多いようですが
あんなのは犬死であって本当に英雄といえるのは恥じても生きる事を選んだ人です。
俗に非国民と呼ばれる彼らに俺は同情の念を禁じ得ません。
おかしな風潮ですが、日本では人が死ねば、生前どんな悪行を重ねていても聖人のように扱われます。
例えば、A級~BC級戦犯です。彼らを英雄視する人すらいる世の中です。
A級戦犯といえば、真の保守と称しながらやっていたのは今日に至るまでの各国との禍根を残したに過ぎません。
発想は原爆投下したアメリカや当時の簒奪国家集団こと欧米列強、中国と全く同一です。
戦争やらかした国がドヤ顔で常任理事国を担ってる今となってはそうした人種を英雄視するのは自然の流れかもしれません。
そうなると日本では戦争行って死ぬことが当然であり現在そうした風潮になっているので増田たちは死に場所を探しているのかもしれません。
最近元と学会の岡田斗司夫が「俺や俺の周辺の人間はネットの粘着系のようなことはしない」とか言って聖人ぶってるけど
昔はとんでもないいじめっ子だったよなぁ。伊藤剛とかめっちゃいじめられてたじゃん。そういう側面を知ってるから竹熊健太郎も岡田が大嫌いなんだろうし。この山本弘って人も同様なタイプでしょ?よく知らんけど
先日、私の祖母が亡くなった。85歳だった。
祖母との思い出といえば、私が生まれてから成人するまでのおよそ20年間、元旦に直系の親族一同とともに正月祝いを行っていたことを思い出す。正月祝いと言っても、細田守の「サマーウォーズ」に描かれるがごとき祝祭的な性格のものというよりは、近況報告を兼ねて親族同士で気を使いあう儀礼的な色彩のつよいものであった。
祖母には一人の息子と三人の娘がおり、息子が一番年長、その下に長女、次女、三女と続く女風上の一家で、この末娘が私の母である。四名とその家族が毎年元旦に祖母のいる実家へ帰省していたわけだが、態々そのような古臭い集まりを続けていた理由は簡単で、いずれの親族も実家から車で1時間以内の場所に住んでおり、集合するのが容易だったためである。
長男は、礼儀正しく気の優しい人で、奥方とも仲睦まじいが、子宝には恵まれなかった。長女は結婚してすぐ最初の孫――――私のいとこに当たる娘を産み、次女もまた結婚後すぐに娘を一人もうけたので、祖母からすれば、自身の若いうちから孫を抱いて可愛がる楽しみを得ることが出来た。私が生まれたのは次女の娘よりも5年ほど遅れてのことだったが、あとから母に聞いたところによれば、祖母にとっては初めての男の孫であったから、幼少時の猫可愛がりは尋常ではなかったということだった。現在を見てみれば、いい年をして結婚もせず、祖母の期待に沿う形には成長できなかったのだが。
私に遅れて妹と弟がそれぞれ誕生したが、正月にはこれらが皆、映画のように広い日本家屋などではなく、昭和のごく平均的な一軒屋に集まるわけだから、私たち孫の小さいころの祖母は片付けや食事作りなどにてんやわんやで、忙しそうに家中を動き回っていた。
生前における祖母と祖父のおしどり夫婦ぶりは母や親戚から伝え聞いているが、その足取りは大抵のものではなかった。
大正生まれの祖父は、呉服屋の息子で自らも商店を営んでおり、利発聡明と専ら評判の若者であったが、当時の男性としては体は丈夫なほうではなかった。そのためかは定かではないが、第二次大戦時もなかなか徴兵されることはなく、結局日本が敗戦する直前になって突如として徴兵されることとなったという。
終戦後、祖父は無事帰還したものの、兵役の最中に肺結核を患っており、生業である商売もままならず、しばらくは寝たきりの生活を余儀なくされた。戦後の結核治療の確立から一命はとりとめたものの、後遺症か定かではないが、原因不明の発熱と咳に生涯悩まされることとなり、商店の経営にも難渋した。
祖母は、看護学校を卒業していたが(戦中、従軍看護婦になることを希望していたのかもしれない)、卒業後すぐに祖父と結婚したことから、看護婦となることはなく、祖父の徴兵後は夫に代わって商店を切り盛りしていた。しかし、祖父の体調不良もあって戦後いよいよ先行きが怪しくなり、結局私の母が生まれて5年後に閉店したという。
その後の祖母は、しばらく職を転々とした後、昭和42年ごろ、某市の市立病院の看護婦となる。祖母にとっては、高校以来の看護業であり苦労は並大抵ではなかったというが、持ち前の剛毅さと天性の快活な性格にナースは天職であったようで、中途採用者としては異例の副婦長の地位まで昇進したという。60歳で定年した後も、市内の私立病院に嘱託職員として居場所を得、4人の子供を成人させ、病の夫を支え続けた。
しかし、その祖父も私が5歳のときに癌で帰らぬ人となる。確かではないが、病室で遺族が泣き伏せる中、祖母は一度も涙を見せなかったと幼いころの私は記憶している。
祖母との最後の思い出らしい思い出は、一昨年の夏のものである。
何とか就職が決まり、自分の車を手に入れた私は、何を思ったか一人で先祖の墓を参りたいと考え、祖母に親類の墓地の場所を尋ねに行った。その前の年、私の父が母と離婚しており、20年続いていた正月の集まりは中止されてしまっていた。祖母の顔を見るのは、同年の冬、祖母が初期の癌を患っていることが判明し、見舞いに訪れた病院以来であったと思う。これは治療により完治し、祖母は実家で一人暮らしを再開していた。
唐突に尋ねてきた孫に、祖母はメロンを振舞ってくれた。墓地の場所を教えてもらい、私はひとり車を走らせる。天気は伸びぬけるような快晴であった。セミが絶息の声を漏らして、草だらけの殺風景な墓所に風情を齎していた。確か、わざわざ花を携えて行ったと記憶している。
墓めぐりが終わって、私はもう一度祖母の自宅を訪ねた。最近腰が痛くて食器の片付けに苦労するというので、洗物を手伝い台所の片づけをした。年季の入った炊事場の汚れを見ると、正月に走り回りながらおせち料理を拵えてくれた、祖母の苦労が感じられるようだった。帰り際に、祖父の眠る仏壇へ線香を立てた。
帰り際、私を何事か心配そうに見つめながら、祖母は言った。
「私はもう、長くない。私が死んだら、後のことは頼む」
私は、何を言っているの、おばあちゃんは癌になったって死なない人でしょう、と言った。豪快な祖母のしおらしい一面を見て、私は意外に思いつつ、やや後ろ髪を引かれながら岐路に着いた。
その2週間後、祖母は脳梗塞で倒れた。
以後の祖母の容態は、芳しいものではなかった。脳梗塞からただちに生命の危機には至らなかったが、脳の神経が一部破壊されてしまったことから、記憶の維持に支障が生じ、軽度のアルツハイマーの様相を呈していた。また、翌年の冬、恐れていた癌の再発が認められた。
近年の病床の不足から、祖母は短期間の転院を繰り返し、結局地元の病院(かつて勤務していた病院ではない)に落ち着いた。最後に会ったのは、今年の5月ごろであったと思う。もう、私の顔はあまり分からなくなった様子であったが、お見舞いに来てくれているのはわかっているようで、こちらが手を振ると童子のように身振りで返してくれた。黒かった御髪はすっかり白くなり、顔も痩せて、さながらどこぞの聖人のようでもあった。母は週に一度見舞いに行っていたが、亡くなる前日までは、元気に呼びかけに応えており、当日は眠るように安らかに逝ってしまわれたという。
通夜には、上述した親族はもちろん、各地に散らばっていた祖母の兄弟の他、長女の娘の息子と次女の娘の娘、つまり祖母にとっては曾孫に当たる二人も参列した。二人とも終始、お経が退屈で帰りたいとぼやいていたが、赤ん坊のときにまだ健全だった祖母に抱かれたことは記憶にないのだろう。
私にとっては従甥・従姪にあたる二人の相手をしながら、私はかつてこうして祖母の実家で遊んでいた時代のことを思い出していた。辛櫃の前をずいぶん騒がしくしてしまったが、生涯をかけて一家を守ってきた祖母にとっては、たぶんこの光景が一番望んでいたことであったのだろう。
おばあちゃん、生前は本当にお世話になりました。
うーむ、やはり「うれしくなりました」の方がよかったのかな。
確かに兵十が贈り物は神様からだと思っているのを悔しがる描写は出て来たし、
自分の思いやりに気付いてくれて「うれしくなる」のは、
「自分を高く評価してもらいたい」という利己心とはちょっと違うし、
仮に「自分の償いに気付いてほしい」という感情が利己的であったとして、
「撃たれて尚恨みも持たず、贖罪を果たしたこととその贖罪に気付いてもらったことに満足する」姿が自己犠牲的過ぎて、
悪い印象は打ち消されてしまうもんね。
主人公だって聖人君子じゃないから「自分の善行を知ってもらいたい」という気持ちは自然に湧く感情だろうし、
その方が読者の親近感を得られる。
それでもあまり露骨に登場人物の感情を表現するのは無粋だから「うなずきました」という選択肢も捨てがたい。
「うれしくなりました」が「自分の償いを評価してもらいたい」という感情を持っていることを確定してしまうのに比べ、
まだごんの心情に想像の余地がある分物語に深みを持たせる気もする。
「償いをしたのに撃たれて悔しい、償いなんてしなきゃよかった」って思っててもいいかもしれない。
いいことしようとしたつもりが誤解されて馬鹿を見ることもあるから、
人から恨みを買わないようにしなさい、という教訓として使うほうが、子供たちの未来にとっては有用だろう。
「やっと俺だって気付いてくれた。償いをしようとしていたことを分かってもらえた。誤解されながらも償い続けた甲斐があったなあ」
って思っててもいいかもしれない。
最初は誰にも気付かれなくても、根気強く努力を続けたらいつか認めてもらえるという教訓になるかもしれない。
あるいは「もう兵十に栗と松茸を贈ってやれなくなるのが残念だなあ」って思ってるかもしれない。
善行をするなら正しく他人にアピールしないと、
保身ができなければ結局その善行すら満足に達成できなくなるぞ、という教訓になるかもしれない。
いずれにしても、この寓話はある程度世間の汚さや人生の不条理、生と死を理解できる(直視できるようになる)
それ以前の段階だと、ごんの死を受け入れられない子供が多いから、この年齢向けなのだそうだ。
いいことをしていたのに殺されてしまうはずがない、とこの物語の残酷さを直視できないからだと。
仮に近年この物語が掲載されなくなっているとしたら、それが原因だろう。
自分に自信を持つってことは、とても大切なことだと言われているよね(^-^)
しかし、そう容易くできることではないということも、みんな知っているはず。
最近の若者は物分りがよくなりすぎて、中途半端に生真面目な、人を見下せない人たちが多い。
社会に適応できない自分を責めて、家にひきこもっちゃって、かわいそう。。。
物分りの良い、真面目でまっすぐな聖人になれるのは愛情を注がれて育った人だけなのに、みんな勘違いしてるんじゃないかな???
もっと人を見下して、蔑んで、こきおろして、現実を乗り切ろう♪
自分を大切にしてあげよう♪
・女なら、男という存在を憎め。
貧乏人はろくな教育を受けていない。品が無い。空っぽの脳みそをもった、労働に精を出すしか能の無いやつら。
金持ちは親の金でいい思いをしているクズたち。たいした努力もせずに甘い汁を吸うカスたちだ。
自分に自信がもてないなら、誰かを下に見よう^^
不思議と元気が湧いてくるはず☆
レッツチャレンジ☆
いやぁ本当にいまさらなんだけど
今だから言えるというか今になって思うというか…
皆さんどうぞ我慢せず楽しい時は笑い嬉しい時は喜んでください。
私達も一日も早く皆さんに追いつきます」
妬め。嫉め。
「何故私は子を失ってこいつらは失ってないのか」と思え。天を呪え。
人の笑顔を見て悲しめ。憎め。苦しめ。あ、いや苦しめは言いすぎか…。
隣の芝生は青いっていうのは、人間の中でもすごく純粋に根源的で、強い動機だと思う。
なんでお前らの家にはSFCしかなくてタケシくんちにはPSがあって母親に直訴しても「うちはうちよそはよそ」って言われて
で、それがなんでムカついたかっていうと「それを自分が手に入れられないから。」
でもだからと言って腐ってるわけにもいかないからそれを手にしようと、手段を講じるでしょ。
マイナスなエネルギーが29800円のプレイステーションに結実するわけだ。
被災地の皆々様におかれましてはクセぇ仮設住宅に閉じ込められてクセぇメシと
防ぎようがない放射能汚染に苦しめられており、ますますご健勝をお祈り申し上げます。ざまぁ。
中でも農産物の風評被害や凄まじく、口では「東北を応援しよう」といいつつも誰も東北産の農産物を口にしない、
したくない、したがらない中、NGOが国とは別に食品検査とかなさってたそうですね。無駄な事を。
その事実を県外に発信しなきゃ意味がないのに。頭足りてないのと違う。
あなた方は別に聖人でもないので妬んでくれても、嫉んでくれても結構です。
虫も殺したことないようなツラして青息吐息で「私達は他人の幸せや喜びをねたむほど落ちぶれてはいない」
とか言われても説得力ないです。
顔色悪くして「わたしのことはいいから」と遠ざけようとする女性を想起させます。ざけんな。
あなたがたが失ったものを取り戻す方法を必死こいて考えなさい。
親を失ったものは親になりなさい。
子を失ったものはまた子をなしなさい。
富を失ったものは幸いです。「失った」と勘違いしているのだから。
家を失ったものは建てなさい。雨と風を凌げる家を。津波をも凌ぐ家を。
愛を失ったものは取り戻しなさい。YOUはSHOCKでしょうが微笑み忘れた顔なぞ誰も見たくは(ry
飢えなさい。憎みなさい。狂いなさいな。
我々から奪う勢いで飢えなさい。