はてなキーワード: メンタリティとは
分かる。お前達の気持ちはよーく分かる。
「釣りと見抜いた俺カッケー」もしくは「釣りにマジレスしてる奴らダッセェw」てメンタリティなんだろ。
真正面から増田にぶつかってさ。思考実験をするでもよし、教訓を得るでもよし。
AdBlockという、Web上の広告を非表示にするツールがある。
はてブほか、このようなアド(=広告)ブロックツールを喜んで使っているやつらは多い。
しかし、彼らは自分たちが「割れ厨」と同じことをしている自覚が無いのだろうか。
割れ厨とは、漫画・アニメ・ゲームなどのコンテンツやソフトウェアを正当な対価を支払わずに
無料で入手している人たちのことを指すのは御存知の通り。
このワードのポイントは、「正当な対価を支払うことなく」、「無料でコンテンツを取得」しているという点だ。
殆どのアドブロック利用者は、自分の行動が割れ厨の行為と類似していることに無自覚である。
特に、Web上のサービスというものは、サーバ代がかかる以上は必ずお金がかかる。
つまり、Web上のサービスにおける広告表示とは、サービス料金がタダである代わりに利用者側が支払う対価である。
だからこそ、多くのWebサービスやアプリで、お金を支払うことで広告が非表示にする機能があるのだ。
すると、AdBlock利用者のやっていることは、本質的には割れ厨となんら変わることがない。
「正当な対価を支払うことなく」、「無料でコンテンツを取得」しているからだ。
これは、言うならば「アド割れ厨」とでも呼称すべき存在だろう。
厳密に言えば、マンガのダウンロードに関しては現在も罰則規定はない(よって、民法上の争訟しか存在しない)。
一応法律上の規制はあったが、歩行者の信号無視や自転車の並走禁止と同レベルの規制でしかない。
だから、割れは問題無いと主張する割れ厨が多かった(今も多い)ことはご存知か?
アド割れは現在のところ刑事罰の対象になっていないが、それは法律の問題でしかなく、倫理的にやっていることは大差ない。
以下の記事にもあるが、米ネット広告業界ではこの機能への訴訟が検討されている。
http://zen.seesaa.net/article/425387889.html
もし訴訟で勝った場合は、アドブロック行為が犯罪であることが法的にも示されることになる(あくまでアメリカでだが)。
答えは単純で、ライバルの利益を阻害しつつApple自身の売上には全く響かないからである。
Appleは基本的にハードウェアを売って儲ける会社であり、Webサービスを売上として会社ではない。
それはさながら、Winnyでファイルを大量にアップロードしたものが捕まっても、ダウンロードしか行っていないユーザーは捕まらないので割れを続けている状況に似ている。
確かに、ウザい広告はある。特に小さい画面を専有する広告がウザいのは私も同意だ。
だが、それがなんだと言うのか。
「この本は、本文で著者が他の作品の宣伝をしていてウザいから無料ダウンロードしても問題ない!」
「この映画は、動物虐待があるインモラルな映画だから無料ダウンロードしても問題ない!」
と主張することと何が違うのか?
広告がウザかろうが、それはコンテンツ配信者が選択した広告なのだ。
つまり、コンテンツ利用の対価として運営者が設定したものなのだ。
その対価がウザい(=料金が高すぎる)というなら、そのサイトを見ないようにすれば良い。
幸いにして、普通のボッタクリ店と違い、うっかりそのサイトをクリックしても、広告が表示されるかされないかの段階でブラウザバックすれば対価は取られずに済む。
広告がウザいからブロックして問題ないという主張は、どう考えても割れ厨の自己正当化(どうせ買わない作品をダウンロードしているだけだから問題ない、など)とあまり違いがない。
コンテンツを読むなら対価を払え。それが嫌ならブラウザバック。
ただ、それだけの話なのだが。
以上より、アド割れ厨たちのメンタリティがいかに割れ厨と被っているか、また彼らが自分たちの犯罪的行為を正当化するために用いている論理がいかに脆弱かが分かったと思う。
しかし、割れ厨がいくら批判されても割れを止めないのと同じく、この文章を読んでもアド割れ厨たちはアド割れを止めないだろう。
「この研究のオリジナリティは?」って耳にタコができるほど言われる大学院生だけど、色んな研究を見てきて、本当の意味でオリジナリティがある研究なんて一握りしかないと思っている。
①○○を原料にして××を作った。
②××を△△に適用した。
このふたつの研究は存在するのに、○○を原料にして作った××を△△に適用したら今までよりもめちゃくちゃよかったぜ!!なんていう、その2つの足し算みたいな研究が認められて論文になったりする。まあ、ある程度成熟した分野っていうのはニッチな方向に進むのも確かなんだけど……。
話題のデザイン界の問題は、他人の論文だけで自分の論文を書いちゃったみたいなもので、それがレビュー論文ならまだよかったのだろうが、他人の論文からデータを集めて、さらに改竄まで加えてちょっと新しいでしょ?って発表しちゃったことだろう。
発表の場がマイナー学会の支部大会程度ならバレないのかもしれないけど、世界規模の学会の基調講演じゃお手上げだよ。芋づる式に過去の不正が見つかって、博士論文も取り下げられるかもね。
研究者が大切にしなくちゃいけないのは誠意だ、ってうちの教授はいつも言っている。そういうメンタリティが研究者を研究者にしているのだと。
この問題はもう民意がズバズバ入っちゃっていて、本質なんてどうでもよくなってしまっているように思える。外から見ていてやるせないのは、デザイナーという職業が日に日に低く見られていっていること。まるで小保方さんのときみたいだ。
業界全体で「デザイナー」のメンタリティをしっかりと発揮してほしいと思う。ひとりひとりのデザイナーが、デザイナーのメンタリティを見せて欲しい。
そう聞かされて来た。
それに対してどうのこうの言うつもりは毛頭なく、ただ、何かに似てるなと思ったら、
日本は9条があるから守られていると言う変な幻想を未だに唱えてる集団と、根本は同じじゃないだろうかと。
戦前、日本はその特殊なメンタリティ、国民性、さらに外交の稚拙さ故に世界から孤立し、戦争へ走った。
きっとばあちゃんの「神の国」という言葉も、そういう中で周囲からそう教育されて来たんだろうと。
でも、その周囲を作ったのは誰なんだろうと考えると、それは当時の政府・軍部もあるだろうけど
それを煽り立てたメディアであると言う事は、今では誰もが知っている事。
翻って現代、「戦争法案」を唱え、本質を歪曲し誇張して煽動しているメディア。
9条と言う実体のない「神」が居れば救われると思ってるお花畑の人達。
そういう意味で、「戦争は悪だ」「日本が悪い」だけを植え付け、「なぜ戦争に走ったのか」について
正面で向き合ってこなかった戦後教育の恐ろしさが、ここに凝縮されている様な気がする。
神である9条を唱え、自分たちは独立独歩でやって行くと、他国に一切干渉せずやって行くと、
それが出来るならそれでいい。だが、それならば尚の事軍備を強化する以外、自国を守る手段が無いよ?
おいおい、これって戦前と同じ構図じゃないか?
妻がさ、何でも試食するのよ。
オレ、試食がイヤでさ。
「買おうかな、どうしようかな」ってときならいいよ?
でも買わないでしょ、ほとんど。
買うのなんて決まってるでしょ。
妻もさ、買わないのよ。
食うだけ。
「買わないなら食うなよ」って思うわけ。
妻からしたら「だってくれるんだもん」ってことなんだろうけど。
撒き餌だけ食って釣れない魚みたいなもんじゃん。
店員の期待を裏切ることに罪悪感があるわけよ。
試食を断るストレスと、試食しながらセールストーク聞かされて断るストレス比較したら後者が大きいでしよ。
どういうメンタリティなの?
平気なの?
タダでモノもらうの平気なの?
「あげたらもらう、もらったらあげる」という社会の慣習は心の中に浸透してないの?
断る力があるの?
NOと言える日本なの?
こんな時代だと有名人になるリスクが大きすぎて「芸能人になりたい」とか「有名人になりたい」なんて言う奴の気が知れない。
下手したらテレビでインタビューに答えただけで画像は永久にネット上に残り、SNS上で特定され、
過去に行ったことが露わにされ、有る事無い事書き込まれて人生が終了する。
売れっ子芸能人になれば給与面でネガティブ面をカバーできるのかもしれないけど、
そこまで行き着けるなんて稀だし、そうなったとしてもたった一言の失言で総叩きにあい人生が終了する。
膨大な金が稼げる売れっ子芸能人になること以外で有名になるのは、どう考えてもデメリット面が大きいと思う。
有名人になりたければ、一点の曇りもない完璧な生き方をして絶対に叩かれないようにするしかないけど、そんなの無理。
完璧なら完璧で「鼻につく」「いい人ぶってる」とか叩かれるだろうし。
したい仕事をして、その結果評価されて有名になっても、その先にあるのは見ず知らずの人に叩かれ続ける人生だ。
叩かれても無視すればいいのだろうけど、何万人という人に批判されて正常な気持ちで居られるのってさすがに難しいと思う。
中学生になって最初の音楽の授業で練習させられたのがマイバラードだった。
当時はパッとしない曲だと思ったし、合唱ってのを授業でそれまでに比べたら割と本格的に練習させられるってのが初めてで退屈だと思った。
でもそれから15年以上たった今でもたまにyoutubeで聞く。
他にも合唱コンクールで歌った曲、とくに時の旅人や、卒業式で歌った旅立ちの日にも聞く。
合唱曲って曲自体のよさと思い出が合わさってとんでもない郷愁を感じさせるんだよな。
んでだいたいyoutubeで合唱曲のコメントに、優勝するぞとか書いてあるんだよな最近は。
昔はyoutubeなんかなかったけど、合唱曲を通して感じる根っこのメンタリティーは何も変わんないだなと思って不思議な気分になる。
つか時の旅人の完成度やばくね?
なんかすげー完成されてる感じ。
そこで「下位旧帝」とか言い出しちゃうメンタリティがしょぼすぎて泣けるって言ってんの…。
なんつーか…いい歳こいていつまで大学受験してんだよって感じ。
大阪、東京、さらに地方の10万人の街、地方政令市、などなど、で暮らしたことある俺が調べてみたよ!
東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県の4つを合わせた人口は3562万人!
この人たちは、俺らは東京周辺に住んでる、日本でも中道の人間だぜ!って思っていることでしょう。
実際、1/4を超える割合です。
紛れも無い都会人ですね。
実際は、房総半島の先っぽとかは絶望的な田舎なんだろうけど、ざっくりとした話だから許してね。
大阪府、京都府、兵庫県、奈良県、滋賀県の5つ合わせると1991万人!
この人たちは土曜のお昼に新喜劇見て、せやねん見て暮らしています。
16%というと、時計で言えば12時間中2時間をしめているので、それなり、ですよね。
都会人です。
日本海側や琵琶湖の東側とかは死ねるけど、気にしない気にしない。
関西ほどじゃないけど、かなり近い数字になっていて、人口の9%を占めます。
岐阜県が案外人口多くて、案外名古屋にすぐ出れることを、関東人は知っているかな?
ここまで、いわゆる三大都市圏が出ましたが、この合計ですでに日本人口の53%を占めていますよ。
つまり、日本人の半分以上が大都市に暮らしてるってことですね。
じゃあそれ以外は田舎?
いわゆる大都市に通勤したり気軽に遊びにいったり、ではないけど、自分の街はそれなりの都会で満たされてるぜ!って人です。
この人たちは、自分たちが中心じゃないことを知っているので、ローカルなメンタリティを持って生きています。
が、関東人がバカにするような田舎じゃなく、都市にあるものは大体そこで買えます。
種類は選べなかったりするけどね。
札幌、福岡、広島、仙台、北九州、新潟、浜松、熊本、静岡、岡山、この10都市の合計で1034万人!
県じゃなくて全部、市のことだよ!
これが全て田舎か?というと必ずしもそうではなく。
例えば福岡県は福岡市と北九州市を擁する九州の中心都市ですが、福岡市のベッドタウンをカウントしてません。
それと、田舎県の高知県や香川県でも、県庁所在地とそれ以外の街では天と地の差があります。
しかし、それでも一応、残りの人々は、そんな気軽に街には行けず、行けても地方中核都市、という環境です。
申し訳ないけど、ざっくり田舎と言ってしまいましょう、ここでは!
県庁所在地だけここでくくり出すのは大変だし、ん?米子?鳥取?みたいなことも起きるからね!
案外、多いよね?
都会・田舎論争が起きる時って、関東人28%と田舎人39%の構図になって、関西人東海人地方都市民33%が両方わかるんだよなァ、な感じになってるんじゃないかね。
両方経験してる人は案外どっちかの立場を強く推してる気がするし。
これ、いい感じのバランスじゃない?
関東人28%、田舎人39%、関西人東海人地方都市民33%、って。
関東人は最多数の中心派閥ではあるけど、自分の環境や意見が、日本人の総意である、当たり前である、なんて思い込まないことね!
ところでこれを面積でするとどうなると思う?
関東3.6%、関西6.0%、東海5.7%、地方都市2.2%、それ以外の田舎82.5%ってなるんだ。
なんだいそりゃ、って話だよね。
だからね、お前の提案は、俺からみてどう見ても不合理だし、それが採用されてしまうと、どうみても俺の負担が増えるし
いや、負担が増えてもそれに見合う成果がでるならいいが、どう考えても、そう思えないってか、いろいろマイナスに見えるから反対なの。
で、お前の〝意見”に反対なのであって、〝お前の”意見だから反対なわけじゃないの。
それが‟お前以外の誰か”の意見であっても、おんなじ内容なら反対するの。
っていうか、そんなにお前に興味ないの。
‟お前の意見”が俺の仕事に影響するから関心を持たざるを得ないけど、‟お前という人間”それ自体のことなんて、どうでもよかったの。
「愛の反対は憎しみではなく無関心」っていう意味で無関心だったの。
それをなに?
なんか、自分の全存在を否定されたような顔して怒らないでくれる?
対抗してるんだかなんだか、俺の全人格否定みたいなことを、喚かないでくれる?
裏でいろいろ言うのもいい加減にしろよ、俺のところにも届くんだから。
っていうか届くように言ってるんでしょ?
なに? 自分の意見を否定する奴は、全部お前の存在全部を否定する敵なの?
安保法案に反対したから、慶応の小林教授をブサヨ認定するネトウヨみたいな奴なの? お前。
俺はアルコールに弱いから、そろそろちょっと一息入れたくて酒飲みたくないっていってるのに
「俺の酒が飲めないのか?」的な非言語メッセージを全身から醸し出す昭和の遺物オヤジなメンタリティなの?
そんな年齢でもないだろうに。
こういうことが続いていくと、
俺もさすがにお前を「無関心」から「憎しみ」の対象にシフトしなきゃいけなくなるから
それはそれで面倒くさいの。
「無関心」にはエネルギーを費やさなくていいけど、「憎しみ」にはエネルギーがいるの。
分かる?
イタリア人とフェラーリのデザインの仕事をした奥山清行って人が
「イタリア人の凄いところは、会議ではそれぞれが意見を主張して、日本人が引くほど激しく口論してるのに、
時間がくるとスパっと会議やめて仲良くエスプレッソなんぞ飲んでるところ。
日本人はイタリア人を怠け者と思っているけれど、一流のイタリア人は日本人なんかよりよっぽど合理的だし、集中して効率的に仕事している」
・星河万山霊草紙(1) 鈴木有布子
タダだったから。2話ぐらいだけなのね。
お兄ちゃんの、ひどい仕打ちを愛によって受け止めているそのメンタリティがキモカワイイっていうのかな。ひどい仕打ちに快感を感じるMとは違う。
おれはBL読まないので、BLの文脈はよくわからない。なので、ラブコメとして読んだんだけど、恋愛限界事例って感じ。
不憫系ってジャンルがあるみたいだけど(おれは良く知らない)、この作品はひどい状況を悲しく表現してはいないし、笑いをとる方向にももって行っていない。それによって、(人の心理を中心にしているにもかかわらず、)誰かへの移入に頼らず、ニュートラルな納得感を読者に与えているように見える。
暗くも明るくもしない作者のバランスがガッツリはまった良作ではないかと。
恋愛プロセスにおける、"おかしみ"がうまく出ている感じ。独特のクドさのある人の画も良い具合にはまってるのでは。
画も内容も昔より暑苦しさが増してる気が。
閉鎖された仲良し空間の暑苦しさを楽しみたい人には最高。個人的にはちょっとおなか一杯。
・恋は雨上がりのように(2) 眉月じゅん
1巻を買って、迷ったけど2も購入。
純愛ものをひねりの無い展開でシリアスにやってて、でも古臭くならないように注意している感じかな。
百合を面白いと思ったことがないにもかかわらず、たまに、なんとなく、買ってしまう。
これもそのうちの一つだったけど、おもいがけず面白かった。初めて百合を面白いと思ったかも。
この手の逆転系はよくあるけど、無理のない展開って結構難しいと思う。にもかかわらず本作は納得感ありつつ進行していて良い。
そういった意味では、百合じゃなくても面白かったんだろうなとは思う(百合環境の上で成立しているので、実際は必須なんだけど、比喩として)。
画はうまくはないけれど、人のたたずまいや、内面が表出する部分を丁寧に表現していて魅力がある。
結局、内容が良ければ、百合もBLも面白いってことなんだなー。などという当たり前のことを、「彼女の世界」と「起きて最初にすることは」に教わった。
タダだったから。
・ヨコハマ買い出し紀行(1-12)芦奈野ひとし
過去に紙で読んだ作品。その時もドはまりした記憶があるが、改めてハマった。
kindle で1巻が無料だったので、「なつかしーなー」と思って1巻を読んだら面白くて結局2-14巻も買ってしまった。
人類の来し方と、残る世界の行く方が交差する大きな転換点をユルい日常の連続と個人の視点で(いまなら許されないだろうと思うほど)暗示的に表現しており、今読んでもユニーク(のんびりした終末感は"渚にて"が思いつくけど)。
テーマは基本的に作品の背後にあるが、ポツポツと表出されるところの表現が秀逸。アルファさんの「知ってるよー」は何度読んでも泣く。
日常のユルい表現も、言語化されない人(じゃなくてロボットか)の心理が多分に含まれていて、その密度感が作品の足元を支えている印象。
芦奈野ひとしが画が上手いのは今更としても、この作品が一番ハマってるなあと改めて思った。光/影/空気/地表/大気/水面/空/雲/晴れ/雨/土/砂/コンクリ/鉄/木材/植物/朝/昼/夕方/夜.....作品の環境に関するあらゆる表現が驚くほど高度でビビる。
・ストレッチ(3) アキリ
だいたい web で読んでだけど、また読んでも面白い。5回ぐらい読んだけどまだ面白い。
2人のトゲとボケを含む愛のあるイジリあいはいつまででも見ていたい。画もうまい。
どうでも良いけど、ワンレンのOLって。作者は幾つぐらいの人なんだろ。
完結してた。
このくらい恋愛要素が奥まってるほうがイイと思う。
建築については、その魅力がなかなか伝わってこなかった。人的なドラマ要素を持ち込んでいるので退屈はしないけど。
作画はマユリの頭がコーンヘッド気味に見える絵が多くてちょっと気になった。後頭部が上にトンがってるように見えると言うか。(追記:観察してみたら、こういう風に見える人いるね。特に女性。なのでこの評価は不当だと思う。よく見てから言えって話だ。)
女性がかわいいとされてる作家だけど、個人的には男性のほうがバランスよくて上手いような気がする。
・となりのロボット 西UKO
ロボットというと産業ロボットなんかも含むので、どちらかというとヒューマノイドとかアンドロイドって言う方がしっくりくるんだけど、あえてロボットって言い方をチョイスしてるんかな。ロボットの存在の仕方について、突っ込んで考慮されてて面白かった。作画はあんまり。
完結してた。ダラダラ続けるのに良いフォーマットだったと思うけど。
もうちっとぶっ飛んだ感があったほうがこの作家に向いてるかな。とは思った。
作画はいつもの通り、デフォルメして特定のパタンに落とし込む方向。顔はうまいだけじゃなく、場面ごとに表情が丁寧に考慮されていて、見ていて楽しい。
街の作画もかなり丁寧(重要な要素だしね)で、都心近くのちょっと古い商店街/住宅地の感じが良く出てると思う。
スズナが公園で遊んでる回の作画は全身で動きがある画が多くて良かった。
この作品では初めて見る構図やポーズも自然で良い感じにこなしており、上手いと思った。
普段ほとんど室内で顔ばっかだしね。男女ともにみんなカワイイので良いけど。
黒目が大きいのが個人的にはあんまりなので、スズナとウリサワが好き。
・うきわ(3) 野村宗弘
終わってた。着地点は、まあ妥当というか、これ以外の着地は難しいだろうなあというところ。
エンドロールもそうだったけど、ミニマルで内向的な作品が続いていて、その辺のニーズが強いんですかね。
鉄工所みたいに、にぎやかな作品もそろそろ読んでみたい気も。
・ちろり(7) 小山愛子
概ねいつも通り。ちろりは話の流れ的に表情が増えてきた気が。
ややエグみのあるエピソードを笑いやノスタルジーに落とし込んでいて、好き嫌いの分かれる作品だと思う。
個人的には、つまんなくはないけど、好きではない。って感じかな。。
・ふだつきのキョーコちゃん(4) 山本崇一朗
何を楽しめば良いのかがよくわからないというのが正直なところ。つまんなくはないけど。
キョーコの体質を基にしたドタバタなのか、兄妹のイチャイチャなのか、ラブコメなのか。そのほかの何かなのか。
雑多なネタを扱う作品は結構あるけど、その路線で成功してる作品はメタなレイヤーでの一貫性があるように思う。
いつも通り。前巻で娘が出てきて波風あったので、今回やや退屈な気もするが、そもそもそういう作品なので文句はないです。
大河系というか、こういう系は完結してからまとめて一気に読んだほうが面白いね。
1-10を続けて読んでるときは面白かったのに、間があいて 11 を読んだら、ちょっと没入できなかった。
・コンプレックス・エイジ(4)佐久間結衣
新キャラ投入でやや波風ありつつも、面々が相変わらずまじめに楽しくやってる感じ。
とある漫画家の昔語りとしてそれなりに面白かったので、死をあんなに盛り上げなくても、もちっとサラっといっといても良かったんじゃないの?って気が。
まあ、この作者なら盛り上げていくんだろうなあとは思ってたけど。あまりにまんまで笑った。
台湾で起こった粉塵爆発の『台湾テーマパークの事故、爆発の瞬間』という動画のコメ欄で、なぜか唐突に
「台湾は嫌いじゃない」などと言い出したりする人がいて訳が分からなかった
じゃあ嫌いならどうだったのかとそのまま眺めていったら「台湾ざまぁ笑」と言った後で「そうだった。中国とは違ったなすまない。」とか訳のわからないことを言い出してる人がいて、
アドバイスありがと
実は玉砕しますたの前に補足と、後に続きがもうちょいあるから書くよ
補足
最初のメールで個人メアドとlineは教えてもらったから、それ以降玉砕までは全部個人用の連絡先でやってた
んで続き
疲れ気味で~と誘いをかわされた後、一応またメールしたんよ
内容は「今付き合ってる人か、気になっている人はいますか?」っていうストレートなもの
駆け引きとか面倒だし、気を持たせられるだけ持たせられて玉砕して傷つくのも嫌だったから、もう率直に聞いた
そしたら、「付き合ってる人はいないけど、気になっている人はいる」って返信
だからこれ以上誘うのはウザいって確証を得られたと思って、その返事に対するお礼メールだけして、
好きな人いるって知ってるはずなのになんで連絡してくんだよ的にうざがられるとどうしようっていう不安もあるし、
何よりも好きな人がいるっていうようなメンタリティを持つ女性と自分は合わないだろうなって感覚があったから
気になっている人がいるのに合コンに参加して、あまつさえ見知らぬ人と連絡先交換してくれるくらいだから、
多分頑張れば少しは望みがあるのかもしれないとは思うけど、
もうそこまで頑張る気力がない
率直に言ってしまうとそういった駆け引きとかやりとりの積み重ねがめんどくさくてやってられない
結婚に向いてないんだと思う
まともに付き合ったことがなさすぎてこじらせすぎてもうどうしようもなくなってる
結婚どころか最近は生きる気力もなくなってきてるレベルだし(別に今回のことが直接的なきっかけではない)、
いろいろと保留って感じす
ファッション鬱は大抵、バカにされる。四方から攻撃を喰らい、ネットで「あたしたちって繊細だよね」「そうだよねこんな冷たい社会なんて生きていけないよね」と傷を舐め合うしかない。
で、そんなのが許されるのは身内の葬式に出るまで、昔で言えば親だけど、今は寿命が延びているので祖父母の死あたりだろうか。少し前に、私も最後の祖父母を喪った。
今年に入ってから、必要以上にうつ病の罹患を恐怖するようになった。
昔は楽しげにウツダシノウとか言っていたのに、今は恐れしかない。
イライラの多かった無職時代に処方してもらった眠剤の最後の一錠を二年ぶりくらいに飲んだ。
そう言えば、安定剤を処方してもらっていた頃、よく通勤電車で具合を悪くしていて、医師に成分最小の錠剤に切り替えてもらったことがあった。何種類も薬を飲んでいる繊細メンタリティな方々は、そりゃまともに働けなくなるわとあのとき悟った。
でも、今は事情が違うのだった。
昔うつ病をこじらせて自ら命を絶った友人は、肉料理が大好きだったにもかかわらず、死の前には老人や離乳期の赤ちゃんのように、お粥しか食べなくなったという。
今の私の味覚も満足感も、お粥が最上である。どんなに贅沢な肉や好きな麺料理を食べても、お粥の満足度には敵わない。お粥はいいものなのだ。
けれど、お粥を食べれは食べるほど、他の食べ物がどんどん美味しくなくなっていく。
とりあえずなんか口に入れて暇潰しをするだけ。
味覚が鈍化したかのようですごく怖い。
コロッケ?あ、こないだ吐きましたね。食べたときは美味しいと思ったんですが。
うつ病になりたくない、うつ病は怖い。だって治らないんでしょう。
でもこのままでは本格罹患してしまうかもしれないし、既になっているかもしれない。
どうしたらいいのか、うつ病なんて嫌だ。