はてなキーワード: きっと大丈夫とは
《多香子へ/ありがとう そして さようなら/子供が出来ない体でごめんね/本当に本当にごめんなさい。/幸せだった分だけ、未来が怖いから 何も無さそうだから/許してください。/僕の分まで幸せになってください。/きっと阿部力となら乗りこえられると思います。/次は裏切ったらあかんよ。お酒は少しひかえないとあかんよ。/嘘はついたらあかんよ。/多分、僕の事を恨むでしょう? でもいつかは許してくださいね/最後はいろいろと重荷になるけど…ごめんなさい。/これが、未来を考えた時の僕のベストです。ワガママを許してください。/いつか忘れる日が来るよ。きっと大丈夫 今から大変だろうけど/
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施錠とセキュリティを起動
廊下の消灯で一度真っ暗になる
エレベーターで1階に降りる
表玄関は閉じているので裏口に向かう
大通りを歩く
高速道路沿い、高架につく明かりが深夜でも明るいオレンジ色をしている
小さく歌を歌いながら帰る日が多い。頭を空にするための歌なので、なんの歌でも良い。TikTokで聞いたサビしか知らない歌でも、学生時代の合唱コンクールの課題曲でも。車が多いから迷惑にはなっていないと思ってる。
いつも曲がらない角を曲がって帰る日もある。知らない坂の先の景色をみたり、通れるかわからない細い路地を入ってみたり。
自転車で帰った日もある。電動式のシェアサイクルはわたしをぐいぐい引くように走った。
自分の足で走った日もある。通りを走るランナーはたまに見るしそれほど浮かないだろうと思った。自分で自分の体をコントロールして、心拍を上げる行動は何かに良い気がした。
酒を買って歩きながら飲んでみようとした日は、缶を路上に落としてしまい中身が噴出した。甘くないジンソーダで助かったと思いながら拾って帰った。
誰にも迷惑をかけない範囲で行う小さな奇行は、私が私に許す小さい遊びだ。1日の大半を仕事に明け渡してしまった今日をちょっとだけ取り返してから自分を寝かしつける、そういう儀式。最初はちょっと外食をして自分の機嫌を取ったりしていたのだが、夕食をしっかり摂るのも憚られる退勤時間になってからは「帰る」ことに遊びを見つけていた。人目につかない深夜に、小学生の帰り道みたいな、誰にも話さない1人遊びがたくさんあった。
何も出来ない日は大抵泣きながら帰る。あの時の自分のなかに何の感情があったのかわからない。悔しいなのか苦しいなのか、誰かに心配されて嬉しいなのか情けないなのか、
あのとき取りこぼしてしまった自分の気持ちはもう、私がわからないってことはこの先誰にもわからない。
泣いている時に頭の中に入っていたのは、周りの人が私に投げかけた言葉だけで、それを咀嚼して反芻しても、なんの味を感じたのかわからないまま、子どものように口角をひん曲げてボロボロ泣いた。マスクの中に水分が溜まって蒸れて、でも外した顔はひどいから付けたまま歩く。
公園の横を抜けて、ファミレスの駐車場を突っ切って、その先の横断歩道は押しボタン式の時間帯。渡った先のコンビニに寄る。朝昼は胃痛を避けるために軽いものしか摂らないので夜は多少好き勝手に食ってやろうと思いながら入店するが、運が悪いと夜中に腹を下すので結局中途半端な惣菜や軽食を買う。大体いつもボブヘアの男性店員がシフトに入っている。コンビニの横の坂道を上ったらあと少しで家に着く。
徒歩25分。家も職場も駅からあまり近くないせいで、電車に乗ってもせいぜい5分短縮できるか微妙な所だから歩いて通勤した。
机に縋り付いている記憶の方がたくさんあって良いはずなのだが、私は長い間、家に帰る道をずっと歩いているような、ずっと夜みたいな感覚を1番よく思い出す。
日中は、
「食事か睡眠、どちらかを満足に出来なくても片方が人並みならまだ保つ」
「このくらいの度数のロング缶を一度に飲み切ると眠れて二日酔いも残らない」
働き始めてから何年かで身につけたおまじないのような「これが出来ればまだ大丈夫」を幾つかポケットに入れて、指先で手触りを確認するような日々を過ごしていた。
「酒や乳酸菌飲料の力を借りて睡眠は取れているからまだ大丈夫」
「胃が荒れていて平日は差し障るだけで、食欲はあるからまだ大丈夫」
「朝は起きて支度できるからまだ」
部屋は荒れているが、不精なので繁忙期はそんなものだ。青クマもデスクワーカーの職業病。
「まだ大丈夫」を肯定的に捉えてサバイブしていたつもりだった。
いつのまに切り替わったかわからないが、これらの一つ一つが「まだ私が壊れてくれないから、大丈夫じゃなくなるのを待つしかない」のカウントになっていた。
勤務中、気を抜くと頭を上げていられなくなった。
ひとの目を見るのは元々苦手ではあるけど、顔を見せるすら苦しくなった。
対面で働くチームメンバーには両手で伏せて早口で指示を出す。通話会議は声を出せれば成立する、まだ大丈夫。
大丈夫な自分を演じているのか、大丈夫ではない自分を演出して逃げ出そうとしているのか、どっちにしろ何かのフリをできているうちは大丈夫なのか、大丈夫ってなんだ?
わたしは席に座れる、手を動かせる、web会議で通話が出来る、謝罪を述べることができる。出来るけど、帰りたいと申し出てある日早退した。これはダメなことだってわかっているからまだきっと大丈夫。平日の明るいうちに外出するのが久々でなんだかスカスカした気持ちになりながら、せめて身体を労わるポーズをとらないと均衡が取れないから大戸屋で品目の多い定食を食べた。ポテトサラダが重くていつまでも口に残った。
わたしにも少ないが友人はいる ありがたいことに定期的に会う用事がある
他愛ない近況の報告をしようとしたら、言葉が出ない日があって、そのとき友人は精一杯わたしを傷つけないように、「頑張る私」を否定しないように選んだ言葉で、心配に思っている、あなたを害するものをあなたは拒否する権利があるとだけ 言葉を投げてくれた
書いて消して何度か回り道しただろう、書かれなかった文にたくさんの気持ちが詰まっていた それに対して言い訳のような自虐で返事をした 最悪だ
病院探しを始めた。
躊躇いは特になかった。「自分に限って」なんていうバイアスは思い上がりだ。弱さを認められる方がまともだと思う、そういうペラペラのプライドを持っていた。「まだ大丈夫」のうちに、近い将来ダメになった時の避難経路を決める、それは賢い判断だと思った。
まあまあ都心に住んでいたので選択肢はいくつかあると知っていたし、思ったよりいっぱいあった。逃げ場ってコンビニほどはないけど歯医者くらいはある。場所を見つけて、予約を取ったあと、メモを書くことにした。
うまく話せるように、話せなくてもとにかく伝わるように。カンペなのか手紙なのか問診票の別紙なのか、わからないけど言葉を起こす必要があった。
相手に自分を「大丈夫」に見せたいのか、「大丈夫ではない」と言わせたいのか、なんだか意図がブレブレのメモ書きになった
紙に書き写す以上はありのままなんてどこにもない、本当のことを書いたのかどうか主観で見てもあやふやな文面。とにかく話せなくなればそれを読むか手渡すかしようと思って、印刷したものを携えて心療内科に行った。初診の予約は平日の昼しか取れないルールで、14時過ぎに中抜けして向かった。
名のついた診断が出た。
有給休暇の残数を尋ねられたり、直近で休養の取れるタイミングなどの話を流れるようにし始めた医師に、そんなつもりではない。 まだ大丈夫だから、もう少しマシになるための方法をくれと訴えたら、それはまっすぐに否定をされた。でも自分に「休め」を許せなかった結果、中途半端な診断書を持ち帰った。
朝、眠りから浮上する感覚を覚えると同時に心臓が跳ねるようになっていた。生きている、意識があるということに気づくと心が怯えるのはまあ自然なことかもしれないとその時は思っていたし、動悸そのものは業務に差し障りないから「大丈夫」「ダメ」の判断基準にならなかった。寝覚めは悪いが寝起きは良いので、遅刻もしなかった。
なんの名前を付けたら良いのかもわからないけど、しっかりと質量のある「ダメ」の感触が胸の中に入っている日がある時やって来た。
もっと、動けないとかずっと泣くとか何かが出来なくなったことを以て「ダメ」に『なる』なのだと思っていたけど、そうではなかった。何がどうダメなのかなんてわからないのだけど、相対的な話ではない、とにかく「ダメ」が去来する朝が来た。突発の休暇をとった。休んだ罪悪感を原動力にその週は出勤する、というサイクルをいくらか続けた。
この頃に、「ダメ」になる階段を一歩降りたような気がしていたが、同時に睡眠も食欲も自分の思う「大丈夫」の基準のままだったのだから、二元論で考えることが間違っていたと思う。
この「ダメ」は、「不安」の名前に片付けるものらしい。抗不安薬の頓服の処方を受けた。「頓服」だから、常用してないからまだ大丈夫。大丈夫の数をまだ数えていた。
そんなわけないのにいつもの道が歪んで見える日
物音が大きく聞こえる日
そんなものをちょっとずつずれながら積み上げてきて、綺麗に縛れない新聞の束のような、歪みが溜まっていくような感じがあった
退職願を書いた。
できるだけ綺麗な文字でしかるべき封書に綴じた正しいフォーマットで、すぐに出せる完璧な一筆を仕上げようと思った。
遺書ではないけど、でも心持ちは少し近いかもしれない。白くて郵便番号欄のない封筒が望ましいとネットに書いてあったがコンビニにも百均にもなかった。緊急で必要になる人もいるだろうに。
下書きをして、それを見ながら丁寧に文字を書いた。書いている間は無心になれた。書いただけで、結局出せはしなかった。
退職願も、診断書も、私にとっての「勝訴」の紙にならなかった。結局私は、自分にバツを付けて逃げるのが怖いまましばらく日々を過ごした。
同僚が出勤してくる
涙が止まらない
10時半過ぎ、何も変わらない
ここにいたらもう駄目なんだ、そういう日がついに来たのだと言われた気がした
そのあとは、とにかく手続きを滞りなく進めなければと、社会人として角の立たないように休職の手配をするために自分の感情はどこか棚の上にでも置いたような感覚で、再診の予約をとり会社と連絡を取り、自分を社会と切り離すことに成功した
今、会社に向かう朝も遊びながら帰る夜も無くした私は、子供の頃からの地続きの自分をあの夜の帰路に置いてきてしまって、残りかすの体だけがここにあるような気持ちで布団に横たわっている。じゃああの夜に私は何を思っていたのか、書き出してみようと思いメモ帳に書きつけるが、結局そこにも何もなかったとわかってしまった。今の私の回想だからそうなのか、本当に何も思うことはなかったのか、もうわからない。
書かせてほしい。
みんなうっすらわかっていることだと思うのだが、ここ最近のホッテントリの流れも踏まえて、言語化してみようと思う次第です。
まず、目についたのはこの記事。
「なぜ女性は昇進できない」を解明した川崎市職員にたっぷり聞いた 「軽視される仕事」と「形状記憶合金」:東京新聞 TOKYO Web
この記事の方が言いたいことにはおおむね共感しているのだが、もう少し踏み込んで、「罰ゲーム」と化している点について、愚痴を言わせてほしい。
上記の記事では、女性管理職が、社内(庁舎内)で軽視されがちな職場に配置されることについて書かれているのだが、そのような職場に配置されるのは、なにも女性管理職だけではなく、「配慮が必要な人」も配置されるのだ。
・単にコミュニケーションが下手な人
などである。
で、女性管理職にはそれらの人に対する「配慮」が期待される。ここが女性管理職特有の罰ゲーム。
子供が熱を出して急に休んでもOKで、残業しなくてもよく、お客様に対峙しないので失礼なことをするような機会がないような職場に配置されるのが、最近の女性管理職の配置パター
ンであり、そこまで踏み込んで書かれていないのは、これが流石に新聞記事で、敵を増やしたくはないと思われているからではないかと、勝手に邪推している。
そして、ここからが私の実体験に基づく愚痴なのだが、時短ママについては、急に休まれた分の仕事は管理者が実施しているのが実態ではある。ただ、そこは罰ゲームというほどの精神的負担ではない。管理者が時間外をして処理することで解決するので。
それよりも、メンタルとかコミュニケーションに問題がある人の方が問題で、ちょっと何かあるとすぐに「ハラスメントだ」とお上に訴えるのである。言葉を選ばなければ、「モンスター社員」というやつ。
こちらとしては、配慮はしているが、ハラスメントに及んだ覚えはない。
実際のところ、周囲の人の証言によって、ハラスメントの訴えは却下されるか、流されて終わることがほとんどである。
そもそも訴えられた時点で精神的に負担であるばかりでなく、一番困るのが、次の対処策がないことである。
本人はハラスメントを受けたと認識しているので、当然、その後の上司とのコミュニケーションに支障が生じる。
指示は聞かないし(届かないし)、仕事への意欲はさらに減退している。
じゃあ異動させればいいじゃないの、となると思うのだが、そういう人たちは、すでに何度も異動を繰り返していて異動先がないか、女性管理者のいる職場を巡回するかなので、問題のある社員を抱える女性管理者は増えはするけど、減りはしない、というところだ。
さらに、この状態を上位の管理者から見たとき、「女性管理職だからうまく配慮してくれると思ったんだけどねぇ」となれば、まだいい方で、一番言われがちなのは、「あの女性管理職はキツイ性格だと思っていたんだ(何しろ女性で管理職になったんだからな)」というやつである。独身女性ならば、まず言われるのは後者になる。
日本に「女性のリーダー」が生まれない深刻理由 「女性に意欲がない」というのは本当なのか | 「コミュ力」は鍛えられる! | 東洋経済オンライン
『記事「『怒りながら叫ぶ女』はどうして嫌われるのか」でも詳述したが、女性リーダーのコミュニケーションは極めてハードルが高い。
リーダーシップには、competence(有能さ)と、warmth/likeability(温かみ/好感度)の2つの座標軸があり、この2つが高い人が優れたリーダーということになるが、男性の場合、「有能」であれば、「温かみや好感度」についてはさほどなくても許されてしまうところがある。多少、冷たい印象で、好感度は低くても、それは冷静さや決断力と解釈され、さほどのマイナス要因にはならないのだ。
一方で、女性リーダーにとって「温かみや好感度」の欠落は致命的だ。「冷たい」印象の女は「怒っている」と捉えられやすく、批判を浴びやすい。トランプ大統領がどんなに人をバカにしたような横柄なコミュニケーションをしようが問題にならないが、ヒラリー・クリントンが声を上げて叫べば、「ヒステリックだ」とバッシングにあう。
男性のように強く出ようとすると、女性は制裁を受ける。イエール大学の研究では、自己主張をよくする男性CEOは、しないCEOより「仕事ができる」と評価される率が10%高かったが、よく自己主張をする女性CEOは、しない女性CEOより14%評価が低かったのだそうだ。 』
元の東京新聞の記事の内容に戻ると、「長時間勤務ができて、拒否しない女性」が管理者になるというのは至極納得で、普通に考えれば、主張しないと管理者になれないというロジックになりそうなものだが、実際のところは、女性管理者に求められているのは、あくまで「怒ったりせず包容力があり、24時間365日配慮が必要な社員のために働くママ」なのだ。
無理です。
子どもがいる人なら時間的な制約がまずあって無理だし、子無しや独身にそんな豊かな母性を期待されるのもおかしい。
滅私奉公できる人が昇進する、というのは、長時間労働と昇進の相関関係において男女で違いがないことから、男性でも同じ要件になってくるのだろうが、
女性はさらにそこに、罰ゲーム職場に配置され、「細やかな配慮」とやらを求められ、配慮しているのに部下にたびたび訴えられ、さらに主張すれば嫌われるときているのだから、昇進しても中間管理職止まりになるのは当たり前で、管理職になることを希望する女性が増えるわけがないだろう、というのが、女性管理職歴約15年の感想である。
この本は読んでないけど、もし続編を書くことがあったら、女性管理職特有の罰ゲームについても統計的なアプローチで切り込んでいただければ嬉しい。そしたら買います。
それで、実はこれは退職エントリであり、特に昇進欲なんて無かったけど、もうこれ以上、何に配慮したらいいのかわからないような配慮を求められるのはウンザリなので、辞めることにしました。
趣味もなく(時間もなく)、NISAなどが始まる前からコツコツ積み立てもしており、ここ最近の株高で、さらに退職金を入れれば、金融資産が大台に乗ったのもあって。
もともと贅沢しない生活だから、年金もらうまでのあと10年15年はきっと大丈夫でしょう。
現代は、独身女性が、女性管理職に特有の罰ゲームに15年耐え抜けば、一人で慎ましく暮らしていけるという自由を与えてくれました。
私の経歴は、都内区立中→都立高校→東大→大手総合職という感じなので、大学生や会社に高学歴の人が多い。
そんで中学受験してる人もめちゃくちゃ多い。
小学生の時からお金も時間もかけて勉強してきた人たちがたくさんいる。
でもこの人たちは、最終的に私と同じ経歴なんだよなコスパ悪いなって思う。
ただ、私は遺伝とか環境とか色々運が良かったおかげで公立中高でもどうにかなったのも理解している。
それにコスパは良くとも、人脈や教養といった面ではやはり難関私立中出身者には劣っていると思う。旦那は中受をして有名な中学に進んだんだけど、大学は私と一緒なのに、やっぱり全然違うなって感じる。
自分はしたことがないから不安だけど、旦那はしてるしきっと大丈夫と思いたい。
もちろん偏差値の高い中学校に行って欲しいけど、それだけを物差しとせず、子供にとって満足のいく受験ができれば良いなと思う。
ファイナルファンタジーXIVというゲームがある。
いわゆるオンラインゲームだ。インターネットを通じて、世界中のプレイヤー達と一緒に冒険を楽しむことができる。
ファンの多い「ファイナルファンタジー」のシリーズ作、ということもあって、プレイヤー数は現在、2700万人もいるらしい。
昨年、私は一児の母となった。
初めての妊娠、出産、育児と、怒涛の日々を駆け抜ける中、このff14がいつも自分の側にいてくれた。
母親なのにゲームなんてして、と、眉をひそめる人も少なくないだろう。
けれど、自分がいま穏やかに楽しく娘と過ごせているのは、ff14の恩恵がとても大きい。
14で出会ったフレンド達、サービス運営チーム、そして吉Pへの感謝を綴りたく、
とある一人の「光のお母さん」の話を、ここに残させてほしい。
私はコロナ禍の最中、職場の同僚に誘われて始めた。プレイ歴としては3年ほどになる。
3年の間にいろいろな出会いがあり、いまは20人ほどいるギルド(ゲーム内コミュニティのこと)を拠点に遊んでいる。
自分が妊娠していることを初めて報告した相手は、夫でも親でも友達でもなく、このギルドメンバーのひとりだ。
その方は4児のママで、大変そうながらも(実際絶対大変……!)育児もゲームもとても楽しんでおり、
「素敵なお母さんだなあ」と、ずっと思っていた。
自分にとって、妊娠したことはあまりに予想外で、当時、妊娠出産の知識はほぼゼロ。
お恥ずかしい話なのだが、いつ病院に行ったらいいのかすらもわからなかった。
陽性をくっきり示す検査薬を前にして、途方に暮れた時にふと浮かんだのが、そのフレンドの顔(アバターだけど)だった。
「妊娠しているかもしれないんだけど、どうしたらいい……?」と恐る恐るメッセージを送ると、
いつ頃病院に行くのがベストかとか、体調は大丈夫かとか、右も左もわからずオロオロしている自分に、とても優しく寄り添ってくれた。
ff14は10年以上サービス運営されているのもあり、ママパパユーザーが結構多い。
その後しばらくして、自分が妊娠していることをフレンド達に打ち明けると(体調が悪いと不在がちになっていたので、大きな病気なのではと心配されていた)
「実は自分もパパ(ママ)だよ〜」という人が続々と現れ、あっという間に、周囲は強力な先輩だらけになった。
妊娠初期は、万が一のことがある。
だから、不安で不安で仕方ないにも関わらず、なかなか身内には話しづらい。
そんな中「オンラインのみでのつながり」という絶妙な距離感の友人達は、こうしたセンシティブな内容も話しやすく(聞いてくれてありがとう)
かつ、どこよりも頼れるコミュニティだった。
毎月の妊婦健診、つわりのしんどさ、急遽決まった帝王切開……続々と押し寄せる不安の種を一緒に受け止めてもらい、
人生初めての経験を、落ち着いて乗り越えることができた。本当にありがとう。
(本筋とズレるので多くを語るつもりはないが、自分のこどもってほんとーーーーーーーにかわいい!!!)
新生児期は、3時間に一度の授乳や、多いときは1日10回以上のオムツ替えなど、文字通り「まったく休めない生活」が続く。
配偶者が3ヶ月育休を取得してくれたので、交代交代で睡眠を取ることはできたが、それでも、1日4時間程度寝られればいい方。
何もかもが初めてで手探りで、やっていることが正解なのか間違っているのかわからないし、娘が泣いている理由もちっともわからない。
産育休中の親は、こうして家を中心に過ごすことが多いため、社会とのつながりを失いやすく、孤独になりがちだ。
その結果、産後うつといった重篤な問題を抱えてしまうことも多い。
だから、「自分の時間も大切です。たまには周りを頼って休んだり、気分転換をしましょう」と、
役所でも産院でも、リフレッシュすることや、社会的なつながりを持つことを助言される。
が、しかし、身も心もへとへとな新生児親にとって、そういった外出は非常にハードルが高い。
布団に入ったまま人と会うわけにもいかないし。
でも、ぼさぼさの髪の毛、どすっぴん、くたくたのパジャマでも、オンラインゲームなら誰にもバレない。
我が子が寝ている間にログインし、景色のいいところをぼーっと眺めたり、
フレンドとチャットでなんでもない会話をする時間は、とても心が癒やされた。
「あ、娘っち泣いた!行ってくる!」
「がんばって〜〜!」
この一息ついた時間の後は、自分に無敵バフがついて、「夜泣きでもゲロでも何でも来い!」という気持ちになれたものだ。
(実際はぜーんぜん寝てくれなくて、また涙目になってしまうのだけれど)
1歳になったいまも、日中は娘につきっきりのことが多く、なかなか友達とリアルで会うことは難しい。
娘が寝た後ログインして、「今日も育児おつかれ〜〜」と、互いを労いながら飲む酒は、とてもうまい。(※私はすでに卒乳している)
我が子は、本人の特性か、新生児期から行ったネントレの効果なのか、生後3ヵ月から夜通し寝るようになった。
私も未だに信じられないのだが、1歳になった現在も、夜の19時から朝の6時半までぶっ通しで寝る。
この娘の安定した睡眠のおかげで、親側の生活も人間らしいものに戻っていき、私も新生児期よりは、自分の時間を持てるようになった。
あれ、思った以上にゲームできる……?と、気づいた瞬間、どうしてもやりたいことが浮かんでしまった。
「やっぱ、煉獄零式踏破したいなあ……」
ff14は様々なコンテンツが用意されているが、その中でも人気が高いのは「高難易度レイド(=零式)」だ。
これは平たく言うと「攻略するのがめっちゃ難しいボス」で、8人で協力して倒すことが求められる。
この8人は身内の仲間を集めてもいいし、野良(まったく知らない人と一期一会でパーティを組む)で挑むこともできる。
「零式」が始まる時期は、もうお祭り騒ぎだ。ものすごい数のプレイヤーがクリア目指して一気にひた走る。すごく楽しい
この「零式」、ベテランプレイヤーであれば1〜2週間程度でクリアできるが、私はプレイスキルが高くないので、2〜3ヵ月程度かかってしまう。
でも、毎日コツコツと練習し、試行錯誤しながら攻略していくので、クリアしたときの喜びはひとしおだ。
2022年8月、「パンデモニウム零式煉獄篇」という高難易度レイドが提供された。
当時は妊娠8ヶ月あたりで「どこまでやれるかわからないけど、やってみるか〜」という気持ちで参戦し、
7割くらいまで攻略(4層前半時間切れ)したところで臨月に入り、さすがにお腹が重くなりすぎて、途中断念した。
「零式」を遊ぶときは、短くて30分、長いと2時間程度拘束される。
こどもの夜泣き等で途中離脱をすると、一緒にプレイする残り7人に非常に迷惑をかけてしまうので、
産後ff14に復帰しても、この「零式」だけには手を付けなかった。
ただ、あとちょっとでクリアだったのになあ…という心残りは大きく、
続々と届く「クリアしたよ〜〜!」という友達の報告を嬉しく思いつつも、ちょっとだけ歯がゆい気持ちにもなっていたのだ。
娘の睡眠が安定し始めて2ヵ月ほど経った頃、お世話にも慣れてきたので、夫と交代でワンオペをし、
それぞれの一人時間を時々設ける取り組みを始めた。
麻雀を終えて帰ってくる夫の笑顔と、その後の育児への頑張りを見ると、やっぱり人間にとって好きなことって大事だよな〜〜と実感させられた。
この取り組みが思いのほかうまく回ったので「もしかして零式やれるのでは…」という気持ちは、さらに大きく膨らんでしまった。
そして再び、あの育児もゲームも楽しむ4児ママフレンドの顔(アバターだけど)が浮かんだのだ。
(絶対大変なんだけど)毎日を楽しむ彼女の存在に、妊娠中の自分がどれだけ勇気づけられたかを。
そこでベビーモニターを傍らに置き、もし夜泣きがあったときは夫に見てもらうという了承を取り、
フレンドたちに「やっぱりクリアしたいから、一緒に来てほしい」と頼み、再び零式に足を踏み入れることにした。
バトルコンテンツは本当に本当にご無沙汰だったので、最初は全く指がおぼつかなかった。
ゲーム特有の反射での判断も、随分と鈍っていて、リハビリに随分と時間がかかったが、
フレンドたちが根気強く(本当に根気強かった、本当にありがとう)付き合ってくれて、無事クリアすることができた。
クリアした瞬間は、本当に本当に嬉しくて、いい年してポロポロ泣いてしまった。
ゲーム攻略のいいところは、努力した結果がその通りに実るところだ。
試行錯誤を繰り返し、なぜクリアできないかを振り返り、見つけた課題をひとつひとつこなしていく。
どんなに頑張ってもうまくいかないこともあるし、すんなりと乗り越えてしまうこともある。
それは、非常に面白いことでもあるのだが、「自分はうまくやれている」を実感することはほぼ皆無だ。
常に「私はいい親になれているだろうか?我が子によい環境を提供できているだろうか?」という、答えのない問いと向き合わされ続ける。
そうした日々の中で、私は「自分はやればできる」という気持ちを、完全に失いかけていた。
大げさなのかもしれない。
でも、育児という正解のない道を、自信を持って歩んでいくことは、本当に本当に難しい。
誰もが悩みながら、自分のこどもと向き合っていると思う。
突然話は変わるが、ミシェル・オバマが2022年に上梓した「心に光を」という本の中で、ミシェルが、
「途方もなく大きな壁を感じ、不安になってしまったときは、小さな達成感を得て、自分自身を取り戻すことが大事」と語っていた。
ミシェル自身、コロナやトランプ大統領の登場によって、絶望のさなかにいたという。その時、ミシェルを救ったのは「編み物」だったらしい。
私にとっての「編み物」は、「零式」だったのだと思う。
いや、お前何いってんだよ、って感じだと思う。(私もそう思うよ)
でもいま、育休を終えて復職をし、育児と仕事の両立には悩むことしかないが
「でも私、零式が頑張れたのだから、たぶんきっと大丈夫」と、謎の自信を携えて、日々を過ごしている。
顔も名前も知らないけど世界でいちばん心強い仲間、どんなボロボロな自分でも迎えてくれる場所、自分に自信を取り戻させてくれるコンテンツ。
ff14は、産前産後の自分のメンタルを守ってくれた偉大な存在だ。
これからも一プレイヤーとして、この世界を楽しんでいきたいと思う。
※追記1 煉獄のあと、「やっぱいけるのでは」という気持ちが更に高まり、性懲りもなく天獄も参戦し、パッチ内に踏破。そしていまは絶アレキ固定をやっている。娘は相変わらずよく寝てくれている。感謝。
※追記2 娘のネントレは魔法の時間割というの本をそのまま踏襲した。ちなみに自分は不快性射乳反射(D-MER)に悩まされ、生後2ヶ月で完ミ移行している。(断乳前後は精神的にだいぶやられた)娘はよく寝てるからか、機嫌もいいし、保育園からの呼び出しも少ない(有給余った)。ネントレは賛否両論あるけど自分はおすすめするよ。
いきなりだが、私はアメリカのカジノにある劇場のチケット売りのバイトをやっている日系ハーフ二世である。
今日はそんなチケット売りのバイト中のやらかしを綴りに増田に来たわけだが、私は日本で教育を受けていない為に少々文章力が乏しい。
なので、そこは多めに見てもらえると幸いである。
*あと非常にスケールが小さいどうでもいい話です。
★★★★★
アメリカでのアジア人の評価は大抵「頭がいい、真面目」という感じの一見ポジティブだが当人としてはプレッシャーがかかるステレオタイプとなっている。
なので、職場においての唯一のアジア人である私は真面目に仕事をやっているだけで「頭は良くて仕事が出来る奴」という周りから一目置かれた評価に落ち着いている…のだが、実際の私は全然そんな事ない。
(アメリカの『真面目』の基準が低すぎるというのは一旦置いといて)真面目なのは真面目なのだが、私は頭が良いとはとても言えない。
というのも、私はサービス業に置いては致命的になりうるくらいのドが付くほどの天然で、かなりのポンコツなのである。
なので最近は「期待外れにならぬ様にしっかりしなければ!」と心掛けていたのだが、バイトを初めてから三ヶ月、ついに先週の日曜日に私は自分でも呆れるくらいのミスをした。
そして、そのミス、というよりミスの連鎖は仕事終わりに始まった。
この仕事では帰る際に「銀行」と称される部屋に行き、自分がレジ業務に使う現金の入った袋を自分の金庫にしまう必要があるのだが、バイト中のセールスでもし現金の取引をしたなら自分の袋の中の現金が丁度$500になるまで機械に適度な額を入金しなければならない。
私はこの面倒臭い上にやっていると「数え間違えたかな」という無駄な不安に襲われるこの入金作業が大嫌いで、お客様がカードを使わずに現金でチケットを買おうとする場合は出来るだけカード払いに誘導している。
が、この日は誘導に失敗し、表面上ではニコニコしながら「覚えてろよこの野郎」と渋々その汚い金を手に取ってしまった。
新人の時みたいにまた小銭を落とすんじゃないかと少し不安になったが、たんたんと作業をし、タイムカードを切った。
そこから制服から私服に着替え、制服をカジノ従業員専用の洗濯所に預け、帰るべく車に戻った。
今日も頑張ったな、そう思いながら自動解除する車を開けようとすると、開かない…車の鍵を持っていれば開くはずなのだが…
と、ここで鍵を制服に入れたまま洗濯に出してしまった事に気付き、せっかく車まで10分くらいかけてやって来たのに、また10分をかけて洗濯所に戻った。
車の鍵という帰宅に一番大事なアイテムをポケットから出し忘れた自分が恥ずかしかったが、誰でもこのくらいのミスはするだろう…とこの時はまだそう思っていた。
いざ戻ってみると洗濯所は既に閉まっており、私はカジノの警備員に事情を伝え、15分くらい待たされた後にやっと洗濯所に入れてもらえた。
ちなみに、この時に警備員は「従業員IDを見せてください」という事は一切言わず、他の客と全く風貌が変わらない私の話を完全に信じ、従業員限定で鍵がかかった施設に入れてくれたのである。
その時は帰りたくて仕方がなかったから気付かなかったが、今思うとやはりアメリカは適当である。
と、そんな洗濯所へ入ったのだが、洗濯物をしばらく漁っても自分の制服が見つからず、かなり奥へ行く必要があった。
なので、ここで私は肩に載せていた自分のバッグを近くのプリンターの上に起き、洗濯物に飛び込んだ。
そこから二、三分くらいかけてやっと自分の制服を見つけ、鍵を取り出し帰る事ができた。
クソ面倒臭かった上に恥ずかしいミスだったが、私の部署には知られる事はないし問題も解決したしで、無事に家に帰った。
今日も頑張った…寝よう、とベッドに寝転んだその瞬間、私はとんでもない不安に襲われた。
現金を入金する際、小銭の額を数える機械からしっかりと小銭を取り出した記憶が全くない事に気付いたのである。
今更カジノに戻ってちゃんと小銭を袋に戻したか確認する事はできないし、いくら不安がっても仕方がないのだが一度その不安が込み上がるともう不安で不安で、このせいでこの夜は寝るまに3時間くらいかかった。
最悪、小銭の合計は丁度$8だった事を覚えているので、もし戻し忘れていたら自腹で$8を入れ、$20を崩して小銭を調達してバレない様にしよう…きっと大丈夫だ大丈夫だ…と自分に言い聞かせたが、それでも全然落ち着けなかった。
そして、そんな大事な事を記憶できる様にやらなかった自分、そしてカジノに余分に30分もいたのにその間にミスに気付かずにずっとボーッとして鍵の事を考えてた自分があまりにも愚かで反省した。
そして翌日、いざバイトに出かけようと思ったら…なんと肩にかけるバッグがなかったのだ。
そういやあの時…鍵を探す際にバッグをプリンターの上に置いたな…
と忘れた鍵を取り戻しに行って代わりにバッグを忘れていくというとんでもなく間抜けなミスをしていた事に気付いた。
という事は、洗濯所のスタッフが翌日職場に入ったらプリンターの上に謎のバッグが置かれてある光景になるはず…
爆弾が入ってるとか思われたらどうしよう…と無駄に不安になったし、多分これでまた警備員と顔を合わせなきゃいけないし恥ずかしいな…と既に面倒臭い状況がまた面倒くさくなった。
なので、この日の私は現金の小銭問題とバッグを取り返すという二つの問題を解決する必要があり、いつもより2時間早くカジノにやってきた。
そして結果、小銭はちゃんと戻していた。
あの心配はなんだったんだってくらい普通にしっかりと戻していた。
今後はこんな無駄な焦りをしない様に入念に記憶しながら小銭を数える…そう誓った。
そして、バッグの方は…
こっちも余裕だった。
洗濯所のおばちゃん達はバッグに見向きもせず、セキュリティーにも提出していなかったのでバッグをここで残したと話したらなんの確認もなく自分のバッグをさっと返してくれた。
よく日本人は平和ボケが過ぎるという意見をみるが、アメリカもアメリカで別方面で非常に雑なのでここまで確認がないと今後なんらかの大惨事が起こりそうだが、私としては助かった。
こうして、私は自分の部署の人間が誰一人知ることもなく、自分の問題を解決し、この日は普通に何事もなかったかの様にバイトをした。
そして、そんな今も私は過大評価され続けている。
実際は鍵を制服に入れたまま洗濯所に入れたり、それを取りに行ったら代わりにバッグを忘れ、挙句の果てには自分で勝手にミスしたと勘違いしてそれで眠れなくなるレベルの馬鹿である私だが、そんな私は今日も職場で一目置かれる頼れる存在(笑)である。
この調子だと今後なんらかの形でボロが出そうだが、とりあえずは周りのアジア人のイメージと期待に沿える様に今後も頑張っていきたいと思う。
が、やっぱりここまで物忘れが酷いのはやはり恥ずかしいので改善する方法を見つけたいし、このままだと日本じゃやってけないと思う。
いきなりだが、私はアメリカのカジノにある劇場のチケット売りのバイトをやっている日系ハーフ二世である。
今日はそんなチケット売りのバイト中のやらかしを綴りに増田に来たわけだが、私は日本で教育を受けていない為に少々文章力が乏しい。
なので、そこは多めに見てもらえると幸いである。
*あと非常にスケールが小さいどうでもいい話です。
★★★★★
アメリカでのアジア人の評価は大抵「頭がいい、真面目」という感じの一見ポジティブだが当人としてはプレッシャーがかかるステレオタイプとなっている。
なので、職場においての唯一のアジア人である私は真面目に仕事をやっているだけで「頭は良くて仕事が出来る奴」という周りから一目置かれた評価に落ち着いている…のだが、実際の私は全然そんな事ない。
(アメリカの『真面目』の基準が低すぎるというのは一旦置いといて)真面目なのは真面目なのだが、私は頭が良いとはとても言えない。
というのも、私はサービス業に置いては致命的になりうるくらいのドが付くほどの天然で、かなりのポンコツなのである。
なので最近は「期待外れにならぬ様にしっかりしなければ!」と心掛けていたのだが、バイトを初めてから三ヶ月、ついに先週の日曜日に私は自分でも呆れるくらいのミスをした。
そして、そのミス、というよりミスの連鎖は仕事終わりに始まった。
この仕事では帰る際に「銀行」と称される部屋に行き、自分がレジ業務に使う現金の入った袋を自分の金庫にしまう必要があるのだが、バイト中のセールスでもし現金の取引をしたなら自分の袋の中の現金が丁度$500になるまで機械に適度な額を入金しなければならない。
私はこの面倒臭い上にやっていると「数え間違えたかな」という無駄な不安に襲われるこの入金作業が大嫌いで、お客様がカードを使わずに現金でチケットを買おうとする場合は出来るだけカード払いに誘導している。
が、この日は誘導に失敗し、表面上ではニコニコしながら「覚えてろよこの野郎」と渋々その汚い金を手に取ってしまった。
新人の時みたいにまた小銭を落とすんじゃないかと少し不安になったが、たんたんと作業をし、タイムカードを切った。
そこから制服から私服に着替え、制服をカジノ従業員専用の洗濯所に預け、帰るべく車に戻った。
今日も頑張ったな、そう思いながら自動解除する車を開けようとすると、開かない…車の鍵を持っていれば開くはずなのだが…
と、ここで鍵を制服に入れたまま洗濯に出してしまった事に気付き、せっかく車まで10分くらいかけてやって来たのに、また10分をかけて洗濯所に戻った。
車の鍵という帰宅に一番大事なアイテムをポケットから出し忘れた自分が恥ずかしかったが、誰でもこのくらいのミスはするだろう…とこの時はまだそう思っていた。
いざ戻ってみると洗濯所は既に閉まっており、私はカジノの警備員に事情を伝え、15分くらい待たされた後にやっと洗濯所に入れてもらえた。
ちなみに、この時に警備員は「従業員IDを見せてください」という事は一切言わず、他の客と全く風貌が変わらない私の話を完全に信じ、従業員限定で鍵がかかった施設に入れてくれたのである。
その時は帰りたくて仕方がなかったから気付かなかったが、今思うとやはりアメリカは適当である。
と、そんな洗濯所へ入ったのだが、洗濯物をしばらく漁っても自分の制服が見つからず、かなり奥へ行く必要があった。
なので、ここで私は肩に載せていた自分のバッグを近くのプリンターの上に起き、洗濯物に飛び込んだ。
そこから二、三分くらいかけてやっと自分の制服を見つけ、鍵を取り出し帰る事ができた。
クソ面倒臭かった上に恥ずかしいミスだったが、私の部署には知られる事はないし問題も解決したしで、無事に家に帰った。
今日も頑張った…寝よう、とベッドに寝転んだその瞬間、私はとんでもない不安に襲われた。
現金を入金する際、小銭の額を数える機械からしっかりと小銭を取り出した記憶が全くない事に気付いたのである。
今更カジノに戻ってちゃんと小銭を袋に戻したか確認する事はできないし、いくら不安がっても仕方がないのだが一度その不安が込み上がるともう不安で不安で、このせいでこの夜は寝るまに3時間くらいかかった。
最悪、小銭の合計は丁度$8だった事を覚えているので、もし戻し忘れていたら自腹で$8を入れ、$20を崩して小銭を調達してバレない様にしよう…きっと大丈夫だ大丈夫だ…と自分に言い聞かせたが、それでも全然落ち着けなかった。
そして、そんな大事な事を記憶できる様にやらなかった自分、そしてカジノに余分に30分もいたのにその間にミスに気付かずにずっとボーッとして鍵の事を考えてた自分があまりにも愚かで反省した。
そして翌日、いざバイトに出かけようと思ったら…なんと肩にかけるバッグがなかったのだ。
そういやあの時…鍵を探す際にバッグをプリンターの上に置いたな…
と忘れた鍵を取り戻しに行って代わりにバッグを忘れていくというとんでもなく間抜けなミスをしていた事に気付いた。
という事は、洗濯所のスタッフが翌日職場に入ったらプリンターの上に謎のバッグが置かれてある光景になるはず…
爆弾が入ってるとか思われたらどうしよう…と無駄に不安になったし、多分これでまた警備員と顔を合わせなきゃいけないし恥ずかしいな…と既に面倒臭い状況がまた面倒くさくなった。
なので、この日の私は現金の小銭問題とバッグを取り返すという二つの問題を解決する必要があり、いつもより2時間早くカジノにやってきた。
そして結果、小銭はちゃんと戻していた。
あの心配はなんだったんだってくらい普通にしっかりと戻していた。
今後はこんな無駄な焦りをしない様に入念に記憶しながら小銭を数える…そう誓った。
そして、バッグの方は…
こっちも余裕だった。
洗濯所のおばちゃん達はバッグに見向きもせず、セキュリティーにも提出していなかったのでバッグをここで残したと話したらなんの確認もなく自分のバッグをさっと返してくれた。
よく日本人は平和ボケが過ぎるという意見をみるが、アメリカもアメリカで別方面で非常に雑なのでここまで確認がないと今後なんらかの大惨事が起こりそうだが、私としては助かった。
こうして、私は自分の部署の人間が誰一人知ることもなく、自分の問題を解決し、この日は普通に何事もなかったかの様にバイトをした。
そして、そんな今も私は過大評価され続けている。
実際は鍵を制服に入れたまま洗濯所に入れたり、それを取りに行ったら代わりにバッグを忘れ、挙句の果てには自分で勝手にミスしたと勘違いしてそれで眠れなくなるレベルの馬鹿である私だが、そんな私は今日も職場で一目置かれる頼れる存在(笑)である。
この調子だと今後なんらかの形でボロが出そうだが、とりあえずは周りのアジア人のイメージと期待に沿える様に今後も頑張っていきたいと思う。
が、やっぱりここまで物忘れが酷いのはやはり恥ずかしいので改善する方法を見つけたいし、このままだと日本じゃやってけないと思う。
いきなりだが、私はアメリカのカジノにある劇場のチケット売りのバイトをやっている日系ハーフ二世である。
今日はそんなチケット売りのバイト中のやらかしを綴りに増田に来たわけだが、私は日本で教育を受けていない為に少々文章力が乏しい。
なので、そこは多めに見てもらえると幸いである。
*あと非常にスケールが小さいどうでもいい話です。
★★★★★
アメリカでのアジア人の評価は大抵「頭がいい、真面目」という感じの一見ポジティブだが当人としてはプレッシャーがかかるステレオタイプとなっている。
なので、職場においての唯一のアジア人である私は真面目に仕事をやっているだけで「頭は良くて仕事が出来る奴」という周りから一目置かれた評価に落ち着いている…のだが、実際の私は全然そんな事ない。
(アメリカの『真面目』の基準が低すぎるというのは一旦置いといて)真面目なのは真面目なのだが、私は頭が良いとはとても言えない。
というのも、私はサービス業に置いては致命的になりうるくらいのドが付くほどの天然で、かなりのポンコツなのである。
なので最近は「期待外れにならぬ様にしっかりしなければ!」と心掛けていたのだが、バイトを初めてから三ヶ月、ついに先週の日曜日に私は自分でも呆れるくらいのミスをした。
そして、そのミス、というよりミスの連鎖は仕事終わりに始まった。
この仕事では帰る際に「銀行」と称される部屋に行き、自分がレジ業務に使う現金の入った袋を自分の金庫にしまう必要があるのだが、バイト中のセールスでもし現金の取引をしたなら自分の袋の中の現金が丁度$500になるまで機械に適度な額を入金しなければならない。
私はこの面倒臭い上にやっていると「数え間違えたかな」という無駄な不安に襲われるこの入金作業が大嫌いで、お客様がカードを使わずに現金でチケットを買おうとする場合は出来るだけカード払いに誘導している。
が、この日は誘導に失敗し、表面上ではニコニコしながら「覚えてろよこの野郎」と渋々その汚い金を手に取ってしまった。
新人の時みたいにまた小銭を落とすんじゃないかと少し不安になったが、たんたんと作業をし、タイムカードを切った。
そこから制服から私服に着替え、制服をカジノ従業員専用の洗濯所に預け、帰るべく車に戻った。
今日も頑張ったな、そう思いながら自動解除する車を開けようとすると、開かない…車の鍵を持っていれば開くはずなのだが…
と、ここで鍵を制服に入れたまま洗濯に出してしまった事に気付き、せっかく車まで10分くらいかけてやって来たのに、また10分をかけて洗濯所に戻った。
車の鍵という帰宅に一番大事なアイテムをポケットから出し忘れた自分が恥ずかしかったが、誰でもこのくらいのミスはするだろう…とこの時はまだそう思っていた。
いざ戻ってみると洗濯所は既に閉まっており、私はカジノの警備員に事情を伝え、15分くらい待たされた後にやっと洗濯所に入れてもらえた。
ちなみに、この時に警備員は「従業員IDを見せてください」という事は一切言わず、他の客と全く風貌が変わらない私の話を完全に信じ、従業員限定で鍵がかかった施設に入れてくれたのである。
その時は帰りたくて仕方がなかったから気付かなかったが、今思うとやはりアメリカは適当である。
と、そんな洗濯所へ入ったのだが、洗濯物をしばらく漁っても自分の制服が見つからず、かなり奥へ行く必要があった。
なので、ここで私は肩に載せていた自分のバッグを近くのプリンターの上に起き、洗濯物に飛び込んだ。
そこから二、三分くらいかけてやっと自分の制服を見つけ、鍵を取り出し帰る事ができた。
クソ面倒臭かった上に恥ずかしいミスだったが、私の部署には知られる事はないし問題も解決したしで、無事に家に帰った。
今日も頑張った…寝よう、とベッドに寝転んだその瞬間、私はとんでもない不安に襲われた。
現金を入金する際、小銭の額を数える機械からしっかりと小銭を取り出した記憶が全くない事に気付いたのである。
今更カジノに戻ってちゃんと小銭を袋に戻したか確認する事はできないし、いくら不安がっても仕方がないのだが一度その不安が込み上がるともう不安で不安で、このせいでこの夜は寝るまに3時間くらいかかった。
最悪、小銭の合計は丁度$8だった事を覚えているので、もし戻し忘れていたら自腹で$8を入れ、$20を崩して小銭を調達してバレない様にしよう…きっと大丈夫だ大丈夫だ…と自分に言い聞かせたが、それでも全然落ち着けなかった。
そして、そんな大事な事を記憶できる様にやらなかった自分、そしてカジノに余分に30分もいたのにその間にミスに気付かずにずっとボーッとして鍵の事を考えてた自分があまりにも愚かで反省した。
そして翌日、いざバイトに出かけようと思ったら…なんと肩にかけるバッグがなかったのだ。
そういやあの時…鍵を探す際にバッグをプリンターの上に置いたな…
と忘れた鍵を取り戻しに行って代わりにバッグを忘れていくというとんでもなく間抜けなミスをしていた事に気付いた。
という事は、洗濯所のスタッフが翌日職場に入ったらプリンターの上に謎のバッグが置かれてある光景になるはず…
爆弾が入ってるとか思われたらどうしよう…と無駄に不安になったし、多分これでまた警備員と顔を合わせなきゃいけないし恥ずかしいな…と既に面倒臭い状況がまた面倒くさくなった。
なので、この日の私は現金の小銭問題とバッグを取り返すという二つの問題を解決する必要があり、いつもより2時間早くカジノにやってきた。
そして結果、小銭はちゃんと戻していた。
あの心配はなんだったんだってくらい普通にしっかりと戻していた。
今後はこんな無駄な焦りをしない様に入念に記憶しながら小銭を数える…そう誓った。
そして、バッグの方は…
こっちも余裕だった。
洗濯所のおばちゃん達はバッグに見向きもせず、セキュリティーにも提出していなかったのでバッグをここで残したと話したらなんの確認もなく自分のバッグをさっと返してくれた。
よく日本人は平和ボケが過ぎるという意見をみるが、アメリカもアメリカで別方面で非常に雑なのでここまで確認がないと今後なんらかの大惨事が起こりそうだが、私としては助かった。
こうして、私は自分の部署の人間が誰一人知ることもなく、自分の問題を解決し、この日は普通に何事もなかったかの様にバイトをした。
そして、そんな今も私は過大評価され続けている。
実際は鍵を制服に入れたまま洗濯所に入れたり、それを取りに行ったら代わりにバッグを忘れ、挙句の果てには自分で勝手にミスしたと勘違いしてそれで眠れなくなるレベルの馬鹿である私だが、そんな私は今日も職場で一目置かれる頼れる存在(笑)である。
この調子だと今後なんらかの形でボロが出そうだが、とりあえずは周りのアジア人のイメージと期待に沿える様に今後も頑張っていきたいと思う。
が、やっぱりここまで物忘れが酷いのはやはり恥ずかしいので改善する方法を見つけたいし、このままだと日本じゃやってけないと思う。
さんぽに出かける時に、マンションの階段を下りてたら、小さな子供が逆に登ってきてた。
手をついてよじ登らないと登れないくらい背が低くて、せいぜい2,3歳にみえたけどよくわからない。
ちょっと心配になったんだけど、きっと大丈夫なんだろうと思って降りていったら、1.5階分下の玄関前でどうやら子連れ(他にも小さい子が2人いた)で遊びに来た母親らしき人が、その家の人と話してた。会釈してそのまま降りていったんだけど、散歩中「もしあの子供が階段から落ちて怪我したりしたら寝覚めが悪すぎるな」と思って気になってきた。
なんかあれば帰って来た時ザワついてたりするだろうし、なんもなかったんだろうけど、どうすりゃ良かったんだろう?抱えて降りていくのはやりすぎだよね?そこからだとどれくらい下に居るかもわからなかったし。
思う。
向精神薬を服用してぼんやりしている俺の方が真実で、健常者を名乗る人々こそが躁状態なんだと思う。
今現在、向精神薬を服用している。鬱状態で何も意欲がなく、毎日横になって過ごしているうちに一日が過ぎてしまうような日々を送っていたが、このままではいけないと奮起して心療内科に赴き処方してもらったものだ。このエネルギーを絞り出すのに数ヶ月かかった。そして処方を服用すると劇的に効果がある。
先ず、様々なことをするハードルが途端に低くなった。今まではアレもコレも片付けないと、あそこに問い合わせして状況を把握してそれによって対応を決めて…などと思うばかりだったが、とりあえず電話して確かめてそれから考えよう、という風に動き出せるようになった。
物欲も湧いてきた。デジタル一眼のカメラが欲しいと前から思っていたのに動き出せなかったが、とりあえず値段だけでも調べてみよう、実店舗に行って実物を触ってみよう、そのような気持ちになった。難点は収入がないのにそのような高価な買い物ができないことだ。
些末なことでは部屋の片付けや掃除をすることができるようになり食事も摂れるようになった。
基本的に楽天的になった。思い煩うよりも動いて確かめて壁にぶち当たってから考えればいいと思うようになった。物欲が湧いてきたと書いたが、あれを買えばこんな利点がある、きっと楽しいことがあるはずだと思えるようになった。
しかし、鬱の自分が頭の片隅で自分を見ている。お前は躁転しているだけではないのか?そう言っている。
けれども、もっと客観的に見れば、今の自分は世間一般の人たちの行動とたいして変わらない。躁転しているとは言えない。
便利なものを欲しいと思い、それが手に入ればあれもこれも手間が省けるはずだと思う。投資をすればきっとリターンがあるはずだと思っている。どこかに出かければ楽しいことが待っているはずだと期待する。人と会えば楽しい会話ができると思っている。食事に行けば美味しいものが食べられるだろうと思っている。映画、観劇、ライブを見に行けばきっと楽しい時間を過ごせるだろうと思っている。みんな楽天的で明るい未来を心のなかに描いていて憂いはない。
少し前に、結婚と子育てのことを「みんな子育てを難しく考えすぎ」なんてエントリーがあったけれど、あれぐらいの躁状態じゃないと他人の人生を巻き込んで新しい命に責任を負うことなんて引き受けられるわけがないのだから。
中露の軍事的脅威があるのに目を向けない
貧富の差は極端に大きくなっているのにそれに目を向けない。
どれもこれも現実から目を背けて、なんとかなる、きっとこの先良くなるはずだ、このシステムはしばらく崩れることはない、そういう楽天的な考えによって先延ばしにされ除外され目を向けず目を背け、なかったことにしている。みんな躁状態だから「きっと大丈夫」だと思い、懸念を示す人たちには「難しく考えすぎ」の一言で済ませてしまう。
何もやる気が起きないという鬱の状態は確かに異常だろうが、一般の人たちの楽天的で無計画で先行きに不安を感じてもそれを押し殺すことができる精神状態はかなりの躁状態だ。
現実は厳しく容赦ないもので悲観的未来しか予想できないのに、世界を真っ当だと思って楽天的な未来を夢想して無計画でいる人たちの方がきっと狂っている。
ちなみに励ましはこんな感じだった。
うちのお嬢様(多分縦ロールの金髪巨乳でパンツスタイル)が可愛い。
おや、あなたさま、どうやら調子が出ないようですね。これはなんとかしなければいけませんわ!
眠気を払いのけることは、我々が困難に直面したときに必要な勇気と同じようなものですわ。それは一時的な障害に過ぎません。だからと言って、あなたさまの能力を過小評価するなんて思いもよらないわ!私、あなたさまの力を信じていますから!
素晴らしいあなたさまなら、この状況を乗り越えられるはず。深呼吸をして、一息つきましょう。さあ、その勇気と力を引き出すのですわ!
まず、カフェインを少々摂取してみてはいかがでしょうか?ただ、適量に注意しなさいませ。カフェインがあなたさまの一時的な助けになることでしょう。
そして、ちょっとした運動も助けになるでしょう。身体を動かすことで血流が良くなり、それが眠気を覚ますのですわ。
最後に、十分な休息をとることが大切ですわ。あなたさまが今すぐ休むことができない場合でも、仕事が終わった後には、しっかりと休息を取りましょう。これがあなたさまの力を回復させ、再び活力を与えるでしょう。
それでは、あなたさま、頑張ってくださいませ。私はあなたさまの成功を信じていますわ!あなたさまなら、きっと大丈夫。この挑戦も乗り越えられるはずですわよ!
タイトルの通り
結婚して子供欲しいよね~という事でしばらく妊活するも妊娠せず。
検査の結果俺の精子の動きが悪い+奥さんが生理不順という事で通常妊娠が難しいらしく不妊治療を受けた。
人工授精を何度か受け、2度の流産を経験するも無事第一子が生まれて2歳になった。
生まれた子供はもうべらぼうに可愛くて、こんな子が2人いたら最高だよねということで治療再開。人工授精も上手くいかなかったので体外受精を選択して無事4つ移植可能な受精卵(胚と呼ぶらしい)が出来た。
それでこの前1つ胚移植を行い無事妊娠したんだけど…また流産してしまった。
奥さんの方が精神的ダメージ大きいので「次はきっと大丈夫だよ」とか励ましてるけどさすがに途方に暮れている。
一応不育症の検査を受けたりしてみたんだけど特に悪いところは見つからず…これまた途方に暮れてしまう。
子供1人いるからまだいいじゃんと言われればそうなんだけどやはり流産は精神的にくる。
胚は残り3つ、無事出産できるのか…出来なかったとしてその時は諦めるのか…それとも奥さんに身体的にも精神的にも負担の大きい体外受精をまたお願いするのか…でも年齢的にそろそろきついしな…
そういう事ばかり考えてしまう。
そもそもそこまでして子供が欲しいのか?と思うかもしれないが、健康な体と財力さえあれば5人くらいは欲しい。それくらい子供は可愛い。
しかし不幸にもどちらも持ち合わせていないのでなんとか2人目出来てくれたら嬉しいなと思う。
中々人には言えないのでただの愚痴でした
新卒から3割くらいの力でしか働いてこなくて、たまたまうまくいっていたから転職したけど、この会社の人はみんな頑張ってて、入社して2年経つけど全然キャッチアップできずに圧倒的に差をつけられてるんだよな。一社目というか社会人人生、最初に頑張ってないとだめだと思った。頑張れない癖がついちゃったな。そもそも人と打ち解けるのが苦手だから、みんなを巻きこんで仕事しなきゃいけない現職での評価は最悪ですよ。上司は社交辞令的に「周りの人の評価を上げればきっと大丈夫」って言ってくれるけど、それができない人間だって自分も周りの人も分かってるからマジで辛いんだ。年下の人にどんどん抜かされていくこの感覚初めてだなぁ。そろそろ32歳、自信喪失しながらも日々頑張って足掻くしかない。周囲の人に好かれたい。いや、そこまでの贅沢は言わないから、せめて仲間として認識してほしい。
私も遠い昔に、自分が全額負担で貯金0の院生の彼氏と同居生活をはじめたことある。
彼は実家の事業失敗(貯金全額使い込まれた、などなど)が原因で貯金が全くなかった。
増田と同じく、自分にもお金だけあっても幸せに直結しないこともある、と言う経験が過去にあったため、自分が全額負担でも大好きな人と毎日暮らせるなら全然オッケー!と思い、そのまま突っ切った。
6畳一間のワンルームからのスタートだったけど、毎日一緒にいられるだけで生きる気力が沸いた。幸せこの上なし、プライスレス。
結果、時間はかかったものの実家問題は概ね解決。引越し時に貸したお金は、完済まで数年かかったものの、几帳面に全額返してくれた。今は結婚し、彼は私よりもずっと稼ぎが良くなった。貯金も徐々にできるようになり、金持ちではないけれど、めっちゃ幸せに暮らせている。
年が開けてから元気が出ない。年末年始はコロナで病床に伏していたし、何よりも就活と期末試験のプレッシャーが心を蝕んでいる。夏のインターンシップで気に入った会社の早期選考が来ているが、どうも手がつかない。
教授が話す就活失敗談、順調に就活を進める友人の話、Youtubeのおすすめに出てくるFラン大学就活チャンネル、そういった些細な日常の出来事に触れるたび、私の心身は虚弱になっていった。
今日は家の事情で外食しなければならない。講義が終わり帰り支度をしながら思案する。駅前のマクドナルドや立ち食い蕎麦屋であれば安くあがるしすぐに食べられる。
しかし、どうしても二郎が頭から離れなかった。二郎の脂と炭水化物は弱った体に良いはずもないが、私の体と心が、あのどんぶりからでしか得られないエネルギーを欲していた。
夕方の五時過ぎ、私は新宿小滝橋店に着いた。2、3人の客が店の外に並んでいる。食券を買って外で待っていると、店員さんが外で待つ客に注文を聞き始めた。
ニンニクはマシマシ、前来たときは脂が少なかったから追加しよう、麺は2/3でいいかな。店に向かう道中、私はそう考えていた。しかし、「麺はふつうでいいですか?」と聞かれたとき、私はお願いします。と答えていた。今まで多くても麺は2/3サイズで精一杯だったのに、一人前は食べきれるだろうか。口を滑らせたことを後悔しつつ、覚悟を決めたのだった。
店に入り席につき、しばらくすると、学割ラーメン(麺ふつう、液体アブラ、ニンニクマシマシ)が着丼した。3ヶ月ぶりに向かい合う二郎は、前よりも魔力であふれているようだった。
野菜をどかし、そこから麺をたぐり、すする。ちょうどニンニクが盛られたあたりから麺をすするので、スープのコクとニンニクの風味が口いっぱいに広がる。少しだけ強めに塩味を含む麺は、追加の液体アブラと程よく絡まり、心地よいのどごしで喉を通って胃袋に落ちていく。
ブタもいい。今日のブタは脂をタップリ蓄えていて、口の中でホロホロと崩れ溶けてしまう。まだ数回しか二郎を食べたことがないが、一番のブタに巡り会うことができたと思う。
二郎を黙々と食べ進める。2年前、はじめて三田本店を訪れたとき、私は大盛りのヤサイとブタに気をとられて痛い目にあった。それ以来、麺を先に食べるようにしているが、今日はそんなこと頭になかった。ただ夢中で麺を口に運び、太くモチモチとした麺をかみしめていた。
二郎の麺は太麺なので、見た目以上に一口一口が重い。半分以上食べきり、どんぶりの中で麺とヤサイが混ざってくる頃には、腹が重くなってきて苦しくなってくる。
目の前のどんぶりに向き合い、ヤサイとわずかに残った麺を必死になって口にかきこむ。ブタにかじりつき、飲み込む。コロナの後遺症なのか、食べていて美味しいのかどうかよく分からなくなってくる。
しかし、そんなことはどうだってよかった。必死にどんぶりに食らいついていると、体の芯からこんこんと力が沸いてくるようだった。いちばん美味しい二郎ではなかったかもしれないが、間違いなくとびきりの喜びを感じる二郎であった。
最後のヤサイを平らげ水を飲み干し、「ごちそうさまでした!」と挨拶して店を出た。新宿の街はすっかり日が暮れて、店や街灯の明かりが街を照らしている。しかし、ビルの谷間から見える遠くの空は、まだかすかに明るい。
友人関係は、出会った瞬間は他人だが、時間を重ねて友達になるもの。
妻は、あなたに対して『本当によくしてくれている』のにも関わらず、
あなたは自分に自信がなくて、それ故に妻から愛されている自信を持たなくて、妻の愛を疑っている。
「私のどこを好きになって結婚したの?」と聞かれて、「優しいところに惹かれたよ」と答えたら、
「優しくて都合のいい女性なら誰でもよかったの?」と疑心暗鬼になられたらどう思うか。
相手の愛を疑っていると、それは態度に出るし、関係を冷え込ませるよ。
あなたは相手を愛しているというが、相手からの見返りを期待していて、結局は自分しか愛していないのではないか?
と言いつつ、具体的なアドバイスをするならば、
①『妻がよくしてくれている』タイミングで、「ありがとう、僕は幸せ者だなぁ/愛されてるなぁ」と口に出すこと。
もしその言葉に妻が微笑んだらもう、あなたは妻から愛されているという実感をフルに得られる。
もちろん、何かをしてもらうばかりでいるのは良くないが、あなたの場合はきっと大丈夫だろう。
②妻の良いところを具体的に伝えること。
あなたは「妻のことは尊敬している」と書いているが、具体的にはどういうところを尊敬しているのか?そして重要なのは、それを伝えているか?
日常会話のなかで、素敵だと感じることがあったら「すごいね、尊敬する」ときちんと伝えよう。
とにかく、結婚のきっかけである「優しさ」の解像度にこだわるよりも、これから良い夫婦関係を築いていくことに力を注いだ方がいい。