はてなキーワード: クラスメイトとは
文中に「兄弟姉妹」と書いてあったので増田の家の娘は増田一人ではないようだが、おかん氏は他の姉妹にも同様だったんだろうか。
また、他の姉妹も増田と同様の「女の子コンプレックス(出来たばかりの言葉で定義があいまいだが、とりあえずこう言っとく)」が見られるのだろうか。
うちの母も同じような感じだった。
自分一人で初めて選んで買った服を着て、出かける日の朝「あんたのwwwwセンスwwwwwwww」と母から指をさして笑われた。妹も同様に笑われていた。
クラスメイトから体育の時間中に日焼け止め塗ることを勧められたのをきっかけに、自分なりに選んで買った日焼け止めを買った。
母は玄関からずっと私と顔を合わせていたのに、駅についてから「あんた日焼け止め塗りすぎ。首と顔で色が全然ちがうじゃない。顔真っ白」と言われた。
電車の時間があるのでトイレに駆け込むことも出来ず、電車の中にいる間じゅう私はずっとハンカチで顔をぬぐっていた。母はそうしている私を見ようともしなかった。
私は中学~大学くらいにかけて腐女子をこじらせていたので、思春期には女の子がどうだこうだと言った事はあまり考えなかった。
しかし、母の熱心な躾のおかげで「自分が大人の体になっていくのを知られるのはマズい」ということだけは叩き込まれた。
化粧品は全て通販で母がいない日を配送の指定日にした。買ったものは全て、クローゼットの奥に隠した。
化粧をするようになってクレンジングも使うようになったが、クレンジング料は洗面所で使うたび自分の部屋へ持ち帰った。
使った下着は溜めておいて、一人の時にひそかに洗濯した。
生理用品は自分で買い、生理用品を換えるのは意地でも学校等の出かけ先だった。
女性性への忌避感は根深いと思っていたけれど、幸い私には同じように女性性へ忌避感を持っている腐女子の友人がいて、
彼女と一緒に化粧品を買ったり、好きな人の話をすることが出来た。
今は一人暮らしをしているので、割とスカートでもなんでも着たいものを着て生きている。
しかし、母の暮らす家に行くときだけはジーパンと愛想の無いユニクロのシャツを着ている。
おしゃれが面倒なのではない。おしゃれしている姿を母に目撃されるのが怖いのだ。
身内ノリ、楽屋ノリにイライラするんだな。児童小説の中の探偵団、おぎやはぎのいうところの6組軍団、クラブでオイコールする大学生。勝手に盛り上がってるのを傍目で見てる分には平気なの。でもふとした瞬間に肩を叩き「よー、何つまんない顔してんの?楽しも〜ぜ〜」だってさ。ひーーー、ゾワゾワする!「あ、うん、ゴメン、大丈夫」「ち、つまんねーやつ、このノリがわかんないってカワイソーに」 いやいやいや、勝手にやってるのはいいよ、気にもならない。だから【虚構】ってつけてくれ。ください。
プレステのネタも踏んでしまった。コメント読むと(記事は読んでない)前回の記事の天丼なんでしょ? その身内ノリコメント群が気色悪ーーーーーー。と、思ったのでそこが生理的に受け付けないんだろうなーと思いました。
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追記です。
“それ「虚構新聞が」に限定されなくないか?内輪っぽい記事全部駄目ってことだし。”
そんな事書いてないですよね? 内輪ネタはいくらやって頂いても気にならないですよ。むしろ仲良くっていいなって羨ましさ半分に思っています。あと、退職エントリかどうか位ならいくら私でもタイトルで判断できます。
“虚構にイライラする人たちは何故虚構を踏んじゃうのか”
そこなんですよね。一応気をつけているつもりなんですけど踏んじゃう時があるんです。情報リテラシーが低くてすみません。例えばくだんのタイトルは『「PS4じゃない」 父親殴った息子を逮捕』なんですけど、私情弱なもので、元になった事件もパロディーにした事も知らなかったのです。実際にあった事件の記事『息子に残虐ゲーム無理やり…強要罪で義父逮捕』とかと同じ感覚でクリックしてしまいました。皆さんよく区別つきますね。
そうして虚構新聞が表示された瞬間です。私がなるべく避けてきた蓮コラ同様の不快な(失礼)ページが表示された瞬間、そこで待っているのは上記致しましたジョークの同調圧力です。そこで「イラ」っとしてしまうのです。ブラクラ踏まされた挙句アクセス数稼ぎに加担させられた気持ち、クリック詐欺、フィッシング詐欺にあったのと同様の気持ち、大げさに言えばそんな不快感です。
肩を叩かれて振り向くと私の頬にぶっ刺さる人差し指。指を立てたまま仁王立ちする虚構新聞。ニヤニヤ笑うクラスメイト達。さっさと部活に行きたいんだけどこういう場合どうすりゃいいんだっけ?笑うの?怒るの?あれ、どうするんだっけ?と。
“この文章の方がよほどイラッとするわ”
お気持ちお察し致します。気持ちを察して頂けましたでしょうか?
虚構相手に何マジになってんの?ってやつだ。きーーーーーーーーっ!イラッとする〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
その答えは、適当に同意を得られてだよねーって言ってもらいやすく言っている。
彼ら・彼女らは、どうでもよくって言っている。
僕らは、話の定義の厳密さがおかしくて、日本語が通じないと思う。
つまり、コミュニケーション能力とは、てきとうさ、のこと。
実際問題、どうでもいいんだろ。本気で困ってたら警察に行く。困ってもいないのに人を叩くのは人の常。
スクールカーストの底辺を適当にぶっ叩いとけば、9割のクラスメイトには同意が得られるから勝ち組になれる理論の延長。
そこに理由はない、叩きやすい奴の叩きやすいところを叩く。そして、周囲はそれに同調する。それが空気読め。それがスクールカースト
俺の場合はどっちで評価しても結果は一緒だが、ごく一般的な話として
「見た目はいいんだけど性格がねえ」という評価はごくありふれているのに対して
「見た目はアレだけど内面はとてもいい人」という評価は創作類、特に三流ラノベ以外ではほとんど見かけない。
そういう評価があり得るというのは俺を含むキモヲタの妄想であって、一般的には「見た目はアレ」の時点で評価が終了、その後どれだけポジティブ要素が出てきたとしても「でもアレだし」で片付けられるためである。というより、そのポジティブ要素もネガティブ要素として数えられる。痘痕も笑窪ならぬ笑窪も痘痕。
なお、これは強制的に人間関係が継続される例(例えば職場の同僚、クラスメイト等)でも変わらない。初手でのネガティブ評価は絶対に覆らない。
また、そういう内面を評価してくれれば…という妄想をしているアホは殆どの場合内面も腐っているので、内面評価しても結果は変わらない。
人は見た目が九割五分。イケメンなら外道でもいいという話にはならないが、ブサメン・キモヲタ・チビ・ピザ・おっさんはその時点で全てにおいて足切りされるという現実を直視せよ。
なんかさ、卒業アルバムって、残ってるとろくな使われ方しないから(この場合はどうかと思うけど)
作っちゃダメなんじゃね?
クラスメイトとはいえ、自分の過去の写真をや文集を 勝手に売られるとかどうかとおもうわ。
卒業アルバムは、載ってる人が偉人になった場合に、プライバシーの暴露に使われる可能性が大きいから、廃止すベきじゃね。
とりあえず、過去を知るためには卒業アルバムっていうのが業界の定説らしいから、卒業アルバムを廃止する以外プライバシーを守れないだろコレ
親友じゃない、ただのクラスメイトが自分の過去の写真や文集を持っているという状態が問題なんだろ。その中に1人不心得者がいるだけで、問題が起きる。
そろそろ卒業研究発表が近づいてきた。これがおわればっていうところはある。
クラスメイトたちは今も仕上げを頑張っているんだろうと思う。
他の子達とは違って、私は普段は学校に行かずに別の研究室に通っている。
4年生から卒研配属をされるっていうのとも違って、3年生の中頃から研究に力を入れ始めた。
そこそこ結果も出て、期待もされて、果たして研究者になりたい私はトントン拍子ですすんできたはず
いったい何の不安があるのかって。
わからないけど。
わからないけど、動けなくなった。
家を出たくなくて、食べ物を受け付けなくなって、眠れなくって
研究者になんてなれるんだろうか。
今はいいけど、この先どうやって業績をあげていけるというのか
自信がない
同じようなまとまりで育ってきたクラスメイトやTwitterの同級生たちが来年度には社会人として働き出すのだと思うと発狂しそうになる
ほんとうにこの道でいいのか
私は自分には普通に就職する社会的能力は無いと思っていて、それが故に誰にも言えない劣等感を増やしている
翻って私にはなにも、なにもない。
どうせ自分がいなくなったって妹もいるし別にいいのでは とかいう思いに囚われる
来年からは修士になって、その次は博士課程にすすんで、その次はって、このままだと私はそういうふうに行くのだろうと思う
でもその過程で多分また私はすり潰されていってまたきっとずっと何もできなくなる
どうせいつかは壊れてしまうのなら今もう諦めてしまっていいんじゃないかとか悩む
もしかしたら有りもしない不安にばかり頭を占領されていて動けなくなって外に出られなくなるような私はやっぱり生きていくには向いてないんじゃないかなぁ
この時期はいろんな人から年賀状が届いたり、Facebookで年始の挨拶を目にすることが多いんだけど
みんな「充実した一年でした」みたいな記載が多くて、自分と比較しちゃって、自分の何もなさが際立っちゃってつらい。
僕は今、地方の30代後半のサラリーマンで妻あり・子供なし・アパートを借りて生活している。
事務系の社員なんで収入は一般のサラリーマンより多分だいぶ低いと思う。
Facebookなんかでクラスメイトの記事を見ると、子供の誕生や成長に幸せを重ねたり
マイホームを手に入れたり、中には東京にオシャレなレストランをオープンさせてたり…
それに比べて、僕は何の話題ない。
「比較したってしょうがない」って言い聞かせるんだけど気持ちが晴れない。
その人たちの努力の結果だとはわかっている(つもり…)
自分は確かにその人たちほど努力してこなかったかもしれないけど
じゃあ「どこで間違えて、どうやり直せば変わるのか」なんて、ぜんぜんわからない。
こんなこと書いてる時点で、お前はダメだって批判はわかるんだけど
ココに吐き出させて下さい。
1年生の時にやったのは珍しい名字を持ったNというクラスメイトをターゲットにして、その苗字をいじってバカにするというものだ。はじめは自分1人でやっていたが、ムキになるNの反応がおもしろいこともあって、しだいに他の生徒も乗ってきてエスカレートしていった。ある時など「なぜこんなことをするのか」と自分に問うてきたNに「俺はNに強くなってほしいからやってるんだ」というトチ狂った返答をしたこともある。耐えかねたNが早退するようなときもあったが、いじめは長続きしなかった。新任だがやけに迫力のある担任の先生が加害者を集めて一喝したからだ(Nに謝罪したかどうかは記憶にない)。担任が止めなければ物理的な暴力などに発展して取り返しのつかない事態を招いていたかもしれない。なので担任には感謝しているし、一度の説教でいじめを止めるぐらいには自分や他の加害者の心のなかに良心のカケラが残っていたのかなと思う。幸い2年時、3年時のNは穏やかな学校生活を送れていたようだ。
次の2年生のときにもやった。対象はKというクラスメイト。家が貧乏なKは風呂にも入れなかったらしく常に特有の体臭がしており、そんなKをクラスメイトは無視したり、陰で臭いと罵った。自分は首謀者ではなかったがフレンドリーに話しかけてきてくれたKを無視したことがあるので、五十歩百歩だろう。このいじめには担任の介入はなく、止まずエスカレートせずという状態で終わった。自分は謝っていない。Kもよく耐えたものだ。3年時のKは事情のある子が集まるクラスに入ったおかげか、傍から見たぶんには楽しそうにやっていたと記憶している。
そんなわけで、中1〜2年時の自分はどうしようもないクソ野郎だった。Nに対してもKに対しても本当に申し訳ないと思っているが、許してもらえるとも思っていない。そもそも上記のように謝っていなかったり記憶すら定かでなかったりする体たらくだ。いま目の前で謝れば許してくれることもあるかもしれない。だけど苦しんでいた当時の彼らに許してもらわなければ意味がないと思うのだ。なので、今もずっと彼らへの申し訳なさと自分の情けなさが入り混じった贖罪意識を引きずっていて、いじめのニュースやいじめを取り扱った創作物を目にすると暗い気持ちに囚われることがよくある(『3月のライオン』を読んだ時は自分が責められているようで、本当に情けなかった)。
ここに書いたのは懺悔のつもりではなく、自分も苦しんでるんですよと言いたいわけでもなく、今後も申し訳なさと情けなさを引きずって生きていくのだ、それだけのことをしてしまったのだという確認。ここまで読んでいただきありがとうございました。
俺の場合「包茎」を知ったのは高校生の時、「オナニー」は知識としては多分中学生の時で初めて実行したのは高校の時
包茎は全く知らんかったがオナニーは中学の時クラスメイトか誰かが「初めてやったのは小学生の時」って言ってたから相当俺は遅い方であることが分かる
何でこんな遅くなったか理由を考えると産みの父親が小学生になるぐらいには別居していたからかもしれない
普通なら父親か友人やその兄弟から知り得るのかもしれないが俺の場合全くなかった
高校の時「間質性膀胱炎」にかかりその時新しい父親から包茎について教えられた
もしもっと早い段階で学んでいたらこの病気にかかっていなかったんじゃないかと10年以上たった今思う
性知識のタブー視は減らした方が良い
NHKで生理の特集組んで大反響って記事見たけどそのような機会を増やして
男女双方の基本的な性知識を学ぶ機会を広めて欲しい
中学まではちょっと頭が良かっただけで周りから天才などと呼ばれていた。
学校の勉強はつまらなかった、宿題なんてやらなかったけど、授業もまともに聞いてなかったけど何故かテストだけはできた
地元の工業高校に入った、高専という選択肢もあったけど厳しそうだったからやめた。(自分の甘さ)
この頃パソコンにハマった。
そこには自分の知らない技術ばかりで毎日がとても刺激的だった。
ネット上には自分よりすごい人ばかりでこの人たちに追い付きたいと思った。
そして必死にプログラミングの勉強をした。でも凄すぎて追いつけないと思った。
高校に入っても面白いことはなかった。相変わらず勉強はつまらないものばかりだった。
それでも一年の頃は資格だけはいろいろとっていた、役に立たないようなものもなるべく沢山取ろうと思って勉強した。
学校の勉強よりは楽しかった。第一種電気工事士や電験三種、応用情報などは結構勉強したと思う。
おかげでジュニアマイスターとかいう表彰もされた。無駄に大きな、ゴミになるような賞状をもらった。
もらった時は達成感もあって嬉しかった。
そして高3になって適当に受けた小さな電気工事の会社に内定をもらった。
このままでいいのだろうか。
学校やめたい。
何もできない自分が嫌になった。
うちの家族は全くと言っていいほど会話がない。
最近生きているという感覚が、生かされてるという風に移り変わってきている感じがする。
というのも家庭環境さえ良ければなぁ・・と高校時代からずっと思ってきた。現在は浪人1回生。。(浪人を決めたのもこの家庭環境が一番の要因)
あまり悩みは作りたくないし考えようともしないけどこればっかりはあまりに生活と緊密に関わることだから悩まずにはいられない。
まず状況から整理すると、
家族構成は父母弟俺の4人家族。夫婦間では全く意思疎通なし、俺と弟も1年に1回あるかないか、最近だと数ヶ月前に「ゲームの音うるせーから静かにしろ」くらい。
父は母に話しかけはするものの母は顔すら合わせようとせずガン無視、ふさぎこむ。これには後に書く出来事から起こった。
弟と会話が無くなったのは明確な理由はないけど、後で書く話以降から自然消滅的に消えていった感じ。
もし母が父に何か聞きたいことがあった場合、例えば出前取るんだけど何がいいか?って聞きたいときは、母が俺や弟に聞いてきて~といった感じで、子どもが伝達役になってる。
父は母に対しては普通に話しかけているのでそういうことはない。
で、その話の内容に入りますと、
事の発端は7,8年前のこと。
あれは夕食を食ってる時に私の父と母が喧嘩したのが始まりだった。母が父の箸をテーブルの上に置いておくのを忘れたとかそんなこと(だった気がする)で、父はその態度が気に入らなくて怒鳴った。母も反撃をかます。
こういうことは前にも2,3度あったんだがそのときは普通に折り合いがついて仲良くやってた。もちろん喧嘩してるときは自分も嫌な気持ちにはなったけどすぐ仲直り……すぐとは言わずとも時間をかけてでも仲直りはできた。
だけれど今回はいつもとは違って父と母はそのまま口喧嘩が続き、両者ともども感情的になりすぎて、母からは今まで口にしたことも無いような暴言まで繰り出される。
みたいなこと母は泣きながら言ってたと思う。
そのときは自分は小学生だったので、今までに類を見ない光景を見て深い悲しみを感じたことは今でも覚えている。これはいつものことだ・・いつものことだ・・と。
そして冷静に考えればいいことなのに、父も逆上していて、そのまま食べ終わった食器などをガタンと台所に置き、寝室に戻ってった。
いつものように仲直りして普通の生活に戻って欲しいなあ・・と当時の自分は思ったね。
しかし翌朝、父がリビングでTVを見ているなか、母は顔を合わせようともせず壁の方を向きながらキッチンの方に通り過ぎていく。
当然怒りも収まった父はそのことに不服を立てて何か言ったようですが母は無視。
父は父で、その出来事について再々度問うこともなく、以後、さも植物人間に話しかけてるかのように一方的に話をするだけ。
そして喧嘩の日からそういった態度が変わることもなく次第とそういう生活に定着していき、周りから見ればあたかも平和そうな家庭を演じながら、今に至る。
父はそういう状況でも汗水垂らしながら金を稼ぎ、母は飯を作ったり家事・掃除etc…とやらの家庭の切り盛りを行ってくれているところは変わらない。
こういう夫婦を見ていると、あんたらどうして結婚したんですか?今の生活に満足してるんですか?どうしてこんないやーな空気を打破しようとしない? そんな疑問が心の底からふつふつと沸騰水の如く湧きあがる。
おそらく自分の両親が離婚などを決めない理由は、子どもがいることが一つあったのだと思う。
俺としては、両親は仕方がないから子の教育等のための金を出してもらってるという気分になってて、でも親としては早く離婚やら別居して自由にライフを送りたいっていう気持ちもあるんだろうとか思う、今現在に至るまで耐えているこの訳の分からない生活は何のために存在してるんだろうか?
両親としては互いに離れたいのに、仕方ないから大学卒業するまで金出してもらってる感が否めない。そういうところが自分にとっては生かされてるような気がしてならない。
まあ「世の中広いし、そういう人間もいるんだなあ」「こういう環境が珍しいわけではない」みたいに考えてスルーしてたけど、改めて考えるとやっぱりイライラする。
高校生だった頃にクラスメイトが家族でライブに行ったなどという話を聞かされると、表面上はにこにこするけどやっぱり悲しい。
自分は家庭環境のために浪人したと書いた。今住んでるところから離れて暮らしたいのでね。
が、浪人して離れたところに一人暮らしをし、大学に通うなんてことをしたら親には相当な金銭的負担を与えることになる。
これが”金出してもらってる感”からの”生かされてる感”に繋がってくるわけで、これでいいのかなあと思う事が最近受験を間近にしてしばしば出てくる。
親からは早く独立して自力で稼げるようになりたいなあ。親からの助け合いに乞うことはあまりしたくない。
これも時間が解決してくれるんだろうか。
とりあえずあと3か月間勉強頑張ろう。
私は不幸な少女時代を送った。
その理由のまずひとつに、ADHDという発達障害があり、学校生活自体が苦痛で苦痛で仕方なかったというのがある。
もう思い出したくもないが、とにかく毎日キツい言葉で罵倒され、馬鹿にされた。
私の友達の前で私の恥ずかしかった事や、言ってほしくないような事を言って笑いを取って馬鹿にしたり。
私の事を、本当に汚く、劣ったものを見るように軽蔑した目を向け「うっっわ、きったな」とか言ってた。
姉は頭が良く、運動神経も良かったので、何事にも不器用なADHDの私が本当にひどく、劣ったものにみえたのだと思う。
私も自分が劣等生物であることはわかっていたが、姉に言い返せる脳もなく、暴言に耐えるしかなかった。
たまに力任せに姉に歯向かったが、同い年の中でも小柄だった私が姉に勝てるはずもなかった。
子どもの頃、嫌いな人はクラスメイトにたくさんいたけど、その中でも姉は別格に、殺したいほど嫌いだった。
しかし時がたち、姉も私もある程度大人になった。
姉も、私のことは多々馬鹿にするものの、大人になってかなり優しくなった。
私も、地獄のような義務教育期間、高校生活を終え、大学生になったら不思議な事にADHDの症状もかなりおさまった。
姉とも、前より断然仲良くなった。
ふうん、と思った。
まあ、おめでとう、と。
しかし、この前の姉とその旦那を呼んでの家族の食事会の時のことである。
幸せそうな姉を見ていると、なんだかものすごく疑問が湧いてきた。
あれだけ私の事をいじめた姉が、何を勝手に幸せになっているのかと。
姉の人生は、おそらく彼女の計画通り、上手くいっているようにみえた。
あれだけ、私をいじめて、コケにして、みんなの前で馬鹿にして、ネタにして笑って、私の心をボロボロにしていながら今、彼女は幸せになろうとしている。
ずるくない?
私、あんたのせいでどれだけ苦しい人生送ったと思ってんの。
それから、姉の子どもが障害児でありますように、という妄想が止まらない。
子どもの頃からリア充で、一流大学に入って、一流企業に入って若くして結婚した姉の子どもが障害児。
考えるだけで笑い出したくなる。
いいけどさ、なんで、イジメられたことを謝りに行ったら、怒られるという概念になるのかがわからない。
イジメられたほうがしているのは絶望だ。怒るという発想にすらならないよ。怒る気力があるのなら、まだ救えるけどな。
すくなくとも、謝りに行ったら?何十年後かにすこしは救われるだろ。
学校に報告したって、握りつぶされて終了。
不登校になった時点で問題化してない時点で、学校も動かないだろ。
普通は怒る気にもならない。人間に対して反応することその物が嫌になる。絶望というものはそういう物だ。
俺は授業中も休み時間も友達とバカ騒ぎするひょうきんタイプだった。
初めての会話がどんなだったかは覚えてないけど、いつの間にか仲良くなって、よく喋ってた。
受験が終わってから付き合い始めて、学校が別々になった夏休みに些細な喧嘩で別れてしまった。
本当にあの頃は女の子のこと何一つ察せないバカだったなあって今でも思う。
その後はずっと連絡取らず、中学のクラスメイトで集まって飯行くような時も遠くの席に座って目を合わせないようにしてた。
中学出てから3年後、高校を卒業し、俺は専門、彼女は大学へ進学した。
その年の5月、中3のクラスメイトのTwitterから彼女が俺のTwitterを見つけたらしく、フォローされた。
実は俺はその時もう彼女のアカウントがそれだって知ってた。怖くてフォローしてなかったけど。
フォローされたのがきっかけになって、いろいろ話すようになった。
俺は最初は相手の出方を伺うような話し方をしてたのに、彼女は本当に3年間一切連絡をとらないでいたとは思えないほど、フレンドリーに、接してくれた。
1ヶ月ほど、オンラインでやりとりを続けた後、また遊びに行きたいねって話になった。
ふたりとも実家から学校に通っていたので、住んでいる場所は中学の学区内で近い。
田舎なので遊ぶ場所が乏しく、結局カラオケに落ち着いた。カラオケは中学の頃よく二人で行った。
会うのは3年ぶりだったけど、本当に、3年間が嘘のように、中学時代の延長のように楽しかった。
続きはまた書く。
『馬鹿と言う人が馬鹿』 これはもう疑いようのない事だと思う。
これについてこれから度々考察し、匿名ダイアリーに書くことにしようと決めた。自分の考えをまとめて整理する為だ。
この『バカとゆう人がバカ』といった言葉に、最初に出会ったのはいつであったであろうか。
過去を遡れば小学生の頃であろうか。・・いや、もの心がついて間もない時まで遡るかもしれない。
その時は自分も含め、親兄弟そして友達クラスメイト、はたまた恩師にいたるまで『馬鹿』とゆう言葉を多用していたように思われる。
「この馬鹿っ」「いやーぃバーカばーか」「うるせーよバカってゆうおまえが馬鹿だよ」「カーバ」「ばっかじゃねーの」
「馬鹿なんだからやめろよ」「んもう・・バカなんだから❤」・・・など多種多様な使われ方、使い方をしてきた。
この『馬鹿』という言葉について違和感や嫌悪感を感じたのはいつであっただろうか・・・
この疑問もきっと幼少時まで遡ることになるのだろう。
それほど馬鹿と言われるような行為をしてきたし、また短絡的に『馬鹿』と言ってしまう人物に囲まれた環境であったようにも思う。
ここで『馬鹿』と『馬鹿といわれるような行為』は分けて考えるべきだと提案したい。
理由は後で上手く説明できれば良いと思っている。
それで、馬鹿という言葉に対しての違和感や嫌悪感なのだが・・・
こんなもん言われたら嫌に決っているからだ。
なぜならば他者を『馬鹿』と断罪する人間は、決まってその対象者を見下し侮蔑しているフシがある。
この点については、異論など様々状況によって変わってくるであろうが、総じて『馬鹿』と他者対して言う人間は自分のほうが優秀だと思っている。
そして『馬鹿』と言ってしまう人間は言った相手に対して、考える事をやめてしまっている。
短絡的に『馬鹿』と断定し断罪し、慮ったり思いやったり、なぜ相手がそうなのかについて思考することをやめてしまう。
思考を停止して決めつけてしまう・・・。これはとても『愚かな』行為なのではないのだろうか。
まして『馬鹿』とゆう言葉を受け取った側の人間からすると不愉快極まりない。
その言われた瞬間に、相手から見下されてしまっているからだ。ここで怒らない人間はよっぽど出来た人ではないと無理だと思われる。
くだらないプライドを捨て、謙虚に真摯に『馬鹿』という言葉を受け止める。そういった人だ。
あほか!無理や!
日々そうゆう人間になりたいと努力は続けているが無理や!短絡的に『馬鹿』っていってくるような人間に謙虚などなれるかいっ!ぼけぇ
・・・少々取り乱してしまったが、本人が故意に間違いを犯したり、性根が曲がっていてワザと『馬鹿な行為』をしている場合ではないのに対し、
『馬鹿』だろ?「おまえバカだろ」などと言ってくる人間を、私は軽蔑するであろう。
なぜなら【人にされて嫌なことはすべきではない】と思っているからだ。
これは年を重ねていくうちに経験として、また他者から教えられて実感し学び身につけて来たことだと思う。
この点についてだけでも、他者に対し『馬鹿』などと言うことは良くないことだと明らかだと思われるのだが。
だって嫌な事されたり言われたりしたら不愉快じゃん。ムカムカイライラするじゃん。嫌われるじゃん。
別に嫌われてもしかたない場合もあるけれど安易に嫌われる必要ないじゃん。好きな子にフラれちゃうじゃん。
あと自分自身が『馬鹿』と言われる対象者ではなく、第三者の立場であった場合においても不愉快である場合が多い。
誰かが誰かに『馬鹿』と言われているのを聞いてしまったりする場合だ。陰口であったりした場合などは、なおさら最悪である。
まあ例外もあって、自ら『馬鹿と言われるような行為』を理解したうえで行った場合は別である。
「うわーい今日は白ーしーろしーろ白パーンツー」「ばっっかじゃないのっ!」
とかいった場合は『馬鹿』と言われても仕方がない。自ら解っていてやっているのだ。
しかしこれについてもスカートめくりをした本人が『馬鹿』なのではなく、スカートめくりという『行為』が『馬鹿』なのだ。
なぜなら・・・なぜならスカートをめくった本人は相手の女の子を好きであったりするかもry)
その人自身が『馬鹿』なのではなく『馬鹿』といわれる行為があるだけだ。
『馬鹿』と言われる『人間』があたかも存在し、またそれが当たり前かのように思われているかもしれないが、
それは『馬鹿』と他者に対して言ってしまっている人間が創り出し、短絡的に決定付けてしまっているにすぎない。
この言葉を意識し、本当に考え始めたのはいつだったろうか・・・
やはりトム・ハンクス主演の映画[フォレスト・ガンプ]を見てからだったように思う。
あの映画の主人公は、自分の話し方や行動行為で、他者から絶えず『馬鹿』(gump)と言われていたはずだ。
そして言われるたびに主人公は言い返すのだ。『馬鹿と言う人が馬鹿』であると。
映画を観た方ならわかると思うが、はたして主人公は『馬鹿』であっただろうか。
決してそうではなかったはずである。
昨今インターネットを閲覧していて、とてもよく見かけるのだ・・・短絡的に他者を馬鹿よばわりする人を。
安易にそういった言葉で他者を避難したり卑下したり揶揄したり見下したりする人たちは、自分がされる場合になったら嫌ではないのだろうか。
果たしてその対象者は『馬鹿』と断ずるに値するのであろうか。ただ単に経験が足りなかったり、知識がなかったり、知らないだけだったり、はたまた勘違いをしていたり。
そういった事なだけではないのだろうか。
上記のような状況を私はインターネットや私生活で見聞きしたりする度に、悲しくなったり深く考えたり、気分が悪くなったりするのだ。
そして
嘆かわしいとゆうか悲しいとゆうか驚くのだが、「知識人」と呼ばれている方などに特に多く見うけられる気がする。
ある程度の地位などに就いている方なども、そういった傾向がある気がする。
そしてだ。こういった方々は必ずといっていいほどブーメラン現象をみせてくれたりする。
自分が行っていた行為や言説で、自ら墓穴を掘ったりしてしまうのだ。
はたから見ていて目も当てられない。
最悪な事に、自分が間違ったとしても認めなかったりもする。間違っているのにもかかわらず、自らを省みずに他者を攻撃し続けたりもするのだ。
恥ずかしくはないのだろうか・・・もはやそうゆう感覚もないのだろうか。
それとも自分だけが正しく、まわりは間違っているに決まっていると思い込んでしまっているのだろうか。
他者をすぐ『馬鹿』だと断定してしまう人に、こういった事例が多い傾向があるように思われる。
こういった事こそが愚かで『馬鹿』な行為なのではないのだろうか。
確かに解らなくもないのだ。
知識がある方からすれば、知識がない人は愚かに見えることもあるだろう。
経験を積んだ年長者から見れば、若い人々の行為が愚かに見えることもあるだろう。
知っていて当然だと思う事を知らなければ「え?」っとなる気持ちもわかる。
出来て当然だと思える事ができなければ「なんで?」となる気持ちもわかる。
しかし気をつけて欲しい。果たしてそれは知っていて当然なのだろうか。出来て当然なのだろうか。
知らない事に対して理由があるのではないのだろうか。
出来ない事に対して理由があるのではないのだろうか。
出来る人はできない人の気持ちはわからないのだ。
目が見える人に目が見えない人の気持ちはわからないのだ。
歩ける人に歩けない人の気持ちはわからないのだ。
若い人に年老いてしまって体が不自由な人の気持ちはわからないのだ。
高等数学を苦もなく解ける人に算数でつまずく人の気持ちはわからないのだ。
語学が堪能な人に国語の勉強でつまずく人の気持ちはわからないのだ。
会話が得意な人に吃音で悩んでいる人の気持ちはわからないのだ。
赤ちゃんが何故なくのか日々生活に追われる大人や子育てをしたことのない人にはわからないのだ。
または忘れてしまっているのだ。
まだまだたくさんあるだろうけど、今挙げた例は逆もまた然りなのだ。
経験していない事、出来ない事や立場については理解することは難しい。
きっと何かについて苦もなく出来てしまう人は、出来ないという経験を積む事がないから
悩んだり苦しんだりする気持ちがわからないのだ。
悩んだり苦しんだりという感情を経験してないから、そういった感情自体を知らないかもしれない。
あまりにも出来てしまう人はきっと悩んだり苦しんだりする経験が薄すぎるから、感情が希薄になってしまう事もあるのかもしれない。
怖い事なんだけど、有能だと言われている人にはこうゆう傾向があるように思える。
・・・これはまた別の問題かな。今回の『馬鹿とゆう人が馬鹿』といった問題とは別かもしれない。
さて・・・
しかし、だ。
それら理解できない状況や立場、行動行為、人などを『馬鹿』と断定してしまって良いのだろうか。
切って捨ててしまっていいのだろうか。
理解しようとせずにいていいのだろうか。
それではあまりにも短絡的すぎるのではないだろうか。
思考停止と言えるのではないだろうか。
短絡的にすぐ断定したり、思考を停止させてしまう行為こそが愚かなのではないだろうか。
決め付けや憶測での価値判断こそ『馬鹿』な行為ではないだろうか。
高度な事を教えるのなら段階的に教えればいい。
基礎の事から学ぶように導けばいいだけの話だ。
なぜそうなるのかわからない場合、局所的な事実では見えない事もあるのだから、大局的な捉え方に目をうながすのも良い。
ちょっと立ち止まって思いやったり想像したり、相手の立場になって考えたりしてもいいのではないだろうか。
自分が上手く説明できたりするようになればいいのではないだろうか。努力してみたらいいのではないだろうか。
そういった姿勢や考えこそが賢く、【利口】と言えるのではないだろうか。
ふぅ~・・・ここまで書いてきて今気づいたのだが・・・あまりにもまとまりが無い。
文体、文脈、論理展開など滅茶苦茶じゃないだろうかこれは・・・。
このテーマについてはまたこれからも考察したりしていこうと思っている。
自分が他者にたいして短絡的に『馬鹿』などと言わない人になるために。
だが人に言われるのは好きじゃない。
「障がい者の人は害じゃない!"害"なんて言い方、差別だ!」って言ってる人間わりといるけど、障害者は害だと思います。そもそもの"障害"の語源の話とか差別かどうかとかは別として。
僕が通っていた小学校では"特殊学級"(F組、ともいいますね)が無かったので、知的に障害のある男の子がひとりクラスにいました。で、いるだけならいいんだけど、女の子を追いかけ回すんだ。下半身裸で。1年生、2年生のころは笑って済まされてたけど、6年生にもなると女の子泣いてましたよ。当たり前だよね。これは確実に害だと思う。
中学校の時のキャンプでは、その子は盛大におねしょをしたそうです。テントから何からオシッコまみれで、そのテントにいたクラスメイトはしばらく(いじめに近いレベルで)からかわれてました。これも害でしょう。
まあ結論としては、こういうレベルの障害者は無理に普通学級に入れるよりはきちんと専用の施設に入れてあげたほうが当人も幸せなんじゃねーの?ということです。
あ、身体障害者は害じゃないと思います。まあ知的でも身体でも人によるよね。
以上です。
小学4年の夏、
そんな自分でも空手を習えば強くなれるんじゃないかと思い、近所の空手道場に通うことにした。
そんな気持ちで僕は道場の門を叩いた。
しかし、それはあまりにも浅はかな考えだったとすぐに思い知らされた。
けっきょく、この空間は学校となんらかわることのない暴力の真っ只中であった。
中学時代は馴染めない地元から離れ、2駅となりの学校に通うようになった。
身体が大きくなったことと小学生時代の反動もあって、中学の頃は喧嘩にあけくれた。
気づけば札付きの悪になっていた。
腕っぷしには自信がある。でも満たされない感情があった。
「好敵手と戦いたい!血沸き肉踊るようなバトルがしたい!」
そんなとき、久しぶりに地元を歩いていると、ある看板が目にはいった。
そう、あの惨めな想いですごした小学校時代、強くなろうと門を叩いたあの道場の看板である。
僕は深く深呼吸をした。
「俺より強い奴に会いにいく!!!」
http://anond.hatelabo.jp/20130909213415
【追記】
元の記事はこれの転載のネタであることを知ってホッとしている。笑い話で済むならどんなに幸せであったか・・・
http://qa.news.mynavi.jp/question/9270/
なぜなら、私が訪れた道場での出来事はこんな風に笑える状況ではなかったからである。
その後
よく「惜しい人を亡くした」って言うけど、その感覚がどうしても理解できない。
同僚などの近い人が死んだときによくブログとかの追悼文でそう書いてる人がいるけど、本当にそう思うんだろうか?
自分の周りで亡くなった人がまだ祖父と高校の時のクラスメイトだけだからだろうか?
祖父はまあ寿命だってことで片付く問題だし、高校の時のクラスメイトも若干の寂しさこそあれ、普通の毎日がまたやってくる。
正直なところ同年齢のこの前まで話していた人が死ぬという出来事はかなりショックではあったけれど、「惜しい人」とはどうしても思えなかった。
ニュースで有名人の訃報を見たときも、あまりそう思ったりしない。
自分は北杜夫が大好きだが、死んだときも「あー亡くなったのか」位のもんだった。
年齢が若ければ惜しいかというとそうも思わない。「早く亡くなってかわいそうだね」くらいのことは思うけど「惜しい」とは思えない。
自分の生活や心を支える人が亡くなればひっちゃかめっちゃかになるだろうけど、それは果たして「惜しい」なのか。
自分が未熟なのか、それともみんな前口上でそう言うだけなのか。
私が小学生の頃、当時から「総合的な学習の時間」というのがあって、小学生には「ソーゴー」とかいうよく分からない時間だった
あれは今となっては児童に考える力を養ってもらうためのものだったのだろうと解釈できるし、実際にもそういった狙いがあるらしい
ある日の総合的な学習の時間はグループワークで、グループはクラスの中で自分たちで組むものだった
だいたいこういう時は仲良しグループで固まる。私は友達が多くなかったので、いつも仲良くしている友達を必至で確保した
しかしグループは5人以上10人以内という決まりがあって、2人ではどうしようもない
そうこうしているとクラスの派手な女の子たちのグループが2人足りないから来てくれということだったので、そのまま吸収されるような形になった
派手な女の子たちはやっぱり派手で、一方私は地味だった
それでもグループで一緒になった以上は私にも発言権はある訳で、私は彼女たちの短絡的で向こう見ずな提案に問題があることを指摘した
しかし「お前地味で黙ってるから連れてきたのに何言ってんのwww」という感じで軽くあしらわれて、彼女たちのノリであれこれ決まっていった
地味ながらにとても納得のいかない出来事だった
総合的な学習の時間で居場所のない自分は、そのやり場のない気持ちを日記の中に書き綴った
友達もよく分かってくれたし、交換日記の中の自分はいきいきしていた
二人の中の世界だから見られないから大丈夫という気持ちがあって、総合的な学習の時間の話に始まり、他愛のない話や誰かの悪口も書いた
どんなに嫌なことがあっても、あの交換日記に書けば友達が見てくれて、面白い反応をしてくれると思えば何てことなかった
交換日記は手渡しではなく、お互いの机の中か下駄箱に突っ込んでいた
ある日のこと、そろそろ友達から日記がやってくる頃かな、とわくわくしながら机を探ると、中に入っていない
と思ったら、クラスの別の誰かが取り出したらしく、大勢がそれを取り囲んで見ていた
私は唖然とした
交換日記を取り戻した時にはもう遅かった。噂はそこら中に拡散されて、悪口の相手にも届いた
悪口の先のほとんどは、総合的な学習の時間の派手な女の子たちのことだった
つまり、彼女たちを敵に回した訳であり、当時スクールカーストみたいな言葉はなかったけど、彼女たちを敵に回したということはこの先どうなるかは大体察した
彼女たちはすぐに先生に言い付けたので、私と友達は呼び出されてこっぴどく叱られ、クラス会でも取り沙汰された
それで全体的な結論として、「ひとのわるぐちはいけません」みたいな結論が出た
いやちょっと待てよ、私たちはノートの中で二人きりで世界を共有していただけで、他の大勢の人間に悪口を吹聴したりなんかはしていない
そもそもどうしてノートを持ちだした児童が悪く言われないんだろう
「私たちはノートで気持ちを書くこともいけないのですか?どうしてノートを持ちだしたクラスメイトは怒られないのですか?そもそも誰がこのノートを持ちだしたんですか?」
「秘密事をしてはいいと思ってるのか!」「お前は犯人探しをしたいのか!犯人探しをして何が楽しいんだ!」
私は子供ながらに担任が論点の段階ですれちがっているような気がして、もう何も言わなかった
ただ一人、過去に担任になった魔女みたいな先生が職員室にいて「何言ってるの?交換日記なんて普通じゃない。それを持ち出す方がよっぽどデリカシーが無いじゃないの」と一蹴したのが唯一の救いだった
私と友達はそれから周りに大声でみんなに聞こえるように悪口を言われるようになった
授業で発言をすれば「うるせー死ね」、すれ違うと「くせー」
耐え切れなくなってそれを担任に相談したら「私の見ている場で起こっている訳じゃないんだから私が注意できる訳がない」と言われて相手にもされなかった
先生、あなたの見ている場で起こっていることを見過ごすなら交換日記の件でどうして児童を相手にしたのですか