はてなキーワード: 社会貢献とは
日々の暮らしに困ることのない所得を得ているが、最近は仕事が手につかない。
やらなくてはならないことが山積みだけど、仕事に対して向き合うことが出来ない。
なぜなのだろう?と思い、自己分析をしてみた結果、バーンアウト症候群に近い症状であることに気づいた。
俺は3年前に起業をした。
起業をした理由は社会貢献をしたいとか、新しいものを創造するといった推敲なものではなく、単に前職に嫌気が差したこと、チャンスさえあれば俺はもっと出来ると勘違いをしたということだ。
友人を交えて起業をしたが、起業というものは生易しいものではなかった。
サラリーマン時代に貯めた貯蓄は給与やら事業資金やらですぐに底をついた。
その後なんとか事業を軌道に乗せ、利益が出るまでに成長させることは出来た。
しかし、仕事のキツさと、金儲け主義の俺の考えに愛想を尽かし、友人は去った。
友人が去ってから俺は従業員のためにと働いてきたが、今では「一体自分は何のために働いてきたのかわからない」という状態になってしまった。
金儲け主義に走ってしまったがために「何が何でも売上を上げる」という短絡的な考えに至ってしまったからなのだと思う。
俺は何のために働いているのだろうか?
ひとりぼっちの会社経営。この先に待ち受けているものはなんなんだろう。
今の俺にはわからない。
楽しかったなぁ。
二人で会社を作って、がむしゃらに働いていたあの頃は。
「女性の社会進出」というのが、子供を産んで子供を保育園に預けて会社勤めをしてフルタイムで働くっていう一択になっているのが問題。(自営業とか在宅勤務とか、パートでほどほどに働くっていう選択肢もあるけれど、それらは異様な推進はされてはいない)
一生独身で子供を産まない生き方もあるとか、専業主婦でも趣味で活躍したりNPOやボランティアで社会貢献は出来るとか、そういうふうには考えていないのが凄く画一的。女性の多様な生き方どころか一つの生き方を押し付けてますやん…。
今のこの過剰な働く母優遇によって、専業主婦はバッシングされるし独身女性は皺寄せを押し付けられて結婚も出産も出来ないままと、あらゆる方向に迷惑がかけられてるよ。そうまでして働かせる必要があるのかな。金があるなら子供が大きくなるまで家にいればいい、金がないならそもそも産むな、っていうのが正直な気持ち。
いや、だから連帯して賠償するというのは、たとえば中絶費用に30万円かかるとして、10人加害者がいたとしたら一人3万円しか負担しなくていいということ?
違います。
そうはならないよね。10人それぞれが30万円払わないといけない。
違います。
老婆心ながら,考えるのは最低限の知識くらいは身に付けてからの方が良いですよ。考える時間がまるまる全部無駄なんで。
先述のとおり知識技術を無償で開放して社会貢献したいという分には、
社会にとっても利益になるわけだし、好きにさせておけばいいということです。
はいそうです。
いや、だから連帯して賠償するというのは、たとえば中絶費用に30万円かかるとして、10人加害者がいたとしたら一人3万円しか負担しなくていいということ?
単独犯なら30万円払わないといけないのに。
そうはならないよね。10人それぞれが30万円払わないといけない。
となると30万円×10人=300万円被害者は中絶費用を徴収できてしまうということになる。
単独犯に強姦されて妊娠中絶した被害者の10倍もらえてしまうということになる。
独占すると社会厚生を低下させるから親告罪なのではという言い方はちょっと語弊があった。
先述のとおり知識技術を無償で開放して社会貢献したいという分には、
社会にとっても利益になるわけだし、好きにさせておけばいいということです。
心も体も限界で、続けることができませんでした
朝6時ぐらいに店を出て、終わるのが夜中の1時とか2時。
一切残業代はもらっていなかった。
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タイムカードを組織的に偽装作成 だけど商品に嘘はまったくありません
そう考えるのが自然
会社が無法を続けるなら
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フリーライド云々言い出したら普通選挙の否定になるんじゃないの?
投票行くだけが社会貢献なんだっていうこと前提にしないと成り立たない話だろ
選挙行かない奴も仕事してたり税金おさめてたりするんだからちょっとくらいサボってもいいだろ
お前はずっと社会のためになる行動だけしろやとか思ってんのかもしれんが
鼓腹撃壌できる世の中になったのも先人のおかげだと思うよ
そもそも間接民主制での秘密選挙してるのが現実なのに意見を言う言わないの話にするのもおかしい
ある候補者に投票したからと言ってその候補の政策全部に賛成してるわけでもないから選挙行くのは意見表明でもなんでもない
秘密投票が憲法で保障されるほど重要なのも無理やり意見言わすことに弊害があるからだよ
「子どものこと、ちゃんと考えたほうがいいよ」という暴力 - キリンが逆立ちしたピアス
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障害児を産むのが恐い http://anond.hatelabo.jp/20130613094716
両親が子供を作れば、子供は生まれてきて様々な体験をする可能性があります。
子供がどうなるかはまったくわかりませんが、それを作るかどうかを最終的に決めるのは両親です。
作りたければ作ればいい。作りたくなければ作らなければいい。
子供を作る人たちの多くが見落としているか軽視しているであろうと思われる、子作りに対する「ある観点」。
これは子供を作る上でしっかりと念頭に置いた方が良い重要な観点であると思われます。
この増田を読んで何か思う事がありましたら、自分なりによく考えてみると良いかも知れません。
特に将来子供が欲しいと思っている人は、事前に考える機会があっても良いかと思います。
というわけでこの増田は、読んだ人に考える切っ掛けを提供するための増田です。
よ く 考 え て く だ さ い。
また、どんな目に遭う可能性がありますか?
想定出来る事だけでも不幸苦痛の雨あられですね。
想定外の不幸も起こり得る事をお忘れなく。
本当にそうでしょうか。よ く 考 え て く だ さ い。
生まれなければ、それらを 全 て 回 避 出 来 ま す。
どんな場合でもハッキリ言える事は、
親が産まなければ子供もそんな目には遭わなかったという事。
親 は 直 接 の 原 因 だ ろ う が。
この問題から逃げないでください。
何故子供が欲しいのか、よく考えてください。
考えればわかりますが、全 て 自 分 の 都 合 で す。
即ち、親の目的は己の利益。利益を得られるかどうかは運に依存する。
賭け物は子供。
要するに、子供(賭け物)を用意して利益を得ようというのが子作り。
賭けに勝てば(運が良ければ)親は利益を得る。
賭けに負ければ(運が悪ければ)親はその身を削る事になる。
(当然、勝ちとも負けともつかないケースもある)
(当然、勝ちとも負けともつかない人生もある)
この博打の性質として、一つ目の博打も二つ目の博打も常に絶えず打ち続ける事になる。
その博打を打つ点(つまり人生)が無数に繋がり線となったものが人の一生である。
せめてこれ位は理解した上で子供を作るかどうかを決めるのが望ましい。
そして、実際に交尾をして作るわけだ。
では仮に、とてつもなく幸福な気持ちで生き、幸福なままの気持ちで死ぬ可能性が90%、とてつもなく不幸な気持ちで生き、不幸なままの気持ちで死ぬ可能性が10%の人生があるとする。
交尾によって子供にこの人生を負わせるとした場合、親は子供が幸福になる可能性を容認すると同時に、子供が不幸になる可能性も容認している事になる。
可能性を容認するという事は実際にそうなる事を容認するのと同義であり、親は『子供が不幸になる事も容認した上で』子供を作っているのだ。
その辺は理解出来るよな?
例えば、日本人の1/3はガンで死ぬ。日本人の男女が子供を作る場合、その男女は「自分の子供がガンで苦しみ抜いて死んでも良い(仕方が無い)」と思って子供を作るわけだ。
例えば、人間は必ず死ぬ。どこかのカップルが子供を作る場合、そのカップルは「自分の子供が死んでも良い(仕方が無い)」と思って子供を作るわけだ。
例えばこの世では、病気、障碍、事故、犯罪、災害など様々な危険が降り掛かる可能性がある。
子供を作る者は、当然の事ながら「自分の子供が病気になっても、障碍者になっても、事故に遭っても、犯罪に遭っても、災害に遭っても良い(仕方が無い)」
と思って子供を作るわけだ。
「子供が欲しい」という親のエゴを充足させるために、膨大な危険を子供に「無理やり」背負わせるのだ。
子供への思いやりが無いからこそ、こうして子供を作る事が出来るのである。
別に法的な話をする気はない。
出産というのは、相手が死ぬとわかっていながら子供を作る行為だ。
生まれてすぐ死のうと80年生きてから死のうと、人の死ぬ原因が「両親がそいつを作ったから」であるのは確実だ。
事故で死のうが事件で死のうが病死だろうが災害で死のうが、そもそも死ぬのは「両親がそいつを作ったから」。
人が殺された時って「殺した犯人」が非難されるが、そもそもの問題として「親が産んだから」子供は死ぬ。
出産というのは殺人よりも根本的な意味に於ける人殺しじゃあないのか。
人が何らかの理由で死んだ時、その理由というのは死の時期を決定するものだ。
だが、親はその時期に子供が死ぬ事も容認して子供を作っているはずなので、親が犯人を責める事は出来ない。
そして、子供に死という結果そのものを喰らわすのは他でもない親だって事。
「人生(子供にとっては非常にリスクの大きなギャンブル)」と「死(これは確定している)」。
この2つを他人に無理やり押し付けるのが子作りなんですよ。
それが善いとか悪いとかではなく、「わかっててやってんの?」って言ってんの。
わかっててやってるなら私は「鬼畜」だと思うし、
そんな事すらわからずに子供を作ってるなら私は「バカ」だと思うのね。
「子供を作りたいから作る人」に対して私があれこれ言う事は出来ません。
しかし、「子供を作る事を正当化しようとする人」については批判します。
どんなに悲惨な状況であっても
その通り。逆に言うならば、
どんなに恵まれた状況であっても
それを不幸に感じる子供も居るかも知れん。
「子供が不幸になる可能性」とは、
エゴですよ。
ここではそういう話をしているのだ。
まず「不幸」の定義をはっきりさせろ。
「本人が不幸だと感じたら不幸」だ。
本人の主観に依存する問題なので、細かい定義をする事自体がナンセンスである。
強いて言える事があるとするなら、不幸とは「絶望感」に苛まれている精神状態である。
絶望感に対して積極的な気分で向き合えないのなら、それが「不幸」だ。
つまり、「本人が不幸だと感じたら不幸」という事だ。
将来設計も無計画で、自分たちに子育ては困難なのも知っている。
だが、一時的な感情の高ぶりを抑えるのが生まれつき苦手で
他人への迷惑行為は抑えられないような「人間味」である場合が多い。
「子供でも産めば何か変わるかもしれない」という
手っ取り早い一人前扱いにすがる。
ようするに「母親になるという大いなる名目」を周囲に突きつけることで
これは「親になれば一人前」という風潮を作った社会にも責任はある。
駄目だった奴の遺伝子で頑張らなければいけないのだから子供は楽じゃない。
いくら期待をかけても、結果も親そっくり。
子供は自分の所有物という意識が強く、自分の為に子を利用するタイプ。
自分の趣味を押し付けたり、芸能界に入れて下品なことをさせる親もこのタイプ。
彼らが愛しているのは子供ではなく、個性的なパパママを演じている自分自身である。
上記のような理由だけではかっこ悪いから
社会貢献などを持ち出して、さも自分が先見の明があったかのように装い
という問題は「考えると暗くなる」と不問にし、
「子は親を選んで生まれてくる」と思っているタイプ。
なぜ時空を超えるほどの存在が、極めて人間臭い修行に励むのでしょうか?
人間でさえ「罪を憎んで人を憎まず」と言っているのに
何もしないだけでゴミのように扱われ、自殺するのすら苦痛を伴う
頑張ってこの世で生きていく道を選んだとしても
最期は大半の人間が病気やなんやで苦しみながら死に、それまで築き上げてきたもの全てを失う
こんな苦行みたいなもんに自分たちの都合で強制参加させる親は自己中
自分たちの幸せのことだけで、子供のことなんてまったく考えていない
でも、いざ生きていく事に耐えられ無くなって来て生きるの辛いねといえば、みんなはもっと辛いんだ甘えるなと返される。
別に成長して行く子供も守られてる訳ではなく誰も助けてはくれない自己責任。
でも誰もが何時も子供を守ってると言うしそれが正しいと思ってる。
助けを求めれば当然誰も助けてはくれない。
支えてる振りして子供を操ってるのと、何もしてないのに守ってる恩を与える。
親には、なぜ、私を産んだのか。何度も聞きました。
その理由が私にとっては納得のいくものではなくて、余計に腹の立つものでした。
傷つける気持ちがあったというより、腹が立ったので言ったんだと思います。
そのあと、あんたが産まれてくると分かっていたら産まなかった。
とも言われました。
自分だけを食わせて生きいる強さのある人間は凄いなあ。と思います。
そういう人が、何を思って生きているのか知りたい。
そもそも子供を産まなければ何も起きなかった
頼んでもいないし産む必要もない
親を責めないことでちょっとでも自分の評価を高めようという姑息な考え?
この世界の地獄っぷりは日々ニュースでも目にしてるはずなんだがな
自殺スレをまわって少しでも苦しまずに死ぬための情報を集めてると
心底怨みがこみ上げてくる
親が産まなければこんなことしなくても良かったのに
「どうして私の子がこんな目に」
という場面をテレビなどでよく見かけるが理解出来ない。
”こんな目に”あう可能性が充分ある世界という事は既に分かっていたはず。
何も不思議じゃない。普通に想定出来る範囲の悲劇が起きてしまっただけ。
運が悪い?そうだな。この世界に生まれた事が既に運の尽きだ。
”どんな目にも”あうかもしれないという事を想像、覚悟するべきだ。
でもこれらを全て受け入れて
それでも産もうとする人間なんてそれこそ、理解出来ないけどな。
・そういう考えはネガティブ思考だ
・人間苦労して成長する
・こんなこと言う人は頭のネジが足りないんじゃないの
・うつ病じゃないの
と、偉そうなことを言うのである。
「どうして私の子がこんな目に」
「どうして私がこんな目に」
とこうである。
子供を作ったやつがその人生で苦しんだとしても同情することない。
「ポジティブ思考で苦しんでください」
「人間苦労して成長する」
と言ってやればいい。
いつ子供に自殺されても「親不孝」などとは決して言わないで欲しい。
自分の意思以外で産まれてくるのだったら、せめて不幸になった場合は
親はそれをたまに起こり得る「織り込み済み」のこととして納得してください。
子供が自分で死ぬ、これもまた自然のうちだと認識してください。
生きる事は辛い。死ぬ事も辛い。
両方とも辛いのだから、現時点でマシな方を取ればいい。
「死んだ方がマシだ」と思うようになるまでは生きる。
最期までそういう風に思う事が無ければ自然死するまで生きてもいい。
それで何の問題も無い。
生きるも死ぬもクソだが、マシな方を選べばいい。
生きる事が素晴らしいと思えるならば、そう思っても別にいい。
ただ、言える事は、
生まれて来たヤツが人生をどう捉えるようになるかはわからない。
人生を肯定出来るヤツになるかも知れんし、
子供を作るという事は、「生まれる子がどっちになるかはわからないけど取り敢えず作りますよ」という事だ。
何故作るかと言えば、それは「作りたいから」。つまり自分のためだ。
この事を変に美化しようとするから、子作り賛美の醜悪な風潮が出来上がる。
美化などしなくていい。
「子供がどうなるかは知らんが、俺は子供が欲しい。それだけだ」
子供の事を自分よりも優先させたければ、子供を作らなければいい。
この「子供を作らない」という事に関しても、自分がそうしたいからそうするだけだ。
その点が異なる。
と言ってるだけで、これは紛うことなき事実で真理だろ?
どんな心理でか考えて見ればいい。
の都合しか出てこない。
子の為に子を作るんじゃなく、自分の為に子を作るんだ。
そこには別に善も悪もないし、求めてもいない。
子供を作るなと書いてる訳でもない。
これがあるよね、ってだけだ。
それだけ
矛盾が無い否定論を正しいと見て置き、作りたい馬鹿は勝手にすればいいだけ
不条理も込みでね
たいていの場合、インテリバカが問題に対する考えを分かりやすくまとめてくれてたり
新しい見方を提示してくれる事が多い。が、乙武さんの入店問題に関してはしっくりくるまとめ文章が全くない。
インテリバカはもう少しがんばれ。ってかいつものバカはどうした。早く書け。というか書いてください。お願いします。
このままいくと、乙武さんがバカにされるだけで終わっちゃいそうなので、苦手だけど一応書いておく。
乙武の役目は、社会全体のやる気パラメータを上げることにあるにも関わらず
今回の問題では、それが全くできていなかった。
うまくいけば、飲食店全体の障害者対応への認識が変わりそうだったにも関わらず
問題提起になったが、成果がともなっていなかった。
乙武さんの行動を話す前に、この障害者差別問題の考え方みたいなものを理解したほうがサクサク理解が進む。
1.弱肉強食の世界とは強いものが生き、弱いものは死ぬ。そのまんま。
今生きている世界であり、平等と謳いながらも基本は弱肉強食の世界である。
2.理想世界とはうちらが目指している世界であり、みんなが幸せに生活できる世界である。
障害者・健常者・低所得者・高所得者・非エリート・エリート誰もが不便なく生きられ
うちらは弱肉強食の世界で生活してはいるが、理想世界を構築しようとしている事だ。
理想の世界<<|超えられない壁|<<【先進国(日本)】<<【途上国】<<<<【貧困国家】<<<<【石器時代とか】<<弱肉強食の世界
目指して方向はこっち← 何もしないとこっちに引かれる→
何で健常者が障害者に対して特別扱いしなきゃいけないのか?やる必要もなければしたくもない。
大体あいつら働いてるかもわかんねーし、社会に貢献度合いも低い。
そんなやつらに手間ひまやコストを掛けるだけ無駄だし、ほかの所に掛けたほうがよい。
では社会は何故そうしないのか?それは社会が理想世界を目指しているからだ。
誰もが不便なく幸せに生きる社会を目指す。偽善もはなただしいですね。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
「そもそも事の発端は障害者の面倒をみるってのが事が原因だから、障害者は排除しよう。」
・お店への入店禁止
健常者至上主義ということになれば、あの生意気なやつらもしゃしゃり出てこず、万事解決だ。
ひとまずはよかった、よかった。となるが、ちょっと待ってほしい。
そう、健常者でもホームレスやニートなど社会に貢献しない人がたくさんいるってことだ。
※何だか話が変な方向に流れてきましたが、お付き合いください。
ホームレスもニートも障害者と同じで、世話する必要なんかない。
というか国家に対して貢献してない人は区別しましょう。ここでは簡単に【納税額が低い人】で区別するにしよう。
では、区別ラインを【一人当たりの年間所得が800万以下】で区切ることにする。
そうでもないみたいです。
日本の税金の50%は、人口11%に過ぎない年収800万以上の人達だけで払っている。
http://www.nta.go.jp/kohyo/tokei/kokuzeicho/minkan2000/menu/05.htm
【1年を通じて勤務した年間給与額800万円超の給与所得者は、全体の給与所得者の11.3%にすぎないが、その税額は全体の半分以上(53.8%)を占めている】
※800万をラインにしましたが2500万以下でも全然問題ないです。
障害者にはもちろん人権を与えないが、健常者でも800万以下の低所得者は下記のような扱いとする。
・図書館や公園など公共施設の利用の制限(納税額が少ないので)
・労働法を適用させない。1日20時間労働休憩無しとかさせてもよい(低能力だから時間を掛けさせるべき)
・高額納税者の命令に歯向かってはならない(低所得者の意見に良い意見はすくないので)
黒人奴隷やインディアンの扱いに比べれば、全然問題ないですよね?人身売買や虐殺・娯楽殺人は許してないので。
どうでしょう。結構いい感じの世界になってきたのではないでしょうか?
変なにまで話に発展してしまいました。ですが
「低所得者で国家貢献度が低い障害者は健常者を敬って生活すべき!」
という話はこんな世界にぶち当たります。強い奴を敬えって奴です。
弱肉強食の世界は一昔前まで、これが当たり前の世界として広がっていました。
強い力を持つ人たち。貴族・王様・殿様・武士・白人などはその力を多いに使い
弱い力しか持たない人たち。平民・農民・エタヒニン・黒人は多いに虐げられましたね。
でもこれは悪いことじゃないです。自然なことです。
弱い人たちは虐げられるのは当然なのですから
今現在、年間所得800万以下の人はこんな世界どうですか?なーんか生きにくそうですね。
じゃあどういう世界にするか?
素晴らしい世界ですね。そうしたほうがみんなが幸せになるのですから
絶対そうしたほうがいいです。これは正義です。これに反対するのは悪です。
一部のエリートが私利私欲をムサボリ、一般市民が泣きを見る世界は不公平です。
高額納税者に「自由に図書館・公園・飲食店を使わせろとー」とか言い出すのです。
「社会貢献してない低所得者を相手にするのはめんどくせー」って
何で高額納税者が低所得者に対して特別扱いしなきゃいけないのか?やる必要もなければしたくもない。
大体あいつら働いてるかもわかんねーし、社会に貢献度合いも低い。
そんなやつらに手間ひまやコストを掛けるだけ無駄だし、ほかの所に掛けたほうがよい。
ん?
なんか変な話になってきましたね。ポルナレフ状態です。
・障害者ウゼー
・区別されるのは嫌だ「区別するのは良くない!自由にしろ」って言い出す。
・低所得者ウゼー
・どうやら人を区別するとうまくいかない。乙武を批判すると回りまわって自身に跳ね返るっぽい。
・起承転結の承までかきました。
文才ないとすげー文字量多くなるのな。
これが乙武さんと、はじめに書いた結論にどう繋がるのかは、まだ書いていませんが、まぁわかるでしょ(適当)
インテリバカは頑張って、この続きを短くてわかりやすく書いて、どうぞ。
【追記】
誰も書いてくれそうに無いので後編かきました。
で?だからなに?資本主義ってものさしの1つでしょ。歴史の長さ、文化貢献、社会貢献、ものさしは沢山ある。
お金が大事って人たちの中で、やってれば? べつに、資本主義の観点で、すごいなってのは否定しないよ。
だけど、万民に認められたければ 複数の価値観のベクトルを持ったら?
というかまさに、アパレルというか、ファッションブランド 上位をガンガン 買収している資本主義の化身で勝つ歴史も長い
ルイビトンモエヘネシー グループに 資本主義の観点で文句つけるというのは 面白いけどな。
やつら、エルメスすらも買収を企てた資本主義の鬼でかつ、有名ブランドで かつ、歴史あるブランドを買い漁ってて
どこに、欠点があるんだよ。
自分のことだと勘違いした人に変な恨みを買うのもいやなので増田に書きます。これを読んで自分のことと勘違いするような人はネットでの発言力もあるだろうからなんか怖えーし(笑)。あくまで一般論ですよ、一般論。特定の誰かのことじゃないです。
さて。
コンシューマー向けのサービスとかコンテンツの分野で起業する人ってよくいるじゃないですか。よくはいないかもしれないけどネットでは目立つ。少し前ならWebサービスとか、最近ならアプリとか。
でも、まぁダメだろうなーって人がほとんどなわけです。黎明期はとっくに終わっていて大企業同士がガチバトルを繰り広げているところに、なんの経験も実績もない素人が突っ込んでってるみたいな。そもそものアイディアがありきたりで、しかもうまくいかないことがすでに証明されてるってなパターンも多いし。
もちろん、全部が全部ダメってわけじゃないですよ。特定分野で実績のある人がネットを使ってどうたらこうたらとか、立ち上がりつつある有望分野にネットでも有名な○○さんが挑戦とか。
でも、その企画って、会社を作るほどの規模ですか?
コンシューマー向けのサービスやコンテンツがどういう結果に終わるかってのは、やっぱり千差万別なわけです。どのレベルをもって「成功」と見なすかってのも人それぞれで、サラリーマンの副業なら月数万円でも大成功だし、個人事業なら月数10万円でも悪くはない。表現欲を満たすための遊びや社会貢献が目的なら、収支マイナスでも成功と言えなくもないでしょう。
でも、会社を作って専業で生活していこうとなると、相当にハードルが上がりますよね。東京に住みながらまともなコンシューマー向けサービスとかを企画できるだけの文化的な生活を送ろうと思ったら、最低でも月平均4~50万円はかかるんじゃないかなー。それを×人数分。諸費用を考えると利益率にもよるけど月1~200万円×人数分くらいの売上が必要になるわけです。
しかもベンチャーキャピタルなんかから投資を受けてたりすると、初動が悪くても見切りをつけて別の企画をやるってわけにもいかないわけでしょ?投資を受けるにあたって相当に見込みが高いとかプレゼンしちゃってる手前。
でも、コンシューマー向け製品の企画を仕事にしている人なら納得できると思うけど、初動の悪かった製品に後から金とか手間をかけても、やっぱりどうにもならないことが多いんですよね。クオリティ的な部分で問題がないとすれば、企画≒仮説が間違ってる可能性が高いってことだし。
それでも投資を受けた手前やめることができないとすれば、たぶんそれは相当に辛い。傍から見てても、優秀だったはずの人が起業なんかしちゃったばっかりにたぶんもうどうにもならないだろう企画に何年も縛り付けられていて、「もったいないなー」って感じになってることが少なくないし。
結局、コンシューマー向けのサービスとかコンテンツをやりたいと思うなら、そういうビジネスをやってる企業の企画職に就くのが一番なんですよね。そういう企業ではある程度の失敗は織り込まれているから、明らかな過失があったり故意に間違ったやり方をしていない限り直接的な責任を問われることはないし、企画の初動が悪ければ見切りをつけて、また別の企画に挑戦することもできるし。
だから、優秀な若者には、10年前のITバブルやWeb 2.0バブルのころみたいなこと言ってる金融屋とかに踊らされたりせず、それなりの企業の企画職を目指して欲しいなーと思います。起業なんて別に年取ってからでもできるし、製品企画のスキルは実地で経験しないと身につかないしね。
一方で、すでにまぁリビングデッドみたいになっちゃってる人たちはもうしょうがないですよね。それぞれの人生の選択の結果だし、各自頑張ればいいと思います。ただ、可能であれば、どこでどう失敗して、どういう風に後悔しているかを、匿名でも良いので語ってもらえるとうれしいなーと思ったりはします。
まぁなかなか匿名でも、自分が失敗したとは認めにくいとは思いますけどね。
こちらからは以上です。
世の中には、勝ち犬も負け犬もいる。
負け犬は、その遺伝子を次の世代に残さないために死ぬのが望ましい。しかし、社会が負け犬認定したり、人間を処分したりするための部署を作ると、不正の温床になったり、実際に処分を実行する仕事をする係の精神的ケアが大変になる。負け犬は、言われなくても自分で自分を処分することが社会貢献なのだ。勝ち組だけが生き残るのは、自然の摂理だ。
その代わり、人には自殺権がある。自分の都合のいい時に、まだそれほど苦しまない間に、自分の命を経つ権利がある。自殺するな、なんていうのは、勝ち組のプロパガンダだ。勝ち組は、我々の足元を見ている。どうせ、自分の命が惜しくて働き続けるだろうとたかをくくっている。我々負け組が働き続けるほど、彼ら勝ち組はさらに勝ち抜いていく。我々が働き続けるほど、彼ら勝ち組との差は開く。自殺せずに働き続ける事は、勝ち組が負け犬搾取するのに同意しているのと同じだ。
子は幼児で、保育園に通っている。夫はかろうじて正規雇用なものの、一流企業勤めではなく、賃金に見合わず仕事に忙殺されている(夜勤ありの仕事)。
私は妊娠前から専門職についていて、産休・育休で1年育児に専念して復帰。
保育園に預ける際、同居家族の就労証明が必要であり、子の両親のほかに祖母の就労証明が必要だと伝えられた。
祖母がフルタイム勤務←→専業主婦の度合いによって、保育園受け入れの判断がされると知り、驚いた。
ちなみに、子の祖父母4人全員フルタイム勤務でバリバリ働いている。子の両親と祖父母を合わせて6人のうち、もっとも賃金労働をしていないのは私。
まず、なぜ、祖母の就労証明だけが必要なのか?→仮に、祖母が働き頭で祖父が働いていない場合でも、祖父の就労証明は必要ない。とすると、祖父である「男性」は、育児の担い手として期待・認定されていないことになる。また、仮に、祖母が働いていないことが祖父に比べて一般的に多くあるため、祖父の就労はほぼ自明であり、祖母の就労は書面で証明されることが必要な程度の差があるということなのであれば、祖父母世代の男女の雇用不均等を黙認していることになる。
上記を踏まえて、私の考えは、祖父母世代に早く隠居してほしいと思っている。そして、祖父母世代はこどもの面倒をみることを自分の仕事として認識してほしい。
「団塊スタイル」という中年男性のクソみたいなオナニー番組がある。男性が60歳を過ぎても会社で働くことができる制度を取り入れた企業を取り上げ、ついこのあいだ公開された2011年3月11日の東電役員のビデオ会議のような茶番劇に似たスカイプ会議を行う様子と、それに満足するクソみたいなジジイたちの表情に、へどが出た。
会社勤務という「社会貢献」に自分のアイデンティティを依存させ、すがりつくジジイババアはみっともない。はやく隠居しろ。
奴らがしていることは、他の若い人間ほぼ誰にでも遂行可能な仕事であることが一目瞭然である。はやく隠居しろ。
若者に雇用を。そして、祖父母世代は子育てが終わって無罪放免されているわけではない(こどもは両親の世話のみで育つわけではない)ことを自覚してほしい。
自分はきちんと子育てを全うした、そういう勲章が免罪符になっているだけに、子産み世代の独身男女、あるいはノーキッズのカップルと同様、たちが悪いように思える。
いつからそう感じていたのか分からないのだけど、モノを買う事に罪悪感を感じるようになっている自分に気付いた。
昔は、欲しいモノがあったら、ポンポン買っていたのだけど、今はどうもそんな気分にはならない。
「欲しい」という気持ちを「罪悪感」が上回って買えなかったりする。
「消費すること」・「お金を使う事」=「悪い事」と感じるようになってしまっている。
日本が不況と言われるようになったのも関係していると思うし、「エコ」だとか「節約」とかが良しとされる風潮が広まって来ている中で生きてきて、自然とそう感じるようになってしまったんだと思う。
日本中の人が、自分のようにモノを買う事に罪悪感を感じているんだとすると、それが不況の原因なのかなあと思ったり。。。
でも、ここで書きたいのはそういう事じゃなくて。
そんな「モノを買う事に罪悪感を感じている」自分でも買ってしまうモノ達がある。
漠然と最近自分が買ったモノや、買ってもいいかなあと思っているを眺めていて、そこには共通点がある事に気付いた。
例えば、
・二つの使い方ができるバッグ。
・他のお店で売っているより安かった文房具
などなど。
商品のジャンルは違うけど、全てに「言い訳ができる」という点は共通している。
思いついた言い訳を書き出して見ると。
・買う事で、発展途上国の仕事が増えるというバッグ → (言い訳)このバッグを買えば、発展途上国の援助にもなるんだ。
・被災地の支援になるプロダクト → (言い訳)これを買えば被災地を支援できる。
・二つの使い方ができるバッグ → (言い訳)二通りの使い方ができるので、二個買わずに済む。
・他のお店で売っているより安かった文房具 → (言い訳)他で売っていた値段より安かったんだから得した。
というような感じ。
買ったものは、無意識のうちに、自分を説得できる言い訳が思いついたものばかり。
そう考えるうちに浮かんだ仮説がこれ。
『 現代のような「消費」=「悪」という社会では、人が欲しいモノをつくっても売れない。売れるモノは「言い訳できる」モノである 』
そう考えると、色々な企業が、社会貢献活動をしているのにも納得がいく。
まわりまわって、その企業の商品が売れる為の「言い訳」になるのだから。
これから、モノをつくったり、売ろうとしたりする人は、「言い訳できる」という視点で、アイデアを練ったり、売り方を考えればいいんじゃないかなと思った。
※もちろん、企業の社会貢献的な活動が悪いと言いたいのではありません。消費者の購買活動の動機づけや判断の材料として働いているだろうという意味です。