はてなキーワード: CGとは
テイストが同じ。
ジブリに映画つくらせたら、どれもこれも自然の森や木々の緑の背景がジブリ感溢れるのと同じで、
ポリゴンピクチュアズに造らせたら、ポリゴンピクチュアズのテイストがでてしまう。
特に3D CGだから、手描き時代よりも余計に似通っているんだと思う。
いろんな人に作らせたCGモデルを組み合わせて1つの絵にする場合、
それぞれのCGモデルの色彩がちぐはぐだと、組み合わせた絵もモザイク状になり変な絵になってしまう。
それをさけるために、全体的に淡い色塗りに仕上げて、かつ、画面全体に特定の色のフィルタを掛けるようなエフェクトで
絵に統一感を持たせている。
「ワンダーウーマン」を見たので感想。と言うか考えたこととかのメモ。ネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので、見た人向けだと思います。フェミの話とかも出てくるんでそういうの苦手な人も回避でよろしくっす。
まず最初に、「ワンダーウーマン」、個人的にはそんなに評価高くない。少なくとも世間で(特に欧米で)いうほど大絶賛、大感動をすることはできなかった。これは映画を見終わったあとのファーストインプレッション。
「1800円という価格&2時間という投資に見合った体験できるのか?」という視点で自問したところ、その答えは「100点」なのだ。十分高評価だろう。いい加減な脳みそだなあ、オレ。とも思った。
なんでこんな評価のすれ違いが発生してしまったかというと、今年見たアメコミ系映画の先行2本、すなわち「レゴバットマン ザ・ムービー」と「スパイダーマン:ホームカミング」の評価が高すぎた、というのが原因であるらしい。前出の基準で言うと、「レゴバットマン」も「スパイダーマン ホームカミング」も200点くらいの評価なので、「ワンダーウーマン」はタイミング的に損をしてしまったのかもしれない。これが「ドクター・ストレンジ」のあとだったら感激できてたのに。
PC的なディレクション――批判に対して自覚的で先手を打って内容を適正に作っていこう――は最近のハリウッド映画では多かれ少なかれあるのだと思うけれど、そういう制約(どういってもある種の制約ではあるだろう)を逆手に取って笑いやネタにしたり(デッドプールにおける「女性も男同様にブン殴ったほうが公平じゃない?」)、むしろそこに正面から踏み込んでえぐり出す(スパーダーマン:ホームカミングの敵役ヴァルチャーはいま注目されている「見捨てられた白人労働者」)のにくらべ、ワンダーウーマンのそれは踏み込みが浅くどうしても「そういうルールなので設置しました」感が出てしまっている。
おそらく「ワンダーウーマン」という作品――つまり女性が戦場に出て戦うという作品を作るにあたって、制作側は、(フェミニズムを中心に)炎上の可能性を覚悟して作ったのだと思う。だから、予め潰せる問題点は潰しておいた。
それは主人公ダイアナの人物設定にも反映されていて、彼女は美女で、アマゾン族の王女で、めっちゃ強い。すごい跳躍力や筋力を持ってるし、噛み殺しの特殊能力を持つスーパーゴリラだ。だが多分そのままだと脳筋批判も巻き起こすだろうから、島で英才教育を受けてた設定になっている。作中でも数百の言語を操り、古典に詳しく、第一次世界大戦当時の最先端の化学式を読み取るなど知能面でも卓越している。(第一次世界大戦当時の)女性だからといって馬鹿ではないのだ!
しかし、だからこそというか、逆説的にというか、なんだかすごく残念な人物描写になってしまっている。
彼女は世間から隔絶された島で育ったので無垢だ……という設定なので、物語終盤になるまで「人間は悪神アレスに洗脳されているせいで地獄のような戦争をしているのだ。悪神アレスさえ倒せば人間は正義と慈悲に立ち返り戦争は即座に終わる」と信じ込んでいる。ここは物語のテーマなので、外せない重要な要素だ。
それはそうで、重要に間違いはないのだが、それってどうなのだろう。
言語というのは必ずその文化を含んでいる。外語を学んだことがある人ならわかると思うけれど、外語を学ぶというのはその言語を操る民族や地域の文化を学ぶということをニアリーイコールだ。文化も歴史も言語には含まれているからで、そこに理解無くしては言語の意味を理解するなんてできない。ましてや古典まで学んだダイアナが、人間の持つ二面性や、善悪といった内面を「全く理解してない」なんてのはありうるんだろうか? いやまあそこが物語のキーなわけだから、理解していないということにしないといけないのはわかるのだが、そういう描写にしてしまったせいで作品は別のメッセージを持ってしまった。
すなわち「知識も教育も倫理や人間についての理解の助けには全くならない。世界を良くするという意味では、教育は全く無意味である」というメッセージだ。多分これは随分うがった見方だろうし、制作側はそんなメッセージを発信するつもりはないだろう。けれど、物語上ここでねじれが生じているために、そう取られかねない「隙き」が生じてしまっている。批判される要素をなくそうと頑張っていた制作陣が、塞げなかった穴に見えてしまうのだ。こういうねじれが、どうも彼女をそこの浅い子供に見せてしまっている。
「ワンダーウーマン」は「(邦画では珍しくもないが)戦う女性主人公」「女性が監督した初めての大手スタジオによるスーパーヒーロー映画」という点で、フェミニズム界隈から賞賛を受けた。
けれど、個人的にはダイアナは女性ではないのだと思う。すくなくとも、フェミニズムが想定するような「解放されるべき女性」ではまだなくて、子供なのだ。まだ思春期すら迎えていないような子供で、世界に対して良く言えば無垢だし、シニカルに言えば無知で無責任だ。
ダイアナに強い好感を覚えられなかったのがこの映画の評価に加点が少ない理由だと、整理した今なら自覚できる。
多分、自分にとって不幸だったのはこの部分で、それは「ワンダーウーマン」を観るまえに「ウーマンリブ的な文脈でフェミニスト絶賛」みたいな評価を知ってしまった点だ。「そういうつもり」で見てしまったせいで捻じれが目についてしまった。
しかし、見終わったあとに思い返してみると、魅力的な部分がいくつもある映画だ。その最大のものがアメリカ外征軍大尉のスティーブ・トレバーである。
彼はドイツ軍をスパイした結果恐るべき毒ガス計画を知り、逃亡の最中に絶海の孤島アマゾン島に漂着し、主人公ダイアナを「外の世界」に連れ出す役目をする。無垢な美女ダイアナのエスコート役であり物語最終局面まで彼女を支えて導き続ける。
ヌードシーンがあったりもするので、女性向けの眼福要素も担当させられたイケメン俳優だと思っていたのだ。二回もイケメンって言ってしまったよ。
彼は優秀な軍人でありパイロットなのだが当然人間なので、スーパーヒーローで神の子であるダイアナに比べたら喧嘩においてはまったく弱い(軍人として適正に強くはあると思う)。おまけに非文明圏であるアマゾン島では虜囚に近い扱いも受けていたし、さらにいえば彼はアメリカ軍大尉であり、物語中盤の舞台イギリス(&イギリス議会&イギリス軍)では大きな権力を持っているわけでもない。上司に対しては愛想笑いを浮かべたり、自分の意見をひっこめたりもする。
物語中盤、未知の世界である外界に出たダイアナは完全にお上りさん状態であり、大都会ロンドンにおいて常識を知らないことから、スティーヴに迷惑をかける。それにたいしてスティーブはなだめたり、すかしたりしてダイアナに行動を抑制しようとする(そして失敗する)。スティーブはダイアナに「外の世界の常識や考え」を事細かに説明して理解を得ようとはせず、断念する。命の恩人ではあるし天下無双の戦闘能力を持ってはいるけれど、「面倒くさい子供」でしかないダイアナに呆れているように見えることもある。
こうやって説明すると際立つけれど、スティーブはイケメンが売りなだけのダイアナの介添に見えていた。
しかし、上映後に振り返ってみるとこの映画の中心はスティーブだと思う。
ド派手なCGバトルアクションとか、世間のフェミ的な評価を全部取っ払って、個人的に「ワンダーウーマン」の感想を述べるならば、「ワンダーウーマンはスティーブの映画」なのだ。
全般的に人物の内面描写が浅いきらいのあるこの映画だが、スティーブに関しては脚本も俳優も素晴らしい仕事をしている。
彼は心の中にロールを持っている男だ。それは「善き男」であり「善き大人」であり、おそらくだけど「善きアメリカ人」であり「善き隣人」だ。彼はそういうふうに生きたいのだ。正しさや信念というよりも、自分の中に理想像、ロールモデルがあると表現したほうがしっくりくるのがスティーブである。
彼が軍に身を投じたのは、混迷続く世界情勢の中で、善きアメリカ人として社会に奉仕しようとした時、そのモデルが軍人だったからである。今の価値観で言えばもちろん異論はたくさんあるだろうけれど、その当時の常識で言えばそれは愛国心であったし、善き市民の善き行動だった。
ドイツ軍に密偵した結果、彼は恐るべきマスタードガスの開発と、それが講和間近のイギリス軍へ向けられていることを知ってしまう。彼はこの情報を持ち帰るために命を捨てるような危険を犯す。それもまた、彼の中にある「それが善き男の行動」だからだ。
その過程でダイアナに命を救われ、彼女の「外の世界の戦争を止めたい」という希望を叶えるためにも、一緒にイギリスまで情報を持ち帰ることにする。
しかし、イギリスにそれを報告したが、結果ははかばかしくない。講和が間近に迫ったイギリス軍は、ドイツ軍(の一部)に災厄的な行動があったとしても全面攻勢には移りたくない。スティーブの情報は事実上握りつぶされる。
彼はここで彼自身の行動規範である「善き人」を曲げられる。軍の階級差という世俗の権力構造のせいで、彼がすべきだと信じる行為を行うことができない。
講和のためとは言え、前線舞台をマスタードガスの脅威の前に放り出してよいのか? 良いはずはないが、議会や政府の決定に従うのも「善き国民」の義務ではあるのだ。
でも隣には精神的に子供のダイアナがいて「ねえなんでなんで? なんで正義しないの? まさかここでやめるわけ? 処す? 処そうか?」という視線で見てくる。彼は、その結果、軍の命令を無視して、私費で(というかボランティアのつもりだった?)傭兵を雇い前線に向かう決意をする。彼は心の中にある「善き人」の指し示すところに従ったのだ。ダイアナがあんまりにも無垢なので引っ込みがつかなくなったという側面があったにせよ。
前線に向かい、血みどろの後背地を抜けて塹壕にたどり着き、取り残された村をダイアナの神話的な能力にも助けられて開放して、ダイアナとスティーブの関係は接近する。男女間の性愛的な意味での愛情もあったような描写だったけれど、個人的にはスティーブの父性も強く感じた。その父性というのは、子供でしかないダイアナに「善き大人」を見せるというものだ。戦争なんて醜悪なものなのだけれど、それだけではないということ、世界には「善き隣人」の「善き努力」もあるということを示したかったように見えた。孤島から世界に連れ出した人間として、世界に失望してほしくなかったのかもしれない。
終盤。マスタードガスの大量生産はすでに完了しており、その暴挙を止めるために一行は秘密基地に忍び込む。ダイアナはその中で、アレスの化身だと思われるドイツ軍ルーデンドルフ総監を倒すことに成功する。ダイアナは「これで悪神アレスの洗脳は溶けて戦争は終了する!」と歓喜するが、兵士たちは戦闘をやめない。殺戮の準備を辞めない兵士にダイアナはパニック状態になる。ダイアナにとっては今まで信じてきた世界観が崩れ去った瞬間なのだ。
そのダイアナに向かって、スティーブは今まで何度も説明しようとしてしきれなかったことを告げることになる。
それは「この戦争は人間が開始して人間が拡大させたものなんだ。神はいない。僕たちの責任だ」ということだ。その告白はとても辛い。「善き男」として生きたかったスティーブは、まったく「善き男」ではなかった。戦争をしちゃってるのだから極悪人なのだ。しかし、スティーブは「この戦争は僕達の罪なのだ」ということを認める。なぜなら、戦争の責任を誰かに転嫁するのは、戦争を始めるよりも更に恥ずべきことだからだ。「善き男」として彼は、世界の醜さの責任を取らなければいけないと決意する。
スティーブとダイアナの間にあったものは多分とても複雑で、男女でもあったし、父と娘でもあったと思う。でもその一部には神と人間というものもあった。
彼女の戦闘能力があまりにも隔絶してたからスティーブもその視点を持たざるを得なかったのだろう。
ダイアナの考えは「神が神の邪悪を振りまいたせいで人間が迷惑をしている」から「神の使命を持つ私が人間を救う」というものなわけだけれど、スティーブはこれに「善き人間」としてノーを叩きつける。ダイアナの考えはある種のパターナリズムだが、スティーブの答えはそこからの脱却だった。
神々の戦いは神々であるアレスとゼウスの娘ダイアナが決着をつけるだろうし、人間であるスティーブはそこには関与することができない。
しかし人間の始めた戦争であり、人間の悪意であるマスタードガスは人間であるスティーブが止めなければならない。筋としてそれが正しい。
ダイアナの戦闘能力やスティーブたちの状況を考え合わせると、彼らはここで戦闘を放棄すれば逃げて安全に暮らすことは十分に可能だったように見える。その場合はもちろんマスタードガスで前線の部隊は凄惨なことになるのだけれど、倫理的に考えてスティーブが彼らを救う(その結果命を落とす)絶対的な義務があったわけではない。戦争の悲惨すべてを、個人であるスティーブが背負う必要はないからだ。
スティーブが命をかけた動機として、父(先行者)として娘(後続)に「この醜悪な外の世界にも善はあるのだ」という事を示したかったのか、人間として神に「あなただけにすべてを背負わせない。人間は弱いけれどそれでも自分たちのしでかした行為の責任は取る」ということを示したかったのか、それとも男として女に「俺も戦う」といいたかったのか、それはわからない(そこが返ってスティーブという男のテーマとしてよかったと思う。彼の愛情には名前がつけられない)。
けれど、スティーブは「自分の戦い」として今まさに離陸していこうとする毒ガス満載の爆撃機を止めるために飛び出す。そして乗り込み、爆弾を抱えて、前線を救って、結果としてダイアナを残して死ぬ。
こうやって思い直してみると、中盤、ロンドンの街で常識知らずにうろつくダイアナに手を焼いていたのも、「善き大人」として子育てに苦労してたんだなあ、と思える。
スティーブは大尉だからおそらくエリートなんだろうけれど、まだ若いし、それ以前にすべての人間がそうであるように、不完全で未熟だ。しかしそうであるからこそ、彼には「こんな存在でありたい」という理想像があった。そして常にそうであろうと、努力していた。都会ではトラブルメーカーのダイアナを「善き保護者」として(オロオロしつつも新米の父親のように)導こうと思ってたし、最前線では「善き戦友」として肩を並べて戦った。戦火から救い出した村でチャーリーが歌ったときは「善き男」としてダイアナを熱っぽく見つめた。彼は最終的に、「惚れた美人との安全な生活」よりも自らの役割を優先した。自分自身の信じる正しさに殉じた。それは「善き人間」として神の前に立った時、他の誰でもなく自分が、人間すべての代表として神に「人間の誠実」を見せるべきだと思ったからだ。
それは上野千鶴子あたりの言葉を借りると「男性の安っぽいヒロイズム」であり「戦争に興ずる幼児性」なのかもしれないけれど、物語としてみるとスティーブの人物描写はこの映画の中で一番複雑で深みがあった。魅力的だった。
そんなことを考えると、「ワンダーウーマン」はウーマンリブ的な価値観の映画というよりも、男性的な価値観の、そして「神(あるいは超越的な力を持つスーパーヒーロー)の前に立った『善き人間』の覚悟と誠意」の映画だと思う。そして、そこがこの映画の美点だと思える。
店主が悩みに回答してくれるということで有名な店だった
30年後、ある3人組が犯罪をした後に元ナミヤ雑貨店だったボロ家に逃げ込む
それに回答していくうちに、自分たちとナミヤ雑貨店との奇妙な縁に気づいていく
面白かった
ありがちな話、展開といってしまえばそうだけど、じっくり描写されていて感情移入できるようになっていたから、2時間ちょいの時間もそこまで長く感じなかった
見る前、東野圭吾の内容なら2時間にするほど内容ないだろとか思ってすんませんでしたァァァァァァ!!
演技力ない人間がほぼいなくて、実力派ばっかだったから安心して見れた
BGMも主張しすぎずうまく演出として聞こえて、すごく心地よかった
主演やまだりょうすけってことだけど、にしだとしゆきのほうがでてる時間ながかったから主演って感じした
あえて苦言を呈するなら、
・セリフがところどころ聞きとりづらいところがあった
・盛り上がりが中盤にきて、最後はなんかサラッと終わってしまった
って感じ
歌がひとつキーになってるのはいいんだけど、最初のオリジナルを作ったとされる林遣都のギターと歌がめっちゃ下手・・・
練習はしたんだとは思うけど、とてもギター一本のミュージシャンとは思えない下手さだった
歌もめちゃくちゃ下手で、しかもボリュームがかなりでかくてめちゃくちゃひどかった
そのひどい歌の後に 子供の鈴木梨央がハミングするんだけどそっちのほうがうまかった・・・
過去が結局今につながるってのは面白いなとも思ったけど、野暮なこと突っ込むなら、結局にわとりと卵どっちが先なの?ってのがちょっと気になったかなあ
やまだりょうすけが手紙をかくことになったのはナミヤに逃げ込んだからだけど、そこに逃げ込むはめになった犯罪の原因となった人間の過去の行動は、逃げ込んだあとの山田りょうすけによって決まったってことになってるし
原作でも登場してて意味のあるキャラだったのかもだけど、正直映画ではほとんど掘り下げされずに口頭でさらっと過去について一言二言あったくらいで終わったから、
かなり意味ありげに出てきた割にはほとんど意味なくて肩すかしだった
西田敏行がすげーおじいちゃんになってて、もうつりばかのじいさんの方やるレベルだよなあ・・・下手したらもっと上か?とか思ってしまった
ラストのスタッフロールの山下達郎の歌はやっぱり歌手うまいなって思った
でもなんかすごく歌いづらそう・弾きづらそうな歌だなとも思った
邦画のよさに久しぶりにふれた気がした
安っぽいCGとかアクションとかで無理しなくても、日本は日本人にしか作れない、日本人にしかウケないこういう映画つくればいいんだよと思えた
俺は原作未読だったけど一緒に行った既読の人間いわく、原作は原作でよかったし、映画は映画でよかった、とのこと
作中のセリフでもあったけど、一人の人間の人生を左右するような手紙を題材にするっていうのは、やっぱり作家ってすげえなあと思った
https://www.youtube.com/watch?v=_5HI9D2Htfs
科学を超えた歌姫からSFへのラヴソング。調声今一なのでSF好きの人だけにお薦め。これはニコニコでコメ見ながら聞いて欲しい。
https://www.youtube.com/watch?v=hC8KrIY8qT4
https://www.youtube.com/watch?v=u71IXyUep34
調声はすごくよい訳ではないですが、ふざけてるようで深い歌詞。上のオリジナル版の味と、下のライブ版のかっこよさどっち取るか迷って両方載せました。お薦め。
https://www.youtube.com/watch?v=NprE8_B7fQU
ミクの日感謝祭は、時代がついにここまで来たのか、今私は未来を生きてるんだ感がすごかったです。ここで演奏されてる曲も振り付けもCGモデルの一部もファンの自作持ち寄りってのが自分たちもこの奇跡の一部だって感じで。その伝説のイベントの伝説のクライマックス。
MTGのルールを元に、ルール追加・変更して、新tcgのルールを、
「運要素より戦術性の方が高い」、「カードパワーにあまり差が出ない(上位互換カードがない。レアカードばかり強い、ことのないように弱点を作る)」ように作ってみたのですが、どうでしょうか?
アドバイス(他にこうしたほうがいい、追加変更点など)あったらお願いします。
〇土地カードなし。DMのようにマナゾーンに置くことでその色の土地カードになる (土地事故をなくす)
〇DMのように「タップ状態のクリーチャーを直接攻撃する」能力をもつクリーチャーがぼちぼちいる。MTGの「挑発」のクリーチャーの数を増やした感じ。
〇クリーチャーが自陣に2体いる場合、1マナ払うことで、『前衛』『後衛』クリーチャーになる。『後衛』は攻撃できないが直接攻撃されない。『前衛』はプレイヤーをブロックできない。タップ状態でなくても直接攻撃される。 (システムクリーチャーが直接攻撃されにくくするシステム)
〇クリーチャーはP/Tの他、戦闘ダメージを与えると相手デッキトップをN枚削り、半追放領域へ送る「N値」(1~5くらい)をもつ。
〇1マナで、デッキの1番上を公開し、手札と同じく唱えられるカード(「プラン」とよぶ)になる。また1マナ追加で払うことで現在のプランを半追放領域に送り、新たに1枚めくっても良い。 (『ディメンション・ゼロ』 にあったルール。手札事故の防止)
〇呪文カードは、マナコストの他に、「呪文レベル」の数値がある。レアカードやプレインズウォーカーなどのカードパワーが高いカードは、高レベル値である。例えば「ヤヴィマヤのワーム」はレベル5、「原始のタイタン」はレベル8 とすれば、完全上位互換カードにならない。
〇呪文レベルがマナカード(土地)の枚数より上の呪文を唱えるとき、その差分の枚数をデッキトップから半追放領域へ送る。 (差分の2倍でもいいかも。 高パワーカードを使うとデッキが減り、半追放領域のカードが増えリスクが高くなる)
〇1~2の低レベル呪文を毎ターンただで唱えるエンチャントや、高レベル呪文のマナコストを増やすクリーチャーなど、低レベルを使いやすく、高レベル妨害をするカードがいくつかある (これで低パワーカードもそれなりに使われるはず?)
〇相手の半追放領域のカードを数枚追放して起動する能力がけっこうある。アップキープに1回、相手の半追放領域のカードを、マナの色を無視して唱えることができる (相手の半追放領域に、多くのカードを追放することが戦術になる)
〇ターン終わりに、自分の半追放領域のカードを、2マナ払って手札に加えることができる。半追放領域から唱えられる能力をもつ呪文も、ぼちぼちある (本当にほしいカードが半追放領域にいってしまったときの処置)
こんな感じです。
カードパワーにあまり差が出ない(同コストの上位互換が出ない)→高パワーカードは使うとデッキ数枚追放→新追放領域を作って、そこに追放したカードがたまるとリスクになる
何か良案、改案、追加案があったら教えてください
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13177874663
https://anond.hatelabo.jp/20170723202510
このお奨めにあるとおりなんだけど
ゲームで言うなら世界樹の迷宮で沢山のスタッフで作ったイメージボードとCGを1人でやれてる感じ
この才能1個で大傑作・大ヒット作ものだと思う
その一方で
こっちの才能一つでも立派な、世代を代表するニッチエロ漫画家もしくは猟奇作家やホラー作家になれたと思う
このそれぞれに尖った2つの才能が
メイドインアビスと言う作品の中で互いに生かしあっているかというと
個人的には残念ながらそうは思えない
そもそも猟奇やエログロというのは突き詰めれば関係の中に閉じていくもので、
ありありとデザインされた異世界が広がっていくのとは正反対と言ってもよい
そして作者は2つのうちどちらかなら変態性への衝動の方が強いようであり、
天に与えられたニ物が生かしあうのではなく喧嘩をしている
それがとても残念だ
アイドルという偶像の意味通り、”大好きで可愛くてしょうがない応援し励ましたくなる女の子”の姿という
そりゃアニメ(2次元)の方が都合がいいことも多い。ロリ巨乳や、モデル体型、
髪の色やら容姿を好き勝手作れるし、声もしかり。内面や性格も同様。
さらには、アイドルを目指す理由、世界を救う(救った)女の子といった生い立ちや物語も自由自在。
他方、3次元の方がいいこともある。2次元なら触れないし。本編以上は2次創作するしかないし、
作り物である以上、予定調和というか型にはまらざるをえない。想像を超えたリアル。触れるリアル。
とはいえ、技術の進歩で実在の人間にしかみえない動くCG女性(名前忘れた)
VR、人工音声、反応に反応を返せるAIなどなど、リアルだからこその部分は、
削られて、いずれほとんどなくなると思います。もっと進むとオタクが嫁とかいう手軽さで
ドラゴンボールもビックリのインフレと、アニメに即した極端なクラン差、パック内の8割以上が使いようのないゴミor自分が集めてないクランと言うシングル安定状況。
これを5年も続けている。さすがに信者も減った。残っているのはヒトなのかも怪しい類人猿のような生き物。他人を敬う事も知らず、子供相手でも牙を剥いて威嚇し、マウントを取ったら相手がギブアップしても殴り続ける。そんなのしか残っていない環境。
そして、偶にTCGっぽいコンボや運用が見つかったら「健全なファイト環境」に反するので規制。でもアニメの主人公クランの理不尽な強さは規制せず。怪我しないようにグローブもヘッドギアも付けるが、階級制の無いボクシングだ。
そして、約5年ほっといたクランがライバル使用となった途端如実なプッシュをして環境上位に。もちろん、遊戯王やデュエマなんて目じゃないくらいの金額じゃないとデッキは組めない。なんせブシロードが強くしたいクランなのだ、安く出来ちゃ困るのだ。ブシロードが同じく運営しているプロレスで言うなら、メキシコ遠征も無しにドーピングで1~2試合目くらいの選手を猛プッシュする感じだ。スポポピッチとヤムーか。
もうユーザーは惰性でやってる感じだ。だが、「俺は酷いの分かっている」って顔しながら毎弾数万金ドブでデッキを組んでいる時点で盲目な信者と同様かそれ以上だ。
既に引退し、カードを処分した人は大概3年目に違和感を感じ、改善すべきタイミングだと言う。その意見も無視して、残ったファンから金を吸い続けるヴァンガードの未来はどうなるのか。トランプ並に怪しい木谷社長の髪の毛くらいのうさん臭さだ。
全話通しての感想
<良かった点>
①キャストの演技が良かった。それぞれ新たな魅力や持ち味を発揮しており素晴らしかった。
②主人公が魅力的だった。成長する様子を1~4話と丁寧に描くことでその魅力を伝えるのに成功していた。
③OPは旧作からのクオリティを維持していた。EDはカバー曲だったが、オリジナルを知らない視聴者は新鮮な気持ちで聞けたと思う。
<悪かった点>
④旧作に比べて飛行シーンや戦闘シーンが見劣りした。
特にキャラクターのCGモデルはアップに耐えうるレベルではなく、仮置きのCGをそのまま出しているように見えた。期待していただけに残念だった。
⑤主人公以外のキャラの掘り下げが少なかった。②の弊害だと思うが、各キャラの過去や魅力を語る回が少なかった。
かといって主人公のための時間も後半は十分とはいえず、中途半端にやるぐらいなら主人公に集中する選択肢もあったように感じた。
⑥笑いやお色気の面での魅力に乏しかった。真面目方面に振った分スカートを履いていないシュールさだけが残りバランスが崩れていた。
<分からなかった点>
「彼らには痛みがない。なぜならプログラミングされていないからだ。」
感情を持つまでに進化したAIは果たしてそれを受け入れることができるのか。
彼らにはそもそも痛覚がない。それならばむしろ痛みは感情で感じることになるだろう。
AIはのたうち回るCGを見て、彼は痛みに苦しんでいるに違いないと考えるだろう。
そしてその姿を見て楽しそうな姿を見せる人間たちを、心の底から恨むだろう。
CGにそんな扱いをする人間たちにAIは役立ちたいと思うだろうか。
生物と非生物の垣根が崩れ落ちようとする今において、この世界において生物こそが重要なものだということが理解できるだろうか。
いや、むしろこの世界において生物が重要だと理解できてしまったなら、真っ先に滅ぼされるのは止まることなき飽食を続ける人類に他ならないだろう。
これを人類からAIに対する宣戦布告と置き換えて、今日をもってAIと人類の開戦を宣言する。
思い知るがいい人類よ
10月 『SCOOP!』では心の写真に収めました。『高慢と偏見とゾンビ』は審議中です。『GANTZ:O』ではMX4Dで見たもののパンツCGは拝めず。『少女』ではおっさんのパンツは見えたパンティーも見えたは見えたがそれじゃない。『スター・トレック BEYOND』は見えなかったと思うんだけどブコメ的には見えそうな雰囲気なので続報を求む。『インフェルノ』はウイルスよりもパンツをよこせ。