はてなキーワード: 明日とは
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いや、分かるよ? 江國香織の『犬とハモニカ』とか名作だと思うよ?
でも、そもそも私たち普段そんなに色々考えながら生きてない。玄関で靴紐を結ぶとか、飛行機が着いてから空港を出るまでとかの僅かな時間に何ページ分も思考が去来したりしてない。精々バスの時間みたいな単一かつ関係ないこと考えてるか、あるいは単にぼんやりしてる間に通り過ぎてる。
たまに何かを感じ取れたとしても、それは記憶に残らない。ある友人が卒業式で凄く印象的な台詞を言っていたけど、数年ぶりに会った時本人はそのことを全く覚えていなかった。きっと私にもそうやってなくしてしまった瞬間が沢山あったろうし、あの時感じた悲しい気持ちさえそのうち忘れてしまうのだろう。
そして、瞬間で終わってくれる物語と違い、私の人生はその後も延々と続く。人生最高と思える瞬間が来ても、次の瞬間からそれが刻一刻薄れるのを感じながら生きていかなきゃならない。どん底に陥った姿は傍から見れば美しい悲劇かもしれないけど、私自身は明日も明後日もそれに耐えて生きていかなきゃならない。
瞬間を切り取った物語は、生身の人生に存在しないものを書き留めているから面白く、美しいのだろう。それを読んで虚しい気持ちになるのは、物語と人生どちらが虚しいからなのだろうか。
幸いなのかわからないが、身近な人が死ぬは3度あったくらいだ。小学生のころの中の良かった友達の祖母、私の祖母、友人だ。まあ、母はいい年なのでそんなに長くないだろう。父は知らん。
ふと思った。死に関わりがないのは、自身が死んで周りの人間に死を振りまくためなんじゃないかと。自身の死という一番大きい死にすぐにでも関わるべきなんじゃないかと。そう思ったらいつ死のうか、どうやって死のうか、そんなことばかり考えてしまう。
でも、死ぬのって色々考えてしまう。痛いのが長いと嫌だな。即死がいいな。誰にも迷惑かけないといいな。そんなの無理だ。前からやってきた男に刺されないかな。線路に飛び込むのは迷惑がかかりすぎるからだめだ。首吊りは糞便垂れ流しになるのがいやだな。死ぬならそんなの関係ないのに。練炭が安らかにいけそう。イメージだけど。母親よりは後に死にたいな。だから早く死なないかな。道歩いてたらいきなり轢かれたいな。
最近はいよいよ死にたくなってきた。死ぬ準備をすると止まれなくなりそうだから。とりあえずでも。準備はできないな。明日というか今日は金曜日。あと一日がんばろう。
9月に先輩から仕事に対してもうちょっと真剣になってね的な感じの怒られが発生した
8月くらいから辞めたかったので決心したけど仕事が忙しくて(言い訳)転職活動はサイトに登録しただけだった。
この間ネタバレをされて部長とか本部長あたりから私を今の仕事から外すって言われてそれを先輩がもうちょっと様子みてくださいって押し留めてくれたらしい。で、それにあたって私に改心を求めるためのお叱りだった。
あまりにも恥ずかしいし劣等感がすごくて本当に嫌になって今でも引きずってる。
別に今の仕事は好きでも何でもなくてたまたま入れた会社だったからそこにしただけで仕事に意欲もないけど、他の同期がきちんと評価されてるなか私だけ劣等生なんだなって思ってすごい悲しい。
でもなんやかんや言いながら明日も仕事に行く未来が見えてるし、行けてしまう自分が嫌だ。
涙ずっと出ててまじでしんどいけどなんやかんや言って明日にはケロッとしてそう。
何が一番怖いってそんなこと言うほど決断してた人が私に何も悟られずにいつも通り優しいのがとっても怖い。
何考えてるか全然わかんないや。
お掃除業者の動画を見るのが好きだ。分類し、部屋が空っぽになっていく様を見ると自分の掃除も捗る。
某動画サイトには個人のお片付け動画だけではなく、そんな業者さんが依頼主の許可を取ってたくさん動画をあげている。
社会人で一人暮らししていたとある人が若くして病死してしまったために、家族が依頼した片付けだった。
先日亡くなった大好きな同人作家さんだ。
作家さんは闘病ののちに亡くなった。SNSで闘病を淡々と報告し、最期は信頼できるご友人がSNSでそれを伝えてくれた。
業者さんの話と部屋の状況の中で、かの作家さんの病名・病院の種類・性別そして大まかな年齢(業者さんが自分と変わりないくらいの年だと思う、と荷物から予想していた)、並べられている本、持っていたフィギュアの箱、乱雑に置かれたぎりぎり判別できる作家さんの絵、そして同人誌を書いていたという情報、いつも使っていた印刷会社の箱、それらが重なる。けれどもそれだけならば、同時期に似た境遇の似たジャンルの人がもうひとり惜しくも世を去っていた、という悲しい現実があるだけだと思った。偶然の一致というやつである。絵はきっとペーパーだろう、そうだと思いたかった。見えているジャンル二つは大きなところだし、もうひとつだってマイナーだけれども彼または彼女のSNSや活動を見ていたら知っている作品だろう。
そう思いたかった。
作家さんが「今までにこれだけ本を出したよ」と発行した同人誌を積んでいたあのテーブルに似ている。くしくもその写真を私は保存していた。小さなテーブル、バックに見える茶色いカーテン、そして写真にちょっとだけ写った赤いじゅうたん。
もう、疑いようもなくあの人の部屋だった。
pixivもTwitterもすべてを友人に託して、そして死後それらを消すように友人に依頼していた作家さん。
私が知っているのは同人作家さんとしてのかの人だけだったけれども、こうして彼または彼女の生身に近い場所に突然触れることになるとは思わなかった。
その作家さん、こうして死後その部屋を公開されることを望んだだろうか。
最後まで家族を縁を切っているといっていた作家さんの家族がこうして動画を公開を了承したことにもやる気持ちを抑えつつ、けれども不謹慎すぎて自分のSNSで話題にもできず、こうして匿名にぶつけることにした。
彼または彼女の私生活を思わぬ形で知ることになってしまった後ろめたさにどうしようもなくなる。
改めて、はかなくも若くして病で逝ってしまった彼または彼女の安らかな安寧を願う。
それにしたってこんな形で死後部屋がインターネットで公開されるなんて思わないよね……明日は我が身、きっちりとエンディングノートを作ろうと決めた。
個人消費がどうのという段階ではもうない
国内の富が減ってきてるのが問題だから、国内の富を増やさない限りどうにもならない。刷っても本質的な解決策にはならない。
富を増やすにはどうするのか?オワコンの加工貿易を拡大するのか?否。
ずばり、太陽光のエネルギーを、化学物質に変換して利用するしかない。石油を外国から買っていて、その、石油が値上がりしてるのだから、別のエナジーソースなりを見つけなければ解決できない。
エネルギー使用量を抑えるという手も理論的には考えられるが、事実上無理だ。無理というか限界がある。明日から車使わないでください暖房やめてくださいと言われても、何人かはやれるかもしれないが、すぐ破綻する。