はてなキーワード: 精神とは
周知の事実だろうが少子化問題に関しては別に日本固有の問題ではなくて、あらゆる先進国で発生している事象だ。
ここに関して、国が悪いだの、なんだのいう考えなしはここでは無視する。
まず医療技術の発達が、子どもが生き残る確率を上げたのは言うまでもない。
そしてリベラルな思想の醸成により、口減らしみたい行為は表立ってはできなくなった。
どのような才能や出自を持ってこの世に生まれ落ちたとしても、あまねく子どもたちは育てられるようになった。
これが一つ、今では誰もが知っているだろう現代の大きな問題の要因だ。
ハンセン病を始めとする病気由来のものもそうだし、生来的な障碍者差別もそう。
周囲や、若い人の反応は気にならなかったようで、それよりもむしろ親や親戚などの身内が、
地域社会から自分の存在を隠そうとしていたということに傷ついた、と語っていたのを思い出す。
よく現代病などとして、最近は花粉症が増えた、とか発達障害が増えた、などと言われて久しい。
これはもちろん、科学や医療が発達して色々なことが分かるようになった、ということもあるし
昔からそういう素質を持った人はゴロゴロしていたよ、という話もあるだろうが、
一番の理由は、子ガチャが出来なくなった、許されなくなったからだと思う。
で、今になってグレーゾーンだとか、ひまわり学級だとかが見直されつつあるわけだ。
もちろん、社会全体として生物学的な多様性を保つことは、種全体としてもリスクヘッジになっているだろうし
倫理的な側面からも、人間社会が豊かになったことの証左であると言える。
だが、個人としての本人の意思はいかほど尊重されているのだろうか。
自分もとある身体的ハンディと、重度のADHDを抱えていたものの、そこそこの努力と
周囲の助けもあり、大学も卒業し、サラリーマンを経て、親の敷いたレール、つまり家業を継いだ(祖業は廃業したが)
クソボンボン野郎、という声が聞こえないでもないが、幸福度で考えても全く釣り合わない、と思う。
ノブレス・オブリージュなど聞こえはいいが、結局は社会の奴隷かつ、労働者の奴隷でもあるのだ。
はたまた巷にいくらでも溢れている成功者の自伝本のように、努力が足りない、
などという世迷い言をいいたいわけではない。
この努力、というものを、子どもに押し付けたいか?ということだ。
これからますます、勤勉で、清潔感があって、思いやりがあって、物事の分別がつく、聖人君子が求められる。
厳しくなりすぎたからこそ…自ら世捨て人となる人が増えているのではないか。
トラックに轢かれて別の人生を、自ら子ガチャをやり直すような妄想が、蔓延しているのではないか。
で、この少子化問題に関わる議論として、責任負いたくない問題がある
さらには、経営者、責任者、政治家の責任重すぎやしないか問題。
今では部長が悪い、課長が悪い、OJTが悪い、親が悪い、環境が悪い、国が悪い等と
終わりのない他責思考と、昇進拒否や退職代行のような責任回避思考が蔓延している。
そんな責任を負うのなら、JTCで怒られない程度にお茶を濁すが如く耐える方がいいと。
ただ、それすらも今は…
だって社会と法律が、どうあっても子供を殺すな、きちんと責任をもって教育しろ、と言っているのだから。
だが、お前ひとりで育て上げろとも言っていない。
そもそも人ひとりで育て上げられるはずもない。犬猫を育てるのとはワケが違い過ぎる。
人間は社会性の動物であり、文字通り、社会の中で、人々と交流することで全てを身につける。
そうした側面を無視して、新自由主義的な、自らの力で全て何とかしないといけないような考え方に囚われちゃいないか。
ただ、オギャーと産まれてくるのは、ただの動物だ。チンパンジーだ。
産まれてずっと親と暮らすわけでもない。社会性をどこかで身につけなくてはならない。
そしてそれは、才能にもよる。マセガキもいれば、少々社会性の獲得が遅い人間もいる。
何より実際のローグライトゲームのようにリセットなど出来ないのだ。
何も持たず生まれて、何も持たずに土に還るのだ。そうした自然な循環をしようじゃないか。
だからこそ、基本的には子どものしたいようにさせるのが一番だ。
時には殴ってでも止めないといけないこともある。
刺し違えてでも、社会に迷惑をかけないように体を張って止める。
それはお前の役目だ。それは覚悟しておけ。その責任を社会にだけ負わせるな。
今は教師も、近所のカミナリ親父も、その役目を負ってはくれない。
そういう意味で、精神的な子育てのハードルは上がっているのは間違いない。
ただ、それが出来ないと思うのならよく考えて親になってほしい。
躾をされないで育ち、大人になってから鬱になるか、反社として生きるかの二択を迫るのか。
大人になってから躾を身につけさせるのは非常に難しいし、個人主義の現代にそのようなお人よしはいない。
社会に出てから虐められてみろ。怒られてみろ。言いたいこと分かるよな。
いじめられるわけでも、怒られるわけでもない。
子供のうちはいくらでも挑戦させろ、失敗させろ、身内で迷惑を掛けさせろ。
一つだけ伝えておきたいのは、別に世界も社会もあなたの敵ではないということ。
そして、今は未曽有の危機、第二次世界大戦前後以来の混迷期だということ。
もっと言えば、明治維新と第二次世界大戦を同時に経験しているくらいの、
大きな変化の渦中にいるということを、頭の中に入れておいて欲しい。
産業革命以来の、"働き方改革"(強制)と、年間数十万人の人口減の同時発生。
そんな場面で、日本人同士でいがみ合って、責任を押し付け合ってどうする。
別に指をくわえてみてたって構わない。
けど、お願いだから、これに対処しようとしている人たちの足を引っ張ることだけはしないでくれ。
別に賛同してくれなくたって、協力してくれなくたって、疎外したりはしないから。
あまねくご先祖様、これだけの天下泰平を築いたものの、戦後最大の危機が訪れております。
ある動画を見ていたら「友達と酒呑みながら鬱かもしれない、って言う人がいるけど、それはないだろう」というシーンがあった。
友人たちと楽しそうにしているとうつ病では無く見えるだろう。
実際自分もそう思っていた。
色々なことが重なって追い詰められ精神状態がおかしくなってしまった。未だに抜け出せていない。
元々自分は冗談が好きで、仕事中も軽口を叩きながら仕事をするタイプ。
夜には精神的にかなり追い詰められていても、日中は食事を楽しめていたように思う。
今も職場には精神的なところは言っていないし、気づかれていないようだ。
特に追い詰められると(自主規制)で、いつ死んでもおかしくない状態になってしまった。
死んでいたら周囲からは「まさかあの人が」となったのかもしれない。
見かけによらず苦しんでいる人がいる、というのを身を以て知った今日このごろでした。
https://anond.hatelabo.jp/20240430184240
あとスポーツしない&資本主義の最悪の表象(色を変えると欲しくなるとおもってるだろ)と思っている増田です。
ABCマートがなんか最近ハイイメージの別形態出そうとしてるけど、過去の悪行考えれば無理っしょ……
なまじ品質がよくカンファタブル&ストーリーも定評もある&色と形で冒険しない&いい感じに高価いと役がそろってるもんだから、
ここ5年くらい小金持ちオジサンの安定靴になっちゃって何も考えずに履くとまあまあダサい。加水分解でソールが剥がれる。
インスタパンプ。すぐ安売りして履きやすくて配色もバカっぽくて良かったんだけど
どうも親会社Adidasに見放され日本法人が撤退気味らしくて弾幕薄くなってる印象。
インスタパンプ以外もヘンな形の出してて好感はある。
ストーリーが薄い。
20世紀はゼロサムスポーツという合法ギャンブルで人間の精神をハックしてブランディングし、
21世紀は疑似も含むC2C投機という合法ギャンブルで人間の精神をハックした。まあそれはどこも同じなんだけど程度がね。
そこまで資本主義まつりに「あえてノる」仕草する気力もないので選択肢に入らない。
良くも悪くもストリートというか、曲がって受容されたのが面白いとおもうけど、最近はそれをブランド側が自覚しちゃって鼻につく。
ヒップホップからのダンスカルチャーはいい面なんだけど、流用されてドンキLDHソフトヤンキーとか
ローテクだけど履き心地はそんなに悪くなくて革モノは長く履ける。
基本おしゃれ女性が履く用でしょ、という固定観念があるのであまり目に入らない。
かつてはサッカーのブランドイメージをいい感じにスニーカーに落としてきたことがあった気がするが。
平成に培われた「asicsとmizunoはダンロップの次にアウト」という固定観念が邪魔する。
リブランディング成功したが、中国人向けインバウンド期に特化しすぎたのか
レトロ風なのにヘンなギラギラがついてる靴という印象になってしまった。
トレイルランブームがあるかのように商社ががんばってて売出中ですね。という印象。
基本アッパーが薄布なのでのっぺりしているところを蛍光色で埋めている。
あのクソダサスキーウエア屋さんがここ数年ハイテク分野で頑張ってる印象。
とはいえクソダサの印象は消えないので全面ロゴとか「これ……かっこいいのか?」となって手が出しづらい。
いい感じの機能の靴をお安く提供してくれる。完全防水ではないけどまあまあ防水とか。
機能靴としては優秀なんだけど、色がビビッド過ぎるとか形が丸すぎるとかで人を選ぶ。
全面的にデザインがトラッドでありつつトンチキでいいひねり方してると思う。
機能は期待してないわりにまあまあ丈夫で好感。
服飾系専門学校生が考えそうな靴。
だけどいかにも高価いんだよな……
よくわからん。ストーリーとか店構えがかっこよさげに思って店に入ると、
どれもウォーキング好きな健康的なオバさまが履いてる靴に見えてくる。
好きになりたいのに熱狂できない。
「『ブランド』というものがあるんだ!」と目覚めた中高生がまず履くものでありつつ、
ちょっと前のノームコアを機に大人のためのリブランディング頑張ってる印象。ユニクロと同じジャンル。
かつてはスケーター文化、パンクス文化とともにユース代表という感じだったのに、
その中でもわざと精神的肉体的被害をうけることによって成立するようなエンタメは特にそれ以外のものと明確に分けるべきなんだ
助けて誰かわかる人解説してくれ
その中でもわざと精神的肉体的被害をうけることによって成立するようなエンタメは特にそれ以外のものと明確に分けるべきなんだ
「トレパク」警察
これらの共通点わかる?
全部「女・腐女子」が中心ってこと
妄想で集団ヒステリーを起こして誰かが悪いことをやっている、やっていないなら証拠を出せと法精神の欠片もないことを言い出し、欠席裁判、リンチを行い、それが間違っていたとわかった後も謝らない。あまつさえ、疑われる方が悪いと更に攻撃をする。
こんな方の「性」。
https://bsky.app/profile/hiroerei.bsky.social/post/3krdqw4yn322k
(要ログイン)
「これが持ち上げられること自体はいいのだが持ち上げ方が反ポリコレ反左翼に収斂していくさまを見て精神的貧しさを感じる」
漫画家が漫画をたったの3ページも読まないで、自分の嫌いな奴がたかってるのが気に入らねえと喚いてるのが、よっぽど精神的に貧しい。
なんで3ページも読んでないと言い切れるかって?
最初の3ページが「教師に男と同じことしろって言われた!私はお裁縫がしたいのに裁縫なんかすると他の女子に悪い影響があるからやめろって」と「父親」に泣きつく女児の話だからだよ。のっけから反ポリコレ。読んでないから「これが持ち上げられること自体はいいのだが」と言えちゃうんだよ。
日本の会社だと「言われた事以外もやる」「気が効く」「嫌なこともサッとやる」が評価されるから
トップレベルだった時はアホほど労働時間が長かった時代だけで今は落ちぶれている
落ちぶれているってことは評価基準も間違ってる可能性が高いよな
臨機応変に動ける社員を集めたところで革新的な商品やサービスは生み出せないという証明でもある
BBQや家事を例に出してる人もいるけど、そっちはもう社員じゃなくて「共同経営者」なんだよ
求められる対応が違うのは当たり前だ
所詮この手の話は「日本の会社は何も言わなくても勝手に動いてくれる奉仕精神のある社員が好きなんです」って意味でしかない
世界で勝てるような仕事ができる人を遠ざけ、おままごとグループを作って仲良く沈没する行為だ
社内イベントで分かる「できる新人」と「できない新人」の違い→結局コミュニケーション取れるやつが成功する - Togetter
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いま、自分は地方メーカーで工場に勤めているが、ここで恋人を作るのは至難の業。
うちの会社の女は倍率100倍の日大と、と会社の誰かが言っていた。言い得て妙だな、と思う。
社内を見渡してみると、街コンやらマッチングアプリに一生懸命取り組んでいる人がちらほら。
色々とやることが多い20代後半~40歳前後になって、嫁探しに精を出す。馬鹿にする訳ではないが、非常に勿体ないと感じる。
学生時代に恋愛し、社会人になってから結婚するのは受験でいうところの推薦みたいなもの。ゴールが一緒なら苦労は少ない方が良い。
打算の気持ちよりもお互いの好きという感情で付き合い、そのまま結婚する。今振り返って思うと、幸せなことなんじゃないかと思う。
個人的に最も大きな人生の転機だったと思う。現役でギリギリ入れなかった大学をもう一度受けなおし、何とか合格することができた。
Fラン私大と国立大学の差は歴然だ。置かれた環境、周囲の自分に対するイメージ、学費、そして友達の質。
自分という人間であることに何も変わりは無いのにラベルだけが一新されることに最初はとても戸惑った。
だが、一生懸命ついていこうと努力するうちに、自分に貼りついたラベルだけでなく自分自身も変わっていく。
彼女もここでようやく手に入れた。
変わるだけの土壌が国立大にはあった。Fランには無かった。無いわけではなかったかもしれないが、自分には見つけられなかった。
ゴミのような大学に入ってしまった君は一年無駄にしてでも仮面浪人することを強くお勧めする。
修羅の道だが、受からなかったとしても今までと同じ大学生活が続いていくだけ。失うものは無いのでぜひチャレンジして欲しい。
国立大学への進学を機に母親と離れた。それ以来、必要なときだけ友好的にコミュニケーションをとるようにして今に至る。
俺の母親はいわるゆ毒親だった。俺や俺の姉、父、祖父母に対して常に攻撃をしていた。
母は世間知らずだ。農家の長女として育てられ、仕事などほとんど経験しないまま、父と見合いで結婚。
今ならわかるが、母は親としても妻としても無能だった。それが影響してだと思う。自分が小学校に上がるタイミングで家族まるごと祖父母の家で暮らすことになった。
俺は毎日祖母の飯を食べ、祖母の掃除した家で過ごした。今でも祖母は自分のことを可愛がってくれる。自分にとってのおふくろの味は祖母だ。
祖母がパートや家事、農作業を行うなか、母が何をしていたのか、まったく記憶に無い。毎日GYAOで韓国ドラマを寝ながら見ていたような気がする。
たまにアルバイトを始めたと思ったら、半年も経たずに辞めていく。そんなことを繰り返していた。
後は祖母を執拗に苛めていた。そんな母親が俺は大嫌いだった。が、嫌いという感情を出すことすら憚られる何か圧力のようなものを感じてもいた。
母は高卒だった。大学に行けるだけでもありがたいのに、Fランの私立に行くなんてありえない。そんなことを毎日言われた。
そんな折、気づいたら何故か父が家を追い出された。子供がある程度育ち、父が限界を迎えて自分から出て行ったのかも、と今にして思う。
こうして振り返ると母は悪魔のような人だったのだが、今では物理的にも精神的にも距離を置くことができ、心から安堵している。
たとえ血を分けた肉親だろうとクズはクズ。逃げることは何も間違っちゃいないのだと今にして思う。
ちなみに姉は母と一緒に今も住んでいるが、ときどき病んだような連絡が届く。心配だが、今の幸せを壊されたくないので接触は最小限に控えている。
・就職活動に本気で取り組んだ
国立大学とはいえ自分は理学の専攻だったため、就職はそれなりに苦労した。
今までやってきた研究と就職してから行う仕事のマッチング率が低く、ESや面接に落ちることもしばしば。
同期の大半が諦めて適当な地元企業に応募したり、急に公務員に舵を切り出していった。
そんな中、自分はメーカーを中心に滑り止め、中堅、大手と手広く応募し、最終的には第三志望くらいの企業に見事合格した。
就活に理解のある研究室ではなかったため、教授からの目線は冷たかった。
が、研究と並行しながら早め早めにインターンシップやアルバイト、面接対策に精を出し、最後に結果を出した。
いま、自分は30歳くらい。福利厚生、仲間の質、そして年収。大学の同期と比べてもたぶん上位2割には入っている自信がある。
もちろん年収、能力に関しては上を見ればキリがない。自分自身、今の仕事についていけなくなる可能性もある。
でも、いまのうちから貯金や資格取得、勉強など自己啓発は積極的に行っている。年収が下がることになってもたぶん俺は生きていけると思う。
それにしても。
日本だけなのかわからないが、受験にしろ就活にしろ、局所的な努力に対するリスクとリターンが大きすぎる。
今の日本の制度に異を唱えて貴重な時間を無駄にしたり努力を放棄するのではなく、 「やるべきときにやるべきことをやる」というのを念頭に、人生を歩んで欲しい。
・車を持たなかった
これは人や住む場所にもよるが、俺は車を持たないことは可処分時間、可処分所得を大幅に上げる大きな財テクだと捉えている。
維持費もかかるが、なにより運転している時間が無駄。その点電車やバスは目と耳を好きに動かせる。この差は大きい。
車での移動がどうしても必要な場合はレンタカーやタクシーで十分。
それでも移動したい場合、俺は原付を使っている。車に比べたらオモチャみたいな値段だが、もう10年以上の付き合いだ。
丁寧にメンテをしてやれば長持ちし、長距離の移動にも耐えられる。
時々会社の人からはバカにされるが、これに関してはバカにされて笑っていられる奴の勝ちだ。
ちなみに俺の実家は一人一台+トラクターやコンバイン、軽トラを所有する田舎の農家。
当たり前のように生活の中に車があった。
学生時代、当然のように車を親にねだったが、父が買ったのは激安の原付。
超重要。これができないと人生のあらゆる面で苦労することになるので必ず身に付けておくようにしたい。
今回、こうして日記に人生でやってきて良かったことなんてのを書いているが、リアルな人間にこんなマウントに近い自慢話をしたことは1ミリもない。
ここは鋼の精神力で自己を抑えなければならないことを頭で理解している。だから言わない。ネットの世界だけにしてる。
年収、恋愛、学歴、貯金どれもかなり人によってセンシティブな話。
多少、会話の際に滲み出るかもしれないが、あくまで事実として淡々と発言すべき。
間違っても他人と比較した際の差に関する発言や、助言的なことは自発的に言うべきではないのだ。
自分も時々不要な一言で場の雰囲気を悪くすることがある。そうして後悔しても後の祭り。その場の雰囲気や持たれた周囲からの印象はそう簡単には変わらない。
自分が100%正しいと感じても、他人の批評はやめた方が良い。うまく言葉で説明できないのだが、批評の気持ちを持つと人間関係にヒビが入りやすい。そんな気がする。
「○○のためにはっきり俺は言ってやるんだ」と言ってキレのある発言をする奴もいる。
確かに言われた○○の人生には多少プラスになることもある。それは事実としてその通り。
だが○○は助言者に感謝などしない。むしろ感情としてはヘイトだけが残る。
それを覚悟の上で助言をするなら問題ないとは思うが、それなら寄付でもした方がよっぽど建設的なんじゃないかと思う。
もしこういう奴が居たら俺はそいつの発言を3割程度に受け止めるようにしている。
大人になると誰もが自分の保身を優先するようになる、だれも悪いふるまいを注意なんてしてくれなくなる。
自分で意識して、変えていかないといけないんだ(耳が痛い・・・。)
以上。長々と書いてきたが、何か心に残るものがあればこれ幸い。
追記:
初年度納入金(入学金+前期授業料+後期授業料)のうち、入学金+前期の学費は親負担、後期授業料は奨学金から。
それ以外、仮面浪人時代の生活費や受験にかかわる模試だとか受験の費用、国立大合格後の引っ越しなんかも奨学金。
それ以降の大学生活とカネの関係については質問があれば特定されない範囲で答える。
・ミニ四駆好き?