はてなキーワード: ヒジャブとは
Day,3
3日目
まぜこぜの国
キングサイズの快適なベッドと一昨日からの寝不足のせいか、旅先には珍しくグッスリと眠ることができた。
8時前に起き、準備を整える。
今日は本格的にマラッカの街を散策し、ニョニャクエとニョニャ料理が食べたい。
ホテルからタクシーでオランダ広場に向かうGRABは本当に便利だ。
隅々まで清潔とまでいえないマレーシアで、日本を遥かに超える利便性のあるアプリが普及しているのは、もう進歩の順序の常識が20世紀型と全然違ってしまっているのを感じる。
朝ご飯を食べようと思っていた目当の店が定休日だったので、たくさんの人が食事をしているカフェに入る。
壁にメニューがあるが、なんだかわからないので、いちいち調べながら注文する。
メニューに「ロジャック」という文字があり、これがちょっと安い。
なんだろうと思って調べると、定型のレシピというのがない料理で、あるものを色々混ぜこせにして、エビ味噌やタマリンドなどのソースをぶっかけるモノらしい。
家庭料理でよくある「名前のない炒め物」のようなものだろうか。
ナシゴレンとアイスコーヒーで腹ごしらえしたあと、オランダ広場の中心部に向かうと、帽子をかぶったマレー系の男性、傘をさしたチャイナドレスの女性、宝石のティアラをつけたタミル女性が観光客を歓迎する壁画があった。
観光ガイドなどでよく見かけるオレンジの教会を写真に収めたあと、歴史博物館を訪ねる。
中に入ると、イスラム、中華、インドそれぞれの人々を象った人形が並んでいる。
少し歩くと、日本兵の銅像とその背後にはためく日の丸が見えた。
マレーシアは、第二次世界大戦中、日本の支配も受けているのだ。
しかし、きっとマレーの人々は、その全てを「マレーシア」という袋の中に入れて混ぜこぜにてしまうのだ。
2階に上がると、マハティール首相と習近平書記長が握手をしているポスターが下がっている。
でもきっとそれも、ここにやって来た以上は、混ぜこせにされてしまうに違いない。
みると、キルラキルみたいなテイストの絵や、ちょっと前のやたら目が大きいアニメ少女みたいな絵が結構ある。
源流を辿れば日本初、ではあるんだろうが、アニメ・マンガ文化はもうアジアの中で消化されて、若者の身体の一部になっているようだった。
諦めと誇り
オランダ広場を離れ、ニョニャクエを買うことのできる店に向かう。
その場で飲食ができるカフェと、販売店舗があるらしく、カフェのほうに向かう。
その場で食べようと思ったが、異国なので同じ経営のものなのかイマイチ自信が持てなく、ニョニャクエ自体は販売店舗で買って、その場ではかき氷を食べることにした。
外が暑いのだ。
しばらく待って現れたそれは、上に鮮烈な緑のプルプルした虫状のゼリーが乗っておりなかなか日本で見ない見た目だ。
これは「チェンドル」というゼリーで、ベトナムのチェーにも入っていた。
材料は米粉で、鮮やかな緑はバンダンリーフという植物から採った天然色素だ。
すごい見た目に反して抑制の効いた味わいで、かき氷全体も優しい甘さだった。
ここで気づいたのだが、スマホ用に持って来たモバイルバッテリー、そっちはいいが、ケーブルを持って来ていない!スマホの電池が切れたらGRABでタクシーも呼べない。
まあいいか、これから販売店舗のほうに行ってニョニャクエを買うとして、あれは生菓子なので、冷蔵庫にでも入れないといけない。
店舗のほうに行くと、これが製作工場と棟続きで、でっかい台所に秋葉原のジャンクパーツ屋をくっつけた様な店内に、極彩色の色鮮やかなういろうを思わせるニョニャクエが並んでいる。
その一通りとチマキが詰め込まれれた「お得セット」的な詰め合わせと、緑の球体にココナツパウダーがたっぷり振りかけられた「オンデ・オンデ」、日持ちのしそうなパイナップルケーキ、それとこれはその場で食べるための餃子型の揚げパイを買い求めた。
約41リンギット。
1,100円といったところだ。
よし、ホテルに戻るぞ、パイを食べてみると、?、なんだろう中に入っている餡は。
わかった、カレー風味に味付けられたサツマイモのフィリングだ。
こういう発想はなかった。
GRABでタクシーを呼んでみたのだが、遠すぎてブッキングできない。
少し歩くしかない。
歩いていると、どうやら界隈は学生街らしく、ヒジャブを被って制服を着た7〜8歳くらいの子供をワンボックスがピックアップしていた。
さらに少し歩くと、もう少し上の年代の、これもヒジャブを被った少女たちの一段と出会う。
彼女らはマレー系なのだろうが、そこから2人歩き出した姉妹は痩身に浅黒い肌で、美しい黒髪を揺らしている。
きっとタミル系だ。
ヒジャブの一団から離れて歩くタミルの姉妹を見たり、空気として感じたものを考えると、マレーシア人にとって多民族が暮らしていることは「いちいち気にしていたら日常生活が成り立たない」もので、一種の諦めのような感情も想像できないではない。
でも、博物館で見た様な表現の世界では、それに目を背けず肯定的に描いたものが多く、「受け入れるしかない状況」と「それを自ら肯定的に捉え直す誇り」の間で揺れてるのかも知れないな、と思った。
ホテルに戻り、プールでサッパリした後、少し読書をして日本×スコットランド戦の海外ネットユーザーの反応を見る。
皆、感情を爆発させて、とりわけ日本のプレーの美しさに感嘆する声が多い。
レビューを書いているうちは試合状況を追いながら書いているので、淡々としがちだが、改めて見るとたしかに日本のトライは美しい。
感情を動かされるプレーについても、それに動かされた感情についても書いてもいいのかも知れないな。
タクシーをピックアップして、今日こそは、でニョニャ料理のレストランに向かう。
事前に調べたところによると、以前訪ねた日本人のお願いにより、お一人様向けのお任せメニューに対応してくれるらしい。
到着して、ママさんに「このサイトを見せて頼めば良い」とされるサイトを見せてお願いすると、料理の好みや内容に関する軽い質疑応答を経て、3皿とご飯が出てきた。
野菜が入った平たいオムレツ、レタスと思われる青菜炒め、豚肉とそら豆のちょっと辛い炒め物。
たっぷり出て来ると勝手に想像していたので、「意外と普通の量だな」と思ったものの、おひとりさまメニューとしては妥当な量だ。
味わいは中華といえば中華なんだが、豚肉とそら豆の炒め物のスパイシーで奥深い旨味のある味わいが、ナシゴレンの旨味を思い出させ、確かにこれは「中華風マレー料理」だ。
よくよく考えると、イスラム教国のマレーシアで豚肉の炒め物が出て来ると事自体が特殊な事だ。
だいたい830円くらい。
3皿と飲み物を頼んでこれなら安いだろう。
マレーシアの物価について大体見えてきたんだけど、ホテルとタクシーが異様に安いだけで、その他の物価は日本の5割〜6割いといったところだ。
ママさんにお礼を言って店を後にする。
生温い夜風に吹かれながら歩くと、賑やかな屋台市が見えてきた。
ちょっとのぞいて見ると、皆思い思いの料理を頼んで、夜空の下で食事を楽しんでいる。
まだもうちょっと入りそう。
と、みると「ROJAK」の文字が。
あの謎の混ぜこぜだ。
これは行くしかないと思って頼んで見る。
しばらくすると、茶色いソースがかかったなんだかわからないものが出てきた。
キュウリ、タロイモ、ニラ、揚げパンかな?口に運んでみると、ソースにちょっと独特のくさみがある。
肉類は一切入ってないのだが、この強い味付けで単体でも結構食べ応えがある。
においもすぐに気にならなくなった。
フードコートにうろつく野良犬の横で謎の混ぜこぜ野菜を食べていると「これが熱帯の夜か」という感じがした。
ホテルに戻ってサウナに入ったあと、冷蔵庫に入れておいたニョニャクエを食べてみる。
鮮やかな赤、青、緑のそれは、(色以外は)見た目の通り、ういろうを思わせる味で、さすが中華文化を受け継いでいるだけあって上品な甘みだった。
生菓子でお土産としては適さないので、もしマレーシアに来ることがあれば、ぜひ味わった方がいいと思う。
明日はこの極上のホテルをチェックアウトしてシンガポールに向かう旅程になっていたのだが、シンガポールではわずか1泊してまたマレーシアに戻る予定を組んでいたので、行きはともかく帰りの移動に焦りたくなく、先にバスを予約してしまうことにした。
慣れないバス予約サイトと格闘すること1時間半ほど、なんとかシンガポールからマレーシアのバスを予約できたのだが、ここで小さなトラブルが発生。
何度も予約の失敗を送り返していたため、成功した予約の詳細を確認していなく、ピックアップポイントも降車ポイントも当初の旅程とはやや離れた場所になってしまった。
一瞬焦ったが、シンガポールはショッピングモールの前だし、マレーシアは鉄道駅のすぐ近くだったので、これはシンガポールの物価も見られるし、マレーシアの鉄道にも乗れるし、いいかもしれない、と前向きに捉えることにした。
なんとかなるだろう。
なんとかなるのかな。
Day,2
2日目
多民族国家へようこそ
日本代表のプール突破は嬉しいが、このまま頭がラグビーモードだと初めて訪れる国では差し障りがあろう、羽田深夜発の機内では眠りたかったが、毎度のごとく機内での不眠グセが顔を出し、結局一睡もできなかった。
今日は到着のクアラルンプールからいきなりバスで2時間ほどのマラッカに移動して、ホテルへのチェックインとなるので、こなすべきタスクが多い。
不安もないではないが、その不安自体について考えすぎるのも精神衛生上悪いので、あまり追いかけないことにした。
現地時間午前6時に到着したクアラルンプール国際空港、手荷物預かり時までモノレールで移動するという、日本ではちょっとお目にかかれない構造に軽く戸惑ったが、入国管理はカードすら必要なく、拍子抜けするほどあっさりしたものだった。
空港内のコンビニで水を買い求めたりしたが、マレーシアの人は柔らかな笑顔で応対してくれる。
これは南国の気質なのか、旅人を価値あるものとする、イスラムの教えなのか。
クアラルンプール国際空港から一旦、市内中心部のKL セントラルに向かうため、高速バスの切符を買う。
バスのチケットセンターのお姉さんんがちょっと硬い感じだったのと、スーツケースをバスに積もうとトランクの近くにいたおじさんに声をかけたら客だったという小さなイベントはあったものの、ここでも概ね笑顔の対応を受けた。
しかし、バスが走り出してすぐ、東南アジアあるあるの「異様に強い冷房」に遭遇。
日本からやや厚手のスウェットブルゾンを持ってきていたので、ジップを上げてなんとかしのぐが、これはなかなかの強さだ。
見ると、前の席のお兄さんはダクトに空港の手荷物預かり証のシールを貼って塞いでいる。
そうか、その手があったか。
でも、おそらく日常でここを使っている人たちの姿を見ると、その多彩さに驚く。
長い髪も露わにひたいにビンディをつけてる女性がいる。
きっとタミル系だ。
カフェでは中華系の壮年男性が30台ほどに見える浅黒いマレー系の男性とビジネストークをしている。
全く違う人種宗教の人々がここまで日常感を放ちながら共に暮らしている姿は、日本ではなかなか見ることができない。
セントラル地下には好レートの両替所があり、此処での目当てはそれだが、両替所開店にはまだ早く、カフェで時間つぶし。
初めてのマレー飯、カヤトーストを食す。
トーストに挟まれた謎のスプレッドは色といい味といい、ランチパックのピーナツクリームを連想させた。
開店した両替所でリンギットとついでに少額のシンガポールドルを手に入れたら、次は今日の宿泊先マラッカ行きの高速バスに乗るため、中央バスターミナルにかないといけない。
ここで、東南アジア版UberといえるGRABを使って見ることにした。
アプリにアカウントと支払い情報を入力し、地図上で行き先にピンを指して配車すると、やがて銀の車がやってきた。
日本以外のアジアは「運転が荒い」という印象があり、事実マレーシアも聞くところによるとそうらしいのだが、GRABで配車されるタクシーはアプリに評価システムが内在されているからか、実際に乗って見ると非常に安全な運転だった。
乗り込む前に腹ごしらえすることにした。
このラクサは中華系マレー人の作る「ニョニャ料理」とされていて、それならばこれから向かうマラッカが本場なのだが、どうもマレー料理は地域によってかなり味が違うようなので、クアラルンプールでも食べて見ることにした。
ココナツのマイルドさとゴロゴロとはいっている鳥の骨つき肉が味に厚みを与えているが、かなり辛い。
幸い先ほどよりも冷房がキツくなかったバスに揺られて2時間、古都マラッカに到着した。
思った以上に海が近いらしい。
さっきの流れで慣れたので早速GRABでタクシーを呼び、今夜の宿、ダブルツリーバイヒルトン・マラッカへ。
ホテルが世界最高レベルで安いと噂のマレーシアだが、通された部屋を見て驚いた。
広々としたリビングにキングサイズのベッド、眼下にはマラッカの町並み。
ベトナムで泊まったホテルニューワールドにも驚いたが、1泊7,000円弱という値段を考えるとこちらの方が衝撃は大きい。
マレーシアなら東急イン以下の値段でラグジュアリーホテルに泊まることができる。
チェックインも済んだので、マラッカの旧市街に繰り出して食事でもしよう、そう思ってホテルを出たが、少しオランダ広場を見てから繁華街に向かうと、ほとんどの店が閉まっている。
目当ての店もどれも閉店だ。
気になって調べて見ると、マラッカの街は夜が異様に早く、食事の店でも多くは18時、早い店だと16時には店が閉まってしまうらしい。
晩御飯を食べに出たら店はどこも開いていないというわけだ。
辛うじて空いていた中華系の店でローストダッグと空芯菜炒めをつまみながら、「これは世の中の常識の定義が全然違うなぁ」と思った。
ポストしたレビューは応援してくれるコメントも頂いたが、辛辣な評価もついた。
寝不足で動き回る異国の地、曇天の空には海鳥の鳴き声が響きまくり、店は閉店、レビューにはお説教。
うまくいかない日な気がしてきた。
まあ店が開いていないなら仕方がない、昨日からロクに寝ていないんだし、今日はさっさと寝て、朝早くからマラッカの街でニョニャ料理を楽しもう。
今ならみんなどういうブコメするかなぁ。
変わらない?
それとも意見は変わった?
それはつまり、将来的にはイスラム教徒が欧州で影響力を増大させるということだ。
つまりそれはイスラムの価値観が世界中に影響力を持つということになる。
50年後には女性はヒジャブをかぶらなければならないと国連から要請される時代がくるかもしれないなとしみじみ思った。
↓
※更にブコメ(http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20170218235056)を受けてのトラバで追記
↓
俺はヒジャブを被らなきゃいけない状況は恐怖だとも何も言ってないんだけどねぇ・・・
などと皮肉ろうかとも思ったけどカマトトぶって嫌味言うのもまぁ違うだろうと。
という所が争点になってしまっているようだ。
つまりやっぱりイスラム的な男尊女卑思想は、「自分たちは男尊女卑だ」と自虐しがちな日本人ですらちょっとやばいと思っているということにほかならないんだろう。
少なくとも女性がヒジャブを被ったり一夫多妻的な世界観を危ういとは思っているわけだ(実際には色々宗派だとか緩さだとかあるのはちょっとおいておいて)。
このルートで論争をした場合、イスラム教を世俗化できるか、それとも世俗化できずに失敗するか?
の2択で論争することになってしまうが、これは少し危険な感じがする。
皆はどう思うだろうか。
世の中クリスマスですよね。
この時期、街のイルミネーションを見たり、ネットで非モテ男女の孤独な慟哭を見るものいとをかしという感じだが、みなさん一つの文化に振り回され過ぎじゃないですかね。
年々国際化する日本で、ここに住む人々が年末のこの時期をどのように過ごすのかに興味があって、神社、教会、寺などを写真に収めてみたかった(別に上手くはない。思い通りの光を撮る方法も知らない)。
なのでクリスマスイブ前日の23日に、前から興味はあったが、なんか門前払いされるんじゃないかと思っていけなかったモスクにいってみた。
予報は曇りだったので傘をもたずに出たが、小雨が降ってきて、肌寒かった。
東京ジャーミーは1階がトルコ文化の交流会館、2階がモスクだった。
写真撮影OKとのネット情報を得ていたが、「商業撮影、美術などで撮影する方はひと声かけて欲しい」との注意書きがある。
気になったものを気になったタイミングで写真を撮っていくつもりだったが、ここは宗教施設であって、信徒にとって神聖な場所であるので、指示に従う事にした。
1階の交流会館でヒジャブをかけた女性に「美術の興味があるので写真が撮りたい」旨をつたえると、すこし逡巡した様な感じで、責任者っぽい人を呼びにいった。
しばらくしてヒゲを蓄えた壮年のムスリムの日本人男性が現れて「写真を撮るなら、イスラムの正しい知識を得てからにしてほしい。しばらくすると、館内を案内するツアーが始まるので、それに参加するのを期待する。」という様なことをいわれた。
美術に興味があって写真が撮りたい、というところが引っかかったようで、広告や美術でイスラムの文脈を無視してイスラム的なビジュアルを使われるケースを懸念しているようだった。
なるほど、その懸念は分かるし、もし自分がイスラム的な美的要素で何かを作ろうとしたときに、精神と関係なくビジュアルだけを抽出するのも「志が低い話だ」と思ったので、館内のイスラム解説の書籍を読みながら待つ事にした。
サラッと読むと
・ムハンマドは元々商業をいそしんでいた時期があるので、商業取り引きの話が結構出てくる
・ムハンマドは既婚者で、姉さん女房、もともとムハンマドを雇用していたが、彼の機智に感じ入る所があり結婚した
・非ムスリムは地獄に堕ちるとはっきり書いており「イスラムが正しいのは自明」という前提だが、同時にムスリムへの改宗は決して強制してはならないとも明言している
という感じだった。
しばらくすると、ツアーが始まった。
会館にあつまった見学者の前でイスラムやトルコについて熱弁する先ほどの先生。
日本でイスラムやムスリムについてあまりにも知られていないという事で、とにかく「知ってもらおう」という熱意がこもっており、しばしば時間をオーバーした。
・貧しい人との分かちあいを大切にしており、食事の振る舞いはイスラムにとって大切な行為である
・イスラムの世界では神と人(その他)には明確な上下関係があるが、それ以外は全て平等
との事だった。
しばらくして礼拝の始まりをしめす館内放送がながれ(言葉は分からない)、2階のモスクに上がる事にした。
モスクは土足厳禁。
靴を脱いで館内に入り、見上げると、白亜のドームの頂点にアラビア文字のシンボルがあり、その周囲を赤やシアンの繊細な文様が踊っていた。
館内は白、赤、シアン、紺、黒、ゴールド、緑で、文様やアラビア文字があしらわれた色鮮やかな空間を形作っていた。
教会におけるマリア象のような人間の様を象徴したシンボルはなく、偶像崇拝への禁忌をかなりストレートに守っている。
そういった具体的、象徴的なものがないので、装飾はアラビア文字であったり、植物を単純化したパターンであったり、幾何学文様であったりする。
モスクの中は照明が押さえられて薄明るい程の感じで、正面のゴールドの燭台が輝いていた。
先生がモスクについて解説している最中にも、在日のトルコ人や、たぶんアジアのムスリムが礼拝をしている。
・イエス・キリストもイスラムにとっては予言者の一人ではあるが、クリスマスはムスリムにとって大きな意味はもたない
・基本的に太陰暦なので、生活習慣としての1年の区切りがちがう
・幾何学文様はイスラムの宇宙の姿を表したものということであり、つまりはユダヤ教のカバラや密教の曼荼羅のような方向性のモノ(この例えは自分の解釈)。当初先生が懸念を示したように、たしかにこういったモノを文脈無視で使うと変な表現にはなるように思う
ということだった。
これから日本にマレーシアやインドネシアの人も来るだろうし、年末のお休みにモスク見学をして、多様な日本社会に思いを馳せるのもいいのではないでしょうか。
ちなみにモスクを出る時に、脱いだ靴にくしゃくしゃのペーパータオルを捨てられていて、「宗教施設に来てるのに志が低いのがいるなあ」とはちょっと思った。
女性は全身が性的だから、男性を誘惑してしまわないよう体全体を隠すべきだよ→ブルカ着用
目意外は全部性的だから、目だけなら見せてもいいよ→ニカブ着用
髪は性的だから見せちゃだめだけど顔だけなら見せてもいいよ→ヒジャブ着用
くるぶしは性的だからが見えちゃだめだけど足先なら出してもいいよ→丈の長いものを着用
ヘソは性的だから見えちゃだめだけど肘は見えてもいいよ→半袖着用
腋が見えたり胸の形が分かる服は性的だからだめだよ→日本一部フェミ的?(キズナアイの服不許可)
胸の形が分かってもいいけど乳首が見えたらだめだよ→アメリカ的
男性と同様、女性にも公衆で乳首を出す権利を認めなさい→ヨーロッパフェミ的
という論調を目にしたのだけれど、事のついでで試しに便乗してみても良いかな?
私も正直不快ではあるのよね、若い女性を性的対象として売り出す風潮。
そりゃ人間は文明人である前に生物な訳で、性欲はありますとも。生殖に拘り子孫を残せた生物が結果として現在に生き残れた訳で。
ただね、それはそれとして、それを大っぴらに主張されたり売り出されるのは不快でもあるのだ。
理由は説明出来なくもないけど、多分感情や感性という名の結論ありき。
だから個人的には「そうした性的な要素を主張するものは自粛なり規制なりしましょう」という漠然とした点そのものには賛同したい。
…のだけれど、
同時に「それを言うなら現実世界の町中の奇抜なファッションの女性も全部規制してくれ」と言いたい。
取り敢えず、谷間を出すのは論外として、短パンやスカートも禁止にしよう。
公共であんな格好されるの不快なの。露出するのは恋人とのプライベート空間だけで良いじゃん。
独身男性の性欲云々は、専用サイトとかでのみ今まで通りにしとけば良いでしょ。日常にまではみ出させる必要はない。
それこそ、女性は公共の場ではムスリムの女性のヒジャブの様な服装推奨にしましょうよ。
お洒落というなら布面積を生かして盛大にデコるなりカラフルにするなりすれば良いでしょ。
…等とまぁ恐らく統計を取るまでもなく異端であろう私の内心を吐露してみたのだけれど、
自分でも異端だろうと分かってるから別に「こうしろ」と社会的正当性を主張するつもりは無いのだけれど、
二次絵は駄目だけど、現実世界の女性はどんな性的な格好してても良いの?何で?正直こっちの方が実害あって不快で嫌なんだけど。