はてなキーワード: ナンバーワンよりオンリーワンとは
わざわざ金上乗せしてワンランク上のシートにしてるんだから互いに快適度を下げる行いはやめましょうって同調圧力のおかげだし。
「法律にもJRの規定にも書いてないし、金払って乗った空間で好きに喋って何が悪い」とか言い出してガキ連れて騒ぎ始めたらもう終わりだろ
最近は一人っ子ばかりでみんな俺様化してきてる感じだけど、所詮ほとんどの人間が才も価値もさしてないただの凡百の一人に過ぎないんだから、住み良い社会の一員になるようもっと身の程を弁える機会が必要だと思う。
一時期のナンバーワンよりオンリーワンとか言ってた時代が一気にモラルハザードに繋がってた気がする。
むしろ個性だナンバーワンよりオンリーワンだとか言った結果がこの体たらくな気がするぞ
「個性教育」とか「ナンバーワンよりオンリーワン」とかが持て囃された頃から顕著になってきていると思う。
ナンバーワンよりオンリーワンは誰でも思ってそうやけどな
曲がはやる以前から、ナンバーワンよりオンリーワンみたいなことってよく耳にしていて、なんでこんな手あかのついたフレーズがいまさら受けるんだろうって思ったわ。
コメント欄で男も周りを巻き込んで被害を騒げ、ってなのがあるが、これが男の社会的セカンドレイプなんだよな。
で終わるパターン。そして周囲を巻き込むと、裏切り者、組織の敵、として同業他社ですら行き先がなくなるのがマッチョイズム男子の社会なんだよね、これがまた。w
んで、これって変わらんのよ。多分、相当ムチャしないと。特に短期間じゃ。
典型的なのは少し前に話題になった 金がなくて汚いオッサン(だっけ?) とかここ数日話題だった 負け組氷河期アラフォー みたいの。
擁護したくないでしょ? 女子的に。更に言うと助ける筋合いなんかないし、リアルに関わるのなんか絶対嫌じゃん?w 正直に言ってごらん? 用もないのに積極的に助けに行きたい…?
だからフェミこそこういう視点を持って欲しいんだけど、コメ欄でたくさん指摘されてる通りほぼ無理なんだよ、男と一緒でサルだから。
意見として評価できるし共感もするんだけど、そこをまず認めないとって感じでさ、世の中ってそもそも不条理で非合理なんだよね。そういう中で徳の高い人が説法して回るとどうなるかっつーとさ、仮にみんなが共感して世の中が変わっても隣の国からぶん殴られるだけなのよ。
庇って謝って金出して不法入国者に税金でワープアより良い暮らしさせて、「アイツラの国は性犯罪者」って世界中に銅像建てられまくってるでしょ?
代理店に何とかして欲しい、人の認識を変えて欲しい、って確かに洗脳装置をフル活用すれば色々できるだろうけど、これも実は対策としてはよろしくない。
なぜなら代理店がモノを売るのは人の欲望を掻き立てるからであって、差別化して他人より優れてると錯覚させる事で商品を売るのが基本だからなのよ。みんな違ってみんないいとかナンバーワンよりオンリーワンとか言ってもムーブメント作らないと儲からないから困るのよ。w
そして代理店が弱体化すると国際的な交渉であまりよろしくない事も起こる。情報収集は別としても、宣伝戦で勝てなくなっちゃうでしょ?
なんだよそれ北朝鮮かよ、ねーよw って思った人は甘くて、海外に商品を売るのって戦いなワケですよ、いややった事ないから知らないけどw そして数十年前はジャパンバッシングされてましたけど、ここ数年はディスカウントジャパンされ続けてますよね? こういうのって長い事続けられてそういう認識が他国に広まっちゃうと本当に国ごと困った事になるんですよ。その国の物とか欲しくないって言われちゃうんで。
だからじゃーどーすりゃいいんだよ? って話になるんですが、その辺まで踏まえて具体策をみんなで話せたらよろしいかな、とか思ってますええ。
誰かがどうするとかじゃなく、みんなでどう考えていくか的な……?
今回は少し前によく聞いた「自分探し」について。
世の中的にもナンバーワンよりオンリーワンだ!と言われていたし、
本当に自由に自分のことを決めていいよってなった途端、
そんな流れだったように思えます。
じゃぁ具体的にどうすれば良いかよく解らず、
でも結局よく解んないですよね。笑
まず、決めなきゃいけないのはこれだと思います。
少しだけ関心があったり興味があるくらいで何個か決めてください。
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1)「それ」が世の中にとってどういうものなのか
2)誰が喜んでくれて誰のためになっているのか
4)その役割を一緒に達成する仲間は誰か
6)自分が、仲間が頑張ることで世の中のためになっている事を実感する
7)それが生きる意味になったりする
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自分がいることでの小さい変化を実感する。
まずはここだと思います。
最初はそれをどういう人ができているのか、
じっくり観察してその人のポジションを奪いにいきましょう!
それってすごく楽しくなります。
自分探しって未だによく解りませんが、
世の中に無数にある役割の一つを全力で掴みに行く事だと思いました
それが一つの答えなのかもしれません。
例えばネットが世界に普及して、ソーシャルメディアというものが生まれ、
もっと小さい規模でも、たくさんの役割が生まれ、
そのポジションを誰かが掴んでいるんしょう。
突然だが,今注目されているバンド「神聖かまってちゃん」の、日本社会史あるいはパンク史的な意義はもっと指摘されてよい。
和製パンクロックが生まれて30年、日本人はついにこうしたバンドが評価される社会へたどり着いてしまったのかと言うレベルである。
少し回り道をすれば、2年前の6月8日の秋葉原の路上、私もその場所に居合わせたから忘れもしない。
「非リア充」の26歳男が赤の他人7人を次々とぶっ殺した。「格差社会」「ニート」「希望のなさ」などのバズワードとともに、秋葉原連続殺人は、00年以降の社会に訪れたこうした変化の象徴と言われた。
その時、私たちは気づくべきだった。不適切かもしれないが、その事件は別の見方をすれば、パンク好きにとって願ってもない時代の到来を告げていたのである。すなわち、日本で訪れることのなかった、本来のパンクロックが受容される時代へと、日本が変化(退化?)しているという事実だ。
教科書的になるが、1970年代に生まれたパンクロックは、当時の英国社会のなんとも言えないクソッタレな社会環境で生まれた。自国産業は衰退し失業率は最悪だった。若者は職も金もなく伝統的な階級社会に阻まれてはい上がることも出来ない。こんな絶望感の中で若者はロックという媒介手段を用いて不満を発散させた。セックスピストルズは、たとえ演奏技術はなくても圧倒的な説得力をもって浸透していった。
80年代以降、パンクロックが日本にも輸入され、反社会的な曲が大量生産された。もちろん素晴らしい曲やミュージシャンも次々と生まれたが、すべてに共通する根本的な欠陥があった。それは、当時の日本が総中流社会で、基本的に成長を続ける豊かな社会だったということだ。「フリーター」は当時は今とは逆に希望を持った生き方として受け入れられていた。若者が抵抗する相手は、両親とか、学校の先公(古い!)とか、そんな微笑ましいものだった。ザ・スターリンに影響されてビリビリに破けたTシャツを着る人たち。80年代後半のバンドブームでカラフルに染めた髪の毛をツンツンに立て演奏する人たち。彼らの反抗的なパフォーマンスは、すべて豊かな日本人の”真似事”でしかなかった。たとえ人気を呼んだブルーハーツでも、社会派的な曲は空回りしていた。
「神聖かまってちゃん」には、こうした日本のロックが抱えてきた嘘くささがない。それが決定的に新しい点だ。いわば日本のパンクロッカー達が、演技的に”狙って”なろうとしたポジションに、不気味なぐらいナチュラルにすっぽりと収まっている。なぜならば、彼らは間違いなく格差社会になった現代日本の底辺に生々しく存在しているからだ。「ナンバーワンよりオンリーワン」などという腐ったバズワードが好意的に受け入れられていた時代の生ぬるさの中に、彼らはいない。
ボーカルのの子は、高校をすぐに中退しネットに没入した腐れニートだ。感情に極度に左右されやすい社会生活上致命的な問題も抱える。他のメンバーも派遣やバイトなど非正規労働の日々を送る。彼らは、ピアキャスやニコニコ生放送を使って、そのどうしようもない自分自身の生活を、包み隠さずそのまま見せる。渋谷の路上でライブパフォーマンスをし警察に補導されたり、メンバーの自宅では酒を片手に1時間でも2時間でも暇つぶしのグダグダトークを展開する。楽曲もありえないほど”ありのまま”、ただ心の中の衝動をぶちまけているだけのように見える。曲は洗練されてなく子供のような詩だ。歌い方や演奏も改善の余地がかなり大きい。それを意図的にやったかどうかはともかく、結果としてこれらの行為すべてが人気の要因だった。彼らがいる底辺、そして彼らが底辺にむけて放つ叫びはあまりにリアルに映る。熱狂的なファンがいるのもうなずける。パンクを歌うにあたり、彼らよりも”適した”ポジションはないからだ。「そんな立ち位置からロックを歌われたら、もはや彼ら以外の誰もロックを歌うことなんかできなくなってしまうよ」的な反則技の感すらある。
私は「神聖かまってちゃん」とそれを受け入れる日本社会に1970年代のイギリスを感じる。もちろん実際経験した訳ではないが、おそらくこんな感じだったのだろう。戦後の急成長はどこ吹く風,かつての英国のように格差が拡大し、ゆるやかに衰退する日本。もはや自分をわざとアウトロー的に脚色する必要すらない、無加工の生き方がそのまま”パンク”的表現になって若者の共感を呼ぶ。いいにしろ悪いにしろ、私たちは今、そんな時代に生きているのである。
なーにが色々な業種や働き方だ、馬鹿らしい。
次はナンバーワンよりオンリーワンとでも言い出すか?
自分らしく生き生き生きようってか?
人生殺すか殺されるか、二つに一つだ。
以前、NPOのバーベキューパーティに参加した時、そこに集まった女の子たちに気になる質問をしてみました。
「ナンパされたことある?」
「ナンパされてどう思った?」
ある女の子は、コンビニのアルバイトをしている時に、友達になって欲しいと言われて、連絡先を書いた紙を渡されたそうです。
「嫌な感じはしませんでしたね。むしろ、結構うれしかった(笑)」
おっ、そうなのか!
「ナンパされると、たいていポーカーフェースで素通りするけど、内心では、うれしいものです」
ナンパというと、女性にとっては迷惑な行為なのかな、と思っていましたが、必ずしもそうではないようです。
実際にナンパすると、断りながらも、ニヤっと、うれしそうな笑顔を浮かべる女の子が結構います。
これは、女性としての魅力を認められたと、彼女らが感じるからではないでしょうか?
逆に男性にナンパしていると語ると、怪訝な顔をする人が多いです。ナンパなんて良くないよ、相手の女性に迷惑でしょう? という訳です。
おもしろいことに経験上、男性より、女性にナンパ支持者が多いように感じます。
今のところですが、女友達にナンパを否定する人は、誰もいません。むしろ、ファッションセンスの無い僕のために服を一緒に選んでくれたり、ナンパの相談に乗ってくれた女の子もいます。
花や蝶は、美しいと愛でる人がいて、初めて美という価値を与えられます。もし、誰も女の子の美しさを賛美しなければ、彼女の美は無意味に堕するでしょう。女性も一切まったく、男性から誘われることがなければ寂しいし、存在価値を喪失してしまうのです。
ある時、僕のmixiに次のような女性からのコメントが寄せられました。
「女性側もちやほやされたい、デートの経験を積みたいと考えているのでは?」という疑問に対して、彼女は次のように答えてくれました。
『どもです、毎度空気が読めない一応♀です(汗) 横レスになりますが
>やっぱり女性側もちやほやされたい、デートの経験を積みたいと考えているのかな?
↑そう考えてる子、多いと思いますよ??。
私も皆さんがおっしゃっている「地味で恋愛経験が少ない」タイプなので、気持ちは良く分かります。いつか**さんに「女性ってナンパされたいものなんですか?」と問いかけられて、その際私はレスしなかったと思います。
・・・で、今お答えしますが、「イエス」ですね。異性の誰にも振り向かれない日々は辛いです。ナンパされたり、デートに誘われるということは、自信のない女にとっては、自尊心を満足させられる嬉しい出来事だと思います。それは、自分に「市場価値がある」、ちゃんとした「値札」をつけてもらえた、ことを意味するからです。ナンバーワンよりオンリーワンなんていいますけど、それは理想論であって、やっぱり女も「商品」として認められたいものですから』
要は、勇気を出すことだけなんです。頑張りましょう!