はてなキーワード: 何だかとは
たしか芥川龍之介氏だったでしょうか、恋とは性欲の文学的表現だと言っていたのは。
僕のあなたに対する感情を表すならまさにそれに近いわけです。もっともその本質は性欲ではないので安心してください。
少し僕の話をします。
僕はその、みかけ一丁前な自意識が出来あがっていく頃、具体的には中学生の頃なんですけど、自分のことを一人ぼっちだと思っていました。物質的にではなく、精神的にです。
生活には余裕がありました。勉強も運動も苦手ではなかったので、特に不自由はしませんでした。僕のことを好きだと言ってくれる子もいたくらいです。
コツコツ勉強をするのは嫌いでした。部活動は何度も理由をつけてサボっていました。にもかかわらずそれなりの結果を出せていました。
しかし努力の結果ではないので充実感もなく、自分がそれが得意だと思ったことはありませんでした。
まさに砂上の楼閣ですね。高校に入ってこの町を出たらただの凡人なんだろうと思っていました。
にもかかわらず、当然ながら周囲はそういった心情を汲んではくれませんでした。
教員は受験のことで熱心に近付いてきたし、部活では地元の高校に連れていかれて練習させられました。
学校というシステムにおける立場があがればあがるほど、周りの人間とは線が引かれ、僕は同じ立場の人間を得られないまま、
ひとりぼっちだと思い、どんどん殻に閉じこもっていきました。
まぁそんなに珍しいことでもないと思うのですが、もともとの自意識過剰な性格に加え、環境的なことも相まって、あの頃の僕は特別歪んでいたのでしょう。
毎日寝る前に、真っ暗な自分の部屋でスタンドライトをつけ、カッターナイフでHBの鉛筆を削っていました。
一度その最中に母親が部屋に入ってきたことがあり、彼女は心配したようでした。当時の僕はそんな心配もうっとおしいと思っていました。
鉛筆を削っていると少しだけ満たされるような気分でした。鉛筆削りで削ったものと遜色のないものが出来ると何故か嬉しかったのを覚えています。
それを終えて眠りにつく。それだけのことでバランスをとっていたのだから我ながら忍耐強いと思います。
これは非常によく出来た映画です。僕はこの映画が一番のお気に入りな訳なのですが、漂うウェルメイド感から、そういった趣向と勘違いされることが多いです。
まぁ違うといってもさらっと説明出来るモノでもないんですけれど。
この映画どういうものかというと、時間をさかのぼる能力を手に入れた主人公が自分と他人の人生をより良くすべく奮闘する物語です。
主人公のエヴァンは人生を良くする為に過去に戻り失敗を清算していく、しかし直ったはずの世界にはほんの小さなほころびがあり、
それらを全て修正しようと何度も過去に戻るうちに事態はどんどん悪くなっていく。
神のごとき能力を手に入れた青年が神の真似ごとをするのだが上手くいかない。そして青年が最後に辿り着いた選択とは。
この映画を観た時に感じたのは映画って凄いという感情でした。それ以上は言葉に出来ません。ごめんなさい。
僕には主人公のエヴァンの気持ちが痛いほどわかったし、周りに振り回されて、苦悩する主人公の中にその時の閉じこもっていた僕がいた気がしました。
ラストシーン、恋人を救うために過去に戻り恋人との関係を絶ち、関係をなかったことにする。
そして離れ離れに暮らしていた主人公が都会の人ごみの中で成長した恋人らしき人物とすれ違う。
今思い返してみると何にそんなに感動したのかわからないくらいベタなのですが。その時の僕にとっては確かに自分のことを言っているように思えたし、
それが恐らくエールに聴こえたのでしょう。詳しくは想像しか出来ませんが。
しかしながらなんだかその頃からと色々上手くいくようになった気がしたのです。まぁそれは結果論かもしれないですけど。
それからはさほど悩むことなく過ごすことが出来ました。田舎から出て新しい友人と出会い。今は東京で暮らしています。
相変わらず映画は大好きで、こねくり回して楽しんでいます。大学では自分で映画も撮ったりもしました。
僕にとって映画というのはそれくらい大事なものになったのです。
まぁ勿論歳をくってくると、悩んだ時に映画をみても何も解決しないことはわかってくる訳ですが。
これまでも問題を解決してきたのは自分の力だし、誰かの力を借りたりも大いにしています。
無くなっても生きていけなくもない気もしますが、それは気のせいで、やはり映画がない生活は考えられません。
と、長くなりましたがここいらでようやく本題に移りたいと思います。
なんと形容するのかは非常に悩むところですが、恋というのが一番近いと思います。
実際に映画を撮ってみてわかることはかなり多く、自分たちが如何に上質なコンテンツになれてしまっているか、
出来不出来に関わらず自分のつくったものにはそれなりの愛着がわくこともわかりました。
そして何より楽しかったのです。
映画を山ほどみたし、映画についてなら一日中喋っていられます。
ただ少しだけ引っかかることがあります。それはいつまでたっても完璧な映画に出会えないことです。
好きな映画を十本挙げろと言われればできますが、僕がほんとうにみたい映画には未だ出会えずにいます。
このことが僕が映画に恋をしている由縁なのです。
少女の恋がおおよそ世界に存在しない王子様を所望するように、僕もまた世界にあるはずもない完全な映画を求めているのです。
そして恐らくそれは一生叶うことはないでしょう。エヴァンが再開した彼女に声をかけなかったこと、それは恐らくこんな気持ちだったのでしょう。今は今なりに分かる気がします。
触れてしまうことで壊れてしまう幻想、自分が彼女と関わりない人生を送ること、その決断に価値はなかったのかもしれない。
エヴァンはあの時、声をかけないことで無意識に自分の幻想を守っていたのだと思います。
僕もまた、完璧な映画を探すことで、自分を守っているのかもしれません。至上の目的を持つことで自制を失わないように。
少し前、某動画サイトを眺めていると、こんな文言を発見しました。
僕は一も二もなく反応していました。
僕は脚本担当を申し出ました。当事者は僕より一回り上のおじさんで、一発当てる気まんまんといった感じでした。
作業は辛かったですが、やはり楽しかったです。
寝るのも忘れて書きました。
出来あがったものはこれ以上ないほどの出来だと思いました。
完成したその瞬間、ほんの少しだけ、あの時の夢のしっぽがみえた気がしたのです。
僕はその時ようやくあの時のバタフライエフェクトを超えることが出来るかもしれないと、本当にそう思うことが出来たのです。
まぁ色々あって結局僕の脚本は採用されることはありませんでした。残念ですが仕方ないことです。
しかし何よりも、物語を創るということだけでも映画と関われると気づいたことはこれ以上ない幸いでした。
いつか僕に映画を撮れる新しい友達が出来たらこの脚本を読んでもらいたいなと思います。
しかしながら実は脚本を書いたことよりもその過程の方がその実、発見に満ちていました。
その脚本は書き始めるまでがとてつもない難産でした。おじさんから縛りを貰ったのはありがたかったのですが、考えれば考えるほどその縛りがネックになっていきました。
そして、もうどうしようもなくなった時、僕はごく冷静に、極めて自然におじさんのことに思いをはせてみました。
脚本も書けないくせに、映画を撮りたいと抜かすいい歳のおじさんは自尊心にまみれ非常に滑稽でしたが、それと同時に何故か悲哀や、尊厳、意地を感じました。
僕はおじさんと会話を重ね、モノを尋ね、そのことを参考に本を書きました。
脚本が出来あがる頃には、僕の中で既におじさんと僕は良きパートナーになっていました。
まぁ、さっきも言ったように、結局おじさんのクズとしか言えない本性を目の当たりにしてしまうのだけどそれはまた別の話です。現実って厳しいですね。
これでどこまで行けるか。あの時、僕は恥ずかしながら、確かに自分のつくる脚本に恋をしていました。
それは以前のように憧れるだけのものではなく、目の前のこの物語と横に並んで一緒に歩いていく、そんな淡い想いだったのだと思います。
唯一ノイズがあるとすれば、それがおっさんのことについて書かれていることです。
しかしながら、その気持ちは僕の中で憧れを経て、それ自体を愛し、期待し、守るもの、そして明日を与えてくれるものへと変わっていきました。
こんなことを書くのも気味が悪いと思いますが、僕はあなたが恋している相手に心当たりがあるのです。
映画に映っているのはいつでも人間です。姿形、人がつくったモノ、人を囲むモノ、人の心、映画の、いやあらゆる表現の中に人間と関係のないモノはありません。
どうして日々新しい映画が生まれてくるのか。それはまだ人間が未知で、支配出来ないモノだからではないでしょうか。
それらを愛し、それらに期待し、それらを守る為に映画は今日も撮られているのだと思います。
芥川が、ほとんど死の直前まで書いていた文章の中に映画のシナリオがあったといいます。
日々募る絶望の中、彼は映画をみて何を思っていたのでしょうか。
僕は映画のことしか知らないし、それもたかが知れています。(文学も少しかじっていますが)しかしながら現代、生活と映画は近しいモノだと思っています。
僕は芥川の書いたラブレターは文学だと思っています。なぜならあれを読むといつも涙が出てくるからです。それでは説明になってませんでしょうか。
僕たちはかつて例をみないくらい幸いだと思います。共に歩くものに確固たる自分をのせることが必然として出来るからです。
僕は映画に飽きないでしょう。あなたが人間に恋していても、きっちりそれごと抱える覚悟です。
僕とあなたは違いますが、少なくともあなたの憧れているものの一部です。
だからこんなことを言うのは変かもしれないけど、あなたのことが大好きです。
優しいところが好きです。
冷たいところが好きです。
怖いところが好きです。
笑わせてくれるところが好きです。
泣かせてくれるところが好きです。
以上、あなたに恋する男からの言葉です。返事はくださらなくて結構です。ただ微笑みかけてくれればとてもうれしいです。それではまた。
嬉しそうにソシャゲを下請けされる会社さんが後を絶たないので以下に現実を記載。仕事受ける前によーく考えよう!
ちょっとブラック企業な香りがしますが、以下の体制を仮定します。
ソシャゲ作って運営しようと思うと、スマホアプリに2名(一人は顧客クレームのバグFIX作業、一人はイベント等の改造/開発ね!)、サーバー側に2名(一人は同じくバグFIX、一人はイベント等の改造/開発ね!)、音楽/効果音1名、グラフィックに1名、全体のディレクタ1名、プロデューサ兼広報担当で1名の体制で、開発1年、リリース後に開発費もろもろ回収に1年以下がノルマという事を仮定します。なお、開発している時だけ、スマホアプリに1名、サーバー側に1名ですみます。なお、運用中のお客様サポートはスタッフみんなでやります!笑
一人100万円/1ヶ月を人件費とすると、開発1年なら、6 x 100万 x 12ヶ月=7,200万円が開発費用です。で、1年で回収しようとすると月600万の利益が必要です。でも、うまく運営(イベント企画、アップデート追加頻繁にやる等)しないとお客逃げちゃうので、8x100万=800万円の運営時の人件費用がずっと必要です。また、サーバー代だっているので、仮にサーバー代を500万円/月とします。
1年後に、開発費をすべて取り返し、運用中に利益0円となる限界の売上を計算すると、上の諸々の金額から、1,900万円/月の売上を最低1年間続ける必要があります。これは年商2億2,800万円となります。つまり、これを割り込むと、誰かが飯を食えなくなります。
当然注文側の人件費もペイできないといけません。何だかんだで、注文側ディレクタ1名及び、注文側プロデューサ1名が必要になります。彼らの人件費用は開発中も運用中も変わらず2人月なので、200万円/月となります。つまり、下請け含めて関係者みんながトントンになるには、合計2,100万円/月の売上で、年商2億5,200万円となります。
そのものズバリの公開情報なんてこの世に無いので、他の会社の業績から妄想膨らませてみます。ここに、観察対象として最適なものを探していたら、大変興味深いソシャゲの会社でe-Dragon Powerという会社があります。ここはホームページ見ると1本しかソシャゲ出してません。で、こちらはユニデングループ(http://www.uniden.co.jp/company/group.html)ですので、ユニデン側のを見ると、グループ会社でゲーム事業やってるのはe-dragonpower社だけでしょうから(多分)、結論としてゲーム事業セグメントの売上情報(平成27年3月期第1四半期の決算)はそのままe-dragonpowerのソシャゲ1本の売上と仮定しちゃいます。で、具体的に1ヶ月あたりに直すと、Android+iphoneで、約3,000万円/月の売上のようです。この会社のタイトル製品を使ってAppDB - iPhoneゲームアプリのランキングデータベースで当時の順位を検索すると、だいたいiphoneでトップセールスランキング200位以内のようです。
つまり、先の計算と照らしあわせると、関係者みんながちゃんと生きていけるソシャゲである為にはiphoneのトップセールスランキングの200位には最低でも入って欲しいという事になります。
下請けしようとしているあなた担当の製品が、iphoneのトップセールスのランキング200位に1年間入れる自信が無いと、壮絶なブラック企業人生が待っている事になります。
自殺を「犯人と被害者が一致している、ちょっと特殊な殺人」と考えればhttp://anond.hatelabo.jp/20140817233229
自殺が殺人なら論理的に言って自殺を行う者は殺人を行う者なのでそこは否定はしないけど、ヒスるのはよせと言ってるだろう。
そうやって都合のいい所ばっかり拾い読みするからロックなんて引いてきちゃうんだよ。
ロックに始まる所有権の概念とロックの信仰による自殺への価値観を混合してるんすか?笑へーつまりロックに始まる所有権を支持する人はロックの自殺への価値観と同一なんだー笑
所有権の概念を学んでこいと言われたらロックは自殺を支持してない!!!と言い出したバカはさ、ロックに始まる所有権はこういう理屈だから違うよね?と言えるまではゴミなロジカルのかけらもない妄言だと気付こうなお前の自殺した身内が殺人犯だったしか今んとこ明らかになってないからな
ジョン・ロックの唱えた所有権ってのはそもそも王権神授説への批判から始まった労働所有権論の側面をもったものだったの。労働所有権というのは労働の産物を所有する権利のことであるとともに、環境という限りある資源をいかにして自己と他者で共有して生き延びていくか、そのために権利はどのように制限されるべきかあるいは制限されてはならないかについて議論するという目的においてキーになる概念なの。ざっくり言うと彼は生きるために自己決定する(他人によって決定されない)権利について唱えたのであって、死ぬ権利ははっきりと否定しているの。
つまりロックの所有権の概念を支持する人間はロックの論をもって自殺の肯定は行えない。当たり前の話だわな。
何でこんな簡単な事が分からないかね?
更に厳密に言うなら、「ロックに始まる所有権」なる用語でロックの論から外れた所有権の定義を用いているつもりなら、その定義の詳細を説明する義務はお前の方にあるんだぜ。
説明になってない。何?造語だったの?
ロックの所有権は使えないよって言ったじゃん。「同一性決定権」は造語だし。お前無茶苦茶だよな。
自殺遺族が言うおかしな理屈を批判してるからね遺族を叩くなんて!ってそこだけピックアップして過剰反応すんのは自分が一番コンプ抱いてる表れだな一貫して主張してるなら途中からで全然問題ない
それを「自殺遺族」と知れた途端に湧いたヒス野郎が言っても説得力が無いわけでね。
「おまえの自殺=殺人論は所有権同一性決定権を無視と批判したら、法治国家なので制限されるとお前は返した。法によって制限されるのはそのとおり。だが無視していい法律」がないとおかしい、法律がないのに所有権同一性決定権を無視していいことになるそんなのは法治国家ではない
ロジカルに答えたいなら論点をしっかりつかもうな
自殺を手伝って殺人罪の減刑類型に問われるんだから国は法的には自殺を殺人と見なしているだろ。自殺が適法だったら自殺関与罪は総崩れだし自殺を止めるようなあらゆる言動が法的に強要罪に問われることになる。
お前の造語の「所有権同一性決定権」とやらが何だかわからんが、自殺する権利というのは認められていないんだよ。自殺は殺人、殺人に手を貸すと罰される。それだけ。
ところで欧州の安楽死施設はその対象を「身体の致死性の苦痛を伴う病気をもつ人間」に限っているそうだな。
おまえの腐った脳みそに合わせるなら殺人犯家族の殆どは被害者ぶるなと叩かれないから自殺=殺人と思う人は少ないってことだな笑
そもそも、俺の発言は「被害者ぶるな」じゃないんだけど笑 俺の言ってる内容は"他の自殺者への攻撃の理由として"被害者意識振り回してんじゃねーよって話だな。差異がわかったかな?ん?殺人犯と同じ扱い笑
殺人犯の家族がバカだと言われている、私はバカだと言われた、だから私は殺人犯の家族と同様に扱われている、同じ叩き方=同じに見られているという発想に疑問をいだかないコミュ障なら論外だな
小学生同士で言い合ってても殺人犯の家族と同じ扱いされてるそ!とか叫ぶのかなこのバカ
同じ叩かれ方してるだけで同じに扱われてるのではないと書いてるのに、そういう(同様に扱われる)場合(→前行の同様に扱われる場合以外指すものがない)があると認めたことにしてる捏造クソ野郎が自殺は殺人だと叫んでるんですね、わかりました
バカは例えだろ脳みそ腐ってんのかクソに変えても同じなのは明らかだろ
自殺=殺人の前提の時のみ差異は必要って話だね、小学生同士の言い合いの例を見ても違うのは明らか、そして自殺=殺人は未だ所有権同一性決定権の観点から否定されていない
「被害者意識を振り回す」は「被害者ぶるな」とどう違うんだ?言葉が同じなのに「同じ叩き方ではない」と主張する根拠は何だ?
たったこれだけに答えられないってのをごまかすために、よくもこんなに長文費やしたもんだね。
???勝手に殺人の量刑と同等かどうかで判断したかのように言うのやめてくんないかな?脳みそ腐ってる捏造クソ野郎からしたら当たり前なのかもしれないけど、全くロジカルじゃないじゃん。
自分の持つ所有権と他人の持つ所有権の剥奪は全く異なるのは明らかと言われないと理解できないのかな笑今更脳内空想されても困るんだわ、まぁ今回もロックから始まる所有権について学んでもいないし同一性は自己同一性ではなく俺の主張のことか!?ときちがいじみたことしか言わないし決定権は苦しみから逃れるのは当たらないキリッ…というマイルール適用しだすし所有権同一性を制限できる法律は提示できないくせに決定権は判例がないからダメとか言うダブスタ繰り出すし何一つとして有意義な議論できない人だとわかりました
自分のもつ所有権と他人のもつ所有権の剥奪はどう異なるのかな?
ここでの「所有権」は勝手に生命の所有権と解釈しておくが、いずれにせよ生命という個人法益を著しく損なうという点ではどちらも同じ、殺人という違法行為だ。
超シンプルな話じゃないか。何を長々とぶつくさ言ってるのかね。
これ以上のトラックバックは要らないよ。もうお前からは悪態しか出てこないから、まともな議論は望めないとよくわかったからな。
男185以上は女155以下
女175以上は男165以下
となら結婚できるようにしよう
ああ、何だかうまくまとまった感じだ
寝よう
80年代が劇的にダセぇ!(例えばアイドルとか)っていう、確かそんな感じの記事を最近見たんだが、
(間違ってたらゴメンちゃい)岡田有希子ちゃんだけはガチでかわいいと思った。(特に髪が長い時ね)
俺、岡田有希子ちゃんが自殺した時は小学一年生だったと思うんだけど、彼女の記憶は全くない。
でも最近、ふとしたきっかけで彼女の画像を見てから、スンゲー可愛い!と思うようになっちゃったんだよ。
いやいやドルオタじゃねーし。
まともな社会人だし。
それにあんな可愛らしい顔立ちなのに、何だか身体はムチムチしてるのも良かったし。
おっと、いけねぇいけねぇ。
あと、何てったってアーイドール♪じゃなかった、歌がうまかったよ。
抑揚とか、わざとテンポを遅らせて唄う技術とか、スゲーなー!って思ったよ。
あとドッキリで鶴太郎が寝起きを襲うみたいな動画があったんだけど、あれ、スゲー可愛かったわ。
あの子があの歳で現代に生きてたら、世間はどんな感じになってたかなぁ。
女がその見た目で寄ってくるだろう。
そもそも夏と冬に帰省してくる時に会い、毎回会っているわけでもないから多くても3.4回くらいしかまともに会っていない。
試しにSEXもしてみた。
今までに無い位、冷めたまま終わった。
体は反応するように出来ているらしく脳内はスカーーンと冴え切ってた。
彼の時はなんだかイヤで避妊してもらった。
ゴム付けてって言ったのいつぶりだろう。
どうやったらそこまで硬くなるのか。
硬くするのはアッチだろ。と、
頭ん中でつっこみを入れる始末。
緊張?気持ちがこもりすぎて?
にしても無い。まじで無い。
たった一度のキスとSEXで決めつけるのはおかしいかもしれない。
お付き合いして、こちらの要望を伝えれば、柔らかいプルプルのジェリーな感触で
とろけるようなキスができるようになるかもしれない。
舐めればいいと思ってる独りよがりのSEXも改善されるかもしれない。
が、そもそもだ。
そもそも、なんの波長も合わない。
彼と話をしていて記憶に残る話がまったくない。
ゴハンを食べながら話していても
こっちが話すばかり。
笑いのツボも違う。
なんでもいい、何か好きな事があってそれを語るネタがあればいいのに。
漫画のこれにハマってるとか、
収納にこだわってるとか、
いろいろあるじゃん。
聞いても
ん〜今は特にないなー。。。。。
はい、終わり。
話の流れに抑揚も無い。
「遠距離か。。」とボヤいている。
目が点になった自分の顔が鏡を見ずとも分かるくらい目が点になってた。
拍子抜けとはあのことで、気づいたら
付き合ってもいないのに
その人に近づく女たちに敵対心持ってウザ行動に出てなんだか微妙になって会えなくなる側だったのに。
彼も押せ押せタイプではないので
しばらく連絡とらず。
そしてこの間。
とだけの毎年恒例のメール。
予定無いけど予定あるって事にした。
重い腰を上げようとも思わない。
SEXするだけならいっかとも思えない、岩だしね。
予定は?と聞いて、こっちに予定があったらそこで終わるじゃん。
⚪︎日に山に行って涼みませんか?とか、
離島の海に遊びに行きませんか?とか
⚪︎日の花火大会一緒に行かない?の風をなぜ起こせないのか。
恋愛下手という話ではない。
去年の夏も会いたいとだけで、結局行き先はこっち任せで調べようともしていなかった。
年に2度ただ飲みに行くだけで、どうにかなるとでも思っているとしか思えない。
そのくせ結婚に焦っているのか、35歳になってもお互い独身だったら結婚しようか。とか言う。
アホか。
結婚だの彼氏になりたいという思いが本当にあるのかどうか知らないが、
これでも少しの可能性を潰しちゃいけないのかもと彼の誘いにのっていたけど、
俺のこと〜〜〜
好きになってくれたらいいな〜〜〜くらいの、
こっちありきなところが何だか無性に腹が立つし気に食わないから
会う気になんて全然なれない。
こんなに興味が湧かない人っているんだね。
kissは気持ちの入りようで岩になるかジェリーになるか決まるんだな。
と再確認致しました。
そして妥協して男と付き合うのも無理だ。
イケメンでオシャレで職業がカッコよかったらオールオッケーで付き合える人の気が知れないというか、バカにしているわけではなく
本当にその気持ちの持っていき方を知っている事に尊敬してしまう
あ〜あ、やっぱりこのまま独身なんだろうなワタシ。
君のこの煽り読んでたら、つくづく元増田のいう「女のプライド」ってのが認知を歪めてると思うわ。
えっ。普通ってあんたどこの普通よ。同一職業で男性よりも女性の賃金が低いなんてあり得ないんだけど。で、なんだかんだで(なんだかんだってなによw)結婚・出産で解雇?自分でやめてるだけでしょ。本当に解雇されてるなら、そりゃ裁判すりゃ勝てますがな。あれだな、櫻井よしこだな。
ってやつ。
君の言う普通ってどこの普通よ。男だったら裁判でも何でもして石にかじりついてでもリストラ部屋に放り込まれても一家を養うためにやめないところ、女はああだこうだ言い訳してやめるってだけのことでしょよw
現実に起きていることは男とは対等の労働市場で戦えないから、派遣とかアルバイトとかに流れて賃金が低くなってるってことでしょ。まさしく現実はそういう抜け穴的な方法で実態に即して運用されてるってだけじゃん。同一労働同一身分で、それでいて女性のみ賃金を下げるなんて出来るとでも思ってるの?馬鹿も休み休み言えよ、夏厨さんよ。クーラーつけろよ。こんな頓珍漢なこと言ってどや顔ってこっちが言いたいわw
「女性特有の無能さ」を補えるくらい優秀な女性しか採用しないからともいうし、男性は女性特有のリスクが無いというだけで無能でも採用されやすいからともいう。
入社テストのペーパーがそんなに利益に直結するなら(あるいは損害に直結するなら)、企業は単純に上から順にとっていきますってw 入社テストペーパーにしがみついて、「女性は有能!」とか言われてもね。
でもそうね、男性は女性特有のリスクがないから無能でも採用されやすいって歯がしみして言われても、採用されてるんだからその無能な男性とやらは、あったまのきれる有能女性よりは市場価値が高いんだよね。それって男性の方が有能ってことなんだよね。
そんな誰もが分かってる事をどや顔で言われても……これが夏休みか。
女性が労働者として「無能」なら、市場に任せるんなら、方策はひとつしかないわけ。女性の給与を引き下げることですよ。あと、企業の解雇権を絶対的に強化して、実質、どういう理由であれ解雇できるようにするとかね。そしたら、女性を雇うリスクは大幅に引き下げられるね。ま、でもそれは現実問題無理だね。
いや、普通に女性の給料は低いし、女性は何だかんだで結婚・出産で解雇されるんだけど。
「女性特有の無能さ」を補えるくらい優秀な女性しか採用しないからともいうし、男性は女性特有のリスクが無いというだけで無能でも採用されやすいからともいう。
古い保険に入ってて上皮内ガンで給付がおりなかった話にやっぱり保険は詐欺だと意見がつく。
一方で「損する保険」として「入院保障が手厚い保険」を挙げてる記事がブクマ集めてたりする。
相反してるなあと思う。
そもそも何故上皮内ガンで保障がおりないかというと、リスクが低い病気だからだ。
リスクが低く支払う可能性も高いものまで保障をつけると保険料が高くなる。本当にリスクが高いものだけをカバーするほうが無駄は少ない。
けれどそれでは「出なかった詐欺だ」と言われるので、保険会社は特約をつけて給付金が受けれるように保険を変えてきた。
・通院
・日帰り入院
ちょっとした時にも給付を受けたいならつければ良いし、大きなリスクさえカバーできればいい人はつけなくてもいい。
無駄な保険料は省くべきと保障を削るのはいいけれど、その分細かな保障は切り捨てていることは覚えておこう。
FPを名乗る人が掛け捨て型の保険を「損する」と言い、貯蓄型(終身・払込)の保険を勧めるのにも疑問を感じる。
損得で考えれば貯蓄型の保険が有利だろうが、月に払う保険料は高い。
例えば高校まで全て公立で、国公立の大学を卒業させるとした場合、子供一人当たりの教育費は一千万はかかる。
子供が産まれたばかりの時に父親に万が一の事があった場合、必要な保障は低く見積もっても一千万。
実際にそれでは足りないけれど、最低限の教育費だけを準備するとして考えてみる。
一千万の死亡保障を30歳男性が準備する場合の一例(価格コムで比較、保険料の端数は切り捨て)
・終身保険:月々19,500円(60歳払済)
終身保険は解約すれば払った分は戻るし(返戻金の割合は加入年数による)、解約しなければ一千万の保障は一生涯続く。
定期保険は10年間しか保障しないし、解約しても戻りはない。次の10年はその時の年齢で保険料を算出するため、掛け金は幾らか上がる。
比べれば確かに終身保険の方が損はしないが、毎月一人あたりの生命保険に2万円払えるだろうか。ちなみにこの金額に入院保険は入っていない。
ただでさえ子育ての期間中は出費が多く生活費を少しでも切り詰めたいはずだ。
だからこそ、子供が成長するまでの約20年は安い掛け捨ての保険で大きな保障を準備するのが理想だ。
ところが保険を批判するFPは掛け捨ては損するから終身が良いと言い、それを信じた客は高い保険料で小さな保障を準備する。
保険を損得で語るFPには、箇々のライフステージに合った保障を考えられない。
教育にあてる出費も減って収支も安定するだろうから、その時に額を数百万ほどに落として終身保険を準備すればいい。
医療保険は入院、手術をしたという医師の診断書に基づいて給付される。損害保険は実損填補といって、実際にかかった総額に対する割合で給付されるケースがある。高額療養費制度を利用すると医療保険を受け取れないと考えている人がたまにいるが、多分この辺りを混同している。あと損保に多い、災害給付金(怪我の時)しか出ない保険に入っていて、病気の時でなかったと怒る人もまれにいる。
死亡保障が主契約の国内生保と違って外資系保険会社は医療保険を単体で扱えた(今は国内生保も扱える)。通院・初期入院・がん保障など細かい保障が手厚くなったのには医療保険の果たした役割が大きい。国内生保と外資系の違いは長くなるので書かないけど、細かい医療保障を当然としながら外資系の医療保険やがん保険が批判されているのを見ると何だかなあと思う。
医療保険で先進医療が適応対象になったのは割と最近のこと。古い保険では適応外のこともあるので注意が必要。保険会社が詐欺なのではなく、医療が進んでいるのに保険は昔のままというのが実際のところ。通常の治療費は高額療養費制度があるからいいと考えてる人なら、それ以上の費用がかかった分に填補される損害保険で入るのも手かもしれない。
たまにいる
・貯金した方が良い
昔、損得で考える客にあたって、医療保険をフルに使ったら幾らもらえるかを計算したことがある。
掛け捨ての保険だったので保険料よりは貰えたが、そのくらいなら貯金でどうにかなると言われた。
その数百万が流動的なお金なら保険を勧めるけれど、そうでなければまあ貯蓄に頼ってもいいんじゃないかな。
鶴光のオールナイトニッポンに出てた岡田有希子の回を聴いた。
リスナーからのお便りを鶴光が読むところで鶴光が、岡田有希子の「二人だけのセレモニー」という曲を、「二人だけのオナニー」と読んだ。
俺は一瞬、「え?」と思ってポカーンとしたけど、その後に岡田有希子が、「セレモニーですぅ」と突っ込んだ。
驚いたのは17歳の高校生の前でこんな事を言っちゃっても許されたこと、そして岡田有希子の返し。
あの子が自殺した時、俺は7歳だったから、正直記憶に無いんだけど、でもひょんなことから最近、YouTubeで彼女を見て一気に好きになった。賢くて優等生で生真面目で可愛らしい花のような女の子、なんてイメージだったけど、ラジオを聴いて面白くて面白くて、あんなにも俗っぽくて、ほんと普通の女の子だったんだって思ったら心から笑えた。
あんな残念な亡くなり方をした子だから、ここ数日ナーバスになってたけど、ラジオを聴いて何か救われた。
もう二度と岡田有希子には会えないけど、ラジオを聴いてたらすぐそこにいるような気がした。
これも何かの縁かな。
7/30にはアルバムも発売されるみたいだし。
もう28年も前の人なのに、何で急にこんなにも気になるんだろう。
あー、今、会ったら何て声を掛けるかな。
掛けられるかな。
会ってみたかったな。
ネットが無ければそうならないのかというと別にそんな事もないんだよね。
あの手の女叩き言説は極端ではあるけれど全くの創作という訳でもなく、何だかんだ言って潜在的に男が考えている事だから。
むしろネットなんて無い時代の方が、そういう事を堂々と言う男は多かった。
マスコミなんかでも堂々と書かれていたよ。
ウーマンリブとかフェミニズムとかそういうのが結局「名誉男性になる」方向にしか進まなかったのも、
「女は生まれながらに馬鹿で恥ずかしい生き物で、若いうちは男の性欲の捌け口としてのみ価値があるが
30になれば価値はない」と言う考えを男は勿論女も普通に内面化していて
女がそこから逃れるには「男になる」しかなかったからなわけで。
今現在を生きている小さな女の子にネットを見せなければ、そういった汚い現実を隠し通す事は出来るかもしれない。
でもいずれ大人になれば気付く事だけどね。
子供の頃から現実を見せて早目に慣れさせ大人になったら諦められるようにするのと、大人になって初めて気付くのと、どちらがマシなのかは分からない。
例の逮捕の話題を見聞きしていてそういえばと思いだした。
私は今アラサーの女であるが、10代の頃、自分のまんこすらまんこと呼べなかった。
もっと小さい頃にはそもそもなんと呼べばいいのかわかっていなかった気がする。
母親はアソコと言っていたと思う。保健の授業ではヴァギナ。ポップティーン的な経験談雑誌ではア●コ。
ちんこちんちんちんぽという響きとはごく幼少時から親しむ機会もあったけれど、
対になる単語としてのまんこを知ったのはだいぶ後だったように思う。
今も中学の頃にふざけた男子が授業中に「おまんこ」と叫んだときの空気が忘れがたい。
「セックス」と口にすることの数十倍恥ずかしかった記憶がある。
ここ数年の間に、あけすけに自分の健康や失敗や体験なんかを話せる友人が何人か出来た。
いつの間にか自分の性器も他人の性器も等しくまんこと呼べるようになっていた。
まんこをまんこと呼ぶことで湧いたのは、なんだよ!みんなまんこついてるんじゃん!という感覚である。
道行く女子のスカートの奥になにがあるのか、ほんとに自分と同じもんついてんのかなという実感を持てているか?と自問すれば、
そこはなんとなくボヤ〜としていた。
いや〜みんなついてるよねまんこ。濡れたり濡れなかったり擦れたり黒ずんだり痒かったり何かはみでたりするよね。
そういう実感と、記事にならぶ女性器の文字とを見比べて、なんだか不思議な感覚になってしまった。
元々ついてるもんなのにな。