はてなキーワード: 役者とは
全体的に「鍵をかけなくて良いのでは」という論調にまとめてしまったけれど、自分はツイッターは鍵をかけているし、検索避け済みパスワード指定の出来るSNSでしか現在は作ったものをあげていない。
青い鳥のSNSで半生の二次創作は役者さんに迷惑がかかるから鍵をかけろという話が回ってきたので今度はなんの炎上話かと調べた上で、そう言えばなんで鍵をかけているのだろうと自分でもよくわからなくなってきたので考えをまとめたくなった。
よく言われるが、御本人そのものを題材とした生とは違い、演じているだけの半生でそこまで嫌がるものなのだろうか。
これは嫌がらないから表に出せといいたいわけではなく、実際にそう言われている役者さんの発言を自分が見たことがないから不思議になったが故に思った。
むしろ生で、なおかつ二次創作ではないガチのファンのかたの性的な妄想のほうがきついときもある。
こういった人たちは鍵をかけるということをしない。知らない。
某アイドル系の人が主演のドラマが面白かったので御本人のお名前で検索したところ、性的な意味合いのとてもきつい発言が多数引っかかってげんなりしたことがあった。
実際に発言主がそういうことを某アイドル系の人にやられているという趣旨の内容の発言もあった。当然妄想だろうが。
というか、生はセクハラにも当たるんじゃないのかな。正直にいうとドン引きした。勝手に自分から見に行っておいてごめんね。
年齢層も若い子だけかと思いきや全然そんなこともなく幅広かった。
また、二次創作イラストを御本人が集めている写真がブログやSNSに上がっていたり、役者さんが同人イベント会場に来ていたりという件もある。
こういった役者さんが演じている場合は上記の理由は当てはめられない。
よく聞くけどこれ普通の漫画や小説、アニメも一緒だと思うのだけれどどうだろう。
読み終えた漫画の感想を青い鳥のSNSで検索したところ、上の方に二次創作でBLカップリングのイラストが出てきたことがある。普通に感想が見たかったので驚いた。
また、別の視聴層には子供が多そうなアニメのキャラクター名を青い鳥のSNSで検索したときに、二次創作のイラストが出てきたことがある。
わかるよ、一般書店の端っこの方に何故か置いてあった海賊同人誌でそういう印象を持ってしまった漫画やそういう印象を持ってしまったキャラクターがいるからね。
それが理由だったら普通の漫画やアニメ、小説などにもそういった印象がついてしまうので是非とも鍵をかけてほしい。これは若干本気だ。
ついでにいうと、イメージがつくのは役者さんではなくキャラクターにではないだろうか。
何度か都市伝説的に聞いたことがあるが、実は実際にこういうことだったと聞いたことが無い。
自分が知っている公式に言われて消えた同人は、現在○関係で漫画を描いている漫画家がサイトに載せていた△関係の漫画を下げた件だ(当時のブログの表現的に公式にやめろと言われたと読めたのでそう表記したけれども、実際は違うなどありましたら申し訳ありません)。
結局同人誌として復活した作品だが、あれは前述の理由に当てはまるとは思えない。
また、アイコンが青っぽいイラスト等SNSと同じところがやっている創作物総合マーケットでは、日曜朝に放送されている子供向け番組のガワを使った同人グッズが販売中止した。
ちなみに変身前のものは消されず、変身後のものなどは消された。
立体物の版権はガワのほうが強いのかもしれない。
他にもあのジャンルであった、このジャンルであったという噂位は青い鳥のSNSなどで何度か散見したが、実際それについて詳細に書かれたページが見つからなかった。しかも大半が生であって半生ではない。
某アイドル事務所物で活動していた人が土下座したなんて話は十年以上前から耳にするが、詳細はほとんど出てこない(もしソースとなる詳しい事件を知っている方は教えていただければ幸いです)。
なんで半生はこんなに危険だと言われているのか、誰が嫌で隠されているのか、なんで二次元ジャンルは隠れずにあんなに堂々としているのか。
個人的には、性的な内容の含まれるイラストなどはセンシティブなものとして設定してもらえると有り難いが、これは自分が行うわけじゃないし他人に強要もしたくない。
前に公式の名称で検索して眺めていたら、公式で結婚した男女二人組の性的な行為の最中のイラストが出てきた事があった。できれば見たくなかった。
できれば公式より踏み込んだ物に対しては、青い鳥のSNSよりはワンクッションある場所に置いてほしいと思った。
現在は青っぽいアイコンのイラスト等SNSや、青い鳥のSNS連携のイラストや文章をあげられる場所などがいくつもある。そういった場所にあると突如被弾することは減る。
他人を変えるのは難しいし、それぐらいなら自分が何かするほうが楽だ。
自分は、なにかあったときに同意をした人にだけ見せていたとせめて言えるように、古の同人サイトが如くパスワードをつけられる検索避け済みSNSなどを利用する。
最悪の時の免罪符になる。
ところで、今までは無いからといって今後は無いとは限らない。
一般人の目に止まったから騒ぎになるのが確率的に高いのではないかと自分は考えている。
体感的に一般人の多さは青い鳥のSNS>青いアイコンのイラスト等SNS>その他個人サイトやgoogle検索避け済みパスワード付きSNSだ。
なので、一般人が多い場所が焼かれているうちに、もっと奥地に潜んだ自分はケツまくって逃げる予定だ。
こういったときにオンラインだから晒されるんだ、オフラインで同人誌を出せば良いという発言が流れうことがある。
同人誌をプレボに入れるなどの都市伝説は置いとくとしても、とある中古同人ショップは買い取った本のジャンル名やタイトル、カップリング、サークル名を丁寧に書き出してネット上に載せている。なんなら表紙も上がっている。
ところでアレはどこから情報持ってきてるんだろう。検索避け済SNSのパスワード付きの場所でしか発行を告知しておらずなおかつ頒布部数が両手足の指の数しかない本もデータベースに入ってたんだが売った人がいるんだろうか。
役者さんが唐突に「友達からもらった」と書いてブログにあげた画像が、青いアイコンのイラスト等投稿SNSにしかあげられていないものだったりする。
これはナマモノだが、検索避け済みSNSのパスワード付きのイラストを、腐女子ではない一般のファンと名乗るアカウントが転載したこともある。
いくらどれだけやっても見つかるときは見つかるし、晒されるときは晒される。
考えていてもわからなくなった。
一応書いておくと、もともとは公式がやっている場所までと思っていた。
公式と青いアイコンのイラスト等SNSがコラボしたためにおそらくは公式が投稿されたイラストや小説を見ているだろうとあるジャンルは、公式でキスシーンがあったがそこまではファンアートとして青いアイコンのSNSにあげてもセーフなのだろうか。
日曜朝に放送されていた子供向け番組のネット配信では男性同士のベッドシーンがあったが、これはファンアートとしてそこまで描いてあげてもセーフなのだろうか。
また、原作がドラマのジャンルのコミカライズで何かを描く場合は、コミカライズ準拠ならば二次元ジャンルがそうであるように隠れずに公開しても良いのだろうか。
外見はドラマのコミカライズなためにほとんど役者と同じだが、それでもコミカライズの設定ならば良いのか。コミカライズが原作とほぼ同じものでしかない場合はどうなる。
ここまで書いてみて、やはりどこからが危険でどこからがセーフなのかわからない。
子供もいない男2人40代共働きで変な浪費癖があるわけでもなく持病があるわけでもなく不安要素と言えば生活費援助を必要とする親くらいで、それだって現金化してない資産はまだ持ってそうな感じ。そんで男の片方は弁護士。
これでなんであんなにしけた生活してて、金勘定が常に息苦しいほどみみっちいのよ。設定と生活が全然合ってない。
多分あれ作者か作者の親しい人の生活観が混入してきてるんだよね。老いや老後の不安の話ばっかりしてる感じ。読んでてうんざりしちゃった。
弁護士で、バリキャリではないけど仕事出来ないわけでもない男が、なんでスーパーいくつも回って十円安い野菜を買うのよ。おかしいだろ。そんなの時間有り余ってるけど収入手段のない年金生活老人や生活保護受給者の行動だろ。俺でもそんなのやらねえよ。
一時間残業した方がよっぽどましだろ弁護士。アホくせえ。意味わからん。あの不合理すぎる行動の説明は少なくとも3巻ぐらいまで読んでも出てこなかった。なんなのあれは?
さくしゃはたくさんヒット飛ばしてる漫画家なのでこんな金銭感覚のわけないし、一般人の友達から話を聞いてそのままかいてるんだろうか?
とにかく不満点は、ひたすら老いや衰えの方ばっかり見てて暗いこと、設定が変なこと、んでこれ書いてて思ったけどよしながふみって子供いないんだろうか?子供いる人はもう少し未来に興味を持つけどこの下り坂しか見てない感じはこなしな感じがする。そこをゲイにあてはめたとか?
つーか俺も独身だし子供おらんから40代以降あんなしょぼくれた気持ちで生きないといけないの?みたいなやーなきもちになるんだよな。
んでドラマ版だけど西島秀俊はイケメンだけど表情豊かに生きてきて顔にシワが一杯ある方で普通に歳を感じる。(役より年上だし)
そういう意味でもあの配役は違うんじゃないのかな。ミッチーとかは同じ歳の時もっと年齢不詳だったしそういうタイプの役者もっと他にいたのではと思う。内野のほうはなるほどそうくるか、と感心した。捻りのない人間(俺とか)にキャスティングさせたら大泉洋かユースケ・サンタマリアになるよな。
https://www.oricon.co.jp/news/2131983/amp/
原作に影響が~という部分については意訳だけど、
・『アンティーク』のドラマ化の際、キャラクターの口調や表情が役者の演技に引きずられることもあった。
・ストーリーは結末まで決めており変化することはないが、(↑のようなこともあったので?)"…もしかしたら作品によっては将来に、影響を与えることはあるかも知れません。"(きのう何食べた?のこととして言及しているわけではない)
・なるべくリアルな間合いの会話を書きたいと考えている。役者の演技を見ると間合いや口調が想像と違っていて新たな発見になる。↑のキャラクターへの影響も、役者の演技からリアルな表現を学んだことによる。
キャラが大幅に変わるというよりは、キャラクターと役者がピッタリはまると引きずられることもあるのかな、役者の演技はリアルさを追求する糧になりますということかな、という感じ?
他のインタビューではケンジ役はケンジそのもの!演技へのこだわりが!という話があったので、シロさんもそうだけど、ケンジへの影響っていうのはもしかしたらこれから少しあるかもしれないね(https://book.asahi.com/article/12260452)
でもこれから原作を見るたびに(事実かそうでないかはともかく主観として)「あーこれは引きずられてるわ」となるのは、元増田の場合はきついかもね
高校生の時、いわゆるクラスのマドンナみたいな女がいて、確かに美人だったけど性格悪くて、私のようなブスのことはいつも笑い者にして、クラスで何かやろうって時もハブにしてたんた。
そいつは遊んでばかりでロクに勉強してなかったから、Fランの大学に入るもすぐに中退して、キャバ嬢とかやってたらしい。
私は死ぬほど勉強して有名大学に受かった。うちの高校ではそこそこ快挙だったから、翌年の学校パンフレットには私の写真が「○○大学合格!」って煽りとともにどーんって載ったんだよ。
マドンナのほうは、元ホストみたいな男と結婚するもすぐに離婚してシングルマザーになったらしい。
その話を聞いたとき、今まで不真面目で他人を見下してきたバチが当たったんだと思ったよ。そんなことを思う私の方が性格悪い、と言われそうだけど、こっちは今まで真面目に勉強してたのに見下されてハブられてきたんだ。どう考えてもマドンナのほうが人間として欠けているし、私には、今度こそ人生逆転のターンだ、とほくそ笑む権利くらいあると思う。
で、結局マドンナはその後すぐどっかの金持ちと結婚して専業主婦していて2人目も生まれたらしい。
おかしくない? 専業主婦は寄生虫なんじゃなかったのかよ。キャバ嬢なんて中古のクソビッチなんじゃないの。他人の子を育てるなんて罰ゲームじゃねーの。なんで性格悪くて不真面目なクソビッチが金持ちと結婚できるんだよ。
まあいい。私は同窓会には行かないし、彼女とは二度と会わないだろうから。それに、私の夫は金持ちでもイケメンでもないけど穏やかでいい人だから、何だかんだで不満はない。
最近、自分には新しい趣味ができた。もともと映画オタクだったんだけど、ある役者さんが気になってググったら小規模な舞台やイベントによく出ていることが分かって、小遣いの範囲で通うようになった。
マイナーな役者さんなのですぐ認知してもらえたし、握手も会話もしてくれるし、有名俳優の舞台挨拶のチケットを必死に取ってた時に比べれば夢のようなオタク生活が出来ているんだけど、ある日、同担の子の多くがキャバ嬢や風俗嬢であることに気づいたんだ。
なるほど、だから彼女らはチェキ10枚買ったり出来るのか。私は、貯金もしたいし不妊治療にお金かかるしで(結婚したあとに排卵しにくい体質だと明らかになった)、チェキは2枚までと決めている。当然、チェキ10枚買うファンの方が推しと仲良くなれるし優遇される。
でもさ、私、リーマンショックの最中に就活したのに有名企業に就職できて、30代前半で年収500万円以上ってぶっちゃけそこそこ頑張ってるほうじゃない? これって割と勝ち組じゃないの?
なんでみんなが遊んでる時にコツコツと努力してやっと勝ち組になれたのに、ロクに勉強もせず遊んでたキャバ嬢や風俗嬢に負けるわけ?
結局、女に必要なのは学歴でも仕事でもなく、顔だったのかなって最近思う。
時間を戻せるなら、恋愛や遊びを犠牲にしてまで頑張って勉強するのではなく、その時間で風俗嬢でも何でもやってお金を貯めて整形したい。
女の考える男女平等とは、雇用機会の均等や企業・役者などの組織における昇進などを平等にしてほしいという文脈での男女平等。
。
雇用機会も起業の機会も参政権も既に平等。なのにいまだに「女性差別だー」っていう奴は結果しか持ち出さない。
これは意味不明
女の考える男女平等とは、雇用機会の均等や企業・役者などの組織における昇進などを平等にしてほしいという文脈での男女平等。
それとセクハラやパワハラなどの雇用環境の改善も男女平等の改革の範疇に含まれている。
しかし男が考える男女平等とは、上記の内容も含めた上での更なる内容が含まれているのだ。
その意味では、男の考える男女平等の方が、女の考える男女平等よりも厳しい。
例えばデートでは割り勘が基本で、もしくは女が男に奢ってほしいと普通に考えている。
男に対して経済力や甲斐性を求める女は、恋愛対象・結婚対象からすぐに排除する。
仮に日本で徴兵制が再導入されたとしても、その対象が男だけだったとしたら、猛反発が起こるだろう。
今までの「男社会」では、男だけが徴兵や納税の対象だったので、男女平等はむしろ男の方が強く望んでいる傾向が強い。
男だけに過度の負担や責任が押し付けられる代償として、女の人権を少なくして公平感を持たせていた。
男の不細工は努力次第で立派な社会人になれる保障があるのと比べて、女のブスは最初から人権が与えられていない状況だったこともその証左。
原作の漫画やアニメの2次元のものを、現実の俳優さんが演じる舞台だから「2.5次元」と言われる、わりと最近のヲタク文化のひとつです。
原作者サイドが大きく関わることもあるけれど、基本的に舞台の脚本や演出家等がキャスティングしたりシナリオを書くため、舞台ならではのアレンジや表現・役者のアドリブ等が入ることもあります。
今回は、その舞台での表現について「原作ファン」が抱いた違和感や不快な表現をどう発散するべきか?という愚痴メインの話になります。
ただ吐き出したかっただけなので、肯定否定問わずコメントがあれば好きに残してください。
もしかするとピンときてしまうかも知れませんが、作品の特定だけは控えてください。
発表された当時はすごく驚いて、舞い上がり、ネットに感想やレポをあげて、いわゆる全通(全ての公演を観に行くこと)までしました。
シリーズ化された作品になるのですが、思えば最初から「違和感」はあったと思います。ただそれは脚本や演技の解釈違いの範疇でしかなく、それはそれ、これはこれと割り切りつつある程度は受け入れられるものでした。
ところが1番最近の作品で、その「違和感」が「不快感」として出てきてしまったのです。
何日かに渡り観劇をしたのですが、どうにもスッキリと楽しむことが出来ない。以前までであれば多少の違和感には目を逸らし、楽しいところだけ見て楽しむ事が出来たのですが…
おじさんの男性キャラクターがエロオヤジ風のセクハラ発言をバンバンかます。
…などなど。
今までもそれはあったのですが、今作は特に目立ってみえてしまうのです。どうして一気にこんな方向へ舵を切ってしまったのか、私の好きな作品は脚本家の古臭い「オヤジ的ギャグ」を披露するものに変わってしまったのでしょうか。
元々、コメディ色が強い作品で舞台を観に来る層を意識して多少大人向けのギャグを挟んできたと言うのは察します。
ただ、やり過ぎじゃないか?そう感じました。
観劇する客層は、元々の作品ファンだけでなく、キャスティングされる役者のファン等様々です。原作側のファンはさて置いて、実際に会場のウケとしてはまぁまぁではあったと思います。原作者も観劇して「面白い」とコメントをしたそうです。どう言った意図でのコメントかは分かりかねますが、少なくとも不快にはなられなかったようで何よりではあります。
しかし、原作の作風が好きな私からしてみれば冒涜にも感じました。
これはエゴです。作品の解釈を間違えた信者の勘違いなのかもしれません。この時点で、私が面倒くさいファンになっているのは分かっています。
原作者公認ならそれで良いじゃないか、今作は見なかったことにおさめても良いんじゃないか、とも考えました。
次に繋げるために・そして次の作品ではこんな表現はしないで欲しいと切に願ってしまいます。
今作の、原作側ファンの反応はわりと散々だったという印象があります。
私もアンケートに感想や意見を書き連ね・他にもネットの感想でも表現についてチクリと言われているのをみました。
私の好きな作品で、嫌な表現をして欲しくない。皆その一心だったのです。
結果として
そのせいかは分かりませんが、公式Twitterがまったく動かなくなってしまいました。今までなら積極的にしていた宣伝・アナウンスが一切無い。問い合わせをしても返信が全くない。今まであったやる気がまるで感じられなくなってしまったのです。
面倒なファンに絡まれてしまった、返信しても無駄だと思われてしまったのでしょうか?
せめて広報的運用は、原作側だけでなく俳優ファンもいるのですから最後まできちんとして欲しかった…などと嘆いてももう遅いかもしれません。
次を願って、応援のつもりで書いたアンケートやメールは舞台の運営にとって邪魔なノイズだったのでしょうか。
表現にケチをつけてはいけなかったのでしょうか。黙って離れていれば良かったのでしょうか。
「2.5次元舞台の表現はどこまで許されるのか?」と上から目線のようなタイトルを付けてしまいましたが、正しくは「どこまで原作ヲタクは苦言を呈して良かったのか?」といったニュアンスです。
私はただの観客の1人でしかなく、客だから無理な注文を付けても良いんだぞ、とは思っていません。表現を少しだけ考えてくれたら良かったのです。結果として変わらなくても、そういう意見があるんだなと受け止めて、せめてふつうに公式の運用は続けて貰えたらそれで良かったのです。
どうしたら良かったのか、今となっては分からず。
嫌いだと相手を意識するということはそれだけ気になっているだとか、自分に似たとこがある人に同族嫌悪を抱きやすいとか
そういうよく言われることもわかっているので普段はなるべく気にしないようにしています
でもそういった事を超えてイヤだなあと思います
あの人がテレビで役者としてではなくバラエティに出始めた頃からキツかったです
しかしダウンタウンが好きなのでダウンタウンなうを見ています。セットで彼がついてきます
子役出身、役者意識がやけに高い、犬をたくさん飼ってて愛犬家、長く付き合ってる女性がいる?、興奮すると声がうわずって甲高くなる、そもそも地声が高い、脱皮しきれないナルシスト感がある、ギャンブルが好き、酒をたくさん飲む。小心者特有の攻撃性、汚れた世界で俺は生き抜いてるんだぜ的な自負がありそうでキモい、すごい覚悟を持ってそうに見せてなにかあればすぐに逃げそう、しかも逃げたことに平気で開き直りそう、ヒールをやってる感を出してるけど普通に素が歪んでるとしか思えない、笑い声がキモい、やたら大声を出してヒステリックでキモい
こんなにイヤだと感じることが多いということは、やっぱり彼に自分と似たところを見出してしまってるんでしょうか
でも同族嫌悪というのがあるからといって、その人を見たいとは思わないですよね。
なぜ彼はこんなにテレビに出ているんですか?見ていないけどヒルナンデスのMCもやってるんですよね?
youtubeで小籔に食ってかかる動画だけ見たけどキレ方がいちいち気持ち悪く感じます
みんな好感を持ってるんでしょうか。
この人達は坂上忍ほどイヤではないけど、爽やかでもないし口は悪いしその割に芯があるように思えない。
いったいどのような人たちに求められているんですか?
社会の写し鏡とでもいえばいいのか、このところ健全、コンプラ遵守が当たり前のような顔をしてる音楽業界だけども
そもそもが社会不適合者の吹き溜まりであって、そんな彼らが社会的に活躍することで不本意ながら社会に適合して生きようとしてる潜在的不適合者(私)の心の拠り所になったりするわけで
別にドラッグじゃなくてもいいんだけど、事実として、歴史的にドラッグとの関係なしに音楽なんて語れないというか、そんなことも知らんの?って逆にビックリだし
buzzfeedの記事みたいに海外アーティストの例を持ち出さなくても、日本のアーティストだって、とくに売れ線と一線画してるいわゆるアーティスト(志向の人たち)ならいくらでも使ってる人いるわけで…国内で堂々と使ってるかはともかく
でもそんなこといっても世の中の多数派の常識人()に受け入れられるわけもなく、そんなところで戦ってるより
さっさと出荷停止して、みそぎ終わってからの復帰計画たてた方が現実的落とし所でしょう
本人だって最初から黙秘するでもなく洗いざらい話してるのって、それも自分の出自からしたら引け目に思うことでもないからでしょうに
役者にも別に執着してないだろうし、所属レーベルだってキューンがたまたまメジャーだったからメジャーにいるってくらいだろうし
なんか一見サブカル好きみたいに振る舞ってたり、彼の近くにいるように見える人たちまでつまんないコメント言ってなんだかお涙ちょうだいみたいになってるのにイライラして書いた
ストレート以外の男たちがバスに乗ってラスベガスのオーストラリアみたいな場所に荒野をかける話だ。
初めて見る舞台だったし、圧倒的女性率だし、グッズはレインボーでメッセージ性が映画よりも随分と強くて
始まる前から肩が鳴るような緊張感があったが始まってみると意外とそんなでもなかった。
後ろのお姉さんお兄さんが率先してしてくれる手拍子に乗れば、聞き古されたGoWestにのって否応無く気持ちが高まるし。
バーナデッドとナイスシニアが結ばれるところで思わず拍手をしたら
その後すぐにアダムが舞台から合図してここ拍手していい場面だということがわかって
中の人が60歳で役を演じている人と劇中の年齢と同じ。
個人的に体を張ったシーンでいいなと思ったのはアダムの片手倒立でもなく、ミッチのバスへの飛び蹴りでもなく
陣内さんが他の二人と同じ水着に着替えた時に下半身がツルツルだったことだ。ちゃんとすね毛ケアしてる!!
ミッチやアダムが短パンや衣装を着るシーンはなんどもあったから足ほっそとか椅子に座った時の筋肉の浮いた太ももがいいとか思っていたが
毛がないことに気づかされたのは遅まきながらバーナデッドが化粧室で着替えた後のことである。
さいごに、双眼鏡でアイラインがぐっちゃんぐっちゃんになった主演をつい見ちゃった後でそれでも残念な気持ちにならなかったのは
初見の楽しみが大きい作品だからネタバレ禁止の空気ができて、でも面白いと評判になると期待値が上がりすぎてよくない。
「言うほど面白いか?」という感想は期待しすぎるほど出てきやすいのではないか。
役者全員ほぼ素人の自主映画がここまでヒットしたのは大したものだが、「自主制作にしては」といったゲタをはかせてもらった上でのものだと思う。
たとえば「面白いときの三谷幸喜程度には面白い」くらいにしておけば、過剰な期待を煽らずにすんだのではないか。
「ショウ・マスト・ゴー・オン」とか「ラヂオの時間」なんかは同じ種類のシチュエーションコメディだしね。
前評判で七海の珍味を期待していたら、ハンバーグどころか卵焼きでした的な。
ただ、卵焼きとしての作りは上手かった。
「構成がすごい!/後半がすごい!」
劇中劇の構成なんて珍しいとも思わないこともあり、「何かのパクリっぽい感覚」がどうしても抜けなかった。
家族の連携はわかるけど、ドタバタすぎるのか役者の格か、キャラクターとか背景の掘り下げがあまり…という感覚。
伏線回収というか、劇中劇からくるとこういう形になるよね。と。
三谷幸喜とか、宮藤官九郎とか、そういうハンバーグ作るのが上手い人は他にもいるので。
「編集がすごい!」
お金ないのにすごく工夫したんだなというのがエンドロールでも伝わってきて、それはすごく良かった。
こんな感じの感想。
「前半我慢して見て!」って言わなきゃダメなところも不安感しかなく、作りはいいけど、前半も客を惹きつけられないようではエンタメとして超一流とは言えないかなと。
もちろん公式ではあるものの、とあるキャラクターが原作よりもかなり破天荒というかなんというかもはやお調子者なのかな?というくらい元気なキャラクターになっていた。
元気とお調子者は違うと思っていたのでそういったシーンがあるたび「このキャラはこんなことしない……」と辛くなった。他のシーンはとても素晴らしかったと思う。
とても素晴らしかったけれど一部キャラの解釈違いで辛かったという話をしたらあれが公式なんだからと言われた。確かにあれは公式だけれどあの部分はアドリブであると思いたいくらいだった。本当に素晴らしかっただけにその部分がチラついてしまう。
キャラクターイメージを大事にしているところだと思っていた。どうやら私が解釈を間違えていたらしい。もう一度見たい。でももうあんなのは見たくない。