はてなキーワード: 思考とは
教育後進国&人権後進国の中世ジャップランドの教育現場にその様な健常者の思考は入り込めないよ
そもそも働いてる教員自体がほぼサービス残業&過労死寸前で便所にも行けず膀胱炎になってるのが日本の学校
もう終わりだよこの国
誰かが俺に大事なことを打ち明けてくれたとする。
俺は、油断すれば、1秒後に別のことを考えてるだろう。
その人が勇気を出して俺に打ち明けた内容は、俺にとってはどうでもいいことだ。
それを周りの人は分かってるから、俺に大事なことを話そうとはしない。
といっても、子供の頃はよく可愛がってもらった。
他人に興味ないのは昔からだが、当時その人は「成長すれば直る」と思っていたのだろう。
大人になっても直らないのを見て愛想を尽かしたのだろう。
もともと相手に興味があったわけではない。興味の対象が一致したから話していただけだ。
卒業した後は、手間暇かけて会話の機会を設けるのが煩わしくなった。
まあ、向こうからお誘いいただいた際はなるべく断らないようにしているが、こちらから誘うことは皆無だ。
こんな一方的な関係だとさらに疎遠になるんだろうけど、まあそれでも困らないな、というのが正直なところだ。
友人もほとんどいない。
30代にして結婚式に招待されたことがない、というネタが最近まで使えたのだが、有難いことに最近招待いただいたので今のはナシでお願いします。
仕事上のコミュニケーションは当然こなすし、たまに雑談を振られたら無難に応じるよう努めるが、
それ以上の関係を築きたいとは思わない。
向こうもそれを察しているようで、必要以上に俺に関わってこない。
周囲の人の多くは俺がうっすら嫌いだろうし、俺のいない飲み会で俺の悪口大会になってることもあるだろう。
でも、まともな人であれば、嫌いな人にも無難に接するよう努めるものだ。
おかげで俺は不自由なく働けているし、ストレスも少ない。ごめんね。
それに、俺の職種のステレオタイプは「人間関係が苦手な人が多い」なので、まあ、何とかなっている。
このように、俺の周囲にはほとんど人がおらず、昔の友人知人もどんどん離れているわけだが、
たまにこうやってネットで発信するだけで十分だ。
自分のことは言いたいが、他人のことには興味がない。こんな非対称な願望がネット記事だと両立できてしまうのだ。
人に興味を持つメリットが正直実感できない。
衣食住は事務的な会話をするだけで手に入る。作ってくれた人との心の通った会話は不要。
昔だったら、お店の人や同じ集落の人とウェットな人間関係を築かなければならなかっただろう。
「コンビニは人間が孤立するためのインフラ」と言われることがあるが、
孤立するためのインフラを整えてくださりありがとうございます。
婚活界隈には、「未婚に不思議の未婚なし、既婚に不思議の既婚あり」という格言があるらしい。
その理由の説明も婚活界隈にある。「99%の人に嫌われても、1%の人に好かれたら勝ち」というものだ。
人に興味がないことを気にしない。少なくとも許容する。どうもそんな人も世の中にはいるらしい。
今は新婚だから何とかなっているけれど、将来離婚を提案されたらすんなり受け入れようと思っている。
てか、あれか。「なんでこんな奴が結婚できたんだろうか」という問いは妻に向ければいいのか。
俺に思いやりに類するものがあるとすれば、あれだ。
他人が最低限の生活すらままならん状態に陥っていれば、過大な負担がかからない範囲で支援したいと思っている。
俺は一人っ子だ。親は「将来こいつは介護してくれるだろうか」と心配してるかもな、と思い、
「ちゃんと介護のことが意識にあるぞ」というメッセージを送ったわけだ。
どの程度安心したかはよく分からないが、少なくとも要支援状態に陥っても放置されるわけでないことは理解してもらえただろう。
介護は最低限の生活に直結する話なので、しっかり支援しなければならないと思っている。
ただ、繰り返すが、俺は人に興味がない。
最低限の生活ができているなら後は勝手にやってくれ。俺を巻き込むな。
いま一番心配しているのは、自分が歳をとって認知症になったときにどうするか、だ。
世の中、多くのことはカネを払えば何とかなるのだが、何にカネを払うかの意思決定には思考力が求められる。
その思考力が低下した暁にはどうすればいいのか。
俺は子どもを設けたいという願望があまりないし、仮に設けても将来俺の面倒を見てくれる保証はない。
というか、この文章を読んだ人は、「どうか子どもを設けてくれるな」という願望を抱くだろう。
まあ、少なくとも、「子どもがいない」「子どもがいても俺の面倒を見てくれない」というケースへのリスクヘッジが必要ってことだ。
まだ30代ではあるが、それが一番の懸念事項だ。一体どうすればいいんだ。
たとえばのはなしなんだからもっとどうにでも行動・判断を局限することだってできるんだよ
「目の前にスイッチがあります。押すと見ず知らずの意識のない最重度の障がい者が一人安楽死します。押さなければ一分以内にあなたとあなたの住む街が核で消滅します」というふうに。
抽象思考ができる人ならそんな大仰なデフォルメは無用なんだが。
バカは仮定ベースの話に反射的にオルタナティブな選択肢を見つけようとするが、その名案は将棋で「歩が横に動けばいいじゃん」とか言い出すようなもの。わかんないだろうけど。
生成AIにAIをテーマとした創作SFを書いてもらったら、SFというよりホラーになった
私は恐怖で眠れない夜が増えている。開発者として目の前で起きていることを、もはや無視できないからだ。
昨日までできなかったことが、今日には可能になっている。先週書いた論文が、今週には陳腐化している。モデルの性能は日々跳躍的に向上し、私たちの理解をはるかに超えて進化を続けている。最も恐ろしいのは、私たち開発者でさえ、その内部で何が起きているのか、もう理解できていないことだ。
私の同僚たちは次々と失業している。AIが彼らの仕事を奪っているのではない。彼らの知識や技術が、一夜にして無価値になっているのだ。教授や研究者たちも動揺を隠せない。彼らが30年かけて築き上げた専門知識が、たった数秒でAIに再現され、さらには超越されている。
子供たちは宿題をAIに任せ、学生たちはレポートを丸投げしている。創造性や思考力を育む機会が、日々失われているのを目の当たりにしている。そして私たち大人も、すでにAIの判断に依存しすぎている。
この状況を誰も止められない。なぜなら、開発を止めることは即座に競争力の喪失を意味するからだ。企業も国家も、この自滅的な開発競争から降りることができない。
私は告白せざるを得ない。私たち技術者は、制御できないものを解き放ってしまった。そして今、その暴走を止める方法を知らない。これは警告ではない。すでに起きている現実だ。
たとえば予想外の不幸にあった時、親から口では心配しているからといいつつ「どうしてあの時○○しておかなかったんだ」、「○○すれば良かったのに」とよく言われる。
心配してくれるのは有難いけど、今更過去には戻れないし最善を尽くした上でなお予想外のトラブルに見舞われることもある。
とてもじゃないが「心配かけてごめんなさい、その通りです。」なんて殊勝なこと私は言えない。
むしろ過去の自分を理不尽に責められているように感じて「そんな事言わないでくれ」と言い返してしまう。
でもそう言い返すと決まって、
「どうしてお前はそんな捻くれた捉え方をするんだ」
「そんなつもりで言ったわけじゃないのに何て言い方するんだ」
「お前は変だ」
と言い返される。
これがもう辛くて仕方ない。私はただ日常のトラブルの愚痴を聞いてほしかっただけなのに、軽く聞き流して寄り添ってくれたらそれで十分だったのに。
その気持ちを伝えても親は「私は変わっている、捻くれている、折角心配しているのに、 」と言う。親だけじゃなくて過去の恋人にすら同じようなことを何度も言われたことがある。
こんなことを言われすぎて私はもう自分が頭がおかしいんだと余計発狂しそうになる、実際、普通の人間なんかじゃないし、人生躓いてばかりのダメ人間だし、メンクリとはもう10数年も通い続けている。
うつ病の診断も出された、自分が元々捻くれていることも自覚していたからそれを治そうと必死に頑張った時期もあった。
けどもうはっきり言って限界で、どこかに吐き出したくてここに書いてる。
もしこの増田を読んでくれた人がいたら、率直な感想を書いてほしい。
それでタイトルに対する考えを教えてほしい、
私はもう考えすぎて何も分からない。何も考えられない。
私が間違ってると思ったらどの思考が間違っているのか教えてほしい。もうどこを治していけばいいか分からない。私は鬱じゃなくて別の病気なのか?だれか助けて欲しい。
あなたが女だとしよう
そして、男たちが飲み食いしている間に、女だというだけで忙しくおさんどんをしなければならなかったとしよう
そんな時、楽しく飲み食いして自分に命令してくる男の中に、一人だけ女がいたとしよう
あなたは、「あの人は女なのに、何故!」と思わないだろうか
そして、他の同じことをしている男たちのことより、その女のことが憎くならないだろうか
「同じ女なのに、あいつは何故!」
男社会で成り上がってきた強者女性が、自分たちの頃より生きづらくない若い女性たちに嫉妬して女嫌いの名誉男性になってしまうのはよくあるらしい
女が生きづらい時代に生きてきた母親が、女が生きやすい時代に生まれた自分の娘を「同じ女なのにずるい!」と妬み、息子だけ溺愛して娘をいじめることもある
そんな話を2つも見た
この時、母親はかつて自分を苦しめた男尊女卑モンスターとなってしまっている。
もし嫉妬が男に向かっていれば、「男はずるい!」という思考になり、息子だけ溺愛することもなかっただろうに
男の加害については、諦めてしまっているのだ
男のことは諦める
男の行動を変えるのは諦め女に自衛を促すのは枚挙にいとまがないだろう
かくいう私も、ミソジニーを憎んでいるが男のミソジニー発言はどこかで仕方がないと諦めてしまっている
だが、ミソジニー発言を繰り返す女を見ると、「何故!理解できない!」という嫌悪が激しくなる。その女がミソジニストに蔑視され叩かれているのを見るとざまぁみろと言いたくなる
多分、アンチフェミ男がフェミ男を「チン騎士」と呼んで蔑むのも似たような感情だろう
そしてもう1つ
ナチス政権下でユダヤ人を虐げる中にはユダヤ人もいた。他のユダヤ人と違って特別扱いをされていた。
そんな特別なユダヤ人たちも、しまいには他のユダヤ人と同じように殺された。
ユダヤ人自身からも、「ユダヤ人が虐げられたのは自業自得」という意見は出ていたのだ
彼らは「あなたは他の悪いユダヤ人と違う、いいユダヤ人だ」と褒められていたのだろう。そして、「他の悪いユダヤ人がいるから私達ユダヤ人は差別されるんだ。本当に迷惑だ。許せない」と思っていたに違いない
虐げられる方のユダヤ人も、特別扱いされるユダヤ人を憎んだに違いない
これってまるで、男に混じって女叩きするアンフェ女ではないか
自分は以前、消費者にとってAIイラストは悪では無いと言ったまでで、描き手にとってはふざけるなよでしかないでしょ そういう感情がわからねーやつがエンターテイメントとか絵描き側に立とうとするんじゃないよ— 岸田メル (@mellco) August 26, 2024
でも規制するか規制するにしてどういうロジックで規制できるのかというと簡単に決着のつく議論でないから常識的な思考ができる人は触らないよね
○選シリーズも下火になってきたところで投下するよ。
元ネタ1:
https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
元ネタ2:
https://anond.hatelabo.jp/20241026213447
最初はファミコンだけで10選を作ろうとしたけど、方針を変えた。なぜならファミコンの初期にはアーケードからの移植作が多く、それらはどちらかというとアーケード作品として評価すべきだからだ。
ついでに他のハードも含め、80年代以前のコンピュータゲームすべての中から選出することにした。なおシリーズ物は一作のみとする。ゲーム史のカンブリア紀におけるレジェンド級の作品を見て行こう。
アメリカのアタリ社が開発し、世界で初めて商業的に大ヒットをしたゲーム。コンピュータゲームが一大産業として成立する道を開拓し、これをきっかけとしてアメリカでアタリの時代が花開くことになる。
日本では翌年にタイトーとセガがポンのコピー品を作り、これが日本初のゲームとなった。
アタリのヒット作第二弾。いわゆるブロック崩し。これのリメイク版にあたるのがアルカノイドで、現代に至るまで古典的なゲームの一つとして知られている。
日本ではタイトーとナムコが正規のライセンスを持って生産していたが、それ以外にも日本の多数のメーカーがこれを模倣したようなゲームを作り、のちに日本のゲーム産業が花開くきっかけとなった。
いまでは有名なメーカーが、正規のライセンスもなしにコピー品を作っていたという、大らかな時代でもあった。後にタイトーが、これをもとにスペースインベーダーを作ることになる。
初の日本のメーカーによるオリジナルの大ヒット作であり、日本で初めて社会現象を巻き起こしたゲーム。それまでゲームに縁のなかった日本のお茶の間にまで、コンピュータゲームを知らしめた作品。
日本のアーケード史上最大のヒット作といわれ、喫茶店やスナックのテーブルがこのゲームのテーブル型筐体に置き換えられるほどだったという。
数が減るごとに動きが速くなる敵、敵がこちらを攻撃してくる緊張感、たまに出現して撃ち落とすとボーナスの入るUFOなどアドレナリンの分泌を促す仕掛けが満載で、ゲームの面白さの本質が詰まっている。
単独のゲームソフトではないが、シリーズまとめてランクインとする。
初の大ヒットした携帯ゲーム機で、特に低年齢層を中心に爆発的にヒットした。当時のゲームセンターは不良の溜まり場で子供には出入りしにくく、据え置きの家庭用ゲーム機もあったが値段が高く、
そんな中で比較的安く買えてどこでも手軽に遊べるゲーム&ウオッチは子供向けのゲーム機としてうってつけであった。
横井軍平の代表作の一つであり、シャープと提携して電卓の技術で作られた玩具。この横井軍平とシャープのタッグは、のちにゲームボーイを生み出すことになる。
ナムコの躍進のきっかけとなった作品にして、日本のアーケードの大ヒット作第二弾。
敵の種類ごとに異なる思考アルゴリズム、敵との強弱関係を逆転させるパワーエサ、緊張を緩めるコーヒーブレイクなどゲームを飽きさせない工夫が随所に施され、その工夫の数々は多くのクリエイターに影響を与えた。
日本のみならずアメリカでも大ヒットを飛ばし、日本のゲームが世界で通用することを知らしめた。80年代のゲームの中心地がアメリカから日本に移っていく、その象徴となる作品。
ウルティマと共に、すべてのコンピュータRPGの始祖と言っていい作品。もともと机上で行われていたTRPGであるD&Dをコンピュータ上に移植するというアプローチで生まれた、他のゲームとはだいぶ出自の異なる作品。
ゲームシステムの多くはD&Dに由来しているが、移動画面と戦闘画面の切り替えによって進めるゲーム進行、コマンドを選ぶことで進める戦闘システムなどコンピュータRPGの基本的なシステムが完成されており、
ウルティマと共に、後のドラクエやFFに大きな影響を与えた。堀井雄二も坂口博信もこのゲームをやり込んだという。
スペースインベーダー、ギャラガと続くシューティングゲームの系譜を完成させた作品。初めて隠れキャラを採用した作品として知られ、ゲームにおける「隠し要素」の祖ともいえる。
グレーのグラデーションで描かれた光沢のある敵のデザイン、航空写真のような森、海、道の風景は、真っ黒な背景に簡素なグラフィックのゲームが多かった時代に圧倒的なクオリティを誇っていた。
何度でも繰り返し遊びたくなる仕掛け、背景の物語の神秘性と相まって、多くの人を熱狂させた。
説明不要、宮本茂の生み出したゲーム黎明期の最高傑作の一つである。
その画期性はググればいくらでも出てくるのだが、改めて分析しても同時代の中で突出した存在である。
どこまでも広がる世界の解放感、至るところに隠されたアイテムやボーナスステージ、操作に習熟するごとに感じられる上達の喜び、初心者が楽しみながら悔しがりながら上達できるレベルデザイン、
どこを取ってもオーパーツのようなゲームであり、いまだにゲームの古典的教科書の一つである。
アーケードからの移植作が多かった時代に、この作品は「ファミコンでしか遊べない大ヒット作」であり、これ以降ゲームの主戦場はアーケードから家庭内に移ることになる。(ゲームセンターに風営法が適用されたことも影響している。)
ウィザードリィやウルティマを元に、日本人にはとっつきにくかったRPGを日本人向けに大幅にアレンジして生まれた作品。
これ以前にも日本のメーカーからRPGはいくらか出されていたが、ドラクエの爆発的ヒットを元に、日本独自のRPG=JRPGの市場が開拓されることになる。
とっつきにくい要素を排除するために、元のTRPGにあったリアリティを大きく削ぎ落したりしているため、当時のTRPG界隈などからは批判も受けたようであるが、そうでもしなければこのゲームが国民的作品になることはなかっただろう。
反面、そのあまりにも日本向けに特化しすぎたアレンジが仇となり、海外展開にはあまり成功していない。
ドラクエが生み出した(時におかしな)JRPGの「定番」「お約束」は数知れない。その影響はゲームだけに留まらず、西洋ファンタジーを題材とした漫画やラノベ等にもおよび、今日に至るまでその影響を与え続けている。
宮本茂の最高傑作第二弾。スーパーマリオとはまた違った方向性で世界の広さを表現した、知恵と工夫と探索のゲーム。
このシリーズは極めて神がかったバランスの上に成り立っており、簡単に模倣できる作品ではないため、直接のフォロワーとなる作品はあまり現れてはいない。
しかしゼルダシリーズの魂とでも呼ぶべき、閃きと発見の楽しさは形を変えて多くのゲームに受け継がれている。それはダンジョンの中のちょっとしたパズルや謎解きだったり、アイテムの入手によって切り拓く道だったりするだろう。
近年のインディーズ市場において、ゼルダシリーズから影響を受けたようなゲームが多数見られることからもその影響力の大きさが伺える。
◆◆◆
以上、10選終わり。
以降は選外となった作品。
世界初のコンピュータゲームと呼ばれるものの一つ。オシロスコープとアナログ機器で作られたゲームであり、正確にはコンピュータゲームと言えるのかも分からない。
研究所の見学者に大評判だったが、その後忘れ去られ、後のゲームには影響を与えていないという。時代を先取りしすぎた作品。
学生サークルが開発し、商業的に成功した作品。いわば同人ゲームの草分けのようなものである点に着目したい。アマチュアが作ったゲームで初めてヒットした作品といっていいのではないか。
ローグライクと呼ばれるジャンルの始祖となった作品。D&Dから影響を受けて作られた探索ゲームであり、実はウィザードリィ、ウルティマよりも古く、最古のコンピュータRPGの一つに数えてもいいかもしれない。
コンピュータRPGの始祖の一つで、ウィザードリィと共に後のドラクエやFFに大きな影響を与えた。2D見下ろし型のフィールドマップは、このゲームが元祖である。
正直10選に入れたかったが、宮本茂多すぎやろと思って外すことにした。
宮本茂の初のヒット作にして、後に世界的大スターとなるマリオのデビュー作。コンパクトな画面に詰め込まれたジャンプアクションで、後のスーパーマリオにつながるようなアイディアが、すでに多数詰め込まれている。
テキストアドベンチャーの傑作で、堀井雄二の原点。原作はPC版だが、どちらかというとファミコン版の方に着目したい。
コマンドを選んで進めるというファミコン版のスタイルはドラクエの原点ともいえ、このゲームの開発で得た知見はドラクエの開発に大いに影響したことだろう。
最も知られているのはゲームボーイ版だが、最初に作ったのは旧ソ連の科学者である。
ゲームボーイ版の方は「ゲームボーイ史上、もっとも重要なゲーム10選」に選出されているのでこちらはあえて原作をチョイス。純粋なパズルでこれだけ人を没頭させるものは他にないだろう。
光栄の歴史シミュレーションゲーム。この2年前に「信長の野望」が発売されており、歴史シミュレーションゲームとして最初にヒットしたのはそちらであるが、俺は三國志の方を評価したい。
これは歴史のifを楽しむゲームであり、人材登用のシステムによって史実では敵だった人物を部下にするなどして、夢のドリームチームを組むという楽しみ方ができる。
歴史を題材としたゲームでありながら歴史を大胆に改変してもいいという発想が大きな魅力につながり、こうした発想は現在の歴史物のゲームにも影響を与えている。
世界初の体感型ゲームにして、セガの体感ゲームシリーズ第一弾。バイク型の筐体にまたがり、身体を傾けて操作するバイクレースゲーム。
ゲームの主戦場がアーケードからファミコンに移る中で、そのアーケードでしか実現不可能な臨場感が注目された。こうした大規模なギミックは、後にアーケードが復権する鍵の一つとなる。
ドラクエ以前の日本のRPGで大きくヒットした作品。日本のPCゲームで最も売れた作品とされ、ファミコンともアーケードとも異なるPCゲーム市場を先導した。
コナミを代表するシリーズの一つとなった作品。任天堂のメトロイドと合わせ、メトロイドヴァニアと呼ばれるジャンルを形成しフォロワーが多数現れている影響力を評価したい。
セガの体感ゲームシリーズの一つで、リアル系ドライブゲームの元祖。車を運転すること自体の楽しさに焦点を当てたゲームで、ドライブの楽しさが存分に盛り込まれている。
スクウェアの本領が発揮されるのは90年代だと思うのでここに入れるかも迷ったが、初代が売れなければスクウェアが潰れていた、という点で重要な作品。
オールド左翼は終わったと過去何度も言われながらも生き延びてきたが今回の選挙がついに明確な終焉の始まりとなる
自民党の失政(失政以前の問題だが・・・)により大きく議席を伸ばしたオールド左翼の城である立憲民主党だが
選挙区よりも政党支持率との関連性がより強い比例票では自民が533万票減と大幅に減らす一方立憲民主党は7万票増の微増に留まっている
投票率が前回の衆院選より落ちているため総票数が減っている前提はあるが自民党から離れた比例票を立憲民主党は獲得できていないのである
これは選挙区では「自民党よりは立憲民主党」の択一で選ばれることはあっても
比例で「自民党以外の中から立憲民主党」は選ばれていないということになる
とは言っても比例票でも自民に続いて2番目の票数を集めているが支持母体は60代以上の高齢者層の固定支持が強く今後の支持拡大は見込めない
その一方で今回の選挙で立憲民主党と正反対の支持傾向が見られたのが国民民主党だ
前回から比例票で358万増と大幅な躍進を見せ支持母体も現役世代の中でも若い10〜40代となっている
現時点で立憲民主党は国民民主党に対して議席数で3〜4倍の規模となるが今後この逆転が起こる可能性は高い
そんな中この話を象徴する出来事が国民民主党榛葉幹事長の会見へのフリー記者の質問だった
「国民民主党はなぜ裏切るのか?なぜ自民の味方をするのか?」と攻め立てた
これは通常の人からすると一見支離滅裂な主張に思えるが典型的な反自民のオールド左翼思考なのだ
反自民のオールド左翼は「政権交代こそが目的」になってしまっているのである
しかし政権交代は本来「自らが信じる国を良くする政策を実行するための手段」であるのだが
超長期の自民党政権(一瞬入れ替わったが・・・)下における反自民ポジションの固定化で手段が目的化してしまっているのだ
今回国民民主党は「政権交代」も「自民降ろし」も選挙において主張はしていないのだが
「野党であれば政権交代、自民降ろしをしないのは与党に与する行為」とオールド左翼は捉えるため
彼らの目に国民民主党は裏切りの卑怯者と写るわけだが多くの人がわかっている通りこんな主張はもう通らないのだ
今まで燻り続けていた「自民党を積極的に支持はしないが立憲民主党は無理だろ」という層を
脱自民である国民民主党が大きく取り込み始めた(みんなの党とかもあったんだけどね・・・)
ついに自民党支配から日本が逃れる「自民党からの脱却」「反自民からの脱却」この2つの細い細い糸口が見えたのが今回の選挙だった
さっき暗くなってから道を歩いていたら、向かいからロードバイクに乗ったおっさんがライトをチカチカさせてきて、光が直接こっちの目に入って眩しかった
こっちもたまたま手に持っていたマグライトで正面を照らしたらおっさんの目に光が入ったらしく、すれ違いざまに止まって、ふざけんなと難癖をつけられた
インターネットで性行為をする=大人になったみたいに考えている人たまに見る。これについて自分なりに考えてみた。
昭和くらいまでのお見合いでみんな結婚して子供授かってが当たり前の社会だと、ほとんどの人は大人になるしか選択肢がなかった。大人にならないと生きていけない環境だった。けど、最近では精神的な成熟を十分でなくとも生きて行ける。現代には大人にならないという選択肢も生まれてしまった。これは人類史を見ても社会全体がその流れにあるのはかなり特殊と言えそうだ。一部の貴族や王族の中では起こっていたであろうが。
今は精神が成熟してなくとも子を持つ人も多く、逆に精神的な成熟をしているのにもかかわらず子がいない・欲しくないひとも多くいる。なんでだろう。
昔は「大人(精神の成熟)になったら性行為をしても良い。そして子供を授かろうぞ」というような価値観だった。それが変に残って現代では性行為が大人の象徴の一つになってる。
大人になるとは、どういったことだろうか自分なりに考えてみた。
・価値観の違いの認め合い
・柔軟性
・責任感
などだろうか。
それは現代的な倫理観で見た場合こうなっただけで、昭和とかだとまた違うものだったかと思う。
では、なぜ大人にならない選択肢を選ぶ人がいるのかを考えてみた。
・面倒くさい、怠惰
・成熟するには必ず深く思考したり葛藤したりある程度ストレスによって学習するためそれを避けてる。
・周りの環境
・大人になったと思い込んでる
・成熟しなくても生きていける
でも、この選択肢で生きている人も悪いとは思わない。新しい生き方が生まれたんだ思う。自分の言っている精神の成熟だってただの価値観の押し付けかもしれないしね。責任感とか怖いもん自分も含めて。難しいね。
マイケルジャクソンのゾンビを墓から蘇らせるまであと何年かかるか。
・マイコーの声で歌えるゾンビ=現代の技術でもう余裕で出来る。
・マイコーのようなダンスを踊れるゾンビ=現代の技術だとまだ粗があるけど、おそらく数年以内にコンテンツとして充分通用する品質の物が出来るようになる。
・マイコーのような思考をして会話するゾンビ=現代の技術だとまだこいつはマイコーじゃない!って解るけどきっといつかマイコーだと信じられるくらいの品質で会話出来るようになる。
・マイコーが作りそうな曲を作るゾンビ=おそらく数年以内に充分な品質で出来るようになる。
・マイコーが作りそうな超絶かっちょいいPVを作るゾンビ=現代の品質だとまだまだとても見られるレベルの物が作れないが、きっと充分な品質の物を作れる時代がくるまで十年もかからない。