はてなキーワード: ガレットとは
おやつの出ない家で育った子供が大人になって食べてるおやつの話するから聞いて
風味と食感がいい。一粒で意外と満足感がある。なんか口さみしいときに最適。
・兵六餅
ボンタンアメの会社が作ってる似たようなやつ。きなこの味がする。お茶に合う。
3種類のホワイトチョコが入ってるルックチョコレート。フィアンティーヌっていうドライクレープが入ってる? やつが特においしい。
ポテトチップスって普段あまり食べないけどこれはなんか好き。食感がいい。じゃがいも細切りにしたのを焼くガレット食べてる気分になる(味は全然違う)。
1本100円しないで買えるのに満足感がある。朝起きて頭全然働かないときにこれをキメるとぐわーっと脳にエネルギーがいって目覚める。そんな甘すぎないのもいい。
たくさんの反響をいただけて感謝している。初めて4桁のコメントをいただいたのも嬉しかったのだが、ブクマやコメントの体感9割が共感に満ちた、あたたかいものであったことのほうがずっとうれしかった。ツイッター上でも多くのコメントがついた。これほど多くの人が恋愛で何らかの挫折を感じていることを知ることができただけでも、自分の経験を率直につづった意義があった。すべてにコメントを返すことはできないが、非常に励まされた。ほんとうにありがとう。
一方で、デートを繰り返すたびにどのようなトライアンドエラーを繰り返してきたのが不明確で、問題はそこにあるのではないか、という意見をいただいたので、そこを捕捉する。
心掛けたのは清潔感だ。ただ、この清潔感の内容があまり具体的でないことが、多くの人を困惑させている印象を受ける。自分としては逆に、不潔感から減点されることがないことを心掛けた。
まず、身体面について。髪の毛は美容院で短くし、眉も整えてもらう。きちんと入浴し、定期的に歯科医で歯垢を除去してもらい、ブラッシング指導を受ける。爪は短く切りそろえる。デート前にはシャワーをしっかり浴びてさっぱりする。ただし、香水はつけなかった。人によって好き嫌いがかなり大きく出るので、そこはリスクが大きいと判断した。
衣服については、ワイシャツっぽいのとチノパンが多い。靴はスニーカーではなく、革靴に似た質感のものを。眼鏡はJINSをかけている。髪は黒いままだ。学生の頃はコンタクトレンズにと茶髪にしたこともあったが、すぐに目が痛くなってしまったし、染めるのも手間だった。髪を染めたからといって別にモテるようにならなかった、というのも大きい。
ネックなのは、そこまで皮膚がきれいではないということだ。どうも毛穴が開いてしまうし、ニキビ跡が気になる。そこが改善点だろう。
基本的に、自分のなじみのある行動圏内にした。休日を一人で過ごすときにうろつく場所だ。そこでなら、急に予定を変更しても対応が可能だ。美術館を中心に過ごしているので、候補としては新宿、渋谷、六本木、丸の内、上野が真っ先にあがる。次の候補としては水族館のある品川、明治神宮や絵本カフェのある原宿、日本庭園のある美術館のある表参道、それから日本画を見られる恵比寿がある。
その近辺の映画館やカフェを把握しているので。その場の流れで行く場所を考えることになっても対応可能だ。ついでに事前にイタリアンやタイ料理屋などの場所を調べておく。
今後の課題としては、お酒の飲める場所だろうか。自分は下戸なのでそこが困る。アルコールよりは料理にお金をかけたいタイプだ。そうそう、脱線してしまうがwithにはどういう食事デートがいいかのタイプの心理テストもあって、バーが好きとか居酒屋が好きとかお酒よりの料理派とかでもマッチングが行われていた。
基本的に聞き役に回り、共通点があったら話す。体感では相手の話す量とこちらの話す量が7対3だった。知識のひけらかしは絶対にしない。聞かれたときにだけ、ごく簡潔に答える。相手の興味があるジャンルだったらそこに乗っかることも考える。
美術館や映画の感想は、率直に感じたとおりに伝える。ただし、否定的なことはなるべく言わない。面白かったところ、楽しかった点などを話したほうが楽しい。岩井俊二監督の「ラストレター」は、内容はそこまで心に響かなかったが、個人的には庵野秀明が鶴田謙二の絵を描いているという設定がかなり笑えるポイントだった。さいわい、彼女も僕と趣味が共通していたので、そこがおかしいと言って笑ってくれた。その人が結局は音信不通になってしまったのだけれど、もう過去の話なので、どうでもいい。あとは、彼女によれば、岩井俊二の作品には誰かに成り代わって手紙を書くという場面が頻出するそうで、その話をじっくり聞かせてもらった。「花とアリス」にもそういう描写があるそうだ。ずいぶん昔に観たはずなのだが、すっかり忘れてしまっている。
PDCAを回すとすればここなのだろうが、盛り上がるときは盛り上がるし、共通の話題が少ないとなかなか盛り上げられない。共通の話題が少ないと、交際に至っても大変なんじゃないだろうか。あと、実際に顔を合わせないとどうしようもないところも多々ある。さらにPDCAを難しくしているのは、就活と同じで向こうからのフィードバックが原則として一切無いところだ。真っ暗闇の中での手探りとなり、ここで病んでしまう人も多いだろう。
他に心がけたのは、相手の顔を見てゆっくりと話すことと、声を少し低めにすることだ。
趣味は美術鑑賞、読書、ジョギング。無難な趣味で、本は図書館を利用するのでお金がほとんどかからない。
美術鑑賞は、月に1~2回。学生時代は西欧の絵画を見ることが多かったが、最近は日本画も気になっている。現代アートも抵抗がない。それと、古代の出土品なども見るのが好きだ。
読書は小説とノンフィクションを半々。小説は古典や海外文学が多い。ノンフィクションは科学や歴史を扱ったものが中心だ。大体月に12~13冊だが、先月は失恋したのでペースが落ち込み、10冊にとどまっている。
ジョギングは週に1度だけだが近所を10~11km走っている。頻度としては少ないが、やらないよりはずっといい。運動しなかったころに比べると仕事で疲れにくくなっている。加えて、走る前には軽く筋トレをしている。この間失恋した時に行った風俗嬢からは「何か運動されてたんですか?」と尋ねられるくらいの体型だ。ただし、やっぱりここでも顔立ちは褒められたことがない。
付け加えるとしたら旅行だろうか。ここからも話題が広げやすい。
男子校に行っていたので、初デートが19歳でのことだった。大学の中国文学での授業で知り合った女性を、夏休み直前にデートに誘った。けれども、あまり盛り上がらなかった。しかも、無理に手をつないだら痛烈な軽蔑のまなざしで睨み返してきた。そして、夏休みの予定がすっかり空になってしまった。たくさんデートしようと期待していたのに打ちのめされた。懐かしい。だが、今でもあのことが胸につかえていて、女性と気軽に手をつなぐことができない。とはいえ、デートした女の子はみんなポケットに手を突っ込んでいたので、勇気を振り絞っても仕方がなかっただろう。
大学での思い出は他にもいろいろとある。講義で、隣の女子に何気なく話しかけた次の週に、まるでボディーガードのようにその女子の友達らしい人物が控えていたのが、悔しかったことを思い出した。普通に友人になりたかっただけなのに。
社会人になってから、都合三回ほど街コンに出かけた。とはいえ、デートにつなげることは一度しかできなかったし、それも一回目で終わってしまった。
街コンのメリットは、マッチングアプリとは違って必ず対面で話ができることなのだが、進展しなければそれまでだ。それに、街コンそのものに何らかのテーマがないと初対面の女性との接点がほとんど持てない。なんとかデートに持ち込めたのは美術館で行われた街コンだった。恐竜に関する企画展で行われた街コンでは、一応テーマがあって理系女子も多かったはずだけれどもほとんど会話ができなかったし、テーマがまったくないときには非常に困ってしまった。なにより、その時に運営側の手際があまりよくなかったうえに男性が余り気味で、男性4に対して女性2でテーブルにつく羽目になった。なお悪いことに、同席した相手があまり柄のよろしくない人で、女性がいないときには平気で卑猥なことを口にしていたのが耐え難かった。女性とマッチングしなかったのはこいつらのせいじゃないか、とも感じられたのだ。おそらくは八つ当たりだ。
しかも、結局は数人のモテる相手だけで連絡先交換が行われていた。たぶん婚活パーティに参加しても、同じ結果になりそうだ。
2回ほど経験がある。
1回目は塾講師をやっている友人とだ。カラオケボックスで2人連れの女性を落とし、その場で交互にセックスしたという剛の者だ。街コンで連敗していた自分は自棄になって彼についてカラオケ屋に行ったのだけれど、そこでもうまくいかなかった。女性連れの部屋を探し、扉を開けて「一緒に歌いませんか?」と何度も言ったけれど、普通に「迷惑だから帰ってください」と言われて終わった。今振り返ってみれば、そりゃそうだろうと思う。反省している。二十代前半の黒歴史で、一番恥ずかしく、忘れてしまいたい。
2回目は湘南の海辺での話だ。獣医をやっている男で、犬を飼っている若い女性に自然な形で話しかけて仲良くなれるタイプだ。二人して江ノ島をうろついていたが、僕がうじうじしていたのもあり、結局うまくいかなかった。その後、彼が勝手に姿を消して、どこに行ったのかと電話を掛けたりメールしたりしているうちに、水着姿の大学生グループを連れてきた。結局僕はビキニギャルとビーチバレーをして遊んで帰った。楽しかったのだけれど、結局は僕がいるからナンパがうまくいかなかったのかもしれない。
とはいえ、そのイケメンの友人も妻の浮気で離婚しているし、失礼な女性にばかり引っかかっているので、イケメンにはイケメンの悩みがあるらしい。別のイケメンの友人も女性側が不倫していた。なんか自分の周囲はこんなのばっかりだ。ただ、基本的に男性側の話しか聞いていないので、バイアスがかかっている可能性は否定できない。
なんにせよ、一番向いていない方法だと学んだ。
ちょうど就職した直後、文学サークルの後輩女子三人とそれぞれ二人きりで会うことになった。パフェだとかガレットだとかチャイだとかをおごって、ああだこうだ話したのはとても楽しかった。けれども、基本的にはそれっきりだった。僕もそれほど期待していたわけではない。学生なら、社会人の先輩からはランチくらい当然おごってもらいたいだろう。SNSを見るとみんなそれなりに元気そうなので良かったけれど、僕もサークル内恋愛がしたかった。
サークル内部の一組のカップルは結局結婚した。誰が見てもイケメンと美女のカップルだった。もう一人のカップルは男が平気ですれ違った女性に対して「あいつはブスだ」とは言うような奴だったし、女性蔑視的な言動が多かったのに、なぜか彼女ができていたのが、今でも不思議で仕方がない。粗野な奴のほうがモテるのか、という疑惑にさいなまれることもあるけれども、こっちが軽蔑したにもかかわらず慕ってくる相手とは、なんというか健全な関係が築けない気がしていて、自分としてはやっぱり相手のことは大切にしたい。ちなみにそのカップルは別れた。
全然関係ないけど、サークルのもう一人のイケメンは新聞記者をやっていて、そのつてで引退した芸能人と結婚していた。うちの大学は偏差値高いんだけど、天は平気で二物を与える。こればかりは仕方がない。
大学生の男性同性愛者なんだけど、無性にゲイ向けのマッチングアプリでおじさんと会いたくなるときがある。おじさんといっても世間から忌嫌われているような、わかりやすい?ネガティブなイメージのおじさんではない。私が会いたいのはカッコよく、優しく、知的で、包容力があるおじさんである。中々いませんが…
前にそういう素敵なおじさん(以下Kさん)と会ったのはのは2ヶ月前、新宿の高島屋で美味しいガレットを食べながらワイン呑んで、そのあとKさんの住んでるマンションに転がり込んでセックスしたのが最後である。その後Kさんとは会っていない。
Kさんと一緒に食事を食べて交わったのはせいぜい5時間とかそんなもんだったと思うのだが、この5時間は“彼にもう多分会えない”ことをこれまでの経験からなんとなく察知し、噛みしめるほど徐々に美化されてきている。また、あの5時間のような夢の時間を過ごしたい、彼氏になってほしいなどとおこがましいことは言わないからまたセックスだけでもしたい、相手はもはや、顔も見たくないのかもしれないけど。
Kさんは40代半ばで、もう何年か彼氏はいないらしい。大学生の私とよく行く服屋が一緒だったりと年齢を感じさせない雰囲気を身にまとっていた。かと思えば、私が就活の話をしたときに、「俺はロスジェネ世代だから就職大変だったんだよ、今の子が羨ましいよ」とも言っていた、聞けば、なんとかして入った会社を一度辞めて、脱サラし学校に通いなおして現在は専門職をしているらしい。酸いも甘いも噛み分けた大人の男性であることを感じさせていた。
1軒目のレストランを出たところで、「これからどうします?」と尋ねると、「何してもいいよ、付き合うよ」と笑って言ってくれた、でも目は合わなかった。Kさんは少なくとも私を見てはいなかった。笑顔も少し作っていた。今にして思えば、こういう僅かなKさんの仕草を感じとったときに潔く別れた方がよかったかもしれない。でも、そうしたくなかった、私は平静を装いながら頭の中で、Kさんを繋ぎ止めるための策を練りつつ、二人でニュウマンとかをちょっとウロウロした後に、やっぱりこのまま別れてしまうのはなんとなく嫌だったので、思い切って「お家の近くになんかありますか?移動しましょうか?」と尋ねると(直接家に行きたいというのは気が引けた)「俺の家来たいの?まぁいいよ」と言ってくださったので家に行くことにした。
そのあとは二人でお酒を呑み直して、なんとなくテレビをつけて、なんとなく見つめあって、私がKさんの頬に触れて、その勢いでなんとなくキスして、シャワー浴びて、エッチなことをした。ある種のお作法の流れである。
こちらはあんまりテクニシャンではないのでだらついたエッチだった。もしかしたらKさんには退屈だったかもしれない。私はKさんの愛撫が止まっている間に、色々なことを聞いた。
出身県、前の彼氏、Kさんのフェチ、名前の由来、そんなことだったと思う。
その日は「終電にまだ間に合う、泊まりたいけど帰らないと」と言って帰った、Kさんの方も明日仕事だからと言っていたのでその日はそのままお開きになった。駅まで送ってくれたので、その後も少し世間話をしたのだが、セックスした後のKさんは家に来る前より声のトーンが少し低かった、私の話をどうでもよさそうに聞いていた。「多分もう会えないな」と思った。帰りの電車でザ・チェインスモーカーズの「Call You Mine」がSpotifyから流れてきて泣きそうになった、私だって、Kさんを「俺のもの」と呼びたい。淋しくなって、Googleで「ワンナイトラブ 会う 2回目」みたいなことを帰りの電車で検索しまくっていた。
次の日、仕事のはずのKさんはマッチングアプリで「今日暇!会える人!」みたいな募集をかけていた。(私が使っているアプリには、その日すぐに会える人を探し出せるように募集できる機能がある)私の嫌な予想が確信に変わった。やはり私はKさんのお眼鏡にはかなわなかったのだ。こうなってしまうとどうしても会いたくなってしまい、その後、Kさんがすぐ会える人の募集をかけているときにわざとこちらもちょうど会える人を探しているかのように「今日お仕事お休みですか?よかったら会いませんか?」みたいなメッセージを送ったものの、のらりくらりと断られ続けている。というか流石に迷惑を超えてストーカーっぽいので連絡するのはやめた。
最近、何を見てもKさんを思い出す、自称していた出身県でよく取れる野菜、路線図に書いてある新宿駅の文字、よくいくと言っていたルミネに入店しているセレクトショップ、Kさんと同い年くらいのおじさん、街中のカップル、赤ワイン…etc
そして、Kさんを思い出すたびに自分の中のKさんがKさんではなくなっていく。
私の頭の中で、私を車に乗せて一緒に旅行をするKさん、優しくリードしてお姫様のような?チヤホヤした扱いをしてくれるKさん、平日の夕方に呼び出されて、サプライズで高級なレストランに連れていってくれるKさん。彼氏になった大好きなKさんに思いっきり甘えられる幸せに浸る私。
もはや、あの日に会ったKさんはどこにもいない、私のヤバい妄想の中でKさんが勝手に理想化されていく。
こうなって始めて、「あぁだから俺はおじさんを求めているんだ。」と理解する、用は甘えたいのだ。私は人間に、それも「おじさん」という絶対に自分自身には“甘えてこない”人に。
私は前から、包容力があって日々の愚痴を聞いてくれて、リードしてくれて、チヤホヤしてくれる彼氏に思いっきり可愛がられたくて、この人なら、それを可能にしてくれるかもしれないという夢を見たくて、その夢を見るためにアプリ上で「よかったら会いませんか?ご飯でも」とメッセージを送り、実際に会えたらセックスのチャンスをちらつかせることで、この願望をその人で投影している。セックスで夢を買っている。そうすればセックスするまでの短い間はおじさんたちはみんな(程度の差はあれ)俺をエスコートし、チヤホヤし、歯の浮くような台詞を言ってくれる。
でも、セックスが終われば、おじさんたちは一気に態度を変える。もう一度メッセージを送ってみても望む返事は得られない。
あるおじさんは「君みたいな若い子はこんな大人と一緒にいてはいけない、もう会うのはやめよう」と優しく、でも本心かどうかはわからない返信してきた。
あるおじさんからは「いいよ!また会おう」と返信が返ってきたものの、こちらが「まずご飯行きましょう」と返すと「セックスしないならいいや」とシンプルで最悪な返事が返ってきた。
他に「最近仕事が忙しい」「いいよまたあそぼう!こんどは○○なエッチしたいな」「夜ならいいよ」こんな返事ばかりである。返事が返ってこないこともある。
ある時期から、「普通に考えたら、素敵なおじさんはたんなる大学生(特別頭がいいわけでもめちゃくちゃ見た目がいいわけでもない)を好きにはならないな」と思い直し、同世代と普通にご飯に行くようになった、しかし、特に面白くなく、当たり前だけどマッチングアプリでなんとなくのプロフィールと顔写真みて会った人とは共通の話題があっても、いきなり意気投合したりはしないしなぁ〜と思いながら、なんとなく帰ることが多い。
時々、うっすら思い浮かべる人がいる、高校のときに、独りぼっちで浮いていた私に優しく接してくれた昔好きだった男の子だ。誰にでも親切で、努力家で、対して勉強ができなかった私と違い猛勉強して優秀な大学に行った彼。つまらない高校生活に一筋の光を照らしてくれた彼。私は彼がしてくれたことに感謝しつつ、彼には何も与えられないことがもどかしかったし、(唯一、彼が読みたがっていた漫画を全巻貸して欲しいといわれて貸すくらいはできた。)何も与えられないのならば、せめて、彼にとっての私が嫌な記憶にならないように、連絡をしたり、心の内に秘めていた恋心を隠し通すくらいしかできなかった。
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中世警察ですが、蕎麦切りが食べられるようになったのは近世以降です。蕎麦がきやガレット、あるいは粥として食べるのはともかく、麺状にして食べるのはいかがなものでしょう。
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ドーモ、満を持して警察デス。なぜ「今」ダイゴを投下してホッテントリ入りすると考えたのか問いたい、問い詰めたい。タイミングを見計らわない増田投下を「満を持す」とは言わないのだぜ?
http://b.hatena.ne.jp/c_shiika/20150908#bookmark-265355352
ナイル川警察だ! ナイル川は毎年氾濫を起こすことで上流から肥沃な土壌をもたらしていました。氾濫はむしろ歓迎すべきものです。
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これだけ各種警察として日夜ブコメの治安を守っているとは知らなんだ
そうやって見直すとあの「襟のフリルも歯に見える」とよくいじられるヲ級コスチュームも警官の制服に見えてくるから不思議なもんだ
ブクマカーに時々いる驚異的に博識な人の一人です
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そう言いながら、わたしは赤いジャムのかかったガレットを一口食べた。次の瞬間、あまりの衝撃に目を白黒させて、言葉を失う。凶悪な甘さだった。
馬鹿丸出し。欧米で主に使われるというグラニュー糖はそもそも言うほど甘くはない。キャンディーの甘さになれてる現代っ子からしてみれば、そのまま口に入れて噛めば甘いという程度だ。それでも言うまでもなく、味というものを超えた部分で、食べるとすぐに飽きるという点では、砂糖であることに変わりはない。日本の砂糖たる上白糖は甘いが、甘さの中に独特の風味があるし、水に溶かした時の甘さと唾液に溶かした時の甘さは違うし、チビチビ食べる時と一気にガバッと口の中に突っ込む時とでは話はまるで違う。
醤油だってそうだろ?一升瓶一気飲みと、お寿司を浸して食べるのと、お寿司の一部をちょんと一瞬だけつけて食べるのとでは、話はまるで違う。
異性化液糖も、何らかの形でグラニュー糖に換算すれば、よほどの量がコーラなどには入っていると聞くし、醤油のしょっぱさも、ただ単に量が多ければいいというわけではなく、砂糖のように作り方の違いにもよれば、油分が加わることで塩味がぐんと強くなることもある。
要は、甘さで測ると砂糖は決して頂点ではないということだ。むしろ砂糖よりも蜂蜜の方が、ねっとりとして遥かに甘かったりするし、醤油の油分のように、色々な工夫があるんだろうと思われる。
いずれの場合も、温度による味の違いというのもある。
本当に料理を分かってる奴が、こんな偏見を抱くだろうか?料理人なら砂糖や醤油をなめって味を測らないといけないはずだ。当然、油分などと混ざることによる味の変化も知らねばならない。異性化液糖もそうやって成分の量を使い分けると聞く。
あと上白糖は、グラニュー糖よりは小さいとはいえ、まだまだ結晶の光沢が見えるほどには大きいわけだから、水に溶かして水分を飛ばした後に残るような、あるいはマジパンのように他の成分と混じって粉状になったようなものとでは、また味は違うわけだ。上白糖はグラニュー糖ほどではないにせよ、口に含んでまだ噛めるくらいには大きいわけだから。
あと融解熱か何かによってひんやりするものは甘いという気もする。上白糖やグラニュー糖は逆に熱く感じるくらいだから、また違うわけだ。
砂糖は胃腸の弱っている人でも栄養を補給して体力を回復させる助けになる機能的な食品であり、嗜好品だからと言ってこのように見下され馬鹿にされるのは我慢がならない。物も知らないくせにこんな風に人を馬鹿にして回る奴が一児の母親だなんて吐き気がする。
食べ物の好みでここまで人を馬鹿にすること自体異常なことで、作者の人格が窺える。相当嫌な奴だってな。
そう言いながら、わたしは赤いジャムのかかったガレットを一口食べた。普通じゃないくらい甘かった。 ……ううぅぅ、口の中の粘膜・歯冠・唾液、なめると全部甘いよぉ……。
と改変すれば、俺の経験に適うことになる。砂糖であれば、唾液ですぐに洗い流されるほどの密度と粘度しか持たない。本当に甘ったるいものは、こうなるんだ。
矛盾は、高価な砂糖を使っていると主張しているというところではなく、口の中がジャリジャリするというところだ。前者は当たり前の知識だが、後者は完全に作者が料理を碌に研究したことがないことによる空想であって、事実無根だ。そしてこういうフランス趣味的な知識がありながら同時にグラニュー糖と上白糖という知識が無いのも、雑学として看過し難い偏見だ。
砂糖がステータス、というのも安直で、その背景にある砂糖の入手方法など、一体どうするつもりなのかがよく分からない。砂糖をどうやって手に入れるから単に高価なのかあるいは希少なのか。高価ないし希少だから、とにかく甘くして主張するのか。これは全部必然的な流れなのだろうか?単に料理人が自分で食べないからそういう味になってしまっただけかも知れないし、特定の宮廷だけで通じることかも知れない。
あとベッコウアメや綿飴は基本的に砂糖と水だけなので、やはりジャリジャリするほどの砂糖が入ってることになるわけだが、こうした伝統的な味覚も否定するんだろうか?味覚が破綻してるのは一体どっちなのかと面と向かって問い詰めたい気がしてならないんだが、この点は。それともそこに思い至らないほどのDQNママなんだろうか?
ザラメだって砂糖には変わりないわけで、ただの砂糖と言っても色々あるということでもあれば、砂糖をそのまま使った方がカロリーは高くなるが甘さはむしろ優しくなるという証拠でもある。砂糖が甘ったるいと言えるようになるのは、何かの生地に混ぜて固めた時だけなんだ。
それに甘さだけしか感じないのは、他の刺激が甘さに比べて弱いせいでもあるだろう。その意味じゃこの作者が世の中の甘さについて論じることができていないというのはもはやこれ以上の論を俟たないことになる。甘いのはこの作者の甘味論と大人としての品格であって、この母ちゃんが攻撃する所の砂糖じゃない。
ていうか、そもそも砂糖をそのまま入れて甘くないということはもう既にはっきりしてるわけで、しかも砂糖の形なんて残らない方が甘いというのも、最近のマカロンなどがお好きな皆様方にはよくご存知のことだろうから、論外中の論外だし、痛切に批判したい。
バラだとかユリだとか、甘くなくても甘いと形容せざるを得ない感覚はあるし、イチゴよりもレモンの匂いがした方が甘かったり甘くなかったりするものだ。
酸味があるか、甘味がどれくらい残留して長い間密度を保てるか。様々なファクターがあるんだ。そのために人は努力して研究するんじゃないのか。
結局俺は近代の宮廷で出されたお菓子を食ったことが無いので、実際どのような味覚がするのかは分からない。だが知っている範囲でそのようなことが考えられないことであるということだけなら、疑う余地は無い。作者の表現の誤りを架空のものと断定するには足る。ただ残念ながら、正しい表現は、その筋の本でも読んでそれこそ調べるよりほかないだろう。
作者には、偏見に基づき差別的な悪意のある批判を、架空のものであろうとも、事実に基づく仮託である限りにおいては排除することと、浅い経験による空想をそのまま言葉にすることを慎むことをいつの日か自覚されることを期待したい。
「どうして、はてな匿名ダイアリーにどうにもならなくて、解決しないことを書くの?」
なんと言えばいいのかほんのすこし考えた。
「そこにはてな匿名ダイアリーがあるから」とかいう1万煎じのようなことを言っても仕方ない。
「祈りさ」
「祈り?」
「そう、書けばすこしでも祈りが通じるかなって」
「わからないよ」
「わからなくていいんだ むしろ書かなくて気持ちがいい毎日がおくれたほうがいいんだ」
少女を見て幼子の親であろう、夫妻は少しだけ笑みを浮かべる。
「うん」
「僕はそうは行かない あの赤ん坊の親を見てごらん」
「わからないだろうな あの親は今さっきあの中古価格で1億2000万円のマンションから出てきた」
休日にこのあまりにも静かな都心の高級住宅街を歩いている家族というのはここらへんに住んでいる選ばれた人間であることが殆どなのだ。
「そうだ 僕は生まれた時からお金持ちのあの赤ちゃんがずるいな パパもママもお顔がよかった あの子のお母さんは髪が薄くなってるけどモデル体型だよね パパは髪があって若くてしっかりした顔だよね」
「仲いい夫婦だと思ったよ」
「顔がいいのが遺伝したのか、あの赤ん坊の顔つきも可愛いよね 君が可愛いといったのは可愛い顔だからだよ 僕とは違って将来いい顔になるね 」
「うん。。。 可愛くない赤ちゃんっているの?」
「いるさ 酷い面している赤ちゃんは君の目にはいらないだけ 生まれることさえ許されない子もいるんだ」
「うん。。。」
「君が微笑んで許されるのも可愛いからだよ 僕が微笑んだらキモいだけ」
僕は後悔した。
「こんな嫌なことしか考えられなくなったんだ 僕は君にも嫉妬してしまう 君は幸せに物事を考えられる だから、そのままでいてくれ」
「わかったよ」
「とにかくつらいんだ だから祈っているんだ」
駅についた。