はてなキーワード: 一部の人とは
昨今のかの国における国内の「一部の人々」の論調に対して、ネット上で売国奴だ、奴等からいくら貰ってんだと叩かれてる件。
彼らは「正真正銘の本気の本心から」、日本側の自制や譲歩が彼の国の人々の心を動かし、円満な解決をもたらすと信じた上で、あのような言動をとっている。これは間違いない。
人間の善性を心底信じていると言い換えてもいい。かの国の人達も自分達と同じはずだと。善意で接している自分達に、彼らが悪意を向けるはずがないと。
なので今までは、外部にヘイトを撒き散らす程度で済んでいた。つまり大局的には無害だった。
こういう純真無垢な人たちほど、裏切られたと感じたときの「裏返りっぷり」は凄まじい。からくり人形の、かわいらしい童子の顔が突如として般若面になるような、あるいは「可愛さ余って憎さ百倍」とでもいうべきか。尽くしてきた時間や手間が、そのまま丸ごと反転して逆流してくる感じか。もっとも、あれほど彼らに深く接していながら彼らの本質を見抜けなかった自らの不明が招いたことなのだが。
これが個人レベルの話なら、凡暗が騙されただけで終わるのだが、極めて厄介なことに彼らはこの国全体によく響くスピーカーを持っている。
「あんなに尽くしてやったのに!」
その瞬間から、彼らの中でかの国はウチの存在からソトの存在へと裏返る。大排外キャンペーンの開幕である。これを前にして冷静でいられる者は少ないだろう。しかもかの国はこちらよりも先に「譲歩」「対話」のカードを捨て去っている。その時、止めるものは誰もいない。
予言する。
日本とかの国の間に重大な局面を生まれるとしたら、それを呼び寄せるのはネット上の声でも保守でも右派でもない。最後の瞬間まで彼らの肩を持ち続けた「一部の人々」だ。
それはちょっと違うと思う。
日本が行った謝罪で、当時の韓国側も納得していたのが先の条約。
それを一方的にあとから蒸し返しているのだ。
相手側が数年後に「あの額では足りない!」と急に喚き出すようなもの。
ちなみに従軍慰安婦問題でよく言われるのは、そもそも交通事故なんてあったの?という話。
その点に関しては日本政府は今までのところ「交通事故はあった」と認めている(よね?)。
以上のように元増田の書き込みには勝手な仮定が入り込んでいるので、そこは明確にしておいてほしい。
「過去の精算なんてしなくてよい(この場合日本側としても精算していないことを認めているという表現)」ではなくて
「主観的には過去の精算はすんでいる上に、仮に韓国のいう過去の精算が必要だとしても、論ずるに値しない要求である」ということ。
ただ日本のメディアなんかは元増田のいうとおりの論調にわかれそうな気もする。
ほんと結論ありきで議論しやがる。どうしても韓尊日卑にしたいらしい一部の人たちによって。
http://anond.hatelabo.jp/20120712005200
以前アニメ制作会社に関わったことあるけど、ここに書かれていることは事実だわ。
当然トップクリエイターの一部の人はちゃんとしてて、尊敬も出来る人もいるんだけど
それにぶら下がってる大多数の連中が酷すぎる。
人間として欠けていて関わってると神経磨り減る。
我慢できるとかの問題じゃない、この異常な業界にいて「おかしい」と思わない
制作進行って仕事はアニメ業界では底辺の仕事であり、同時に上にあがるための仕事でもある。
この下積み時代に、色々な原画家など制作者との繋がりを作って、将来的にはデスクとか
制作の立場が上のポジションに出世していくのがアニメ制作進行のキャリア形成になる。
ただ、本当におかしな連中ばかりだから、そういう連中を捌いていける図太い神経が無いと
この人のように3年くらいで退職してしまう。早いヤツなら1年も持たない。
この辺見る限り、この人はアニメ制作進行には向いてなかったと思われる。
まさにこの人が嫌っているコミュニケーション能力に欠けた
絵しか描けない連中を束ねて代理でコミュニケーションをとってやり、
仕事を円滑に回して作品を作る事に集中できる人間しか出世出来ない。
アニメ制作進行の仕事が出来るヤツはどこの業界でも重宝されると思う。
図太い神経と、細かな気配り、イレギュラーな事態になっても逃げないで場を補填する能力
話が脱線するが、「動画」という工程を海外に委託するようになって久しい。
そのせいで、新人アニメーターの下積みである「動画」工程が国内で経験出来なくなっている。
そのせいで、技術を磨く機会、稼ぐ機会を失っているので、技術者としてアニメーターの空洞化が進んでいる。
元増田ですが・・・増田がご不快な目にあった事は たいへん不幸だと思いますが・・・。
それこそ、アイドル狂いにひどい目にあったから、一般的にアレは酷い。という論理展開を認めるなら (サンプル数1>>全体が正)
アイドルは下着が平気だから、女の子全部が平気だという理論をお認めになるということですよね。(サンプル数1>>全体が正)
大変失礼ながら、私は アイドルが下着になることが平気だから(いや仕事ですが)といって、女の子を脱がせても良いとは思わないように(サンプル数1>>全体が否)
一部の人が、アイドルを例えて、破廉恥な行動に及んだとしても、それをアイドルが好きな男子全部の共通行動だとは思いません。(サンプル数1>>全体が否)
また、大変 失礼ながら申し上げさせていただければ、ドルヲタという特殊な分類を上げて、一般男子を語られても困ります。
また、最初の 発言者である筆者様も、ドルヲタ様のことを言いたかったのではないと思います。
また、すべてのドルヲタさまが、そのように破廉恥であるという事もまた無いような気がします。
ここでは、統計上の話をさせていただいているのであり、実体験上の個別のお話をさせていただいているのではない旨、ご了承いただければ助かります。
とはいえ、こどもは何をするかわからないという点は大変 参考になりました。
保護を何倍も受けるためにわざと貧乏親族の戸籍を分割しまくったり、
その上で収入ある親族は「扶養したくない」と言って保護を丸取りしたり。
不動産購入してそのローン返済で「余裕がない」と主張して生活保護をフルゲットして
しかもその不動産は生活保護受給者のために買ってあげたものだったり。
これなんの発想かっていうと
免税お味噌会社作ってそこから人材派遣させて消費税まる食いしたりとか。
まあどれも開発後しばらくして税務署にとっちめられたけど。
生活保護でもやらないわけがないと思ってたけどやっぱりやってた。
個人個人が思いついてやったとは考えにくい。
いかにも会社の経理とか税務やってる人間が開発しそうなやり口なんだよね。(ねえ吉本さん…)
本当にこれらが取り沙汰されるのを「何も問題ないのに」とか「不当なリンチだ」とか言っちゃう?
そこから生活保護受給者全部叩いちゃいけない、って話とは切り分けた方がいいんじゃあないの?
いよいよモラルのたがは外れるし扶養回避ノウハウやら分割多重受給ノウハウやら
生活保護費がどれほど膨らむか見当が付かない。
有名人の影響力は凄いしね。
だいたい「生活保護の不正受給率はたった0.4%」とか得意げに書いてる人がいっぱいいるけど
その数字がどこから出たのか、どういう出し方してるのか、意味がある数字なのか、疑った?
なーんか検挙率な気がして仕方ないけど。
それこそ一人一人の善悪とか超越した話で、
税金の仕事してる感覚として、不正が0.4%ぽっちなんてぜーーーーったいに。ありえない。
そして不正は、
「やるチャンスがある」「リスクがない」「やっても悪くない」というサインを受ければ
燎原の火みたいにぶわーーーーーーっと増えるよ。
ものすごく甘い見通しをしてると思う。
http://ulog.cc/a/fromdusktildawn/17732
http://b.hatena.ne.jp/entry/ulog.cc/a/fromdusktildawn/17732
は「工場従事、製造業は質が低い」なんて一言も書いてないのよ。むしろここで読み取るべきは質の高低ではなく価値観の新旧。ちきりんはどうしようもないけど一貫してるのは大企業や旧い企業への敵視。製造業なんてのはまさにこのおばさんから見てにっくき竜王みたいなもんなんだよ。「お前に日本の工場の半分をやろう」と持ちかけられたってそんじゃーね!の剣で斬りかかるのがこのおばさんなんだよ!
それとこのおばさんは、フロムダさんが示した
これらさえ「おばさんより老けた残念な人」ぐらいにしか思ってないって!そんな国家戦略絵図を持ち出す日本という国も、そんな製造業に憧れを持ってしまう老若男女の労働者も、おばさんから見れば旧いんだって!懐古厨乙!ぐらいに思ってるよ!
だから、「室の良し悪し」で立論してしまうことが誤りなんだ!最初からスルーするのが一番だったんだよ!
これは単純な話で、「知識産業化するから日本に製造業が必要」なんて成り立たないでしょ?よしんば海外の工場が単純労働ばかりで外国人も複雑で精緻で且つ正確な作業ができなかったとしてもだよ?それなら日本人を海外現地採用してしまえばいいじゃないか。あるいは研修終わったら即海外に飛ばすとかしちゃえばいいじゃないか。今の子は将来を人質に取られているような人生だからホイホイついてっちゃうよ?「日本国に必要」ではなく「日本人に必要」なんでしょ?それなら別に外資系に買収された海外メーカーの工場で日本人を大漁に雇ってお得意の国民芸を披露すればいいんだもんね!国民芸を披露するのに国土は選ばない(選べない)よ!
「工場=単純労働=海外に移す」という過程を「ブルーカラー蔑視」に見立てたそこの貴方、いけましぇん!
「知識産業化」した工場に従事する人をメタルカラーなんて言ったりしますが、これは結局「脱ブルーカラー」と同じで、なんだやっぱりお前もブルーカラー嫌なんじゃねえか、言葉は逆らっても心は素直じゃねえか・・・とアヘ顔ダブルピースまっしぐら!
(メタルカラーなんて定着しなかった言葉持ち出しちゃった僕もアヘ顔ダブルピースまっしぐら!)
ちょっとは反対しなさい!ぷんぷん。
虚構新聞は結構歴史があるサイトでして、ネットを長く続けられている方は「釣られた」ことも多々あるのではないでしょうか。
そんな虚構新聞が今になって何故こんなにも話題になっているのか、個人的に考えました。
はじめは記事のネタが今にも爆発しそうな危険物だったのが原因ではないかと考えていましたが(もちろんそれも原因の一端でしょう)
しかしこれはちょっと根本的に違うかな、と思うようになりました。
それではなにが原因で、ここまで虚構新聞が話題になっているかというと、これはネットの情報の信頼性が増したからだと考えます。
昔はネットの情報なんぞ裏付けの取れていない怪しいものであって、信頼できる情報は既存のメディアだけという状態でした。
しかしここ最近、一部の人により既存のメディアが所謂「マスゴミ」と呼ばれるようになり、それに伴って相対的にネットの情報の信頼性が増してきました。
そこでネットの情報を斟酌することなく鵜呑みにしてしまう人も爆発的に増えてきたのではないかと思うのです。
この事件を機に私が切に申し上げたいのは、ネットは正しい情報のみが集う場ではないということです。
つい最近もある会社で働くエンジニアの大学生がtwitterの発言を捏造され、炎上した事件がありました。
幸い彼は自分の無実を理論的に証明することができましたが、炎上の発端となった掲示板のスレッドなどでは事実を確認することなく彼を罵倒したり経歴写真を晒すなどと言ったいわゆる「叩き」というものが横行していました。
現代は何もしていなくてもいつのまにか炎上していたり、それに対する論理的な反論ができなければならないほど、ネットの情報(匿名の情報ですら)の信頼性が増してしまったのです。これはとても危険なことのように感じられます。
http://anond.hatelabo.jp/20120515155705
我々の社会がどれだけ嘘について耐性をもっているかテストしてくれるという、重要な側面がありますな、あのサイトには。たとえ運営者が意識していなくても。
タイトルに虚構新聞と入れるべき?日本じゃ大手マスメディアだって、社名や記者名を堂々と掲げながらミスリードはまかせろーバリバリ的な記事を、さも裏をとれているという顔をして垂れ流すところだって多いですな、どこぞのどの記事とは言わないが。そうは思えない?なら盲信してなさい(望ましくないがそう突き放すしかないように思える)。
大手マスメディアだって例えばその記事がどういうソースから構成されているかを厳しく読み込むべきであって、誰がどういう発言をしたとかいっても自社の録音音声すら出さない悪意が蔓延っている。だからオフレコでどうこうとか低次元な話が時々聞かれたりするんだ。状況が馬鹿そのもの。
日本の社会は定期的に虚構新聞で痛い目を見たほうがいい。虚構新聞に圧力を加えるより何万倍もマシ。ソースなどを十分に確認しないなら、今後も定期的に騙され続けろ。
決して少なくはない割合がいる。ただ、女性に幻想抱いている(女に性欲は無い的な)一部の人が思っているほど多くもない。もしかしたら最大多数かもしれないけど、圧倒的な差ではない。
人数的には1とどっちが多いかは、増田はこっちの方が多いと思ってるけど分からない。ただ圧倒的に違うことはないはず。
『自分は彼氏を愛しているからHしたいし、逆に彼氏は自分を愛しているからこそ自分を求めてくる』と思っているタイプ。(男から見たそのことの正しさはさておき)
逆に言うとセックスは手段であって目的ではない。あくまで目的は「双方の愛情を確かめ、感じること」
「Hするよりもハグして欲しい」のようなことを言い出すのは1のタイプか、もしくはこのタイプでも性欲が少ない女性。
3.自分が必要とされている、自分が”女”であることを実感するため。
多少極端な言い方をすると「女は男を欲情させてなんぼ」と思っているタイプ。
そこまでいかなくても、「Hしているときが一番、自分が必要とされてると思える」なんかはこのタイプか。
少ないようで実際は潜在的にこう思っている人は結構いる感じ。セックスレスだと満足できないタイプ。
そのまんま。エロメディアでは多く出てくるが、実際の割合はそれほどでもない。
増田の私見では1:2:3:4は35:35:20:10くらいだと思ってる。
もちろん、完全にこの4つで分けられるのではなく、『2の理由が8割、3が2割』みたいな部分もあるのだろう。
オウムの信徒制度には、在家のほかに出家がありました。オウムの出家とは、世俗的な関を一切絶ち、麻原に全生涯を捧げ、人類の救済―最終的には解脱させること―と自己の解脱に専念することでした。
出家者は教団施設内で共同生活をすることになります。家族とも絶縁の形になり、解脱するまでは、会うことも、連絡することも禁止でした。財産はすべて教団に布施し、私物として所有できるのは、許可されたもののみでした。飲食は禁止でした。本、新聞、テレビ、ラジオなど、教団外の一切の情報に接することも禁止でした。これらの戒は、苦界に転生する原因となる執着を切るためのものでした。
入信時、私は出家をまったく考えていませんでした。長男という立場上、親の老後を見たいと思っていたからであり、また私が出家すると家庭が崩壊しかねないとも思っていたからです。そもそも、入信前に読んだ麻原の著書によると、在家でも解脱可能だったので、そのような無理をしてまで出家する必要を感じませんでした。
自分が培ってきたものを崩すのは真に恐いことです。入信間もないころ、私はある在家信徒と話をしました。彼は出家の準備のために定職を捨て、アルバイトをして暮らしていました。その話を聞き、私は恐怖心を抱いたのです。実際、昭和六三年十月の私について、母は「就職の内定を喜び、安心している様子だった」旨法廷証言しており、その時点で出家の意志は皆無でした。
ところが、私は出家することになりました。私の入信後、勢力拡大のために、オウムが出家者の増員を図ったのです。私の入信前の一年半の間に約六十人が出家したのに対し、入信後の一年間には約二百人が出家しました。
「現代人は悪業を為しているために来世は苦界に転生する。世紀末に核戦争が起こる。(本文二十一頁)」
―麻原は人類の危機を叫びました。そして、その救済のためとして、信徒に布教活動をさせたり、さらに、出家の必要性を訴え、多くの信徒を出家させたりしました。
このように、一般社会は苦界への転生に至らせる世界として説かれていましたが、それを聞いているうちに、そのとおりの体験が私に起こりました。
私の公判において、友人が次の証言をしました。昭和六十三年晩秋か初冬に私が話した内容です。
町中を歩くとバイブレーションを感じること、電車内のいかがわしい広告を見ると頭が痛くなること、繁華街の近くにいると体調がおかしくなるという話がありました。
当時、私は街中を歩いたり、会話をするなどして非信徒の方と接したりすると、苦界に転生するカルマが移ってくるのを感じました。この感覚の後には、気味悪い暗い世界のヴィジョン(非常に鮮明な、記憶に残る夢)や自分が奇妙な生物になったヴィジョン―カンガルーのような頭部で、鼻の先に目がある―などを見ました。この経験は、カルマが移り、自身が苦界に転生する状態になったことを示すとされていました。さらに、体調も悪くなるので、麻原がエネルギーを込めた石を握りながら、カルマを浄化するための修行をしなければなりませんでした。
また、一般社会の情報は煩悩を増大させて、人々を苦界に転生させると説かれていました。そのために、情報によっては、接すると頭痛などの心身の変調が起きたのです。
他方、当時、日常的に麻原からの心地よいエネルギーが頭頂から入って心が清澄になり、自身のカルマが浄化されるのを感じました。
これらの経験によって、一般社会が人々のカルマを増大させて苦界に転生させるのに対して、麻原だけがカルマを浄化できることをリアルに感じました。そのために私は、麻原の説くとおりに一般社会で通用する価値観は苦界に至らせると思うようになり、解脱・悟りを目指すことにしか意味を見い出せなくなりました。
この状況に関連することとして、検察官の「広瀬から出家の原因、理由を聞いたことがあるか」との確認に対して、私の指導教授は「結局、神秘体験だと言っていた」と法廷証言しています。(当時、私は教授にも入信勧誘していたのです。)また、出家することが、苦界に転生する可能性の高い親を救うことになるとも思うようになりました。子供が出家すると、親の善業になるとされていたからです。出家にあたり一番の障害は親子の情ですが、それを除くために、オウムではそのように説かれていたのです。
こうして、私は出家願望を抱くようになりました。世紀末の人類の破滅というタイム・リミットをにらみながら、家族の説得に要する期間や就職が決まっていた事情なども考慮して、二、三年後の出家になると思っていました。
このような昭和六三年の年末、私は麻原から呼び出されました。麻原は救済が間に合わない、もう自分の都合を言っていられる場合ではないと、出家を強く迫りました。私は麻原に従い、大学院修了後に出家する約束をしました。そして、平成元年三月末に出家しました。
私の出家後、平成元年の四月から、麻原は「ヴァジラヤーナ」の教義に基づく救済を説きはじめました。現代人は悪業を積んでおり、苦界に転生するから、「ポア」して救済すると説いたのです。「ポア」とは、対象の命を絶つことで悪業を消滅させ、高い世界に転生させる意味です。この「ポア」は、前述(二十一頁)のように、麻原に「カルマを背負う―解脱者の情報を与え、悪業を引き受ける―」能力があることを前提としています。
その初めての説法において、麻原は仏典を引用して、「数百人の貿易商を殺して財宝を奪おうとしている悪党がいたが、釈迦牟尼の前生はどうしたのか」と出家者に問いました。私は指名されたので、「だまして捕える」と答えました。ところが、釈迦牟尼の前生は悪党を殺したのです。これは殺されるよりも、悪業を犯して苦界に転生するほうがより苦しむので、殺してそれを防いだという意味です。それまでは、虫を殺すことさえ固く禁じられていたので、私にはこの解答は思いつきませんでした。しかし、ここで麻原は、仏典を引用して「殺人」を肯定したのです。
ただし、このときは、直ちに「ポア」の実践を説いたわけではありませんでした。最後は「まあ、今日君たちに話したかったことは心が弱いほど成就は遅いよということだ」などと結んでいます。私も、実行に移すこととは到底思えませんでした。
ところが、麻原は説法の内容を次第にエスカレートさせていきました。その後の説法では、「末法の世(仏法が廃れ、人々が悪業を為して苦界に転生する時代)の救済を考えるならば、少なくとも一部の人間はヴァジラヤーナの道を歩かなければ、真理の流布はできないと思わないか」などと訴えています。それに対し、出家者一同は「はい!」と応じており、「ポア」に疑問を呈する者は皆無でした。(『ヴァジラヤーナコース教学システム教本』―教団発行の説法集より)
前述(二七~二八頁)のように、私にとっては、現代人が苦界に転生することと、麻原がそれを救済できることは、宗教的経験に基づく現実でした。ですから、私は「ヴァジラヤーナの救済」に疑問を抱くことなく、これを受容しました。なお、麻原は、私が述べたような宗教的経験を根拠として、この教えを説いていました。
さらに、私はいわゆる幽体離脱体験(肉体とは別の身体が肉体から離脱するように知覚する体験などもあったので、私たちの本質は肉体ではなく、肉体が滅んでも魂は輪廻を続けるとの教義を現実として感じていました。そのために、この世における生命よりも、よりよい転生を重視するオウムの価値観に同化していました。このことも「ヴァジラヤーナの救済」を受容した背景だと思います。
このような説法が展開されていたとき、私は解脱・悟りのための集中修行に入りました。第一日目は、立住の姿勢から体を床に投げ出しての礼拝を丸一日、食事も摂らずに不眠不休で繰り返しました。このときは、熱い気体のような麻原の「エネルギー」が頭頂から入るのを感じ、まったく疲れないで集中して修行できたので驚きました。
この集中修業において、最終的に、私は赤、白、青の三色の光をそれぞれ見て、ヨガの第一段階目の解脱・悟りを麻原から認められました。特に青い光はみごとで、自分が宇宙空間に投げ出され、一面に広がる星を見ているようでした。これらの光は、それに対する執着が生じたために、私たちが輪廻を始めたとされるものでした。その輪廻の原因を見極めることは、輪廻から脱した経験(=解脱)を意味しました。
解脱・悟りを認められた後は、以前は身体が固くてまったく組めなかった蓮華座(両足首をももの上に載せる座法)が組めるようになりました。教義によると、これはカルマが浄化された結果と考えられました。また、食事が味気なく、砂でも噛んでいるように感じ、食事に対する執着が消えたように思えました。さらに、小さなことにこだわらなくなり、精神的に楽になりました。
以上は麻原の「エネルギー」を受けた結果のように思われたので、彼が人のカルマを浄化して解脱・悟りに導くことの実体験になりました。
平成二年四月、麻原は古参幹部と理系の出家者計二十人に対して、極秘説法をしました。冒頭、「今つくっているもので、何をするか分かるか」と私に問いました。しばらく前から、何らかの菌の培養を指示されていたのです。目的は聞かされませんでしたが、指示の雰囲気から危険な菌らしいことは分かりました。私は、「ヴァジラヤーナの救済」とする旨を答えました。一年間説法されて、その実行が当然のことのようになっていたのです。
麻原は、「そうか、分かっていたのか」と言い、「ヴァジラヤーナの救済」の開始を宣言しました。
「衆院選の結果―平成二年二月の衆院選に、麻原ら教団関係者二十五人が出馬し、全員が落選―、現代人は通常の布教方法では救済できないことが分かったから、これからはヴァジラヤーナでいく」
そして、麻原が指示したのは、猛毒のボツリヌストキシンを大量生産し、気球に載せて世界中に散布することでした。私たちは、その場で各人の任務も指示され、直ちに作業に取りかかったのです。私はボツリヌス菌の大量培養―容量十立方メートルの水槽四基―の責任者でした。
作業は過酷でした。ヴァジラヤーナの救済になると麻原は血道を上げるので、指示を受ける私は寝る暇もないことがありました。私は約三か月間教団の敷地に缶詰めにされ、風呂にも二度しか入れませんでした。それも関連部品の購入のために業者を訪問するときなどに、指示されての入浴でした。そして、安全対策も杜撰で、非常に危険な状況での作業でした。結局、種菌さえできていなかったことが後で判明したのですが、できていたら私たちが真先に死んでいたと思います。
私たちは、一般社会では無差別大量殺人とみなされる行為を指示され、しかも厳しい作業が続きましたが、誰も疑問を口にすることなく、淡々と行動していました。外部の人が見たら、殺人の準備をしているとは思えなかったでしょう。
それは、私たちにとって、「ヴァジラヤーナの救済」が宗教的経験に基づく現実だったからです。(本文三十一頁)そして出家後も、次のように、そのリアリティは深まるばかりでした。
一般社会が苦界への転生に至らせることに関しては、出家後初めて外出したときに、以前に経験のないほど厳しくカルマが移ってくるのを感じて(本文二十七、二十八頁参照)、危機感を覚えました。出家者に対して外部との接触を厳しく制限するなど、教団が外部の悪影響を警戒していたことが暗示になったのだと思います。また、テレビ・コマーシャルを視聴したところ、その音楽のイメージが頭の中でぐるぐると繰り返されるようになり、集中力が削がれる経験がありました。それは、選挙運動中に、麻原の指示でオウムに関する報道を録画したときのことでした。私の変調に気づいた麻原が、「現世の情報が悪影響を与えている」と作業の中止を指示したので、一般社会の発する情報への警戒心が強まりました。
一方、麻原の救済能力に関しては、その「エネルギー」によって解脱・悟りに導かれたと感じる経験をしたために、さらに奥深さを知った思いでした。
ボツリヌストキシン散布計画が中止された後、私は集中修行に入りました。そして、自分の意識が肉体から離れ、上方のオレンジ色の光に向かう経験などをして、ヨガの第二段階目の解脱・悟りを麻原から認められました。また、認められたその場で、毒ガスホスゲンの生産プラントの製造計画(平成二年十月から三年八月、中止ーオウムでは、次の計画の指示が入り、前の計画が中止されることが多かった)に加わるよう指示されました。その後も、プラズマ兵器、レーザー兵器の開発(同四年十一月から五年十二月、中止)、ロシアにおける武器調査(同五年二月と五月)、炭疽菌の散布計画(同五年五月から六月、失敗)、オーストラリアにおけるウラン調査(同五年九月)、自動小銃AK七四千丁の製造(同六年二月から七年三月、一丁完成、逮捕のため中止)などを麻原から指示されました。
このように、オウムにおいては、「ヴァジラヤーナの救済」の実践は日常的なことでした。
そして、平成七年三月、私たちは地下鉄にサリンと散布する指示を村井秀夫から受けました。麻原の意志とのことでした。その指示は、当時の私には、苦界に転生する人々の救済としか思えませんでした。一般人が抱くであろう「殺人」というイメージがわかなかったのです。
地下鉄サリン事件に関するある共犯者の調書を読むと、私たちが事も無げに行動している様子が散見されます。そのような記述を読むと、残酷な事件を平然と起こしたことについて、自らのことですが戦慄さえ覚え、被害関係者の皆様に対しては心から申し訳なく思います。誠に愚かなことでしたが、オウムの宗教的経験に没入している状態でした。
[ただし、私は決して軽い気持ちで事件に関与したわけではありませんでした。救済とはいえ、「ポア」の行為そのものは、通常の殺人と同様に悪業になるとされていたからです。それまではカルマの浄化に努めてきたのですが、救済のためにカルマを増大させる行為をすることが「ヴァジラヤーナの救済」と意味付けられていたのです。そのカルマは、修行によって再び浄化する必要がありました。さもないと、「カルマの法則(本文二十一頁)によって、自身にも返ってくるとされていたからです。実際、地下鉄から下車した後、私は突然ろれつが回らなくなく、サリン中毒になったことに気付いたのですが、そのときは「カルマが返ってきた」と思いました。]
以上のように、オウムにおいては、非現実な教義が宗教的経験によって受容されました。そして、その教義が社会通念と相容れないものだったために、逸脱した行動がなされました。
他方、「禅」も宗教的経験を起こす技法を用いますが、「悟了同未悟―悟り終われば凡夫に立ち返る―」という教えがあります。これは「禅」の瞑想技法によって起こる日常生活への不適応(本文二十五頁)を防ぐ安全装置ではないでしょうか。何代にもわたって存続している宗教には、問題が起こるのを回避する知恵の蓄積があるのだと思います。
宗教的経験を起こす技法やその経験に基づく思想に係わる場合は、その弊害の予測が困難なので、このように経験的に安全性が保障されていることを確認する必要があるでしょう。
また、私は宗教的経験によって教義の検証が可能と思いオウムに関心を持ったのですが、それは大きな誤りでした。人間の感覚は決して常に真実を反映しているわけではありませんでした。神秘的体験の心理状態は次のようにいわれており、幻覚を真実と認識してしまうこともあるのです。
神秘的な状態は比量的な知性では量り知ることのできない真理の深みを洞察する状態である。それは照明であり、啓示であり、どこまでも明瞭に言い表されえないながらも、意義と重要さとに満ちている。そして普通、それ以後は、一種奇妙な権威の感じを伴うのである。(前出ジェイムズ)
幻覚的な宗教経験によっては、決して“客観的”な真実は検証できません。できるのは“主観的”に教義を追体験することだけです。それ以上のものではありません。
ですから、宗教的経験はあくまでも“個人的”な真実として内界にとどめ、決して外界に適用すべきではありません。オウムはそれを外界に適用して過ちを犯したのです。
【vol.4「恐怖心の喚起」】へ続く。
SNSに疲れる。
別に、よくわからないローカルルールに縛られているわけでもないし、絡んでいる人に特別嫌な人がいるわけでもない。
というか嫌な人がいたらさくっとブロック程度はする。
特に見ない日はしばらくほうっておくこともあるし、ふぁぼやいいねを気にする事もあまりない。
でもなんか疲れる。
理由を考えてみたのだけど、どうも画面の向こうに人がいるという感覚が嫌みたい。
匿名で話をして、ある程度の距離感で話をしているうちはすごく楽しい。
だけど、だんだん仲良くなって、ごく一部の人とはオフとかして、なんというか人間同士の付き合いになった途端、急に慣れ合いっぽくなったと感じる瞬間が出てくる。
始めた頃の距離感に戻そうと思っても、ある程度仲良くなっていることもあり最初どのような距離感で話をしていたのか思い出せなくなっている。
そして、結局コミュニケーションを取らなくなっていき、ある日馬鹿らしくなってやめてしまう。
多分、友達が欲しくないのだろう。
今もひとつSNSをやっているけど、結局慣れ合いだなーなどと感じ始めていて、そのうちやめてしまうんだろうなと思う。
まぁいいけど。
ここ最近の決算で改めて浮き彫りにされつつある「家電業界の不振」というものが、
家電量販店にはほとんどといっていいほどゲーム売り場が設置されています。
それは、家電量販店が「家電の撒き餌」としてゲームが有効だったからです。
ゲームを買う顧客は家電にとっても優良顧客である可能性が非常に高かったわけです。
なので、ゲーム専門の小売から見れば「どうやって利益を出しているんだ?」というような
値引き(実際にはポイント還元ですが)で客を集め、家電にも目を向けてもらう様にしていました。
利益の額でいえば、単価が高い家電のほう大きいためゲーム自体はさして売上を追い求める必要もないわけです。
大量に仕入れることで仕入れ単価は抑えることができますし。
その証拠に、ほとんどの家電量販店ではゲーム売り場に行くためには家電売り場を通らないと
ただ、その状況が2011年7月以降変わってきてしまいました。
地デジ移行とエコポイントの終了という、政府の需要の先食い施策が相次いで終了を迎えたためです。
家電自体の需要が激減し、家電量販店の決算はどこもひどい有様です。
そうすると、家電自体の売上が減っているわけですから、その撒き餌となっているゲームの仕入れも比例して
減らさなければなりません。
そして、今までは家電が売れるため多少ゲームの在庫を抱えても問題なしと判断されていたところが
最近の大型量販店で顕著なのが、今までいわゆる「ワゴン売り」というどう考えても赤字な値段で商品を捌く
販売方式が盛んになりつつある事と、ゲームの品切れが起こりやすくなっている事です。
今までは許容範囲内として抱えていた在庫であろう商品が廉価でレジ前に大量に積まれている光景が良く見られます。
また、ゲーム自体も今までは発売日に品切れを起こすのは一部の人気タイトルぐらいのものだったのが、
そうでないものも発売日に品切れを起こしている状況が少しずつ見られるようになって来ました。
ものによってはそもそも予約分しか入荷していないという状況も散見されます。
ゲームの専門店ではだいぶ前から起こっていたことですが、とうとう家電量販店にまでそれが波及したことは
本来こういう場合にリスクヘッジの対象としてゲーム専門店がある筈でした。
しかし、今となってはゲーム専門店に家電量販店の肩代わりを期待するのは無理です。
なぜなら、既に家電量販店が撒き餌としてゲームを安価でバラ撒いていた影響でゲーム専門店が閉店または
他業種(主にカードゲーム販売)との兼業になっている場合が殆どであり、ゲームの仕入れに関しては
家電量販店よりも渋い状況に陥っているためです。
家電量販店のボリュームメリットによる仕入れ単価の低減とポイントサービスによる顧客の囲い込みによって
ゲーム専門店は対抗措置として新品販売の利益を限界まで削らねばならず、その結果利幅が新品販売より大きい
中古販売に頼らざるを得ないという状況になりました。
初期の新品の需要が一段落すると中古で戻ってくる商品を中心に扱って利益を出していくスタイルがゲーム専門店に定着し
新品の需要は家電量販店のそれとは比較にならない規模でしょう。
とてつもなく大規模な家電需要が突発的に発生しない限り、今後数年この状況は続くでしょう。
それによりゲーム業界が受ける影響がどのようなものなのかは未知数です。
ただ、1つだけ確かなことは、今まで以上にゲームの販売が「ブランド物」に偏り、全く新しい新作ゲームは売れにくくなっていくだろうということです。
作り手も、売り手も、客も、苦しい時に当てにするのは「過去の実績」だからです。
客は「自分に合わないゲーム」を掴んで金をムダにすることを恐れて「ブランド物」のみに手を出すようになり、
売り手は売れ行きが未知数のゲームを不良在庫として抱えるリスクを恐れて完全新作の入荷を減らし、そのぶん「ブランド物」の入荷数を増やすでしょう。
作り手においても、経営層の判断として完全新作に大金をつぎ込むリスクは避けて、安定した売上が見込める「ブランド」に金をつぎ込むでしょう。
しかし、そうやって過去のブランドに縋りっぱなしだとそのブランドはどんどん疲弊していきます。
客は同じブランドに頻繁に触れることにより新鮮味を失いますし、売り手や作り手にとっては
完全新作が作られにくくなるということは、新たな売れ筋ブランドが発生する可能性自体が減っているわけです。
たとえ景気が良くなったとしても、この状況は簡単には打破できないでしょう。
冷え込んだ需要を回復させるのには、冷え込むのに要した時間の何倍も必要となるからです。
一旦締まった財布の紐はそう簡単に解けません。
34:では・・少し考えよう・・「国債を市中銀行が買ってマネーサプライ=お金の総量が増えると思いますか?」実際増えません・・市中銀行は貸す事でしかお金を創る事が出来ないからです・・・
お金の総量が増えはしないが、国債で借り受けた資金は、政府の政策(判断・選択)によって市中の企業などへ流れるだろ。政府や立法機関がダメダメなら当然害だけど。金が余って使わないやつが国債を買うんだから、キャッシュフローは良くなるって、素人の私は考えるけど。マネーサプライってのが多かろうが少なかろうが、実質一部の人間がせしめて使えない(流れない)なら「絵に描いた餅」ってやつじゃないの?
俺は福島の事故は健康面では福島市とかでも事実上無害で、除染なしに避難範囲をもっとずっと狭めて、食べ物の基準も緩和すべきと思ってる安全厨だけど、「普通に電気が使えるなら原発全廃」というスタンスは、原発推進過激派だと思う。
震度7の地震というけれど、福島は震度7ではなくよくある規模だったので、想定外なのは地盤調査では比較的地震が起きにくいとされてきた(原発の立地はそうなってる)とこで起きたことくらい。
そして、地震がどこでおきるかみたいなのは、地震学では研究されているけど、地震学というのは原子力工学と違い、まだほんとうの意味で実用的といえるほど、証拠をつんでいない気がする、これは気のせいかも。
「代替エネルギーがあり普通に電気が使える」なら地球上の誰もが原発全廃に賛成するよ。だってあれは半永久的に危険性が残る放射性廃棄物があるから。
そもそも、原発がこの程度の事故を起こす可能性が一応はあるなんて、気のきいた人間なら誰でも知ってた。原発神話は土地神話と同じ、そもそもバカしか信じてない。いまだとひょっとすると年金神話か。
原油は、このままでいけば50年で枯渇するとされている。これは現在の技術で取れる範囲の話で、どんどん広がっているが、新興国も急速に発展するし、せいぜい数百年しか持たない。地球は十億年単位、人類は数千年単位の歴史を持つ。
その上政治的や投機的に価格が変わるリスクも高い。化石燃料はメタンハイドレートを含めて本質的に同じ。
水力・風力・地熱は、あまりに非力だ。これらは立地がかなり限られていて、ものすごく大ざっぱに言えば国土面積に発電量が比例すると言えるかもしれない。人口密度も電力使用量も大きい日本には、よそのようにこれでまかなうなんて無理。
太陽光は、採算性が悪すぎて、ほとんど補助金でやってるようなもの。昔は「最初は補助金で技術開発を促進して、強大な企業が育てば国益にかなう」と各国が夢みて莫大な補助金を出したが、しばらく結果がでず下火になった。
バイオマスは、太陽光と同じ道をたどるのではないかと言われている。
あと何があったっけ、波力は実用化もむずいし非力なので問題山積。宇宙太陽光はどの方法にせよ原発よりずっと危ない。
いま遠くのしまで原発たくさん作ってその電気で燃料を生成するとか思いついたけど、現状では効率が一桁以上足りないはず。
もちろんこういうときはたいてい奇跡がおきてくれるものだ。だからといって、科学者がどうにかしてくれる!!!という人は、原発も絶対安全にしてくれると思ったほうがいい。
原発はそれくらい昔から研究されてて、結果が積み重なってて、自然エネルギーとは蓄積が全く違う、
それでも事故ったんだから、自然エネルギーにも過剰な期待はバカらしい。
個人的には、手始めに3兆円くらいの自然エネルギーの研究開発基金を作ればいいと思ってる。いきなり研究費増やしても、研究者を一気に増やしたりできないし、無駄になってしまう。
そこで必要なだけ長期的に配分し続けられるように、基金にしてほんのすこしずつ使い、いざとなったら一気に使えるようにもする。多少の無駄遣いは出るけど気にするな。
ちなみに、科研費はあらゆる分野の総額で一年に数千億円くらいだったはず。これに比べると3兆円は膨大なので、優秀な子供はみなポストと夢と金を求めて自然エネルギーにくるであろう。
一方で、今回の原発事故の被害額が25兆くらいというのは、よくニュースでやってるだろう。額は違うかもしれないけど。
ちなみに俺はこうなってもいまの仕事上の得はないよ、万が一実現したら転職して利権食べたい気はするけど。
話を戻そう。
原発のリスクは、事故だけでなくテロや軍事攻撃にも注意しなきゃいけない。減速材でも投げられたらどうするの?非現実的だというなら自衛隊はいらない。
それに、原発の被害で重大なのは、ブランドの毀損と心的外傷後ストレス障害。心理的な効果をなめてはいけない、科学者やSTSの連中やマスコミ関係者がそれなりに努力しても、防ぎきるなんて絶対不可能。
あと核兵器は、全廃主義の人多いけど、一部の人にとっては、電力より大切だから、利便性と危険性を比べると必要なんだよきっと。
それから今回の原発事故は、あきらかに想定内。そんなこというと怒られるからとぼけてるだけ。俺ですらすぐ危険性には気がついた。
一方でダム決壊とか火力発電暴走とかは、起きる可能性は原発事故より低いし、おきても被害少ない。発電量あたりでみても多分そうだと思う。
というわけで、国民がてきとーに印象で決めて、自然エネルギーがうまくいけばラッキー、無理なら超節電で我慢しよう。これは案外合理的。
根拠は全部省いて、(推測もわりと含む)事実だけ書いたけど、具体的にツッコミがあればみなさんどうぞ。単に安全厨乙とか中身のないのはスルーします。