世の中には、勝ち犬も負け犬もいる。
負け犬は、その遺伝子を次の世代に残さないために死ぬのが望ましい。しかし、社会が負け犬認定したり、人間を処分したりするための部署を作ると、不正の温床になったり、実際に処分を実行する仕事をする係の精神的ケアが大変になる。負け犬は、言われなくても自分で自分を処分することが社会貢献なのだ。勝ち組だけが生き残るのは、自然の摂理だ。
その代わり、人には自殺権がある。自分の都合のいい時に、まだそれほど苦しまない間に、自分の命を経つ権利がある。自殺するな、なんていうのは、勝ち組のプロパガンダだ。勝ち組は、我々の足元を見ている。どうせ、自分の命が惜しくて働き続けるだろうとたかをくくっている。我々負け組が働き続けるほど、彼ら勝ち組はさらに勝ち抜いていく。我々が働き続けるほど、彼ら勝ち組との差は開く。自殺せずに働き続ける事は、勝ち組が負け犬搾取するのに同意しているのと同じだ。
http://anond.hatelabo.jp/20130416162309 人に迷惑かけずに自殺しようと真剣に考えると、死後の始末が割りと本気で大変だったりする。 迂闊に死ぬと大変だという例→http://blog.goo.ne.jp/clean110
ジンケンのくびきからいい加減21世紀の人間は脱しないといけないだろ いつまでも貧乏人に教育をとかやってるからいけないんだよ そういう「夢」みたいなのを早くあきらめられるよ...