はてなキーワード: 掻き立てるとは
ソープランドの近くに住んで4年になる。嫁あり子あり。
もともとは子ができる前に条件に合う物件を探したときにたまたま見つけて、ソープ街ということは全く知らずに不動産屋の説明で初めて知った。
条件すごく良かったので即決だった。
嫁とセックスできる間は問題なかった。ソープランドが視界に入っても全く興味がわかなかったし、そもそも生まれて20余年風俗を使ったことがなかった。
だが子が生まれてセックスレスになった。超稀に応じられても無反応(いわゆるマグロ)状態だった。これでは耐えられない。このとき気がついたが俺は性欲が強い強い方らしい。1日2〜3回は放出しないと耐えられないし、最低でも週2〜3回はセックスしたい。(セックスレスになる前は応じてくれていた。)
数度の嫁との交渉(という名の喧嘩)を経て風俗OKを得た。そして人生初のソープに向かった。最高の体験だった。こんな世界があるのかと感動まで覚えた。
するとまるで世界が変わってしまった。視界に入る建物が、ただの風景から一定のお金を払うだけでセックスが手に入る建物に変わった。会社に行く、買い物に行く、すべての外に出る行動が性欲を掻き立てるものになった。
もはや今は我慢する方向ではなく、行きたいときに我慢せずにソープに行くためにはどうしたらいいか、要はどうやって給料を上げたらいいかという方向に考え、仕事にも精が出る。
朝イチでソープに行ってから会社に行くときなんて最高だ。活力が溢れて体感3倍ほどの仕事ができる。逆に抜き損ねてしまった日は最悪だ。ムラムラしてまるで仕事にならない。
仕事もうまくいっているし、気持ち良いセックスはできるし、いい影響しかないのだが、本当に人生これでいいのか、とふと冷静になり辛い気持ちになる時はある。特に嫁との関係性だ。はっきり言ってもう嫁はビジネスパートナーのようなものだ。エロい目で見られる気がしない。
本当に人生これでいいのだろうか。
チェンジリングマルシル(人間換算で20さい)の合法ロリ性癖の刺さりが完璧に近いのだが、これで女とかありえるのか?
そもそも中身は本当にロリなのではと思わせて来つつトールマンの姿や過去話を見ると人間換算したら成人済みになる所がにくい。
各マルシル評
・ハーフフット→他の姿との比較で幼さがより強調されて非常に危うい感じになっているのが良い。手を出してはいけない感じは凄いがチルチャックと同じぐらいだしハーフフット的には合法。と見せかけてサキュバス回を考慮するとハーフフットの中でも貧乳未発達よりという感じでとてもエッチ。
・ドワーフ→ムッチリ合法ロリ。どことない「まあコレぐらい育ってれば大丈夫だろ」や「頑丈そうだし大丈夫だろ」という安心感がエラい。ナマリと比較すると明らかに種族的には細身で美人。利発そうな顔つきが「大人びた」という印象を与え結果として逆に幼く見えるのがエライ。
・ノーム→生々しさがヤバイ。北欧の幼女として滅茶苦茶王道の顔つき。ネオテニーの中間地点にある微妙な歪みが生み出す幼女の間にしか存在しない顔つき。現実で合法ロリをいくら集めても見つからなそうなこの幼さ。それでいてちゃんと人間換算では成人済みなんだろ?ヤバない?
・トールマン→そもそもマルシルの顔つき自体が年齢の割に元々ちょっと幼いことが確認できるのが貴重。エルフだけでは言い訳しきれないとぼけた世間知らずっぽさが、チェンジリングしたあとにとんでもない力を発揮するわけよ。
・エルフ→他のエルフと比較することで「安心感のある顔つき」であることが分かる。ここをベースにすることで他の種族の合法ロリ力が凄いことになるということにこの回まで気づかせず見た途端にハッキリと分からせる。書き分け、設定への拘りよ。
いやー……こんな人が女だとはね。
クジラックスのような「その道に何かを捧げてしまった人」だとばかり思ってたわ。
暗い熱意なんぞなくても画力さえあれば何でも描き出せるってことなのかねえ。
むしろ、そういった下心がないままに描き出されるリアリティが、結果として手を触れてはいけないものに惚れ込んでしまった瞬間の罪悪感を掻き立てるのか。
「グラフィックにかけた手間は関係ない」だったらまあ分からなくはないんだけど、「グラフィックの出来」だと流石にゴミみたいなグラフィックで面白かったゲームは思いつかないなあと。
そもそもゲームをデザインする段階でグラフィックはどうしてもくっついてくる訳じゃん。
そのゲームがどういう思想で作られているのか、コンセプトはどういうものなのか、それぞれのキャラの役割を伝えたりユーザーインタフェースを良くしたりと、ゲームとしてのコミュニケーション能力を支える重要なパーツでしょ。
たとえばRPGツクールのデフォルトグラフィックだけのゲームは素材を探す手間さえかかってないけど、ゲーム全体を通してグラフィックは統一されているし、それぞれのグラを与えられたキャラクターの役割(例:魔法使いだからHPは低いけど魔法攻撃は強い 水の精霊だから水属性)はシッカリ伝わるからねあのデフォルトグラは。
(おっとここで風のリグレットで反論しようとしたキミは見事にダウトだ~~~あのゲームは想像を掻き立てるシンプルなパッケージデザインと黒一色の画面という強烈なグラフィックを武器にしており、手間はそれほどかかってなくとも「グラフィックのインパクト」「ゲーム性を伝えるコミュニケーション能力」という意味では高得点なのだから~~~)
駄目なゲームにありがちなこととして「グラフィックによるコミュニケーションを軽んじている」という部分があるんだよ。
ゲームってのは基本的にはゴッコ遊びなので、グラフィックを見た瞬間にそのキャラクターや行為が持つ役割が伝わってこないとアカンのよね。
スピードが早いものにはスピードの早いグラフィックを当てはめるべきだし、鈍重なものは重たそうなグラフィックであるべきなのよ。
そしてなによりそのゲームが想定している「こういうイメージで遊んでくださいね」というものがゲーム画面をみてすぐに、そして少しでも具体的に伝わったほうがいい。
弾幕STGが人を引き付けるのは「一見回避が難しそうな弾が画面いっぱいに広がっていて、これをクリア出来たら全能感が凄いだろうな」と想像させる力があるから。
逆にクソゲーと呼ばれがちなSTGは「一見避けやすそうなのに全然避けられない弾が飛んできて、この程度も避けられない自分は無能だと感じさせてくる」ってパターンがかなり多いわけよ。
ゲームってのは元々はTRPG(テーブルRPG。サイコロ遊びと指輪物語ごっことノート迷路を足したようなの)みたいなごっこ遊びに端を発したものであり、ゲームソフトはGM(ゲームマスター(語り部・ディーラーぐらいの意味))としての役目があるわけなんだからさ、そこはちゃんと「今、こういうことをしています。この遊びはこういう所が楽しいよ」ってちゃんと伝えてくれなきゃ。
なんか手抜き感満載のグラフィックな上にそれぞれがどういう役割を持ってるのかも伝わらず、結局やってることがシックリ来ないし、どう楽しいのかも伝わらないならそんなゲームの評価はやっぱ下がるよ。
思い切って文字だけで表現するとか、諦めて汎用フリーグラフィックを使うとかで誤魔化してもいいから、少しでも自分のゲームがどういうものかを伝える努力をすることにエネルギーを使うべきなんだって。
映画やアニメが好き、読書が好きって冷静に考えると趣味の説明として大雑把過ぎる。前々から思ってたけど。
実際おれも「映画が好き」という認識は普通に持ってるけど、じゃあどんな映画もあまねく好みかと言ったら別に全然そんな事はない。
あとそもそも答え方として変な気がする。それって媒体でしかない訳で。
ギターが好きは分かる。ギター演奏はギター演奏でしかなくて、それはまあ心地良い音を出す事のがほぼ唯一の目的だろうから。サッカーが好きもそう。サッカーはサッカーでしかない。サウナもスニーカー集めも座禅も同じ。
でも映画や本って違う。
フィクションでもドキュメンタリーでも解説でも何でもいいけど、とにかく何らかの題材がなければ何も始まらない訳で、メディアはその表現手段に過ぎない。目的ではない。
まあ題材なんて何でもよくて、そのメディアに接するのが好きというのもありえなくはないかもしれない。
内容は何でも良いから映画を垂れ流しソファでゴロゴロするのが好き、とか。ただそれはもう映画というよりリラックスするのが好きとでも言った方がより的確な気がする。
コレクションの対象として本が好き、みたいに情報を伝達するツールではなくモノとして見るなら、それはスニーカー集めみたくそれ自体に価値が発生するかもしれない。でも「本好き」と聞いて、常識的に考えてそういう楽しみ方を想定するだろうか。
積極的に内容を脳みそに入れる体験を伴う限りは、やっぱりメディアは常に手段としてあるんじゃないかなって思う。
上手い例えが思いつかないけど、箸を使うのが好きです、とかスプーンを使うのが好きですって言ってるようなもんじゃないか?映画や本が好きって言うのって。
普通は食べ歩きが好きです、こんな料理を食べるのが好きです、って言うと思う。
となればフィクション(じゃなくてもなんでもいいけど)が好き、という前置きをした上で、その表現手段とての映画が好きなんです、とでも言った方が的確なのではなかろうか。
どんなストーリーだって誰かの頭の中を漠然と漂っているだけではこの世に存在しないも同然で、それを言葉に起こして初めて脚本になる。言葉というメディアなくして世界には存在出来ない。
それを言葉のまま小説にしてみるか、あるいはアニメーションや実写映像に変換してみるか。メディアごとに特性というものがある。
あえて言葉でだけ伝えた方が読み手の想像力を掻き立てるかもしれない。
斬新な世界観に、まだ誰も見たことがないような映像をつければ衝撃を与えられるに違いない。
TVアニメなら短めのを何本も、映画なら数時間をまとめて一本ドンと、という利便性の違いなんかもある。
フィクションでなく社会現象の分析に関するアイデアだったのならわざわざ映像をつける必要もない。
メディアとそれを通じて得られるアイデアは互いに不可分で、その存在形式はしばしばアイデアの性質を反映する。
なら趣味をメディアの種類で語るのも、必ずしもナンセンスという事にはならないんだろうか。
でもやっぱ映画という媒体に先んじて具体的な中身の方が大事な気もする。好みも青春作品やヤクザ映画やSFアクションとかに偏ってるし。ミュージカル映画なんてまるで観る気がしない。
でもでもやっぱり好きなタイプの物語を映画というメディアでコンパクトに、目にも楽しく享受するのが好きって気持ちもある。アクションとか絵面の外連味を期待している時なんかは、内容にはさほどこだわりがない気もするし。もちろんマトリックスみたいに画も話も良ければ最高だけどね。
アニメなんかは更にメディアとしての特性に魅力を感じる。完璧に偽物の世界の中で、全てが等しく本物として存在するのはやっぱ美しいよね。そこに美しさを感じる。
映画のCGなんか、なるべくそれがそうであると気付かないようにあって欲しいと思ってしまうし。本物の人間が架空の人格を演じていたりするし。
あとシンプルに萌え萌えキャラクターは実写の人間の映像からは決して得られない感情を呼び起こしてくれる。
もちろん内容も気にはなるけど、アニメはアニメというだけで愛してしまう節があるかもしれない。
おれに限って言えば、特定の傾向の物語、及びそれに付随する必選の表現手段として映画ないしアニメの形態が好き。
なんかアメコミで見覚えのあるような展開が色々でてくるけど、元々のアメコミと比べると流れが滅茶苦茶すぎて感情移入しづらくて仕方がない。
一部でだけ人気がある漫画として密かに伸びる火ノ丸相撲みたいなコースならまだ分かるんだが、何度もアニメ化して世界各国で売れているのは意味がわからない。
ストーリーがちゃんと読まれずにその場その場のエモさだけえ評価されているにしたって、それでこんなに成り上がれるほどのパワーがあるとは思えないんだよな。
ドラゴンボールやAKIRAみたいな圧倒的なパワーが紙面から伝わってくるような漫画でもなく、緻密に作り込まれた世界観が想像力を掻き立てるでもなく、全体で見れば支離滅裂であっても個々の勢いが強烈というわけでも、キャラクター造形にオリジナリティがあるでも、絶対的な魅力を感じる人物描写があるでもない。
本当にただただ特にこれといった強みがあるってわけでもないけど、なんか知らないけど売れてるってタイプなんだが、それでここまで売れるのはちょっと偶然が効きすぎているように感じてしまう。
なんでこんなに売れているんだ?
最近通い出した喫茶店にアップルタイザーが置いてある。370円。
いつも脳死でブレンドを頼んだ後になって、レジ脇のミニ冷蔵庫に鎮座するそれを見てああ頼んでみれば……と思ってた。
無性に気になって、ここ最近アップルタイザーのことばかり考えてた。夜中の1時にどうしても飲みたくなって、色々なものを置いてると聞くドンキへ探しに行ったけど見つからなかった。ドンキは言うほど安くないって印象だったけど、ノーマルのペプシやマウンテンデューが安く置いてて面白かった。
翌日の今日、ついに喫茶店で手に取ってみた。アフリカの飲み物であるとか無添加であるとかの情報を元に、癖があったりするんだろうかとか期待を膨らましてた。
普通の微炭酸のリンゴジュースだった。美味しい。500も入ってないので高いけど、まあ喫茶店価格と思えば安い。コーヒーに加熱式メンソールは合わないんでこっちがいい。
ネットで調べたら成城石井とかに売ってるってんで、帰りに寄ってみた。冷蔵されてるペットボトルとは離れて、ペリエとかと一緒に並んでた。グレープタイザーもあったんで買ってみた。
店で買っても250円くらいして、普通のジュースとしては高い。余所で買えればもっと安いのかもしれない。
でも南アフリカ生まれのリンゴ100%という情報やオシャレな瓶が無性に心を掻き立てる。中国の紅茶を取り寄せてたイギリスの金持ちもこんな気持ちだったのかもしれない。
暇空はこう言ってた!だから知ってたんだ!なんてあまりの暇空信者ぶりの馬鹿馬鹿しさにあてられて遊びに乗ってやったけどさ
初動で真贋不明として、しっかりと個人情報らしきものは伏せてばら撒いたのが全てだろ
知らなくてもこれが真ならとして幾らでも言うことはできるし、そのくらい想像して行動するのは危機感がある人なら人として当たり前だし、何かしらの追加情報拾って真であることにも早い段階で気づいたかもしれない
でもそれは全て真贋不明の公開後の話なんだから共犯云々やら最初から知ってたなんて話は時系列的にどう足掻いても無理筋なんだよ
リークしたらしい人物に何のコンタクトも取らずすぐさま公開したのは本人の言うとおり、暇空にとって身を守る最善手に他ならなかったろうし、実際それでも共犯だー!最初から知ってたんだー!暇空は加害者!Colaboは被害者!なんてバカが沸いてるんだから、本当に何のコンタクトもとらず正解だったなと感心してるよ。お前らのおかげで。
逆にNHKも漏洩したものが個人情報の悪用レベルの大した被害もなく、それも漏洩してすぐ知れたんだし、漏洩のケースでは割とダメージ浅く済んだんじゃないか?
何ならNHKやら取材対象者やらの反応がなかったらそれは本当にただの怪文書だったとして暇空の中では終わるだけの物でもあったろう
まあこれだけのことが、お前やブコメの賛同者には理解出来ない話なんだと言うことはよくわかったよ
思い描いた妄想の世界に住むのは結構だけど、それで人をデマ呼ばわりしたり、人の行動や心理まで勝手な妄想掻き立てるのは程々にした方がいいぞ
訴えられるからな
エクソシストの新作観た。
取り憑かれての異常行動も割と控え目だったし、ホラーって感じはあんまりしなかった。前のもそうだけど、悪魔に蝕まれていく辛さみたいなのが大きい。
キリスト教に限らず、人生に対する希望と言い換えても良いような「信仰」がテーマになってた。
悪魔祓いは色んな文化圏であると繰り返し言われてたり、非キリスト教の聖職者が参加してたり、主人公が無神論者だったりと。悪魔の囁きも抽象的な信仰というよりは具体的な人生の後悔を掻き立てるものばかりだった。
前作主人公が出てくる所でアツいやつじゃんと思ったらあっさりやられたし、神父も満を持して参加したかと思えばあっさり殺された。その辺でもやっぱりキリスト教の抽象的な話というよりは普遍的なヒューマニズムに寄せてる気がした。
本当に気持ち悪い。
普段はこんなところで愚痴るタイプではないが、いくらなんでもこんな曲がバズっているのに全然嫌悪感を覚えた人の意見が見つからない状況は違和感がすごいので書く。
https://www.uta-net.com/song/327063/
※ここで文の表層しか読めない人が「曲中でロリコンは汚物扱いされており讃えられてなどいない」と反論してくる。バーカ。「(助かる~ゥ)」がその扱いに対するお前の感想なんだろうがよ。
tiktokでバズってる切り抜きの冒頭10秒の部分だけでも、触って逮捕までされたロリコンに対しロリがわざわざ獄中まできて相手してる状況が描写されており、この時点で常識ある大人は首を傾げるはず。
あ駄目だ真面目な口調でこれ以上書けない
ごめんなさーいじゃねえよそんな軽いノリで済んだら警察はいらねえよ
おいロリコンお前らが標榜してたあのさっむいスローガン言ってみ「YesロリータNoタッチ」よく言えましたねこれ嘘だったんですね~
そもそもメスガキ概念自体気色悪いよな。女児を力で征服したいロリコンの欲望を掻き立てる言動をすることで抜きやすくセットアップした女児像だぞ
それなりにIOSYSの曲聞いて育っただけにまさかジャニー喜多川も総括されるこの令和の世になってからライン越えてくるとは失望です
オタクが言う「曲が良い」って意味ねえよな。だってオタクが「曲が悪い」って言ってるとこ見たことないもん
でもMVはいいですね。1枚1枚実力のあるアニメーターが描いたのでしょう。非常にキレが良いしどこを切り取っても可愛い。
社会不安から逃してくれる中身のないアニメだけが拠り所なんだ!と主張してるのだ。
誰かに構ってもらうまで、アニメアイコンのまま、インボイス反対の人に冷笑的なリプライを送ったり、声優にセクハラリプライしたり、アニメの女をエロくしろとか騒いだり、どうせ見る予定もないリトルマーメイドやロードオブザリングに文句つけたり
幼い顔立ちのキャラはそのまま幼児的な庇護欲を掻き立てる、つまり関心を抱かせる記号である
そういう記号のお面で、構って構って〜なんてやってるんだ
社会が寛容であれば彼らも生きやすいのに、そうした運動には参加しない。
とにかく構ってほしいのだ
でも誰かが描いた可愛いキャラクターをアイコンにして盾にするのはよせ
本当に腹が立つ
「あるいは腐的な妄想を掻き立てる何かを持っていることもウケる要素になるのかもしれない。
そういった「色気」のようなものを、ジャニーやヒガシが加害によって引き出そうとしていた可能性はないだろうか。」
たまに人を擁護するためにこういった頭おかしいこと言いまくる高学歴の奴いるけど、人としていろいろな能力が終わってんなあって思う。
一般に男性アイドルのファンは女性であり、女性にウケるためには、性的対象となる魅力を持っていたり、あるいは母性本能をくすぐるような可愛げを持っていたりする必要があるだろう。
あるいは腐的な妄想を掻き立てる何かを持っていることもウケる要素になるのかもしれない。
そういった「色気」のようなものを、ジャニーやヒガシが加害によって引き出そうとしていた可能性はないだろうか。
ジャニーはもちろん自分の欲望のために加害を繰り返していたんだろうが、目的は本当にそれだけでなく、彼の加害への反応によって、その少年の何らかの才能を見出し、あるいは見出さず、そうして少年をアイドルになれるか仕分けていたのかもしれない。
ジャニーズ事務所は男性アイドルを生み出すことにかけては他の追随を許さない、抜きん出た力を持っていたことは確かだ。
もちろん男性アイドル生産を寡占する事でメディアへの影響力を強められたから、という理由もあるだろうが、
一般に男性アイドルのファンは女性であり、女性にウケるためには、性的対象となる魅力を持っていたり、あるいは母性本能をくすぐるような可愛げを持っていたりする必要があるだろう。
あるいは腐的な妄想を掻き立てる何かを持っていることもウケる要素になるのかもしれない。
そういった「色気」のようなものを、ジャニーやヒガシが加害によって引き出そうとしていた可能性はないだろうか。
ジャニーはもちろん自分の欲望のために加害を繰り返していたんだろうが、目的は本当にそれだけでなく、彼の加害への反応によって、その少年の何らかの才能を見出し、あるいは見出さず、そうして少年をアイドルになれるか仕分けていたのかもしれない。
ジャニーズ事務所は男性アイドルを生み出すことにかけては他の追随を許さない、抜きん出た力を持っていたことは確かだ。
もちろん男性アイドル生産を寡占する事でメディアへの影響力を強められたから、という理由もあるだろうが、
ジャニーが少年のアイドル性のポテンシャルを見抜く力を持っていたのも間違いないと思われる。
彼の加害が、その見抜く目と不可分なものだとしたら、我々消費者は加害によって生み出されるものを享受していたことになる。
死んでるのをいいことにヒガシも言いたい放題なわけですが。
恩知らずというかKinkiの顔丸い方と論争してほしいというか。
ヒガシはいいとして、マスコミも、死んでから断罪してもダメじゃね?
死んでからしか声を上げられないほどの影響力だったんだろうけど、お陰でさまざまなことが闇に葬られてしまった。
罪の総体量も、それを誰が認識していて、誰が積極的に隠蔽していて、起用する側(芸能界、テレビ局)がどれだけ認識していたのかとか。
個人的に一番もったいないと思うのは、彼の動機と目的を知ることが二度とできないことだ。
ジャニーはもちろん自分の欲望のために加害を繰り返していたんだろうが、目的は本当にそれだけだったのだろうか。
彼の加害への反応によって、その少年の何らかの才能を見出し、あるいは見出さず、そうして少年をアイドルになれるか仕分けていた可能性はないだろうか。
一般に男性アイドルのファンは女性であり、女性にウケるためには、性的対象となる魅力を持っていたり、あるいは母性本能をくすぐるような可愛げを持っていたりする必要があるだろう。
あるいは腐的な妄想を掻き立てる何かを持っていることもウケる要素になるのかもしれない。
そういった「色気」のようなものを、加害によって引き出そうとしていた可能性はないだろうか。
ジャニーズ事務所は男性アイドルを生み出すことにかけては他の追随を許さない、抜きん出た力を持っていたことは確かだ。
もちろん男性アイドル生産を寡占する事でメディアへの影響力を強められたから、という理由もあるだろうが、
ジャニーが少年のアイドル性のポテンシャルを見抜く力を持っていたのも間違いないと思われる。
彼の加害が、その見抜く目と不可分なものだとしたら、我々消費者は加害によって生み出されるものを享受していたことになる。
小学校の頃、朝な夕なに吐血下血のニュースを、ご丁寧にその量(○ml)まで見せられる時期が暫く続いた後、昭和64年がほんの数日で終わった。
日本人が太平洋戦争を思い出すことになっている8月がくる頃には、「昭和天皇に戦争責任はあったか」という議論があちらこちらで語られていた気がする。大して新聞も読まなかった子供の記憶だが。当然そこには、「なんで死んでから語るの? 生きてるうちに語らないと本人にもいろいろ聞けなくない?」という批判はあった、と思う。子ども心に「まったくその通りだな、死んでから語るのは卑怯だよな」と思いつつ(当時から新聞は嫌いだった)、やっぱり天皇には遠慮してしまうものなのかと、個人的にはあまり感じたことのない天皇の威光の強さに驚いていた。
死んでからしか声を上げられないほどの影響力だったんだろうけど、お陰でさまざまなことが闇に葬られてしまった。
罪の総体量も、それを誰が認識していて、誰が積極的に隠蔽していて、起用する側(芸能界、テレビ局)がどれだけ認識していたのかとか。
個人的に一番もったいないと思うのは、彼の動機と目的を知ることが二度とできないことだ。
ジャニーはもちろん自分の欲望のために加害を繰り返していたんだろうが、目的は本当にそれだけだったのだろうか。
彼の加害への反応によって、その少年の何らかの才能を見出し、あるいは見出さず、そうして少年をアイドルになれるか仕分けていた可能性はないだろうか。
一般に男性アイドルのファンは女性であり、女性にウケるためには、性的対象となる魅力を持っていたり、あるいは母性本能をくすぐるような可愛げを持っていたりする必要があるだろう。
あるいは腐的な妄想を掻き立てる何かを持っていることもウケる要素になるのかもしれない。
そういった「色気」のようなものを、加害によって引き出そうとしていた可能性はないだろうか。
ジャニーズ事務所は男性アイドルを生み出すことにかけては他の追随を許さない、抜きん出た力を持っていたことは確かだ。
もちろん男性アイドル生産を寡占する事でメディアへの影響力を強められたから、という理由もあるだろうが、
ジャニーが少年のアイドル性のポテンシャルを見抜く力を持っていたのも間違いないと思われる。
彼の加害が、その見抜く目と不可分なものだとしたら、我々消費者は加害によって生み出されるものを享受していたことになる。