はてなキーワード: 卒業研究とは
マジレスするとグーグルでエンジニアとかしてたら卒業研究とか修論D論みたいな仮説立てて計画立ててプロジェクトを進めるみたいな感じでむしろ研究の延長が仕事。
何でもかんでも大卒とるってのがまず駄目なんだろうけど、どこの国でも高偏差値は大学に行くわけでむしろ仕事に大学の経験がなんの影響もない方がクソなのかも。
「自分の場合、研究を実際にやり始めてから、やりたくないと感じたのでこの道を選ぶことはできなかった」 っていうことを理解できたみたいだし、卒業研究をやるだけやってみてよかったじゃん。たぶん就職した後に、「仕事を実際にやり始めてから、やりたくないと感じる」こともたっぷりあるだろうから、この経験を今後に生かしてくれ。
働くことに必要な技術を習得するために大学に行く、というのはあり。
卒業研究が必須だと大学や教授が判断しているのに、それを経験の浅い学生ごときが不要とすることがおかしい。
そして大学は学生の幸せを提供する場では無い。学生がその中に幸せをみつけるのは問題ないけど、それが見つけられないからって大学を責めるのはお門違い。それは学生側の資質欠如。
会社の社食でカレーフェアをやったら「自分は辛いものが苦手でカレーが食えない、なのにカレーフェアをやるのは平等じゃない云々」と突っかかった社員の話を聞いたことがあるけど、それと同じ匂いがする。
当然の与えられた権利だと思うな。システムの中で不満を感じるなら、まずは自分が変わって、そして余裕が出来たらシステムを変える働きかけをする。
働くことに必要な技術を習得するために大学に行く、というのはあり。
卒業研究が必須だと大学や教授が判断しているのに、それを経験の浅い学生ごときが不要とすることがおかしい。
そして大学は学生の幸せを提供する場では無い。学生がその中に幸せをみつけるのは問題ないけど、それが見つけられないからって大学を責めるのはお門違い。それは学生側の資質欠如。
会社の社食でカレーフェアをやったら「自分は辛いものが苦手でカレーが食えない、なのにカレーフェアをやるのは平等じゃない云々」と突っかかった社員の話を聞いたことがあるけど、それと同じ匂いがする。
当然の与えられた権利だと思うな。システムの中で不満を感じるなら、まずは自分が変わって、そして余裕が出来たらシステムを変える働きかけをする。
とはいえICUでも卒業研究は必須単位だったけども。教養学部単科大だけど、卒業年次にはメジャーと研究室を選ぶ必要がある。(しかも卒論は原則英語で書くルール。。)今は違うかな?200x年卒。
大学での学びの集大成として、ヒーヒー言いつつそれなり真面目に卒研やってる学生が多かった印象。科学者コミュニティの仕組み、論文執筆、ピア・レビューの意義について教養科目や2年次必修の英語小論文執筆を通じて学んできている。元増田みたいに軽んじる学生はあまり見なかった。
いうて文系メジャー含めても15%超が国内外の大学院に進学するので(理系だけなら体感7割)(文系でも国際機関志望とかだと修士ないと話にならん)、就職予備校的に例に挙げられると実態と齟齬があるってことで。
大学は、「学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与する」(教育基本法第7条第1項)ことを基本的な役割としている
らしいから卒業研究の姿は定義どおりじゃない?ここで言う「教育」は社会に出るためのものではないよね。あなたの解釈間違いでは?
大学は学生に一年生から研究させるべきです。大学は研究やゼミが本質です。講義なんていらないです。あってももっと効率よくするべきです。出席率は低いし教育効果も低いのではないかと考えます。講義をもっと良質化して研究をずっとやってれば卒業研究なんかいらないです。
私は教授に「研究が社会人生活でどのように役に立つのか教えてください。」と尋ねたところ、卒業研究で培う「難しい問題について色々と調査を行い、自分の頭で考え、試行錯誤する力」とやらが役に立つらしい。私は難しいスマホゲームをクリアすることでも同様に「難しい問題について色々と調査を行い、自分の頭で考え、試行錯誤する力」が培えるのではないかと質問したところ誤魔化されてしまった。
実際、普段の生活の中で調査と試行錯誤をしている人は卒業研究もスムーズに進むし、逆にそういう経験のない人は卒業研究で詰む。そういう経験というのは例えばスマホゲームでも得られる。
しかし、「巨人の肩に立つ」と言われるように、綿密な調査の土台がなければ、どんな試行錯誤もゴミにしかならない。
そして調査した情報源がデタラメばかりのゴミ束でも同じ。偽科学本を参考に科学技術を論じることはできない。
増田も既に、調査・論考の素養は持っているのかもしれない。でも、それなら余計に、プロの研究者に赤ペンを入れてもらえる貴重な機会を逃すべきではない。何が貴重な資料で、何がゴミ束なのか、判断できる目を養いたいなら。
卒業研究も就職予備校も両方やると言う本当の地獄を教えてあげますよ
俺の母校なんだが。
2年制の専門学校なんだけどね。
卒業制作ってカリキュラムがあるんですよ。これは必修になってて、完成しないと卒業出来ない。
そして、はこれ「就職の内々定をもらった会社から、オーダーを貰って作る」というシステムになってる。
ハマると効率いい。俺はハマった方。
卒業制作で作った生産管理システムモドキ。実態は殆ど先生に面倒見て貰って、Accessのテンプレをちょちょっと弄ってお茶を濁したものだった。
そして就職して18年、秘伝のタレのごとく継ぎ足し継ぎ足し、今でもその面倒を見るだけで仕事になってる。
誰も他に分かる奴がいないから好き勝手できて楽しいぞ。クラウド移行を全部趣味全開でやったが誰にも文句を言われない。
でもね。あわないとなかなかの地獄よ?
俺の同級生はデザインコース出身。自社のホームページを作れと言われて、ホームページビルダーを渡され、自分で張り切って写真撮って……いるうちに、何かあったんだろうね。その会社の闇をみちゃったのか、就職したくないと言い始めた。
でも許されないんですよね。
この専門学校の就職は、基本的に学校推薦で決まるから、事態はよっぽどのことが無い限り許されない。先生に軟禁されてゴリゴリに説得される。
卒業研究をやりたくないまぁまぁ偏差値の高い大学に通う大学4年生です。
学部を卒業するためには、ある程度の単位を取っていれば、卒業研究は任意にしてほしい。私は大学四年時は、翌年から始まる社会人生活でのパフォーマンスを高めるための学習の時間や青春を謳歌するための時間に使いたい。
大学の教授はよく「大学は研究機関である」みたいなこと言うけど、それは教授のエゴの押し付けだ。大学にはもちろん研究目的で来ている学生もいれば、就職予備校として活用したい、青春を謳歌したいといった目的で来ている学生もいる。全学生に共通していることは、学費を納め、正規の手続きを行い、大学に在籍していることだ。全学生には4年間を自由に過ごす権利があるため、様々な4年間の過ごし方が認めるべきだ。大学教授は、学問の追求というエゴで研究を強要し、この権利を侵害しないでほしい。(私は研究する学生を否定しているわけではないし、やりたいならやればいいと思っている。)やる気のない学生に研究室や教授の資源を割くよりもやる気のある学生に資源を使ったほうが研究室の利益や個人の幸せの観点から見ても良いと思う。
また、大学の教授は「研究で培った力は、将来社会人になってもきっと役に立つよ」という。本当だろうか。教授に本当に役に立つのか確かめた定量的な根拠を示すようお願いしたが出てこない。なぜ定量的な根拠を求めたかというと、論文でそれが求められるからだ。論文中で提案する内容を信頼してもらうために、評価実験を行い、定量的な裏付けを行う。教授ならそのやり方に従い、根拠を明確に示してほしい。教授の人生にとっては研究は役に立ったかもしれないが、学生1人1人の人生にとって役に立つとは限らないのだから無責任なことをいわないでほしい。占い師は客の人生を分かったかのような気で無責任なアドバイスをするが、これと同じだと思う。
私は教授に「研究が社会人生活でどのように役に立つのか教えてください。」と尋ねたところ、卒業研究で培う「難しい問題について色々と調査を行い、自分の頭で考え、試行錯誤する力」とやらが役に立つらしい。私は難しいスマホゲームをクリアすることでも同様に「難しい問題について色々と調査を行い、自分の頭で考え、試行錯誤する力」が培えるのではないかと質問したところ誤魔化されてしまった。
大学の教授は、大学の講義/研究を学生の学びのための最良のコンテンツだと勘違いしている。なぜなら現在教授に就いている年代の人間が学生だった頃は、それらしか学ぶためのものがなかったからだ。今はインターネットを探せば、大学から提供されるものよりも分かりやすいものはいくらでもある。社会から隔絶された場所に籠っている教授は極めて視野が狭い。
大学の教授は勘違いを改め、自身のエゴで学生の幸せを奪わないでほしい。
・スマホゲームの例えは完全に釣りだよ、スマホゲームは解が用意されてる、研究で取り組む問題は解がないってのは納得した。でも解がないからこそ、よりやる気が出ない。解があったほうがモチベわく。
・スマホゲームの話とか創作もあるけど大枠本記事の内容は本気でそう思ってる。卒業研究をやらずとも技術職の内定4社からもらった。4社とも時価総額3300億越えw 就活で卒業研究については一切問われていないが、そういう人間でも就職できることが社会で起こってる。
・ちな地方旧帝理系です。卒研やらなくても学位もらえる大学あるの初めて知ったわ。看護大学とかじゃないよね
・「卒業研究が課されていない大学(学部)に行けばよかったのでは」 こういう意見が多いんだけれど、自分の場合、研究を実際にやり始めてから、やりたくないと感じたのでこの道を選ぶことはできなかった。
いや、ちゃんと就活なりなんなりをロクにやらなかったせいなのもあるけども。
元々理系脳では全くなかった。小学校のテストで算数はよく再テストになってたし。
高校受験の際市内でも割合レベルの高い学校も合格できると塾の先生から言われた。
でも当時家庭の事情もあって確実に公立校に合格したかったからレベルを下げて中の下くらいの高校を受験し、無事入学した。
思えばこの頃から努力や挑戦から逃げる癖や他人の目を気にする癖が付いてしまっていたのかもしれない。
そしたら学年2位の成績を取ることができた。もちろん苦手だった理系科目もだ。
当時僕は自動車とか飛行機に興味を持っていた。まあエー○コンバットとかグラ○ツーリスモの影響もあるし、中学の時離れていたミ○四駆を再開したってのもあった。
ちょうどテストの成績も良く天狗になっていた僕は自動車の開発に携わる人間になると三者面談で豪語した。
ただ決めたからには色々リサーチしておくべきだったのだが当時の僕は大学行けばまあなんとかなんやろみたいな感じでのらりくらり過ごしていた。
高校2年、数学系の成績が悪くなる。とは言っても充分上位にはいたので特に問題視はされず、教師からは是非この成績活かして推薦で大学に進んではと意見をもらっていた。
ここでその道に進むとはどういうことなのか、というのをきちんと理解していなかったのがダメなところだった。
高校2年の冬辺りから音楽ゲームの影響で音楽(電子音楽)ハマりだす。
コレが後々いろんな出会いを生み出すことになるし結果的に今の状態を生み出すきっかけになる。
推薦入試で県内の中堅私大に合格した。もちろんオープンキャンパスにも足を運んだ上で決めた。ただ今思えばここで「県内で近いし大学生になれるならココでいーや」みたいな気持ちがあったのも事実かもしれない。
推薦が決まった後はまあそれなりに真面目に授業を受けつつ、友人が音楽製作始めていて僕も興味あるしやってみるかとiPhoneでいじくり始めた。
そしたらまあ思いの外楽しかった。ただ今思えばココでちゃんと音楽の勉強とか自分でしておけばよかったと後悔している。
前期はまあそれなりに突破した。後期基礎科目なのにも関わらずいまいちついて行けず二つ単位を落とし、物理の授業はほぼお情けで合格と言ったところだった。
この時点で専門科目よりも教養とか英語とかの授業の方が楽しいと感じていた。今思えばこの気持ちに正直になっていればと思う。
世間は大学生らしいことができないだのなんだので騒いでいたが、僕は電車に乗らんでいいし色々ラクできるしええやんみたいな気持ちになっていた。
というかこの時点でもう自動車開発とかの気持ちはなくなっていた。この頃に音楽製作によりハマりだして色々買い揃える。ただ基礎からの努力を怠っていて色々不便を感じることもある。(この基礎からの努力を怠る悪癖は後々牙を剥く)
オンライン授業のせいにするわけではないが、大して理解せずともまあ単位は取得できた。できてしまった。
しかし、メールとか掲示板とか見ないバカだった僕は就職ガイダンスにロクに参加しなかった。というか気づいてなかった。意識クソ低い系の学生だった僕はインターンとか意識高い系のすることやろとか思っていた。今考えるとアホ極まりない。
というか今考えると意識的にシャットアウトしてたかもしれない。
同時にもう大学の授業に面白みを感じてなかったが、真面目系クズな僕は超低空飛行ながらも単位を取り続ける。
ここいらで自分の考えていたモノ作りはある種芸術的な方向であったと気づくべきだったかもしれない。
というか大学生になるべき人間ではなかったことにさっさと気づくべきだった。
もうこの頃には自動車の開発とかには全く興味がなくなっていた。研究室の配属希望を出すが、自己PRの解釈を間違えてクソみたいなことを書いたら第六希望くらいの大して興味もない研究室に配属される。
秋辺りからポツポツと1dayインターンとか行き始める。ちなみに自己分析だのspi対策だのES雛形作成だの全くしていない。
機械科だから機械の仕事をすべきみたいな考えでその辺りの会社を見ていた。
特に企業研究とかしていなかった。バカだ。この時点で音楽のが楽しくなってそっち方面で何かできたらと考え始める。
そうこうしてる内にまあちょっと音楽関係でいいことがあったりとか実験がクソ忙しく(実際にはレポートとか課題とか先延ばしにしまくってたクズ)なって就活から遠ざかる。
というかオンラインのガイダンスも後でまとめて受ければいいやで先延ばしにしてそのまま忘れるんだが。
合同説明会とかにも行き出す。今更かよ。合同説明会に行き、通路を通っただけでウチどうですかどうですかと声をかけられて、顔を覚えられたりして恐怖を感じ、トイレに逃げたりした。
3月、エントリーが本格化してくる時期。ようやくエントリーシートなどに取り掛かり始める。が、ここで最悪のつまづきをする。エントリーシートが全く書けない。そもそも将来のビジョンって自分にあるのか。学生時代何を頑張ってきたのか。自分は何をしたいのか。何者なのか。急激にどうにもならなくなってくる。今思えばうつ病に両足突っ込んでいた。ロクに寝れなくなった。食欲もなくなり、ゼリーをかろうじて胃に流し込む日々。
コレもすべて大学生活、もっと言えば高校生から自身の適性やキャリアプランを考えなかったツケなのだが。
こんな就活のしの字も分からない自分に誰かを頼る資格もないと考えひたすら内側で自問自答する日々。
就活の助けになるだろうと登録したエージェントからはメールや電話爆撃で電話に出るのも怖くなる。
このままじゃもうニートまっしぐらだ。周りに自身の、周りからいい子だと言われ続けた自分がこうなってしまうなんて。このままじゃ大学の名前にも傷が付く。
そんな気持ちで一杯になった自分は急に自殺しようと自室の窓から飛び降りた。まあ直前で怖くなってしがみついたおかげで打撲と派手な擦り傷で済んだのだが。まあしばらくは上手く歩けなくなった。
この頃はロクに思考も出来てなかった。よく嘔吐もした。体重も落ちた。
昔からその場の楽ばかり選び、他人からいい子で見られる為に生きてきたことに気づく。真面目系クズだ。
そんな中、企業の方との面談が入る。そこでなぜこの大学に、この学科に入ったのですかと聞かれる。
そこでクソみたいな思考の僕は焦点の合わない目でこう答えた。
クソみたいな考えだ。
そんな最中母親からこう提案される。音楽に興味があったなら卒業後に専門学校への進学も視野に入れてはどうかと。
昔(特に高校生)の僕はストレート大卒ではないといけないという考えに囚われていた。周り道した人と出会わなかったのもあるが。
作曲を仕事にするのは難しいが、音響のこととかなら視野に入るのではないかというアドバイスも貰った。ちょっとその気になりつつ、それがある種就活からの逃げではないかと罪の意識に囚われ、いまいち吹っ切れない。
この頃は理由もなく突然泣き出したりとかもよくあった。
そんな状態で4年生卒業研究が始まる。もうこの時点で単位は卒業研究以外すべて取り切っていた。
まるで興味のない分野、そもそも興味が薄れていた専攻、そしてこのような精神状態。決まったテーマも希望のテーマから外れた。
研究室で昨年の論文に向き合う。が、何も知識がない、というか応用することが全くできなかった(数学は公式を暗記して解くモノと思っていた)僕はもう何も理解することができなくなっていた。周りはどんどん前に進んでいるのに自分はどうして何もできないんだという気持ちになり、ますます自身を追い詰める。
研究室に行っても全く集中出来ず、じっとしていられなくなって席をよく立ったり、昔からの癖であった消しゴムとペンの戦いごっこが辞められなかったり、高校数学の知識が抜け落ちてたりしていた。というかどのように卒論を進めて行けばいいのか、という計画もできない。とはいえ研究室には行かなければという気持ちで毎朝嘔吐したりしていたがなんとか向かっていた。
5月、半ば辺りから徐々に食欲とかは回復していった。とはいえ、集中力散漫なままだし頭の中にずっとラップがかけられている感覚は抜けないし、風呂に入る気力もなかったり、帰宅すれば即寝落ちみたいな日々が続くのだが。研究報告のパワポもロクに仕上げられず、自身を殴ったりした。
そんな中共同研究者が失踪した。後で卒業研究2年目の先輩に聞いたのだが去年も1人失踪したらしいしなんなら所属学生全員卒論落とす可能性もあったとかなんだとか。
自身のテーマに関係する部分の勉強会に参加した。しかし、教授の言ってることがまるで分からない。どうにもならない。卒論は書けるのか。
学部の単位はなんとか全部落とさずに取れたし,一夜漬けではあったけど,テストも結構普通に乗り越えられてきた.
友達も少ないけど何人かいて,たまにゲームしたり旅行いったりしてた.
研究室配属がちょっと思ったように行かなかったけど,比較的興味はある方の分野だったし,むしろ選択肢の中では悪くないと感じた.
顔合わせとかはコロナで無くて,先生たちにだけ挨拶しに行ったら,「研究テーマを5月までに決めれば,8月までは院試に集中していいよ」って言われた.
院試は夏だったし,同期もあんまり研究室行ってなさそうだったから,居室にはあんま行かなかったんだ,
ゼミはほとんどオンラインで,たまに寝坊しちゃったりしたこともあったけど,参加はしてた.
ただ,このへんから一日のうちほとんどをベッドの上で過ごすことが増えた.学校は1年以上オンライン授業で行ってなかったし,生活習慣は結構終わってたと思う.
授業はないから,院試に集中しなきゃとは思っていたんだけど,なかなか手を出せなかった.気がつくと,院試までは1ヶ月しかなかった.ちょっと焦ってペンを持ったら,全然出来なくて嫌になった.
やらなかったことだけ後悔して,でも手を出そうにも範囲も広いし難しいしでパニックになって,泣きそうになって一日が終わった.どんどん時間は過ぎていって,結局院試はほとんど無勉強で落ちた.
勉強に集中できないなんていう幼稚な理由でほとんどの人が受かる内部の試験に落ちたのが恥ずかしくて,この辺から強い劣等感を感じ始めた.
幸い後期院試がある学校だったから,親には頑張ったのに落ちちゃった,次はもっと頑張るっていう嘘をついた.本当は頑張ってないのにね.
久しぶりに学校に行ってみると,周りは院試期間中に卒業研究を取り組み始めていて,自分だけが研究室の落ちこぼれだった.
気分がすごい落ち込んだ.
研究室に行かなきゃいけないのに,どうしてもいけなくなった.
朝起きて,昼から行こう.二度寝しちゃって,夕方だけど行かなきゃ.もう夜になっちゃったから明日は流石に行こう.
そう思うんだけど,なんか,いけなくなった.ぼんやりと,考えるのをやめて,スマホをいじって過ごす一日が増えた.
さすがにまずいと思ったからカウンセリングを受けてみたりして,卒論をすすめることにした.週に2,3日だったけど,学校には行けるようにはなった.
先生は自分のペースに合わせて手助けしてくれたし,周りの先輩も優しくしてくれたんだけど,劣等感は深まっていった.
とにかくなんとか書くテーマは決まって,研究と並列して論文を書き始めて,12月中に結果以外は形にしようっていう方針になった.
冬休みに入って,家で卒論を書こうとしてワードを開いたら,全然自分が何書いたらいいのかわかんなくなって,パニックになって,サボり癖がまた出てきた.
後期院試も近づいてきて,全然この勉強もしてない状態だったから,また夏みたいになってきた.
明日が近づいてくると焦るんだけど,結局机の上でほとんど何もせず何時間もぼーっと過ごして,突然ものすごい不安に襲われて,ベッドに飛び込んで,毛布をかぶって,動悸を感じながら目をつぶる.
結局なかなかねれずに昼に起きて,喪失感でまた嫌になって,次の日が近づいてくる.繰り返し.
先輩とりあえずみせることになってたけど,結局全然かけなくて,まだ出せてない.
出せなかった申し訳無さから少しでも進めて学校に行こうと思うんだけど,やっぱり進まなくて,先輩にも先生にも合わせる顔がない.
研究結果も間に合わない気がしてきて,どんどん恥ずかしさから学校にいけなくなってしまった.
恥ずかしいとかいってないで,人に頼らなきゃもう始まらないんだから,はやく学校にいって手を動かしてみないとだめなのは理屈としてわかってる.
でも,しんどさだけで家から出られない.どんどん頭が,手足が鈍くなっていく.
もう,いろいろ間に合わないんじゃないだろうか.
世話になってる先輩に謝らなきゃ.はやく年内に出す予定だった分だけでも完成させて持ってかなきゃ.
やらなきゃいけないことから逃げてばっかりで,どうすればいいのかな.
何を他の人に期待してるんだろう.なんでこんなに無気力なんだろう.
= (散布図を見ながら人力で推定する)
「人力で推定する」際の脳内の処理を何とか形式化すれば、まあ何とか許容できるものになるのでは。
せめて、神託としてある程度でも当たっていれば面白いが、たった一週間後なのに4割以上外れたり、精度悪すぎ。
この3点はヤバさのハッピーセットなんやが、未だにknoa氏を有難がろうとしてる連中は、それが分からんのやろなーって思ったわ。
こんなもんをそこそこの理系大学で卒業研究として出そうとしても、担当教授に卒業可能な研究成果として認められない程ハチャメチャなんや。
これは何度も指摘されてる訳やが、予測モデルが存在しなければ誰にも再検証できないし、予測の尤もらしさが検証できない。例えばや、毎日我々が参考にする天気予報にも、当然やが予測に用いた数理モデルが存在する訳や。
それを元にスパコンで計算して過去の例と付き合わせ、予測精度や誤差まで検証したうえで、「こんな感じの精度のモデルをつこうてるから、参考にすべきところは参考にしてな」って予報を日々公開してるんやな。
可笑しいと思った誰かが、それに対して検証し、反論を加えられるだけの材料が揃っているからこそ、広く受け入れられている訳やね!
これは、ほんまにヤバいよ!
例えばやヤードで計測した時速と、メートルで計測した時速を、単位系の変換なしで、数値のみで比較してたらどう思うよ?ガイジやろ、そんなものは?
毎週のように計算方法を変えてるという事はや、本来は以前の計算結果と単純に比較する事は絶対に許されないレベルのアホのやる事な訳やね。仮にも数字を扱ったことがある人間なら、まずやらんことや。
もしも計算方法を変える場合は、変えた前と後でどの程度の違いが生まれるのか等、採用した手法の尤もらしさを計測しなければならん。それぞれの計算方法の間の変換式の妥当さも証明せねばならない。モデルの尤度を証明するのはメンドクサイのや。
例えばやで、毎日参考にしている天気予報が毎週のように予測モデルを変えているのに、昨年の今の時期の予想はこうでした比較すると・・・とか言われても、鼻で笑うやろ。
もっと簡単に例えるとや、先週までは華氏で温度だしていたのに、今週は摂氏で温度を出していて、共に何度ですと同じ単位であるかのように比較されるのとまったく同じことなんやね。意味なしやね。
これがトドメやね!w
円周率が3.1か、3.14かでは大きな違いがあるけど、それを勘で出しましたって言われたら、どうですかね?あかんやろ、そんなもんはwその計算結果を信頼しますか?無理やね。
普通は何らかの方法で計算をして出すのや。人力で目で見て適当に推定するって事はどういうことか?本来は客観的であるべき予測に、主観が入るという事や。
天気予報で例えればや、シミュレーションもしないで、雲を見て明日は雨って言ってるのと同じやね。漁師の勘みたいな再検証不可能な俗人的な経験測からくる天気予報は、占いと同じで
それはそれで本人やもの好きに珍重されていい物ではあるが、客観的に使える予測とは言わん訳やね。
以上を踏まえない限りは、何の価値もありません。あんたの来歴なんて、わいがどうでもいいが、予測の信頼性が全く客観的に示されてない以上は、予測した本人の信頼性の無さが問題になるのも避けられんわなあ。
結局はや、この程度のものに踊らされてる時点で、数字を扱う上での常識とか客観性が備わっていなくて主観で物事を見ているということなんやな。
これは一事が万事にあてはまる欠点で、あらゆる場面でおかしなブコメが目立つし後から振り返れば間違っていたという現状の温床でもある訳や。
完成してないワクチンを買うとかwwwって笑ってたブクマカも、いまやワクチン頼みやろ。感染症対策で決定打は集団免疫の獲得で感染しまくる訳にはいかん以上は、ワクチンしかあらへんで!ってのは常識や。
その場の空気や感情やなしに、何が正しいのか?と客観的な指標を持てない、はてな民の病気の現れなんかもしれへんね
なんやら、ブコメを見たら、増田でやってる遊びにごちゃごちゃ言うな。分かってるわ!的なコメントが散見されるけどや
関係各所の専門家にメールをすると言ってみたり、いっぱしの専門家を気取り始めた時点で、バカがやってる遊びでは済まされんものになったんやね。
専門家に専門的に意見をするのであれば同じクオリティで数字を扱えないとダメだし、おまけに無知な人間からお布施まで貰うようになっては、新興宗教と変わらん。
御上に批判的な(連中が集まってくる誘蛾灯な)新興宗教と言うと、どうしてもオウムを思い出すし、増田を遊び場としてるワイ君としては、もはや看過できんちゅうことやね。
ぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっぱからっ
卒業研究程度は、代わりに書いてやる程度のネタは合っても、卒検は出席してない上に、大学院生にすら連絡とらないだときびしい。
研究室に配属さえされれば、あとはなんとかしてやっから、研究室こい
実力とか、お金とか、いろいろあるから、心配する気持ちだけもってこい
出席はしろ
就職したいやつは教務課にも連絡取れ(無理なら無理って院生にメール)
いないとおもうけど、うちの大学で本当に留年2回は、メールくれ。
出席日数だけ足りてりゃなんとかなるはずだ。
それも足りなきゃ衛星設備もあるから相談にきてくれ。地級の裏でも月でもなんとかはなるはずだ。
Q.月にいるため、出席できません
たぶんなんとかなる
どっちが弱いか教えて?