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はてなキーワード: 職業病とは

2024-03-06

anond:20240306215541

そうだね

年齢というか一日中ディスプレイを見続けないといけない職業病的なもの可能性もある

2024-02-02

大学時代の友人がドラマプロデューサーやっているけど、毎日のように本屋に行って映像化できそうな原作はないか探すって言っていたなぁ。

マンガ雑誌も新連載には必ず目を通して映像化できそうなものはないか探すって。

あと最近ツイッター流れるいい話とかでも映像化はあり得るからバズってるものとかはそういう目で見ちゃうって。

流行っている一次コンテンツ(ってそいつは言ってなかったけど)に触れたらまず映像化できないか考えるって。

そのとき職業病だなぁって自分も笑ったけど。

最後に会った五年ぐらい前の発言から今がどうなのか知らんけど。

2023-12-26

僧侶の友人がいるんですが、その人すごく人に対して悪く考えるんです。

例えば何か私にアクシデントがあると、たまたまではなく「普段の●●が悪いから」みたいに言われます

そういうわけじゃないのに毎回言われたり、こういう風にするべき、みたいに言われたり(その人の考え方が全部正しいとも思えない)、それ以外の方法をとると「私は言いましたよ。」みたいに言われたり…

正直言ってストレスなんですが、ふと「これはお坊さんの職業病なのでは?」と思いました。

例えば「普段の●●が悪いから」は因果応報ですよね。

「こういう風にするべき」というのもお坊さんのお説教みたいなのが癖になってるのかな?と思います

「私は言いましたよ。」はやっぱり「仏様の教えにそわないといけない」みたいな?

そして必ず上からものをいう。

まり何を言いたいかというと、お坊さんは性悪説に基づいて、自分の考えを人に押し付ける傾向があるのかな?ということです。

2023-12-15

[] AI自動洗髪機の実用化を求む

床屋で洗髪の際、理容師手袋してた。

手袋外した理容師の手を見たらガッサガサに荒れてた。

シャンプーしてはお湯で洗い流して、を繰り返す故の職業病だろう。

ハンドクリーム塗って保湿して回復図る時間仕事中には取れないだろうし。

昔々、手袋して洗髪する理容師に初めて遭遇した時、尋ねてみたの(今回とは別の床屋、別の理容師よ)

「手を怪我してらっしゃるのかしら?」って。

手袋外して見せてくれたその理容師の手もガッサガサに荒れてたわ。


人の手を煩わせずに自動で髪を洗う機械とか作れないかしら?

AIで髪質や長さやら生え具合やら汚れ具合やらを判別して、一人一人に最適な洗いあがりを提供できたら素敵じゃない?

合成音声で「カユイトコロナイデスカー?」って聞いてくれて、指示するとAIハンドでポリポリ掻いてくれたり。

2023-06-19

賃貸マンションに入れてはいけない客・調子に乗ってる大家

あとがきあとがき

相続で成り行き上賃貸マンション大家になり10年が経った、約100部屋を自主管理している大家増田は、気の置けない友人と馴染みの店で呑んでいた。

「俺はどこでミスっちまったんだろうなあ」

「やっぱり最後の「賃貸マンションに入れてはいけない客・タトゥー入ってる人編」が内容キツ過ぎたんじゃないですか?そもそも、なんでこんなシリーズを書き始めたんですか?」

シリーズにするつもりはなかったんだよなあ。最初の「賃貸マンションに入れてはいけない客」は、いつものようにクソ客の入居審査を落としたばかりで、その勢いでヤケクソで書いたやつなんだよ。だから短いだろ?もう消しちゃったけどさ。」

「ふーん。今までに増田日記を書いたことはなかったんですか?」

「ないない。良心に誓ってこれが初めてで処女作よ。だから、こんなん書いてもさ、バカ愚痴ってるよって扱いで誰も読まないと思ってた。事実、載せた後は気にも留めてなかった。その日の夜にはてなブックマーク開いたらめちゃくちゃビックリしたぜ。トップに載ってるんだもんよ。ひっくり返ったわ。」

「それで図に乗っちゃったんでしょ。高校デビューヤンキーとやってること変わんないじゃないですか。」

「いや、それが実は最初はかなり戸惑った。だって内容は大家の汚ねえグチで、全然褒められたもんじゃねえだろ?俺的にはむしろ、ネバーマインドが売れすぎて逆に当惑するカート・コバーンの気分だった。今の俺ならカート・コバーンイタコができると思った。」

あんたやっぱり調子に乗ってるでしょ。そんなこと言ってるとまた怒られますよ。」

大丈夫だろ誰も聞いてねえし。あ、すいません、ビールおかわりね。

ただ、コメントを見ると、意外に俺たちの仕事は誤解されてるのが気になった。そして、注目された今なら読んでくれた人との双方向性を担保できると思って、その誤解を解きたい欲が出ちまったんだよ。

それですぐに書いたのが「賃貸マンションに入れてはいけない客・Q and A編」だった。今思い返せばこの時は調子に乗ってたのかもな。」

「でも、そのあとも3、4本目と書いてるじゃないですか。客観的にはずっと調子に乗ってるウザイ奴に見えますよ。」

「いや、「Q and A」を書いた後は、明らかに中身を読んでなくて、火に油を注ぐだけのようなコメントも出始めてヤベエなと思い始めてた。まあ内容が内容なので自業自得だな。文体挑発的だし。なので俺的にはその後に書いた「外国人と老人編」と「タトゥー入ってる人編」は完全に敗戦処理。」

「なんでアンタが被害者ぶってるんですか。敗戦処理っていう割にはクッソ長いし。どうせノリノリで書いてたんでしょ?」

「いや、これはマジでそんなことなくて、俺なりのケツの拭き方だった。実際に外国人と老人は賃貸マンション借りるのに苦労してる実態があるからさ。騒がしくしちまっただけに、現場から見た処方箋を示したいと思った。まあ、結論全然ダメだったんだけどね。」

「そうなんですか?結構多くの人に読んでもらえてたじゃないですか。内心キャッキャしてたんでしょ?」

「そんなことはなくてさ。俺が全ての記事タイトルにいちいち「賃貸マンションに入れてはいけない客」という文言を入れていたのは、連続性があるので最初から読まないと議論の内容が追えませんよっていう配慮だったんだけど、多分これは最初から読んでくれてた人にしか伝わってなかった。

外国人と老人編のときは、なまじタイトル外国人と老人なんて入ってるもんだから完全に逆効果で、タイトルだけ見て、悪い意味真逆の誤解をする人が明らかに出始めた。

この頃の俺はうまく伝わらんなと思って正直焦ってた。読む人に過度な期待をしてたな。ビギナーゆえの未熟さが出たとも言える。で、一旦全部消した。」

「じゃあそこでやめときゃいいじゃないですか。そのまま消えときゃいいのにまた出てきて未練がましい。」

「そのつもりだったんだよ。それが、なんか最初に書いたやつでタトゥーを入れてる人について書いたのがバズってたのをそのタイミングで知ってさ。

最初に書いた記事は勢いだけで書いたから「タトゥーを入れてる客はハズレだ」としか書いてない。これじゃ言い逃げじゃん。なぜ賃貸マンション大家である俺がそう思うのか、反論できる形で、きちんと理由を示さないと誠実な態度ではないと思ったんだわ。

それで、我ながらダセえなと思ったんだが、また出てきた。

からタトゥーを入れている人編」は論理展開を丁寧に書いた。そうすると、違う主張をする人にとっては俺に対する反論がしやすくなるんだ。ただデメリットもあって、必然的にくどくて長くなっちまうんだな。これが完全に裏目に出た。やり過ぎ感が出ちまった。」

「そんな意図わかる人いないでしょ。あんたが一番バカじゃないですか?」

「うるせえ!俺はこういう人間だ!

でもコメントで1人だけ論理に飛躍がありますよと指摘してくれた人がいたぜ。あ、この人はそういう読み方をしてくれていて、俺がやりたい事の意図が伝わってるなと思って嬉しかったなあ。

内心ではタトゥーを入れてる人や、そういう入居者を受け入れている大家実証的かつ論理的な反論を期待していたんだが、これは残念ながら皆無だったな。まあ、俺のアプローチ方法が悪かったと言えばそれまでだ。

で、また変な方向に議論が傾いてきて、だんだんコメントを入れてくれた人同士で罵り合うみたいになっちまったダメだこりゃと思ってまた消した。」

「で、こんなとこでくだを巻いてるわけですね。」

「ま、そういうことだな。

今回のは、俺的には山でわかんねえように野グソをしたつもりだったのに、その野グソが見つかって大騒ぎになっちまったみたいなもんなんだな。」

あんた例えが下品すぎますよ。全国の賃貸マンション大家さんに謝った方がいいですって。」

「まあ聞けよ。責任を感じた俺は、自分で出したクソを片付けながら、「なぜクソをしたのか」「なぜこんな色なのか」を一生懸命釈明していてまわっていたつもりだった。だが、そもそも野グソすんなって話だ。だから見る人が見れば、俺はどんどん蟻地獄に落ちていってたわけだな。」

「まあ、言われてみればその通りですね。」

「lady_jokerさんという人がな、どっかのコメントで俺のやってることを指して無邪気だと批判してくれてた。これは冷静かつ的確な指摘だと思った。前述のように俺の自意識は全く異なっていて、それは俺が内心あたふたしてたからだ。でも、洞察力のある人には俺の姿はそう映っていたということだ。要するに、もう潮時だってことよ。」

「いやいや、みんなもう飽きてたと思いますよ。でもコメントとか見ながら楽しんでたってことじゃないですか」

「それはそうだな。多分コメントは全部読んだな。

他のブコメではどんなこと言ってるのかもだいぶ見たな。見たっていうより入居審査と同じ目でチェックしたな。そうするとさ。こっちではAと言ってるけど、あっちではBと言ってるとか、そういうアラが見えちまう奴もいて、面白かったな。」

あんたそれ職業病でしょ。入居審査SNSチェックやりすぎてるから。気味悪いですよ。」

「そうだなあ。体に染み付いちまってるなあ。

コメント見る限り俺の印象だと、知的ハイレベルな層がトップ2割、標準レベルが5割、もうちょっと国語を頑張りましょうが下位3割ってとこかな。パレートの法則ってのはガチだ。」

あんたそんなこと言ってるとまた怒られますよ!」

「いいじゃねえか誰も聞いてねえし。ん?あの店員おかしくねえか!?今俺と目があったら、目をそらしたぞ!」

「そう言えば、さっきビール持ってきたときもニヤニヤしてたような気が…」

絶対盗み聞きしてたに違いねえ!おい!お前が盗聴してるのはわかってるんだからな!!」

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店長…。増田さん、一人でお店に来てるのにブツブツ誰かとしゃべってるみたいで怖いんですけど…。

症状が出てるな。いいか絶対増田さんに何か言われても否定肯定もするなよ。すぐ保健所に連絡だ!

※そうかこういうのは二次創作に見えてしまうのか…。なかなか難しいもんですね…。

●ちょろっと時事ネタ書きました

賃貸マンションに入れてはいけない客・老人編の番外編

https://anond.hatelabo.jp/20230704163545

2023-05-27

これって職業病になるのかな?

俺は機械系の設計をしているからか、

アニメとかweb小説とか見てるんだけど、時々これって現実的に無理だよねって考えるときがある。

もちろん批判したいとかじゃないか作品普通に楽しんでみてはいる。

例えば有名どころで言うと、

高周波ブレードとか目に見えない速度で振動しているような構造なんだけどアニメ通りの構造は無理だと思ってる。

高周波メスとかはあるんだけど、こう言った物って長さは長くても30cmにも満たないんだよね。

それ以上だと普通に破損する可能性が高い。

物理で片持ち梁の話ってあったと思うけどブレードってこのイメージになるんよね。

チェーンソーもあるけどあれは速度的にはもっと遅い。

さら構造クリアできても、ゆっくり動かすならともかく刀みたいに動かすのはダメ

理由は単純に接触時間が少なくなるから

高周波系の物は細かく削っていくイメージから接触時間が少ないとその回数が減るからね。

から高周波ブレードで抜刀!とか言うのを見ると、ん?ってなる。

まぁこう言うのは考えずに見れば良いだけの話しだよね。

同じように自分仕事のことをアニメとか見て真面目に考える人っているのかな?いてほしいな。

2023-04-20

anond:20230420100346

自分に不利になりうる情報は公開したくない、相手に何やってるか知られると自由がなくなるから嫌だ、嘘をつく必要があるときになんでも共有していると整合性がとれなくなるのでできるだけ秘密にしていたい

これはもはや不利になりうる情報じゃね?

職業病じゃなくて精神病っぽい

営業職と結婚したWebエンジニアだけど情報共有に関する意識が違いすぎて驚く

2年前、4年くらい付き合ってた相手結婚した。配偶者営業職。結婚する前から思ってたことだけど、いざ結婚してみるとやっぱりギャップがすごかったので驚いている。

自分WebエンジニアOSSとか心理的安全性とか有用情報はどんどんオープンにしていくという文化に馴染んでいる。なので便利そうと思った記事はどんどん家庭用Slackシェアするし、日記書くチャンネルも作って思ったことやメモ、今やっていることをTwitterのように文字で書いておくようにしている。

これに対して相手リアクションしてくれたり、興味のあることに関してはたまにコメントしてくれたりするけど、全然自分の考えていること、今何をやっているか、何に興味があるのかについて書いてくれない。Slackからというわけではなく、口頭でもあまり共有してくれない。なんで?と聞いてみたら、自分に不利になりうる情報は公開したくない、相手に何やってるか知られると自由がなくなるから嫌だ、嘘をつく必要があるときになんでも共有していると整合性がとれなくなるのでできるだけ秘密にしていたい、という。ショックを受けたのでっ詳しく聞いてみたところ、これは別に自分に対しての信用がないわけではなく職業病だということだった。

営業職全員がこういうタイプというわけではないんだろうけど、自分の今まで経験した職場コミュニティ、友人たちとあまりにも考えが違って驚いた。

2023-03-15

論理的思考に操られているかもしれない

「君の言っていることはすべて正しいけど、面白くない。」

何年か前に読んだ雑誌コピーで、当時かなりの衝撃を受けたことを覚えている。

今でもたまにこのコピーを思い出してドキッとすることがある。

自分論理的に考えることが得意なほうだ。

エンジニアという職業では特に論理的に考えることが必須スキルとなる。

それは「正しさの判断」が必要な場面が多いからだ。

エンジニア仕事は、正しい方向へ向かうための判断を繰り返すことに他ならない。

ビジネスのためにどのようなシステムを作るべきか?アーキテクチャの選定はビジネス課題解決になっているかアプリケーション実装ビジネス意図した動作をするか?

こういった判断をする際には、常に論理的思考が役に立つ。

職業病かどうかわからないが、日常生活でも無意識論理的に考えることが増えたように思う。

脳が勝手論理的思考しているような、そんな感覚がある。

エンジニア仕事では論理的思考は役に立つが、日常生活ではむしろ邪魔になることがある。

それは、論理的思考が「正しさの判断」にしかならないからだ。

日常生活で正しさが求められるシーンは限られている。

正しいことが他の何よりも優先されるのかといえば、当然そんなことはない。

正しさがある程度証明されたからといって、それが何になるんだろうか?

共感を求めている人に正論を叩きつけたり、別のコンテキストに立つ人間同士が正論を言い合ったりすることは、ほとんど無価値だし、むしろ憎悪の原因にしかならない。

エンジニア仕事でさえも、論理的思考邪魔になる場面があると思う。

論理的に考えることは、ある程度の時間がかかる。正しさの判断をするために時間をかける必要がない場面は、無限にある気がする。

正しい判断が求められず、速攻で理由もなく決めてしまえばいいようなトピックに関しては、論理的思考コストしかなっていない。

まり合理的でないが論理的判断をしてしまうケースはよくある。

それでいても論理的に考えたくなってしまうのは、論理的思考がすべてを解決してくれるように見えるからだ。

しかしたら人は根源的に、自分が正しいことの保証を求めるのかもしれない。

夢の中でさえ論理的思考していることがある。もはや論理的思考に操られているのかもしれないと思う。

論理的思考に操られないためには、「正しさの判断必要か」を考えることだ。

論理的思考はすべてを解決するわけじゃなく、正しさの判断しかならない。

正しさの判断不要な場面では、むしろ毒になるかもしれない。

感覚で考えること」と「正しくないこと」の両方を肯定する必要がある。

まず、感覚で考えることは、論理的に考えることの真逆というわけでもない。

感覚で考えた結果が、論理的に正しいこともあるだろう。

それに、もし考えが論理的に正しくなかったとしても「別にそれでいいじゃん」と思える寛容さや「間違ってるけど面白いね」と思える柔軟さを大切にしたい。

この文章を書いている最中でさえ、正しさを常に思考している。

たぶん、もっと絵を見たり音楽を聴いたり、自然に触れたりしたほうがいい。

論理的思考に操られているかもしれない

「君の言っていることはすべて正しいけど、面白くない。」

何年か前に読んだ雑誌コピーで、当時かなりの衝撃を受けたことを覚えている。

今でもたまにこのコピーを思い出してドキッとすることがある。

自分論理的に考えることが得意なほうだ。

エンジニアという職業では特に論理的に考えることが必須スキルとなる。

それは「正しさの判断」が必要な場面が多いからだ。

エンジニア仕事は、正しい方向へ向かうための判断を繰り返すことに他ならない。

ビジネスのためにどのようなシステムを作るべきか?アーキテクチャの選定はビジネス課題解決になっているかアプリケーション実装ビジネス意図した動作をするか?

こういった判断をする際には、常に論理的思考が役に立つ。

職業病かどうかわからないが、日常生活でも無意識論理的に考えることが増えたように思う。

脳が勝手論理的思考しているような、そんな感覚がある。

エンジニア仕事では論理的思考は役に立つが、日常生活ではむしろ邪魔になることがある。

それは、論理的思考が「正しさの判断」にしかならないからだ。

日常生活で正しさが求められるシーンは限られている。

正しいことが他の何よりも優先されるのかといえば、当然そんなことはない。

正しさがある程度証明されたからといって、それが何になるんだろうか?

共感を求めている人に正論を叩きつけたり、別のコンテキストに立つ人間同士が正論を言い合ったりすることは、ほとんど無価値だし、むしろ憎悪の原因にしかならない。

エンジニア仕事でさえも、論理的思考邪魔になる場面があると思う。

論理的に考えることは、ある程度の時間がかかる。正しさの判断をするために時間をかける必要がない場面は、無限にある気がする。

正しい判断が求められず、速攻で理由もなく決めてしまえばいいようなトピックに関しては、論理的思考コストしかなっていない。

まり合理的でないが論理的判断をしてしまうケースはよくある。

それでいても論理的に考えたくなってしまうのは、論理的思考がすべてを解決してくれるように見えるからだ。

しかしたら人は根源的に、自分が正しいことの保証を求めるのかもしれない。

夢の中でさえ論理的思考していることがある。もはや論理的思考に操られているのかもしれないと思う。

論理的思考に操られないためには、「正しさの判断必要か」を考えることだ。

論理的思考はすべてを解決するわけじゃなく、正しさの判断しかならない。

正しさの判断不要な場面では、むしろ毒になるかもしれない。

感覚で考えること」と「正しくないこと」の両方を肯定する必要がある。

まず、感覚で考えることは、論理的に考えることの真逆というわけでもない。

感覚で考えた結果が、論理的に正しいこともあるだろう。

それに、もし考えが論理的に正しくなかったとしても「別にそれでいいじゃん」と思える寛容さや「間違ってるけど面白いね」と思える柔軟さを大切にしたい。

この文章を書いている最中でさえ、正しさを常に思考している。

たぶん、もっと絵を見たり音楽を聴いたり、自然に触れたりしたほうがいい。

論理的思考に操られているかもしれない

「君の言っていることはすべて正しいけど、面白くない。」

何年か前に読んだ雑誌コピーで、当時かなりの衝撃を受けたことを覚えている。

今でもたまにこのコピーを思い出してドキッとすることがある。

自分論理的に考えることが得意なほうだ。

エンジニアという職業では特に論理的に考えることが必須スキルとなる。

それは「正しさの判断」が必要な場面が多いからだ。

エンジニア仕事は、正しい方向へ向かうための判断を繰り返すことに他ならない。

ビジネスのためにどのようなシステムを作るべきか?アーキテクチャの選定はビジネス課題解決になっているかアプリケーション実装ビジネス意図した動作をするか?

こういった判断をする際には、常に論理的思考が役に立つ。

職業病かどうかわからないが、日常生活でも無意識論理的に考えることが増えたように思う。

脳が勝手論理的思考しているような、そんな感覚がある。

エンジニア仕事では論理的思考は役に立つが、日常生活ではむしろ邪魔になることがある。

それは、論理的思考が「正しさの判断」にしかならないからだ。

日常生活で正しさが求められるシーンは限られている。

正しいことが他の何よりも優先されるのかといえば、当然そんなことはない。

正しさがある程度証明されたからといって、それが何になるんだろうか?

共感を求めている人に正論を叩きつけたり、別のコンテキストに立つ人間同士が正論を言い合ったりすることは、ほとんど無価値だし、むしろ憎悪の原因にしかならない。

エンジニア仕事でさえも、論理的思考邪魔になる場面があると思う。

論理的に考えることは、ある程度の時間がかかる。正しさの判断をするために時間をかける必要がない場面は、無限にある気がする。

正しい判断が求められず、速攻で理由もなく決めてしまえばいいようなトピックに関しては、論理的思考コストしかなっていない。

まり合理的でないが論理的判断をしてしまうケースはよくある。

それでいても論理的に考えたくなってしまうのは、論理的思考がすべてを解決してくれるように見えるからだ。

しかしたら人は根源的に、自分が正しいことの保証を求めるのかもしれない。

夢の中でさえ論理的思考していることがある。もはや論理的思考に操られているのかもしれないと思う。

論理的思考に操られないためには、「正しさの判断必要か」を考えることだ。

論理的思考はすべてを解決するわけじゃなく、正しさの判断しかならない。

正しさの判断不要な場面では、むしろ毒になるかもしれない。

感覚で考えること」と「正しくないこと」の両方を肯定する必要がある。

まず、感覚で考えることは、論理的に考えることの真逆というわけでもない。

感覚で考えた結果が、論理的に正しいこともあるだろう。

それに、もし考えが論理的に正しくなかったとしても「別にそれでいいじゃん」と思える寛容さや「間違ってるけど面白いね」と思える柔軟さを大切にしたい。

この文章を書いている最中でさえ、正しさを常に思考している。

たぶん、もっと絵を見たり音楽を聴いたり、自然に触れたりしたほうがいい。

2023-03-13

anond:20230313124612

俳優さんは特殊でしょ。

役柄によってはタトゥーを隠さないといけないわけで。

それは職業病みたいなもの

2023-03-12

一般社会擬態しているASDだけど

年をとるごとにASD気質全開になってきて闇を感じる。ASDでも普通の人としての振る舞いを身につけたら社会で殺されることもない、と思ってたけど無理じゃね?

元々たいして上手くもない擬態ではボロが出始めている。だから専門家になって誤魔化すしかない。専門家なら理屈で話すことは職業病だと思ってもらえるからね。発達障害だとなれる職業ってマジ限られてくるわ。無限未来なんてないよな。

2023-02-25

ブクマカエンジニアいかバグ探しのように全てに批判的になるのかな

職業病なんだろうね

理論の穴や矛盾がどうしようもなく気になって指摘してしま

ブクマカは酷いと思うこともあったけど、理由が分かれば少しは納得できる気がする

2023-01-26

anond:20230126204304

あと別増田が言ってるようにマーケティングやってるから職業病として売り手側の気持ちになってしまうから吉野家とかも行けない

生娘だと思われるから

あとすき家も行かない

チー牛だと思われるから

anond:20230126204420

職業病っていうか大二病ぐらいだよね

「俺、演出かじってるから映画とか楽しめないわー」とか言ってる感じの

anond:20230126204105

マーケティングやってるからこれが染み付いてるんだわ

職業病かもしれん

何するにもターゲティングとか客層気にして音楽すらまともに聞けないレベル

2022-12-17

人力車夫の寿命は5年問題

いまや観光名物となった人が車を引き人を運ぶ人力車。その普及当時、引き手の車夫は過酷仕事から心臓や肺が5年ほどで死んでしまうといわれたらしい…あぁ恐ろしい恐ろしい。おぉショッギョムッギョ。運動は足りてるので睡眠瞑想野菜不足だろうか。


ことの情報源イザベラ・バード日本奥地紀行。

本文を引用してそうな文章では

https://twitter.com/noa_izumi1998/status/1405647209043922950

人力車を引けばほとんどどの職工より儲かるので、何千人もの立派な若者農業従事するのをやめて人力車の引き手になろうと町に集まってきます。』

とはいえ車夫になってから平均寿命は五年しかない、その多くが心臓または肺の重い疾患に罹かかると言われています。まずまず平坦な地面の上を、優秀な車夫は時速四マイル[約六・四キロ]で一日五〇マイル[約八〇キロ]走ることもあります。』

とある

ん…どうなんでしょう。儲かるから就職するとしても死亡率が極端に高い…まあ現代でもベーリング海カニ漁などがあるのでありえるのでしょうか。

気になる点はいくつか。

まず人力車が登場した時期。これはツイッターの前の文章にもあり別途調べることもなかったのですが。

あなたも知っているとおり、この乗り物日本の特色のひとつで、日に日にその重要性は増しています。七年前に発明されたばかりなのに、すでにある都市ではその台数が二万三〇〇〇近くに達しており、』

7年前に生まれ職業平均寿命が5年と言われても感覚としてはちょっと引っかかる気がしますな。

なんだか仕事を始めて数ヶ月でバッタバッタと死んでいかないとこういうイメージはできあがらないのかな。

人を運ぶことの過酷さについても、そもそも人力車が初めての人を運ぶ仕事ではないわけで、大名行列イメージかな?日本には駕籠があった。

人力車はそれと入れ代わるように入ってきたはずだ。

人力車安全性の高さと運賃の安さ、玄関先まで届けられるという小回りの良さが大衆に受けて急速に普及し[16]、1872年までに、東京市内に1万台あった駕籠は完全に姿を消し、逆に人力車は4万台まで増加して、日本代表的公共輸送機関になった。これにより職を失った駕籠かき達は、多くが人力車の車夫に転職した。1876年には東京府内で2万5038台と記録されている[17]。19世紀末の日本には20万台を越す人力車があったという[18]。人力車夫は明治都市流民した下層社会の細民の主要な家業となり、明治20年代には東京市内に4万人余も存在したが、その後都市交通の発達により数を減少させていった[19]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%8A%9B%E8%BB%8A

二人以上で運ぶ駕籠車輪の力を借りる人力車のどちらが過酷労働かはわからない。しか運送業として駕籠から人力車へと系譜があると見れば駕籠時代から平均寿命が短かったのでは?そんな業態で長年何万人と働き文化職業が残り続けた。しかも(車夫と比較して裕福な?)他人と接する接客業で。これは発展途上国ゆえの残酷さなのか、実際のところは致死的とまではいかない重労働程度だったのか。気になりますな。

次に、おそらくなのだが、お抱えでなく流しの人力車ならばいわゆる自由業的な働き方になるのかなと思う。

ひとまず自由意志で体を動かす労働を体が壊れるほどする必要があるということは、それは貧乏暇なし。働けど働けど…ということなはずだ。

"ほとんどどの職工より儲かるので、何千人もの立派な若者農業従事するのをやめて人力車の引き手になろうと町に集まって"くるならば、他の職より稼いだ金で休息に充てられないものか?

まあ数の伸び具合を見るに過当競争だったかもしれない。

そもそもかるといっても底辺の争いだったのかもしれない。

かにこの5年に言及している文章があった。

19世紀末の 日本労働観一

https://darch.isl.or.jp/il/cont/01/G0000002rouken/000/019/000019561.pdf?log=true&mid=940004&d=1579046400437

久保田重孝'6)はこのバード旅行記をとりあげて,これは人力車夫の職業病にふれたものだとしたが,筆者'7)は当時の日本人の平均寿命が40幾歳という時代で,人力車夫の若死を職業病としてしまってよいかどうかわからないと書いたが,現在作業関連疾患に関係があると考えてもよさそうである

横山'8)は当時の人力車夫には「おかかへ」,「やど」「ばん」「もうろう」の区別があるとする。「おかかへ」は月に幾程と約束を定めて紳士の家に「おかかへ」となった者,「やど」とは一名部屋住み車夫で,挽子がこれにあたる。「ばん」とは一定駐車場所属する株車夫である

そして人力車夫中最も多いのが,貧民窟に住んで,車を借り,ひどい者は筒袖股引の衣裳まで借りて働く「朦車夫」で,車の借代は上等10銭,中等8銭,下等6銭で,3,4年前より2銭宛高くなった。この車夫の収入は日によってちがうが1日平均50銭くらいにはなる。

「家に女房あり,子供あり,如何に節約するも四十銭は之を要せん。残れる十銭を以て屋賃,衣服料,子供の小使等を除けば餘す所幾何なるべきか,特に規則労働に従ひ不定収入に服する人力車夫の常として,途中不用飲食物に金を捨てること多きを思へ、ば,束京市中五萬の人力車夫,知らず一日の生活

を能くし行くもの果して幾何ぞ。(原文のまま)'9)」

と書いている。1ただ,当時の入力車夫が,どんな意識で働いていたかは,判然としないが,生きて行くことがや

っとという生活だったことは確かである

まったくもって儲かってないという。自由業ゆえの収入不安定さまで述べられている。

バードさんに話した内容とは食い違うものがあるのか、やはりこれでも「他よりマシ」レベル貧困さだったのかもしれない。バードさんに話した人が誰か、あるいは複数聞き取りをまとめたものなのかはネット上ではからないが、明治9年東京府管内統計表とほぼ同じ台数を述べておきながらの賃金寿命への言及をしていたとしたら両方とも正しいと見るかちょっと変と見るべきか。

ひとつ付け加えると引用横山1871年まれで、バードさんが居た時代ではまだ8歳?時代に多少ずれがあることは覚えておく。

あと平均寿命も。19世紀末で40ちょっとというのはわかっていたようなでも結構驚く数字で、重労働できる年齢になって酷使して平均寿命も短いとなると数年が寿命ないし廃業ラインとなるのも一理あるのかなと覚えるしだいだ。


2,3のwebページを見ただけだが、自分感覚としては5年説はそういう印象が流布程度には信憑性があって、でもまあ誇張や比喩のようなものも感じて100%統計事実として平均5年で死ぬと言った訳ではないのかな、と受け止めておく。

そもそも(バードさんに)誰が言ったかがわからないので町人世間話採集かもしれん。

ひとまず自慢げにトリビアとして吹聴できるレベルではないなと記憶しておく。

そもそも気になった原因の漫画版では、知識階層ではないが勤勉で聡明な作劇上、日本文化解説する立場キャラクター自分の持つ知識としてセリフ披露している。だからまるで歴史的事実のように感ぜられてしまって調べたのだ。

作中では人力車が広まって何年かは書かれていな…かったと思うので、受け取りかたしだいではもう十何年も人力車が続きそのなかでの収束した寿命とも取れかねない印象だった。

原文のもひとつまえの「七年前に発明されたばかりなのに」というセリフも含まれていれば舞台が78年なので即座にまあうろんげだなと留保立場で流せたのだ。

そんな感じで時代劇はすべからくそうなんだろうけど適度に信じつつ適度に疑いつつ楽しんでおくことにする。

2022-11-28

看護師性格悪いって言われるけど

業務の忙しさ、煩雑さ、人間関係の難しさ、勤務形態の複雑さ、患者とのトラブル色々心削られ

ぞんざいになっていく人が多いからなんだよ。あれは職業病

2022-11-24

[] そのよんひゃくきゅうじゅういち

クリュソゴヌーッス

 

本日日本においては鰹節の日オペラ記念日

そして、チャールズダーウィンの『種の起源』の初版が発行された日だから進化の日、らしいです。

進化って今時あるんでしょうかね。

ポケモンかぐらいでしかたことがありませんが、人間技術力を手に入れて服を加工したり必要な道具を作ったりすることは進化なのでしょうかね。

まぁよくよく考えればとんでもないことをしてるから進化といえば進化かもしれませんが。

まぁそれでもスマホの使いすぎで手にタコが出来てたりするのも進化かもしんないですね。

その遺伝子次世代に残るのなら。

とはいえ時代の潮流に呑まれすぎないようにニュートラルであることを求められすぎる現代において多少なりとも体に癖が付いていた方が生きてきた証を体感できるようでいいのではないでしょうか。

良くはないか職業病とかあるもんな。

変に癖がついて実は大病でした、とか笑えないもんな。

 

ということで本日は【定期的な検診よいか】でいきたいと思います

定期的な検診よいか!定期的な検診ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

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