はてなキーワード: 世渡りとは
とある小学校では今度入ってくる新入生のうち10人ぐらいが発達障害なんだそうだ。
その人数が多いか少ないかということは置いといて、小学校に入る前に既にそういう診断を下されているということに驚いた。多分幼稚園とかにいるときに「ちょっと変な子」「扱いにくい子」みたいな評価で、医者にかかったらそういう結果だったんだろうけど、それも一種の障害児みたいな扱いにする気なのかね。
前もってそういう情報を手に入れておいて、手こずったら「○○ちゃんは発達障害だからしょうがないね。」って言っておしまいなのだろうか。発達障害って、ダメなところばっかりじゃなくて、上手く得意ジャンルを生かしてあげる方向に持っていければ、それなりに社会をちゃんと渡っていける可能性があると思っていた。少人数のクラスに入れて、それなりに丁寧に対応してあげるならいいけど、どういう教育を施すつもりなのか興味がある。
そしてコミュ障気味で世渡り下手な私としては、その原因が発達障害なら発達障害という認定を受けて細やかな教育を受けられる(?)子どもたちがちょっと羨ましい。
まん
ま~ん(笑)の短縮形。女性を指す普通名詞として使われることが多い。
まんさん
まん様
最敬称付き。偉そうな人を指すスラング「俺様」の女性型として使われる。
まんの者
女性あるいは女性になりすました者による自嘲を込めた自称。(用例:「まんの者だが…」)
まん割
割は割引きの略。女性であることを理由に失敗や罪を軽減あるいは許されていると指摘する造語。
貴重なマンコが…(きちょまん)
膣
ま~ん(笑)流行以前から存在が確認できるがマンコ呼びほどは定着していない。
お膣様
膣持ち
お膣さん
「お膣」というツイッターアカウントがアップした写真にTBSが使用許可を求めた際のリプライが発祥で女性蔑視とは関連が薄い(参照)
膣ドカタ
こちらも女性蔑視とは関係なく、ツイッターの人気アカウント暇な女子大生がセックスに励む自らをそのように自称したのが発祥だが、現在は性風俗店に勤める肉体労働者のことを指すことが多い。
マンモメン
まんJ民
こんJ民(こん!)
5ちゃんねる、なんでも実況J板で異性との出会い目的のスレッドを利用する人たちのこと。女性蔑視的書き込みの多い同板で女性をチヤホヤしている様子を揶揄する呼称。「こん」はスレッドで女性に送られたメッセージから。女性蔑視的発言への反論、反証として使われる。
すま~ん(笑)
あ~、私と似ているような似ていないような。私も人の言葉をそのまま額面どおりに受け取ってしまうことが多くて、実際ならあり得ないことも「へぇ~、そうなんだ」とか納得して周りに笑われたりする。「なんか変」とか「あり得ない」と思いながら「人の言葉はそのまま受け取るのが礼儀」と思っている元増田さんの方が空気読む力があるように思う。
いまだに裏表の使い分けがうますぎる人は苦手だし、社交辞令も真に受けてしまうので「口先だけで調子のいいことを言うな!」と思う。上司には「鈍感力がある」という失礼な評価を受けている。世渡りがうまい人は、普段陰で悪口を言いまくっている相手に対しても調子のいいことを言えるし、そんなに仲良くない人に口先だけで「今度飲みましょう」とかいうけど、そういう心で思っていることと口から出る言葉が逆な奴にむかつく。
こうすることで自らの社会的評価を更に格上げすることができる。
人間の欲望に果てはない、地位と金と名声を得たところで満足しないのだ。
このフェーズでも手際よく成功できた奴が満を持して政界などに出馬する。
(成金のように徹頭徹尾、金儲けに腐心する方がまだ健康的だ。)
このリベラル達の自慰行為の為に提唱されたのがポリコレである。
しかしこのポリコレは様々な階層の人間の怨嗟を吸収し雪だるま式に成長、
そして当のリベラルが怪物化したポリコレに自縄自縛になりつつあるわけだ。
社会的上層に居るリベラルと呼ばれる人間と酒を酌み交わすと分かるが、彼らは
「地位・金・名声を得られたのは全て自分の努力のおかげ」と盲信していることが多い。
実態は「首都圏住み+高収入家庭でエスカレーター高学歴+優れた容姿」
といった恵まれた環境から生み出された結果であることがほとんどだ。
彼らは腹の中では低学歴、不具者、劣った容姿(ブス・デブ・ハゲ・チビなど)、田舎者、
ブルーカラー、第一次産業従事者、運転手、非正規雇用、途上国の出稼ぎ外人などを心底見下している。
彼らの驕り高ぶった目には「自己を高める努力を怠った取るに足らないクズ」に映るからだ。
幼少期から同階層以上としか付き合ってきていないので、そういった人間が底辺で経済を回して、
日夜歯を食いしばって生きていることを知らない。社会人になってようやく視野に入ってくるのだ。
ただ幼少期から醸成された価値観を覆すことは難しいので、上記のような歪んだ現状認識に陥る。
しかし前述した通りリベラル達が更なる社会的評価獲得の為に生み出した
ポリコレ概念ではこういった人達を公の場で差別・罵倒する事はNGになってしまった。
(当然のことだがこれは表向きなもので、今現在でも社内・学内・家庭内といった
クローズドな場所ではこういった人達への差別・罵倒は横行している。)
そして日々のストレス解消のはけ口を失ったリベラルが見つけ出した最後の標的が「童貞・オタク・KKO」である。
「童貞・オタク」はコミュ障気質な者が大半だ。故に現実社会での発言力も強くないことが多く、叩いても反撃されにくい。
また宮崎勤事件を経験した中高年層以上に蛇蝎のごとく嫌われていると言う後ろ盾もある。
上述の通りコミュ障気質な世渡り下手が多い為、「童貞・オタク≒KKO」と言い換えることも出来る。
別に号泣するとかじゃないけど、ただ彼女のことをぼーっと考えて時間だけが過ぎていく。
ていうかそんな親しかったわけでもない。中高一貫の女子高で同級だっただけだ。
私は自分で描いた拙い漫画をせっせと刷ってコピー本にして地元の小さなイベントの端っこで配ってるようなオタ女で、同じようなオタ女たちとよくつるんでたけど、彼女はとびきり美人で性格も社交的だったから、そういう子が集まる派手めなグループにいた。
高校になっても私は受験組、彼女は附属大推薦組で、選択授業が被ったことはほとんどない。
唯一の接点が管弦楽部。でもこれは学年の4分の1くらいの子が所属するような大所帯だったから、そのなかでもやっぱり仲良しグループはあって、そこでも私は彼女とつながりはなかった。
ただ、彼女は目立つ子だったけど、少し要領が悪いというか、世渡りが苦手というようなところがあって、一度だけ、見かねた私が半ば強引に手助けしたようなことがあった。助けっていうほど大げさなものではなくて、普通にクラスメイトが困っていたら皆するようなことだったけど、それでも彼女は恩義を感じたのか、たまに話しかけてくれるようになった。彼女は優しい。
それでも、そのころの私たちには中高生にありがちな、グループの体裁みたいなものがあったから、話すときはなんとなく二人きりになったときだけだった。彼女は私のしょうもない話によく笑ってくれた。その顔がすごくかわいいので、私はくだらない持ちネタを繰り返した。彼女が笑うと満足した。
一緒にどこかへ遊びにいったりしたことはついぞなかったけど、彼女は地元の楽団にも参加してて、あるとき私を誘ってくれた。
大きなコンサートがあるときは、人数確保のために楽団員が知人を紹介することができるシステムだった。チェロ(私の担当楽器)が足りなくて、よかったらきてくれない?なんて言われたら行ってしまう。ふたを開けてみれば私しか誘われていなかったので、ちょっとした優越感でニコニコしてしまった。たぶん本当にチェロの人員だけが足りなかったからだろうけど、彼女から選ばれることは得意な気分にさせた。
彼女はバイオリン(とても上手)なので練習は別々だったけど、最後の合わせでは一緒に帰った。電車で座って、それまででいちばん長くしゃべった。私はそのとき彼女に外部受験して地元を離れることを話し、彼女は私に子供が好きで音楽の先生を目指していることを教えてくれた。
そうして私たちはそれぞれ進学し、二年の冬に彼女は亡くなった。
葬儀はご家族だけで執り行われて、私たち卒業生は母校でお別れ会を開いた。
そこで区切りがついたつもりだったのに、その後しばらくして、飲み会で入ったお店で流れているBGMが、あの、彼女と参加したコンサートの演目だと気づいたとき、すごく動揺してしまった。お酒が入ってたからかもしれない。
それから度々、突然彼女のことが心に浮かんで、とても寂しくてやりきれない気持ちになってしまう。心が体の真ん中から徐々にずれていって、そのままどこかにいってしまう。誰かを亡くした人ってみんなこんな気持ちを抱えて日々生きてるの?こういうのどうやって乗り越えてるの?寂しくて仕方ない。
卒業式も寂しかったけれど、これからみんな別々の道でそれぞれ元気にやっていくんだという信頼や希望のようなものがあったから、こんなどうしようもない悲しみだけではなかった。こんな私でも日々をあれこれなんとか過ごしているのに、彼女はどこにもいなくて、なにもしない。働いたり遊んだりしないし、バイオリンを弾かないし、笑ったり泣いたりしない。もうなにも作らないし、生まないし、何にも干渉しない。そんなことがあるだなんて思いもしなかった。あの、音楽室で隣に座って笑っていた人間が、この地球のどこにもいない。頼むからみんな長生きしてくれ。
彼女との記憶なんてこれだけで、でもそれだけをずっと繰り返し思い出してしまう。彼女のご家族はお別れ会で初めて拝見したし、グループにいるときの彼女とは関わりがなかったので彼女と共通の友達はいないし、誰とも彼女の話をできなくて、ここに書いてしまった。文字にしてたら落ち着いてきたから、明日からまた静かに日々が過ごせそう。表現の自由はすごい。
ていうか読み返すと自分のことばっかりでめちゃくちゃ気持ち悪い。彼女のご家族のほうがずっとずっと寂しいでしょ。お風呂入って寝ます。
以前、「ブスって僻みややっかみからか性格悪い人が多いよね」という記事を書いたら「こんなこと考えてる人に性格悪いとか言われたくない」というコメントをもらった。
一言言わせてもらうと、女ならこの程度(人を査定したりとか)のこと普通に考えてるよ。
美人で性格良さそうでいつもニコニコしてる人でもあざとい人はいっぱいいる。
男のことを査定してて交際や結婚前にキープがたくさんいたり、飲み会でお気に入りの男の近くを陣取ってたり、格が下がると考えてるのか自分より地味な女とはつるまないようにしてたり。
みーーーんなやってる。
そうじゃなきゃ「マウンティング」とか「ハイスペ」(男を評価する単語)とかいう言葉は流行らない。
むしろそれをやらない女は不器用だから貧乏くじ引いてたり、婚期逃してたり、世間的にも厳しい目に合っていることが多い。
男だって不器用な女を嫌ってて、「人付き合い下手くそそうな女は嫁さんにしたくない」とか「世渡り上手い女の方がいい」とか思ってるだろうに。
もちろん性格良くて世渡り上手で他人から好かれてる女もたくさんいるし、性格が悪い・あざといから世渡りが上手いとは限らないけどさ。
もちろん、彼らは人間関係も仕事も恋愛もプライベートも超絶充実してる。インスタグラムやYoutube、色んなSNSやメディアで人と絡んだり、情報を集めるのが大好き。
どこからどうみてもおしゃれな一面しかみえない、みんなの憧れ「リア充」。
「今日○○とネズミーランド行ってきた♡」「この美容院カラーすっごくうまいの😝」
とか、すごく充実した“報告”は、日本ならず世界中で流れている。
(もっと昔から流行の最先端をゆく人達もいたはずだが、スマホが普及してから更にリア充は注目を集めるようになった)
もちろんリア充は、ネガティブな悩みも軽い口調で流せる術を持っている。
例:「また3kgふとっちゃった...ほんとデブ💢」「ひょっとして俺、あいつに嫌われるやつかな?笑」
でも、そんな完璧なリア充たちも人間だということは忘れてはいけない。
彼らだって、常に何もかも楽しそうな感じを演出しなければならないという強迫観念を感じているに違いない。
どんなに本気で辛い時でも幸せ、楽しそうなイベントに行って、はしゃいでいる感じの投稿を1ヶ月に1回はインスタかTwitterに載せなければ、リア友やフォロワーの信頼(何の?)を失ってしまうかもしれないのだ...面子を保たなければ、ある意味社会的に死んだようなもの。
...まあ、世渡りが上手い人は裏アカとかで超本音を吐いている気はする。
というか、心から人生を楽しんでいそうな人もいるから一概には言えない。
若者は冷たいというけれど、それは上の人たちに対してそうであるらしいというだけでしょ。
要するに関わりたくないんですよ。それは人格の問題ではなくて、関係性の問題でしょ。
年上にへつらうだの媚び売るだのして世渡りする世代もいれば、そういうのを呆れて見る世代もいる。
「もちろん一世代の中にも色んな人がいる」というのが現代の若者における主流の観点であって、それだから個々人を一つの観念にまとめ上げるのを嫌う人もいる。若者間でも、まだそんなこと思ってるやついるのかよ、と言う。ただ問題はそこで止まってしまっているということよ。若者には二つの傾向がある。一方は、人々は一様ではないと否定する人たち。他方は色んな人がいるという多様性を肯定する人たち。
でも、これじゃあ社会が先へ進むことはないでしょう。それをはたすことができるのは、きっと次の世代でしょうね。いまの若い世代がやっていることは多様な社会の構築であって、より良い社会の選択ではない。
IT環境の整ってない職場。自分は商品開発で今の会社に入った。それはやっぱ昔から物作って生きていけるなら最高だなと思ったから。
けど、なんだかんだあって名ばかりのシステム担当をやらされてる。
きっかけは社内ネットワークがいきなり使えなくなった時。自分はパソコンがそこそこできるので、このままだと仕事にならんしって事で、家でやってるみたいにルーターにアクセスして問題を特定したら案の定、誰かがハブにLANケーブル突っ込んでループしてた。その時に「これ、誰かLAN入れましたね。これすると駄目なのでやってはいけません」みたいなこと言って、周りから「ありがとう」といわれて悪い気はしなかった。
そうして、だいたいよく起こるネットのトラブルは大体自分に任せればなんとかなるみたいな風潮が出来上がって、新しいパソコンのセットアップをしてくれと頼まれてホイホイとやってたらいつの間にか肩書が「システム部 部長」(なおシステム部は総勢1名)になってた。
商品開発部に出勤するのではなく、事務所のシステム部(総勢1名)の椅子に座ることになる。朝礼が終わったら商品開発部の部屋までいって商品開発部の朝ミーティングに参加して商品開発やっているけど、その上に急務でネット機器トラブルとか、PCのセットアップをさせられる。楽しくない…。
社長に「この仕事やめたいです」といったら「でも、もう君がいないとPC関係は回らないよ、給料上げるから居てくれ」と言われて断りきれずに、さらに給料も本当に上げてくれたのでやめづらくなる。
転職相談みたいなのに上記のこと話したら「無能力」っていう単語を教えてもらった。やりたくないことはできないでいいんですよって。
そう考えるとやっぱ自分が最初になんでもかんでもハイハイハイとやっていたのがいけなかったんだな、ってこの増田を書いている時も「PCが立ち上がらない(ディスプレイが消えていただけ)」っていうのが来て、うん、転職しようって感じ。
そのうちtogetterにまとめられそうだけど、暇だから増田でやっとく。
https://news.yahoo.co.jp/byline/komazakihiroki/20171010-00076753/
ゲイを笑いもの?バカか?想像力なさ過ぎだろ、あれはみんなゲイを笑ってるんじゃなく石橋貴明って人を笑ってる。バカが偽善者面して当事者を語るな
しかし実際に村本のタイムラインを見てみると、この件に関してかなり多くのツイートをしており、上記2件の「間」にも駒崎氏への重要な反論があったことが分かる。
最初のツイートから駒崎氏のリプライを受けて2つ目のツイートまでになされた発言は以下。
差別を受けたかどうか、またその傷の度合いは主観的な問題で本人にしか分からない。周りがどちらがひどい差別を受けたなんてジャッジできるものではない。LGBTとその他の差別を一緒にするな、という発言自体が、
関係のない第三者が勝手に差別を差別している行為でLGBTを差別している人と全く同じことをしてることに気付け。LGBTの人でも何も気にしていない人もいるかもしれないし、家が貧しくて(選択しようがなく)学歴を得られなかった人もいるはずなのに、その存在をあなたは差別している。
あと勝手に事実を曲解してくれてるけど、おれはLGBT痛がるな、なんか一言も言ってない。ちゃんとあなたのフォロワーにもこれリツイートしとけよ。
私見を述べさせてもらえば「おれはLGBT痛がるな、なんか一言も言ってない」はやや苦しい言い逃れで、この線で反論するならもう少し字数を割かないと読んでるほうには伝わらない。ただ重要なのはこの時点で村本はすでに「家が貧しくて(選択しようがなく)学歴を得られなかった人もいるはずなのに、その存在をあなたは差別している」と駒崎氏が無意識に行った学歴差別肯定について批判していることだ。前述のようにこれは記事に掲載された2ツイートの間になされた発言だから、駒崎氏は記事執筆の時点でそのことに触れることは可能だった。しかし駒崎氏はそうせず、結果としてはてブでは「いや学歴や職業差別もどうよ」と論点の蒸し返しになってしまった。
以下は上記に続く村本のツイートより。増田でURLを貼りまくると投稿できないので割愛するが、詳細は彼のタイムラインで確認できる。
(「本気で考えてくれるのなら、もうセクシャルマイノリティーは違うっていうのをやめてください。」というLGBT当事者のリプライに対し)
それはおれは違うくていまこそみんなで笑いと差別について考えたい。そして駒崎さんも本気で考えるからこそ憤り を感じるんだと思う。悪意ないと思う。
あと駒崎さんのことはあまり知らないけど絶対おれより立場の弱い人のことを考えてるはず。考えは変わらないけど 、バカって言葉は訂正と反省。不快な思いさせた人、申し訳ない。。
ほもおだほもおで傷ついたゲイの人のツイートはここぞとばかりにイイねRTして「当事者がこう言ってるぞ!」って言ってくるのにそれとは反対意見のさっきのゲイの人の意見は、ほぼスルー。都合の悪い当事者は無視。中にはフジテレビと石橋さんを叩きたいからゲイを利用してる最低なやつも潜んでる。
沖縄辺野古もそこに住んでる当事者意外が大きく叫んで地元の人が、基地はいるって言ったらそういう意見は無視されるらしい。お前の都合のいいように流れを持って行きたいだけじゃないか。偽善のお面かぶった本物のクズどもめ。
(これ叩く人は、ハゲネタも叩けよと思う。一貫性が無い。 村本さんの言ってる事のほうが一貫性がある。というリプライに対し)
それを言うとこいつらはLGBTの方が苦しんでるんだ!って言う。ハゲもデブも国籍も肌の色も学歴も職業も身内が犯罪者ってだけで差別されて子供もいる。でもこいつらはLGBTは違うっ!って本人にしかわからない当事者本人の苦しみに勝手に順位つける最低なやつら。
沖縄辺野古もそこに住んでる当事者意外が大きく叫んで地元の人が、基地はいるって言ったらそういう意見は無視されるらしい。お前の都合のいいように流れを持って行きたいだけじゃないか。偽善のお面かぶった本物のクズどもめ。
アベマプライムで小松アナが現地の人に取材行って平等にいろんな意見拾ってきてたよ。利権があるない、で大きく分けるとそれ以外の人を置いてくことになる。youtubeにあがってるかも。けどメディア頼りにせずもし本当に知りたいなら、自分で行って聞き込みしてみたら?
デモの権利を否定してるんじゃなくそこに住んでる人が自分と反対の意見を言った時に、耳を貸そうぜって話。大切な地元の人の意見をいまからリツイートするからそれちゃんと読みな。
おれは基地反対の人をクズって言ってるんじゃないよ。地元の当事者をいちばん大事にしようって話。基地は沖縄だけの問題じゃなく日本全体の話。誰かの過剰な正義が誰かを傷つけてるんだよ。LGBTの話然り。
だからおれは行ってるって。沖縄でライブあるから合間に行ける時見つけて行ってる。そして喫茶店の隣の席の地元のおっちゃんとかに話聞いてる。 ね、これで想像と決めつけで発言してるのはお前の方になったよ。お前の理屈で言うけど、おれがなぜ発言してるか、自分で調べてから言えよ。
ここまでのツイートも煩雑になるのを避けるためにいくつか抜かしてるので、詳細は村本のタイムラ(以下略)
個人的に今回見るべき意見はこの後の一連のツイートにあると思った。
お前らさ、全部テレビのお笑いのせいにしてるけどテレビのお笑いからそれらが無くなってもほかで残るぜ。だってテレビはいま厳しいからなるべくみんな意識しててのこれだから。それ言い出したらお前らが日頃の会話で何人の人を傷つけてるか。テレビはだめで個人はいいってのも解決にはなってない。
例えば、漫才でのボケのアホキャラ。あれは頭が足りないやつをみんな無意識に笑ってる。例えば、この前電車で男が女に「風俗嬢みたいな服やな!」って言って女が「やめてよ!失礼な!」って言ってたけどそこに2人とも悪意はないけど風俗嬢の人で傷つく人は傷ついている。気付いてない、もしくは
気付かないふりしてるだけでみんな多くのマイノリティーを悪意なく無邪気に笑ってる。そのマイノリティーの人ですら同じ。何度も言うけどLGBTでもなんでも傷つける人の悪意な強さと受け手の繊細さで、目が鋭い一重ですね、でも、泣いて学校いけないやつもいる。
お前らみたいな想像力と本質見えないやつのせいで、その当事者が、笑っちゃいけない、特別な人って指さされることをわかっちゃいかない。今回、当事者以外で騒いでんのは無責任に人を哀れんでるクソ偽善者。
ね。しかも彼は、おれの他の大切な発言は載せず、取材もせず、おれの発言の一部を都合よく切り取って利用しておれの真意そっちのけで記事書いてるってこと。と言うことは、この人はここでも当事者を無視した。
定義は傷ついてるか傷ついてないか、最初はそこスタートのはずなのに、職業や学歴差別で傷ついてる人の話をすると、同性愛は別だと言って逃げる。ただお前らが学歴差別でバカにされて死を考えてる人を知らないだけだろーよ。知らないものは、ないもの、とするな。想像力なさ過ぎ。
ここで「アホキャラは頭が足りないやつを笑ってる」と言うなら「ゲイじゃなく石橋貴明を笑ったのだ」はやっぱ通用しないわけで、案の定リプライで突っ込まれてる。
この増田執筆時点でも村本のツイートは続いてるので今後どっかで取り上げられるかもしれないが、とりあえず。
一応自分の意見を言っておけば、村本の主張にも見るべき点はあり、特に「人が自分と反対の意見を言った時に、耳を貸そうぜ」という姿勢は評価に値するとは思う。個々の主張内容については粗が目立つし同意できる点よりできない点のほうが多い。
ただしそれ以上に冒頭の駒崎氏の記事は恣意的に都合よく切り取って反論しやすいところだけにパターン化された反論を並べただけの印象。まずもって多様性を訴える側がパターナリズムに陥っている点で説得力がなく、議論の姿勢としても記事のクオリティとしても大いに疑問がある。特に「フォロワー何万人でテレビに出ている芸人の影響力が」うんぬんを言うなら、あなたの記事もYahooトップに載ることを知ってて書いてますよね。なんで無駄な下から目線で逆説的に相手を貶めようとするのか?対等や平等を支持する人間として、むやみに格差を作りたがる姿勢はいただけない。
最後にお笑いファンとして言わせてもらえば、村本のクズ芸は笑いになってない。嫌われ上等のような威勢のいいこと言うわりに、実際には嫌われたくないのがダダ漏れなのも痛い。ガリクソンがエハラをコケにしたり西野が声優を晒しあげたりしたのが批判されてたのと同じで、村本のは他人に難癖つけるタイプのクズだから誰も関わりたくないんだよ。ガリクソンや西野は自虐もできるからまだ可愛げがあるが、村本は自虐しても結局のところ自分が正しいと思ってるのが見え見えだし、ザマン取って変に格もついちゃったせいで更に可愛げが見出せなくなってる。他人に噛み付くタイプのクズ芸は山里レベルで話芸と世渡りが達者な芸人じゃないとキツイだろ。まあライブはまだ見てないのでそのうち見に行くけど。あとパラダイスは少しくらい仕事しろよ。一連の騒動中一回もお前の名前見てないぞ。
仮にそれが営業トークで、実際は早く出てほしいという状況だったとしても、だったら「ごゆっくりどうぞ」とか言わなきゃいいと思う。本音とまるきり逆の言葉を言っておいて言葉どおりに受け取ると内心で怒るやつってめんどくさい。
サービス業だと「混んでるのにごめんね~」とか客がいったら「いえお気になさらず」ぐらいは言わざるを得ないと思うけど、「ごゆっくりどうぞ」は言い過ぎというか自分で自分の首を絞めていると思う。私もわりと空気読めなくて人の言葉を文字通りに受け取るタイプだけど、言葉どおりに行動したがために顰蹙をかうのはむかつく。絶対に表裏の激しそうな京都人とは仲良くできないと思う。
業務上やむを得ず本音と違うことをいうとか、相手を傷つけないために軽いウソをつくとかは世渡り術として必要なんだとは思うけど、せいぜいオブラートに包む程度にしておいてもらわないと私は理解できないし、それで「私の気持ちを分かってくれなかった」とか文句言われても知らん。逆に本音と違うことを言っておきながら自分の気持ちを察してほしいとか思う人間の方が甘えていると思う。
そうですね、他人の尺度でビクビク生きている女はすごく多いですが、他人の尺度なんて存在すら関知せず、自分の信じる世界観こそ常識、と思っている新世界の神な女も非常に多いです。
男も、くだらないオモチャに独自の価値を見出して楽しく暮らしているバカなおっさんも多いですが、自分の考える世間体や世渡り術で妻や子供を縛り付けることも多いです。
ところで、他人の目に怯えて暮らすのって人生損していると思いませんか?
もっと楽しいと思うことだけを考えて生きた方がよくないですか?
ですが、自分一人が楽しかったと思う人生を歩んでも、世の中的には無価値ですよね。
多少は楽しさを犠牲にしても、他人に評価される人物であり、評価される業績を残さなきゃいけないのかな、とも思います。
何事もそうですが、自身の考えを、どう生かすか、が焦点なのかな、というのが真理かもしれません。
他人の目が気になる人は、ビクビク怯えて暮らすのではなく、他者の評価に耐えるくらい努力をして自信を持つべきでしょう。
自身の価値観と快楽のみ重視する人は、その享楽がどこかで誰かの役に立たないか、他者に価値観を押し付けてないかという観点には敏感であるべきでしょう。
誰しも自分一人では生きられないのだから、自分にとっても他人にとっても幸せな生き方をして欲しいと願っています。
全ての人がね。
https://anond.hatelabo.jp/20170804223333
前にいた会社はかたくなにメールアドレスを必要ないとつっぱねている人がいた
直接電話か会うかしないと、心がこもっていないとかいう謎理論だった
効率だけを考えて、直接対話(電話や対面)などより重視するタイプもいる
しかし世の中のおっさんには、効率よりも対話や電話でのコミュニケーションを求める人も一定数いるのだ
この手のタイプは、逆にうまく会話しておだててやると、同じくコミュニケーションでいきている奴らとの間をうまく橋渡ししてくれたりもする
周りの人が忠告してくれてたんだから、あなたが空気読めなかったとしかいえん
気持ちはよーくわかるし、増田のやり方は効率がいいんだろうけどね