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はてなキーワード: 聞き手とは

2017-04-14

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.「隣の女子高生たちが言ってた」みたいなのって何ですか?

何かのテーマについて、対話形式で語らせるやり方だね。

舞台チェーン店公共の場所。

登場人物たちは架空存在であることが多い。

まりあくまで筆者個人の語りを代弁させているというわけだな。

基本的に、読者もそれを織り込み済みであること前提らしい。

なので会話の内容は覚え書きが不可能なほど、不自然に長いことがほとんどだ。

まあ、本当にやっているとしたら録音でもしないとダメだろうな。

内容なども加味して、パブリック場所でそれらの会話を他人が聞き取れて、なおかつ記憶できるというのは考えにくいため、まあ十中八九架空だ。

その会話の内容の導入部分や、場面が不自然なことがウケて、この方式をとる人が多いというわけだな。

このあたりは媒体によって様々で、動画だと「総統閣下シリーズ」とか、「ゆっくり解説」など語り手に加えて仮想聞き手も同時に配置することがあるな。

歴史を辿れば、別の人物複数設けて作り手の主張を代弁させるというやり方は、ずっと前から普及している。

創作物語も広義的にはそうだしな。

なぜ個人で語ればいいことを、わざわざそのような形式でやるかは諸説ある。

聞き手話し手を配置することによって、話の構造理解やすくするため、だとか。

自分」という存在を、その話から排除しつつ語りたいから、とか。

自分以外の誰でもいいから、そういった代弁者を求めているのかもしれない。

自己主張と、自分という個のギャップに苦しんだ結果かもしれないな。

まあ対談形式であろうが、なかろうが、本質的には同じなのだが。

おっと、念のためにいっておくが、「同じ」というのは私はもちろん君も含まれているぞ。

2017-04-05

http://anond.hatelabo.jp/20170405075111

いっき他責してるやんけ。


>こっちに興味ないのか、そっちばっか自分のこと話してたけど、

>それで必死話題をふって頑張ってるワタシされても困る。

>話遮れないし、聞き手に回ったら、余計しゃべらないつまらない奴扱いって訳だし。


女への憎しみが強い男はマジでもてない。女のそういうところも可愛いって思えるような器がないとだめ。面倒くさくない女なんてこの世に存在しねーぞ

女性との初デートマイナス評価による、次回の約束なし

合コン後に、ちょこちょこラインして、いざ1対1の飲み会

終わった後に、次の約束をしようにも、脈無しの返信で断られたと。

まぁ、笑いあったり盛り上がるところもなかったし、噛み合わなかった。

それだけの話だけど、もう色々と上手くいく気がしない。

みんな経験している話だろうけど、色々としんどい

女性ウケ悪い内面性格的特徴は、ひたすら隠さなきゃいけないわけ?

女性ウケ悪いネガティブ発言はすべて排除して、太鼓持ちしなきゃならんの?

面白くもないのに、笑ったり驚いたり楽しそうな雰囲気作らんとなの?

こっちに興味ないのか、そっちばっか自分のこと話してたけど、

それで必死話題をふって頑張ってるワタシされても困る。

話遮れないし、聞き手に回ったら、余計しゃべらないつまらない奴扱いって訳だし。

まぁひっくるめて合わなかったってだけの話だけだけどさ。

でも就職面接以上に、内面勝負して内面で敗れてって心にキッツいし

就職面接以上に、内面隠してきれても、いずれ破綻が目に見えている訳だし。

そもそもの段階で、容姿簡単に態度変えたり、打算的だったり、

減点方式評価だったり、総合個別評価区別もしなかったり、

男に男らしさ(頼れるオス)かを求めてたり、そういう面倒くさい女性の中から

まだ、1対1で飲む事までできた数少ない合いそうな人だったのに、

それでもこうして駄目。また次は1年後とかかしらん。しんどい

それこそ就職とおなじぐらい愛について大事なんだから

総合的な学習時間なんかより、恋愛学とか恋愛論を1コマももうけたらいいさ。

学生社会人恋愛難易度の差とか、生涯未婚率の怖い数字の考え方から

女性ウケとか男女の恋愛観の違い、脈無しの対応マナーとか実技理論まで。

なんで全員で失敗して傷ついて、しか経験絶対量は数少なく、反復練習で上手になりにくいのに

なんでみんな一人でもがいてくるしまなきゃいけないん?

2017-03-27

コミュニケーションだめです

4月から新入社員

ちゃんと飲み会上司や先輩とコミュニケーションとれるように

脳内飲み会練習をしたんだけど、

何度シュミレートしても10分くらいで

「「「.................」」」(思い出したようにビールに口をつける)

となるバッドエンドにしか辿り着けない。

というかよく考えたらこれまで自分はきちんと他人と会話してきたのかな??

まれてこの方いじられキャラで、

ボケ寄りの行動とる」→「周囲にいじられる」というスタイルに頼ったコミュニケーションをしてきたので、

穏やかな会話の仕方がわからないことに気づいた。

まあでも聞き手でいても良いなら、なんとかやれるかも。

話し手は無から有を生み出さなきゃいけないから大変だけど、聞き手あんまりそれがないからラク。

あと自分主体的考える力がないので、大抵の発言に「なるほど!すごーい!!」と思えるから

…もうそんな年じゃないんだから

なるほどすごいマンでいることも、反応乞食みたいなボケで場を繋ぐことも、

卒業しなきゃなあって思うんだけど。

あと不安なのが、年代まちまちの人たちと会話しなきゃいけないこと。

年代が違う人との会話って、なんかいづさ(※東北方言。しっくりこないみたいな意味)を感じる。

特に20歳差くらいから感じる。通用しない冗談の幅がグッと広まると思う。

で、この違和感キャッチすると、なんかもう会話するのがやんだくなる。

そして相槌マンと化した私は、正しい反応を狙う博打をするのみ。

汎用性高い、野球サッカーの話ができればよかったが、どうしてもスポーツには興味持てなかった。

スポーツの会話できる人は強いと思う。)

というかスポーツに限らず、何か首ったけになれる趣味の一つでもあれば、会話の入り口要因くらいにはなれたかもだな。

また浅く広くでもいいから、見聞が広ければ、他人発言もっと適切に共感できたのになあ。

無趣味で無関心なんだよなあ。だから話題力もないし、それを補う会話力もない。

なんかインターネット見るだけの端末と化してる実家パソコンみたいな人間なんだよなあ。はあ。

2017-03-19

http://anond.hatelabo.jp/20170319001531

話し手抽象論できない相手なら具体論を引き出して、こちらが具体例から結論を読み取る事が必要ではないだろうか。つまり、「つまり」を期待するのではなく「例えば」や「の場合には」を引き出して「つまり」は聞き手が推測するという作業コミュニケーションって面倒で骨折れる。

2017-03-09

http://anond.hatelabo.jp/20170309182842

その同僚ってよっぽど英語力に自信があるんじゃない?

喋りたくって仕方ないのでは

俺は英語に自信ないので、君の国のフットボール選手ってどんな人がいるんだい?ってだいたい聞いてる

あとは、食べ物かな

そして聞き手に回る

2017-02-06

舞台「孤島の鬼」2017版を観劇して

※私の答えが見つかったので、現在最終解答を書いています

ですが、この初見感想も非常に重要でしたので、是非お目通しいただいて推理の参考になさってください。

※表に出した最新考察と印象はこちら。初見感想の次にでもどうぞ

http://anond.hatelabo.jp/20170209222825

http://anond.hatelabo.jp/20170212024356

夜明けて昨日の話。

推しの握手会が思いの外さっくり終わり、通りすがりのご夫婦に推し布教も楽しくできて、気力と時間が余ったので当日券でレッドシアター行ってきた。

とても面白かったのだけど、なんかこうすごくもやっとする原因を掴みたくて、江戸川乱歩原作の方の感想を漁り、こちらのブログに辿り着いた。

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

こちらを拝読してめっちゃスッキリしたので、スッキリしたこと前提に感想を書く。

ネタバレしまくるし、恐らく原作既読でも舞台観劇の方は先に舞台観た方が絶対面白いだろうから観劇予定のある方は読まないでくださいね

まず私がもやっとしたのが、「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」ということ。

こーゆー考察甲斐のあるタイトルや、善悪、美醜、世間自分の解離みたいなモチーフが出てくる作品だと、どうしても「果たして鬼とはなんだったのか?」と邪推してしまう。

そこでまず強烈に思い浮かぶのが主人公であるはずの『私』。

『私』役・佐藤永典さんのお人形のような美貌と、書いて字のごとく鬼気迫るお芝居、そして聞き慣れない失われた昔の日本言葉は、あまりにも『我々観客と同じ存在である共感し難い。

そもそも、主人公目線で語られる物語は、主人公感情移入させて物語に没入させることが狙いのひとつだろうに、全然『私』=箕浦感情移入できない。

ネタバレにならないことを祈って例を挙げると、演劇で観たことがあるミステリーだと『罠』『スリル・ミー』などが思い出される。)

これは『私』が作品の『語り部』であるため、強制的に観客が『聞き手』の役割を担ってしまうからでもあるかもしれないけど……

それにしたって、締めの内容からしても物語の本題が「『私』と諸戸道雄」の関係に集中してしまってならず、

そうすると、田中涼星さん演じる諸戸の執着心のおぞましさに沿ぐわない清廉でどこか儚げな美しさが、彼の一途な愛を健気で尊いものに感じさせてきて、その愛情を受け入れない『私』が何か恐ろしいもののように思わざるをえなかった。

でも、それっておかしくね?って思って。

ホモフォビアを受けることへの同情というか、同性愛差別への嫌悪感も逆手に取られているような気がする。「理由はどうあれ女の子は泣かせちゃいけない」みたいな、ずるい構図が仕組まれているように感じる。

自分が恋をしてフラれた時のこと・恋されてフッた時のことを参照すると、

いくら思わせ振りだったとしても応えてくれない相手の方が悪者だなんて絶対に思えないし、

どんなに周りから薦められてもどうにも受け入れられない相手はマジほんと無理。

目線だって絶対許せない地雷カップリングというもの実在する。

から「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」であるとは、理性的には到底思えない。

でもじゃあどうして「『私』が鬼」だと感じるような作品に仕上げてしまったのか?

これが冒頭に書いた「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」というもやもやの詳細。

この感情原作に対して正当なのか? 舞台版という二次創作であるが故の解釈押し付けなのか?

という部分が気になって、ググって辿り着いたのが先ほどのブログ

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

Wikipediaに書いてあった、「陰獣」みたいな新作をとリクエストされて執筆されたのが「孤島の鬼」らしいというエピソードから勝手妄想して、

江戸川乱歩=諸戸目線で「創作された箕浦」が『私』なのではと解釈し、舞台版にめちゃくちゃスッキリできた。

諸戸道雄の死で物語が終わるのもさもありなん。

観客は真の主人公である江戸川乱歩(諸戸)に感情移入させられて、「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」だと錯覚してしまうのではと。

田中涼星さんの白木蓮みたいな美しく一切の嫌悪感を感じさせない諸戸は、きっと江戸川乱歩ブロマンス結晶として大正解

対する『私』がエゴイスティックに語れば語るほど、それは作者(江戸川乱歩であり諸戸)の恋の哀しみの深さ、恋情の深さを伝えてくる。

女性に執心する姿がなんか気持ち悪く見える・描かれるのも作者による悋気からだろうし、諸戸に対して残酷過ぎる描写は傷付いた作者本人が語らせてるからだろう。

『私』が歪であればあるほど、「箕浦にもどこか諸戸(作者)を愛する部分があってくれ」といった願いの叫びに聞こえる。

(観ていると「箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑が浮かんでならないのだけど、『白髪になってしまうほどの生理的な恐怖・嫌悪』という動かぬ証拠は、容疑を否定してならず、この辻褄の合わないミステリーももやもやの一つだった。)

メタ推理として「陰獣」を出したのも、江戸川乱歩自身による己の殺害物語カタルシスにあるように感じられたから。自身を不幸の中で殺すことで、遺された人間へ爪痕を残すという側面も含めてね。

(愛を願いフィクションを書き綴るのに成就させず永遠片想いとして殺す……って、個人的めっちゃ萌える。)

作者による「ぼくが考えた最高に美しく残酷箕浦永遠に愛してる)」ってやつ。考えたというか、「恋愛疑心暗鬼の中で見えていた箕浦」。

しかしそれが本当に『箕浦』のすべてだったのか?

舞台「孤島の鬼」(2017)では、語り部の『私』と『箕浦』を別の役者さんが演じている。

私は原作未読であるため、同一人物であるはずの二人を別々の人間が演じるということが奇策なのか妥当なのかわからない。

でも、配役を知ったとき

美少年役もまだまだできそうな童顔の佐藤永典さんが30代で老人のような白髪姿になった『私』で、

佐藤さんより身長も高く年上にだって見えかねない美青年石田隼さんが20代箕浦過去の『私』」を

演じることが疑問だった。

いくら『私』は外見が変わってしまったといえど、あまりにも二人の外見が似ていないこともあってね。

「もう一人の自分」みたいな表現が出てくる演劇はいくつか観たことがあるはずだけど、原作未読とはい観劇前に違和感を持ったことはなかったように思う。(まあ大体そういった存在物語の核心中の核心に触れるので、配役表から対の存在公表されてることは少なそうだけども。)

しかし『私』を『諸戸が想い描く箕浦』とすると配役がまあしっくりくるし、『本物の箕浦』と役者を分けたことが大発明のように感じられる。

舞台上には二人の箕浦が同時に立ち、シーンによって他者とのコミュニケーション表現担当者が変わるのだけど(どっちが台詞を言うか、みたいな)、

諸戸と出会い親交を深めた学生時代箕浦はずっと『私』(佐藤さん)が表現し、

諸戸と別離大人になり恋人の初代との出会いから箕浦石田さん)は登場する。

石田隼さん演じる箕浦は、佐藤さんの『私』と同一人物のはずなのに、鬼なんて印象もなく何故か善良な青年に感じられていたのだけど、『私』の方が諸戸(江戸川乱歩)の色眼鏡認識された箕浦なんだと思えばこの対比はすごくいい。

 

「『私』は諸戸目線で見えていた認知の歪んだ箕浦であるため、『私』の歪さから箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑を持ってしまうが、

事実として『箕浦』は諸戸に迫られることに身体変調するほどの生理的な恐怖・拒絶を示している。

(皆さんは自分の体が深層心理拒絶反応で意のままに動かせなくなったことがあるだろうか。私はある。手から全身が痙攣してゆき、これしきのことで動じるな止まれ意識しても震えがまったく止まらない。だから私は生理的な拒絶は動かぬ心の証拠だと考えている。)

箕浦』は諸戸の性愛を受け入れることはできなかった。

しか性的に愛されないことが、『愛されていない』ということなのだろうか?

必死に求めるあまり諸戸からは見えなくなっただけで、性愛ではないけれども某かの情が、性愛にも決して劣らない尊い愛が『箕浦』にもあったのではないか

そういった諸戸の盲点が、諸戸が『私』と会話し夢中になっている時の『本物の箕浦』(石田さん)にあったのではないかと、舞台演劇となり二人の箕浦が居ることで私は考え至った。

物語としての「孤島の鬼」の作者は諸戸(江戸川乱歩)だという解釈は私が勝手にしてるだけなので、舞台版が諸々の采配をこの解釈で行ったかはわからないけど、改めて『私』と『箕浦』の登場場面の違いを確認しながら観劇したら面白そうだなぁ!

より妥当なところの分裂理由として「箕浦二面性」はあるだろうし、じゃあそれぞれの境界線舞台版ではどこだと考えられているか読み解くのも面白い

作中に登場する双生児は境目が見えたけど、二人の役者に分けられた一人の人物のメスは何処に入ったのか。

うろ覚えだけど、諸戸の告白以降は『私』が箕浦として生きているから、舞台では箕浦と諸戸は一緒に天国に行けたのだ、な~んて解釈ハッピーだよね。

(どちらかというと、諸戸が悋気を持たなければ、欲を出さなければ、あるいは悪い男になれていたら、箕浦と一緒に天国に行けたかもしれないのに諸戸が鬼の箕浦を生み出してしまった…って自己破滅エンドの方が私は好きかな。まさに疑心暗鬼を生んだ、的なね。)

(報われず自分に追い込まれ破滅した美しい男性テーマ舞台大好物なんです。)

延々と箕浦組について語って夜が明けてしまったけれども、他の役者さんや演出表現もとても良かった。

諸戸の父親最期に対して、主人公である箕浦』の感情が語られず『諸戸道雄』の感想セリフとして発せられたのも、諸戸の父親を演じていたのがまだ30前半と『私』に近い年齢の美しい河合龍之介さんで妖しい男の色気を放っていたのも、「諸戸の主観こそが語り部の『私』」であったとするならよりしっくりくる。

父親の変貌は、絶対他人箕浦よりも諸戸の方がショックな出来事だ。

父親越えなんてテーマもよくあるほど、子供から見た方が親はより巨大さ恐ろしさを増すし、親が壊れる様というのは「自分にも起こり得る恐怖」と「自分があれほど巨大に感じていたものとは一体何だったのかという虚無」感がぱない。私も父親経験たからわかる。

河合さんの怪演は本当に感じるものが多くあった。

舞台というもの面白いもので、同じ現実を同じ密室複数の人々と同時に別々の目線位置角度(物理的な意味で)から観測するものから

書籍映像物語を鑑賞する以上に「他者が見ていない『自分視点』」が感想を述べる際にものすごく意識される。

たとえ自分複数人居たとしたって、観劇した感想は同じにならない。

演出による印象操作完璧に同一にはできない。(それをぶち超えるクソチート暗殺者が『音楽』だと私は考え重要視しているけど、それはまた別の話)

から舞台は観るだけでも楽しいし、感想を言うのも聞くのも他メディアの何倍も楽しい

そんな訳でこれらの感想はすべて《私》の主観しかなく、原作者スタッフキャストが込めた意図真相はわかんないんですけどね。

舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」、とてもよい観劇でした。

2017-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20170119111340

そこから歩いたところにあるお店

そこからは少し歩いたところにあるお店

前者だと「歩く」っていう行為に焦点が当てられていて、聞き手としては「直通じゃない」とかそんな感じの推論をする。

後者だと「少し」っていう距離に焦点が当てられていて、聞き手は「距離を感じるくらいの距離なんだ」って推論しちゃうんじゃないだろうか。

言葉おもしろい。

2017-01-17

会社には時間軸がある

これまでどういう経緯で

今どういう状態

今後どうしていきたいか、どうしていくか

そういう流れがある

 

その最初の方と最後の方では、似た会社でも大分やることや文化が違う

でもあまりそこら辺は重要視されない

 

現時点でのスペック重要視される

から入ったあとでミスマッチが起こる

初期フェーズなのに全てが用意されていることを期待したり

後期フェーズなのによりビジネスモデルの根幹の部分に携わりたいと願ったり

 

もちろん小さい会社ほどこういうのが顕著だけど

1020レベル会社ならまだまだ全然ストーリーの途中」という会社ばかりだ

 

しかしとても残念なことにこういう経緯は無視される

敬意を無視した人が参画し、その人がまた誰かを採用するケースも有る

採用者が「これまで」と「今」と「これから」を説明できない

そんな会社が多い

 

もっと時間軸を大事にしていきたい

経営者ストーリーテラーになり、従業員はよりよい聞き手となるべきだと思う

2017-01-16

ホラー小説面白いやつが売れてない。

絶対に100%面白いと言えるのに、売れてないホラー小説がいくつかある。

  

①『だからドロシー帰っておいで』

なぜこれが売れなかったのが理解できないくら面白くて怖い。

主人公は単なる中年主婦なんだが、一方では脳内では「オズの魔法使い」の世界体験している。

主人公は次々と殺人をしていくんだけど、脳内ではキレイオズの魔法使い的な解釈で進んでいる。

オズの魔法使いでの出来事が、逆にリアルではどうなっているのか?はあまり細部まで語られないが、主人公を追う刑事などの描写でハッキリする。

イケてない中年主婦描写がまた陰険面白い

ラストちょっと意外というか、無理やりな感じでまた面白い

  

②『x雨』

能力者となる子供たちは、ある時から、「雨」を感じることとなる。

普段普通学生として過ごしているのだけど、みんなには感じない「雨」を感じるため、常にジトジトしており、そのうち雨にのまれて死んでしまうことになる。

彼らは能力を使って色々やっていく。

というストーリーなんだけど。

これを語ってる人物というのが、この能力者の1人という設定なんだが。

それを聞いてる聞き手ってのが、このx雨の作者そのもの

そして、ラスト近くで、語り手の能力者の嘘を見破るんだけど。

その瞬間から、作者も狂い出す。

作者が狂いだすから最後の方は小説自体が破たんして、小説形式すら取れなくなり。

最期はこの本を出版する出版社への手紙的な形で終わる。

結局、能力者のストーリーはどうなってるんだ?っていう謎ばかりが続く作品

  

③『パティ宇宙旅行日記

児童文庫なんだけど、ムチャクチャ怖い。

地球が滅亡し、人類は何十人か1組で、宇宙船に乗せられる。

持ち物は一人1つだけ。主人公のパティは真っ白な何も書いていない本を持っていく。

漂流した先の星で、サバイバルが始まるんだけど、どーしてもこーしても、移住に適していない星っぽい。

しかし、この星でうまくやらねば、死んでしまう。

そういう感じの話なんだけど。

絶望に突き落としまくるんだなこれが。

  

④『夢魘祓い

最初読んだときは、単なるラノベじゃねーかって感じだったんだよ。

夢で悪さする奴を退治できる女の子と、それを支える男の子っていう。

なんでホラーとして出てるのかわからなかったんだけど。

2回目読んだら、スンゲーホラーだわ。

夢で悪さされる人の人生、ムチャクチャになってんじゃねーかって。

怖さのベクトルおかしいんだよな。

ウシジマくん的な怖さ。

  

2017-01-08

3人以上の女子会死ぬほど嫌な理由

さっきまで「女子会」だったのだが

まりにつらくて逃げ出してきた。で、これを書いている。

複数人数と「雑談」することがものすごく苦手だ。

人と話すこと自体がきらいなわけではなく

一対一なら何時間でも話していられたりする。

しかし3人以上になると、もう無理。

なんていうか一対一なら

「いまは話すターン」「次は聞くターン」っていうのが明確で

まあ聞き役に回れば会話は成立する。

相手が何を聞けば喜ぶのか想像すればいいんだから

よい印象を与えるのはたやすい。

寡黙な人ならもっと簡単

要件を話し、あとは心ばかりの有益情報と、相手への褒めを

ミックスして放り込んでさっさと解散だ。

いちばん難しいのは、女子会

理由は下記。

1)つねに3人以上である

2)語り手と聞き手が極めてさりげなく切り替わる

3)職業、雇用形態、既婚未婚離婚子どもの有無などで属性や状況が大きく変わる

4)なのに、わざとらしくない「共感」が求められる

5)しかしその実、みんな「自分の話」をしたい

3とか4はわれながら陳腐ヘイトだが、

真の理由は、たぶん5である

まり、こういうこと。

私は会話において「相手がどうしたら心地よくなるか」を軸としている…

といえば聞こえがいいが、言い換えれば主体性がまったくない。

相手の顔色を伺い、相手によい気持ちになってもらうことで

自分の印象をよくする、もしくはミッションを達成することが会話の「目的」だ。

女子会のような場においては、まずその目的設定自体がまちがってる。

会話の目的は、乱暴にいえば「共感」であり、同時に

「求められてなくても自分の話をする」ことが求められる。(ややこしいな)

共感可能な形でお互い「自分の話」をすることが場のルールであり

それこそが「皆んなが心地よくなる」ために必要なふるまいだ。

私とて、自分の話をするのが嫌なわけではない。

でも話出してすぐ「こんなこと誰が聞きたいんだよ」と思ってしま

そう思ったらもう終わらせたくて仕方なくなる。

なるべく短く、とディテールを欠いて話を閉じるものから

共感も何もできず、沈黙が訪れる。

落ちたボールを拾い上げるお手間だけをかけてしまい、居たたまれない。

そんなターンの繰りかえしを、2時間も繰り返せば、自分相手うんざりだろう。

これまで「女子会が苦手」なことに寧ろ誇らしさを感じていたが(偽サバサバ女子

これは結構ゆゆしき問題なのかもしれない。

なんでこうなっちゃったんだろうなあ。

2016-11-18

仕事論理的な話し方を強いられるのが辛い

他人意思疎通を行うとき、話にロジック必要なのは分かっている。

いくら酒の場であっても論理的破綻している話を聞かされるのは苦痛だ。

それが仕事の場であれば、正確な意思疎通を行わなければならないし、

ロジックに基づいた話し方が求められるのは当然のことだ。それはわかる。

しかし、私がプライベートの際にロジック意識して話すかと言えば、そんなことはない。

かと言って論理が全く破綻した会話しているわけでもない。

要は、自然な会話ではある程度の論理のズレや飛躍を許容して話をするのである

聞き手が話の論理欠陥を補っていると言ってもいい。

この時、厳密に正確な意思疎通はできていない。

行き過ぎると、話が違うということになってしまうのだろう。

仕事では特に困るから話のロジックについて厳密であるべきだという話はわかる。

特に私の職場理系の人が多いから、そういう傾向が強いのかも知れない。

しかし私にとってはそれが苦痛だ。

頭を使うため、疲労感が半端ではない。

下手なことを言えない、と神経も使うからストレスたまる

頭が痛い。胃が痛い

雑談であっても適当なことを言うと、鋭い指摘がすぐ飛んでくる。

グチグチとしつこく話の論理的おかしさについて責められる。

本屋論理的な話し方みたいな本を見るだけで吐き気がする。

私は今年入社新入社員だが、こういった問題のため、会社に行くのがとても辛い。

追記

ストレス会社に行くのが辛いというよりかは

自分社会不適合性を直視してしまって辛いと言った方が正確かもしれない。

人が無意識でできることを私はできないのだから

2016-11-15

子どもたちを「読める」ようにしたいなら、ゆっくり音読させよ

AI研究者が問う ロボット文章を読めない では子どもたちは「読めて」いるのか?

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yuasamakoto/20161114-00064079/

この記事について思ったことを述べますメモ書きなので読みにくいと思いますすみません

ーーー

最初から「読める」人はいない。幼児はまったく読めない状態からスタートして、徐々に「目の前の状況」と「言葉の音」をつなぎ合わせていく。

このとき重要なのは読めているかどうかではなく、現実世界とうまくやっていけているかどうかだ。つまり現実世界との折り合いがつけられれば、それで十分だということ。

いま発生している問題は、現代社会の一部で「深いレベル」まで読み込むことを要求されていること。端的に言えば、頭を使わないといけない仕事が増えた。

記事中の例題2とか、実際に口頭で言われたら「ゴチャゴチャ難しいことを言うな」と言われるレベルだろう。聞き手が「怒らせるためにわざと言っているのか?」と思っても仕方ない。パッと言われて判断できるレベルを超えているのだ。

しかし、これらは話し言葉であれば「ゴチャゴチャ言うな」勢が優勢になるが、書き言葉になると途端に「読みが浅い」勢が優勢になる。

そうなる理由は求められている前提が違うからである。話し言葉では処理スピードが求められ、書き言葉では処理レベル(深さ)が求められる。つまり書き言葉ではスピードを落とす必要があるのである

ここから個人的意見だが、言葉が読めない人の多くは、スピードを落とせない人が多いのではないかと思う。さっと読んで、すばやく解を出す、その癖がついてしまっているというわけ。

から、読みが浅い人たちへの対処としては、スピード重視をやめさせることが重要になる。そのための有効な策は、問題文をゆっくり何度も音読させることである。これは話し言葉世界でもスピードを落としてよいと認識させるアプローチである

あと生活習慣でいえば「急いで!はやく!」とせかす回数以上に、「ゆっくりでいいよ、慌てないでいいよ」と言うことだ。

そういう意味で言えば、時間制限のあるテストで、深く読めという指示を出すこと自体が「自分はできるんだからお前もできるはずだ」というマッチョ思想だろう。

しかも、人間勝手なモノである。読みが浅ければ、「読めていない」ことをあげつらうが、一方で読み過ぎたら読み過ぎたで「考えすぎ」と非難する。

結局はバランス問題しかないものを、正解があるように扱うのは、それに合致しない人たちの人間らしさを否定するようなものだということは肝に銘じておきたい。

2016-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20161024230321

業界用語口語発音を補足していたのが、補足というあり方だけが発達してしまって、神の目線台詞意図ダブルミーニングまで解説するようになった、という感じかな。

オヤジギャグを括弧書きで説明してしまうようなことを、漫画ではルビ書きでやってるものだと思えばいいと思う。

暗黙の意図あくまで暗黙の意図であって、聞き手に伝わっているかどうかは文脈次第だと思うけど、意図的暗号のように使われる場合もある。

架空の例だけど、戦闘中作戦の変更を暗号的に伝える時に「拠点Aの防衛に失敗!(ルビ:作戦Bに変更!)」のようにルビが使われることがある。

暗号ダブルミーニング的な使い方の時には、実際の発話が本文で、ルビが暗黙に伝わる従属的な内容であることがほとんどだと思う。

この使い分けが業界用語説明に混じってしまうんだろうね。


必殺技名の二つ名的なやつが他人に伝わっているのか、はまた別で、漫画には登場人物が吹き出しを読めるという表現手法がある。

漢字綴りを伝える時によく使われるやり方で、「タケルって漢字はどう書くの?」「武だよ」という会話だけで、メタネタ雰囲気を全く漂わせずに綴りが伝わってしまう。

必殺技名もこれと同じやり方で伝わってるんだと思う。

アニメのように両方発音するのが正当なやり方の可能性も捨てきれなくて、もしそうだとするとルビを先に読むべきか本文を先に読むべきか分からない(別に分かる必要もないと思うけど)。

これと似たような問題が吹き出しの外に書かれる手書き文字の会話にもあって、吹き出し中の会話とほとんど対応せずに、会話が二重に進んでいるとしか思えない例も時々ある。

こういうことが多々重なっていって「漫画キャラクターは吹き出しや手書き文字を読んで二重三重に会話をしてる(暗示的なルビも実質明示的に伝わっている)」という観念が強くなっていく。

この観念が強まりすぎてデスノートを読んだ時に「人が自己紹介をした直後になんでこいつは漢字を当てずっぽうで書いてるんだ?」と疑問を持ってしまった。

2016-10-15

三浦九段意志を継ぐ竜王戦

将棋界を震撼させた三浦九段疑惑だが、将棋ファンの間には様々な憶測が飛び交っている。

三浦九段の替わりに竜王戦舞台に登場することになったのは、同じくトップ棋士のひとりである丸山九段だ。その丸山九段による「日本将棋連盟の決定には個人的には賛成しかますが」とのコメントは、三浦の潔白を信じての抵抗を意味するのか、それとも、年末までの公式出場停止処分が軽すぎるという意味なのか。

ネット上の棋士たちの多くの第一声には、どちらかといえば擁護の色が見られた一方で、橋本八段のような黒断定派も現れた。しばらくして連盟記者会見からの「告発者が5人ほどいる」という追加情報が流れると、三浦九段の直近の対局者リストや夏以降とされる告発の時期、対局の重要度などから竜王への挑戦をかけて三番勝負を戦った丸山九段告発者のひとりではないかとの憶測も生まれた。

仮に丸山九段告発者のひとりだとすれば、「日本将棋連盟の決定には個人的には賛成しかますが」という発言真意は、処分が軽すぎるという意味に受け取れる。


いっぽう、その丸山九段を迎え撃つことになった渡辺竜王も、当初はブログでの「詳細は各種報道に任せて、ここでは省略します。」と言葉少ないコメントけが発表されていたため、三浦九段に対してどのような思いでいるのか判然としなかった。しかし「三浦九段への聴取が行われたとされる常務会には、渡辺竜王も出席していた」という追加情報、そして渡辺竜王の「疑わしい要素がいくつか出ている状況で、やむを得ない措置ではないかと思う」というコメントがもたらされると、渡辺竜王こそが告発者の筆頭格だったのではないかと思われた。

その前提に立てば、今回の疑惑を語る上で、先に挙げた三浦九段丸山九段の三番勝負と同じくらい重要な一局として、三浦九段渡辺竜王A級順位戦での一局が俄然、注目を浴びることになる。

なにより対局が10月3日と直近であったこと、そして棋士人生に大きく影響する順位戦であること、極めつけに三浦九段が「驚愕」とも評された手を放った上で勝利したことから、この対局が決定打となって、渡辺竜王が「行動」したのではないかと思われた。


そして、本日竜王戦開幕である公式ニコニコ生放送も大きく荒れることなく、将棋ファン塚田親子によるほっこり解説を楽しんでいたが、対局開始からまだ間もない午前中、その心はにわかに揺さぶられることになった。

丸山九段が、直前の、そして「疑惑」の三浦vs渡辺戦をなぞるように手順を進め、1筋の歩の突き合いこそ省略したものの、ついには三浦の放った4五桂という「驚愕」の手までをも踏襲したのである

もちろん、前例のある手順を途中まで踏襲することは、プロの対局ではまったくめずらしいことではない。また、4五桂というのも某棋士によれば「先手の▲4五桂跳ねは昔指されていたんですが軽すぎるというので先手いいとは思われてませんでしたがここ半年位に研究されていた形です」とされ、決して想定外の手ということでもない。しかしその前例というのは、今回の大騒動当事者であり、いま自分がいる場所に座っているはずだった三浦九段が、いま目の前にいる渡辺竜王に対して指した手なのである竜王戦の大舞台で、指せば誰もが三浦戦を思い起こす。よほどの覚悟がないと、指せるものではない。

丸山九段は、三浦九段の思いを背負ってここに座っている——?

日本将棋連盟の決定には個人的には賛成しかますが」という発言真意は、やはり三浦九段処分に対する反抗だったのだ——


棋士は盤上で語る。

丸山三浦への思いはあくま憶測であるし、「純粋によい手だったから指しただけ」とする意見や、渡辺竜王心理的に動揺させるための狡獪な戦術とする向きもある。しかし、そのいずれにしても、丸山九段大勢将棋ファン棋士を前に、盤上で語ったのだ。

ニコ生も、2chも、ついったも、男、丸山の4五桂に沸き返った。


渡辺三浦丸山の間には、深い因縁がある。渡辺最初竜王位を獲得してまだ年の浅かった2006年NHK将棋講座のテキスト誌上にて渡辺竜王は、当時の三浦八段・丸山九段深浦八段の研究姿勢に対して「若手にメール電話で聞くのはA級棋士としての自覚に欠けると思います。そういう人たちの将棋は並べる気もおきませんね。目新しい手を指しても、どうせ誰かに聞いたんだろ、と思ってしまますので。こういう人には負けたくないです」とこき下ろした。将棋界に言う「質問三羽烏事件である

その直後にも渡辺は、NHK杯戦で丸山に対して初手3六歩という、プロの対局でめったに指されない手を指して丸山挑発し、局後に解説米長から相手相手からこのくらいでいいと」と水を向けられると「そうですね」と応じ、聞き手千葉女流を慌てさせている。

温厚で口数少ない丸山が、渡辺をどう見ていたかはわからないが、三浦に対しては、同じ「烏」として、ひょっとしたらシンパシーを感じていたかもしれない。


重苦しくなるかとみられた七番勝負竜王戦を、挑戦者丸山九段は、いきなりまさかの形で盛り上げてくれた。また、避けることもできた手順を受けて立った渡辺竜王もまた、堂々たるものである名勝負に期待したい。

2016-08-31

庵野ってさ

言いたいことを途中で辞めて聞き手想像させる作風だし

途中で観客を放り捨てインタビューで一気に醒めることをいうし

なにより続編作らせると転ける人だし

持ち上げるのやめなよ

2016-08-13

http://anond.hatelabo.jp/20160813224116

面白く話せばいいんだよ。

つまんない理由は、所詮自分個人の経験・教訓なのに、それを過度に一般化しようとするからじゃない?

謙虚に、いろんな奴の話とか聞いたり、本やら論文やら読んだりしたのを総合した結果、俺はこう考えた、って話なら興味深く聞いてくれるんじゃないかな。

もちろん聞き手がお前のパーソナリティに興味を持っているかユーモアをもって話せるか、とかにも左右されるだろうが。

2016-08-02

リア充飲み会に参加した

医者×4、看護士×4の飲み会に参加した。

俺以外はこういう場になれた人達ばかり。

  

まず、会話が成立しなかった。明らかに俺を拒否ってる女もいた。

そもそも、会話が成立しないのは、聞き手に回らないからってのもあるんだろうけどさ。

そもそも、会話できねーんだよなあ。

会話って、ある程度、子供の頃に人との付き合いの仲で覚えていくんだろうけどさ。

俺の場合友達いなかったから、いないってのは少ないって意味じゃなくて、ゼロだったから。

から、本でしか言葉を学んでいないし。

自分に通じれば十分だから言葉相手に伝えるような風に子供の頃から覚えていなかったから。

から言葉を話ししても通じない。

「○○さんってマイメロみたいってずっと思ってたんですよ!病気の人に優しいなあって!」(意訳:マイメロメンヘラ系の女の子癒しているっていう原宿文化がある→看護師さんとして優しいから素晴らしいな)

自分の中では通じてるけどそういう会話ばかりでイマイチ通じない。

  

そうこうしている内に、他の人達は仲良くやってる。俺は男相手しか盛り上がれない。

  

二次会カラオケ

女の子イチャイチャと触れまくる男達。

俺は触れない。だってセクハラって言われたらどうすんだよって思う。

どーもノーリスクだよって雰囲気あるけど。そりゃ嘘だろ。

さりげなーく周りのリア充男が「おい。増田君、そんなとこじゃなくて、女の子のところ行って絡み放題だよ、いきなよ」的な。

  

いやいや。俺は、ブサメンから

イケメンなら痴漢してないのに痴漢したって言われても勘違いだろうってなるけど。

ブサメンならアウトじゃん。

俺はそういうのが怖くて電車では絶対女の近くには立たないし、手も両手上げたり、明らかに分かるように本を読んだりしている。

セクハラしないように、性欲に流されないようこまめにオナニーしたりしてる。

この飲み会前にもちゃんと抜いてきた。

  

から、恐ろしくてその雰囲気にのれなかった。

  

結論として思ったんだけど。

やっぱ、ブサメン人権は無いわ。

普通人格を持つに値する容姿」ってのが少なくともある。

女の感覚ってのは、不細工な男に差別的になるようにできている。

それはでもしょうがないとも思っている。そういう風な差別的感覚があるからこそ人類は発展したんだろう。

男がそういう差別を受けるからこそ、不細工男は頑張って社会を動かすんだろう。

容姿差別されるからこそ、社会的差別をするために不細工社会を作ったり科学を作ったんだろう。

そう思うから、こういう差別は正当な差別だと思う。

  

というか、そう思うからこそ、相手のことを考えた会話ができないんだろうね。

女性4人いたけど、女性としては魅力をまったく感じなかった。それは別にその女性客観的に魅力が無いとかではなく。

俺がそれを感じるレセプターを捨てちゃったんだなって感じ。

意味の無い努力とか無駄から興味が湧かないんだろう。

でも、そういう女性に対する生理的にまともな感覚が無いと多分リア充ノリは楽しめない。

  

そう思うからこそ、ブサメンの俺としては、リア充飲み会は楽しめないなと思った。

そういうことするくらいなら、本でも映画でも誰でも差別なく楽しめるものに突っ込んだほうがいい。

俺がせめてフツメンなら話が違ったんだと思うんだけど。

やはりブサメン社会的に頑張るしかないと思う。

  

視聴者全然いないニコニコ動画の実況みたら、すんげー癒される。

やっぱキモオタ文化最高だわ。不細工から突っ込める文化ってやつがある。

一生リア充になれなくていいわ俺は。

俺の生理的にまともな感覚をぶつける対象は、他人と絡まない本や映画ゲーム実況とかみたいなそういう誰にも関わらないものが相応しいと思う。

2016-07-08

講師が画面に出てくる学習動画は合う合わないが大きい。(日本のは大体合わない)

講師聞き手なんてのは漏れなく聞いてられない。見てられない。

除外するだけなんだけどさ。勿体ないなと思って。(我慢できない自分も)

ドットインストールってほんとすごいなと思う。ありがたいです。

2016-06-25

気づくとなぜか会話の中心になってしまうのをやめたい。

自分の周りには、自然と人の輪が出来る。

自覚したのは高校生の時で、思い返してみると小学生の頃からそうだった。


コミュ力が高いわけではい。人見知りだし、コミュ障だし、友達も少ないし、人気者というわけでもない。

学生時代は目立たないグループにいた。仲いい人達とだけ喋れる、っていう典型的内弁慶

しかし、複数人で話していると、いつの間にか私がその中心になってしまう。

例えるなら、バラエティ番組の司会とひな壇芸人。「踊るさんま御殿」のさんまとそれを取り囲むタレント、ってのが一番近いと思う。


飲み会の席などで、なぜか皆、私に向かって話をする。私以外の間で会話がないわけではない。相槌や茶々を入れたり、質問を挟んだりはする。

しかし、基本的自分が話の聞き手になってしまうのだ。A→私、B→私、A→私、C→私・・・という風な会話の流れになってしまう。


バラエティ番組の司会とひな壇芸人という例えを出したが、もちろん私から話し手指名しているわけではない。

「この間こんなことがあってさ、」「聞いてよ、アイツがー」「そういやあの話聞いた?」を言われるのが毎回私なのだ。なぜなんだ。


前述した通り、私はコミュ力がなく口下手だ。司会でもタレントでもなく、出来ることなら観覧席で笑っていたいタイプなのだ

話を聞きながら笑い、たまにツッコんだりするポジションでいたいのだ。

しかし、彼らは私を見ながら話す。私は、相槌を打ち、リアクションをし、話の続きを促す。


私は、どうすればいいんだろう。

私がいない時、友人達はどういう風に会話をしているんだろう。

2016-05-26

米津玄師歌詞が前向きになって寂しい

音楽知識もないし歌詞解釈とか思い込みが入り過ぎて見当違いなことを言ってるかもしれない申し訳ないと最初予防線を張っておく。

米津玄師最初アルバム「diorama」は一口で言えば「後ろ向き」な作品が多いように感じる。例えば「blacksheep」の「素晴らしい一日始まる頃には夜に暮れる 過ぎ行く毎日 手を振ることすら忘れたまま 」や「何となく不安でさ 日に日に毎日は老いていく」といった歌詞ダウナーな曲調も相まって1日に対する諦観を感じさせる。他にも「恋と病熱」の「誰も嫌いたくないから ひたすら嫌いでいただけだ」「好きなことが少なくなり 嫌いなことが沢山増えた」という歌詞、「vivi」の男女の恋愛の別れを歌い、「さよならけが僕らの愛だ」と締める歌詞(pvだと異形の男と女の子だったが便宜的に)も対人関係に対しての諦めや遣る瀬無さを読み取れる様に思うし、「ディスコバルーン」の「何も知らない夢のまま 死んでいけたら幸せだ」という歌詞は激しい曲調も相まって破滅的な曲であるという印象を受ける。まあ主観だろ!といえばそれまでになってしまうのだが、これらの曲を聴いて「めっちゃ元気の出る曲!」となる人はあまりいないと思う。

因みに米津玄師以前の名義、「ハチ」として活動していた時の曲は後ろ向きな曲もなくは無かったが、ここまででは無かったという印象だ。「クオリア」という曲は孤独少女他者に認めてもらえる、自分認識して貰えるという幸せな結末が描かれているし、暗い中にも明るい希望が描かれた曲が多いイメージだ。多分初音ミクイメージに寄せているのもあるのだろう。

では最近米津玄師はどうなんだという話に移る。最新アルバムbremen」を聞くと大分「前向き」な曲が多くなったと思う。といっても完全に明るい訳ではなく、「絶望もあるけど前を向いていこう」といったようなことを描いているのが多い…と思う…。アルバムは数十曲入っているのに全ての曲をこの一言で当てはめることは余りにもあんまり表現ではあるが。多分当てはまらない曲もある。

例えば「アンビリーバーズ(あ、これ初出はシングルだった)」は「今は信じない 残酷未来なんて」「終わりにしようよ 後悔の歌は」「だから手をとって 僕らと行こうぜ ここではない遠くの方へ」と言ったように絶望認知しつつ、それでも諦めず未来へ行こうという前向きな歌詞で描かれている。また「ホープランド」では「謂れのない嘘や 穢れきったあの言葉に 惑わされないでおくれ それが世界の全てじゃない」「ソングフォーユー 僕らは初めましてじゃない 同じものを持って 遠く繋がってる」といった「聞き手希望を伝えようとする」姿勢が示されているように思える。

「diorama」と聴き比べると随分作風に変化が生じたように思う。最近米津玄師の曲は、辛い時に聞くと励まされる…そんな風に変化している。ある意味健康的になったとも言えるのかもしれない。

個人的に今の方面の曲もすこぶる好きではある。のだが、「blacksheep」「恋と病熱」の気怠い感じや「ディスコバルーン」の破滅的な曲がとても好きだったので、最近その方面の曲が聴けないというのが少しばかり残念なのである

寂しい…なんて随分自分勝手表現を使ってしまったが…まあ1ファンの見当違いな戯言である

2016-04-30

昔話でだいたい末っ子主人公なのは

聞き手末っ子からなんですと

ブコメにもある通り、マンガに出てくるヒロインは読者である漫画を読んでる女性最適化するんだろうね

現実ヒロインモテ)とはまた別の話

http://anond.hatelabo.jp/20160430000632

2016-04-20

http://anond.hatelabo.jp/20160420195215

横だけど、『相手と異なる意見』を「私の前では他人に言うな」ってパターンもあるかもしれないなーと思った。

元増田発言を受けた側が実際に不快になって嫁さんに「おたく旦那のあの言い方はちょっと気分悪かったわ」って伝えたか説教してきたとかいうことでもなく、

横で聞いてた嫁さんが「そんなこと言ったら相手不快に思うかもしれない」と勝手に気を回しまくった結果、

元増田に「あーいうのやめとけ」って言ってきてるシチュエーション想像したんだけど、どうなんだろうね。

この場合相手を思いやってるようで実は嫁さんがそういう対立を招きそうな「危なっかしい発言」を聞くのが不安なだけっていう気もする。

もしそうなら、嫁さんの前では(相手がどうとか以前に嫁さんが不安になるから)そういうこと他人に言わない、ぐらいが落としどころになるんだろうか。

自分自身に向けられた違う意見が出てくる会話とかは全然平気だけど、

傍で聞いてる立場になると、余裕があるから変に気を回して「今の言い方はヤバくないか?どうだ?」って心配になって、

聞き手の表情を窺ってしまうようなことが自分にはよくあるから、なんとなくそう思った。

2016-03-22

読んだり聴いたりして面白いってのは何か考えてた

面白いってなんだろう、多分、何か聞き手に変化があるようなことかな。

多分、正の感情を生むようなメッセージな気がする。


逆に、つまらないってのはその逆か。

  • いつも同じ、先が読める
  • 怒り、憎しみ
  • 悲しみ
  • 皮肉罵倒暴力
  • 苦しい
  • まずい
  • 恥ずかしい
  • 失敗


対象によってはつまらないに分類したもの面白いに入るし、その逆もあるね。

例えば、憎たらしい人が成敗されたら嬉しい感情が生まれるし、既視感のある文が懐かしさ(安堵感)をあたえることがある。


翻って、相手面白いと思ってもらうには、このへんの感情をうまく引き出せればいいのかな。

ただ、レベルに差がありすぎると、相手理解できなかったり、つまらなかったりする。

文章の組み合わせ方や間によって、焦らしたり、急かしたり、頭をひねらせたりして、アハ体験を引き出すことができる。多分。

まずは、どの面白いターゲットにするのか、どう面白いのか、を考えると、その伝え方の組み立てが変わってくるかもしれない。

2016-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20160320202901

肩書イケメンフィルター聞き手が良いように解釈して「わかった」ことになってるだけで

大したことは言ってなかったんじゃないの

英語についてもこんなツイートが流れてきた

https://twitter.com/mizukawaseiwa/status/711506217126866948

ああ、愚かしきは大衆なり

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