はてなキーワード: コンパイルとは
ロシアが大手企業を接収した場合には販売されるPCのOSがTRON-OSに置き換わるというシナリオが考えられます
TRON-OSはかつてアメリカに嫌われていてB-TRONなどは失敗に終わっているが、TRON-OSの中で唯一生き残ったI-TRONだけでもWindowsに勝っていて先進的であり、使用料は基本的に無料であるため、ロシアが大手企業を接収してWindowsなどが開発されなくなった場合、TRON-OS入りのPCが世界中に販売されることが起こりうると考えられます
そうなると、TRON-OSプロジェクトチームが動き出し、日本を中心に西側諸国などでTRON-OSが共同で開発されるということになりそうです
TRON-OSは異なるアーキテクチャで同一のコードを実行できると言われているので、IntelやAMDのCPUが無くなってもTRON-OSならTRONチップや別のCPUで開発を続けられるそうです
PCのOSがTRON-OSに置き換わるとWindowsよりもセキュリティーと安定性が向上し、非常に軽量になると考えられます
ロシアが大手企業を接収するなどしてTRON-OS入りのPCが世界中に販売されれば、TRON-OSのシェアは90%以上(残りの10%以下はサーバーやスパコンなどでLinux、一部のシステムでUnixなど)まで増えるということになりそうです
ロシアが大手企業を接収するなどしてTRON-OS入りのPCが世界中に販売されれば、QEMU、LibreOffice、Inkscapeなどのオープンソースソフトウェアは開発は続行し、TRON-OS向けにコンパイルしたものが公開され、TRON-OS向けの商用ソフトウェアも出てくると考えられます
もしくはコマンド打ってCtrl+CでExcelにコピペして比較、もいっかいPowershellでレジストリ抽出して~と実装せず手作業でやるってことでしょうか?
んなめんどくさいことはしたくなくて、ダウンロードしてきてZip解凍するなりインストールするなりで利用できることを想定してます。
レジストリの抽出だけならあるかも&テキストの差分比較(Diff)ならあります。
それぞれを一緒にやろうとすると厳しそう。
自分ならPowerShellでタイムスタンプつきで抽出して、それをDiffしますかね~。
DIffで思い出したけどPowershellにもDiffありましたね。Excelいらないや。
Linuxでも似たようなことはできるかと。
タイトルにある通り、”ツール”が欲しいんですね。えぇ、タイトルの通り。
プログラム作るなり、スクリプト組むなりすれば実現できる、ということは認識してます。これは”実装”ですよね。
もしくはコマンド打ってCtrl+CでExcelにコピペして比較、もいっかいPowershellでレジストリ抽出して~と実装せず手作業でやるってことでしょうか?
んなめんどくさいことはしたくなくて、ダウンロードしてきてZip解凍するなりインストールするなりで利用できることを想定してます。
CUIではなくGUIで、ボタンポチポチでレジストリの変化を絞り込めるツールです。
メモリエディタはそういった機能があるので、使っていただけると理解しやすいかと。
もしPowershellとかExcelの(ワンライナーですらない)1コマンド(コマンドレット?)でできるならとてもありがたいですが、
そんな機能は私は存じ上げません。
もしあるのであれば教えてほしいです。
↑を書いた元増田ですが、VBの話から派生した話で、やたらコマンドライン(以下CLI)を使った開発に否定的な人間がいて閉口した件。
そりゃ一口に開発と言っても色々なので、本当に統合開発環境(以下IDE)だけで開発するケースもあるのは、こっちも知ってるんだよ。
だから学習者の中で「何をやりたいか」が既に決まっているなら、CLIを全く触らずプログラミングを学ぶケースもアリということなのだろう。
1つ目は、そもそも「プログラムって何?」というレベルの人が「何をやりたいか」なんて決まっているわけがないので、最初から「何をやるか」を決めてかかるのはナンセンスという話。
むしろどういう開発に進んでもいいように、「等号は代入を意味する」辺りから始まって、どんなプログラミングでも基礎の基礎になる、データ構造とアルゴリズムを意識させることに集中させたい。
そのためには難易度低めで比較的潰しが効く言語を、できるだけシンプルな手順で作業できる開発環境で学べる方がいい。
そしたらPythonの実行環境とそこそこ以上の機能を持つテキストエディタを入れて、コマンドプロンプトとかPowerShellとかのCLIから"Helllo, world"が取っ掛かりだと思うわけ。
もしLinuxの環境が用意できるなら同じことをLinuxでも試してもらって、プラットフォームに依存しない開発の入り口くらいを知っておければベター。
いずれにせよ何かを実行する方法が1つではないという重要な知見は、できれば基礎のうちに知ってもらいたいことの1つだし、それはWindowsとLinuxとかCLIとIDEという対比がうってつけかなーと。
ちなみにIDEは、Pythonによる手続き型プログラミングに慣れた後のタイミングで学べばいいと思う。
そこまで行ったら変数の型や、クラスとオブジェクトとかの難しい話をGo言語で学んでおくことで、現場で使われているJava、C#、swiftへの移行もスムーズになりそうだし。
ちなみに「初心者コース」の最後、もし可能ならRustでポインタとメモリの話の触りくらいを体験してもらえると、組み込みに進む際のハードルが少しは下がるんじゃないかな。
もう1つは、いくら現場によってはIDEだけで開発する現実があっても、CLIを使った開発がどういうものかくらい、プログラマにとっては知ってて当たり前じゃねーの?という話。
もちろん「プログラマが何を知ってて当たり前なのか」は、時代の移り変わりとともにどんどん変わる。
大昔ならおそらく機械語とかが必須だっただろうけど、今なら機械語よりはHTMLを読めるほうが遥かに重要なわけで。
あと、UNIX系OSをパーティションごとに主要なディレクトリを分割してインストールしていた時代であれば、edエディタの使い方は必須だったと聞く。
(/binに入るエディタがedのみだったため、もし使えないとシステムクラッシュして/以外マウントできなくなったときに詰む)
でも今やそんなの完全に過去の話どころか、viとemacsの論争ですら多分古い方の問題になるだろう。
そういう過去の諸々も踏まえるとCLIが未来永劫、プログラマにとって常識的なナレッジだとは自分も思っていない。
でも今はまだ、プログラマを名乗るならCLIからコンパイルだ実行だくらいの基礎は知ってて当然だと思うんだが。
IDEを使う上で覚えることは決して少なくないし、CLIだったら実行するためのコマンドとエラーメッセージの読み方だけに絞れる。
そしたら「自分のプログラムがなぜ動かないか」という本質的な問題に直面しやすいだろ。
たった1文字書き誤っても動かない、だから書く時は注意の仕方にコツがいる(≒単純なコピペであってもすぐ動くとは限らない)とか、実地に学べるじゃん。
一方で、スペルミスとかもいちいち丁寧に教えてくれる、IDEの親切な機能に最初からおんぶにだっこみたいなプログラミングがいいとは思えない。
あと、こっちはIDEの便利さは否定しないどころか、効率的に開発するなら必須だと思っているけど、最初からセットで覚えるものじゃないと言っているだけなんだが。
なんで最初からIDEでプログラミングを覚えるべきなのかが理解できない。
名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita
この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから,安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である。
初期の UNIX の歴史について興味がある向きには次の書籍をお薦めする。
Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)
和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書は The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。
また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。
元記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計の基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。
https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date
ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。
もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX の開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T の定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事で言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。
この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDF は OCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX の論文なのだ。もちろん論文の性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイの哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白い。UNIX の開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然な時代だったことは間違いない。
UNIX が認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイの論文に影響を受けた布教のためのああいう説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本で最初期の UNIX 解説本のひとつである,村井純・井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。
オペレーティング・システムは,コンピュータを使うものにとっての環境を形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性を尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIX のオペレーティング・システムとしての個性ではないだろうか。
「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能のコマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性を尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである。
そしてじつは UNIX の場合,布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。
UNIX は PDP というミニコンピュータ(ミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校の教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイとキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校にコンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器はコンピュータではなくコンピュータに接続するための端末装置(ターミナル)だ。端末装置のキーボードで打った文字がコンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 Unix 系 OS で CLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置のエミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。
さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥や洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっともコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥が CPU でそっちの洗濯機がハードディスク,あの机に置かれているタイプライタが管理用コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代のお話だ。
端末装置それぞれから(USB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。
結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。
当時の UNIX の評価を一言で表すと〝自由で不安定な OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由。さらに他のメインフレームやミニコン用 OS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロ用 OS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番のディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。
こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌『UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイの1986年11月号から1988年10月号掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器で1980年ごろから UNIX サイトのスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX の自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。
CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU を実質的に停めてしまうことが UNIX ではいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンドを10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに vi のカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトでログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX は破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているときに勝手をやられると非常に困るのである。当人の仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。
ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイルを自由に作ることができる。したがって,自分のプロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソール・タイプライターにエラー・メッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソール・タイプライターが一晩中エラー・メッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図も完璧に打ち砕かれてしまうのである。
そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンドを10個くらい同時に走らせ」たり「自分のプロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイトの利用者全員に UNIX の設計の基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX の伝道がより苛烈だった理由のひとつがここにあるのだ。
ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代の UNIX は Research UNIX と CSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX と記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIX のライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研で発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。
もっともそういう70年代風味の牧歌的風景はミニコン世界限定の話であった。BSD そのものはミニコン用のものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSD 系 Unix や AT&T が推し進める System V などがワークステーション市場を舞台に80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PC 用 Unix であるマイクロソフトの XENIX も当然参戦した。ミニコン世界が牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争はあくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&T と BSD 系 Unix の Sun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。
こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unix そのものや文化にも変化をもたらした。まず激しい競争は Unix の高機能化を加速した。商品として判りやすい惹句が「あれもできます,これもできます」なのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者の自由を制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix は現在の Unix 系 OS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教の必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unix のシステム管理の入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空のソフトウェアハウス(開発会社)を舞台に新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。
当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイの論文の結論部分に書かれたそれは,1973年に出版されたイギリスの経済学者エルンスト・シューマッハーの著作の題名で,中学生の英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。
Small is beautiful.
マキルロイは『人月の神話』を引いて一定の留保をつけてはいるものの,これが UNIX 哲学の背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•cs のアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?
ひるがえって現在の Unix 系 OS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX が仮想敵とした OS そのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在「UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。
本気で選ぶセガサターンミニ収録タイトル予想2022夏 - 分析編1
セガサターンミニの予想を立てるために、まずメガドラミニの収録タイトルを振り返り、その傾向を掴んでみる。
以下の表は日本版の収録タイトルである。このほかに幻の移植作『テトリス』、完全新作のメガドライブ版『ダライアス』も収録されている。収録タイトルは北米版、ヨーロッパ版、アジア版は一部が異なる。
「読者レース」とは雑誌『BEEP! メガドライブ』誌の名物コーナーだった「メガドラ読者レース」における順位および採点である。同コーナーでは読者の投稿したタイトルごとの採点によりメガドライブ、メガCD、スーパー32X合わせて全520本のソフトの順位が決まる。この増田では1995年9月1日号掲載の同コーナー最終回を出典としている。
こうして見てみると、極端に評価の低い名物ソフト(例:520位の『ソード・オブ・ソダン』)などはメガドラミニには収録されていない。収録されている中では最も評価が低い381位『スペースハリアーII』はメガドライブのローンチタイトルであることが評価されたのだろう。
8.5以上の採点を与えられたなかでメガドラミニに収録されていなかったメガドライブタイトルは、10位『アドバンスド大戦略 -ドイツ電撃作戦-』、21位『ぷよぷよ』、23位『ソニック&ナックルズ』、24位『バトルマニア大吟醸』、25位『ガントレット』、28位『エイリアンソルジャー』(アジア版に収録)、31位『雀皇登龍門』、34位『ラングリッサー』、36位『バーチャレーシング』(メガドラミニ2に収録発表済)、43位『ペブルビーチの波濤』だけである。ファンの間で評価の高いタイトルが順当に選ばれていることがわかる。
洋ゲー | 和ゲー |
---|---|
2本 | 38本 |
セガ | セガ以外 |
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21~23本 | 17~19本 |
『大魔界村』はMD版はセガより発売されたが、メガドラミニ版ではカプコンに変更されている。『ロードモナーク とことん戦闘伝説』の発売元セガ・ファルコムはセガとファルコムの出資により生まれた会社。CSK総合研究所はセガの関連会社(のちにセガAM2研と統合)だが、ここではカウントしなかった。
セガ | セガ以外 |
---|---|
14本 | 26本 |
MDオリジナル | 他機種からの移植 |
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29本 | 11本 |
1988年 | 1989年 | 1990年 | 1991年 | 1992年 | 1993年 | 1994年 | 1995年 | 1996年 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1本 | 3本 | 4本 | 2本 | 6本 | 9本 | 12本 | 2本 | 1本 |
後継ハード・セガサターンの発売日は1994年11月。散り際の花火が鮮やかに輝くように、晩年が近づくにつれてメガドラミニに収録された傑作タイトルも増える。