よく「惜しい人を亡くした」って言うけど、その感覚がどうしても理解できない。
同僚などの近い人が死んだときによくブログとかの追悼文でそう書いてる人がいるけど、本当にそう思うんだろうか?
自分の周りで亡くなった人がまだ祖父と高校の時のクラスメイトだけだからだろうか?
祖父はまあ寿命だってことで片付く問題だし、高校の時のクラスメイトも若干の寂しさこそあれ、普通の毎日がまたやってくる。
正直なところ同年齢のこの前まで話していた人が死ぬという出来事はかなりショックではあったけれど、「惜しい人」とはどうしても思えなかった。
ニュースで有名人の訃報を見たときも、あまりそう思ったりしない。
自分は北杜夫が大好きだが、死んだときも「あー亡くなったのか」位のもんだった。
年齢が若ければ惜しいかというとそうも思わない。「早く亡くなってかわいそうだね」くらいのことは思うけど「惜しい」とは思えない。
自分の生活や心を支える人が亡くなればひっちゃかめっちゃかになるだろうけど、それは果たして「惜しい」なのか。
自分が未熟なのか、それともみんな前口上でそう言うだけなのか。
「もう一仕事してくれそうな人」くらいの意味なんじゃないの? してくれそう=惜しい してくれなさそう=惜しくはない っていう。