はてなキーワード: 明日とは
(Noteに下書きとしてずっと残っていていつまでも公開する勇気無い記事)
10年ぐらい前の話。
給料が入って家のローン、クレカのリボ払いの最低これだけ払ってね支払い、カードローンの支払いをして、自分の小遣いに3万ぐらい入れたら、「あの支払いがまだだった」とか「妻様激おこぷんぷん丸級のミスをしてしまいごめんなさい」的な支出であっという間に銀行の残高が5000円ぐらいになり、あと平日20日間5000円でランチか、、、一日250円だなと考えていると通勤に必要なPASMO的なものに今月まだチャージしていないことに気づき、とりあえず3000円チャージして様子を見つつ、今月はランチ抜きか、ラッキーなら会社の先輩におごってもらえるかなとかそういう感じで生活をしていた。
給料日まであと10日、スーパーで買い物をする時に、銀行の残り残高が2000円だから一日200円、一日二食でいいや、一食100円、じゃあこの70円のパンなら大丈夫、あとこのセールの肉と野菜を買って、、、1300円!700円もあまっている!じゃあデビットカードで支払いピッ もうこれで大丈夫!
給料日2日前、仕事帰りに「あれ?PASMO的なものに残高が無くて電車に乗れない…チャージをしないと…」と気付き、チャージ用機械へ。PASMO的なカードにチャージするには、最低1000円からという設定になっており、銀行の残高が700円しかないのではいアウト。財布に残っている小銭をかき集めて、、、32円。詰んだ。
もうこんなビンボー生活は嫌だ、ホームから飛び込んでやる!と思っても、PASMO的なカードの残高が無いので、改札が抜けられずホームまでたどり着けない。ビンボーは自死の方法すら選べないのか!と怒りと悲しみで途方に暮れたあたりで、妻から何してるんだ早く帰ってこいと怒りの電話がくる。もう涙も出ないので死んだ目をして歩いて帰る。30分ぐらい歩いたところで、偶然同じ方向に帰る車通勤の同僚に会って、渡りに船で近くまで送ってもらう。神様はやっぱりいるんだなあと思って帰ったら、いつまでかかっとんじゃー遅い!と妻様に「あんたのせいで私の予定が全て狂った」とお叱りを受ける。妻もバイトをいくつか掛け持ちしているのでしょうがない。罰としてあれを買ってこいと言われ、ニヤニヤしながら「マジで金がないから無理ぽ」と言うと「使えない」とか「もっと働け」とか「それがわかってるならバイトとか探せボケ」とか色々言われるが、「バイト見つかってもバイト先まで行く交通費ないぽ」とか内心思いながら頭を下げてひたすら怒りが収まるのを待つ。
「こんなんじゃいかん!」と一念発起してがんばる人のNoteをよく散見するが、そういう人は貧困状態でもきちんと認知能力をキープできているマイノリティな人達もしくは状況にいる人である。副業やバイトするにも、最初にどうしても少しのコストは発生する。それをどう工面するか、時間をどう作るか、色々考えないといけない。
たとえ交通費・準備費用などを確保しても、「あなたは私をここまで怒らせた。あなたはいつも金がない、金がないというが、結局それは私よりもお金が大事であるという事なのだ。なので、あなたがそこまでだいーじにしているお金を犠牲にして、私があなたの犠牲にされた気持ちを理解し反省しなさい」という妻の一言ですべて吹っ飛んでしまうリスクに常に怯えていなければいけない。そして、その月末近くには必ずめちゃ金欠になり、「使えない」「バイトできないとかマジ言い訳みっともない」「言い訳考える暇があったら行動を起こすのが人間として普通、それができないあなたはダメ人間」「まともな人間ではない」「くず」「サイコパス」「悪魔」と罵詈雑言を浴びる。反省をして謝罪をしなければならない。だいたい夜12時ぐらいスタートで4時ぐらいまで。何が悪いのかよくわからないため、納得してもらえる謝罪の言葉が見つからずひたすらうつむき、眠気とのどの渇きと便意を我慢しながら、妻が疲れはてて寝ると決めるのを待つ。お前は引き続き謝罪の言葉を考えろもしくは離婚しろと言われ解放され、ほっとして少し横になる。その後、分担しているが滞っている家事を遂行し、仕事へ行ってだいたい遅刻する。息をする。水を飲む。パントリーにおいてあるビスケットを食べる。味はしないが多分甘い。自分よりももっともっと大変で辛い人はたくさんいると自分に言い聞かせる。自分はがんばらずにひたすらしのいでいるだけで、それで勘弁してもらっているのでラッキーだ。そして人前では笑顔を作る。仕事をしてランチに行くお金があるか財布を見ると、現金が200円ある。ちょうど200円で買える、食堂で一番安いメニューを買って食ってめちゃくちゃラッキーやな俺とおもう。もう財布には7円ぐらいしかないけど、今は考えない。給料出るまで家からなんか食べ物持って行かないと…とか考えて、あとXX日、家にあれとあれがあったから…なんとかなるかなとか考える。お金のこと考えると生きる事は本当に面倒くさいなと思う。午後の仕事に集中しよう、と思いながらオフィスにもどってうつらうつらする。
慢性的に貧困状態の人は、いつもお金のことばかり考えその日その日をしのぐことだけに集中しようとしてしまうため、生活や仕事をする上で総合的な認知能力が低下してしまうらしい。トンネルビジョンというそうだ。トンネルに入り込んでしまって、俯瞰的な視点から物事を見ることができない。助けを求めれば手を差し伸べてくれる人がいることに気付かない、もしくは気後れして頼めない、バイトを探したりするのに必要な時間やコストがねん出できないと最初から諦めてしまい、結局また今月やっと一部だけ返したクレカローンから借り直し自転車操業火の車をしてますます貧困になってしまう。
孤独を感じ友達がいない事に悩んでいる人は、トンネルに入ってしまったように自分が孤独な事ばかりを考え、総合的な認知能力が欠如してしまう。よって変なタイミングで変なことを言ってしまうか、考えすぎて身動きが取れずコミュニケーション自体がとれなくなってしまう。人を遠ざける・近づくことが出来なくなってしまい、ますます孤独になる。
そこまでの貧困に苦しんでいない人や孤独ではない人からすれば、何が問題なのか全くわからない。やっと返したクレカローンからまた借りるなんて、そういう馬鹿だから借金まみれになるんだ自業自得で自己責任でしょっていう感覚になる。考えすぎなんだよ、別に他人はそこまで気にしないよ、あなたが思っているほどあなたは孤独ではないよ、と本人以外は思っていても、悩む本人はトンネルビジョンに入ってしまい、周りが見えない。前にある光に向かうか、遠ざかるかの2択しか見えないので完全にフリーズしてしまうか、ドツボにはまるようにトンネルの奥へ奥へと向かってしまう。
そうやって孤独や貧困のドツボにはまった人は、他人からの助けがない限り、自傷か自死をしていくか、「無敵の人」になる。「生まれてきてごめんなさい」といって死ぬか、開き直ってもう何を言われても私のせいではない、そんな事で怒るあなたの方がおかしい、私は言われたことをやっているだけ、私は悪くない…私は悪くない…と思い込まないと正気が保てなくなる。自分の命はちっぽけでつまらない事はわかっているから、死ねばいいんだ。せめて生きてる間ムカついた奴をできるだけ多く道連れに、全く関係ない他人が巻き込まれてもしゃーない、どうせこの世は理不尽なんだから。銃を持つものは無差別射撃を計画し、車を持つものはできるだけ人込みの多い交差点へ突っ込み、一縷のやさしさを捨てきれなかったものは出来るだけすぐ見つかるが確実な方法で自死を図る。
かという私も、なんとかしてその日々を乗り越え、スーパーに行っても銀行の残り残高と次の給料日までの日数をかぞえて「一日何円なので、明日はこれ、その次はアレを食べてなんとかもつぞ」っていう計算をしなくてもよくなった。今ではスイーツ売り場にならぶケーキやまんじゅうにうっとりし、半額のシールが貼ってあればお金の心配ではなく摂取カロリーの心配をする日々である。とてつもなく楽である。
ただ生きるのは格段に楽になった。でも幸せかどうかは、もう何を基準にしていいのかわからない。人から幸せかと尋ねられればもちろん幸せだと答える。でも実は幸せかどうかなどという事はどうでもよく、ただ貧乏だった日々に恨めしかったお金持ち(に見える人達)、例えば旅行に行ったり高級なレストランやホテルに行っては写真をSNSにアップロードして「すっごく楽しかったーお得だよーみんなも行ってみて!」とかポストしている奴に、こっそり「いつか死んだら、地獄へ行ってほしいな」と思ったりするぐらいである。自分が幸せになる事よりも、幸せな奴が不幸のズンドコに落ちてほしいという思いを抱えて生きてきた時間が長すぎて、積み重ねた怒りや嫉妬や恨みの残穢が拭えない。そういう事を思ってしまう自分も地獄に落ちるんだろう。でも自分が地獄へ落ちても良いので、今幸せなやつは罰として地獄に落ちるべきだとかいうゆがんだ正義感が止まらない。
自分がもっと幸せになってよいのであると言い聞かせるが、そうすると過度に炭酸ジュースやアルフォートを浴びるように摂取してしまったりしてなんだかバランスがとれない。今SNSで幸せアピールしてる人も、きっと落ち込む日や不安な日があったりするんだろうな。ひとそれぞれ悩みや苦しみはあって、それはもうその人にしかわからない痛みやから自分で出来る事は全然ないけど、それでもみんなが天国に行くにはどうしたらいいのかな、とか一応人には言えるようにはなった。トンネルビジョンから多分抜け出た。空が見えていて、星がきれいな夜もあれば、雨や雪が中々やまないこともある。ただ、目標を立ててそこへノイローゼのように猪突猛進して努力と友情を忘れない人たちが発する明るくまぶしい光に照らされると目が開けていられない。どうしていいのかわからない。そしてトンネルを抜けたら真っ暗になったり周りが全部明るくなって、どの方向に歩けば良いのか全く分からない。トンネルに入っていた総時間と同じぐらいの日々を過ごすと、どこに行こうかとか見えるのだろうか。ゆっくりと頑張るしかなさそうだ。
参考:トンネルビジョン、貧困やコンプレックスがもたらす認知能力の低下についてのポッドキャスト Vedantam, S. (Host). (2018, April 2). Tunnel Vision [audio podcast transcript]. Hidden Brain. NPR. https://www.npr.org/transcripts/598118226
"弱者"でなくても生きるのにしんどいことはあるし、それは認められるべきだと思うんですけどね。
朝起きて、鎧を着る。重くて動きにくいし、汚れやすいし、臭いし、最悪だ。でも、この鎧がなかったら、敵の剣に刺されて死んでるかもしれないから、仕方なく着る。
馬に乗って、王城に向かう。馬は嫌いじゃないけど、道中で出会う人々の視線がうざい。女騎士なんて珍しいからって、じろじろ見るなよ。見たいなら、自分で騎士になってみろよ。
王城に着いて、王様や王妃や王子や王女やその他諸々の偉い人たちに挨拶する。この挨拶が一番めんどくさい。笑顔を作って、丁寧な言葉を使って、敬語を使って、頭を下げて、お辞儀をして……。もう、疲れるわ。でも、この挨拶がなかったら、王様に気に入られなくて、騎士団から追放されてるかもしれないから、仕方なくする。
騎士団長から任務を受ける。任務は大体二種類ある。一つは、国境で敵国と戦うこと。もう一つは、国内で盗賊や魔物と戦うこと。どっちも嫌だけど、どっちもやらなきゃいけない。だって、これが騎士の仕事だから。
任務を終えて、馬に乗って帰る。帰り道はさっきよりもっと視線がうざい。今度は感心や羨望や尊敬や恐怖や色気やその他諸々の感情が混じってる。女騎士なんて珍しいからって、じろじろ見るなよ。見たいなら、自分で騎士になってみろよ。
家に着いて、鎧を脱ぐ。重くて動きにくいし、汚れやすいし、臭いし、最悪だ。でも、この鎧があったおかげで、今日も無事に生きて帰れたから、感謝しなきゃいけないかもしれない。
風呂に入って、ご飯を食べて、ベッドに入る。明日も同じことの繰り返しだ。女騎士のルーティンワークはこんなもんだ。つまらないし、危険だし、大変だし……でも、これが私の選んだ道だから
クラレンーッス
本日は国際反戦デー、日本においてはあかりの日、早稲田大学創立記念日、バックトゥザリサイクルの日、センチュリー21の日となっております。
また、今日、明日と魚吹八幡神社にてちょうちん祭りが行われております。
反戦って難しいですね。
戦わないことが反戦なのか、というか戦わせないことが反戦なのかもしれません。
難しいですね、相手の行動を制すんですもん。
相手が進んで行動を止める訳がないし、行動を止めるならそのメリットの提示が必要です。
結局現状戦わない人達はそのメリットがまだあるから戦ってないだけかも知れません。
殴りたいで暴れたらいろんな人に止められますが、アイツを殴っていい理由が出来たから一発でもいいから殴りたいなら止める人は一人でも減るんじゃないでしょうか。
その理由を減らすのが大事かも知れませんが、生物の営みが理由も凶暴な本能も増やしていきますからね。
どこかでその選択を取らないように自分の中で選択肢を増やすのが大事かも知れないですね。
相対的に闘争の選択肢を選ぶ理由が減ることになるかも知れませんから。
ということで本日は【選択肢の増加よいか】でいきたいと思います。
「この人はなんで勝手に違う話をするんだろう」
とか不思議に思ってた
私はこのせいで人間不信になり、グレてテレビを持って家を飛び出し、川へ投げ捨てた
それを見たお爺さんが「分かるよ」と肩を叩いてくれた、あの手の温もりが今でも忘れられない
明日はそのお爺さんの3回忌
お祈りを捧げたい
年のせいで朝5時に目が覚める。眠いけど二度寝出来ないからスマホを見ながら6時まで待つ。
子供を起こして朝食を食べさせる。
妻と子が居なくなってから玄関の掃き掃除、風呂の換気扇の掃除、資源ごみの段ボールを出しに行く。
10時にイオンモール。今日からUFOキャッチャーに並ぶずっと真夜中でいいのにのマスコットを獲りに行く。
1000円でとれなかったらメルカリで買おうと思ってたけど、結局1700円でゲット。
ショルダーバッグを物色。いいのがあったけど、アマゾンでも売っててポイントがたまってたからアマゾンでポチる。
帰って明日の朝食用に牛肉こんにゃく炒め作る。そのおかずと納豆と冷凍ご飯で昼食。おやつにパン食べる。
昼寝。
かかりつけの医者で子供のインフルの予防接種。子供たちの学校は4クラス学級閉鎖中ですごい混んでる。
二人分6000円。2回目の予約する。
息子、寿司を1回床に落とす。終盤で箸を反対にしてることに気付く。ガトーショコラをうまく食べれなくて、2回も手を生クリームまみれにする。
ポルッタ
@pol_tta
明日金曜日からエーアイ社の前で、暇空茜のアバターと名義の差し止めを求めるハンガーストライキを行います
https://twitter.com/pol_tta/status/1714969607164088368
経緯
暇空茜のボイスやアイコンは「琴葉茜」というエーアイ社のボイス合成ソフトのキャラを使っている
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ボイス合成ソフトでは「ずんだもん」が有名だが、ずんだもんの会社はヘイト動画に使われた場合、キャライメージを守るために削除依頼してくれる
でもエーアイ社は無視
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琴葉茜ガチ勢、琴葉を守るために暇空をどうにかしてくれとエーアイ社に嘆願しまくる
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命に代えて琴葉を救ってもらうためにポルッタがエーアイ社内で服毒し腹を刺しながら首吊りするも生還
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明日10月20日から無印良品の冬の期間限定商品カカオトリュフチョコが発売されるぞー。350円なのに3500円位の味がする(3500円のチョコ食ったことねぇけど!)、ちょっとびっくりするほど美味しいチョコレートが。個人的にあれ以上に美味しいチョコレート菓子は食べたことない。1袋600kcal、太るけども。最近良い事ない人は帰りに無印良品で買ってみてよ。で、「うわ、美味っ」って金曜の夜に1人でちょっとびっくりすればそれが良い事になるじゃない。
40歳、人生色々あった、というにはまだ早いかもしれないが、とうとう明日で退職する。
次の仕事は決まっていない。
仕事は嫌いだが、金を得るためには仕方がない。
しかし定時に帰りたいという願いの為に努力した結果、良くある仕事ができるからと仕事が増えた。
給料をあげられると小心者なので、罪悪感でちょっとは頑張るしかなく、仕方なく仕事すればさらに仕事が増えた。
金はもういい、仕事を減らして欲しい、仕事は嫌いだと言うも「仕事がをちゃんとする・仕事が出来る=仕事が好き」という思考回路の社長は聞き入れてくれなかった。
オンオフの切り替えが苦手なので、24時間仕事が嫌いなのに仕事のことを考えてしまう。
もとより体が弱いが体調がどんどん悪くなってきた。
真面目に仕事はするが、仕事が好きじゃないと言うのが何故理解してもらえないのか。
仕事ができると言われるが、24時間仕事の事を考えていたら誰でも同様の事はできるだろう。
仕事をしたくないのに切り替えが上手くできずに考えてしまうだけなのだ。
嫌いなものを考え続けなければいけない苦痛に心が限界になった。
医者からも進められ、退職を決意し、会社に相談したが、気がつけば小さな会社の経営の大部分を握ってしまっていたので、そう簡単に辞められなくなっており、業務の外部委託やアウトソーシングなどを行い、退職までに一年を要した。
やっと明日で開放される。
心身疲れ切ったが、医療費以外に散財することもなく、幸い小さな我が家を手に入れ、多少の蓄えも、慎ましい生活もさほど苦ではない。
飲み会関連のブクマ見てるといつも「親の愛を知らずに育った施設の子どもたち」を見てる気分になる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2243004
これとか。
上司の奢りで飲むという営みを肯定的に捉えるコメントの少なさ。ほぼない。
飲み会を、上司の自慢話に付き合うだけの無益な時間、ホステスのように上司のご機嫌をとるだけのクソな時間と捉えている人々がほとんどのようだ。
こいつら仕事できねーんだろーなー!って思う。
あるいは、ろくな職場じゃねーんだろーなー!って思う。
または、つまんねー仕事してんだろーなー!って思う。
結果として無言で座ってるだけだったとしても1食分浮いてるわけで、その時点で無益でも無駄でもないはずなのだが、それすら「付き合ってやってるんだから対価は相手が払って当然」みたいな態度に驚く。俺タダメシ食っといて「奢られて当然」なんて思ったこと一度もないけどな。
飲み会なんて、参加するだけで必ず得るものは誰にでもあるんだよ。隣に座った、ふだんあまりカラミのない同僚と世間話するだけでも何かしらのインプットにはなるんだよ。まして、先輩や上司や役員なんて経験豊富で能力が高いからこそ今その職位にあるわけで、少なくともお前より仕事ができる人々だろ。そういう人とただご機嫌をとるだけの上っ面の会話しかできないんだったら、それは単にお前が飲み会から何かを持ち帰る能力が低いってだけ。クマデを持たずに潮干狩りに来ればそりゃ何も獲れないよね。持ち帰る意志がないんだから。
上司や年長者と同席したら質問しろよ。昔話でも苦労話でも自慢話でも失敗談でも何でも話題を振れよ。そういう話がただひたすら無益だなんてことあるか? 明日からのお前の仕事や人生にとって何一つプラスにならないなんてことあるか? それが事実だとしたらお前たぶんスーパーマンか何かだけど、現実にはスーパー思い上がりだよな? 自分以外の人類全員を見下してるからそういう発想になるんだよ。
人類であれば誰からだって学びを得ることができるんだよ。何なら、その気になれば5歳児からだって学びは得られる。お前が適切なクマデを持ってさえいればな!
仕事の延長みたいなかたちで連れて行かれて、参加する人はみんな仕事の関係者で、全員が2時間かそこらその場に拘束されるってのに、「はーつまらん、はー無駄、はー無益、はやくおわんねーかなー」とか考えながらただただ2時間をボーッと壁際で体育座りしてるだけでやり過ごして持ち帰ったのは疲労感だけだとしたら、それはもう完全に自分の責任だわ。アサリやハマグリがどっちゃり埋まった砂浜に立っていながら、しゃがむことすらしなかったお前のせいだわ。
もっと自分以外のものごとに興味を持てよ。関心を持てよ。自分以外の人類に少しでも敬意を抱いてみろよ。謙虚な気持ちで他人と対峙してみろよ。そうすればおのずと、「この人は俺の知らない何かを知ってそうだ」って気持ちになるんだよ。「この人をうまく突っつけば、自分にとってプラスになるような何かが得られるかもしれない」って気持ちになるんだよ。そういう気持ちで飲み会の席に座らない限り、その飲み会はお前にとって稔りあるものには決してならない。ひとえに、お前の一存なんだよ。
人からものを教わる気持ちを持て。人からものを教わるってのは、ただ口をアングリ開けて上向いてればいいってもんじゃない。「自分は人より物を知らず、目の前にいる誰かは自分の知らないことを知っているはずだ」という謙虚さに衝き動かされて初めて人は人からものを教わることができる。「この飲み会にいる人間は全員俺より馬鹿。なにも得るものはない」なんて気持ちでいるうちはお前は成長しないしお前の給料は上がらないしお前の人生はこの先もずっとつまらないままだよ。
子供が手に負えなくなってコノヤロ~!!!って気持ちになったらSNSや動画で知的障害や発達障害の子供を頑張って育てているアカウントを見てる。
将来何の役にも立たない不良品を育てている親御さんたちの空回りの努力を見ていると五体満足で生まれ何の障害もなく元気に育っている我が子の子育てなんて全然辛くないなと勇気が出る。
アイドリッシュセブン(アイナナ)を知って今日でちょうど100日経った。
我ながらもの凄いハマりようなので、心が荒んだおっさんにこそアイナナを薦めたい。
アイナナは女の子向けのコンテンツとして男が疎外してしまうのは、非常にもったいない。
だから、主にこの文章はおっさん、そして特に子持ちのおっさんに向けて書くものになる。
何を書けばよいのか全然まとまらないうちに書きはじめたし、そこそこ酔っていることもあり収拾が付かない可能性が高い。先に謝っておく。
まずは簡単に自己紹介をしておこう。私は30代の2男1女の子どもを持つマネージャー(アイナナファンの通称)だ。
アイナナの存在を知り、メインストーリを6部まですべて読んだ後、アニメを3期(53話)最後までみて、ムビナナ(先日千秋楽を迎えたアイナナの映画『劇場版アイドリッシュセブン LIVE 4bit BEYOND THE PERiOD』)に8回通った。アイナナを知ってから全部一ヵ月以内のことである。
もちろん仕事はフルタイムだし、土日は家族サービスDayである。なにか狂気的なもの感じるかもしれないが気のせいだ。大したことはない。ムビナナに関してはもっと行っておくべきだったと反省すらしている。
仕事関係者も見ているTwitterで一ヵ月アイナナのことしかツイートしないなど大事故を起こしたのも懐かしい。(今はアカウントわけたよ)
そんな私がなぜアイナナになぜハマったのかを説明する前に、何故アイナナを知ったのか。まずはそこから説明させていただきたい。
今まで私は重課金されるようなゲームを触ったこともなく、重課金税の気持ちがわからないでいた。いわゆる落とし切りのゲームしか知らなかったのである。
このままだとなんだかビジネス的にもエンタメ的にも機会損失しているような気がしていたので、何かしらやってみたいとは前々から思っていた。
「ウマ娘は競馬のことよくわらかんし、とりあえずアイマスは聞いたことがあるからアイマスやってみるか」とアイマスをAppStoreで調べはしたが、アプリが複数出てき、そこで挫折した。まさにおっさん。
若いころはOSのアップデートなんて嬉々としてやっていたが、年を取った今、OSのアップデートなんて恐怖の対象になってしまうようなお年頃なのだから仕方がない。
身近にアイマスのことを聞けば教えてくれる知人は数人思いつくものの、そこまでする必要はないと思い続けてきたからこそ、今まで手を付けられなかったともいえる。
ちょうどそのタイミングで知人同士(この先輩マネの存在がものすごく大きかった)がアイナナの話で盛り上がっていた。「じゃあアイナナにしてみるか」とアイナナを調べたらアプリが一つしか出てこなかった。
さあこれで第一の難関である「インストール」をクリアしたわけだ。
インストールしたはよい。何をやればよいのか。やたらとメニューがあるぞ!これは冷静に考えれば当たり前で、当時は知らなかったがアイナナは8年前にリリースされたアプリだ。
そこで先輩マネージャ達が「とりあえずストーリーをやれ。ただし〇部の前にこのサイドストーリを読め」と初心者が陥りがちな罠をあらかじめ封じてくださったのである。(アイナナはストーリー+音ゲーで構成されているゲーム)
もうここまでお膳立てされたなら走るしかない、見つけ出したチャンス絶対逃せない!
ゲームシステムの解説だったり、各種グッズ関連(代行注文してもらったり映画の半券を譲ってもらったり)、過去イベントの解説をしてもらったり、過去の8年間と今をつなぐようなフォローをいまだにして頂いている。
つまり、よき先輩マネがいたことがとても大きかった。これは私の最大の奇跡だったといってよいかもしれない。その二人の存在がなければ私はアイナナを知ることすらなかったし、知っていたとしても挫折していたに違いない。
ストーリーは無料で最後までフルボイスで読めるので、ぜひお時間がある人には読んで頂きたい。最悪、相性が悪くても溶けるのは自分の時間だけである。推し活につながるかもしれない期待値に比べればたかが知れている。
掻い摘んで言ってしまうと、16人のアイドルが自分の過去を乗り越えたり、芸能界の荒波に揉まれながら成長し輝いてく物語である。
ストーリが完璧にできているかというと必ずしもそうとは言えないのだが、16人のアイドルが個性的で実に良いのである。
「16人?多すぎじゃね」と思ったそこのあなた。そう、最初は多く感じる。私もそうだった。名前すら覚えられなかった。しかし、それを乗り越えるための仕掛けが名前や音楽記号(キャラクター毎に音楽記号が割り当てられている)等にちりばめられている。しかも声優の仕事が良いことも相まって自然と覚えることができる。おっさんでも覚えられる。心配しなくてよい。ポケモンに比べれば全然少ない。昭和生まれのおっさんでも151匹程度は覚えただろ?
1/10だ。
メインとなる16人のアイドルは年齢で言えば高校生~20代前半というのも良い。数年後の自分の息子達と重ねてしまうし、新卒で入社してくる子たちと大差ない。
つまりストーリーを読むということは子どもたちや新卒の子たちのプライベートを見守るのと同義で、荒波に揉まれ、過去の自分と対峙している姿をみれば「頑張れ!」と応援してしまうのは必然なのだ。
そして、彼らには我々おっさんが仕事で目にする人間の汚さというものが全くない。清いのである。清すぎて尊いと言っても良い。メンバー同士で喧嘩していても名言が出てきてしまうくらいに相思相愛な彼らだ。自分の子どもにもこんなに思いあえる仲間ができてほしいと思ってしまうくらいだ。
そうなると、もう彼らは自分の子どもと見分けがつかないくらいに愛おしく感じてしまうのは時間の問題で、かくして私には新しく16人の息子ができたのである。きっとあなたにもできる16人の息子。
さぁ、そんな各アイドルのキャラクターも良いのだが、極めつけがムビナナだ。先日千秋楽を迎えたが、まだ上映している劇場はあるらしい。
あの映画の完成度はおかしい。狂気と言ってよい。千秋楽を迎えた後の今いうべきことではないかもしれないが、絶対に大画面で見るべきだし、欲を言えばドルビーシネマで見てほしい。
映画といってもストーリーなんてほとんどない。16人が歌って踊って合間にちょっとMCをはさみながら、ひたすらライブとして彼らがアイドルをしている姿を観る映画だ。後述するが20~30回程度見てからが本番であとは観れば観るほど寿命が延びるようなシステムだ。
子持ちのおっさんなら子どもの授業参観というイベントには参加したことがあるだろう。こんな友達とこんな環境で勉強をしているのかと色々な発見があって楽しいイベントだ。
では、もし自分の子どもが仕事をはじめたとして、仕事参観ができるとしたら?本当にしっかり仕事できてるの?お前の能力は発揮できてる?授業参観とは比にならないくらい色々と見てしまうはずだ。いろいろと思うところもあるだろう。でも現実的ではないんだよなぁ。
しかし!!!それを実現しているのがムビナナだ。おわかりか。子どもたちが目の前で仕事をしているんだよ。それも、とてつもなく素晴らしい仕事を。凄い演出と音楽と舞台とで。そうなると自分の子どもを引き立ててくれるすべての関係者に感謝を覚えるようになり、それが生きとし生けるものすべてに感謝できるだけでなく、それが存在するこの宇宙に感謝。そして、それらを育んできた過去の全ての出来事に感謝できるようになる。つまりムビナナを見るということはアルファからオメガまで感謝できるようになるということだ。
故に全てのストレスから解放される。だから寿命が延びる。ムビナナおよびアイナナは決して沼なんかではなく名湯であるとここに明記しておこう。
話を戻す。
ムビナナは狂気と言った。どこまでこだわればこんな作品ができるのかいまだに理解できない。
「個性的な16人」と前述したが、立ち絵のストーリしか見てないのに、ダンスの動きを見るだけで誰のダンスか見分けることができるほどの個性であることをあなたはまだ知らない。
意味が分からないかもしれない。だがストーリーを読み切った人に「ダンスで一番動きが大きそうなキャラは?」と聞くと多くの人は三月と答えるだろうし「ステージから客席に手を振るときに両手で振ってるのは?」と聞けば環と答えるだろう。
ストーリーにダンスの描写なんてほとんどないにもかかわらず各キャラクターの「らしさ」がストーリーにはふんだんに埋め込まれている。それをとことん回収していくのがムビナナなのである。モーションつくったソリッドキューブの仕事がマジ凄い。
それを16人やってのけている。驚異的なことだ。あなたは思ったかもしれない「だったら16回見れば良いの?」と。全然違う。違うんだよ。素人は黙っとれ。
私のムビナナの初回の感想は「目が足りない」だった。アイナナだけでも独立する眼球が最低でも7つはないと全く追うことができないなと。
彼ら自身も十分に魅力的ではあるのだが、同時に彼らの「関係性」もまた美しく尊いのだ。
つまりムビナナを楽しむためには人類を超越した何かにならないとならない。
しかしそれは叶わない。何かをササゲても叶わない。だから数をこなすしかないのである。
故に20回くらいは普通に超えてしまうものなのである。むしろ20回を超えたあたりから、ようやく2つの眼球で見るスタート地点に立ったといってもよく、そこからが本来のムビナナを楽しめるといっても差し支えない。そこ、脳筋とかいうな。
ムビナナに通っていると、自分の精神状態を大きく二つに分類することができるようになる。「ムビナナを見ている自分」と「ムビナナを見ていない自分」だ。
ムビナナを見ている自分は大体「尊い」の感情に支配されている。そして見ていないときは「ムビナナが見たい」という思いに支配されている。
それに気が付いた私は思った。「あ、自分って単純」と。そう思えると、今の自分の悩みなんて大したことはないんだと、ムビナナのおかげで気が付けるようになる。
だが、寿命が延びるなら治療する必要はあるまい。むしろ大いに歓迎されるべきではないか。公衆衛生の観点から言えば、ムビナナ鑑賞券は国民皆保険制度の適応対象とすべきだろう。厚生労働省は仕事しろ。
言いはぐっていたが、実はアイナナは音楽もよい。すごくよい。ランティスだ。何十回だって、何万回だって聞ける。
楽曲提供は小室哲哉やヒャダインもいるし、先月の新曲はANCHOR、今月は浅倉大介だった。つまりマネージャがお金を落とすサイクルを確立しているコンテンツなので、楽曲にも力が入れられる強者の運用をできるのがアイナナだ。
故にストーリーなしで曲だけ聞いても楽しめる。全方向からのアプローチを受け止めらるアイナナ凄い。あやかりたい。
このように楽曲にも恵まれ、8年という時間も相まって100曲以上の楽曲をリリースしてきたという実績がアイナナなのである。
書きたいことの5%も書いてないし、終始取り留めない文章になってしまったが、時間も時間なのでこのあたりで勘弁してやる。いえ、勘弁してください。
何か思うところがあったらアイドリッシュセブンをぜひインストールしていただきたい。掴み取れば明日は何色にも変わることをおっさん達に知ってほしい。
その後はこちら