はてなキーワード: ボーカロイドとは
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクのLAコンサート「Mikunopolis」関連の感想和訳その3。今回は初音ミクを文字通りの神話(ブードゥー教とか日本神話とか)と結びつけていた文章を紹介する。とはいっても生真面目なものではなくどちらかというとノリと勢いで書かれており、読むのも訳すのもそんなに苦労はない。肩の力を抜いて軽~く読むのにちょうどいい感じ。
http://animediet.net/conventions/vocaletariat-at-mikunopolis-unite
ボカレタリア(ボカロ階級)革命だ。ボカレタリアート(ボカロ階級者)とはボーカロイドを使う人民階級である。アニメタリアート(アニメ階級者)のようなものであり、そして多くのボカレタリアンたちとアニメタリアンたちは間違いなく重なっている。ボーカロイディアン(ボカロ人)、ボーカロイディスト(ボカロ主義者)、ボーカロイディズム(ボカロ主義)。そう、ミクノポリスは確かに革命的体験であった。ミクノクラシー(ミク政治制)、ミクノクラティ(ミク官僚)、ミクノロジー(ミク学)、ミクノレプシー(ミク症)、ミクノマンシー(ミク術)!
さて、俺がミクノポリスで期待していたのは、実は完璧なホログラムだった。つまり三次元立体画像を考えていたんだ。けど彼女はスクリーンから決して出てこようとはしなかった。ステージから降り、聴衆の中に飛び込んで踊りまくることはできなかった。だから俺の期待とは違っていた。だから技術的にいえばそいつはまだマクロス・プラスのシャロンには及ばなかった。シャロンはステージを降り、お前らと交流することができる。スキンシップできない点だけだよ、同じなのは……。
初音ミクのようなボーカロイドは、新たなる神だ。伝統的にアイドルってのは三次元の人間、つまり役者/歌手が偶像(アイドル)の役を演じていた。偶像が彼女に憑依した時、彼女はアイドルになる。それが演技という概念だ。日本語で演技はhaiyuu(俳優)と言い、その本来の意味は「神に憑依される」というもの[俳優の語源については違う説明もある]。そんでもって多分、日本で最初のアイドルはウズメちゃんだな。彼女は最初のエンターテイナー兼、踊り子兼、お笑い芸人兼、役者兼、演奏家兼、歌手だった。そう、彼女こそ最初のGeigi[芸妓]、Geisha[芸者]だったんだよ。なんだってー。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ame-no-Uzume-no-Mikoto
最古の文学はどんな文明でも常に神話だった。つまり、最初の文学に出てくる登場人物は神々であり、そして役者は神々を演じた。だから演技は神の技、つまりオリシャ[ブードゥーの神々で、神ごとに踊りやリズムがある]と見なされたんだ、当然。それこそかつて俺らがmarebito[客人]を迎えたやり方だ。だけどボーカロイドの降臨以来、俺らはもはや四つ辻でエシュ=エレグバ[ブードゥーの神]を演じる人間を必要としなくなっちまった。コンピューターが女優を生み出し、本物の女優に取って代わったS1m0ne[映画]のように。そしてコンピューターに生み出されたアイドル歌手のミクが、本物のアイドルに取って代わった訳だ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Orisha
http://en.wikipedia.org/wiki/Marebito
http://en.wikipedia.org/wiki/Eshu
http://www.youtube.com/watch?v=Yd60nI4sa9A
http://www.imdb.com/title/tt0258153/
ボーカロイドは演じる際に三次元の人間を必要としない。そう、miko[巫女](女性のシャーマン)は不要なんだ。日本で最も古い音楽劇はkagura[神楽](神の音楽)という。まとめて「Sarume」[猿女]と呼ばれていたウズメの末裔たちが神楽を演じた。そしてまさに、ミクノポリスこそが最新の神楽なんだ。つまりミクはウズメの直系子孫ってわけ。そしてミクはもちろんneo-marebito[新たなる客人]ってことになる。
アイドルってのは架空のキャラだ。なにしろそれはリアルじゃないんだから。なのに本物の人間がアイドルを演じるってことは、つまりアナログのアイドルとは偽物の人間、言い換えれば架空の人間ってことを意味する。かつてアナログ時代において、俺らは神の声を聞く巫女を必要とした。でももう巫女はいらない。なにしろ俺らは直接、神の声を聞けるんだから。それこそがデジタルアイドル! ボーカロイドのアイドルは偽物じゃない。架空じゃない。正真正銘、まさにそのままなのだ! 存在す、故に存在すってか。
そして今や俺らみたいな連中は好きなように音楽を作ることができる。俺らの歌を歌わせるために優秀な歌手を雇う必要はないし、音楽制作のためのスタジオもいらねえ。完全に大衆指向だ。誰でもボーカロイドを使って作曲ができる。
もしスティービー・ワンダーが音楽フレーズを創り出すためにボーカロイドを使ったらどうなるんだろうな。彼は様々な楽器からその潜在能力を引き出す方法を知っている人物の一人だ。モーグのようなとても原始的で陳腐なシンセサイザーですら、スティービー・ワンダーが使えば空前の偉大な楽器のように音を響かせるだろうさ。
http://www.youtube.com/watch?v=9CWqY94kwH4
これはプロレタリア革命というよりむしろボカレタリア革命なんだろうか? そう、確かに鏡音リンはプロレタリア革命を唱道している。だがな、労働に従事する人民は実は今なお奴隷状態にあるんだ。なぜなら、労働をするのは奴隷だけだから。労働はお前らを自由にせず、むしろ奴隷にする。アルバイト・マハト・フライ。労働は俺らを労働から解放しない。プロレタリア革命は俺ら全員を貴族ではなく、むしろ被搾取階級に仕立て上げる。
一方、ボカレタリア革命は俺らをまさに特権階級にする。かつてアイドルを雇うなんて贅沢ができたのは、成功したプロの作曲家だけだった。だが今や誰もがアイドルに自分の歌を歌わせられる。アクセスは力なり。インターネットは誰もが情報にアクセスすることを可能にし、そしてボーカロイドは誰もがアイドルにアクセスできるようにしたんだ。
ミクノポリスはフリッツ・ラングの映画メトロポリスの正統なる後継者だ。あるいは手塚治虫の方のメトロポリスかもしれない。アイドルとはつまり作曲家と聴衆の間をつなぐ仲介者/メッセンジャー。でも今じゃ仲介者に本物の人間は必要ない。かくしてフリッツ・ラングの予言は成就せり。それこそがミクノポリスであーる!
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
http://anond.hatelabo.jp/20110710234300
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
http://anond.hatelabo.jp/20110712205546
初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
http://anond.hatelabo.jp/20110714210122
初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
http://anond.hatelabo.jp/20110717201147
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
http://anond.hatelabo.jp/20110719031316
初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
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前回は初音ミクのLAコンサート、Mikunopolisに関する外国人の感想「Promise Of Rebirth」を翻訳してみたんだが、読み返してみると随分と難解で堅苦しい。逐語訳だとどうにも冴えないようだ。こりゃいっそ正確さは犠牲にして、分かり易さを最優先にもっとフリーダムに翻訳してみてもいいかもしれん。参考文献は水戸黄門の主題歌、つまり七五調で。
+++++以下翻訳+++++
するのは遥か 未来だと 思ったことも ありました
ミンメイだけが きっとこの 場面飾るに ふさわしい
そんな土曜の 夜の夢 思い返して 考えた
分かっているね お客さん DVDを チェック済み
青緑した 髪の毛が 繰り出す歌に 大興奮
ディラッド板に 弱点も あるけどそれも ご愛嬌
振り返る過去 幼い日 親に連れられ 見に行った
音に合わせた 光の線 まばゆく輝き 描き出す
それは発展 そしてまた 深い分裂 もたらした
好きなヤツらは 言われたよ 「お前ら音楽 分かってない」
人工的な 音なんぞ 芸術の名に 値せず
確かにそういう 面もある でも無視しては いけないよ
そして続いた 分裂は 未来に影響 及ぼした
音とつながり 融合し 未来の夢を 見せていた
それを知るため アイドルを きっちり考え 煮詰めよう
ショーは続くよ 華やかに 魅せる衣装の 早変り
再生求め 長き時 待ち望んでた この世代
ついに始まる 約束の 憧れ実る 新たな夜
イヴよシャロンよ レイ・トーエイ 君らの歌が もうそこに……
+++++翻訳終了+++++
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初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
初音ミクのLAコンサートに関して、Promise Of Rebirthと題したそこそこ長い感想を外国人が書き込んでいた。正直、随分と難解な表現が多く、翻訳も怪しげになってしまった。書き手のHN(wintermuted)を見るに、本来なら黒丸尚風に訳すべきなんだろうが、とても私には無理。とりあえず訳してみたのを置いておく。無断翻訳なので匿名で。誤訳はあると思う。
なお原文のurlは以下の通り。
http://animediet.net/commentary/mikunopolis-at-ax-2011-promise-of-rebirth
+++++以下無断翻訳+++++
メガゾーン23に出てきた謎めいたヴァーチャルアイドルの原型たる時祭イヴがSFにおける一種の狂信的比喩として想像をかき立てる場面に現れてから四半世紀強ののち、昨夜のアニメ・エキスポにおける比類なきイベントMikunopolisがちょっとした進化的な跳躍を成し遂げた。西洋におけるこの概念の最も著名な派生例がアル・パチーノの穏健な映画[シモーヌ]、及びウィリアム・ギブスンのほとんど遺伝的に接続された精神[小説『あいどる』]を通じた形をしていることを踏まえるなら、数千人のファン(及び間違いなく好奇心旺盛な連中)がオタク世界のデジタル彼女アンドその友人たちと伴にロサンゼルスのノキア・シアターをほとんど埋め尽くすなんてのは、まだまだ先のことだと考えらていたに違いない。不可解にも外部に広がった走査線から、ケミカルライトやネギその他に鮮やかに彩られた通路に至るまで、それはリン・ミンメイだけを認める歓迎の場であった。今なお振り払っている最中である土曜夜のイベント後の残響は、かなり深い思考を私にもたらした。
いつもカリスマチックなダニー・チューによる紹介と、それに伴うダンスロイドの形をしたリズム点火係は、その先に待っているものの興味深い味見役を果たした。この前座は、おそらく秋葉系(Akiba-kei)の空気に慣れていない聴衆にとって、何が次に来るかを示す重要なリトマス試験紙だ。このショーを準備する時間がほとんどなかったことが見て取れる点が、これが日本直輸入の製品であり、一見客に対するちょっとした警告にもなっていた。私自身が見いだした特に重要な点についてはすぐに述べる。
既に日本で有名になっていたコンサートの形式をカンニング済みだった客の大半は、青緑色の髪が次々と繰り出す人気のある曲と、目がくらむようなライブ伴奏(39s Giving DayのDVDで演じたオリジナル奏者の大半、及びこの有名なディスクには含まれていない弦楽器奏者の面々)の混合物を味わった。その間ずっと聴衆は大いなる称賛のためリズミカルにケミカルライトを振り、その動きが最後まで全公演を通じて見られたのは心強かった(こうした行為、及びその概念に対する彼らの長く続いた反応は、米国の聴衆にとっては奇妙に思われるものであることを、私はこの場で認めなければならない)。ボックス席に座り、ステージから1階席、クレーンカメラ、そして複数のカメラで撮ったHDスクリーンのハイライト映像まで含んだ全景を見る。多くのミクのファンかつアーティストが作った聴衆が親しんでいるヒット曲、World is Mineやポッピッポー、サウンド[ママ]、ロミオとシンデレラ、その他多く(どこかでミラクルペイントを彼女に演じて欲しかった)は、オープンソースな現象がほんの3年でどれほど広がったかを示している。そして特に歓迎された巡音ルカ、鏡音リン&レンの登場は、観客の熱狂をさらに高めた。センターステージに置かれたほとんど透過性のスクリーンに跳ね返るホログラフィックな投影機は、時にミクが踊りながら少し両端に近づくたびにその限界を示したが、同時にこの海外遠征の短い命に対する理解を伴ってある種の魅力ももたらしていた。
こうした話を正しい文脈の中に置くため、ちょっとした歴史を思い出そう――小さな子供だった私は、おそらくは地元の祭に毎年来ていたレーザーライトを使ったショーを見に行ったおかげでそれを一つの起源として啓示を受け、1980年代初頭に芽吹いてきた新たなテクノロジーに興味を抱いた。そのショーとは、要するに空気で膨らませたドームの中で音楽に合わせて行われたレーザーペインティングで、客は入場料を払い、床に置かれたたくさんのクッションの一つに腰を据えて15分から20分間、まばゆい光の列と、ミッシング・パーソンズやトーマス・ドルビーなどのアーティストの曲に合わせたアニメーションを楽しんだ。今となっては原始的なものに思える――ミュージックPVはいうまでもなく、コンピューターが生み出すアートとアニメーションにつながる想像まで至るには長い道のりがあった。また、こうした地味な傾向が存在しなければ、84年のマクロス映画における楽しいコンサートシーンもある種心を揺さぶるほどのパンチ力は持たなかったと敢えて言うこともできる。私が思うにそれは時代の刻印であるが、同時にライブエンターテインメントがどのように変化していくか数十年にわたる発展を知らせるものでもあり、おそらくは音楽芸術の愛好者がいずれはあるところで分裂に至ることまでも示唆していた。
なぜならこの時代に育った者にとって、アナログからデジタルへ向かう音楽の傾向が何か恐るべきものとみなされ、音楽業界で排斥されたことが一般的な心象として残されているからだ。子供の頃にクラフトワーク、デペッシュ・モード、ジョルジオ・モロダー、YMOやソフト・セルなどのファンだった者にとっては、誰かがシンセサイザーの人工性を嘲り、音楽の自然さを殺すと聞かされるのは珍しくもないことだった。そしてこの議論の中に何粒かの真実が含まれているとしても、それは一方で、当時は多数のコンピューターと故障の懸念とショーを乗り切るためだけに間違いのない注意深さを必要としたこれらのかさばったキーボードから音を創り出す人間の努力と創意工夫を、台無しにしていた。最終的にこの否定的な議論は多くの未来の音楽及び演奏形式に付きまとい、興味深い結末をもたらした。それはまたミクのライブ伴奏をこれほど楽しく必要な要素にもした(ギターの黒田晃年、ベースの田中晋吾、ドラムの折田新、キーボードの安部潤――言及すべき弦楽器部門を除く。いずれもとても素晴らしい)。スタジオミュージシャンは、あらかじめ簡単に録音することもできる演奏に大いに心をこめることになる。新たな道具を愛するアマチュア音楽家と、伝統的なものとの融合実験によって、このショーはさまざまな要素を混ぜたある種の喜んで受け入れられるシチューとなり、ときにいくつか二級品の歌があったにもかかわらず、既存の姿ではなく可能性を約束するものとして機能していた。――以上がショー全体で私が本質的に感じたことだ。
誰も見失わなかったよう望むのなら、この最終目標へと向かうDNAを手に入れることが私にとってベストなのだろう。なぜLAのショーはこれほど意義深いのか、そしてVOCALOID、ミク及びこのようなショーが持つ主要な意味あいとは何か。
さてこれは真に落とし穴的な回答である。なぜならアイドル歌手という概念及びヴァーチャルアイドルに伴う必然的結末まで考えを煮詰めるからだ。我らが今いるのは現実に近づいたキャラクターアニメーションの時代というだけにとどまらず、オープンソース化した大衆文化の可能性がある時代でもあり、我々はオタクの領域を超えて全く新しい何物かになるまで成長しうるアイデアをおそらく目撃している。YAMAHAが今年のNAMMショー[米国で開かれる楽器展示会]で多用途VOCALOIDを紹介したのを見ても、現状はメディアを通じた古い分配モデルが不可避の断末魔を上げるところに達したと敢えて見なせるように思える。スペイン製のソフトから取りだした一つのアイデアを、音楽作成のための輝かしい新たなモデルへと広げ、そして数が多すぎ、時に厄介な日本のアイドル歌手業界を考えた場合に多数の集団に働きかける天才の発案に過ぎないマーケティングにまで、拡大する。終わりなき競争、怪しげな才能、さらに怪しげなマネジメント、生死にかかわる健康上の危険、類似性、そして夢想を維持してほしいというファンからの圧力に満ちた困難な人生――そう、こうしたマーケティング方式とファンに駆り立てられた神話が混じり合って音楽のスーパースターたちにかくあるべしとする任務を押しつけるのは、それこそVOCALOIDにとって理想的シナリオだ――しばしば置き換え可能で、派生的、はかなく、言うまでもなく消耗品であるミューズたちが、変化もましてアイデアも嫌う文化産業のために存在している。
考えてもみてほしい。マイルズ・ダイソンの言葉を言いかえるなら、これこそ決して疲れることなく、興奮状態にもならず、二日酔いで仕事に出てくることもないアイドルだ。彼女はショーを続けなければならないことを知っており、一瞬のうちにコスチュームを変えられる。何よりファンが歌を作り、バンドが彼女の横で演奏しているという2つの理由で、その歌は偉大である。過剰な荷物と期待を持つことなく、アイドルが実行すべきだと期待されるあらゆることをする能力を自ら持つミクの存在そのものが、ある種の輝かしいアンチテーゼなのだ。彼女は文字通り、何でも人々の望み通りになれる。汗一つかくことなく。
そしてこれほど目立つ歓迎を伴う西洋への紹介は、日本人にとってだけではなく夢を共有できる分野を長く求めていた世代にとっても何か極めて特別なことの始まりであり、過保護にされることなくさらなる発展が期待できる約束されたスタートだ。そしてこの夜の感動的な聴衆たちから判断する限り、長きにわたる憧れはついにその実を結んだようだ。
イヴ、シャロン、レイ……君たちの歌がますます現実に近づいてきた……
+++++無断翻訳終了+++++
言うまでもないがシャロンはマクロスプラスのシャロン・アップル、レイはギブスンの小説に出てくるヴァーチャルアイドル、投影麗(Rei Toei)である。
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
VOCALOID2へのバージョンアップに伴い、キャラクター性を押し出したのがクリプトンの初音ミク以降のシリーズって感じだわな。
まぁ、フォルマントシンギング音源全般での話で行くなら、XG音源のプラグインボードとかあったし、それ持ってるわ。
ただ、以前の音源系はバックコーラス用途でも音楽素材切り貼りしたほうがマシなことが多かったし、VOCALOID2シリーズも出た当初はボーカルとして使えるようなレベルではなかった。
ユーザー数が増えて、テクニカルな使い方が深化してきたからこそ商業ベースに食い込んでくる作品が出来てきたんだし。
ボカロは、ソフト名を姓名を持ったネーミングにしたりパッケージのキャラを前面に押し出したりして「歌声を操作できるキャラクター」として売ることでヒットしたものの
それは、クリプトンやインターネット、AHS等の戦略であってそれを「ボカロ」と定義するならそうだろうな。
個人的には、「ボカロ」で金が集まったおかげで、VOCALOID3の開発が早まったとするなら、大いに有難い所。
VOCALOID3はインターフェースがDAWっぽくなってきたから、そもそもFL Studio使っててVOCALIODプラグインで使えない身としては大助かりだ。
いや、海外メーカーはキャラクター性で売ってないし、ビープラッツもそうだろ。
商業ベースに乗せるために、ニコ動界隈の知名度を利用できるだけでも相当良い事じゃないかと思うよ。
何もなしに商業ベースに乗せるなんて、人間が歌っていても無理なことが多いんだから。
さらに言えば、各種のボーカロイド操作のテクニックを編み出してきたのはニコ動界隈だから、今後しばらくはニコ動界隈が牽引して行くんじゃないかね?
これは、不利な点ではないし、むしろテクニックの深化という意味ではニコ動みたいな「コメント可能な動画メディア」と「スキルが必要な何某」のシナジーは凄いと思う。
最新技術の粋を尽くして、それなりに聞こえる歌手ならいっぱいいるんじゃないかな。
一体どういうジャンルを何曲くらい聴いてそこまで自信満々に言いきれるの?
最新技術の粋を尽くして、それなりに聞こえる歌手ならいっぱいいるんじゃないかな。
実際ライブにいって、それが生音声だと判って、すげぇって思う人は(世界的な一級品を除いて)思いつかんな。
ライブが盛り上がるって意味で、生声すげぇって人は、ロック歌手とかにいるけれどさ。
変な話、プロの音源ってのは、人材と技術と金を潤沢に使って音を調整できる音源なわけで、そりゃよく聞こえるよ。
逆に言えば、音源がボカロでもマジもんのプロが手を当てればちゃんと聞こえると思うんだぜ。
(そしたら、これはボカロじゃないとか言い出すだろうが)
というか、そういう比較は両方それなりに聴きこんでる人が言わないと説得力無いのよ。
その本物の歌手とやらが歌っている声なんて、録音で構わないならいくらでも聞く機会があるわけで
テレビでもラジオでもあるいは家にそういうものがなくてもコンビニですらかかってるのだし
私は君の言っている「本物」というのが実際に存在するという意味ではなく「実質を備えた本格的な」という意味と誤解したんだよね
いくらでも聞く機会のある「実際に存在する歌手」と比較してないなんて事はありえないから
で、君の言う「実際に存在する歌手」と「ボーカロイド」を比べると、確実に「良い」などと言えるはずがない
「実際に存在する歌手」は上手い奴から下手な奴までそれこそピンキリだし、
歌手の定義を歌うことを生業としている者としても、良く出来た「ボーカロイド」曲より下手な歌手はいっぱいいる
「良い」の意味もまた別で「ボーカロイド」の良さっていうのは「身近」であることだったり、
あるいはニコニコ動画のシステムまで含めての「同化」であったり歌詞の「同調」だったりするわけで
今までの「実際に存在する歌手」が評価されてるのは基本的には「歌唱力」で、
テレビなんかを通してなら「顔やスタイル」、せいぜい「パフォーマンス」までだった
比較している要素がまったく違うんだよね
ここでは、本物の歌手の声と比較しない限り、君自身も「人間だからって「ボーカロイドの声はなぁ…」っとか言って良さを「分かろうとしない」」ということになる。つまりどっちもどっち。
もちろん、実際に本物の歌手とボーカロイドのどっちが「良い」かは別問題。当然ながら、現状では任意の方法で「良さ」を定量化しようとしたら確実に本物の歌手の方が「良い」という結果になるだろうね。
残るのは感情論的に「どっちが好きか」あるいは「どっちに興味があるか」だけ。もしそういう基準で君が判断してるんだとすると、仮に周りの人が君の言うように感情で判断してたとしても、それを非難する資格は君にはないよね。
立場が逆なだけで同じことをしてるんだから。
あ、あとどうでもいいけど「お前は何を言ってるんだ」ってのは一般に煽り文句だから、言われた方は普通「ああこいつはまともに会話する気が無いか馬鹿なんだな」と判断するよ。
普通の会話をしたいなら使わない方がよい。
「え?ボーカロイド?また何か変なヤツちゃうん。何か見たら頭おかしくなって興奮したりする…」
「声高すぎ」「何語?」「そんなんばっかり見る暇があったら勉強し。」
実際言われたけど、
お母さんもお父さんも勝手な「ボカロはオタク」っていうイメージで決めつけてる。
声が高すぎるとか、ふざけたフリをして┃┃¨╋┓にしてくる╬
やっぱ「良さが分からない」よりも「全然知らないクセに文句言う」っていうのがムカツク。
まぁ、文句言う人達はボカロも何にも分からない時代遅れですね。相手してる暇ありません。
でも、やっぱ「悪口」でボカロのイメージをますます壊すような事は、絶対にしてほしくないです。
機械だからって「本物の声はなぁ…」っとか言って良さを「分かろうとしない」
みたいな╬機械だから何?それは確かに本物の声にも良さがあるよ。
でもそうだったら「ボカロは偽物」なの?違うでしょ╬クリプトンは本物の声の良さも消えない様に、両方を保ってるし。
なぜ私がボカロ好きだから話してるのに、それを分かってるクセに悪口言うかなぁ…
嫌いだったら嫌いで、ボカロ嫌いな人同士はなせばいいのに。
いちいちボカロ好きがその人の悪口を「うん、うん(`・д・´ )」って聞いてくれる?
そこが低脳なんですよ。
http://www.youtube.com/watch?v=8va7IvZ8Pc8&feature=player_embedded
武装神姫 BATTLE MASTERS Mk.2のオープニングアニメーションが公開されました。
PSPの武装神姫ゲーの第二弾と言うか、前作も丸々収録したアップデートバージョンです。
http://www.konamistyle.jp/item/71061
購入はコチラ
以下の行で武装神姫という萌えメディアミックス展開のすごい所を列挙してみる。
浅井真紀・島田フミカネ・BLADE・カサハラテツロー・篠房六郎・GOLI・okama・柳瀬敬之・間垣亮太・清水栄一、下口智裕・鬼頭栄作・CHOCO・たにめそ・マーシーラビット・DOGMASK・羽音たらく・いづなよしつね ・かこいかずひこ・NiΘ ・nuno・NAOKI・黒星紅白・明貴美加
全員が全員有名デザイナーというワケではないが、個性豊かかつ、そのネームバリューだけで玩具を買いたいと思わせてくれる素晴らしいラインナップだと思う。
そして、美少女モノと一口に言っても現在までに公式販売でビックバイパー型含めて57体。それぞれ再生産バージョンやリペイントカラー等でほぼ2倍の商品数がある。
さらに携帯電話用漫画のForget-me-not限定の個体を含めるとさらに5体ほど増え、非公式のワンダーフェスティバル販売の浅井さんの神姫のブルーライン、ハイドファイア等も含めるともっと多い。
オンラインゲームの武装神姫バトルロンド、武装神姫ジオラマスタジオで使える神姫達はここから確認可能だ。
http://www.shinki-net.konami.jp/shop/model12.html
阿澄佳奈・茅原実里・福井裕佳梨・喜多村英梨・橋本まい・笹川亜矢奈・沢城みゆき・門脇舞以・釘宮理恵・小林沙苗・名塚佳織・柚木涼香・加藤英美里・井上麻里奈・清水香里・植田佳奈・桃井はるこ・生天目仁美・堀江由衣・田村ゆかり・野川さくら・浅野真澄・藤田咲・白石涼子・津田美波・Jenya・戸松遥・豊崎愛生・原由実・大久保瑠美・本田貴子・沼倉愛美・日向ゆきこ・さとう実琴・後藤麻衣・東山奈央・中島愛・水橋かおり・高垣彩陽・平野綾・小林ゆう・金田朋子・遠藤綾・中原麻衣・朴璐美・桑谷夏子・伊瀬茉莉也・日笠陽子
累計48名の声優が、今まで武装神姫バトルロンドと武装神姫バトルマスターズで声優として神姫に声を吹き込んでいる。オタクであれば誰か1人ぐらいは知っているだろう。
豪華声優陣!を謳った作品は数あれど、ここまでのラインナップはそうそう無いと思う。
そして、玩具原作の作品ながらキャラクターソングまで出していて、全てiTunesで購入可能だ。
新作ゲームのコンプリートセットは22,320円という高価格なのにもかかわらず、予約開始後3日も待たずにソールドアウト。現在予約を受け付けているのは発売2週間後に届けられるバージョンの物に限定しており
ヤフーオークション等では発売済み神姫の内、限定販売の物なら発売時の2倍以上の高額で取引されている。一般販売でも1.5倍以上の値段は軽くつく。
なのに!大手玩具レビューサイトの多くが、武装神姫のレビューを敬遠。ゲームサイトでも今やファミ通以上の支持を得ようとしている4gamerと武装神姫と関わりが深い電撃オンライン以外は、どこの企業サイトも大手個人ブログも武装神姫を特集しない。
人気はある。しかし、マニアにのみ人気がある状態で、ファン同士のやりとりは活発なのに、東方やアイドルマスター、ボーカロイドのようにファン以外の人は誰も概要を知らないという空気なのだ。
何故だろうか。
新作ゲームの主題歌は、聖戦士ダンバインのOP・ED。重戦機エルガイムのOP・ED等々の数々のアニソンで知られるMIQだ。
これだけで、古いオタクはググっと釣られるし、上記のような圧倒的なデザイナーと声優のネームバリューで、オタクならば一度は武装神姫というブランドに興味を持たざるをえないだろう。
なのに、悲しいかな、若いオタクはネームバリューという物にさっぱり釣られない。自分から作品を探そうとせず、作品が流行ってからその作品に食いつくのだ。
よくある話だが、自称「平野綾という声優が好き」という若いオタクがいて、そのオタクに「じゃあ、錬金3級 まじかる?ぽか〜んは見た?いい作品だったよね。平野綾が主役の1人だったし」と聞いてみても「見てない」となってしまうのだ。
「島田フミカネってデザイナーが好きなんだ」→「じゃあ、武装神姫は持ってる?」→「え、なにそれ」となってしまう。お前別に島田フミカネ好きじゃねーだろ。
何故、ネームバリューが通じないか、個人的には理解できない。好きな声優や好きなアーティストがあれば、彼ら彼女らの新作の情報は即チェックが基本だと思うのだが…不思議でならない。
一般的な美少女キャラのラインナップに含まれづらい黒人がなんと2人もいる。メガネも1人、ナースに巫女に武士に騎士に建機に羊に虎にカブト虫にクワガタ虫にお箸にスプーンにケルベロスにヴァイオリンにタコにサソリにコウモリに、美少女勢揃い物に珍しいラインナップがてんこもりだ。
ちなみにボカロっていうのは例えば初音ミクとかに代表される歌声合成ソフト(ボーカロイド)で、
http://www.crypton.co.jp/mp/pages/prod/vocaloid/cv01.jsp
声優さんの声を大量に収録しておいて、
事前に収録した音を切り貼りしてるという点ではエレクトーンとかと同じ。
それがボカロ曲。
で、ほんまか知らんけども校内放送で使うのが禁止されたらしい。
たとえば「機械だから」を「機械のみで生成された楽曲の放送は禁止」というルールと思うと、
そして「歌詞が分からないから」を「歌詞が判別できない楽曲の放送は禁止」というルールと思うと、
誰が分からないと判断するのかという問題がのこるし、
じゃあ洋楽は英語が分かる人と分からないひとで判断が違うという問題がのこる。
これだと結局その教員が禁止するかどうかに委ねられているので、
その人の顔色を伺う以外に判断できない。
しかし、一見客観的っぽい理由を並べて、それが独裁だということを隠そうとしている。
(1) 「(教員の名前)が放送を禁止するかどうかをすべて判断する。」っていう完全独裁か
(2) 「以下のルールに従う曲は放送してよい。」というルールを張り出すか
この二つしかない。
とくに(2) はできる限り厳密にかかれるべき。
初音ミクのLAライブについてVocaloidismにいくつか新しい情報が載っていたので紹介。
http://www.vocaloidism.com/2011/05/14/hatsune-miku-live-in-los-angeles/
1)Danny ChooがMCを務める。本人がblogで明らかにした。確かにセガ及びクリプトン社長の名刺の写真がアップされている。
http://www.dannychoo.com/post/en/26112/Hatsune+Miku+Concert+in+Los+Angeles.html
Danny Chooがどういう人物なのか正直知らないのだが、米国で日本のオタク文化を紹介するような役回りを果たしているみたい。本人のFacebookには「コメディアン」と書いてあるので、そういう仕事がメーンなのかもしれない。
http://www.facebook.com/dannychoodotcom
2)「逆さまレインボーの」sunzriver氏と、「チョコレートトレイン」のPenguins Project氏が、2011ボーカロイドパネル「未来の音色」に参加するらしい。
http://www.youtube.com/watch?v=HAViEcyxkD8
http://www.youtube.com/watch?v=83FefFtgrD0
http://www.anime-expo.org/forums/index.php?showtopic=14306
Penguins Projectのblogでは既に告知されている。
http://d.hatena.ne.jp/PENGUINS_PROJECT/20110514/1305353791
3)他にも「ペヤングだばあ」のZANEEDSが参加するとの情報もある。
http://www.youtube.com/watch?v=XkMDvJMkOuM
http://twitter.com/#!/masa3939/status/69321972122791936
ここ1年ぐらいかな?ニコニコ動画関連商品のものがレンタルでも取り扱われるようになった。
以前は、せいせいウマウマできるトランスをつくってみた。だったかな?
あれが置いてある程度だったんだけど、ここ最近はボーカロイドだとか歌い手だとか。まぁ、そういったものがレンタルCDとして置かれるようになった。
中にはニコニコ動画でよく使われている効果音集だったかなぁ?なんかそんなものまである。
これ、需要あるのかなーと苦笑しながら商品整理をしていたんだけども……いや、よく商品が回りますね。
統計とかとっていないから詳しくはわからないけど、歌い手のCDを借りる人は圧倒的に女性が多いと思う。
女性が多いので、歌い手でよく回るのはいわいる男性歌い手。女性歌い手のものは男性に比べれば回らない。
いや、回っている方なんだけどね。商品としては。
ボーカロイドはやや女性が多い。くらいかなぁ。男性も結構借りている気がする。
借りる年代はやはり10代後半から20代後半くらいまで。30代になってくるととたんに減る。
んで、借りる女性の容姿なんだけど、驚くほど普通。えっ?あなたがこれ借りるの?って思っちゃうくらい普通。
男性は、なんとなーく「あぁこれを借りるのわかるなー」って感じなんだけど、女性はそうでもない。
ふつーにaikoやら、宇多田に混じって、ボーカロイドとかが借りられていたりする。
あと、意外かどうかはわからないけども、アニメCDとニコニコ動画関連商品を一緒に借りる客は実はあんまりいない。
これは、アニメの音源は全部ニコニコ動画から落としたりしているのかなぁ……とかいう邪推が入るんだけど、まぁ、推測にすぎないし、統計とってないから本当かどうかはわかんない。
ただ、ニコニコ動画関連商品をレンタルするお客さんは、女性の方が圧倒的に多い。
ニコニコ動画のあのコメントなどは女性の手によって生み出されてるのかーなんて考えるとちょっと面白い。
ちなみにレンタルコミックも取り扱っていて、その中にはBL商品もあるんだけど、これを借りるお客さんは20代後半から30代女性が多い気がする。一度、18禁の商品を15歳の子が借りようとしてて「ごめんなさいこちらの商品はお客様ではレンタルすることはできないんです。」みたいなことを言ったら、顔がぼっと赤く燃え上がってた。可愛かった。
あ、あと最初に謝っておく。
俺は男なので、意識的に女性の方に集中してしまい、結果として女性がよく借りている!と頭に強く印象づけられている可能性とかもあるから。
まぁ、こういうのは統計があったら一番なんだけどねー。と、いうわけで根拠とかは特に無いのでまぁ話半分に聞いてください。
まさか、koizukaとかnojiri_hとかmyrmecoleonとかkawangoとかに見られるとは思ってなかったんで……
あーなるほど。その考えは無かった。確かにその可能性あるね。だとすると、本当の本当に邪推だな。あれは。
今度販売担当の人に聞いてみるかなー。
>CDレンタルはしないな。レンタルするよりP2Pで落としたほうが早いしなぁ。
>男性は音楽に対して批評・批判的な場面が多い。自分が普段聴いているものをやたらと披露できない。
あー、そんな気もするなぁ。あと、異性から見られたときの見栄とかも気にする気がするなー。男は。
上にも書いたけどこれはあくまでも俺の印象っていうだけなんで。
これを裏付けるソースとかは俺の知っている限りでは無いのでそこらへん気をつけてー。
>isaisstillalive:15歳のおにゃのこかわいい
>Desperado:面白す。
ありがと。
>mongrelP:むしろコメントせずに視聴だけする層(というか案外コメントって敷居が高い)なんじゃないかなあ→女性 あ、妹がカラオケで普通に歌うとか聞いての雑感なんだけどね
あーそうだねー。ここらへんは、ニコニコ動画を見る=コメントをしているという短絡的な考えをしてしまった俺の間違いだわ。
そりゃそうだわー、そうとは限らないよねぇ。見ているからコメントをしているかどうかなんて。
>natukusa:ニコ動主催の音楽系イベントは女性をターゲットにした演出多いなーとは思ってた。男性ユーザーはより土壌が豊かな女性声優方面に流れてるんじゃないか説を提唱したい。
なるほど。でも、女性声優のCDも置いてはいるんだけど、借りられるのはほぼ水樹奈々なんだよなー。しかも、割と女性多目。いや、男性の方が借りるけどね。割合としては7:3くらいかな。ここらへんは、それこそ上で書かれているように借りられるよりも買う層のほうが多い気がしている。気がするだけで根拠は何も無い!ごめんね。
>aitanisan:冷静に考えたらレンタル屋で「アニメCD」を借りる層と、「ボカロや歌い手などのCD」を借りる層は被らないなあと。後者は増田の言うとおり若い女性が借りるけど、前者は2、30代前後の男が借りるイメージがある。
あーうん。大体そんな感じかなー。そもそも、女性はアニメCDよりかドラマCDを借りていくっていうのもあるとは思うんだけどね。コードギアスとか一時期すごかった。
>ululun:こういうのがポロっと聞けるのは面白いんだけど、店舗の立地状況などによっても若干左右されるかなあ、とも思ってしまう私の心はきっと歪んでいる
立地としては、中学校とか高校だとかが割と近めにある街中の店舗だねー。うちは。そういうのも関係しているのかもしれない。
>fukken:素材集はこれの事かな http://ichiba.nicovideo.jp/item/azB003LJ3E78 // 広く普及させる一般音楽と違い、アニメCDは借りる層を少なく、買う層を増やす方にマーケティングしてるから、なような
あー、それだそれ。-ニコニコ動画公認-「ニコニコサウンドマーケットvol.1」 それ絶対に借りる人いねーだろうなーって思っていたら、借りる人いるんだもんなぁ。びっくりしたよ。
そこらへんの販売からめた話は俺は専門外になるのでわからんなぁ。ごめん……レンタルならそれなりにはできるんだけどね。
>mori-tahyoue:私も、コメントする人とレンタルする人はあまり一致してないと思います。完全に憶測ですが。
だよねー。俺の勘違いだわ。そこらへんのデータとかあるのかな。コメントしている人の性別だとか。
そういうデータがあったら面白い気がする。ネカマだとかネナベが増えるだけかな。
>lifespiel:「顔がぼっと赤く燃え上がってた。可愛かった。」 役得すぎるぞっ☆
さぁ、いますぐ履歴書をレンタルショップに送るんだ!店員が忙しそうに走り回っているレンタルショップはだいたい人員が足りていないから。
>chroju:近所のTSUTAYAにもいつの間にか「ニコニココーナー」が出来てた。それなりに需要あるのかね。
へー、コーナー作ったりするとこもあるんだ。知らなかったなぁ。それなりに需要があるのは間違いないよ。今の所は。だけどもね。
今後、どうなるかはわかんない。
>ripple_zzz:役得やのう。
>memoclip:ふむふむ 買ってる層も似たようなものなのかな。アニメCDはそもそも存在が認知されてるのだろうか。。
うーん。アニソンとしてはコーナー作っているから、そこに入れば一発でわかるようにはなっているんだけどね。けいおん!の認知度は高いかも。他のお店に行った時、ガールズバンドの1つとして普通に混じって入れられてたりしたから。
>nzai:女性のほうがよく借りていくとは/
アルバイトするまでは思いもしていなかったのでこれを書いてみた。
>neko73:コメントで買うから借りないって人がいるね。20代が多いというのはそういう面もあるか。
なのかもねー。ここらへんはまったく考えてなかった。そういわれればそうだもんなぁ。買う人もいるもんなー。
>男の方はレンタルじゃなくて買ってるのではないかという予想も。
http://twitter.com/kanai_fx/statuses/44575451695427584
うん。そうだy(以下、同じことの繰り返し
>20代じゃない私も先日借りてきた。こちらとしても、ニコ動関連商品の棚が作ってあってびっくりした。
http://twitter.com/ikotto/statuses/44594556297154560
棚を作っているところは作っているんだなぁ……
>30代ここにいるぞっ!30代はレンタルより購入かも?私もジミーサムPや40mPは、応援の意味からも購入してます。
http://twitter.com/y__yuuki/statuses/44648346949922816
ふむ、なるほどなー。一応レンタルでも著作権者にお金は行くようになっているのでみんなもどんどん借りてね!そして、俺の時給もっとあがれ。
>男はキモオタが多いと。俺ら乙。
http://twitter.com/amasnad/statuses/44684596897513473
いや、キモイっていうかなんとなくわかるなーって感じなんだよね。決してキモくは無いよ。ここらへん書き方悪かったなぁ。ごめん。
http://twitter.com/majority4869/status/44759355635142657
いや、そういうお客がいないってわけではないんだよね。ただ、俺が思っていたよりも少ないなぁっていう。
http://twitter.com/akaishimamorudo/status/44731987847675905
そうなのかもねー。イナズマイレブンとか、ちょっと古いけど韓流とかすごかったよね。
http://twitter.com/L_eLL83/status/44694120962330624
お、同意はありがたいなー。やっぱり、他のお店でもそうなんだなー。
Togetter - 「ニコニコの歌ってみたは『ハイエナに近い』とボカロPが発言。その発言への反応から見えてくる歌ってみた界隈の問題点」
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/82444
Ohnuma Sound Lab. blog 年の瀬・歌い手・ボカロ界隈・これからの活動
http://komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-16.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-16.html
Ohnuma Sound Lab. blog 【追記1】前回の日記についての補足・お詫び・コメント返信など
http://komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-17.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-17.html
発言者である大福Pは著作権等法律の問題を主張しているわけではないので、今回の増田では法律面に関する発言は一切しない。
彼の主張は
ボーカロイドを用いて作曲したものをニコニコ動画に投稿している人の総称。立場上は作曲者
ニコニコ動画の一ジャンルを形成する、言ってしまえばカラオケを投稿したようなもの。立場上は演奏者。JASRACとの包括契約により、二次創作は認可されているため、歌ってみた界隈は著作権問題をある程度回避している。
投稿者が作品の中身を1ミリも知らない作品に初見で声をアフレコするというもの。立場上は演奏者であり、ミリしらをする人をミリしらーと呼ぶ。アニメや音楽などのアフレコに使われていたが、今ではもっぱら「歌ってみた(特にボカロ曲)」ジャンルで使われる。
分かる人は分かると思うが、「ミリしら」とは方便である。最低でも一度以上、作品を鑑賞することは間違いない。初見で声を音楽に合わせて入れるというのは並大抵の人間ができることではなく、事前に何度も聞き、メロディーラインの重なりを避け、コード進行に合わせた新しいメロディーラインを構築し、リズムにある程度合わせた歌詞の選出、推敲をしているのは疑いない。
元の曲の歌詞を変えたアレンジで、ミリしらよりは原曲に近い。(私の観測範囲内の話)主に「あにま」という歌い手がしているようである。
Togetterまとめからいくつか抜粋する。(大福P=dfk_ohnuma)
ピアプロで改変不可って書いてあった曲でミリしらやった馬鹿がいたのか。正直ミリしらなんて作詞・作曲者への冒涜だから無くなるべき風潮なんだよね。「おまえの歌詞・メロディなんてイラネ 曲の知名度だけもらってくわ」って事なんだから。ゴミ屑の発想。dfk_ohnuma
曲データでモラル低下というと、ミリしらとか新しい歌ってみたを新曲と言ってしまう等のマナーがなっていないという話のことですか?znc
来年はボカロと歌ってみたがきっちり区別されるようになるといいな。あと、界隈の人数が減ってもいいからもうちょっとまともな人の割合が増えるといいな。「ボカロが盛り上がるのは歌い手のおかげ!」とか言ってるような奴が全員死んだらいいな。dfk_ohnuma
これ以降ブログに主張が移る。
「改変不可」の曲でミリしらを行った人がいたという事実は問題外だが、ここでは割愛する。
要は「マナーがなってない」ということである。それを人数が多いことと結びつけ、質の向上を図るために界隈の人数が減ればいいのに、というなんとも大学生はバカが増えすぎたからFラン潰せよというどっかで聞いたことのあるような主張である。ただし、今回は「マナーが悪いやつ」という偏差値以上に曖昧な基準ではあるが。
話がそれるが、当然「マナー(が悪い|がなってない|を違反している)」というのは誤用である。マナーというのは言い換えれば主体的な配慮であり、それを他者に「守れよ」と押し付けるのは間違いである。この場合はルール(相互が有利になるような取り決め)が望ましい。
話を戻して、歌ってみた界隈の聞き手は、彼のブログから引用すれば
「ボカロが栄えているのは歌ってみたのおかげ!もっと歌い手に感謝するべき!」
「ボカロ曲は人が歌って初めて完成すると思っている」
などという主張をしているようである。こういう盲目な信徒というのはクローズドなコミュニティであればどこにでも沸いてくるウジのようなもので、潰しても潰してもキリがない。
彼らは「歌い手に感謝するべき」というように作曲者に敬意を求めていることがわかる。一方大福Pもマナーを求めていることからわかるように、これは「敬意が足りないvs敬意が足りない」という、宗教戦争である。
大福Pにとって、「敬意ある行動」とは、「歌ってみたりする場合、本当にいい歌詞、いいメロディだと思うなら、それを尊重するはず」というスタンスで、芸術的に見れば保守的な位置にあり、ミリしら、アナザーは作曲者を冒涜したもので「ハイエナシリーズ」にすればいいんじゃないの、というこのようだ。
先の都条例でも同様だが、創作者は「自由」の名のもとで表現をする。ここに留意する必要がある。
たとえ「そんな懐で大丈夫か」と金を積まれようと、「一番いい○○みたいな作品を頼む」と制限をつけられようと、すべての表現は常に解放されているのが原則。
「こんなの○○じゃない」とか「金積んだんだから俺の望むモノ作れよ」とかいう主張も、自由が担保されていなければできない旨の発言である。
一次創作物から二次創作物へは、原材料を加工し、加工物を作る工程に似ている。その二次創作から三次、n次と派生するケースもある。これらは基本的にもとの創作物のカタチを「ある一定」は保持しており、影響がないということはまずない。それは音楽、思想、文章、すべてにおいてで。
ニコニコ動画は視聴者、コメント、マイリストの数がつくため、価値が付加される。歌ってみたという二次創作から歌われた一次創作の動画が評価されるケースもままある(今回の火種の原因の一つ)
また、作曲者と演奏者、聞き手は持ちつ持たれつの間柄であり、どれが一番偉いというものではない。「作ってやってる」「見てやってる」「演奏してやってる」「ホールを貸してやってる」というのは他者を従属的に捉えた主体的な意見であり、それは表現、立場の優劣に寄与することもない。芸術とはそこに参加するすべての構成員に平等な立場を与え、すべてをフラットにする。指揮者は演奏団体を纏めるから、演奏家より偉いというわけではない。誤解されがちだが、経営者と労働者の関係がイーブンであるように、指揮者と演奏家もまた、イーブンな関係にある。そこに作曲者が加わっても、聴衆が加わっても、地主が加わっても、その関係は崩れない。
そして表現されたすべての芸術品も平等である。真贋を、洋の東西を、場を問わず。優劣を感じるのは、表現の埒外である。評論家が何かの作品を優劣付けて評定しようともだ。そしてすべての芸術家もまた、その優劣をつける本能に苦しめられるのである。大概、中身が薄い、質が低下したなどと主張する。
とにかく、一次創作と二次創作の間に、表現上の優劣はないということである。創作者の間でも、もちろんのこと。
ここで、敬意を払うということは、その作品を大事に扱う、ということとする。「大事に」とは、もとの表現者の意向に従う、ということにしよう。極めて主観的だが、敬意とはそういうものだ。
敬意を払うということは、それに肯定的な評価をくだす、正の価値があるということでもある。ありがたやありがたや、ということで、「有難み」というように、めったにないこと、価値の高い、ということである。
正の価値がある、大事に扱うということは、人間の所産であるが、芸術以前の行動である。価値、敬意というのは芸術に含まれない。それらはたとえ定量的に計られようと芸術に寄与することはない。「リスペクト」して創られようとその作品に敬意があるというのは「思い込み」である。
創作以前に、二次創作者は一次創作者の創作物を引用する。引用することに優劣はない。しかし、ここに敬意が入ると話が違ってくる。
敬意が入る場合、往々にして一次創作者>二次創作者という大小関係が生まれる。芸術では対等関係にあろうと、人間の間に序列が生まれる。創作物との間柄にもそれは用いられ、もっぱら二次創作者は立場が下になる。だから、芸術内でも引用したものは上になり、引用して創られたものは下と「見做される」
「配慮」は、自分の立場があなたより下だという意思表示である。あなたに敬意があります、という意思表示である。有難い機会ですということだ。
だから、「マナーを守れ」「配慮しろ」というのは「大事に扱え」というのと同義であり、大事に扱ったとしても、そう見えなければ「大事に扱ってない」と思われる。
そしてそれはけして守る必要がないものの、ときに強制されるものだ。
だからこそ、撤回こそしたものの、大福Pはいっとき「音痴」にまで言及し、「大事に扱ってない」という判断を下したのである。
だからこそ、今も「メロディーラインや歌詞を変えること」は「作品を大事にしていない=敬意を払ってない」という解釈をしているのだ。
推敲後、追加予定。
しかし、大福Pは表現の枠内に押しこみ、自分基準のマナーを創作物の中身まで相手に強いている。
品位ある行動は各人努めたいものだ。
上記の訂正
既に一部で紹介されているが、どうやら2度目はニューヨークでやる模様。
http://nycc_nyaf10.mapyourshow.com/3_0/sessions/sessiondetails.cfm?ScheduledSessionID=1272&CFID=1921959&CFTOKEN=424035da1bb4862a-E9BF4238-C3FE-A1A5-4E8F3B7379FD9759
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日付:10月9日(土)
時間:午前11時45分-12時45分
場所:ルーム1E03
バーチャルなポップセンセーション、ボーカロイド初音ミクの珍しい米国での登場を見よう! このデジタルフィルムコンサートは21世紀におけるテクノロジーと人間の創造性とのダイナミックな統合だ!
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てことはサンフランシスコは3度目になるのか。ただ、このニューヨークでの公演は1時間しかないのが不思議。例のお台場の映像なら全部で2時間あったと思うんだが。