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2022-02-27

ヨーロッパSWIFT規制に踏み切り、マクロン大統領は長期化を予測

戦争の長期化を展望した、ということの意味は、要するに、支援する西側の国々が、

戦争に直接介入するのではなく、ベトナム戦争ときのようなゲリラ戦を見据えて、物資輸送網の支援をするということになる。

そして、それはそのような覚悟をもって、ロシア対峙するウクライナ国民存在する、ということが前提となる。

ウクライナ問題全く初心者なんだけど、長期化を見据えたという話を聞いて、プーチンウクライナ大統領ネオナチ呼ばわりしていることにちょっとピンときた。

要するに、ロシア10数年かけて、内部に傀儡スパイ親ロシア派をじっくりと育ててきていて、他方、ウクライナ側はそうしたロシア側の動きに対して殺虫剤を巻くような塩対応をしてきた、ということなのかね?

そして、プーチンが侵攻した場合西側からの反発、経済被害想定もしたうえで、そろそろウクライナ側の内部クーデタもいけるんじゃね?と踏んで、侵攻に踏み切ったと。

しかし、思った以上にウクライナ側の内部からの動きが鈍い。むしろ、長期戦への気運が高まってすらいる状況になってしまった。

これはプーチンにとっては誤算なのではないか

最近、いつもは経済分析を冷静に行う日経新聞がいつになく、戦時報道さながらの口調でウクライナ側の士気の高さなメンタリティの部分を報道しているのが印象的だ。

しかし、長期戦を覚悟できているのかどうか、その意味で、そのような戦時報道にも大きな意義があるように思えてきた。

かつてベトナム仕事したことがある。

そのときに、いろいろな村々を回って驚かされたのは、恐らく戦争で培われたのであろう彼らの強靭組織力だった。

戦争が終わって30年にもなるのに、いまだに祖国解放戦線(Fatherland front)という名の組織コミューンから村の末端まで行きわたって機能し続けていただけでなく、青年組合女性組合等さまざなまな組織地域レベルで横の連携をしつつ、国レベルから末端の村レベルに垂直の体系を強固に築いていた。特に災害など有事になると一致団結する彼らをみると、アメリカを敗北させたベトナム人民の総力戦がどのようなものであったかの名残を見る思いがした。

アメリカとの戦いは超大国の圧倒的な軍事力けがベトナム人が立ち向かった壁ではなかっただろう。

祖国が分断するなかで、傀儡政権側の南、そして北にあちらこちらに潜むスパイとの戦いがあった。そして戦争終結後はそうした人たちと粘り強く統合的な社会を作る営みがあったはずだ。

かつての大学の同期でも、戦後ハノイ出世街道を突き抜けたひとと、ホーチミンでくすぶってしまった人と人生も別れた。

仕事のなかで、ハノイ要人へのコンタクトを求めて、南の人を頼ったことがあった。

紹介状を書いてもらう際に、そういった戦後物語の一端に接すると、社会統合への努力というのは

戊辰戦争以来、社会の分断を経験していない日本人には想像ができないものだということも感じた。彼らの社会もつ、いわばソーシャルキャピタルの強さがなければ、あれほど長く超大国と戦うことはできなかっただろうし、戦後和解プロセスもなかっただろう。

ところでアメリカ側に加担し、ホーチミンルート攻略に動員されたモン族の、その後のスピンオフストーリーとして、クリンイーストウッドの「グラントリノ」、これは名作だった。


そんなことを思い出しながら、ウクライナニュースを見聞きしている。ウクライナが抱えている事情もそうそう単純なものではないだろうから

そういう意味で、下記のツイッター発言が目に留まったとき、何かとてもステレオタイプものを見た思いがした。

実在しない何かを語っているような、そんな感じ。

https://twitter.com/BlauerSeelowe/status/1497776281412243459

真面目な話をしましょうか。いま、ウクライナ紙一重で持ちこたえているのは、反戦平和祈りでもなければ、ジョン・レノンインターナショナル歌声でもなくて、ウクライナという祖国を守るために銃をとった男たちの愛国心ですよ。わが身可愛さではなく、祖国を守るために戦う人々の力ですよ。

そう。「有害な男らしさ」って攻撃してきたもの男性を戦いや自己犠牲に駆り立て、「男らしく」あるよう動員してきた社会慣行。あるいは、ナショナリズム愛国心といった共同体への忠誠。私たちが古臭いとみなして切り捨ててきた伝統的な精神性が、まさに人々を紙一重で支えている。

皮肉でも何でもなく、これってまさにフェミニスト批判してきた「有害な男らしさ」の心性ですよね。リベラル批判してきた「ナショナリズム」ですよね。薄甘い戦後民主主義で不可視化されてきた、あるいは悪者にしてきた精神性が、まさに、ウクライナ人の最後の砦になっている。違いますか。

2021-05-22

グラントリノおもろい

運び屋に続き当たりやな。

イーストウッドはやっぱ味がある。

2009-06-03

http://anond.hatelabo.jp/20090603151053

横だけど、「クオリティによって」線引きをするべきではないという意見には同意。

あと単純に「陵辱」が含まれているから全部NGにするべきだというのももちろん反対。

ボーイズドントクライ」とか「グラントリノ」とか「告発の行方」とか明確に反陵辱の立場のものを一緒くたにするのは頭悪いと思う。

コンクリート」あたりがグレーゾーンとして賛否両論になるのは分かる。

でも表現の自由を声高に主張する人って、どうも実際に被害にあってる人への配慮が足りない感があるな。

万引きを楽しむゲームがたとえ18禁扱いでも何千本も流通してたとしたら実際に万引きに悩まされてる店舗経営者は絶対いい気分はしないだろうし。

痴漢に仕立て上げて人生終らせるゲームは、実際に痴漢冤罪の被害を蒙った人から見たら殺意を覚えるレベルなんじゃないの?

「それでも表現の自由は守られるべきだ」OK。

他人にそんだけの不快感を強いている鬼畜だという自覚を持って主張してるなら、筋が通ってると思うよ。

でもなんか傍から見てると、自分は同じように不快感を強いられるようなものに囲まれる可能性はないから強いことが言えてるように見えるんだよね。

たまにいる女性の「私はそういうゲームでは傷つかない。傷つく女ばかりではない」という主張も逆効果だと思うよ。

本当に保護を望むなら「ものすごく傷ついてるけどそれでもあなたの表現の自由は守りたい」というべきだ。

2009-05-12

http://anond.hatelabo.jp/20090512022211

もちろん実際のレイプでは「感じてしまう」ことを結果の正当化と見なすこと自体にも問題がある。

かしここで問題としているのはレイプものポルノこそが「感じてしまう」ことを結果の正当化として扱っているということだ。

それもまた「レイプ神話」を強化する要因になっていると思われる。

レイプ神話」とレイプポルノの影響については以下の研究結果がある。

http://d.hatena.ne.jp/usoki/20090511/1242029609

結果を正当化してるレイプ表現ってそんなに多いか? 女性人生をズタボロにする残酷表現だろう、基本的に。

グラントリノ」等の普通映画で扱われるレイプ表現はそうだけれど、日本ポルノ界でのレイプ表現はそうじゃないらしい。(欧米ではそもそも和姦ものしかだめらしいけど)

自分はそういうの嫌いだから見ないけど、レイプものが好きな友人に「なんで女が苦しんでるのを見て罪悪感を感じないのか」とたずねたら、「本物のレイプだったら女は苦しむのかもしれないけど大抵のAVレイプは最後女も喜んでるから罪悪感を感じない。こんなレイプなら自分もしてみたいと思う。たまガチでつらそうなのもあるけどそういうのは好きじゃない」と言っていた。

基本エンタメ作品なんだから大半は罪悪感を刺激しないような作りになってるんじゃないかね。

ガチな人用の「リアル派」も一部にはあるのだろうが。

 
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