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大学の国際競争力強化を狙った「スーパーグローバル大学」(SGU)構想。文部科学省の肝いりで始まったが、選ばれた大学が不満を募らせている。国の支援が想定より少ない上、予定していなかった仕事も次々発生しているからだ。
「これじゃまるで『SGU詐欺』だ」。東日本の大学トップは「びっくりするほど支援の額を値切られた」と話す。
SGUは世界に通用する研究や国際化を進める大学を重点支援するため、文科省が2014年に募集。104大学が計画を提出し、37大学が選ばれた。「世界ランキングトップ100を目指す力のある大学」(タイプA)は最大で年5億円、「グローバル化を牽引(けんいん)する大学」(タイプB)は最大年3億円を、それぞれ最長10年間支援する。
だが、15年度の平均支援額は、タイプAが2億8800万円、タイプBは1億3100万円。1億円未満も5大学あった。「あれだけぶち上げておいてこれか。文科省は風呂敷を広げすぎ」(西日本の大学幹部)。「今も納得していない。でも、『文部科学省さま』に文句は言えない」(関東の私大の担当者)。さらに、各大学への交付額は未公表で、「あの大学はうちより少なかったようだ」などと臆測が飛び交う。
各大学に昨秋、文科省からメールが届いた。会議やシンポジウムでは、「SGU」ではなく正式名称を使うようにとの内容だった。札幌学院大が「SGU」を商標登録しており、「SGUを使用した場合、商標権を侵害」と書かれていた。東日本の大学の担当者は「印刷物を刷り直すはめになった。完全に余計な出費。最初に調べておいてほしい」と怒る。
さらに、文科省の定める英語での呼称は「トップグローバル」大学。「スーパーグローバル」は英語では普通は使わない表現だからだ。西日本の大学の担当者は「なんで国内向けはわざわざ妙な名前にするのか。海外向けに翻訳する際、直す手間がバカにならない」とあきれる。
テレビ番組で英会話講師を務める鳥飼玖美子・中央教育研究所理事は「英語では、『グローバル市民』なら国連などでも使っているが、『スーパーグローバル』なんて言い方はしない。『トップグローバル大学』と言えないことはないが、あまり聞かない」。事業自体についても、「そもそも海外ではグローバル人材という概念がないし、グローバル化は否定的にとらえられることもある。グローバル人材育成という発想が、グローバルでない」と指摘する。
■「背伸び」した計画も
SGUに選ばれたくて、実現が難しい計画を立てた大学もある。東日本の大学の担当者は「海外の大学と留学の協定を結ぶことや、受験生受けを考えると、『国のお墨つき』がないと不利。計画をちょっと『盛って』しまい、精査して青くなっている」と話す。
計画には、留学生の割合の数値目標も盛り込まれている。現在、海外からの留学生の授業料を減免する大学が少なくない。学生の定員は決まっており、留学生が増えるほど授業料収入に響く。例えば、授業料100万円の3割を減免する場合、留学生の受け入れを2千人増やすと年6億円の負担増になる。「『もうからない』学生の割合が増え、経営体力との勝負になる」(西日本の大学)。減免措置の見直しを検討する大学も出始めた。
SGUに選ばれた多くの大学が外国人の教員の比率を上げる目標を掲げた。ただ、外国で教育研究歴のある日本人でも「外国人教員等」として比率に含めることが可能だ。「外国人教員の確保は大変なので、日本人で達成すればいい」(関東の私大)という、「数あわせ」も頻発しそうだ。
■当初より採択大学数増え…
事業を担当する文部科学省高等教育企画課の担当者は、支援額への不満について、「大学から直接少ないと言われることもある。財政状況が厳しく、予算を思っていたほど確保できなかった上、当初予定していた30大学より採択大学数が増えたので、1大学当たりの支援は少なくなった。『最大で』の金額が、誤解された面もある」と説明。「スーパーグローバル」の呼称については、「和製英語。でも、分かりやすいし、インパクトのある表現だと思う」。外国人教員の比率を巡る大学の対応は、「グローバルな日本人であれば問題ない。外国籍でなければならないということはない」。計画を『盛った』大学の存在は想定外で、担当者は「ちゃんとやれないなら理由を説明してもらうことになる」と話している。(石山英明)
http://digital.asahi.com/articles/ASJ4T5DB4J4TUTIL04W.html?rm=514
<取り違えられた男性A>3歳時、育ての父親が死亡→貧困→中卒で働く→(血縁の無い)兄を介護しながらトラック運転手 <もう片方の男性B>小中学校時代から家庭教師→大卒→不動産会社の社長 ※弟達が男性BをDNA鑑定→血縁無し→取り違え発覚→病院「謝罪しない!」 #NTV— さくや@Japan (@sakuya7) 2013年11月28日
60年前、生まれた病院で「取り違え」貧しい他人の家庭で育った 男性の人生を考える 実の親は裕福だった いまはトラック運転手 いまさら「真実」が分かっても… | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]
はてなブックマーク - データえっせい: 都道府県別の大学進学率
都内有名大、増える首都圏高卒 30年間で1.4倍に:朝日新聞デジタル
地方高校生に「東京離れ」 仕送り負担、地元志向強まる:朝日新聞デジタル
NEWSポストセブン|早慶が関東ローカル大学に!? 地方出身者減で学生レベル低下
http://kanakotakayama.blog.eonet.jp/default/2016/04/post.html
堀江氏は、ご自身の刑事裁判で最高裁判所への意見書の提出を依頼した相手を「バカか」と評したのです。しかし、このことが意図的であったとは考えにくいように思います。
堀江氏は、上告審での意見書の執筆者と、今般の評価の対象者とが同一人物であることを認識していなかった可能性があるのではないでしょうか。
自身が刑事裁判の当事者になる機会は珍しいです。そして、堀江氏の記憶力が悪いということはないはずです。
それにもかかわらず、人物の同一性に気付かなかったということは、学術研究のあり方や大学の最新の状況といった問題について堀江氏が特別に詳しい知見や問題意識を持っていたわけではないことを示しているように推測します。
当該ツイートは、必ずしも周到な事実関係の確認や検討に基づいたものではない、カジュアルな書き込みだったのではないでしょうか。
この人がお人好しなのか、何かの戦略があってあえてそうしているのかわからないが、ネット上では相手の言動を悪意にとることの方が多いので、ある意味さわやかに感じた。
そう思っていたところ、この件についてNewsPicksで堀江貴文氏自身がコメントしているとどこかのブコメで見かけたので、読んでみた。
https://newspicks.com/news/1478769
炎上狙いなんて馬鹿なことを言ってるクソピッカーがいるな。腹立つな。炎上してPVが増えてもクソの役にも立たんわ。
純粋にアホな事いってる大学教授にアホだなって言ってるだけだわ。(略)
私大への流出云々言ってるらしいが、だいたい国立大学法人は独立採算を前提にしてるわけだし、つまり将来的に民営化されるので私大と国立大学の区別はなくなる予定なわけだよ。
この人は「京都大学」とか「旧帝国大学」的なブランドとかにしがみついてるぶら下がり野郎にしか見えないんだよね。
かせぐ能力がない人を養う必要がある的な書き込みを見るけど、やってもいないのにそういう事いうのはどうかなあと。
ある程度は自分で稼げるようになるってのはこれからの社会では必須の能力なんじゃないかなーって思うんだよね。
そういうのが出来ない障害を持つ人は別だけど、この人は見てる限り自分でそこそこ稼げると思うのよ、これだけ炎上してるわけだし。
……。
これ、刑事事件で被告人の無実の主張や悲惨な身の上話を信じて裁判長が無罪にしたり、罪一等を減じたりしたけど、当の被告人はアッカンベーって話じゃね?
高山教授、人を見る目がなさすぎじゃね?刑法学者として致命的じゃね?
高山教授がそこまでお人好しじゃなく戦略でやっていたとしても、「寛大な態度を示せば相手もなびいてくるだろう」と思っていたということなわけで、結果上のような反応なわけだから
やっぱり人を見る目なしってことでしょう。
それなりのグレードのマイカーもあり
仕事が定時に終わってるわけでもないのに
俺なんか40歳未婚なんだが、将来結婚できたとして、結婚式、披露宴、二次会を開く資金すらなく
子どもが大学に行きたいといっても学費や生活費仕送りできるなんてとても思えない。
俺自身が定年間際まで奨学金を返済しなくちゃいけなくてカツカツの生活してるのに
うちの親は子供二人とも大学入れてくれて、月10万の仕送りして、さらに学費は別に払ってくれたが。
そもそも何でみんなマイホームを欲しがるんだろ?
それがわからない。
マイホーム、マイカー、子供を私学に通わせる…夢のような世界だ
もう結婚はしないだろうが、うちの姪っ子がもう少し大きくなるころまでには
でも、このままだと姪っ子も大きくなったら女性兵士として兵隊に取られちゃう可能性が高いのかな。
もしくは慰安婦とか生む機械としてお国に貢献しろって言われるのかな
俺は無力だ…
離婚してやっと冷静になって思ったことは洗脳されてたってこと。
私は酷い目にしか遭わされてなかったし、好意を全部無下にされて暴力まで振るわれていたのに自分が悪いと思っていた。
今でも戻らないとだめなんじゃ無いの?とか夢で夫と通った学校の日々を見たりする。
思ったんだけど、これって夫婦だけでは無くブラック企業とか虐待児童、宗教とかも同じなんだろうね。
慣れたり、あの時よりはマシだと思ったり、自分が悪いんだろうなと逃避したり。
脳がダメージを受けないようにか思い出すのは小学生の時の事だったり、近日中の事なのに何て暴言を吐かれたかとかあんまり覚えて無いし。
ストレスでしなないように適応してしまうので逃げ出せなくなるんだろうね。
ここで気が付いたんだけど、私大学を卒業して2回ブラック企業に勤めたんだよね。
で思ったことはDVやブラック企業に勤める人間は好みがソレというわけでは無くて、忍耐が強かったり、適応してしまう人間なのだと思う。
しかし、捕まってしまう人間は気のせいだと、自分が何かしたのだと思ってしまう。
それ故、若い人の方が被害者になりやすく、加害者は被害者を孤立されようとするのだろう。
ところで、DV等の相談電話、あれあんなに料金が高かったら身内にすぐバレて問いつめられるんだけど?
本気で相談聞く気有るの?
高2の時の進路相談でウチの高校は98%の生徒が大学へ進学する(96%がAO入試や指定校推薦)なため就職するという選択肢はなく、自然と進学することを選んだのですが、受験を意識したのは高3の8月でした
人気校は校内で評定平均の争いが激しくニッコマレベルの大学でも評定4.6ないと推薦してもらえないような現象が起きており、元々評定3程度しかなかった私は一般受験で大学へ行くことをキメました
私は、高3の時に志望していた偏差値50台前半の大学に落ち、浪人させてくれるように親に頼みましたが親に浪人はクソだ絶対にさせないと言われ、田舎の偏差値40台後半の高校を卒業後、3月の後期入試で偏差値35(河合塾)の底辺私立文系に一般受験で合格し現役で進学しました
しかし、無理やり入学した大学だったので全く興味のない学問と2ちゃんでの叩かれっぷりと学内の暗くて無気力な雰囲気と推薦で入ってきた同じ高校の知り合いの馬鹿さ加減に嫌気がさし、大学再受験することを誓い6月から学校へ行かなくなりました
予備校へ話を聞きに言ったりもしましたが途中からはキツイなどと言われ8月までは参考書を使い独学で勉強をしていました、
9月に親がやっと納得したので大学をやめ、学年で唯一浪人している友達が通っている駿台へ話を聞きに行きました
そこで私は政治経済選択で私立を受けると言って、私立向けの政治経済の授業があると聞いたので入学したのですが入学した途端に「政治経済の授業はない」「私大の政治経済はセンターの政治経済で補える」などと言われ騙されたことに気が付きました
私は、駿台予備校を2日で退学しました。少しはお金を返して貰えたのですが7万円ほどは返って来ませんでした
そこで次に途中からでも自分のペースで進んでいける映像形式の塾へ説明を聞きに行き、次こそは間違いのないように説明を聞きそこへ入学しました
次回へ続く
今年の卒論・修論が一段落した.そこで思うのあるが,研究室で学生をみていると,学部・修士・博士を問わず,研究(者)に向いているかってのは,かなり簡単に判断できるよな.研究者として就職できるかってなるとまたコネなど色々な要素が関連してくるので一概にいえないのだが,たとえば「こいつにファースト(筆頭)で論文を書かせて査読を通せそうか」あるいはそういう人間に成長しそうかってのはけっこう早い段階で分かる.
論文の元となる調査や実験そのものには失敗がつきものなので,卒論や修論の研究が頑張った割にいいものにならないってのは,運の要素もある.しかしそこはおいといて,「そこそこ意味のある調査結果が得られた場合に,通るんじゃないかと期待を持てる論文を書けるかどうか」は,レポートやプレゼン資料や論文を書き上げる際の態度みたいなもので,かなり判断できるのだ.
その態度というのは,昔から言われている平凡な真実なのでわざわざ言うほどのことでもないんだが,結局のところ研究の目的,つまり「何を明らかにしたいのか」をしっかり考えているかということに尽きる.要は「問い」がしっかりしているかどうかということだ.
の2点な気がする.「問い」が明確に定義されているかどうかってのも大事なのだが,それは結局,先行研究を掘っていく中ではっきりしてくるものだと(少なくとも俺が関わっている分野では)言えるので,上記2点をみていればだいたい学生の資質は分かる.まぁ,見ていればっていうか,自然に見えてくるものなので,特に頑張って見極めようとしているわけでもないんだが.これらは,「目をみれば分かる」というと文学的すぎるがそれに近いものがあって,ちょっとした会話やメールの文面なんかにも如実に現れてくる.
それで最近思ったのは,上記2つの態度は,指導してもあまり変わらないんじゃないかということだ(もちろん人は変わることがあるので,見切りを付けるのが早過ぎるのも問題だが,多くの人がイメージするよりも早い段階で,簡単に見抜けるもんですよということをいいたい).
先行研究で既に明らかにされていることは何で,いま自分が取り組もうとしているテーマは先行研究からの文脈上にどう位置づけられるのかが「気になる」かどうかというのは,かなり「性格」に左右される問題なんじゃないかという実感がある.真面目な学生であれば,調べろと言えば調べるのだが,言われなくても調べるorまだ調べて無いけどこれから調べなきゃという意識を自分で持っている学生と,そうでない学生の間には,大きな壁がある.
また,「問い」が切実であるかどうかというのも,結局は「本当のところどうなのかが気になって仕方がない.だから考える」「人がまだ考えていないことを俺が考えて明らかにしてやりたい」という,ほっといても調査や考察が加速していくような「性格」を持っているかどうかで,ほとんど決まる.
勉強が好きで,「研究者」という存在になることそのものへの願望が強い学生であったり,非常に優秀で要領の良い学生であったりしても,上記2つの「性格」を本当に持ちあわせていない奴はけっこういる.そういう奴には,民間企業や,役所(事務官・技官を問わず)への就職を勧めることにしている.
たとえば,とても「知的」でしっかり教科書などを読んでいて,「研究」という活動に憧れを抱いているんだけど,自分の頭で考えたことが何か素晴らしいものであるとの思い込みが強く,他人の研究を参照する努力を怠ってしまう奴がいる.少し調べると,自分ごときの思いつきなんていかにショボイものであるかとか,すでに30年前から議論されているのだというようなことがすぐにわかるのに,それをやらない.
また,めちゃめちゃ頭がよくて努力を惜しまないのだが,何か本質的なことを「明らかにしたい」という願望を強く持っていない奴がいる.そういう奴は,たとえば大手のコンサル会社などに就職すると,極めて有能なビジネスマンになっていたりするのであるが,研究職には全く向いていないのだ.
たとえば東大の学部から大学院に来た学生は,地方の国立やそこらへんの私大出身の学生よりも優秀なことが多いのであるが,上記1と2を持ちあわせない東大生は,結局のところ研究者としては,それらを持ち合わせる他大出身者にかなわないのだ.東大生や京大生は,不向きな道に勘違いして進んでも,脳のスペックである程度まで押し切ってしまうことも多いのだが,どこかで壁に当たるというか,研究に飽きてしまうようなことも多いように思う.(しかしなんだかんだで,旧帝大出身者のほうが,上記1と2を持ち合わせる学生が多いような印象はある.頭がいいけど研究者として使い物にならない学生は,上位私大に多いかな.)
※注記しておくと,オボ何とかさんみたいなのはそれ以前・以外の問題を色々抱えていそうなので,あまり興味がない.
それで,他の大学や研究室の教官に言いたくなることがよくあるのは,研究者としての見込みの無いやつに,研究者としての自分のやり方みたいなものについてくることを過度に期待するのはやめたほうがいいでしょということだ.学生本人がどんだけ優秀であっても,どんだけ「研究者」にあこがれていても,向いてない奴には全力で「民間就職」へ向けて頑張らせるべきだ.大学や大学院は研究の場であり,研究者としての姿をみせるのが仕事だと思っている教授・准教授は多いのだが,研究に向いてる学生なんてそう多くはないのだから,卒論・修論は適当にすませておいて,就職活動をがんばるようにと早い段階で言ってやったほうがいいのだ.
あと,研究者としての見込みがないことを見極められずに,うちの研究室に学生を送り込んでくる他大の先生方にも困るときがある.まぁこっちは研究室としての学生受け入れの枠はけっこうあるから,最低限の水準をみたしていれば進学はさせるし,途中で化ける奴がいないとは言わないけど,どっちみち民間就職したほうが活躍できる人材には,手前の段階でそのアドバイスをしてやったほうがいいのではないか.
まあ,研究に向いてなくても,修士で2年間研究に取り組んだという経験が,企業に入ってからとても役にたったというような話はよく聞くので,そういうのを無くすべきとまで思っているわけではない.こっちは研究が本職だから,研究に向いてないやつに指導をして,とりあえず学位をとって卒業するためだけの論文の添削をしたりするのもダルいのではあるが,そうやって民間就職組の人生の糧になるようなものを与えてやるのも,大学人としての義務の一つだとは思っている.てか,そういう義務の意識のない,研究の世界に閉じ込もっているような先生に限って,学生の向き不向きの見分けが付かずに「無駄な進学」や「無駄なゼミ出席」を量産してるんじゃないかという気もするが,どうなんだろうね.俺はどっちかというと,「ゼミなんか出なくていいから企業説明会にでも行ってろ,単位や学位をギリギリもらえる程度に仕上げるための指導はちゃんとしてやるからな」ぐらいの意識なのだが.
そういえば学部3年から就職活動をするのが,勉学をおろそかにしているとかいって問題化していたと思うが,それもそんなに大問題なんだろうか.たしかに大学人としては,学生には,たくさんの論文や教科書を読み,データとにらめっこしながらああだこうだ悩むような学生生活を送って欲しいという思いはあるものの,結局のところ研究に向いていない学生にとっては,「そこそこ以上の待遇の会社に就職できるかどうか」のほうが人生上のインパクトがはるかに大きいのだから,もうそっち優先でいいんじゃないのかと思う.
最近進んできたように,企業が一致して就活期間を短縮すれば,同程度に就活を優先していても勉学に割ける時間は多くなるだろうが,「最初にどこに就職するか」はかなり大きく人生を左右すると思うので,就職について考える期間が長いほうがむしろいいという気がしなくもない.
というか,周りでも「就活優先でいいんじゃない?」派の人が多いので,新聞などで早期の就活が問題だと書いてあっても,そもそもそんなの問題化してたっけ?という疑問はあるのだが.
だいたい,研究職についている先生方の中にも,学部自体は遊び呆けていて院に進学する間際でなんとなく勉強し,その後なんとなく大学に残り続けているって人はけっこういるぞ.そしてそういう人が,割と尊敬に値する研究業績を挙げていたりもするのだ.そういう先生方は,本質的に研究に向いていたから宿命のようなものに沿って研究者として生き残っているのであって,「就活より勉学を優先したから生き残っている」というようなことは全くない.「この人が他人の講義に真面目に出席して聴いてる姿なんて想像できない」って人だってけっこういるしな.
ネットを中心に、情報の伝達速度が上がった結果として、親が自分の子供に与える教育や育児の水準がものすごく高くなったんじゃないだろうか
自分の養育環境を想像して、子供の環境がそれ以下でもいいと考える人はどれだけいるだろうか。
ぼくのばあい、社会の下層として生まれ育って、一人っ子の母子家庭で親は朝から夜まで仕事をしている毎日だった。高校までの偏差値は40代。
周りの環境も似たり寄ったりで、僕はたまたま大学受験で東京に出られて、有名私大に入れたから昔よりはまともだけれど、元同級生たちはお察しの生活をしている。
じゃあ僕が自分の子供を育てるとして、自分が生まれ育った環境でいいのかと言われると、そうとは思わない。
周りの人たちも、ネットを通して情報に触れている人たちは、自分が育った環境で子育てをしたいとは思っていない人が多い。
でも現実はそこまで多くの人が豊かさを享受できるわけでもないので、子供を生むという選択肢を除外することが少なくない。
貧乏で低偏差値で、子どもとの交流がなくて、親は働き詰めで周りにはヤンキーが跋扈している環境とまでは言わないけども、自分の育った環境と同等かそれ未満でも子育てしたいっていう人はいるの?
俺の略歴。
小中高といじめられっ子として華々しく成長
(買った直後の震災のおかげでいい感じに儲かり始める)
→不動産運用で固定収入が入り始める→精神的につらくて株やめる
て気づいて株やめた(資産としては持ってるけど)。
何度も金の無心してくるので「これ結婚詐欺じゃないか?」と気づいて
同郷出身でルックス的にはいい女だったけど、むだに金がかかった。はぁ。
数日に1度くらい「どこどこ物件買いませんか?」
セミリタイアってカッコつけたけど、要は年金生活者みたいなもん。
時間はたくさんあるけど、そんなに贅沢できない。
服はユニクロ。車もダイハツ。あ、車ないと生活しにくい地域に住んでるよ。
大きな買い物は地元に住む親に家買ってやった(中古だけど)くらい。
お水の女は怖くてもう近づきたくないし、風俗嬢と割りきった遊びしかない。
(ああ、某店のNちゃんいい子だけど深入りはしたくない)
まともな友人の作り方、まともな恋人の作り方、知らずに生きてきてしまった。
金の「真」の価値ってさ、人との結びつきを強めるところにあると思うんだわ。