はてなキーワード: 知悉とは
https://anond.hatelabo.jp/20240220153725
https://www.publication.law.nihon-u.ac.jp/pdf/law/law_88_3/each/17.pdf
① 東京地判平成13年 6 月29日判タ1139号184頁(幸福の科学事件)
違法な訴訟提起に関する判例法理とスラップ訴訟(加藤)従来のこの種の訴訟における請求額の実情を考慮したとしても不相 当に高額であることが認められるとし、さらに本訴提起に至った経 緯などを考慮して、「本訴提起についての意思決定は、仮にそれが A 自 身によるものではないにしても、A の意図を決現した X の組織的意思 決定としてされたものというべきである。そして、特に本訴が献金訴 訟の提起からわずか 七週間程度の短期間で提起されていることに照ら すと、本訴提起の主たる目的は、献金訴訟を提起した Y 1 及びその訴 訟代理人である Y 2 に対する威嚇にあったことが認められる」「よって、 X は、主に批判的原論を威嚇する目的をもって、 7 億円の請求額が到 底認容されないことを認識した上で、あえて本訴を提起したもので あって、このような訴え提起の目的及び態様は裁判制度の趣旨目的に 照らして著しく相当性を欠き、違法なものといわざるをえない」とし て、この訴えにより Y 2 が被った「甚だしい精神的苦痛」に対する慰 謝料として100万円を認定した
本件は判例ではないのだけれど2億円が妥当かどうかと言うのは結構微妙な範囲。
もちろん十分に認められる余地はあるが、「相当に悪質な名誉毀損行為」と認識したということを示せないとSLAPP認定を受ける可能性はある。
なお、今回の件はあんまりよく知らんけど「開示請求してみたら住所が偽物だった」とかの情報を見るととかなり悪質なパターンのように思える。
②東京地判平成17年 3 月30日判時1896号49頁(武富士事件)
本件提訴が「請求が認容され る余地のないことを知悉しながら、あえて、批判的言論を抑圧する目 的で行われたものであり、裁判制度の趣旨目的に照らして不相当なものというべきであり、違法な提訴であると認められる」と判示した。
部分的に真実性の 立証が欠けているにすぎず、かつその部分についても相当性の立証は されているような場合には、表現の自由が民主主義体制の存立と健全 な発展のために必要な、憲法上最も尊重されなければならない権利で あることに鑑み、全体的に見れば損害賠償請求権の不存在が明らかで あって、訴えの提起等が違法となる余地があるものと解される
基本的なSLAPP訴訟は武富士のようなパターンですね。 表現の自由と名誉毀損の関係でも重要な裁判例です。(真実性と真実相当性の違い)
まぁ一つだけ言えることは、法律の専門家じゃない人間が断言的な口調でありえないとかいうのは「バカ」としか言いようがないので黙ってろ成り行きを見守ってろってことだな
https://anond.hatelabo.jp/20240221172935
興味もないのに適当に騒いでる外野は…まあどうでもいいけど…どの方面に対してもやっぱり誹謗中傷はやめたほうがいいと思う。
俺は黙って経緯を見守りながらサッカー観戦するつもりだ。
サッカーはやっぱり好きなんだ。
月曜から夜ふかし最新回で「クソ漏らしは年収高い人が多い(年収高い人はクソ漏らしてる確率高い)」という話をしていた
ふーん
テレビに出まくっている有名な芸人なんかはよく漏らしている話をしてるよなあ
(そしてここ増田でも漏らしまくってるな。年収高いのかな?みんなエリート風吹かせてるから、やっぱり漏らしながら高収入を得てるんだろうな)
自分は…恥ずかしながら下剤を服用した際にどうしても間に合わず出てしまったことはあるが別に年収は高くない
というか、下剤を内服していないのに漏らす人って本当に辛いと思う
下剤の場合は「出るの折込済み」の意識で居る状態なわけで(それでも寝てる時とか不慮の事故などで漏らすことがあるが)
ナチュラルに漏れてしまう人は「いつ出るか分からない」状態なんだよな
恐ろしすぎる
常に戦場に居るようなもんじゃん。砲弾飛び交う中、塹壕も無く地べたに這いつくばっているようなもの
公共の交通機関なんて絶対に使えないし、自力で移動するにしてもトイレがどこにあるか知悉していないといけない
その緊張感を持って生きているんだよな。そりゃあ精神も随分鍛えられるだろうから年収も高くなるかもしれないな
「糞を漏らすことに比べれば金を稼ぐことなど屁でもねえわ」ってとこでしょうか
最近話題になってるけど、トンチンカンなブコメが散見されるので書かせて欲しい。
信仰の自由とか信仰の告白とかは一切関係ない。統一教会は「この世に存在してはならないと断言できる数少ないもの」の一つである。
二束三文の壺を高価で売りつける「壺売り(霊感商法)」や、信者になったが最後どこの誰ともわからないやつが決めたどこの誰ともわからないやつと結婚させられる「合同結婚式」くらいはきいたことがあるだろう。
壺は金で片がつく話だからまだマシだろうが、「合同結婚式」はずっと悲惨だ。身内が一人でも信者になってみろ。どこの馬の骨ともわからない親戚がゴキブリのように増えていく。小室家のほうが無限にまともだよ。
いや変な親戚が増えるだけならまだいい。しばしば日本女性が韓国人と結婚し、韓国で一人孤立して生活させられるという被害が起きている。なんで奴らがわざわざこんなトラブルの種になるようなことをしているか知っているか?それは
「日本が朝鮮半島を植民地支配したことは、連帯罪として日本人すべてが背負っているとされる。彼女たちの連帯罪は、夫や夫の家族に尽くすことによって清算されるという。」
(出典:https://core.ac.uk/download/pdf/143633234.pdf cf. https://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-05-11/2010051114_01_1.html)
というとんでもない教義を持っているからだ。意味わかるか?何回読み直しても一ミリも理解できない。慰安婦や徴用工の訴訟なんてまだ百万倍も理性的じゃないか。
あなたの兄弟や子供がこんな教えを信じ込んで農村部で言葉も通じない「親戚」にこき使われる生活を送ってもいいのか?そんなことが起きないようにするためには統一教会とその信者共を社会から追放するしかない。
信者とは付き合わない。会話もしない。目も合わせない。これしかない。
もちろん、不幸にもフロント企業と関わりを持ってしまうことはあるかもしれない。奴らは自分たちの反社会性をよく知っていて、社会に溶け込もうとする。しかし、もし関わりを持ってしまったならば弁明の必要があるのは当たり前である。
そこには信仰の自由や信仰の告白などは一切ない。先の慰安婦で例えれば、統一教会関係者は朝鮮半島で年端も行かない子供を親から買った女衒−しかも「朝鮮人の女衒」−であろう。こんなゴキブリ共に与する言説は冗談でもとってはいけない。
確かに日本国憲法は信仰の自由を保証している。一方で社会秩序、「公共の福祉」のために基本的人権が制限されうる可能性も言及している。統一教会は社会にとって存在してはならない団体である。信仰の自由は適用できない。
そもそも、どこの大学でも身元を隠して勧誘するサークルは「革マル派」「中核派」「統一教会」の三種類しかいないと相場が決まっている。「革マル派」「中核派」が社会転覆を企む反社会団体であることはよく知られている。
逆に言えば、統一教会も「革マル派」「中核派」と同じくらい社会転覆を企む反社会団体なのである。奴らはそれを知悉するからこそ身元を隠してサークル勧誘をするのだ。
統一教会を暴力団に例えるブコメもあったが、自分たちが社会の日陰者であるとわかっている暴力団よりもずっとたちが悪い。奴らは真の反社に他ならない。
確かに、元になったノートは根拠薄弱すぎて陰謀論と言われるのは仕方ないだろう。しかし、公人ならば統一教会を擁護するような言説を少しでも公の場でしてはならない。
壺三と揶揄される安倍晋三ですらここまで統一教会に言及したことはない。あそこまでの発言をしたなんとか氏はとんでもない世間知らず、あるいは反社会団体統一教会の信者であると言われても仕方がない。
https://twitter.com/nanai_komusai/status/1397122109319483393
優れた映画ってのは作品自体の中に設定で決めたことが分かるように入れ込んであるんであって分厚い設定資料集作ったのに作品中にそれが反映されてないのは駄作なんよ、だから考察に耐えうる作品ってだけで最近じゃ少ないんですよ。書を捨て本編を観よ!
https://twitter.com/nanai_komusai/status/1397497351514726407
公式本に書かれていあることは答えなんですよ、ああ正しいさ正しいだろうよ、けど答え書いてある本読んだあとで何を考察しろって言うの?公式本は考察をできなくする本だよ。第一アニメ本編見ても絶対に分からないことはいくら外部資料にあったって”採用されたか疑わしい”じゃないか
https://twitter.com/nanai_komusai/status/1397496162140114945
さんざん本編部分の誤読を突かれたあげく、「優れた映画ってのは作品自体の中に設定で決めたことが分かるように入れ込んでいるもんだ。そうじゃないのは駄作!」と叫ぶ。その言でいくとおまえ的には『もののけ姫』は「考察に耐えない駄作」ってことになるのだが? と思ってしまうがここではいじめないでおいてあげましょう。きっと何も考えてない人なんですよ。
とはいえ、上ふたつのツイートで言われていることは理念的にはさして間違っていない。
もっともラジカルなテクスト論では書かれてあることがすべてであり、作品の外部に「正解」などない。
実際的な問題としても、インタビューで開発者や製作者が「この作品は○○について書きました」と明言しようが、作品を見たら全然そう受け取れないことはよくある。
単に制作側が事実や題材について勘違いしているケースもあるだろうし、制作者がインタビューでテキトーなことしかいわない高田純次野郎だという可能性もある。そもそも作者が自分の作ったものについて2000%知悉しているなんてファンタジーである。作者はクリエイターという点では神に擬せられるかもしれないが、全知全能であるかどうかいう点についてはとても神とはいえない。
なので、「作品のなかで描かれていることのみを受け取って解釈すべき」というスタンスはおおいにあり得る。「インタビューや設定資料などの外部の資料にもあたるべきだ」というスタンスとおなじくらいには。
「考察」は違う。
「考察」とはなにか。
わからん。
そこでは「”正解”を探すための思索を伴う洞察」と「作品の幅を広げるための妄想的二次創作」というふたつの意味あいがせめぎあっている。
答え探しであって答え探しではない。二次創作であって二次創作ではない。
この曖昧さがネットにおける「考察」文化をたいへんブルシットなものにしている。
よく「考察」をのべるときにオタクたちが前置きとして言うのが「これは個人的な解釈です」だの「妄想として捉えてください」だのといったエクスキューズ。
これがまあ卑怯だ。
だって、本当は「個人的な解釈」や「妄想」として受け取ってほしいだなんて微塵も願っていない。
半分与太話として聞いてくださいよ〜〜〜という韜晦を装いつつ、腹の底では好きあらば自分の説を解釈のひとつなどではなく無二の真実として受け入れることを受け手に要求する。
作品を踏み台にして、自分の世界にむりやり引きずり込み、その世界、すなわち自分を讃えろと強いる。
そういう態度が卑怯だと言っている。
批評や二次創作はその形態自体が数ある解釈のひとつであるということを前提にしている。
劇映画を観るときに観客が誰もそれを現実だと受け取らないのと一緒だ。
「考察」はその言葉自体答え探し的な性格を孕んでいるにも関わらず、実態としては全然そうではない。
「考察」勢は、そのあいまいさの暴力を自分たちの都合のいいように使う。
こうした手合は陰謀論者に似ている。
政治的だったり差別的だったりするたぐいの陰謀論に比べると実害は少ないかもしれない。
だが、損なわれているものは確実にある。
世界を醜くしている。
ご無沙汰しております、親愛なる皆さん。(皆さんの方ではわかりませんが、私の方では、皆さんに対し、親愛の情を抱いています。)
お分かりでしょうか。これで、星野源も、負け組となりました。私は、彼のことをテレビで見るたびに内心、羨ましく、忸怩たる思いをしていましたのですが、今、私は、とても晴れやかな気分です。
星野源は、40歳、ガッキーは、32歳なのですね。いえ、私は、8歳年下!ガッキー!などと、星野氏がひた隠しにしていた交際の果実を、称賛するつもりは、ありません。
結婚。
それが意味するところをご理解いただければ、私の言わんとするところも、自然と、ご理解いただけることでしょう。
結婚とは?男と女が夫婦の誓いを立て、互いに互いを一生幸福にするために共同の生活を営み、子をつくり、産み、育て、その間、てんてこ舞いの、忙しさ。次に一息つけるのは、よる年端に打ちしだかれた、老後。と、こういうことではありませんか。
結婚。
なによりも私が訴えたいのは、男女関係のことです。言うまでもありません。結婚をした男女に、男女関係など、ございません。夫は妻に飽き、妻は夫に飽くでしょう。一人の人間を愛し続けることなど、土台無理なことですからね。
なにより婚姻関係にある男女が、彼らの共同の営みの外にある人間と男女関係をもつことは、不貞行為と呼ばれ、許されておりません。倫理上、法律上、そうであることは間違いありません。もろちん、実際上は可能でしょう。しかし外部と男女関係をもつのであれば、そしてそれが露呈するようであれば、共同の営みは崩壊し、婚姻関係も破棄しなければなりません。もしそれが露呈しないとしても、それを露呈させないためには並々ならぬ努力が必要となるのではないでしょうか。いずれにせよ、男女関係は困難です。それが死ぬまで続くのです!
私は、女の心は、わかりません。しかし、男の心、これであれば知悉しております。理由は、ひとつは、私も男ですので、私の心を観察することで、手のひらのしわを数えるように、簡単に理解できるのです。しかし、私の心と、他の人間の心、それがそっくりそのまま同じであるはずはないと、私は、念には念を入れ、古今東西の物語、小説、学術論文、さらにはインターネット上の言論までも読み漁りました。そして確信を持ちました。私の心が、男の心なのです。私の40年に及ぶ人生をかけて断固として言いますが、男に幸福をもたらすのは、新しい女なのです。いえ、正確に言いますと、新しい女体なのです。
権力をもった男がまずやることを、ご存知でしょう。とっかえひっかえ、女を寝間につれこむことです。それも若い女が好まれるようです。女に飽きたら、捨てます。考えても見てください。生物学的に、オスのやることは自分のDNAをできる限り多く残すことです。女は一度に産める子の数が制限されますが、男はそうではありません。子種がある限り、いくらでも子孫を残すことができます。すべてのオスの本能が、新しい女体を求めている理由です。
強いオスが、新しい女体を求めるのは、自然の摂理です。結婚とは、それに反する行為です。人間が生み出したもっとも悪しき習慣だと、私は、思います。結婚は、男にとっての最大の屈辱です。
今回の星野氏の結婚は、彼が女の軍門に下った、男としての負け組に堕ちたことを意味するのです。ですので、星野氏に良い思いを抱いていない私は、彼の結婚に拍手喝采するのです。
私の、数年ぶりの投稿をここまでお読みいただき、ありがとうございます。よろしければこの投稿をシェアしてください。もちろんフェイスブック以外にもかまいません。
あえてカッペと言う見下した言い方をするのは
やつらが「自分の価値観以外のパラダイムを認知するための脳の容量がゼロだから」な。
でさあ、
「あっふーん(察し) 相当貧しかったんだ?」みたいな反応が返ってくるわけ。
え?いや親父は慶応卒でいいとこ勤めてて年収はかなりだったよっていうと
もう「嘘だ!」ってブチギレて発狂してくるわけ。
何にキレてるのかさっぱりわからなかったけどなだめながら話を聞くと
「車を買えないならしょうがないが、車を買えるのに買わないということはありえない、認められない」
っていう話らしいのね。
当人も何にキレてるのか整理できてないんじゃないかってぐらいキレてくるんだけど
要するに車マスト価値観を否定されたことに対するショックがすさまじいっぽいわけ。
俺もさすがに
いやなんでそんなに怒るのかわからんし
特に不自由も感じずそれで育ったし(「休日に出かけるときに電車!?みじめじゃないか!」って言われた)
嘘だっていうけど顔も知らないあなたにそんな微妙な嘘をついてなんになるの
っていうんだけどまあ信じないし落ち着かない。
要するに田舎でしか暮らしたことがない人と首都圏で暮らしてる人間の断絶な訳よ。
俺は生涯首都圏だけど、地方で車がマストだし便利なんやろな―っていうのは想像は出来る。
震災後に福島に観光に行ったときはあーレンタカー借りればよかったんだなって思ったし。(まあペーパーだから知らんとこ運転する自信なかったけど)
首都圏だとあなたが日々実感してるような自家用車の有難味が全然感じられないし
駐車場代とかも田舎とは比べ物にならないし、かわりの交通機関も発達してるし、
ライフスタイルにもよるけど自家用車持たない選択も全然あるんですよ
ってことがどうしても認められない。
この「認められない」ってのが重要なんだけど、
単に想像できないって言うのを通り越した「認められない」の気配を感じたのよね。
車が要らないっていうのは別のライフスタイルの示唆をされるという以上に
自分の価値観や人生に対する根本的な否定として受け止めてるんだなって
何度かその種のカッペとやりとりするうちに段々わかってきた。
どっかの砂漠の民に「ラクダは持ってねえし要らないですね」って言ったら
「我々の生活と魂と祖先を根本から否定したな!」ってなるかもしれない。
カッペに自動車要らねえって言ったときのあいつらの激烈な反発はそういう感じの作用が心の中で起きてる。
https://anond.hatelabo.jp/20201017180336
こいつは俺が過去に遭遇した砂漠の民族的カッペよりは知識的には「外の世界」を認識してるんだけど
それでも根っこの部分で自動車に対する心理的な何かがあるよね。
こいつらのそういうぶぶんを察知せずに「自動車のツールとしての便利さ」「環境の違い」だけで話をしようとするとどこまでも荒れるのよ。
カッペが本当に認めてほしいのは自分達の車に対する愛着とその文化なので。
そこを自分で客観化も出来てないので一方的にこっちが察知・洞察して配慮してあげないといけないのがめんどいんだけど。
baikoku_sensei これだから 田舎のゲイは嫌いなんだ! 人口密度低くて ゲイ人口も少なくて 人と接する機会が少ないから コミュニケーション 能力が育ってない!
あれはむしろエスコートマナーや会話のとこでお前のそれ未熟やんてなってるだけだから
異文化コミュニケーションとしてはむしろ圧倒的に「通じ合えてる」方なんだよな。
同じ尺度や同じ欲望の中であなたはまだまだですっていうだけ。まるっきり同じ輪の内側。
ゲイという独自文化や男のチンポと言う強い目的が他の色んな差異を埋めてしまえてるんだ。
Tmr1984 都内乗用車めちゃめちゃ走ってるのに。さてはテメエ東京エアプだな笑
2020/10/18
テメエはまず日本語読めるようになれ。
Yutorigen 都会に住んでて車持ってない側だけど、この価値観と同一だと思われたくはない
あのさあ
俺自身は車に乗らない(必要としてないし車へのフェチズムや憧れも全然ないペーパードライバー)けど
自動車を持つことについて否ともなんとも言ってないよね
「田舎では自動車は必須だろうけど首都圏ではなしという選択も有り得る」ぐらいしか言ってない
俺の文章が偉そうなのは認めるけど何らかの価値観の話なんかしてねーのよ
mayumayu_nimolove 内容がひどくて3行読んでやめた。せめて読ませる文章作らないと誰も読まないよ。
読んどるやん
で、お前はカッペって言う差別用語に拒絶反応を感じたからやめたんだろ?
それはまともな感覚だけどその自分が何に拒絶を感じたのかっていうのを客観的に把握して正直に表現してほしいわけよ
nenesan0102 そういう人いるけど、あまりに想像力がなさすぎて会話が成り立たないよね…。増田大変だったろうな。都心部だと電車、たまにタクシーが一番安い
2020/10/18
この文の主旨は「カッペは自分の文化の外を想像できない」じゃなくて「カッペにとっての自動車はツール以上の精神的な何かだよね」だ
sakuragaoka 東京は自動車の運用が著しく不便な土地なので仕方なく公共交通機関使う場所、と思ってる。保有はしてたけど普段の移動はやっぱり電車が早いし。
そうね
東京で車乗る人は多かれ少なかれ車の所有とか運転体験とかなんかしら趣味性を持って好きっていうのはあるでしょ
そしてそれはたぶん田舎在住者の無いと死んじゃうツールとしての切実さや砂漠のラクダとしての愛着って言うのとは重なる部分はあっても全く異質な部分もあると思う
うん
そのうちにああこいつらにとっての車はなんか侍の刀とか牧畜民族の羊とかそういう市民権や豊穣を象徴する何かなんだなっていう気付きを得た話なんだよね
sangping 要するに都会暮らし自体が不便なんだよな。どう考えたってドアtoドアの車の方が便利だもん。自らの気の毒な境遇を自覚していない都会人の価値観が他者に理解されにくいのは当然だが、当人はその方が幸せなのかも。
ごめんそういう話はしてないし全然興味もないから賛成も反対もしないし勝手にやってくれ
俺自身はそんなに都会のメリット享受してないし田舎暮らしいいなーって思うこと多いよ
人間関係とかうざそーみたいな消極的理由で移住までは出来んけど
differential “俺は生涯首都圏だけど”都民じゃないのか笑(マウント)/うちは使用頻度低いから売ったけど実家(都心)も車持ってたし周囲も車持ってる人多いよ。通勤圏の県住みの人はもっと保有率高いと思う。
土地に対するコンプレックスとか全くないのでそういう感じの(笑)やマウントが全くわからない
それをやる人はかなりそういうコンプレックスがあるのねー、としか…
一番愛着感じてる町は小学生の時住んでた江東区だよ 夢の島(ゴミの島)とかに隣接する人気のない感じが好きで好きで
hyoutenka20 地方民も仕事や大学等で東京に行く人は多く、地方にいても東京マスコミの情報ばかりで東京の生活を認識できてる人が大半
東京の生活は東京に住まずにメディアの情報だけ見ててもやっぱりわからない。(逆も同じ)
なのに地方に居ながら東京の情報を見せられ続けてるとどうなるか?
完全未体験なのによくよく知悉してると勘違いするようになるんだよ。
これはどのジャンルでも恐ろしいことよ。
たとえばオタクって空手と合気道が戦ったときの相性について得々と語れる奴いるのよ。
どっちも自分でやったことすらないんだけど、刃牙とか格闘漫画でよく出てくる構図だから。
空手の打撃はこういう風に合気道にさばかれちゃうって「知って」るわけ。
そんな感じで格闘技とか筋トレに関する事って全く未経験なのに一家言持ってる男は結構いる。
漫画をはじめとしたメディアで変な情報は沢山載るので、それを見てるうちに「ちょっと、いや結構知ってる」って気分になるの。
バーベル触ったこともないくせにウエイトトレーニングのアドバイスしてくる奴マジでいるからね。
もっとすごいのだと、スポーツクラブでどこにも筋肉がない体の奴が明らかにやってる身体の人に何か助言してるのを見かけたりする。
何が言いたいかと言うとメディアの情報では実態を知ることどころか想像力すら養われないし
「何も知らないのに知ったような気になる効果」に自覚的で気を付けない人には小さくない害ですらあるということ。
土地に対するコンプレックスがある人も憧れがある人も、知らないんじゃなくて「中途半端によく知ってる」状態なんだよ。
俺はどの土地が恥ずかしいとかどの車が恥ずかしいとかそういうコンプレックスが全くないけど、それはそもそもあまりにも興味がなくて知識が全くないからなのよ。
そういう格付けとかを気にする奴は土地のランクや車のランクに滅茶苦茶詳しい。
住んだこともない土地や乗ったこともない車についてメディアから大量の情報を取ってる。
summoned 雑に広範に刺さる蔑称を使っておいて、「これはこういう意味で言ってるのでありまともな人には言ってません悪しからず」って面倒臭い注釈で反撃封じる言説は卑怯かつ放置すると本来の蔑称の意味で広まるんだよな
そりゃ俺だってリアルではこんな常識疑われそうな言葉は使わんけど
はてなはジャップだのマイルドヤンキーだの始めいろんな蔑称が常用されて許されてる治安の悪い場所じゃん何を今更って感じ
人の言葉遣いに突っ込むよりも自分の口や自分のいる場所に注意力持った方がいいぞ
kamezo わかりあいたいなら「カッペ」とか言ってケンカを売るようなことをしなければいいのに/それでもわかりあえないこともあるが、それはまた別の問題よな。 コミュニケーション
分かり合いたいなんてどこに書いてんだ
本当に文章の読めない奴が多いよな
俺はこのエントリで「カッペの生態や精神世界はこうなのではないか」という観察所感を発表してるんだから
元々カッペに対して失礼な文章であってこれはカッペと言う言葉を「地方在住者の中の一部の我の強い方々」とかにしても本質は変わらん
つまりこの文章でカッペに語り掛けたり分かり合おうとしたりしてないわけだ
この文章でカッペと分かり合おうとしてるつもりだとか言ってたらそっちの方が傲慢なやべーサイコパスだと思うぞ
HEXAR 増田が都内以外の地域で車を所有している人たちの暮らしや価値観が分からないのはもったいない気がする…相手は決して見下す対象ではないし車があるとどういうところに遊びに行くの?とか聞いてみればいいのに〜
あのさあ
だからさあ
俺は車に乗らんけど車必須な人や車が好きな人や車がラクダな人の生活を否定はしておらんの
というか意味わからんぐらい車好きな叔父とかいてなんか有名らしいオープンカーに乗せてもらったりするの(けどそれの名前も全然覚えられん)
興味はないけど別に車を嫌ってはいないしただ運転には自信がないしそんなに車で出かけたい場所がない生活なだけだよ
誰が「自動車好きの奴うぜーわー 車なんか買う奴バカだわー」とかいう話をしてんだよ
そんな話は一ミリもしてねえわ
ちゃんと読んだうえで俺に突っかかってくる奴(こいつらには何の悪感情も持てない)とかよりはるかにウザいんだわ
お前みたいなのはほんと、ちゃんと人の話を理解する能力付けた方がいいよ?
俺の今回の話も「全く予想外なわけわからんキレ方をする異文化の人をなだめながら話を聞きだしてその人の背後の生活や精神世界を探って言語化してみた話」なわけ
お前はレベル3もねえよな
そりゃお前は表面的にはスマートで行儀も悪くないのかもしれない
けどそうやって攻撃的じゃないポジティブな感じの口調で飾ってたって
関心や理解のレベル3未満ならそれは無能だし、会話してて面白くねーし、もっと端的に言えばバカって言うんだよ
カッペみたいな差別語使う俺よりお前みたいな行儀がいいだけの無能の方が対人関係においてはよっぽど無礼だし見るとこなしだと思うのよ
あっ
これは全然違う
「えっ車がなかった…(察し) 貧しかったんだね」っていうのは
そのカッペ氏はほんとにそういう風に察してただけでこっちを気遣うニュアンスの発言だった
煽りだなんてとんでもないしそこまでは普通に和気藹々と会話してたの
カッペ氏が突如猛烈にキレだして険悪になったのは
俺が「全然貧しくはなかったけど自動車は持ってなかった」ことを理解してから
俺が別に貧しくはなかったよってのもただそれだけ言っても信じない(自動車持ってないのに貧しくないなんて!)勢いだったから
作り話では用意しにくいディテール付きでむしろ裕福だったよって言う説明をしたわけ
カッペ氏の様子が激変したのもそういう説明の中で「裕福なのは嘘じゃない」「でも自動車は持ってないらしい」ということを理解してからだった
そのキレるタイミングやキレかたが不思議過ぎたからなんじゃこれって印象に残ったし、なだめながらなんでキレてんのか探っていったのよ
その後似た感じの相手に数回遭遇して仮説を立てて確信を深めていった
…っていうこれもなあ
なんで家が裕福だとか言っただけで煽りだとかマウントだとかに直結するんだ
読解力がない上に発想の貧しい人達だな
dogear1988 この手の摩擦にはグラデーションがあってな。本当に一方的に発狂されたなら同情するが、車や地方の欠点を論った上で自分の文化圏を正当化する人間は都会側にもいるんで、そういう可能性を考慮すると何も言えない。
俺が「貧しくはないけど自家用車はなかった」と説明して、それが事実だと悟った瞬間にカッペ氏はキレた
つーか俺は車について興味も知識も全然ないから利点も欠点も語りようもない
よく積極的自家用車不要派が言う維持費がどうのこうのの話だって、いくらかかるのかとか全く知らねえんだからさ俺は
そういう車文化や土地文化の衝突に何の興味もねえって何度も何度も書いてんじゃん
dogear1988 価値観の押しつけなどへの反発には賛同するんだが、結論や追記で「車への愛着」自体を揶揄してるのはアンフェアじゃないかね。寧ろそこを認めないなら「ライフスタイルとしての尊重」とは言えんのでは。
えっ どこがよ?
そこを揶揄だと思うのはお前の自覚の方が足りてないだけだよ お前は武士やベドウィン族より何か進歩してるつもりなのか?
我々はみんな刀やラクダの代わりの何かに執着して生きてるんだよ
でも現代ではそういうのはだんだん内面的な対象に引っ込んでっているから今回のカッペのように外部的なものに生活や魂や権利概念がこもってる感じの執着のあり方は予測がつきにくかったし面白かったわけ
お前もお前のラクダは何なのかを考えてみるといいよ
memoryalpha しょうもないマウンティングなんて頼まれてもないのに隙を見せてるようなもんだから可愛いもんです。愛でてあげましょう。ただしルサンチマンこじらせてるやつは相手してはいけない(´・ω・`)
違う
自分の生活や魂を根本否定するような異星人に遭遇して驚愕し混乱しキレてた
って、もう何回書いても無駄だなこれ
読めない奴はどう説明したって読めねえんだ
kyo_ju まぁ日本社会の貧困化がさらに進むと、公共交通が死んで自動車保有が必須な状況をいいことに"クルマにかかる金(税・保険その他を含め)を払うために1ヶ月働く"ようなところまで搾取が深刻化するかもしれない。
こういう「元からどんな話題でもそこから何も受け取らず自分の言いたいことを繰り返すだけ」みたいなidの方がよほどムカつかずに見れるよなそういうコオロギみたいで
りーんりーん あべしねー にほんしねー
みたいな
秋も深まってまいりました
俺はあいつ嫌いだったけどよく知ってみると確かに考え方は似てるかもしれない
昭和20年5月13日、第一回戦力会議。船舶損耗状況、輸送実績、輸送要請
.
.
戦勢転換のため航空戦力拡充が超重点視されるに及び、昭和十八年秋、軍需省を新設して陸海軍用飛行機を一元的に生産する態勢が初めて整備された。(中略)軍需省新設は東條首相兼陸相の英断によって実現したものであり、東條首相は軍需相をも兼摂したのであった。
(戦史叢書第33巻『陸軍軍需動員<2>実施編』P831、むすび)
.
.
大東亜戦争の完遂をめざして戦ってきたわが海上護衛戦は、海軍を始めとする関係各部の必死の努力にもかかわらず、逐次強化されてきた米国の対日海上交通破壊戦の前に、あえなく潰え去った。(戦史叢書46巻『海上護衛戦』P561、むすび)
.
ともあれ戦争というものは、常に多分の不確定要素を含み、如何なる様相の変化にも即応しうる万全の準備を完整することは困難であり、かつ作戦の成否が戦運に左右されるところも少なくない。しかし今次戦争の海上護衛戦に関する限り、当初から、既に失敗すべき要素を多分に含んでいたのであった。(戦史叢書46巻『海上護衛戦』P563、むすび)
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戦史叢書第033巻 陸軍軍需動員<2>実施編 P832-833
軍部が軍需・物資配分の意思決定を実質に行っていた件(作戦等の機密事項を握り、かつ、各省の状況・国力も知悉していたため自然とそうなった。(要旨)
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経済安定本部総裁官房企画部調査課「太平洋戦争による我国の被害総合報告書」昭和24年2月
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その1https://anond.hatelabo.jp/20200327214055
12 Dr. Hiroshi Nishiura is one of the few professionals of mathematical models of infectious diseases in Japan, and it is well known that his ability is outstanding. However, many people don't understand mathematical models themselves (I must confess that I can't say that I understand all of the findings because I'm not a professional of mathematical models either), so his findings and comments are easily deified. Because the contents of the mathematical model are a complete black box to many people, it makes it seem like the oracle is coming out like a shrine's oracle. Much of Japan's infection control policy relies on the Nishiura theory. So there is nothing wrong with that, but one of the problems in Japan is that there is no plan B in case plan A goes bust. Dr. Nishiura is an excellent scholar. It is not God. Hence the need to have that Plan B with the possibility of making a mistake. I am greatly concerned that bureaucrats and politicians who are prone to infallibilism will mistake science for an oracle. It is only when falsifiability is assured that science can continue to be scientific.
感想:おみくじと神託が同じoracleだったので変な文章になったが直していない。
13 数理モデルは演繹法の活用産物である。演繹法は帰納法やアブダクションで補完するのが、学問の基本であり、臨床医学の常識である。演繹法的にどんなに正しく見えても実はそれは違っていた、ということはこの業界ではよくあることなのだ。ヘーゲルやマルクスのような巨大な知性でも演繹法オンリーでは間違うのである。
Mathematical models are the product of deductive methods. The deductive method is complemented by the inductive or abduction method, which is the basis of scholarship and the common sense of clinical medicine. It's a common occurrence in this industry that no matter how deducibly correct it may seem, it's actually not true. Even a huge intellect like Hegel or Marx can make a mistake by deduction alone.
感想:「蓋を開けてみれば」を「実はそれは」に変更した。
14 モデルを使うな、といっているのでは決してない。ぼく自身、モデルを用いて論文を書く。しかし、モデルは無謬ではなく、そこには前提である仮定があり、仮定はしばしば間違っている。グラム染色を活用するとは、グラム染色にできないこと、分からないことを知悉していることであり、グラム染色万能論者にグラム染色は使えない。同じことだ。英国でも数理モデルは活用されているが、だからこそ英国人はその結語には非常に懐疑的で、常に反論、異論が起きている。健全で科学的な態度である。
I'm not saying don't use the model at all. I myself write a paper using a model. However, the model is not infallible, there are assumptions that are assumptions, and the assumptions are often wrong. Making use of Gram's stain means having full knowledge of what Gram's stain cannot do and does not understand, and Gram's stain cannot be used by Gram's stain universalists. It's the same thing. Mathematical models are also utilized in the UK, which is why Brits are very sceptical of their conclusions, and there are always counter-arguments and objections. It is a sound and scientific attitude.
感想:「前提たる仮定」がうまく訳せていなかったので「前提である仮定」にしたが、assumptions that are assumptionsになってしまった。
「英国人は」がないと主語がIになってしまったので追加した。しかしBritsじゃ意味違うよ。もっと正しく訳してくれない?
15 Japan's "now" is a well-controlled state of infection, which is much better than Wuhan at its worst, or Italy, Spain, France, England, or New York at the present time. The problem is that it doesn't guarantee that it will "always work".
16 懸念されるのは東京だ。感染報告が増えたことだけが問題なのではない。クラスターを形成できない、トレースできない感染者が増えているのが問題である。そして、その陽性患者数に比べて検査数がずっと少ない。47人の感染者を捕捉するために100人未満(陽性者の検査日が不明だが、おそらくこのへんだろう)しか検査していないのは少なすぎる。
It is Tokyo that is of concern. The increase in reports of infection is not the only problem. The problem is that more and more infected people are unable to form clusters and cannot be traced. And the number of tests is much lower than that number of positive cases; it's too little that they only tested less than 100 people (the date of testing for the positives is unknown, but it's probably around here) to capture 47 infected people.
Again, it's not necessary to figure out all the infected people. However, it is troubling that the flow of infection, movement and clusters are out of sight. Therefore, the threshold for testing must be lowered in Tokyo. The threshold for testing varies with the circumstances. That's what I explained with the Korean example. Sticking to the Ministry of Health, Labour and Welfare's "standards" will lead to a misunderstanding of the phenomenon itself. Already in the Kansai region, infected people have been found with taste and smell abnormalities, and clusters have been detected from there. I would like to make more use of the athletic sensibilities of these clinicians. I'm not sure "where" in Tokyo is the barrier to lowering the number of inspections, but that barrier needs to be removed immediately.
感想:「捕捉するのに」を「捕捉するために」に変更した。多分これでいいと思う。思いたい。
アスチュートがathleticになっているのはどう反応したらいいかわからない。
17 This conceptual diagram that everyone is looking at - lowering the peak of the infection and shifting it to the side. This is all a product of deduction, and I don't know if it's really true. As mentioned above, the UK estimates already suggest that this is not enough. It is possible that the damage that was shifted to the side could simply be "extra-long damage".
18 そして、ここが肝心なのだが、ピークを下げるという理念が、「ピークを下げなければいけない」という観念になり、「ピークは下がっているはずだ」という確信になり、「ピークは起きていないんだ」という自己暗示に転じてはいけないということだ。プランAに固執する日本あるあるの失敗のパターンで、ダイヤモンド・プリンセスでは「二次感染が起きてはいけない」が「起きているはずがない」に転じてノーガード下船を許してしまった。「ピークが起きてはいけない」が「ピークなんて見たくない」にならないように現実を見据える必要がある。たとえ、それが我々の見たくない不都合な真実であったとしても。
And this is the key point: the idea of lowering the peak should not become the notion that the peak must be lowered, or the belief that the peak must be lowered, or the self-implication that the peak is not happening. In a pattern of Japanese failure to stick to Plan A, Diamond Princess allowed no-guard disembarkation by changing "secondary infection should not occur" to "it can't have happened". We need to keep our eyes on reality so that "peak shouldn't happen" doesn't become "I don't want to see a peak. Even if it is an inconvenient truth that we don't want to see.
感想:mustが違う文脈で二回出てきている。よくわかるように変更したいものだ。
カギカッコがないとうまく訳せなかったので追加しているが、なぜかカッコ閉じるがいくつか抜けている。この箇所以外にも抜けがある。
19 Repeatedly. It's common knowledge in this industry that deductive methods are complemented by inductive methods. Nevertheless, PCR is often false-negative and has little power to determine the status of infection. That's why "testing everything" is so wrong. However, a serum test measuring immunoglobulin IgM and IgG would provide a more accurate picture of the "status of infection in the population. This, however, is not infallible. It is difficult to use for individual cases because it misses early infection, which is why it misses early HIV infection.Whether antibody testing is useful in individual cases remains to be tested, but it is well suited for epidemiological studies on a population basis. Roughly speaking, we can confirm whether the "infection is rampant" in Tokyo right now, or whether it's just an unfounded fear.
前例としては、ロンドンの血清検査で09年パンデミックインフルエンザが従来予測の10倍起きていたことが血清検査でわかっている。抗体検査はアウトブレイクのあとで事後的に行うことが多いが、慢性的パンデミックになりつつあるCOVID-19については、「今」こそが検証のポイントといって良い。
As a precedent, serology tests in London showed that the 2009 pandemic flu was 10 times more likely than previously predicted. Antibody testing is often performed after an outbreak, but now is a good time to examine COVID-19, which is becoming a chronic pandemic.
感想:「前例はあって」を「前例としては」に変えた。「前例はある。なおかつロンドンで〜10倍起きていた」になってしまったからだ。
20 英国はさらにアグレッシブだ。家庭で抗体検査を行い、「感染者である」とわかればそれを自宅での自己隔離の根拠に使おうというのだ。ロックダウンが起きている中で、検査陰性は「自己隔離不要」を意味しないため、その戦略に欠陥はある。が、考え方としては「感染全体を抑え込みたい」というもので、検討の価値はあると思う。
The UK is even more aggressive. The idea is to test for antibodies at home, and if they are found to be infected, they will use it as a basis for self-isolation at home. That strategy is flawed because with the lockdown in place, a negative test does not mean "no self-sequestration". However, the idea is that we want to control the infection as a whole, and I think it is worth considering.
21 東京でどのくらいの感染が起きているか、帰納法的確認は必要であり、有用だ。その結果がどうなるかは預言者ではないぼくには分からない。が、どんな結果が出てきても、それを受け入れ、場合によっては自説を変えて、プランBに移行することにも躊躇しない態度が科学者には必要だ。科学者は、首尾一貫していないことにかけて、首尾一貫していなければならないのだ。形式においては首尾一貫していなくても、プリンシプルやプロフェッショナリズムにおいて一貫しなければならないのだ。事実に誠意を。
Inductive legal confirmation of how many infections are occurring in Tokyo is necessary and useful. I'm not a prophet, so I don't know what the outcome will be.However, no matter what the outcome, scientists need to accept it and not hesitate to change their thesis and move on to Plan B in some cases. Scientists have to be coherent in their inconsistencies.They may not be coherent in form, but they must be coherent in principles and professionalism. Good faith in the facts.
感想:首尾一貫という言葉を使いすぎて文章をアホっぽくしてしまったが他にいい方法が思いつかない。朝三暮四は理解してくれなかった。「自説を曲げ」は「自説を変えて」に変更した。
文章はもう少し整形できると思うがとりあえずこれで。
平成31年(わ)162号
準備書面を閲覧。
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【準備書面】
(ア)被告1は「CとAと俺、直接じゃないけど。Dと誰かと。あとまあ、Eと、今回の件には関係ないけど。FとかGとかHとか、あとまあ。」と答えた。ここで山口の発言があったため、回答として完結しないまま終わっている。
(イ)被告1は「繋がり」を持つという行為をしている当事者を説明するため、メンバー側の当事者と、ファンの当事者を挙げている。
(ウ)被告1は「CとAと俺、直接じゃないけど。」と発言している。この部分は、CとAと被告1自身が「繋がり」を持っているということを意味する。そして、それに続く「直接じゃないけど。」の部分は、C及びAと被告1は、いずれも直接の繋がりではなく、被告1の友人がC及びAとの「繋がり」を持っているため、被告1もCやAと接触を持ったことがあるということを意味している。
(エ)被告1のこれに続く「Dと誰かと。あとまあ、Eと、今回の件には関係ないけど。」との発言は、「Dとファンの誰かが繋がりを持っている。」という意味である。「あとまあ、Eと、今回の件には関係ないけど。」以下の発言も、ファンと「繋がり」を持つという行為をしているメンバーの固有名詞(E)を挙げた上、Dと誰かの繋がり、Eとファンの繋がりは「今回の事件には関係ない。」と説明している。被告1は、「CとAと俺」について「直接じゃないけど」と説明をしているのと同様、ここでも「Dと誰かと。あとまあ、Eと」と当事者を特定してから、その繋がりは「今回の件には関係ないけど。」と説明している。
(オ)以上のように、被告1の発言は「繋がり」を持つという行為をしている当事者を挙げたものであり、山口氏の自宅前でのトラブルに関与したメンバーの名前を挙げたものではない。このように、被告1は、「繋がり」を持つという行為をしている当事者を挙げているため、「CとAと俺。」「Dと誰かと。」というように、メンバー側の当事者と、ファン側の当事者の双方を挙げているのである。
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▼以上(ア)〜(オ)を通して
被告らが、一連の言動により、本件事件に他の複数のメンバーが関与していることを認めたとの点は、否認する。
その詳細は前記のとおりであり、被告1は「繋がり」を持つという行為をしている当事者を指摘したに過ぎず、本件事件に関与したメンバーの名前を挙げたものではない。
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また、山口氏が「他のメンバーが事件に関与しているのではないか」といった疑念を抱いたとの点は、否認する。
被告らは、山口氏と話をするために、山口氏を自宅前で待ち受け、山口氏が帰宅した際に、被告2において、山口氏が玄関ドアを閉めるのを妨げたに過ぎない。
したがって、客観的には、原告準備書面にいう「およそ一般人から見て犯罪であると思しき事件」が存在しない。
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そして、山口氏の主観を基準として見た場合、被告2がとっさに山口氏が玄関ドアを閉めるのを妨げた瞬間に限定すれば、自己が「犯罪と思しき事件」に巻き込まれているかもしれないとの不安を抱くことは、合理的である。
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しかしその後、被告1が名乗り出たのであるから、自己と被告1との関係を知悉しており、さらに平成30年10月21日に開催された握手会において、被告1から「今度話をしに行きたい」と言われていた山口氏から見て、遅くとも公園に赴く前には、被告らが山口氏と話をするために、山口氏を待ち受けていたことを認識していたと認められる。
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したがって、山口氏は「およそ一般人から見て犯罪であると思しき事件」が存在しないことを認識していたはずであるから、存在しないと認識している事象に、他のメンバーが関与していると疑うことは、論理的にありえない。
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【被告1の陳述書】
▼事件当日について
314号室で待機していると足音が聞こえた。のぞき穴で確認したところ、山口氏が帰宅していたので、まず被告2が廊下に出て、山口氏に声をかけた(かねてから被告2に間に入って欲しいと頼んでいたため)。
被告1は被告2がすぐ帰ってくると思ったが、数十秒ほど経っても帰ってこなかった。
どうしたのかと思い廊下に出てみると、山口氏と被告2は303号室のドアを引っ張り合っていた。山口氏は室内から、被告2は廊下からドアを引っ張り、山口氏は被告2の胸のあたりを手で押し、追い払おうとしていた。
この際、山口氏が「助けて」などと言ったり、叫んだりしていた記憶はない。被告1は慌てて二人に近づき、山口に「僕だよ、○○(※)だよ」と声をかけた。
山口氏は被告1の顔を見て、被告2の胸を押すのをやめ、ドアの引っ張り合いも終わった。被告1も被告2も山口氏の玄関内に入っておらず、顔も掴んでおらず、アイアンクローもしていない。
山口氏は玄関から出てきて、「いきなり、どういうつもりなの?」「どうして被告2がいるの?」「被告2の推しメンは○○でしょ」「○○は314号室にいるんでしょ」「被告1も○○と繋がっているんでしょ」などと発言した。興奮していた様子だったが、泣いてはいなかった。
エレベーターから降りてきた男性が通りかかったのは事実だが、その際は山口氏と被告1被告2が廊下で話しているだけである。山口氏も、通りかかった男性に対してまったく訴えていない。
そのためこの男性は、「おおよそ一般的に言われるような事件が起きているとは到底思うわけもなく」、その場を立ち去っている。
▼被告2について
被告1は山口氏と話したかったが、自身だけでは難しかった。被告2はメンバーの間でもひょうきんで明るいファンと認識されており、おかしなことをする人間ではないという信頼があったため、間に入ってもらった。
▼公園での会話について
山口氏はAKSのスタッフの前で「何で私の部屋を知っているの?」と聞いてきたが、これに正直に答えると「山口氏自身から聞いたから」ということになる。これはスタッフの前では言えなかった。
ネット上で言われている諏訪氏の名前は記載なし。初瀬という名前が記載されている。
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そりゃそうだわ
だって嫌韓厨の第一目標は「日本人に広く韓国人の実態を知ってもらうこと」だったから。
自分達のような韓国マニアや狭いネット右翼の間でいくら韓国について知悉しても駄目だと理解してた。
昨今はもうほんとに一般日本人でも「韓国なんか変じゃね?」「ちゃんとやりかえさないと駄目じゃね?」ぐらいになってきてた。
ここで韓国が更にやらかしてくれるのは彼等にしてみりゃ追い風でしかない。
「どんどんやってくれ!」ってなもんよ。
韓国に二枚舌の用日政権が出来て、日本のお人よし政治家や利益誘導政治家がそれと組んで
国レベルで言えば韓国にやられ放題なのに日韓友好みたいなお題目が堅持されて動かせない、みたいな従来の状況だから。
今回二度と過去の関係には戻らないぐらいに韓国が状況を変えてくれてしまった。
祝杯でしょう。
ふーん、もの好きな人もいるんだね。タダでもやりたいなら勝手にやって熱中症で死ねば良いじゃん。やりたいことやって死ねれば本望でしょう。
私はオリンピック反対派なので、基本的にオリンピックのために無駄に税金を使うのは許せないんだが、この件に関してはある程度お金を払うべきだと思ってる。
なぜかというと、ある程度スキルのある人を確保する必要があるのと、ドタキャンされて人手不足に陥るのを防ぐため。特に語学力が必要な仕事とか、会場の内部や選手たちの行動ルートを知悉している人を確保するにはそれなりにお金を払わないとダメだと思う。
無給だとバリバリのブロークンイングリッシュしかしゃべれないのが来ても文句が言えない。選手たちを宿舎から会場まできちんと案内できるかどうかだって心もとない。研修とかである程度は教えるかも知れないけど、ちゃんとできそうな人だけ選べるかどうか怪しい。
最初のうちは「オリンピックに参加したかったからタダでも良い!」と張り切っていても暑い中で毎日こき使われていたらバックれたくなっても仕方ない。多少なりとも金をもらうということは責任を持って働くモチベーションになると思うけど、金をもらっていないということは一方的に労働を搾取される立場から自由に逃げられることを意味すると思う。
だってブラックバイト以下の条件なんだよ。多少なりとも金をもらっていれば「自分は雇われてるんだから行かなくちゃ」って思っても、全てが自己負担で働けば働くほど自分の金も体力も奪われていく仕事なんてやる価値ないでしょう。…というかあまりにもひどい条件で働かせるようならどんどん逃げ出して組織委員会を困らせるぐらいで良いと思うんだけど。
日本人は勤勉だの従順だと言われてきたけど、理不尽な条件で働かせられるなら文句言ったり逃げたりして良いと思う。悪いこと言わないから熱中症で死ぬ前に止めた方が良いと思うよ。
門前仲町のとあるラーメン屋の暖簾をくぐった私と同期の二人は、深いため息をついた。
新入社員研修の過酷さは想像を超えるもので、私たちは疲れ切っていた。
「さぁ…」
そのラーメン屋に客は私たちだけで、空虚な空間にはテレビがあった。
カウントダウンTVの特番に、aikoさんが出ているのが視界の端に見えた。
そして、新曲を出したのかな、と思っていた私の予想をよそにaikoさんが歌いだしたのは何と、『カブトムシ』。
えっ?『カブトムシ』?
つい声に出てしまった。
「カブトムシが何かあった?」
「いや…随分懐かしい曲を…と思って」
「確かに…」
私は咄嗟に調べた。『カブトムシ』、1999年のナンバーであった。
凄いな、aikoさん。
きっと『カブトムシ』をリリースしてから19年、aikoさんにも様々なことがあっただろう。
たくさん曲も書いたし、良いことも悪いこともたくさん経験してきたはずだ。もちろん、そのあいだにはきっと新しい恋もあっただろうし、失恋もあったことだろう。
にも拘らずaikoさん、今年42歳のaikoさん(調べた)、全然「『カブトムシ』を歌う女子っぽさ」の枠内にいる。これは凄いことではなかろうか!
我々は、もとより人間一般は、果たしてaikoさんと同じく「19年前の自分」と同じものが似合う人間であることが出来るだろうか。
言わずもがな19年という歳月は果てしなく長い。その間に卵子が大学受験をする。高校生の高橋由伸が巨人軍の監督になる。
今年23になる私は42歳になっている。その時、今日のaikoさんのようなパフォーマンスが出せるのか…?
「aikoさんの19年間を思えば我々の1週間など取るに足らぬ」という、妙に力強い結論とともに、私たちは帰路についた。
決してaikoさんに知悉しているわけではない私たちの、それでも具に感じとったaikoさんの凄さを胸に、来週も頑張ろうと思った。
(その後に歌っていた新曲も、とってもいい曲でした)