はてなキーワード: 平行線とは
母は痴呆でほぼ空気、ていうか、成人病でカラダ壊して実家に戻った弟がそれから数年して両親の痴呆と末期癌に降りかかられて独りで奮闘している
ワイふくむ兄連中は地理的に遠すぎるためスルーてか世話は押し付けてお任せしとる
消化器系の癌切除をしたあと味覚がほぼ失くなり食事が摂れず体力が落ちた父にリンパ腺癌がみつかり再入院したが治療の苦しみに嫌気がさした本人が緩和ケアにしてくれと要望すると病院側は家族の同意を得てくれとのこと
弟としては何年も面倒をみて世話(食事を作るのが生き甲斐のようだ)をして来ているので諦めきれないらしくまだ頑張ろうといい、父と平行線
父からは弟を説得しろと電話がかかってくるし、弟にそう突き付けるのは彼の人生を否定するようでしたくない
父はちゃんと兄弟で話し合ってるのかと電話でツメてくる、医師からは家族で統一見解を持って来てくれないとどちらにも進められないと言われているそうな
お互いに地理的に離れて生活も離れてなん十年間、それって家族かねぇ…
身近なひとがしんでいくのってなんてめんどうなのか
増田が『神が男女とその役割を作ったの人』ならどこまでも平行線なんだが
そもそも圧倒的女権社会でメスでもちんぽを持つブチハイエナさんは哺乳類だぞ
性分化疾患(DSD)ほかそのどちらでもない性別の人たちが存在するように、
だけど宗教の人はこれをどうしても認められないのよ。信条的に困るからね
中世までのキリスト教では、メスでもちんぽを持つハイエナを"神を受け入れたかはっきりしない曖昧な人間の象徴"として扱ってたりするくらいだしね
イルクーツク国立研究技術大学(IRKUTSK NATIONAL RESEARCH TECHNICAL UNIVERSITY)の考古学者らが14世紀に住んでいた30歳~40歳の女性戦士の墓地を、
今夏にフブスグル県で発見した。オルドヒャル1号という発掘ゾーンから当時の女性より体格が大きく、つまり高さ180センチの女性戦士の墓が発見された。
女性を男性と同様に武器と共に葬っていた。調査団団長のアルトゥール・ハリンスキー教授は「モンゴルのアマゾンとも言えるこの女性の男性を勝ち抜ける力持ちだった」と話している。
大きな体格の女性をロングナイフと、斧、弓、銅のボール等の武器と一緒に葬っているのが非常に稀なケースだという。
戦士女性は戦争による負傷痕はなく、重症により死亡したのではと推定されている。女性の歯がほぼ全部落ちており、歯根に生じた穴が顎骨までに進んでいた痕がある。
考古学者らは骨盤と顎に形から女性だと予測し、遺伝調査により判定するという。
ロシアの考古学者らは女性戦士の墓のほか、オルドヒャル2号の発掘ゾーンからもう一つの富豪の女性の墓を発見した。
その女性の墓からヨーロッパ製のアクセサリーが見つかった。学者らは西ヨーロッパ戦争から帰ってきた夫から恋人に与えられた戦利品だった可能性が高いと、
ハリンスキー教授が結論付けている。今回の発掘調査にはモンゴル側からウランバートル大学の教員と学生のチームが参加した。
仕事も育てるのも女性なので、男性の経済力や家事能力では相手を選ばない
単純な相性/好みで選ぶ
In the Mosuo tribe, marriage is non-existent and Grandmother's the boss, but will their way of life survive? https://t.co/9SrJtu0f4k pic.twitter.com/XB573wjWEB— Guy Kawasaki (@GuyKawasaki) April 2, 2017
先日、友人にLGBTについてのネット記事とコメント欄を見せて、
「こういう話題について、みんな全然関心ないんだな。がっかりするわ」
というような話を振ったところ、
「ネット使える人間の知的水準が全員高いと思うな、そういう発言にいちいち引っかかって時間もメンタルもすり減らすのはもったいない。スルースキルを身に着けたり、ネットから離れるという選択肢も考えろ」
と返されてしまった。
俺にとっては関心があっても、向こうにとっては関心のない話題についてグダグダ話されるのが不快だったのは理解している。
ただ、友人の言い分については納得がいかなかった。
俺は反論や否定的な意見についても、理があるのかどうかを検討して、自分の意見をより明確にする材料にしているだけなのだ。
その結果、自分が一時的に怒ったり凹んだりすることは必要なコストだと思っている。
何より、そういった自分の糧にできる可能性のあるものを「頭が悪い人の意見かもしれない、読むに値しないもの」と断じることに強い違和感を覚えた。
「そもそもの正義が違うのだから平行線のまま諦めた方がいい」のならばともかく、「相手は何も考えてないバカ」だと思うのはさすがに驕りすぎではないのか。
俺の要領が悪いということは承知している。
しかしなにも、直接レスバしているわけでも、何時間も何日も粘着しているわけでもない。
自分がどんな話題に興味関心があるのか、世間にはどういう意見の人がいるのか、自分はその中でどういうスタンスなのかを少し確かめたいだけなのだ。
不機嫌に話題を振られるのが不快だから、自分以外全員バカだと思ってスルーしろというのはお門違いだろう。
「その友人とは縁を切るべき」という助言は除いて、意見を聞かせてほしい。
回答ありがとう。
結論から言うと、「俺の意見にも友人の意見にも、正しい部分も間違っている部分もある」と思ったよ。
その上で、俺はこの友人をかけがえのない存在だと再認識した。俺の側も態度に気を付けて、この友人のことを今後も大切にするよ。
以下得られた知見ね。
その友人はお前とは縁を切るべき
こういう「議論になんの意味もないコメントは精査する必要もない」と判断できる程度のスルースキルは俺も持ち合わせてるみたいだわ。
その他、俺がめんどくさいコミュ障だとか、わざわざ茨の道を進むアホだとかの指摘も、
そもそも「設問を読み解けていない」「内容を確認してるだけ」なので、スルーできている。
つまるところ、友人側は俺の能力をちょっと過小評価してるきらいがあるんだろうね。
それについて俺が凹む必要はないみたい。
対して、俺の出した議題に対して有意義な意見を提供してくれたのはほんの一握り。
友人の意見はある意味で正しく、ある意味で間違ってたってわけだ。
世の中の半分はIQ100以下だぞ
会話って自分の意見を投げつけるもんじゃないよ 相手が興味持ちそうなことを話したり、どうしてもその人に話したいなら興味持ってもらえるように話すんだよ
こういうのは事実でブン殴ってるだけで、議論させてくれってお願いしてる俺に対してはコミュ障ムーブなんだよね。
真理は突けてるんだけど、あと一歩足りない感じ。俺と同類だね。
俺は「友人に自分を理解してほしい」と言っているわけじゃないからね。こういう「惜しい」意見もあった。
これらの知見は「高尚なお友達」との付き合いでは得られないものであって、俺がネットの議論なんてものにコストを払っているのは、こういう場面が見たいんだと改めて気付けたよ。
玉石混淆の中から、宝石を見つけた時の喜びって、やっぱりいいものだね。
最初の頃の反応を見て、フェイクの入れ方や情報の端折り方を間違えたなあと思ってたんだけど、時間が経つにつれていい意見も多くなっていったのが観察できて、非常に興味深い時間を過ごさせてもらった。
最近、LGBT法案についていろんな意見が飛び交っていて特にトランス女性は色々な意見に傷ついている人も多いと思う。
LGBT法案は「心が女性なら身体的に男性でも浴場や更衣室、トイレなどに入ってもいい」なんてことは一切言っていない。
そこにあるのは性自認や性同一性障害への差別を禁止するというごく当たり前のことだけだ。
SNSに流れる意見をみていると、ここでの対立はシス女性vsトランス女性の様相を呈しているように見えるが、本来は別の相手とのするべき対立なんじゃないかと思えてくる。
その別の相手とは、この法案に乗じて性犯罪を犯そうとする身体的にも性自認的にも男性である人である。シス女性が恐れているのはトランス女性ではなく、こうした性犯罪者なのだ。
自分の満足や快楽が最優先の彼らはきっと法案の内容なんかろくに読まずない。
SNSの議論もみないし、トランスジェンダーの苦しみも知らない。
断片的に聞こえてくる「差別の禁止」だけが頭に入り自分のいいように解釈をするだろう。
もちろんこうした性犯罪を考える男性は、LGBT法案が成立して性自認女性を自称して女性専用スペースに入ったとしても排除されるだろう。というか、されなくてはならない。
だが確実に女性専用スペースに入ってくると断言できる。なぜなら法案のない今でも女性専用スペースになんとかして入ろうとする男性に遭遇するからだ。
身体的性別に関係なく 性自認女性である人が見知らぬ身体的男性に無防備な状態を晒す苦痛はきっと同じくらい耐え難いものだろう。
平行線を辿るシス女性とトランス女性の対立は本当に必要なものなのか?
私もより熟慮を重ねたいと思う。
私は外と内を完璧に分けたいタイプで、外に行った服で家の椅子に座りたくない。
母は家中を歩き回るスリッパのまま絨毯の上を歩いてしまうタイプ。本当に発狂してしまう。
外に行った服のまま、せっかく洗った洗濯物を取り込み畳んでいるのを見て、全部洗い直すと言ったらケンカになった。
外の埃や雑菌がついた服と、洗濯したばかりの家で着るルームウェアがくっつくことは本当に許しがたい。
母とは普段離れて暮らしているが、本当に本当に本当に衛生観念が合わない。
父が外で読んでいた新聞紙の上に、これから食べる揚げ物を置いていたのを見て卒倒しかけた。
トイレから出て手を洗うときは水だけ。石鹸を使わないと意味ないじゃん。
母は私のことを強迫性障害だと思い込んでおり、精神病院へ行きカウンセリングして来いと言う。
一生平行線だしもう一緒に暮らすのは本当にむりだと思う。
いままでノーマスクで散々殴られ続けてきた人たちは今日という日を心待ちにしていたことでしょう。
だって、大手を振ってマスク強制に対して反撃できるわけですから。
そういうわけで、そういうアホどもを一網打尽にする方法を先に共有しておきます。
そういった輩が大暴れしているニュースが流れてきたら、これを知っているだけで生暖かい目で見守れる心の余裕が生まれます。
ノーマスクと書いてはいますが、これはノーマスクに限らず特定の迷惑客を追い出すための方法論です。
これを知っていれば、店頭店内張り紙だらけの呪われてるみたいなお店になってしまうことも防げます。
過去何度か増田で話題にしているのものなので知っている人も多いかと思いますが、忘れていた人は思い出して帰ってください。
その方法論とは、施設管理権に基づいて退去を申し入れるというものです。
商売を行う場所は当然私有地ですので、客がお店を選ぶことができるのと同様に、お店もお客を自由に選ぶことができます。
平たく言うと、そうやって店側が店の利益を守るために行使できる権利が施設管理権というわけです。
この施設管理権を行使するには、その場所、その時間帯の責任者であれば構いませんので、立場や役職に関係なく行使することができます。
要するにオーナーや上司がその場にいなければ、権限の付与に関係なく自分の判断で行使して良いということです。
大事なのは、その場所にいる一番責任があるであろう人の判断でよいという点です。
そしてこの施設管理権による退去の申し出のすごいところは、明確な理由が不要だという点にあります。
ノーマスク客を、ノーマスクを理由に追い出さなくてもよいということです。
極端な話、「わたしが気に入らない」という理由で追い出してもいいんです。
もちろんその分の評判に対するリスクは背負うことになるので、濫用すべきものではないことは言わなくてもわかるかと思います。
行使できることと、行使したことによる責任は別にありますよということです。
でも、深夜ワンオペで見るからに怖い人が入ってきたとき、身の危険を感じたという理由で追い出すことが正当な権利だと考えれば、ちょっとは安心できると思いませんか?
よく使われる論法としては、「ほかのお客様の迷惑となるため」が挙げられます。
その「迷惑」となる根拠を示す必要はありません。「自身の責任において自身の判断で行った。」とするだけで十分な根拠になるといえます。
かと言ってそれで引き下がるほど迷惑客もアホではありませんので、次はその客を追い出すための法的根拠を示します。
それが不退去罪です。
不退去罪とは、施設管理権に基づいた退去を申し出ているにも関わらず退去に応じない場合に問うことのできる刑事罰です。
つまり、刑事罰ということはこれによって警察の介入が可能になります。
不退去罪が成立するためには、相手に対して退去の申し入れが十分に行われている必要があるとされています。
なので、不退去罪があるからと言って「でてけ!」の一言くらいで110番したところで取り合ってもらえない可能性はあります。
相手の言い分にも耳を傾けつつ話が平行線だと感じられたときは、「施設管理権に基づいて退去を申し入れます」と相手に伝えるようにしましょう。
それでも相手が態度を変えず、そこに居座ろうとしたときは警察に通報します。
こちらの場合は、目的と異なる理由で居座る場合に適用されるので、事前に店舗ルールなどを明確にしておく必要があります。
ただ、ルールに記載があればよいわけではないので、できるだけ目につくところに、また、ルールを無視している人にはそうしたルールが存在することを口頭でしっかりと伝えた上で、さらに居座ろうとした場合に有効となります。
いずれにしても、こちらからの申し入れを無視して居座ろうとすれば警察が介入できるよという解釈でいいのですが、中途半端に知識がある相手だと「不法侵入罪」を口に出しても、「どこが該当してるのか言ってみろ!」的な反撃を受ける危険性もありますので、この場合は不退去罪のほうが適用しやすいと思います。
その他の細かい話については「施設管理権」で増田を検索してもらえればいくつか出てくると思います。(増田の検索機能が息をしていないかも?)
過去、IT有名人と揉め事になった餃子屋さんなんかがありましたが、あの場合は相手の愛称を呼び捨てにしていたなど、もうちょっとやり方があったのではないかなと思います。
IT有名人を擁護する気持ちなんて一切持ち合わせていませんが、客側の態度がどれだけ悪かろうと炎上してしまえば被害を被るのは店側ですので、いくら権利があるからと言って濫用は危険です。
それと同じく、ここまでの話はあくまで経営上の機会損失の話であって、ノーマスクに対する是非については一切触れていない点にご注意ください。
政府が何を取り決めようと、経営判断でノーマスク禁止を選んだとしたらそれを守るための権利がありますよというお話としての解釈でお願いします。
ただ、それと同じように、店側もノーマスクを拒否する権利があるということをお忘れなく。
そうやって自分の権利ばかりを押し付けるのではなく、相手の権利も正しく知ることでお互いに程よい距離感を生むことができれば、コロナに本当の意味で勝ったことになるのではないでしょうか。なるわけないですね。コロナ前の売上を早く返しやがれ!
もう誰に話せばいいかわからないここ数年ずっと消えない自分の中の怨念をただ書いていく。
両親と兄の4人家族
母を専業主婦にして(母は働きたかったが父が許さなかった)気に触ることがあると怒鳴ったりするのは当たり前。私達も押し入れに閉じ込められたり怒鳴られたりすることがよくあった。
また偏屈というか理屈が通っていない&父が納得できないものは(世の中では正しいとされても)全て許されなかったので、何か大事な事を決める時は必ず父を説得する必要があった。
ただ何もない時は面白い人だったし抱っこしてくれたり普通に可愛がってくれたため、怒ると怖いけど父親として好きではあった。
18歳から大学進学のため上京しそのまま地元には戻らずに就職して結婚。
上京する時に「なぜ地元じゃないのか」と若干反対はされましたが、話し合いの末に納得し私はひとり暮らしへ。そのまま大学時代に出会った夫と就職を機に同棲。
同棲する時も「なぜ同棲する必要があるのか」「期間はいつまでなのか」など、当時彼氏だった夫と共に父へ事前に説明をしに行った。
私としては大学進学も同棲もきちんと自分の気持ちを話して、具体的な将来の話もして、父も納得したため全てをスムーズに進めていました。話し合いの時も言い合いになることはあれど強く反対はされなかったし。
そのまま2年ほどたちプロポーズされた。
母はとても喜んでくれたし父もおめでとうメッセージをくれた。
夫の両親にも挨拶をし、じゃあ両家顔合わせはいつにしようか〜と日程調整をしようと連絡を取ったら
顔合わせなんていらない
結納もいらない
俺は絶対に行かない
と父から言われた。
夫の両親が嫌いとかではなく、本当に必要性がないから会いたくないらしかった。
さすがに非常識すぎると言ったら父がマジギレした。最終的にはそんな無駄な事に俺を引っ張りだすなら結婚をやめろとまで言い出した。
こうなると絶対に意見を変えないとわかっているので誰が何を言っても無駄。
夫の両親には、父の仕事が忙しく休みがなかなか取れない(半分本当)。結納などの堅苦しいものは無くて大丈夫です。と話した。
夫の両親はすごく良い人達なので、大事な娘さんと結婚するのにそんなこと申し訳ないと言ってくれたがなんとか納得してもらった。
この時は義両親に本当に申し訳なかった。
特に義父はきちんとした結納式をしたかったらしく最後まですごく粘っていた。本当に申し訳ない。
その後入籍。結婚式はどうしようかな〜東京の方がお互いの友達が多いから東京でやろうか〜と式場見学をしながら考えてた。
入籍前にも親には結婚式はしたいと思ってる事は雑談程度に話していたので、日取りについても改めて相談した。
この時に父からは「本当に結婚式をするのか?」と一度言われた。
え、だめ?私は小さくても結婚式したいんだけど…と話すと、その時はふ〜んと言われて終わった。この時もっと突っ込んでいればよかったとあとで死ぬほど後悔する。
無事式場を決めて報告。
結婚式はするな。
理由は俺が結婚式をしたが、あんなものするべきじゃなかったから。
そんな金があるなら別の事に使え。
おいおいマジかよ。
というか私の意見は?自分がやって良くなかったからって娘までだめなの?
しかも夫は長男で義両親もとても楽しみにしてるのに?なんて説明するの?
両家顔合わせすら断ってるのに結婚式までなんて何考えてるの?
と疑問と悲しさと焦りでいっぱいの最悪のタイミングで世の中がコロナ禍に突入する。
式場からも打ち合わせなど一時中断の連絡がきた。このタイミングしか父と話す事はできないと思い、父、夫、私の3人で電話会議をした。
・義両親もとても楽しみにしていること
・父が結婚式をしない方が良かったとしても、私は結婚式をしたことがないから同じとは思わない
・コロナが流行ってて友達を呼ぶのも難しいかもしれないが、呼ぶなら人数をかなり減らすしワクチン接種などもした人のみにする
などなど私の思いを伝えた。
これに対する父の答えは
・俺が結婚式が良くないと言ったら良くない
・義両親が楽しみにしていようが関係ない。俺がそれに付き合う義理はない
・そもそもお前の結婚式なんで誰ひとり楽しみにしてない。お前の友達全員どうでもいいと思ってる。(父は私の友達に1人も会った事が無い)お前の友達なんて友達じゃない
・やっぱりお前を東京になんて行かせた事が間違いだった。地元にいさせるべきだった
友達にはコロナ禍になって結婚式が延期になるかも…と連絡した時点で慰めのメッセージがきたり、余興は準備バッチリだし絶対休みも取るから!結婚式楽しみにしてるね!って言ってくれたりする子ばかりだった。
こんなに優しい子達が友達じゃないって何?
東京に行かせなきゃよかったって何?
なんでこんなに全部を否定されなきゃいけないんだろう。
義両親への配慮のなさは何度も言ったが父には何も響かず。こんなに不誠実な事ばかり義両親にしたら申し訳ないと言ったら「くだらない」と言われた。
義両親への配慮をくだらないってなに。
この時にやっと私は気付いた。
父にとって大切なのは父だけ。
自分に従わない奴らは全員悪なんだなと。
後々、職場の人にこの話をしたら
普通は自分の娘が相手のお家で苦労しないように立ち回ったり、娘の立場が悪くならないようにフォローすべきなのにお父さんは自分の事だけが大切なのね。と言われたけどまさにそうなんだと思う。
その後何度も話し合ったが話は平行線のまま。
義両親もなんで結婚式をしないんだ、顔合わせもしない結婚式もしないなんて!と怒ってしまった。
私は不眠症になり食事もうまく取れず変な痩せ方をしていった。夫もすごく心配して、父にどれだけ私が苦しんでいるかを話してくれたりした。
数ヶ月話してようやく条件付きで許しが出た。
・人数を極力減らすこと。親族は呼ばない。お互いの両親と兄弟、どうしても呼びたい数人だけにしろ
・俺達は何もしない
義両親は結婚式の規模にはこだわっていなくて、ただ結婚式をしてほしいという希望だったのですごく喜んでくれた。
友達にもコロナのこともあるから人数を減らす事を話したら、全員が理解してくれ落ち着いたら改めてお祝いすると言ってくれた。中には式当日に電報をくれた子もいた。
結婚式当日。
私達にすら話しかけてこなかった。
帰りも母がまたねと声をかけただけだった。
コロナのせいで結婚式に敏感になっていたのはもちろんあると思うしそれは仕方ないと理解してる。
でも、その前から結婚式を反対されて、理由が俺が嫌だったからという謎理論が未だに納得できない。両家顔合わせを拒否したことも。
私の気持ちを一度も肯定してくれず、18歳からの人生を全て否定されたのもずっと胸に残ってる。
父とはそこそこ良い関係だと思っていただけにとてもショックだった。母とは上京してもほぼ毎日連絡を取っていたし、私の気持ちも話していたから味方になってくれると思っていたが一度も助けてくれなかった。
父の結婚式で何があったのかは知らないが、私はあなたのせいで普通の結婚式を望む事すら否定された。
(父達の結婚式のビデオを昔見せてもらったがよくある普通の結婚式でハプニングなどは何もなかったし、父達も笑っていた)
本当は祖父母にも来てほしかったし友達もみんな呼びたかったし、やりたい事もいっぱいあったのに何1つ希望通りにならなかった。
希望通りの結婚式が出来なかった事ももちろんショックだしその話し合いの過程で私自身を否定されて、あの日のショックがずっと胸に残ってる。そして何より私の気持ちを一度も汲んでくれなかった事が悲しかった。
あれから友達の結婚式に行くにも自分の結婚式を思い出して身構えてしまう。
両親からは「そろそろ顔を見せにきませんか?」なんて連絡が普通にくる。あの時の話なんて無かったみたいに。
このままゆっくり両親と縁を切りたい気持ちと、それでも家族だから会いたい気持ちがずっとぶつかりあっていてそれがまたすごく苦しい。
でももう今までみたいに実家に帰って心から笑ったりすることはもう無いと思う。
子供ができたとしても会わせたくない。
夫にはそんなに恨むと自分が辛いよと言われたけど、どうしても止められない。
奢り奢られは金銭感覚というかスタンスが合う同士でくっ付けば問題ない。合わない人同士で言い争いになってるから話が平行線になる訳で。
ただ、「ドケチおじさんに奢ってもらえなかった」+「モテたいマンに奢られてキモかった」っていう女性は拗らせてる可能性がある。
男性に奢ってもらって「次は私が奢りますね」って言ったり、手土産渡したり後でスタバカード的なの送ってくれる気遣いできる子はモテる。
男性側はこの子と一緒にいて楽しかったな、また会いたいなと思えば奢ればいいし、明らか奢ってもらって当たり前財布出そうとしない人にはいくらか出してもらうか手切れ金代わりに奢ればいいのでは?
よく「男は女性とすれ違うとき性的な目でジロジロ見る」という女の主張と「別に見ちゃいない」という男の主張が平行線がたどることが多い。
これと「ぶつかりおじさんよりも周りを見ずにぶつかってくる女のほうが多い」という話がつながっているんじゃないかと思う。
周囲をよく見ているのはよそ見したり視界に意識を払っていない女にぶつかりそうになるのを経験しているととくに実感する。
この周囲に注意を払って動きを予測するために短時間意識を払うことが「いやらしい目で見ている」と女は誤読しているのではないか。
不注意が当たり前になっている人間の感覚からすると周囲に注意を払っている人間の視線は自分をジロジロ見ていると感じるのはありえないか。
いやそっちの理屈だと普通に顔晒して結婚願望ありますってアピールしてるんだからリスクは変わるでしょ
ロリコンだって自分で子供作って犯せばいいだけだしとか言い出せばもうなんでも言えるやんけっていう なんでロリコンはロリ選び放題なのにDVの話のときは選り好みしない前提になるのよ・・・
なんか前提分かってなさすぎじゃね?
世の中分かってなさすぎというか
いやだからそれあなたの周りの前提でしょ 生きてる環境が違うし俺の周りでロリコンに犯されただのなんだのなんていう話は一度もなかったので、前提となる根拠を示してよって最初から何度も言ってるわけだが
前提わかってなさすぎで世の中わかってない、じゃなくて思い込みで前提わかってるつもりになって世の中をわかったつもりになりすぎじゃねって言い返したい気持ちがすごく強まっている
根拠が出てこないと結局俺はこうだったとか言い始めてこの類の議論絶対に平行線になって終わらんが
シンママ限定アプリでそこまでいろいろ危惧してるけど、あなたも言ってる通りにそれ(シンママではなくロリコン側も)既存のシステムでもできるじゃんっていうそれだけの話なんだけど
さっき宅急便の段ボールの封(布テープ)が一旦剥がされたものが雑に貼り直され、布テープがくしゃくしゃで浮いてほぼ開いた状態で配達された。
調べてもらったら集荷の段階では問題なかった模様。というか集荷の時点で問題ある場合は荷受けしないらしい。
驚いたのはどの時点で封が開いていたか検証できないということ。
今回の宅配業者(大手)によると配送中のチェックポイントで開いている等の問題があれば連絡があるらしいんだけど
今回はどこもそのチェックがはたらいていない。
最終配達者はその大手からの委託業者だったようだけど「蓋は何の問題もなかった」としれっと報告している。
いや見た目で明らかに開いているって分かるレベルだったが「その点に関してはお客様のご意見とは平行線です」と言われたわ。
昨今のAmazonの荷物すり替えとか、こうして起こっているんだなとしみじみ思ったわ。
根本的に「性犯罪やセクハラ等はデフォで他人に不快感や恐怖を与えるものである」って認識がなくて
「性犯罪やセクハラと言われている行為は女なら喜ぶのがデフォであり、そこで不快感や恐怖を訴えるのは相手に対する差別意識があるから。
或いは不快感や恐怖など本当は感じていないが、相手を攻撃する為にそう嘘をついているだけ」
だから「性犯罪やセクハラ等はデフォで他人に不快感や恐怖を与えるものである」と認識している人達(単に普通の常識人だが)とは話が全くかみ合わない
エロ漫画を真に受けてて「俺がレイプされてもご褒美としか思わない」くらいの認識なんだよあれ
年末年始暇なんでブックオフで安売りしてたぼくたちは勉強ができない(ぼく勉)を買ってみた。
増田でボロクソに言われてたのは覚えてたけど、漫画を一通り読んでネットの感想も色々読んだうえである程度は言われてもしゃーないなと思った。
全体的に読者の期待を裏切った結果なんだろうなという印象。
せっかくなんで何をどう裏切ったのかについて自分が感じた感想をまとめる。
ぼく勉は見立てと対比を多く使っている。
具体的な手法でいえば緒方理珠が唯我成幸への恋心を明確に認識したシーンでUターン禁止の標識を同じコマに入れるという方法を取っていたり、桐須真冬と唯我成幸の指導方針が真逆であることについて、床の線と足の並びを平行に描いて「(お互いの指導方針が)平行線」などと言わせていたりする。
このような見立ては手法のみならず設定自体にも取り入れられており、例えば主要なキャラは童話やアニメのキャラクターに見立てられている。
キャラ | 童話・アニメ |
緒方理珠 | 親指姫 |
古橋文乃 | 眠り姫 |
武元うるか | 人魚姫 |
桐須真冬 | アナと雪の女王(エルサ) |
小美浪あすみ | ピーターパン(ティンカーベル) |
唯我成幸 | 幸福の王子 |
対比については例えば桐須(キリスト教)←→唯我(仏教)のような指導方針の違いや名前の由来の対比については作者が言及しているが、
その他にも将来の進路についてヒロインごとのグループによる対比が見られる。
将来の進路 | キャラ |
才能と希望が一致せず希望を選ぶ | 緒方理珠、古橋文乃、桐須真冬※1 |
才能と希望が一致せず才能を選ぶ | 武元うるか |
才能と希望が一致 | 小美浪あすみ※2、唯我成幸 |
※1本人の発言。また一生徒であり指導方法を学んでいない唯我成幸ですら達成できた緒方理珠と古橋文乃の成績を向上させることに失敗しているため。
※2小美浪あすみは受験科目の理科分野が苦手であるが、作中で患者の診断については得意であることが示されている。したがって研究側としての才能はないが、現場の医師としての才能はあるものと思われる。
追加ヒロイン枠である桐須真冬、小美浪あすみはそれぞれ同じグループのキャラクターの将来のロールモデルとして見立てられている。
すなわち桐須真冬の存在は緒方理珠と古橋文乃が自分の才能がある分野ではなく、自分が希望する進路を選んでも幸せになるということを示唆しており、
小美浪あすみの存在は父親のいない唯我成幸の代わりに、父親と対立したとしても父親の背を追うことは間違いではないのだということを示唆している。
この漫画のテーマの一つが幸せになることであり、この2つのグループは将来幸せになることが示されている。
では自分の才能と希望が一致しておらず、才能がある分野を進路として選んだ場合のロールモデルのない武元うるかは将来どうなのか、というのがこの漫画の結末に当たる唯我成幸から婚約指輪を送られる部分であり、これを以て将来幸せになるということが示されている。
この点、作者は古橋文乃ルートで武元うるかに失恋ごときで不幸にさせるなと言わせているが、将来ではなく現在での描写であり、また幸せとは言わせていない点に本旨があろう。
ぼくたちは勉強ができないというタイトルの通り勉強ができないというのは前提としてあるが、ここでいうできないこととは勉強以外でキャラクターが抱える問題であり、主として家族に関連する問題である。
キャラ | できないこと |
緒方理珠 | 人の気持ち(特に亡くなった祖母の)がわからない |
古橋文乃 | 父親や親しい人と向き合えない |
武元うるか | 恋愛をうまくすることができない |
桐須真冬 | 家族の反対を振り切って選んだ道が向いていないと思っている |
小美浪あすみ | 子供の頃から憧れた居場所(父親の診療所)を継げない |
唯我成幸 | 周りの幸せを優先して自分の幸せを追い求めることができない |
これらのできないことを各キャラの長編(①など番号を付された連話)で唯我成幸が尽力して克服するというのが基本的な流れになっている。(武元うるかと唯我成幸は長編がない代わりに本編の終盤がその流れに当たる。なお武元うるかは家族ではなく他人との関係であるが、これは将来家族になる相手との問題であることを示唆している)
この点武元うるかの恋愛ができないことについては他のキャラも同じではないかという批判があり、なんなら成就していないのだから他のキャラこそ恋愛ができないのではないかという指摘もあり得る。しかし武元うるかの場合は恋愛的なアプローチに失敗することが多々あるという点で他と差別化されている。
つまり他のキャラクターの場合、唯我成幸の気を引こうとして主体的にアプローチをした際にはドキドキさせたり意識させたりして成功しているが、武元うるかの場合は好きな相手を唯我成幸ではないと言ってしまったりプールで溺れさせたりするなど明確に失敗してしまうことが多々ある。つまり作中での描写の問題であり、そのため恋愛ができないのは武元うるかなのだ。(メタ的に言えば克服できなかったものをそのキャラの問題にするのは最後まで問題を抱えたキャラがいることになるため読後感が悪くなるという問題もあろう)
上記のようにして各キャラが進路を選び、できなかったことを克服することでぼく勉のキャラは幸せになり、その幸せになった将来の姿が本編最終話に当たる150話で書かれている。
この話が卒業後すぐではないのは、緒方理珠と古橋文乃と違って将来像のロールモデルがいない武元うるかにとってはこの最終話こそが将来の幸せを保証するものだからである。
つまり付き合い始めてすぐではなく数年後の将来においても、唯我成幸は他のヒロインたちからの誘惑を振り切って武元うるかを選び、お手製の婚約指輪を渡してプロポーズをする。
このエピソードを以て将来に渡って武元うるかが幸せであることが保証され、同時に将来においても唯我成幸にとって武元うるかを選ぶことが彼自身の幸せであることが保証される。だからこそこの最終話は恋人になってから数年後の話であり、恋人がいるにも関わらず他のヒロインから誘惑されるという一見陳腐な展開が必要なのだ。(あのような陳腐な展開でなければならなかったかは別として)
ぼく勉はこのように緻密な構造で作られている作品である。(構造を元にした話自体が緻密とは言っていないので誤解のないことを望む)
簡潔にまとめるならば、作品全体を通して周囲の人間を幸せにしてきた一方で自分の幸せをないがしろにしていた主人公が、最後の最後で今まで幸せにしてきたキャラに背中を押されて自らの幸せのために好きな相手に告白をして、恋愛がうまくできなかった女の子と共にできないことを克服した、という結末になるように作られている。
また見立てと対比の話に戻れば、人魚姫と幸福の王子という他の4作と対比して不幸な結末で終わった童話をモチーフにした2人が、童話と違って幸せな終わりを迎えたという形にもなっている。
作中のキャラの配置やモチーフなどを考えればこのようなストーリーを作者が想定しており、その結末になるように連載を進めていたことが読み取れる。
さて、ここまでぼく勉という作品の作りを辿ったが、最終的に作者である筒井大志は他のキャラのパラレルストーリーも描くことを選択した。
作者のインタビューを聞くと編集との雑談の中で増刊で描けないかと言ってみたら本誌でやることが決まったとのことであり、連載中に急に決まったことがわかる。
このような形で決まったものであるから当然様々な弊害が生まれている。
例えば物語の構造として今まで幸せにしてきたキャラに背中を押されることができなくなってしまっているため、主人公の告白の重みがなくなってしまっている。(武元うるかには幸せにしてやるという決め台詞を言っておらず、逆に幸せにできないかもしれないけれど自分の幸せのために付き合ってほしいという告白になっている。つまり幸福の王子というロールから脱却するというカタルシスがある)
また武元うるかには恋愛というできないことが残ったままになってしまっているため、上で書いたような克服できなかったものをそのキャラの問題にすると、最後まで問題を抱えたキャラがいることになるため読後感が悪くなってしまうという弊害がそのまま生じている。この点古橋文乃ルートのセリフを反例として挙げられることが予想されるが、上記の通り現在の時間軸であり幸せと言わせていない点に本旨があると考えられ、また結局のところできないままであるという問題は何ら解決していない。
これらの弊害は作中のテーマとしてそれまで書き続けていたことを自ら否定したものであり、それぞれの読者が気づいていたか気づいていないかは別として、無意識的に期待していたものを裏切ってしまった。
無意識的に期待していたものを裏切った上でさらに個々の話でも、特に緒方理珠と桐須真冬について、読者の期待を裏切ってしまった。このように読者の期待を繰り返し裏切ってしまったことが今も批判される原因だろうと感じた。
結果としては自分の考えたストーリーがどのキャラを好きな人にも受け入れられると信じきれなかった作者の敗北だろう。
作中で武元うるかに失恋ごときで不幸にするなと言わせていたが、好きなキャラが失恋したらファンは喜ばない、不幸になると作者自身が思いこんでしまったのは皮肉である。
・最終回で無限の未来があると言い、実際の作中のほとんどの女キャラクターが触れていると恋人になるというジンクスを主人公と成就させているのに、主人公以外の彼氏がいる女キャラクターは主人公に触れていないのは些か逃げ腰ではないかと感じた。
・単行本最終巻の作者コメントの僕(作者)が描いたぼくたちは勉強ができないはこれで終わりというコメントはあまりにも無責任過ぎる。お前以外に本物を描くやつも描けるやつもいないんだよ。
特に後者の点でボロクソに言われるのはしょうがないなって感じがした。あやふやな土台の上に二次創作は実らないんですよね。悪いけど。
もしそういう物語構造なら、うるかは1話から出ているとは思うが、それはともかく、これだけ独自に考察することが、まずもって素晴らしい。/「ボロクソ」は、うるか好きをこじらせた増田がいるから…。
冗談はさておき1話から出ていないというだけで否定することができる強度の構造ではない。あらゆる要素がそう物語っているので。逆に1話から出ていなければならないということもないだろう。
才能がある分野ではなく自分のしたいことをするべきというのがこの作品の主張なのであって、その点はセンター試験合格で緒方理珠と古橋文乃が衝突を繰り返していた桐須真冬を和解するという形で結実するのだから、衝突のない分野に進みその主張とは直接関わらない武元うるかが1話に出ていないのも不自然ではないだろう。
当初勉強と恋愛の二本柱で進めて行くつもりだったが勉強要素が不人気か何かで早々になくなったために、勉強要素を担っていた2人が恋愛要素も担っているという誤読が生まれたのではないだろうか。
後段の件はちょっと調べたけどうるか派はそりゃキレて当然じゃねえかな……。(私が読んでボロクソと言ったのとは違うので必ずしも恨みの結果ではないと思うが)
パラレルは完全に逃げだったけどなぜパラレルやったかって「真冬先生が一番人気になってしまったから」だよ。先生を真エンドにはしにくいので全員分描いて一番最後に真冬編を持ってきて読者の人気に応えた。
パラレルやった理由がそうなのは火を見るより明らか(順番通りなら桐須真冬→小美浪あすみになるはずなのに人気を鑑みて桐須真冬を最後にしているから)なので、この増田でも別になぜしたのかとか言ってないよ……
真エンドにしにくいもなにも、話を曲げて人気が高いキャラのエンドにするようなラブコメはほとんどない。ぼく勉の場合は桐須真冬人気を惜しんだ作者が話を曲げて描くことにして、その結果期待を裏切ってしまったのだろう。
これ(最終巻でヒロイン全員どのルートでも幸せになることを僕(作者)が保証するなどという作者コメントがある)は言われそうだと思っていたが、ではその幸せとは何なのか。
できないことはできないまま残った上で、それでも別の幸せを得られるよという話でしかないだろう。
それが今まで描いてきたこととなにか関係があるかといえば何も関係はない。
幸せになるのはそうなのだろう。でも漫画で書かれてたできないことはできないままだ。それが変わることはないし、代わりに見つけた幸せを得た姿を見ることもできない。
ではその保証にどんな意味があるのだろう? 私はないとしか思わない。
(そういった事情を考慮しないとしても、古橋文乃ルートの最後で唐突に今まで一切書かれていなかった平行世界解釈を語らせるなど言い訳をするような作風を鑑みると、読者に批判された言い訳として書いたものと見るのが妥当だろう。そもそも当然のこととして作中から読み取れないことを考慮する必要はないので本文では触れなかった。もちろんファンが作者コメントに救いを求めるのは自由であるが)
「全ての創作にいちいち意義とかを求められても困る、好きだからやるということの何が悪い?」って描いてる人は思ってるんだと思います。けして口には出さないでしょうが、なんなら「別にお前に向けて描いてるんじゃ無い、好きだからやってるんだ。嫌なら見るな」とも。まあそれか特に何の違和感も抱いてないか。好きな作品に「嫌ならみるな」と言わんばかりのスタンスを取られるのはお辛いでしょうね。それさえなければ、本当に楽しめるのに・・・という。
基本的には好きだからやるもので、身体的特徴全ての意義まで考えるような高尚なことを考えてやってる人はわずかじゃ無いでしょうか。だから意義を求めても説明なんてできるわけないです。
女性のカップ数をわざわざ描くというのは、好きなら別にやってもかまわないことなんでしょうか?好きでもやってはいけないことなんでしょうか?そもそもここが平行線だから話がかみ合わないんですね。そこの線引きは非常に曖昧なもので自分にはよくわかりません。
一方で「誰一人傷つかない」というのは確実に無理な話で、どんな話であれ誰かを傷つけてしまうものになっていると思います。純粋な恋愛漫画も今こうしてクリスマスに匿名ダイアリーを見ている人にとっては毒でしょう。
また、そういう表現を楽しんでる人、気にしない人もたくさんいると思います。また女性の性的表現だけじゃ無くて、男性であっても性的表現が用いられる作品はたくさんあります。BL的表現を毛嫌いしてる方もいっぱいいると思います。その中で女性に対する扱いが悪い部分だけを取り上げるのは少し不公平じゃ無いかと私は思います。
私の親は優しい良い親だと思うんですが、子供の頃に自分の性器を舐めてきたことがあって、そのときは何も思わなかったけど大人になって意味を知って、それだけは時々気持ち悪くてたまらなくなります。なのでいわゆる「ショタ」みたいな小さな子供を大人の女性が溺愛するような表現が苦手です。別にそれを批判しようと思わずスルーするのは私のように傷つく人もいればそれを楽しんで活力にする人もいるだろうなと思うからです。まあ傷つくというと少し大げさかも知れません。自分は男性女性はお互いに評価し合っているとも思っています。
皆やってるからそれを許容しろと言うわけではありません。現実を鑑みたときに、実際の数で言えば被害に合ったのは女性の方が多いんだろうなとは思います。
それでも作品と現実は違います。それに自分と、似た意見を持つ周りの少数が傷ついているからという理由で細かい表現まで批判していてはきりが無いし、どこかで二律背反を生んでしまうことになるんじゃ無いかと思っています。
私としては創作は自由な方が面白いし、尖った作品や作者の趣味全快の作品から元気を貰うこともあります。なので多少傷つけ合うことになっても作品内でくらいは細かい規制は無い方が良いと思います。いちいち意義を求めるのも良くないと思います。
証明の途中で系(定理みたいなもの)3.12というものを使っていて、それが証明の核心なのですが、その系3.12が一切証明されていません
なので、証明の体を成していないと言うのが世の中のほぼ全ての数学者からの反論です
逃げ回りながら誤解してるとか、相手が勉強不足だとか言い張りましたが公的な場から逃げ回るためには手段を選ばす、
説明会を主催したのに本人は出て来ず英語喋れないやつにボソボソ喋らせるという奇行も辞さなかった程です
逃げ回りながら論文誌に提出したのですが、そっちの査読でも同じ指摘をされ、最終的に自分が編集長やってる職権濫用で論文雑誌に掲載しました
その編集を務めた玉川教授は「反論は出尽くしており、今後も平行線のままではないか」と異例の声明を出しました
反論は出てるけど望月が有効な反論をしていないことを指摘したわけです
こんな状態の論文が掲載されたのはっきり言って異例もいいところで、圧力の存在を否定する方が難しいです
説明すると言いながら逃げ回ったことで信頼を失ってましたが、掲載誌がPRIMSだった事は全ての数学者の失笑を買いました
現状どうなのというと、オオカミ少年望月くんの戯言を信じてるのは世界でせいぜい10人です