はてなキーワード: 幹部とは
後輩が退職するって言い出した。
この後輩は早慶のどっちか出ていて、英語もベラベラだし仕事もできると評判だった。30すぎてまだ独身だがそれでも美人だし、明るくて上司のおぼえもめでたい、いわゆる幹部候補生だった。
確かに、後輩は地方の県庁にしてはオーバースペック気味だったかもしれない。でも、新卒で公務員になるくらいだから、ワークライフバランス重視の、保守的なタイプだと思うじゃん。ところがどっこい、後輩はここまできて「キャリアプランが見えなくなった」などとほざきはじめた。
俺は人事なので、それを言われるとちょっと苦しい。確かに後輩はいい感じの駒だった。この四月に後輩を今の職場に異動させたのも、その部署が育休やらメンタルやらで穴が空きまくりだったから、二人分以上働けそうな後輩を突っ込んでなんとかしようと思ったからだし。まあ、これまでバリバリのエリート街道を走らせた後輩に、いきなり土地勘のない水道の仕事をさせたのも悪いと思ってるよ。分からないなりにメーター検針にも付き合ってたらしいね。でも、公務員なんて多かれ少なかれそんなもんじゃん。むしろ幅広く仕事できる方が後々有利じゃんくらいにこっちは思ってたのに、半年経たずに辞めたいだと。なんなんだよもう。
まあ優秀だからと便利に使い倒して、専門性もねじ曲げてジェネラリスト(笑)育成して、それで給料は10年で三回育休取ってる子と入社日が一緒なら変わらないって言われると、納得いかないよな。後輩は頭もいいから仕事ぶりは係長級だけど、年齢的にあと3年は係長に昇級しないよって言われたら、嫌だよな。わかるわかる。でもさあ、公務員はそれと引き換えにノルマもなければ仕事の出来も精査されないで生きてけるわけじゃん。そのありがたみ分かってる?
後輩の転職先は有名な外資だった。外資なんかノルマやばくて明日から来なくていいよって言われるあれじゃん、って言ったら、テレビのイメージですか?って真顔で返された。いやいや、俺だって民間の経験あるし、3年働いて嫌だったから公務員に転職した口だし。後輩も俺も、じっと耐えていれば幹部になれるんだから、あと20年静かにしてればいいんだ。50になれば年収だって一本に乗る。それを待てばいい。なのに、後輩はもう耐えられない、と言っている。
俺は結婚して子供もいるから、仕事ぬるいな、とか、年を取る以外では給料上がんないなと思っても、このまま県庁に勤め続けるよ。でも、後輩みたいに、学もあって美人で仕事もできて独身だと、ぱっと丸の内の大企業に転職できるんだなと思った。なんか人生楽しそうで羨ましい。あーあ、俺も仕事辞めたい。辞めないけど。
現在に至っても小山田圭吾を擁護することを諦めていない人間たち(北尾修一や沢田太陽など)が用いているのは「小山田圭吾と被害者との間には友情が成立していた。小山田圭吾には害意や悪意は無かった。だから、小山田圭吾のしたことはイジメではない」という論理である。
小山田圭吾を擁護しているサブカル業界人には「いい歳をした中高年の男性たち」が目立つ。それとは対照的に、小山田圭吾を擁護する女性の姿は殆ど見られ無い。小山田圭吾に対する態度には、男女の差がある。
その理由は、大きく分けて2つある。
一つは、そもそもサブカル系マスメディアの現場では、昔も今も男性中心主義の体質が極めて根強く、編集長や幹部編集者を務める女性の数が圧倒的に少ないということである。それが、Quick Japan(QJ)やRockin' On(RO)に掲載された小山田圭吾のいじめに関する記事の当事者として証言する女性の数の少なさ、小山田圭吾や村上清を擁護する女性の数の少なさに反映されている。
もう一つの理由は、現代の日本で暮らす多くの女性にとって「性的強要/セクハラ/ストーカー/DV/性的犯罪」による被害が、深刻かつ身近な脅威として存在していることである。これらの犯罪の加害者が被害者に対して一方的な好意を抱いていたり、その感情を被害者に対して告白するのは、頻繁に見られる現象である。このような経験や知識は、男性よりも女性の方が豊富である。したがって多くの女性は、加害者側が被害者に対して一方的に好意的な感情を抱いているからといって、それが犯罪の加害性を免除したり正当化する理由になど成り得ないということを知っている。だからこそ、北尾修一らが用いる「小山田圭吾は被害者に対して好意的な感情を抱いていた(だから、アレはイジメではない)」などという詭弁を肯定する女性は少ない。
北尾修一らが発表した、加害者側の一方的かつ身勝手な論理に基づいて小山田圭吾を擁護しようとする記事は、現代においてもサブカル系マスメディアは男性中心主義の巣窟であり、女性の存在が蔑ろにされていることを強く示唆している。
ホワイト企業とちやほやされながら実はブラックだったって問題だったか
https://www.asahi.com/articles/ASNCC7FVMNC6UUPI001.html
https://www.asahi.com/articles/ASND156J7NCVUUPI005.html
富士そばで長時間労働や残業代未払いか 社員「もう魔法は解けました」
https://news.livedoor.com/article/detail/19437717/
なんだ普通の未払いもやってんのか
もともとブラックか
「富士そば」に解決金500万円支払い命令 店長が未払い残業代求めた労働審判
https://news.yahoo.co.jp/articles/023f18c857f6e3bb6d757ca57e80806820169e10
ほーん地裁だけどよかったね
勤務記録巡って「名代 富士そば」混乱
https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/00115/00112/
労働組合からの通告で不正行為の芽を発見できたのは事実ではありますが、当社と労働組合は昨年来、対立する関係でもありました。そして結論から言えば、当該役員を告発した組合の委員長と書記長もまた、勤務記録の改ざんをしていたことが発覚し、21年1月29日付で両名に懲戒解雇処分を出しました。
はぁ?
「悔しくて涙が出る」富士そば労組幹部が懲戒解雇 「組合つぶし」と無効訴え労働審判へ
https://news.nicovideo.jp/watch/nw9230948
うーん俺は喰いに行かないけどこれからも悠々と商売を続けられるんだろうな
https://news.livedoor.com/article/detail/12283459/
丹 あれは損してるなと思うよ。なんでブラックにしなくちゃいけないかね。ちゃんと待遇をよくしてあげれば、みんな働くし、自分も楽ができる。どうしてそんなことをするんだろうね。ああいう企業の経営方針はよくわからない。
もう無理でしょ。
こんなのが平和の祭典なはずがない。
日本がしょーもない自民党歴代幹部達に牛耳られていたからって言い分でオリンピックを守ろうとするスポーツマニア共はいい加減黙ってて。
(有名な「健全な精神と健全な肉体がまずはほしいぜ~~~と口にしてただけなのに、マッチョになれば心がフレッシュになるぞ~~と言ったことにされてた……こわ……他人の言葉を雑に引用してドヤるクズ死ね」って話は今はいいから)
とにかくスポーツをしても健康にはなれず関節寿命が減っていくだけだし、勝てばよかろうと年功序列のゴミシステムで人格はあっという間に破綻していくから存在そのものが間違ってる。
ハッキリ言ってスポーツなんてやりこんでも毎日5時間ぐらいゲーセンに通い詰めてストリートファイターやガンダムの格ゲーの上手さしか取り柄がない怒りっぽいポンコツと同じ人種になるだけ、でもたまたまプロスポーツという概念が発達してるからスポーツ選手ワンチャンに見えるってだけ。
勉強もスポーツもやれやと無茶言うから子供がイジメでストレス解消するようになる。
最低限度勉強だけしてればいいから習い事とかは好きにしろよって社会にすべき。
少なくともスポーツやることを教育機関が強制するような文化は良くないし、スポーツなんて生産性のないものを必要以上に持ち上げるべきじゃない。
生産性がないものを生産性がないものの範囲内で持ち上げていくことは大事だと思うし、そうやって色んな遊びを通じて人の心が豊かになったり、仕事中毒や人種差別に生きる意味を見出す奴を減らしていけると思ってる。
「小学校の頃、珍しい切手を持っていることがステータスな時期があって……」みたいな話があるけど、その延長線上にスポーツはあるのに何故か圧倒的な地位を得ている現状はとてもよろしくない。
一度オリンピックやめよう。
その上で20年ぐらいしてから「もう一度やる意味があるか」を議論していこう。
こんなものを持ち上げるからスポーツの立ち位置がおかしくなる。
そもそもスポーツに過剰に意味が見いだされることは、選手からしたって鬱陶しいだろう。
たとえばキミがスプラトゥーンで負けるたびに知り合いが一人死んでいくと言われたら、そんなのもう楽しいゲームにはならないだろ?
異常だよ
五輪開会式と、『ルックバック』についてをむりやり結び付けた話です
「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(SWC)の副代表のコメントが朝日新聞に出ており、とても驚いた。
東京五輪で開閉会式のディレクターを務める小林賢太郎氏(48)が解任されたことを受け、米国の有力ユダヤ人人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」のエイブラハム・クーパー副代表は22日夜(日本時間23日午後)、朝日新聞の電話取材に応じ、「適切な動きだ」と語った。
問題の動画は、小林氏がお笑い芸人だった1998年に発売されたビデオに収録された。20年以上経って問題視されたことに対し、クーパー氏は「それでも責めて、責任を取らせるべきか。イエスだ」と語る。
その理由については「彼には自分の行いについて自省する時間があった。だが、不適切だったと認める声明はこれまで出てこなかった。3、4カ月前でも『私は若かった、考えが浅かった』と言えばよかった。それこそが彼の問題だ」と説明する。
自分が驚いたのは、同副代表が、2017年、欅坂46の「ナチス風衣装問題」でこのような発言をしていたから。
「ソニーは適切に対応した。すぐに人を(SWCの本部がある)ロサンゼルスに派遣し、私は東京に来た。こういったことも踏まえて、その数か月後にまた東京に来た。我々の本当の関心事は、不幸な事案を学びの機会にすることだからだ。」
「我々の本当の関心事は、不幸な事案を学びの機会にすることだからだ。」
今回の小林賢太郎氏への声明においても、SWCは決して解任を求めているのではなく、あくまで謝罪と教育が求められているのだと思っていた。
昨今の「キャンセルカルチャー」とは一線を画すものだと思っていた。
この数年で、趨勢が変わったのだろうか。
ここで『ルックバック』の話になる。
ルックバックの犯人像が統合失調症に対する偏見であるという批判、それに対する反応。
そして、不当だと突っぱねるでもなく、謝罪して引き下げるでもなく、
ただ意見として受け入れればいいのでは、そう思っていた。
しかし、このように今「批判・抗議」がただちに辞任や解任、引き下げに直結している現状があるために、
正当であるかどうか強く判断され、単に受け入れることができない、といったことが起きていやしないか。
「何も要求しない、ただ批判であるだけの純粋な批判」があると思う。
これが昨今難しくなっている。
表現規制問題について、「お気持ち」と呼ばれ始めたそれについての話が特にそうだ。
ただちに規制に繋がらない限りは、不快感の表明は当然あるはずのものではないか。
「お気持ち」は、単に「お気持ち」である以上は、完全に正当なものではなかったか。
個人の感情から一足飛びに規制論へ飛ぶからこそ、「それは単なるあなたのお気持ちだ」、という批判ではなかったか。
それが今では、単に何も要求しないものについても、「お気持ち」という言葉が飛び交っているのを見ている。
現状では問題とはされていない、かくれた課題というのは無数にあるのだと思う。
それに光をあてていくには、まず知ってください、認識してください、と主張していくことが必要と思っている。
主張は不当と突っぱねられてしまう。
それまで完全に突っぱねてきたものが、急に変わるのか?
ただ意見として聞いてもらって、少しずつ変わっていくことはもうできないのか?
小山田氏が辞任した際に、「謝っても許されないのなら、みんな謝らないで無視することになる」というような意見が複数あった。
「許さない人がいるのは当然だろう、何言ってるんだ」、最初そう思った。
個人の感情として、許す、許さないがあるのは当然のことと思うから。
「許す」、「許さない」はそのまま「突っぱねるか」、「降りるか」の対立構造に限りなく近づいてしまっている。
自分は「謝っても許されないのなら」を、100%は否定できなくなってしまっている
矢面にたって集中砲火を食らえばいいと思っていた。
「ただ批判を受け入れる」ことは、場合によっては、降ろされるよりも厳しい場面があるのではと思う。
【追記 7月23日 18:10頃】あまりの衝撃に封印していた言葉を解禁してしまったのですが(anond:20210722183137、anond:20210722183851)
『クズ』も伝えたいニュアンスは含むので『クズ』に変更しました
ただそれだけなんだが?
2021年においても上級ソシオパスと逆張りクズが幅を利かせてるジャップランドなので
小さな劇場ならジャップは中世の民(価値観)だからでまだわかる
でもTVでこのネタやってるって終わってんじゃん、マルコポーロ事件は1995年だよ?
ラーメンズって小卒だった?高等教育受けてなかった?上級国民の代名詞、美大へ行ってなかった?
文藝春秋による謝罪と『マルコポーロ』廃刊
発売から13日ほどが経った1月30日、文藝春秋は、編集権は執筆者ではなく編集部であり発行責任は出版社自身にあるとして、西岡には相談せず、出版社として「記事は誤り」と発表し公的な謝罪をすると共に、『マルコポーロ』の廃刊と花田紀凱編集長の解任、記事に関係する幹部構成員の更迭を行った。田中健五社長は廃刊を発表した1995年2月2日のホテル・ニューオータニでの記者会見で社長の職に留まると述べたが、後に社内外から批判を浴び、結局、2月中旬に田中は代表職を辞任した。廃刊により文藝春秋の社員有志がSWCでのセミナーやアウシュヴィッツ見学に参加した。『マルコポーロ』1995年2月号の回収は、実際には行われていない。
廃刊が発表された1月30日、外務省の斎藤事務次官は記者会見を開き、外務省の見解として「廃刊措置は適切だった」と述べている。
小卒じゃないなら、平和の祭典で日本人収容施設・沖縄集団自決・東京大空襲・原爆を弄ったヤツがわざわざ表に出てきても、
『俺は気にしないし(笑)』or『日本政府は強く抗議しないし、気にする方がおかしい』か?
マジでどうすんの?
anond:20210722140554 anond:20210722152037 anond:20210722151446 anond:20210722155559 anond:20210722163703 anond:20210723003923
やあ、かつて初心会についての記事を書いた増田だよ。いろいろ本を買い足して読みなおしては新規の古い知識を突っ込んでるよ。新作はまだもうちょっと時間がかかるから待っててね。
息抜きとして今まで読んだ業界本を簡単にレビューしていくよ。当時のことを調べたい人は参考にしてくれるとうれしいな。
ある種のバイブル的存在。スーパーファミコン登場時の任天堂やゲーム業界周りのことを非常に詳細に書いている。任天堂のことを持ち上げつつも当時から流通網の矛盾、ロイヤリティビジネスのおかしさを指摘していて非常にハイレベル。是非読んで欲しい。ただ後日山内社長は「300万台買うからリコーのCPUを安くしてくれ、なんて言ってない」と否定してる。(後年の社長が訊くではリコーの工場の稼働率が非常に悪いことが上げられていた。だから任天堂の無茶振りにリコーが応えたのかな?)
PS1立ち上げに関しての裏事情を綴った本で、流通やソフト会社呼び寄せるにあたってのアプローチが詳細に書かれている。またこの本では「任天堂がふざけた契約違反をしたからソニーが激怒してゲーム機突っ込んできた」説を取っていて、任天堂との会談をまるで見てきたかのように書かれているが、久多良木健氏は別に恨みをベースにやっていなかったんじゃないか、とは丸山茂雄氏の談。それはさておき、最初に任天堂に久多良木氏が接近した話なども載っていて面白い。FM音源(ディスクシステム音源?)と、PCM音源(スーファミ音源)との聞き比べ対決をして久多良木氏は任天堂に音源チップの売り込みにいったんだと。
「セガ・ゲームの王国」が改題された文庫。セガがメガドライブでどんどん任天堂を追いつき追い抜く(米国にて)様を持ち上げたもの。セガの歴史を学びたい人にはうってつけ。ただ今読むと苦笑してしまう持ち上げっぷりなのはご愛嬌。
スーパーファミコン全盛期に書かれたものだが、上の「スーパーファミコン 任天堂の陰謀」などを読んでそのまま書き足した記述があちらこちらにあってげんなり。作者自身で取材した様子はなく、今の時代わざわざ読む価値はないと思う。ちなみに同作者は同時期「ソニーが任天堂に食われる日」「セガにおびえる任天堂」、後年には「ソニー・プレステが消える日」なんて本を出している。一応全部読んだけれど、わざわざ読まなくていいレベルの本。唯一評価できるポイントはソニーがスーパーファミコン一体型CD-ROM機について「スーパーディスク」と銘打ち、ソニーだけの独自規格と広告したのを任天堂が危機感持ったのでは、と指摘したことくらいでは。
PS1立ち上げの話をいろんな人にインタビューして記事にしたもの。CPU、流通、本体機構、サードのサポート、コントローラーのグリップ、値下げ合戦と、セガと任天堂に負けるなという気概でどのようなことをしてきたのか、どう決めてきたのかわかる一級品の資料となっている。PS1発売が12月3日に決まったものの、8月の時点でまだ生産台数が決まっていなかったなど、当時のどたばた状況が伝わってくるインタビューが載っている。あと最初のほうの開発機材でCD-Rに10枚焼いてもまともに読み込みできるのは3枚だけだった、などなど。
タイトルはプレイステーションだが、内容は任天堂、セガ、松下にもバランスよく触れていて、いかにしてソニーが任天堂を打ち倒すべく思案してきたかが書かれている。洗練された流通で、問屋を利用する任天堂よりもきめ細かい制御ができるソニーだから勝利した、という内容なのだが、最終章に「このままいけばこの流通も破綻するのではないか?」という記述があって驚く。革命は起こした時よりも、その後のほうが大事だという至極最もな結論に至ってる良書。
当時のゲーム流通をうまくまとめてある本。セガ、任天堂、ソニーの三社をそれぞれ解説している。特にこれと際だってすぐれたものはないが、初心会流通の任天堂、独自のソニー、バンダイと提携するかもしれないセガの立場をそれぞれかみ砕いている。
8.売られた喧嘩 買ってます 任天堂勝利の青写真(1996年)
とてもアレな題名だが中身は大真面目。「王者任天堂に勝つのはセガでは無理だ。ソニーでしかあり得ない」という視点で、挑戦者ソニーを解説している。よほど念入りに取材をしたようで、初心会幹部へセガが引き抜き工作をした話などが載っていて驚いた。面白い本だから是非みんな読んで欲しい。
9.セガvs任天堂 新市場で勝つのはどっちだ!?(1994年)
任天堂山内、セガ中山の社長同士の経営理念や過去を対比させて現状を解説していく本だが、とにかく取材がすごい。任天堂の労働争議の話や、メガドライブ以前のセガのコンシューマ機が問屋から嫌がられていた話(1ケースがでかくて重い!)など、他の本ではでてこない話がバンバンでてくる。わざわざアメリカにいって各地の小売店でゲーム売り場の様子まで確認しにいく取材力は感嘆する。著者の国友隆一氏はゲーム関連の本をこれ一冊しか出していないのだが、残念でならない。是非今のゲーム業界を取材して本を書いて欲しい。そう思える良書。
「セガのドリームキャストは日立製のパワーVR2というCPUを採用している」や「入出力にはUBSホストコントローラー」といった腰砕けになる記述がある。お察しください。
1.党内民主制がない
民主的なプロセスで党代表を選出する仕組みがなく、N国レベルのガバナンスである点
いくら綱領に「民主主義革命を実現すること」と書いていても党内民主主義がないのでは無理がある。
共産党は女性議員を大量に擁立しているが、衆議院では男性幹部が比例単独で上位名簿に乗るなど、年功序列感が強い
3.全体主義
玉木が言ってたけど全体主義。
選挙アンケートで所属議員が全員同じ答えとか、議員から幹部への批判がないとか、党内議論をオープンにしないとか、全体主義的で集権的な党運営をしてる。
他にも外交防衛とか経済とか色々あるけど、結局民主的な政党じゃないから。
いくら「民主主義を大事にする」「中国共産党やソ連とは違う」と言っても無理があると思う。
小選挙区制の辛いとこね、これ。