はてなキーワード: 作者名とは
DD論じゃないぞ、極端に狭い世界を生きているメンヘラ主婦みたいだ
まぁ全部ひっくるめて自作自演の遊びかもだが
5chで学級会やってるタイプの知的か精神的な困難を抱えてるタイプだろ
5chでやっているのであろうどうしようもない俺私ルールを振りかざそうとして
増田でもおちょくられてるじゃん(番付増田も俺私ルールの一派)
世界と視野が極端に狭いから匿名で個人を紐づけるものがないにも関わらず
5chでも増田でもね
でも、個人に紐付けられていたり、作者名・ハンドルネーム・ID垢に紐付けられてたりするわけではないので
99.99%の人はどーでもいい
むしろ、この件は、「表現規制反対派」の中のあらゆる派閥を敵に回してしまった、典型的な八方美人の例だと理解すべきだと思う。
「表現規制反対派」の中にも、「あからさまなR-18はゾーニングが必要」という穏健派と、「ゾーニングも規制であり表現を萎縮させるので撤廃すべき」という原理主義派がいる。原理主義という言葉がネガティヴなら、原則派とでも呼ぼうか(そういえば『図書館戦争』の主人公側陣営も「原則派」だったな)。
これまで穏健派と原則派との亀裂が見えてこなかったのは、槍玉に挙げられた表現がどれも「R-18のゾーニングには値しない」ものだったからだ。着衣した女性が胸を強調した献血ポスター、スカートに股のラインをなぞるような形のシワがついた農協のポスター、巨乳女性が表紙のラノベ、夜這いを楽しみにする着衣女性、そしてボタンを手にこちらを振り向く巨乳制服JK、これらはいずれもR-18ではない。いずれも(「規制すべきか」という基準で考えるならば)穏当な表現であり、映倫が言うところのPG-12にも該当しないだろう。つまり穏健派はこれらを「こんなのゾーニングに値しない」と考えるので、ゾーニング反対の原則派と共闘することができた。
ところが、今回不健全図書指定を食らったBL本は、あからさまな性行為が描かれている。肛門から精液が漏れ出す描写もある。穏健派から見ると、こんなのR-18がつけられて当たり前だ(少なくとも、男性向け作品で女性器から精液がこぼれるような描写があればR-18だろう)。したがってR-18のゾーニングを支持する穏健派は、「こんなエロ本にR-18をつけないなんてどうかしてる」とBL作家をバッシングすることになる。
では、原則派はどうか。原則派はもちろん、R-18指定はそれによって販路が狭められるなどの弊害があるので事実上の表現規制であると捉え、R-18のゾーニングに反対する。したがって、原則派は「そもそもR-18のゾーニングは不当」と主張するだろうが、彼らも事実として「現状のゾーニング基準では当該作品がR-18に該当する」ことは認めるはずだ。
ところが当該BL作家さんは「ゾーニングには賛成」と言ってしまった。本人的には「原理主義的過激派じゃありません、穏健派です」ということを意味する枕詞のつもりだったのかもしれないが、これが原則派の逆鱗に触れた。原則派からすれば、ゾーニング相当の物を「ゾーニング賛成ですが」と言いながらゾーニングせずに出版することは卑劣な裏切り行為である。かくしてR-18のゾーニングに反対する原則派は「お前はゾーニングに賛成なのか反対なのか、どっちなんだ、このコウモリ野郎」とBL作家をバッシングすることになる。Show the flag! ってやつだ。
さらに、当該作家さんが「女性は暖簾をくぐるのに抵抗があるので~」という理由を持ち出してしまったために、男性の権利に敏感な層からは「男は抵抗がないとでも思っているのか」、男女平等の支持者からは「男性向けゾーニングを維持しながら、女性向けだけ『特別扱い』を受けようというのか」という非難を浴びることにもなってしまった。つまり男性の権利に敏感な男性+男女平等の取り扱いを支持する男女も敵に回したことになる。かくして当該BL作家さんは四面楚歌の状態に陥ってしまったのであった。
ではどうすればよかったかというと、ひたすら原則派に徹していれば四面楚歌になることは避けられたと思う。つまり「東京都の『不健全図書』制度は廃止せよ! エロいBLをゾーニングなしで売らせろ!」という一本で攻めるべきだった。そうすれば穏健派からは非難されたかもしれないが原則派からは表現規制と闘う同志として迎えられたはずだし、「男性向けのゾーニングにも反対です」と一言付け加えておけば男性の権利に敏感な男性+男女平等の取り扱いを支持する男女から矛を向けられることもなかった。
「ゾーニングには賛成ですが」なんて言って穏健派にもいい顔をしようとしたから原則派にそっぽを向かれたのだ。穏健派を敵に回すことは覚悟すべきだった。っていうか、あんな露骨なエロを成人指定なしで出版しといて自分は穏健派ですアピールは無理があるでしょ。やってることはどう見ても表現の自由原理主義過激派なのに、それを自覚できていなかったというのが最大の問題であるように思う。
イラストに「R18」はあるが、テクストに同様の規制は無い、という前提が理解されていない。現在の運用上は、文章で性行為を描写しても、イラスト化していなければR18とはならない。双方の基準が統一されるべきだろう。
今回指定されたのは「コミックス」だが。作者名で検索したら普通に無料立ち読みが出てくるのだが、これのどこが「テクスト」なのだろうか>https://www.cmoa.jp/author/121926/。
そもそも普通に作者も「コミックス」と言ってるわけだが>https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/hoshizakileo/status/1517603860205817856。
作者がコミックスと言い、アンチフェミや表現の自由戦士がコミックスという前提で話を進めている中、「テクスト」の規制の話を持ち出すこのひとの目にはいったい何が見えているのだろうか……
anond:20220430005751も書いたので読んでね。
あと2021年でエロやバトル寄りではない印象に残った作品を、適当にピックアップ。
※注意! これは愚痴です
支部に載せてた時期は、何か書いたらその日のランキングには入るねーって感じで、そのジャンルでは、新参だけどまあまあのPVはある、みたいな感じでした。
愚痴に関わることなので書きますが、こういう作品は初めてですドキドキします、みたいな感想を頂くことが多くて、そのジャンルでは珍しいタイプの物書きであるようです。
ツイ始めた頃は原作が終わってから一年半くらい経ってたので、結構、ツイやってる人の中にはもうページメーカー? みたいなのでしか書いてないって人もいたんですね。
そんな中で自分は定期的に書いてたから割と色んな人にフォローしてもらえて、嬉しいなーと思ってた。
好きですってマシュマロ送ってくれる人もいて嬉しかったんだけど、なんか新作をアップしたときの反応が……。
ものすごい遠回しに褒めてくれてるのかもしれないんだけど、エロシーンの細かいシチュエーションまで指定して「こういうシチュ萌えるんですよー私の性癖なんですよー」って
私の作品のことを言ってる……の……?みたいなツイートがちょくちょく流れてくる。
デートシーンでたとえると、「コメダでデートしてふわふわスフレ見ながら、食べ方どうするって相談する二人って可愛いよね」くらい具体的。
でも作品名も作者名も絶対に出さないで私のいないところで言うわけ。
遠巻きにされてるのかなー、気にしすぎなのかなーって思ってたんですよ。
そういうやり方が多いジャンルみたいだったし。
でも、そういう風に言ってた一部の人達が……なんていうのかな……うーん、パクリじゃないんですよ。パクリじゃない。それは断言できる。
段々なんか作風を寄せられてるっていうか。
めっっちゃくちゃハート喘ぎ作品ばっかり書いてた人が、ぱったりやめて特定のシーンにだけ入れるようになったり。
(私はハート喘ぎはしないシーンとするシーンのギャップが萌えると思っているので多様せずに心がほどけたってシーンにだけ入れてるし、それをツイートで言ってました)
その同じ人なんだけど、夢オチ書くのにめっちゃくちゃ似た演出を使ってきたり。
もの凄いピンポイントすぎて他に描いてる人を界隈で見ないような、大好きなシチュエーション(何パターンか書いてる)を私が考えた性癖なんですけどって前置きつきでツイートされたり。
(これは単純に被りなのかもしれないし、まあいいんだけど……)
「ドイツの刃物は研ぎ澄まされた良質な刃物です」的などこにでもある文章をモチーフ化して各所に差し込んで特別な色合いを出した作品を書いたら、
話自体は別なんだけど、まんま「ドイツの刃物は良質だから」を決め台詞に持ってきた作品(なおそのジャンルでドイツの刃物は特に原作に出てこないし関連もない)を書かれたり。
なんか、影響を受けてるのは別にいいんだけど……もの凄いみんな無意識?? っぽいというか、面と向かって感想言われたことないのに、
周りの人間が作風や性癖だけ寄せてくるって怖くなっちゃうというか。
別のジャンルでも時々こういうことがあって、酷いときは私の書くネタと同じネタばっかり書くなー、寄せてきてるなーって思ってたら、
その人が突然「あなた私のパクリですよね」って言い出して、時系列とかを説明して同じネタ書いてるときはいつも私が先でしょって説明をしたこともあるので心が重い。
そのパクりって言ってきた人も、なんか自分は絶対に正しいって思ってたっぽくて、無意識なんですよ。無意識なの。
ネタ被ってるけど、パクリと言えるほど文章そのままじゃないし。
影響を受けるのはいいから意識してさえくれれば、パクリの冤罪を着せられる心配がないから助かるんだけどなあ。
ついったーで人と絡むのが苦手だから、私自身の存在が忘れられてて、作品のフレーズやシチュだけ頭に残っちゃうのかな。
自分は作家業をしている。有名作家や、なんらかの「有名人」の友人知人がそこそこいる。
別に有名人と繋がってても公表しないしいいことも悪いこともない。
売れてる友人に、匿名掲示板での誹謗中傷が酷すぎて病んでいると言われた。
興味本位で見に行ってみたら、本来作者のファンのスレだったものが、元ファンのアンチスレと化していた。
最近の作品の内容に失望したり、作者のSNSでの言動をウォッチしては逐一ボロカスに叩きまくっていた。
匿名掲示板だけじゃなく、SNSで作者名などで検索してもそういった作者や作品を否定する言葉はいくらでも出て来た。
それを読んで、妙に感心してしまった。
というのも、長年のつきあいである友人、いっしょにお互いの家に寝泊まりしあったり、旅行に行ったりするような
親友レベルの友人に対して、私ですら言語化できていなかったことを、アンチの彼らはきちんと正鵠を射て叩いていたからだ。
彼らはものすごい洞察力で、顔も知らない喋ったこともない作者の人物像を洗い出していた。
こういうところがダメ、こういう性格だから次にこう出る、あのツイートは絶対明日までに消えている。すべてその通りだった。
なるほどな、すごい、本当にその通り。わかるわかる。友人本人は相当傷ついただろう。その通りすぎるから。
知人が私怨で書き込んでいるのもあるだろうが、SNS等の一般読者とわかる人のアンチ感想も、びっくりするほど真に迫った正確な指摘が多くあった。
興味本位で、プライベートまで知っている友人知人が他に匿名掲示板やSNSで叩かれてないか調べた。
すると、ものすごくズレたアンチも多くいるのだが、やはり同様に「なんでそんなことまでわかるんだ」というゾッとするほどの正確さで作者を叩いてる人がたくさんいた。
元々は愛を持って読んでいた読者がアンチに転身したら、愛と憎しみの反転によってここまで人間を見る解像度が上がるのかと感動まで覚えた。
私はアンチがいるほど売れてないので今のところノーダメージだ。けど、もしこんな人間たちに誹謗中傷されたら本当に立ち直れないだろうなと思った。
漫画とか買う時に書店特典とかなければ極力そこで買ってあげてる街の本屋さんがある
少し前までは商業施設の中のテナントで入ってたから行きやすかったんけど、今はそこから撤退して昔からある駐車場の無い商店街の本店でしか営業していない
応援したい気持ちはあるけど行くのにめちゃくちゃハードルが上がってしまった
少し歩いたところに銀行とか郵便局があるから記帳だけして、そこに車とめたまま歩けばいいんだけど「めんどくさいな~~~」ってなってしまう
しかも商店街の本店はかなり小さくて本の種類自体がかなり少なくなっちゃったから私の欲しい漫画なんかは取り寄せしないと絶対無くて……ハードルが……ハードルが……
TSUTAYAなら駐車場付きだしほぼ間違いなく置いてあるし……みたいな気持ちになっちゃう
図書カードが腐るほど余ってるからネットショップじゃなくて実店舗で買い物したい
ならTSUTAYAとかのチェーン店で買わずに、せっかくなんだし街のお店で買ってお店を応援したい
でもハードルが高すぎる
駐車場が無いのは最悪少し歩けばいいから目を瞑れても、取り寄せの電話をしなくちゃいけないのが……
電話して、タイトルと作者名と出版社と巻数と発売日を伝えて、入荷するか聞いて、無ければ取り寄せできるか聞いて、入荷日を聞いて、電話を切る
しかも漫画のタイトルが声に出すには結構恥ずかしい系(オタク臭い感じ)でそれを伝えるのが恥ずかしい
別に私はオタクだからオタク臭い漫画買うのはそこまで恥ずかしくないけど、わざわざ取り寄せまでするのはやっぱ結構恥ずかしい
TSUTAYAだったら置いてある本をレジに持っていくだけで済むのに……しかもセルフレジ導入してるから店員に見られることすらなくなったのに……
でもこういう数百円の売り上げの積み重ねで街の本屋さんは生きているのかな……もしこの本屋さん無くなったら結構悲しいな……
って感じで悩んでいる
もうず~~~っとうじうじ悩んでる
優柔不断なので……
全巻持ってるけど、前巻の記憶もないままとりあえず最終巻を読む。
こき下ろすほど酷評するつもりはないし、最終巻も含めてよい漫画だったと思うけど、
やはりちゆきちゃんのモデルとしての力が世界のトップにも負けてないってことを表現するのはとても難しいんだよね。
ちゆきちゃんがダメだった理由は、「身長が低い」でわかりやすく表現できるけど
それを覆すほどの良かった点は、理屈ではわかるけど漫画としては感じきれなかった気もする。
でもあの漫画ってヒューマンドラマとしてとても感動的で、要所要所でいい人間ドラマ持ってくるんだよね。
まず2巻あたりで毎回泣いてしまう。
そんで画力が凄い。
ペンネーム変えてるのかな?
作者名で調べてもこの作品しか出てこなくて、無名の新人作家がこんなすごい画力を持っているのか??と驚いてしまった。
アニメはどうしようかな。
なんかイメージ崩れそうで嫌なのよ。
昔、立風書房のジャガーバックス・シリーズで『宇宙SFベム図鑑』という本が出ていて、色んなSF 小説に出てくるエイリアンやモンスターを、出展作品と作者名付きのイラスト図解で載せていた。その本で自分は、アーサーC.クラークの『メデューサとの出会い』、ラリー・ニーヴンの『ノウンスペース』シリーズ、ニーヴン&パーネルの『神の目の小さな塵』の存在などを知った。パペッティア人、クダトリノ人、モート人などがイラスト載っていた。アンドロメダ病原体もトリフィドも載っていた。
その本の巻末には、シマック『都市』のラストから、犬とロボットの会話場面が引用された後、SF作品未来年表が付いていて「1984年 地球は三大全体主義国家体制に」とか書いていて、子供心に震えた。
俺は若者なので処女作出されるときの当時の状況とか知らないけど、少なくともよく見る彼の絵は、絵の訓練とかしたこもない素人と同等の品質しかないように見える。あれでは化粧品会社や生協のカタログや広報の読者投稿の方がまだ上手い絵を見出せる。
どうして素人と同等の絵で編集者がついたりデビューできたりしたのだろう。もし単純にそういうことなら誰でも出版社に持ち寄れば漫画家になれることになってしまう。
ストーリーが面白いからという説もあるそうだが、少なくとも今日バイキングでやってた蛭子さんの認知症の特集で使われていたパネルに描かれていた、榎下なんとかと作者名が脇にあったイラストの方が基礎がちゃんとしてた感じだ。これにしても単なるイラストだからそういう人のストーリー構成力は計れないけども。素人がツイッターで投稿する漫画を見る時はストーリーとかは評価点に入れてなかったから今度から蛭子との比較を念頭においてストーリーも見てみるか。
「ルックバック」はどんでん返しに次ぐどんでん返しで、「衝撃の展開!絶対見逃せないこの夏イチオシの作品!」と呼ぶにふさわしく、ストーリー的なギミックがよく工夫されている。
コマの細部にヒントを忍ばせてみたり、わかりやすいくらい工夫に満ちて技巧的だ。
対して作中の犯人像は、なんの工夫もない。
100人中100人が描けるような安易な犯罪者を、安易に描いていた。
序盤で描かれる小学校時代の教師たちは、安易なステレオタイプでありながら、適度に工夫されて主人公の感情に馴染むように(あるいは馴染まないように)描写されている。
しかし物語の「裏の核」となる犯人には、その程度の工夫すらない。
あれは18禁同人でいう「竿役おじさん」のステレオタイプ並の解像度である。
そして主人公も、大切な親友を殺した犯人に対して湧くはずの怒りや憎しみを見せない。
犯人に対しては妄想の中でお行儀よく空手キックをする程度である。
なぜならもし主人公が犯人に怒り、感情を剥き出し始めたら、作者にとって「都合が悪い」からだ。
せっかくテクニック満載の誰もが驚く「うまい」話を考えたのに、キャラクターの感情を優先してしまってはテンポの悪い泥臭い話にしかならないからだ。
「ギミック満載の、作者が褒められるタイプのお話」にするためには、
決められた筋書きからはみ出さない物分かりのいい主人公と、適当な犯人描写でなくてはならなかった。
みんないかに作者を褒めるかを考えている。
こうして、主人公が当然持って然るべき感情は、作者の都合のために消された。
作者を天才と呼ぶ声が増えるほど、作品の空虚さ、軽んじられたキャラクターが浮き彫りになる。
正直、モチーフとなる事件が想像されるのだから、事件をあのようにしか扱えないで果たして「うまい」のか?
それはニュースサイト的な「バズりのうまさ」ではないのか?と疑問なのだが。
自分は、「ルックバック」を読んで「マイ・ブロークン・マリコ」という作品を思い出した。
同じく友人を失った女性の話だが、登場人物の心の痛みや迷いや悩みから逃げない作品だった。
それらといちいち向き合い工夫を凝らして描き、彼女を「殺した」犯人も嫌になるほど誠実に描いていた。
作者名なんかよりも「マリコ」、マリコを想い後悔に苦しむシイノのことが頭から離れない漫画だった。
理不尽に友人を奪われたシイノはすぐ泣いて鼻水を垂らし、無様に地面を転がっては起き上がってまた転んでいたが、
「ルックバック」の主人公は涙も見せず、絵的な収まりの良さをキープしつつ、バランスボールの上に座り続けるのだった。
比べるのも馬鹿らしいが、雲泥の差だと思った。
海外ファンタジーに関する情報収集なんだけど、それ系の海外のブログを見るか
日本でも翻訳が出ている(出てない?)マークローレンス(Broken Empireとか。個人的にはBook of the Ancestorシリーズの方が好き)が主催している(?)らしいSPFBOという賞を探してみると自費出版系の作品を見つけやすい。
あと、よくよく考えたらイマイチの作品を紹介しても意味がないかもしれない。
ものすごく有名な作品(ロビンホブのアレとか)は入れてないです。
そもそも、なぜこんなまとめを書こうと思ったのか、いま思い出した。この本を紹介したかったのでした!!
Fatherと呼ばれる人物に集められた孤児たちは、彼の秘密の力を授けられる。
そのFatherが行方不明になり、Fatherの秘密が隠されたLibraryを狙って……
みたいな、あらすじとかどうでもいいから読んで。
主人公のCarolynは全ての言語、動物の言葉も含めて理解できる。
初っ端で出てくる登場人物の一人のDavidは血液と髪の毛を固めたヘルメットをかぶりチュチュを履いている殺し屋。
ダークだけど、最終的には昇華して終わる感じ。
ちなみに作者名で検索するとLinuxがどうのこうのとかApacheがみたいな本が出てくるけど、同一人物らしい。
「The Chathrand Voyage」シリーズの作者 Robert V.S. Redickの新シリーズ。まだ二冊しか出てない。しかし読んで損はしない。
一巻目の「Master Assassins」はカバーのエピックファンタジーっぽさもあって、ちょっとD&Dや剣と魔法ものと勘違いしちゃうんだけど、読んでみると全然違う。
内容には触れないけど、「殺し屋に間違われた二人組の逃走劇」と聞くと面白そうでしょ?
なぜなら、とんでもなく嫌な女(皇帝の子供3人のひとり)が登場して、主人公ヅラをするからだ。ちなみに、3人とも間違った決断ばかりします。
この人の「Night Angel」三部作は大好きだけど、これはいまひとつ入り込めなかった。最初からスケール大きすぎて、ちょっとリアリティを感じなかったせいかもしれない。
でも完全に好みの問題です。
「It has been generations since the Northlands have seen a hero worthy of the title. Many have made the claim, but few have lived to defend it. Timid, weak, and bullied, Wulfric is as unlikely a candidate as there could be. 」
よく考えたらComing Of Ageが好きなようだ。
まだ2巻までしか読んでなかった。
とても文章が達者な人だと思う。その分一生懸命読む必要があるような。
独特な世界観。読んでて辛くなるかもしれないので好き嫌いが分かれと思う。
ここ20年くらいは、かなり捻った世界観の小説が増えているようで嬉しい。
いちおう3冊で一通りの話は終わってるはずだけど、いま見たら続きが出ていた。
「A war fueled by the dark powers of forbidden sorcery is about to engulf the Ascendant Empire. Agerastian heretics, armed with black fire and fueled by bitter hatred, seek to sever the ancient portals that unite the empire - and in so doing destroy it.」
よくある光と闇の対決。
「暇があればどうぞ」にするか悩んだんだけど、こっちにした。
なぜなら設定はつまらなそうなのに、読んでみたらなぜか楽しい、そんな作品なので。
ちなみに、設定は「完璧なスーパーマンとして孤立した世界で育てられた男が、外の世界で大活躍する」というお話。案の定、この完璧な男は女性の気持ちが全くわからないという設定。とにかく女性関係以外は全て完璧なので、戦いで負けることはなく、むしろワンパンマン的な圧勝しかしない。その上、殺し屋ギルトや盗賊ギルトの長に簡単になってしまったりるする。すごいぞ、こいつ!
ファンタジーに入れていいんだろうか?現代物でミステリーなんだけどファンタジー要素もあり。
とある田舎町で人々が埋葬のため墓地に集まっていた。その近くで飛行機が墜落して消防隊が現場に向かうんだけど、途中で一人の男とすれ違う。男は記憶をなくしていた。
男は、さっき埋めたばかりの人間を助けるためにきた、らしい。
みたいな話。
達者だわ、が感想。
色々書くとネタバレになるけど、語り手は岩で、終始「Youは」って二人称で語りかける。ジャニーさんかな。小粒だけどなかなか。
とても評判の高いシリーズ。でも一巻でやめた。なんだかリアリティがないのである。やはり、ジュブナイルなのかな。
くだらない内容でも Will Wightの作品は楽しく読めるんだけど、何が違うんだろうね。
翻訳されていると思うので、入れなくていいのかもしれないけど読んだので入れた。
一巻はまあまあだと思う。2巻以降は耐えられなくなる。それが何かもう忘れてしまった。頑張って4巻まで読んだけど。徒労感だけが残った。
これも割と古き良き光と闇の戦い。
日本スゴイでもスゴクナイでもいいんだけどさ、マンガファンとしては海外にもこういう凄いコミックがあってね・・・という話をして欲しいよな。
俺個人としては日本スゴクナイの方がむしろ嬉しい。知らないコミックが沢山あるってことだから。海外に目を向けても、知ってる日本のマンガが席巻してるなんて白けるよな。統計データの話でスゴクナイんだ、スゴイって言ってるのは袋小路なんだっていう自戒的な説得より、いやいやこういう凄いコミックがあるんだから読んでみてよ・・・って言われた方が、オタクとしては気になるじゃんか。椎名ゆかり訳の『モンストレス』スゲエ面白いんだぜ? 中国系アメリカ人原作(元マーベル作家)と日本人作画(と言っても活躍の場は主にマーベル)のマッチアップで、アメコミで想像されるマッチョなテイストを感じさせつつもクトゥルフ的幻想SFを背景にイヌネコ半人間達が築き上げた文明世界で権力者の思惑に巻き込まれながら戦う、少女の話なんだ。日本語版は3巻で止まってるんだけどな。『ファン・ホーム』は……まあかなり人を選ぶっていうか、多分に衒学的すぎると思うからよく訳したなって正直凄いと思ったよ。あれを心底楽しめる人間は相当稀だろうな。作者名を取ったベクデルテストとかいう名前が独り歩きしてジェンダーバイアス測定の指標みたいな面してるの、正直英語圏のやつらは作品を鑑賞する時にいちいち杓子定規を持ち出して、ベクデルテスト、うーん…合格! とかやってると想像すると、あきれてしまう。そこまで数値的な規範に頼らないと何のバイアスがあるか無いか判断できないって、それはもう手前で作品を楽しむこと自体が不安なんだろうな。
話が逸れたけど、そういう個別作品の話をもっとして欲しいんだよ。それを「北米の(グラフィックノベル市場全体ではなく)一般書店で売られている紙の単行本に限定したベスト20でMANGAと呼ばれる商品が独占している」だけだから結論を導くことは出来ない、実際に北米で一番売れているのは「子供向けグラフィックノベル」のカテゴリーだ、って言われても、途端に何が真実という話なのかよく分からなくなるよ。その抗弁もするだけ苦しいっていうか「子供向けグラフィックノベル」って要は児童向け絵本のことでしょ? スマーフとか想像しちゃうけど、カートゥーンネットワークで放送してるアニメのボリュームゾーン。そのジャンルと比較して、いや日本の漫画は売り上げで及ばないし……って言われても、なるほどそんな市場規模ならコミック読んでる奴は精神的に幼いみたいな受け止め方もされるかって思うし、それにMANGAが次いで更に小規模なスーパーヒーロー・大人向けグラフィックノベルってマジで小さな市場なんだなってなるよね。実はゼロカルカーレの『コバニ・コーリング』がシニカルなサトリ世代の戦時ドキュメンタリーになってて新鮮だとか、ティリー・ウォルデンの『スピン』がヤングアダルトジャンルで出色なんだとか、いやいやMariko Tamakiの"Laura Dean Keeps Breaking Up With Me"が外せないとか、そういう話で盛り上がって欲しい。
こういう愚痴をユーロマンガも誠文堂新光社の『アイデア』も黙らせてくれるので、感謝してます。読みます。海外マンガであるというだけで正直かなりの下駄履かせて面白がってるように感じちゃうけれど、知らない変なコミックに出会えるというだけで高評価せざるを得ない。非凡な人は全世界にちらばってるので、そういうのを見つけて楽しむのによい。そう思います。