はてなキーワード: 平和ボケとは
なんかもっと最新の戦争って、すげえスマートで未来的な形した戦闘機とか爆撃機とかヘリとかドローンとか駆使して、もう戦闘機なんかも機体は無人で、安全なところにいるパイロットかシュミレーターみたいなので遠隔操作してたりして、で、そういうので重要拠点とかバーッと制圧してから、悠々と地上を進軍してきたりするのかと思ってた。
なんかニュースで見る限り、ゾロゾロと戦車出して、市民が火炎瓶投げつけて対抗したりして、素人目には“案外古臭いんだなぁ”って見える。
ウクライナの建物とか街並みが古いヨーロッパ調なのも相まって、なんか第二次大戦のナチスドイツ侵攻のフィルムかなんかを最先端の技術でデジタル・リマスターしてるみたいな雰囲気で見えてしまう。
戦争の責任が政府のみにあると思っているのか、平和ボケすぎるだろ。
もちろん、だからといってロシア人を弾圧して良いわけではないが、世界の経済システムからの締め出しはロシア自身が選んだ道だからな。
戦争止めるためにやる事やってだよ
そうなんだよね
でもその幻想にいつか届く日が来るかもしれない、みたいな幻想を無邪気に持ってしまってたくらい平和ボケしてたんだなって思う
マイノリティなんか顧みる余裕なんて実は誰にもどこにもなかったし、仮にマイノリティが権利を勝ち取ったって、有事の際は一瞬で反故にされて、それに声をあげることすらできなくなるのが人間の本来の姿だったんだと思い出したよ
自分と自分の大切な人が生き残るためには、なんだってやらなきゃいけないし、それをやれる醜悪な人こそ、実は本当に強くて美しい人間なんだというのは、忘れかけていたけどはっきり思い出せたね
今の世界の流れを見ると、罪もないロシア人ひとりひとりがつらい目に合うことで、そこで生じたヘイトが現ロシア政権に向かう、みたいな空気がある
高度に平和ボケした日本で、理想郷の平等社会を信じて価値観をアップデートしきっちゃった我々日本人として、なんだかそれはとても前時代的な行為のようで、価値観が揺らぐような焦燥を覚える
かつて我々の心にも存在した”差別”が再び勢力を取り戻している様子に、魔王の復活を目の当たりにしてるような気持ちになる
でも、なんだか忘れていたのだけどれど、そういえばこれが戦争だったな、という記憶もあった
戦争は駄目なこと、罪のない人々が傷つくから駄目なこと、我々はずっとそう習ってきたし、それを信じてきた
しかしそれは裏を返せば、「戦争になれば必ず誰か罪のない人は傷つくし、命のやり取りをするというのは当然そういうこと」という意味でもあったのだ、と気付く
ロシアの暴挙を許せば、必ず今後の世界でもウクライナの無辜の民が今経験しているようなことが起こり続ける
であれば、そのつらい目に合う人々をロシア人に転換することで、今後の世界を守ろうとするのもひとつの考えだろう
事態が変われば即座に命のやり取りに頭を切り替えられるヨーロッパ人はまさしくいくさ人で、平和ボケしてない民族はこうも即座に反差別の価値観を捨ててロシア人排斥に動けるのか、と、今目の当たりにしていて衝撃を受けている
増田自身は、純粋に差別はいけないこと、今後の世界は差別を捨てるほうに、マイノリティに負担を強いらないほうへ進んでいくんだと無邪気に信じていた
しかしそれは、当然今まで指摘する人もいたわけなのだが、世界が平和だから、マイノリティ許容できる体力があるからこその余裕であり、余裕がなくなれば自分たちの目の届く自分たちの仲間を守るために、その範囲外の人々にどこまでも厳しく当たれるのが、ヤハウェの民だった
田舎者の日本人は、よそ者は村八分で陰湿にいじめるメンタリティしか持ち合わせていなかったが、彼らは即座に命のやり取りに切り替えられるメンタリティだった
増田は心底恐ろしく感じているよ
反差別や融和、マイノリティなんて夢物語だったのか、と今はどこか懐かしさすら覚える
おそらく日本が攻められるようなことがあれば、一切の抵抗なんかできないだろうな、というのは今回痛感した
もうね、メンタリティが違い過ぎる
ロシア人排斥なんか、するのが正義だと言われたって、どうしてもできないよ
当の無辜のロシア人がその流れを許容すらしているのに、日本人がそれについていけないのは滑稽すぎるし、本当に駄目過ぎて愛おし過ぎて、間違いなく今後滅びゆく民なんだな、と感じた
大きな組織体における各ステークホルダーへの配慮は分かります。
それでも、人命より優勢される大義が信じられないのです。
核を放て、命を賭せ、俺も義勇兵に参加できたら、みたいなことが平気で言われているのが恐ろしい。
平和ボケとは何なのか。
https://anond.hatelabo.jp/20220226125515
今現在、絶賛ロシアがウクライナ侵略中なので、上記ついでに、現状の憲法9条の考え方を書いておこう。
最初に言って置くが、私自身は共産党を支持してない。今に始まったことではなく、何でも反対で、現実を見ていない党に意味があると思ってない。
今の人は知らないかもしれないが、私が物心(?)ついた1990年ぐらいから、憲法9条改正の話はあったが実現してない。今まであまり盛り上がってるとは言えなかった。
それはなぜか。1990年は、冷戦終結の年と言っていい。なぜ冷戦が終結したかと言えば、ゴルバチョフ書記長がいたからだが、本質は、ソ連(ロシア)の軍事費が尽きたからだ。
つまり、相手から攻められない(==相手を蹂躙できるようになりたい)を軍事的に実現しようとするとソ連のように軍事費が尽きるのが現前に明らかなったのが、1990年だった。
なので下火になった。結局9条変えて、ソ連のように軍隊を持っても、体制が崩壊するだけで意味ないのが明らかになったからだ。
その下火状態から、とちくるった日本共産党が、集団的自衛権さえ放棄した主張をし始め、今に至ってる。誰も気にしないから、いままで無視されてた。
今もその論理は全く変わってない。憲法9条改正論者は、相手から攻められない意味の軍事能力を持つべきと思い込んでるかもしれないが、それが「相手を蹂躙できるようになりたい」に変貌しないとは、誰も何も証明できてない。
そもそも「相手から攻められない」ということ自体曖昧で、無意味だ。相手から攻められない確実な方法はこちらがそれ以上の軍事能力を持つ以外にない。だから「相手から攻められない」を完遂すれば、「相手を蹂躙できるようになりたい」に行きつかざる得ない。
むしろ今のロシアを見れば、強大な軍事力を持ったら暴走するのが明らかだ。少なくとも「暴走しない」とは誰も証明できてない。
そんなはずはない、と言いたいのかもしれないが、プーチンの「核攻撃」発言まで見てそれは言えないだろう。ついでに言えば、プーチンだって「自衛」と言い切ってる。ウクライナの「ナチ」から自衛するんだと言ってる。「相手から攻められない」ように自衛として侵略してるのだ。この状態で、「相手から攻められない」と「相手を蹂躙できるようになりたい」が無関係などとは言えるはずがない。
しかも、あの意味不明なロシアのプロパガンダを日本人でさえ大勢が信じている。政治家でさえも、だ。
そもそもアメリカでさえ、その絶対的な軍事力を真っ当に行使しているとは言えまい。ほとんどイジメのようにアフガン、イラクにも攻め入ってる。多少理由はあったとはいえ、そんなに褒められた理由じゃない。
それぐらい軍事力というのはとても魅力的な側面を持つ。なんせ武器を持ってるだけで相手がもみ手して近づいてくるのだ。日本の人たちがそれを本質的に理解しているとは到底思えない。
例えば、膨大な武器を手にした人たちが、軍事的圧力で選挙不正働きだしたらどうする?今だって止まらないのに止められると思うか?
平和ボケというよりは、軍隊ボケだ。もちろん日本だけではない。
その意味で憲法9条を改正出来るとまで言える理由はない。どのレベルで見ても、まだ全く議論が足りない。
だから、憲法9条の必要性は全く変わりない。むしろもっと必要になってる。
ロシアになって、軍事費に使い過ぎて、体制が崩壊しないように。
不要なのは、憲法9条の廃棄ではない。憲法9条を基にした、専守防御的集団的自衛権とも言うべき概念だ。今はそんな言葉はないが、他国の事情を考慮に入れられる、相手を攻撃しない、それでも日本国を真っ当に守ることが出来る、集団的自衛権が求められてると思う。
その議論で、9条2項は「軍事力」そのものの保持を禁じているではないか、だから改正が必要なんだ、という話はある。が、意味がないと考えてる。
もう既に憲法9条が集団的自衛権の行使には当たらないという憲法解釈をしてしまったのも事実だ。
そして、憲法とは国の形を決めるものであるはず。日本国はこれからも軍事力を持ちたいと思ってない。持つのは単に防御したいためで、将来は「軍事力は放棄する」のだ。それが日本国が目指すべき国の形であることは何も変わってない。
でも、防御が必要だから、法律でどのような軍事力が必要か、状況に応じて決めていくことになる。
その意味では、緊急事態といういい方もできる。だから自民党が言う意味の「緊急事態条項」ではなく、「軍隊を持たなければいけない」という意味の緊急事態として法を作ることも考えられる。
が、結局のところ、意味はあるまい。日本を侵略したい国は、日本に憲法9条があろうがなかろうが攻めてくるだけの話だ。もちろん法律がどうなってようが気にするとは思えない。
なので、その法律を作る意味さえないと考える。だから憲法9条改正に反対だ。
そんなことより考えるべきことはいっぱいある。中国が攻めてくるのに、持ってる武器が中国製なんてしゃれにもならない。
結局攻めてくる相手は、他国の憲法なんぞ見てない。そんなことよりは、なにをどう防御するかだろう。
幸い、最近は集団的自衛権を放棄しようという人は少なくなってる。
それに、まさか積極的に他国に攻めに行きたいわけでも、ロシアのように自滅したいわけでもあるまい。なので歯止めの方針として憲法9条は必要だ。将来は軍事力は放棄するのだ。今は単にちょっと回り道してるだけ。
以下支離滅裂
ロシア「親ロシア派が嫌がっているのにNATOに入ろうとするとは何事だけしからん、『親ロシア派を守る行動』を取ろう」
と言いつつ実際は殴り込みで戦争をしている。一般人も大勢殺害している。
そしてウクライナを強引に子分にしよう企み乗っ取ろうとしている…?
あるいはロシアはウクライナそのものを亡きものにしてロシアの一部にしたがっている…?
過去にウクライナはソビエト時代にスターリンからの圧政で大勢の人が餓死したりしたこともありロシアとは縁を切りたがっている?
アホな自分の単純な頭では「ウクライナ人の多数が親欧米だからウクライナの国内から親ロシア派がいなくなればいい」とも思っているが多分事はそんなに単純じゃないんだろう。ただ、どう単純じゃないかは分からない。
ウクライナ内の親ロシア派が占めている地域を「ウクライナじゃない」ことにしたら(新しい国が生まれたり、ロシアの一部になったりする)何やらそれはロシアに屈する事になるらしい。何でもロシアにとっては念願の不凍港が手に入ることで他国にカチコミしやすくなるとかならないとか見聞きしたような気もするけどどうも分からない。
親ロシア派はロシアが好きなんだからウクライナ内の親ロシア派をロシアに追い出してウクライナを親ロシア派がいない国にしたらいいのかとも思ったがそういうことでもないらしい。かといってこれから先親欧米でやっていきたいウクライナにしてみたら国内に親ロシア派がはびこっているのは嫌だろうなとも思う。
ウクライナはNATOに入っていないのでNATOの軍隊がロシアを追い払ったりはできない。経済制裁はやっているらしいがそれでもお構いなしにロシアは攻め込んできている。むしろ経済制裁でプーチンがなお一層キレているようにも見える。このままだと核兵器を使いかねないところまで来ているらしい。ウクライナが第2の被爆国になるのは嫌だ。軍事力のあるアメリカは中東の石油のように金儲けができないと戦わないからウクライナは見殺されてしまうのだろうか?
そういえばプーチンは昔のソビエトに憧れていると聞いたことがある。今回の戦争も昔のソビエトを復活させるための行いなのか?というか本当に昔のソビエトを復活させて良くなるのかも分からないけれど。とはいえ今回の戦争でプーチンは世界各国からバッシングされて経済制裁も受けている、そんな強引なリーダーに国民はついていきたがるのか疑問ではある。となると失脚するのだろうか?もし仮に失脚したら今後どうなるのだろうか、アホの頭ではそこまで回らない。
今回の戦争で一番得をするのは何やら中国らしい。どういう大風桶屋かは分からないけど中国らしい。中国が力をつけてきたら台湾や日本を侵略をしてくるという考えも見たような気がする。なんとかという政治家が馬鹿の一つ覚えのように9条9条と連呼していたが力づくの国は言葉だけでどうこうなるもんじゃないというのが今回の戦争で明らかになったようにも思える。日本も核兵器を持つ域までいくかどうかまでは分からないけれども少なくとも交渉とか会談でおさまらない恐怖みたいなものを感じた。平和ボケという言葉は使いたくないが結局戦争狂いになるしかないのだろうか。極端なことを言えば右寄りの人に「平和」という単語自体がタブーな気さえすることもある。
などと頭の中のものを出してみたけれどアホなのでこれが限界だった。加えて別に強い権力を持っているわけでもないのでこんなことを考えることに何の意味があるんだろうとさえ思えてきた。
[注意]
全ての人々の命が戦禍によって、人の手によって奪われることのないよう心から願っています。
既に**沖には**の**、推定**に登る被害が報告されています。
これを受けて日本国政府は非常事態宣言を発令し、全ての日本国民に避難命令を発令いたします。
直ちに**の攻撃を受けている地域から可能な限り離れてください。
繰り返します
ただ今避難命令を発令しました。少しでも安全な場所に逃げてください。隠れてください。ご自分の命を守る行動をとってください。
団体、あるいは個人の判断で抗戦することを政府は推奨致しません。
日本という資源に溢れる、価値ある島と資産が侵略者の手に落ちることが何を意味するのか。
今後の世界を考慮すれば、無抵抗で全ての所有物を差し出す行為は到底看過されるものではないでしょう。
私は最も臆病で無責任な人間として歴史に名を残すかもしれません。
それでも今、自国民の命を、それぞれの愛する人の命を何よりも優先させるという判断を下しました。
日本国という社会通念上の国家は間も無く解体され、一つの歴史が終わることになるでしょう。
この結果は第二次世界大戦を経た日本が平和主義に則り、自衛のための軍事力しか持たないという方針をとり**に頼ったことに起因するというのも一つの事実です。
しかし日本国民が情勢の安定を甘受し永遠の平和を夢見たこの数十年間を「平和ボケ」という言葉のもとに否定することは果たして正しいのでしょうか。
それは反省すべき間違いだったというのでしょうか。
私たちがその実現を切望する平和とは、断じて緊張によって維持された張り詰めた平和などではなく、全ての人が「平和ボケ」できるような真の安息を手に入れることであると信じます。
私たちは他でもない、その真の平和が訪れる日のために武器を捨てて命を守ります。
祖国が踏み躙られ、破壊されることは、あなたを武力による反撃に駆り立てるかもしれません。
しかし最も絶え難い苦しみ悲しみは、国民の命が失われることです。
どうか落ち着いて、日本を見捨てるためではなく日本を守るために今逃げてください。
愛する人と全員で生き残ることを諦めないでください。
生まれ育った風景が跡形もなく焼き尽くされるのは死ぬより辛いことのように感じられるかもしれません。
何よりも、私たち国民こそが日本であり、一人一人決して失われることを容認できませんし、するべきだとも思いません。
国土を失った民族となっても私たちはこの美しい島で過ごした日々を忘れない限り、日本国民として、日本国民であることを誇りに生きていけるはずです。
日本国が地球上の勢力図から無くなったとしても、どんな強大な国家もとい連合といえども日本列島を海中に沈め去ることはできません。
そして日本人は、どこにいようとも日本人であるという帰属意識を打ち砕かれることはないでしょう。
21世紀の今、国は国土だけにあるわけではありません。生きて新しい土地で、他でもない自らのより良く美しい人生を探求してください。
逃げてください。隠れてください。これは避難命令です。
[あとがき]
今一度言っておきます。以上の文は私の思想以外の論拠を持たない創作であり、参考として挙げるべきものもありません。
百歩譲って現実的・国際的な問題について傍に置いておくとしても、実際に「日本列島」と引き剥がされた日本民族が何年、何世代民族の同一性を保っていられるのか。
それは「肉体を失った魂」か、あるいは「魂を失った肉体」に例えることができるかもしれません。
上の文で描かれたものは「お国のために自らを擲つ殉国」の美徳を全時代的な全体主義の思想として批判した上で、「世界平和のために一国を殉ずる」という美徳に基づき最高権力者が国防を放棄する一種の無理心中と言えます。
私たちは前者の美徳を経験した上で反省点としてその恐ろしさを認識しています。
後者の美徳の実現に関しては有史以降前人未到の夢物語でしかありません。
それでも、それぞれ好悪善悪を超えてある種の「美しさ」を感じさせるレトリックではないでしょうか。
私個人は上述の内閣総理大臣のような「命あっての物種」思想を持っていますが、前者の美徳にも共感する者です。
「国を守るために死ぬ」ことを厭わない国家単位の「究極の共感」は社会的生物である我々にかつて経験したことのない高揚をもたらすでしょう。
そのエクスタシーの頂点で敵の兵器によって鮮血とともに命を散らせるのは、一生分の生きがいにも相当する劇的経験かもしれません。
あくまで前時代的であると感じ懐疑的ではあるにせよ、私は殉国を志す人のことを止める術を持ち得ませんし、やりたいようにやったらいいと思います。
何者かの操作によって無意識のうちに行動させられているのではなく、熟慮の果てに可能な限り内発的に選んだ道であれば、ですが。
こんな話をするとだいたい平和ボケした戦争大好き退廃民の方々は「そんな常識が通用しないからヤバいんじゃないか」と言うと思うのですが
まず戦争って相手の政治とか統率力を奪う事が目的で暴虐を働き困難や苦痛を与えることが目的じゃないんだよ
そのうえで戦闘行為になることもあるけどそれはあくまで上の目的を達成させるために交渉しにいける程度に安全な状況が必要だからだよ
できるだけよい条件をのんでもらおうという交渉に行っても攻撃されたりしないように安全を確保するための相手の攻撃力を削ぐ目的に戦闘行為をするんだよ
第二次世界大戦の最中に日本へマッカーサーが船で乗り付けて上陸してハンコおしてね、って来たらふつう狙撃されて戦闘行為で血みどろになるじゃん
それを安全に行うために武力行為で工場とか兵器とかを破壊して、そこにのってる人たちも犠牲になったって話なんだよ
そこでさ、中国が日本に攻めてくるとかこれを機にとかいうけど、中国の軍隊はなにを狙って発砲するの?
撃たなきゃ撃たないっていってる自衛隊が軍隊じゃないっていってるのに、何の脅威として自衛隊を排除すべき軍事力とみなして攻撃するの?
自衛隊の銃口が向いてる方向にいる人を保護目的で救助するため?日本の中の新中国派の人が威力でもって排除されようとかしてたりする?
国連が解体でもしないかぎり、日本に攻撃をしてくる理由がないよね
そこで言うと思うんだけどそういう常識が通じないからいきなり首都を制圧にくるかもとか島に上陸して占拠するんじゃないかとか
そうしたところで政治機能が生きている限り国際交渉で不利になるだけでしょ
ロシアみたいにまもるべき市民がいて安全のために自軍の経路の安全を確保して首都まで到達して「ロシアは正義でした」ってウクライナ政府が発表するまでに
国連とか周辺国とかが介入しないでおわらせるとなれば話は別だとおもうし、アメリカがロシアに経済制裁っていってもそのままとばっちりがEU圏に行くわけだし
実質罰を与える方法がそうあるわけでもないところをついての騒動で国土をロシアが好きに改造できるって法案が通らないと終わらなさそうではあるけど
日本の首都が太平洋側とはいえ海に面してる危険性はたしかにあるし機能を破壊するとしたらかなりの弱点だと思うけど
政治家全員生かして「実は属国でした今日から渡航は自由で関税もありません」とかでも言わせないといけないよね
そのために無意味に内陸の都市部を攻撃したりするはずがないよね 国際社会が機能していれば
仮に国際社会が機能していないってなったとしたら 逆に日本に攻め入る必要性がなくなるよね
独立国家として交渉パイプを複数もってる国家を属国にする意味がないなら 日本の美しい文化とか豊かな資源とか狙ってくるのかといえばそんなものありましたっけ
文化や資源はお金で買えるし実際もう買い占められて日本の製品はみんな中国におされて、十分に占領されたあととしての機能は果たしていそう
そのなぜかしら市街地が大混乱になるところに便乗して火事場泥棒をしたいだろうという気持ちがあるのだろうけど市民が戦争のうちの戦闘行為に参加するということは基本ないよ
そういう中でもなぜか突然正義かなにかに目覚めて相手の兵士も任務で仕事として危険排除のための戦闘行為をしに来てるだけの相手にいきりたって攻撃したりする人がいて問題になって戦争になったりするわけで
そのどこまでも他力本願で災害みたいな問題に巻き込まれて役立ちたいって気持ちは、それが起きる前の今の平和な日常で役立てていってほしいよ
コロナ禍や東京オリンピックを経て、国民がいくら反対したところで国はどうしてもやりたいことなら押し通し、実行してしまうことが分かった。
また、国民も雰囲気やメディアに流され世論が変わっていくのを感じた。
これがたとえ戦争であってもなんだかんだ国がやると言ったら始まってしまうのではないか。今までの国や国民の動きから、100年以内に日本が戦争を開始する場合のシナリオを素人ながら想像して書いてみる。
なお、この想像に登場する「外国」は特定の国を指すものではない。まだ存在しない国かもしれない。
1.
「外国」が日本の一部を侵攻する。最初は在日米軍だけが戦っていたが、戦況の悪化につれてアメリカは日本に戦力の派遣を要請する。
国としては、アメリカの要請を拒否する手段がなく、国土を侵攻されるのも困る。また、協力すれば多額の補助金が出る。
(このきっかけが実際にありえるかは分からないので適当に設定したが、とりあえず自ら戦争に参加したい事情ができて)国が戦争への参加を決意する。
2.
世論は「自分の国は自分で守るよう努めるべき」派と「事情に関わらず日本は絶対に戦争に加担してはいけない」派の真っ二つに分かれるが、この時点では後者が8割以上である。
3.
国は一貫して「戦争」という言葉は用いず、「衝突への対応」など曖昧で暴力的な印象の弱い単語に置き換えられる。「軍」「徴兵」「武力」なども同様。
「衝突への対応」を憲法違反と見做した裁判官は降ろされるか、違憲状態としつつも放置される。
4.
弁が立つイケオジが総理大臣になる。
現状況は実質的に武力衝突であり憲法に違反するのではないかという野党の質問に対し、総理大臣は「今は国民が一丸となるべきときなのです」「これは『衝突への対応』でありやむを得ないことだと感じています」と、やや的を外した回答を行う。
5.
まだ自衛隊(的な組織)と米軍が海上で戦っているだけであり、民間人にはほとんど影響が出ていない。
6.
民間人にとっては大したことなかったので、戦争への悪印象が弱まる結果となり、沸き立つ。
7.
数年後、再び状況が変わり今度は全面戦争が開始する。
今度は民間人に徴兵令が出る。これも徴兵とは言わず「防衛協力要請」などの置き換え語が用いられる。
8.
軍人の死亡率が意外と低いことや戦争に参加するメリットがメディアでさかんに取り上げられる。また、差別用語を使って反対の意を表明した、警察に暴力を奮ったなど極端な対抗手段をとった民間人が茶化すようにメディアで取り上げられ、晒し者にされる。軍人の愛国心や優しさを感じるエピソードがさかんに報道され、軍で働くことは名誉でカッコイイという価値観が生まれる。キャラクターや魅力的なイラストを用いたプロパガンダが作られ、親近感が湧く。
軍需により経済の回転が上がり、高度経済成長期以来の超好景気を迎える。日本はお祭りモードとなる。
戦争を批判すれば、世間からは「これまでに国(君)のために死んでくれた軍人に失礼だ」「遺族の気持ちを考えろ」「また日本を不景気に戻して自殺者を増やせと言うのか」などと非国民扱いされるようになる。
「衝突への対応」はやむを得ないと考える国民は8割以上に上る。ここまで来たらもう誰にも止めることはできない。
10.
終戦。
敗北すれば、やはり戦争はいけないことだったとして太平洋戦争と同じ反省を繰り返す。勝利すれば、これはあくまで「戦争」ではなかったとして、憲法にも違反しなかったことになる。
今回は想像なので戦争開始のきっかけあたりは適当だが、国が戦争を始めたい事情ができたら何が何でも始まるのではないかと感じている。もちろん明日から戦争を始めますと言ったところで国民は納得してくれないので、一致団結、感動、戦争のメリットの意外性、成功体験などを通して、少しずつ巧みに誘導していくことは間違いないと思う。
みんな高揚していて、大好きなコンテンツが国への協力を推奨していて、景気が良く、仲間意識が生まれてもう自分は一人じゃないと感じる。自ら参加すれば今までにないほど称賛されてありがたがられる。そんな浮かれた状況で、果たして戦争は絶対にいけないことであると主張し続けられるか、平和ボケしかけた日本人は一度考えてみるべきだと思って記事を書いた。
加害者が超進学校に行っていたらしく、追い詰められていたような報道があった。
ヤフコメを始めネットでは色んな意見があったが、最近会ったオタク仲間が「自分ここ出身なんすよ」とのこと。
その子は「脱落すると周りの目が気になってしょうがない。きつい。」と当時を話してくれた。
超進学校とは程度は違うかもしれないけど、確かにしんどかった。
なんか言われそうだけど。
「何がなんでも国公立」や「MARCH以上は行け」と言ってる先生がいた。
・・・逆じゃね?
今更ながら思うが、生徒がどんなことに興味があるか、どういう職業につきたいかを先に考えてから進学先を決めることを促していなかった自分の高校は大学入って燃え尽きた人が多発した。そもそも大学ってなんのために行くんでしたっけ?生徒たちはあなた達の評価を良くするコマではないですよ。
②いじめが起きた時に「勉強して見返せ」などと生徒指導を放棄しないでほしい
普通にある。成績悪い子がからかわれたり、それが原因で不登校になった子もいた。
先生たちは、生徒指導という本来やるべきことを楽な方法で逃げないで欲しい。どの学校も同じ高校生。大なり小なりやるべき事は一緒。平和ボケしないでくれ。頼む
③浪人するか現役で進学するかは本人に決めさせて
浪人しなかったことを数年経っても経ってもねちっこく言うのはやめてくれ。①でも述べたように生徒はあなた達の評価のためのコマではない。
浪人せず不本意ながら中堅大学に現役で進学したが、勉強しかしなかった自分にはとても新しい価値観を与えてくれた。
中堅大学卒でも大企業に勤めてる友達や、やりたいことに突き進んでる友達もいる。
昔みたいにだいぶ学歴は関係なくなってきている(ように感じてるだけかもしれない)ので、このまま学歴フィルターが消えて、「大学が就職予備校」へ、高校が「良い就職予備校へ進学するための何か」にならないように祈っている。