私が小学生の頃、当時から「総合的な学習の時間」というのがあって、小学生には「ソーゴー」とかいうよく分からない時間だった
あれは今となっては児童に考える力を養ってもらうためのものだったのだろうと解釈できるし、実際にもそういった狙いがあるらしい
ある日の総合的な学習の時間はグループワークで、グループはクラスの中で自分たちで組むものだった
だいたいこういう時は仲良しグループで固まる。私は友達が多くなかったので、いつも仲良くしている友達を必至で確保した
しかしグループは5人以上10人以内という決まりがあって、2人ではどうしようもない
そうこうしているとクラスの派手な女の子たちのグループが2人足りないから来てくれということだったので、そのまま吸収されるような形になった
派手な女の子たちはやっぱり派手で、一方私は地味だった
それでもグループで一緒になった以上は私にも発言権はある訳で、私は彼女たちの短絡的で向こう見ずな提案に問題があることを指摘した
しかし「お前地味で黙ってるから連れてきたのに何言ってんのwww」という感じで軽くあしらわれて、彼女たちのノリであれこれ決まっていった
地味ながらにとても納得のいかない出来事だった
総合的な学習の時間で居場所のない自分は、そのやり場のない気持ちを日記の中に書き綴った
友達もよく分かってくれたし、交換日記の中の自分はいきいきしていた
二人の中の世界だから見られないから大丈夫という気持ちがあって、総合的な学習の時間の話に始まり、他愛のない話や誰かの悪口も書いた
どんなに嫌なことがあっても、あの交換日記に書けば友達が見てくれて、面白い反応をしてくれると思えば何てことなかった
交換日記は手渡しではなく、お互いの机の中か下駄箱に突っ込んでいた
ある日のこと、そろそろ友達から日記がやってくる頃かな、とわくわくしながら机を探ると、中に入っていない
と思ったら、クラスの別の誰かが取り出したらしく、大勢がそれを取り囲んで見ていた
私は唖然とした
交換日記を取り戻した時にはもう遅かった。噂はそこら中に拡散されて、悪口の相手にも届いた
悪口の先のほとんどは、総合的な学習の時間の派手な女の子たちのことだった
つまり、彼女たちを敵に回した訳であり、当時スクールカーストみたいな言葉はなかったけど、彼女たちを敵に回したということはこの先どうなるかは大体察した
彼女たちはすぐに先生に言い付けたので、私と友達は呼び出されてこっぴどく叱られ、クラス会でも取り沙汰された
それで全体的な結論として、「ひとのわるぐちはいけません」みたいな結論が出た
いやちょっと待てよ、私たちはノートの中で二人きりで世界を共有していただけで、他の大勢の人間に悪口を吹聴したりなんかはしていない
そもそもどうしてノートを持ちだした児童が悪く言われないんだろう
「私たちはノートで気持ちを書くこともいけないのですか?どうしてノートを持ちだしたクラスメイトは怒られないのですか?そもそも誰がこのノートを持ちだしたんですか?」
「秘密事をしてはいいと思ってるのか!」「お前は犯人探しをしたいのか!犯人探しをして何が楽しいんだ!」
私は子供ながらに担任が論点の段階ですれちがっているような気がして、もう何も言わなかった
ただ一人、過去に担任になった魔女みたいな先生が職員室にいて「何言ってるの?交換日記なんて普通じゃない。それを持ち出す方がよっぽどデリカシーが無いじゃないの」と一蹴したのが唯一の救いだった
私と友達はそれから周りに大声でみんなに聞こえるように悪口を言われるようになった
授業で発言をすれば「うるせー死ね」、すれ違うと「くせー」
耐え切れなくなってそれを担任に相談したら「私の見ている場で起こっている訳じゃないんだから私が注意できる訳がない」と言われて相手にもされなかった
先生、あなたの見ている場で起こっていることを見過ごすなら交換日記の件でどうして児童を相手にしたのですか