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はてなキーワード: ミクロとは

2021-01-07

例えば人間誰しも賭け事のような事を考えていて

……晴れたら⚪⚪⚪⚪⚪⚪⚪⚪⚪⚪⚪しよう

……⚫⚫⚫⚫⚫⚫⚫⚫⚫⚫が🔻🔻🔻🔻🔻🔻🔻だったら⚪⚪⚪⚪しよう

……等々のミクロマクロで魅惑的で真っ黒な

……情熱を灯している

……と言うことは

2021-01-04

飲食店潰れてなんか問題あるか?

ミクロの話じゃなくてマクロの話な

要は金が巡らなくなる(しかも大した規模でもない)だけだろ?

金を失ってるわけじゃないし別にいいじゃん

2020-12-30

自分の頭で考えろ、の至近でミクロな例が

呼ばれたくない呼称はあるが適切な呼称はお前が自分で考えろ!であるとも言える。

2020-12-29

anond:20201229012533

ミクロを統べるヤツを可愛がり優遇マクロで統べることで統治するんや

選挙マクロであってるぞ

2020-12-24

anond:20201224004830

マクロ的には教育資本がある者が多くなる、というのが事実であって、それによってミクロ的な事実努力しなかったか元増田はクソ人生を送ってるし、現に資本なしで成功してる人がいる)は覆らないぞ。

2020-12-21

anond:20201221101605

うちの親も親安倍・反菅だが、言うには政策全然違うと。携帯料金引き下げみたいな問題は、問題があるなら部下(総務大臣?)に解決させる問題であって総理大臣音頭を取るようなものじゃないだろうと。マクロ経済政策重視とミクロ経済政策重視の違いってことなんだろうけど、そういうことを知らないパート主婦でも肌感覚で分かるものなんだなって思った。

2020-12-19

anond:20201219233746

そもそも企業個人というミクロ主体合理的行動が

マクロ的な結果として好ましくなく、それを是正できるのは政府だけ

というのがインフレターゲット支持者の言い分なので、

それを主張する人たち個々人がプライベートでは支出を削りたがったところで、

その主張には一切の傷が付かないわけだが、頭の悪い元増田には高級すぎるお話だったか

2020-12-18

anond:20201218144555

ミクロで見れば影響なくてもマクロで見れば影響はあるんだぞ

2020-12-11

"差別"とは何なのかとそれへの私見

追記意図しない読み取られ方があるので前に移動しました、誤解を招く表現だったことおわびします)

 私は、書き忘れていたが、日本国憲法第14条に規定される属性による区別は当然のことながら差別だと考えている。私があげた絶対不可能属性による区別の話は憲法規定されていない属性に関してそれが差別かどうかを判断するガイドラインとして扱ってほしい。

日本国憲法14条

「すべて国民は、法の下に平等であって、人種信条性別社会的身分又は門地により、政治的経済的又は社会的関係において、差別されない。

華族その他の貴族制度は、これを認めない。

栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。」

社会的身分には職業が含まれると考えるのが相当であるので、私も職業差別には反対の立場であることは変わりない。

 そもそも先述のガイドラインにたどり着いた理由説明すると、すべての人には自由があり、差別として行為禁止を行う余地はできるだけ小さくしておくべきという私の価値観がある。ただし、生来変更不可能属性に基づく差別第三者による救済が難しいものが多いため、差別禁止によってもたらされるデメリットよりもメリットのほうが圧倒的に大きいのはほぼ間違いないであろう。一方で生まれから少しでも選択余地のある問題に関しては差別禁止するよりも、その人が選択できる余地を増やすことを通した救済が比較的行いやすい。そのためそのような問題に関しては差別の撲滅に注力するよりもより救済を行う方へ注力するほうが望ましいと考えている。

 加えて合理性を求めるひとがいるが、およそ全て人間バイアスを経て観測した世界に対して最も合理的な行動を常にとっている(たとえそれが周囲に人間にとって不合理に見えたとしても)。合理性客観的なようでその人の価値判断目的などに左右されるきわめて主観的ものである。この文章は私にとっては合理的に思えるが、読む人にとってはそうは思えないかもしれない。合理性とはきわめて主観的かつ相対的ものなのである。ただ、社会的意味での合理性は人々の議論を通じたコンセンサス形成によるものであるので、成熟した議論を経た後での差別の描像がはっきりとより多くの人に共有されることを望んでいる。

追記ここまで

中学受験に関しての増田を端に発した議論はてな界隈で盛んになっている。

大方ブクマカダブルスタンダード批判したものであるが、そもそも差別はてなーすべて同じ意味で使っているとは思えない。例えば公立中学に通っていたことを黒人になぞらえて批判しているエントリがあったが、肌が黒いことと公立中学に通っていたことが全く同列に扱われるべきものとは現在社会通念に照らしてもあまり一般的な考えではないと私は考えるが、その増田にとっては同じようなものとして考えていることは明らかである。その是非はともかくとして、現状においては差別は各人それぞれによって定義されるものといって差し支えないため、さまざまな形態区別を明示し、その日本社会およびはてなでの受容のされ方について考えるとともに同時に私見を述べてみたい。なお、どこから差別と考えるかは各人に委ねたいと思うのでここから先ではあえて「区別」という言葉を使う事にする。加えて強調しておくが、これはあらゆる社会通念に照らして問題とされている差別肯定するものではない差別とは何かを考える指標としていただきたい。

1. 日本国憲法第14条に定める属性および性的志向による区別

 これははてなーはもちろん、現在社会通念上認められていないといって差し支えない。特に性別についてはこれを支持する判例存在し(e.g. 最判昭和56年3月24日民集35巻2号300頁 いわゆる日産自動車事件) 、これはおそらく論ずるまでもなく明らかである。ただし憲法私人間効力については間接適用説が主流となっているため、例えば三菱樹脂事件のような判例存在する。ここでは憲法議論意図したものではないのでこれ以上は触れない。

2. 病気による区別

 これは最近聞かれる医療従事者への偏見にも関連している。社会的な建前としてはおそらく差別だと認定されているが、実際としては差別だとする意識が1.ほど完全に浸透しているとは言い難いところがあるだろう。おそらくはてなーに聞いてもこれは差別だと(それが建前であっても)答えると思う。なお、実際にHIVについては陽性者に対し無断で検査を行い陽性だったことを理由解雇した事件についてはその解雇無効であるとした判例存在する(千葉地判平成12年6月12日労働判例785号10頁)。

3. 年齢による区別

 このあたりから判断が難しい。現在社会的定年制は受け入れられている(是正しようとの動きもあるが)ため、年齢”差別”という言葉社会的にまだ受け入れられていない可能性は高く、受け入れられるにしても近い未来ではないだろう。おそらくはてなーでもこのあたりから認識が分かれ始めると思う。以前あった私立医科大学女子生徒と多浪生を意図的に排除していた問題にあってはこれを問題視する風潮がはてなにはあったのは覚えている方は多いと思うが、定年制への問題視はあまりなかったように思える(これは自分の印象)。なお、判例においては定年制公序良俗には反するとは言えないとの判例が出ている(東京地判平成6年9月29日判時1509号3頁)。

4. 学歴学校による区別

 これは今渦中にある問題である。実際として就活においてはいわゆる学歴フィルター存在しないと断定することはできず、存在するものと考えるべきだろう。しか厚生労働省ガイドラインhttps://www.mhlw.go.jp/www2/topics/topics/saiyo/saiyo1.htm)にも採用の可否を決める要素となってはならない項目の中に大学名・学校名に該当する項目は存在しない。少なくとも採用の場においては大学名のみによる扱いの差を設けることは認められているといって差し支えないだろう。私の周りを見渡しても実際学校の評判とそこへ通っている生徒への評価が関連づけて語られることも多く、私的な場においてもこれがタブーとされているとは到底言えないであろう。実際はてなーでも公立中学を「動物園」とまで評する向きもあることからそこまでのタブー視もはてなーの中にはないと言える。

5. 嗜好(性的志向はふくまない)による区別

 いわゆる「オタク差別」などを念頭にしたものである。これを例にとると過去には東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件などに端を発したいわゆるオタクへの偏見があった(が、現在社会では薄いものとなってきていると私は感じており、マクロ視点に立つならそもそも区別存在しなくなってきているのではないかと考えている)。これの社会的な受容を考えてみる。個人ミクロ視点にたつならそういった嗜好を理由ハラスメントを受けた例はあるだろう。ただ、それは嗜好を理由にしたハラスメント問題とされるのではなく、そのハラスメント自体問題とされる(ことが多い)ため、おそらく社会的問題視はあまりいであろう。ただ、そもそも属性による区別はその属性もつ者がある一定程度存在しないと成立しないものである(その嗜好を持つ人が単独ないし少人数でしか観測されなければ単なる変人として扱われるだけで、それは区別とはよべない)ため、嗜好による区別に接する機会がすくなく、議論俎上に上がるレベルにすら到達していないかもしれない。これはぜひ読んだ方に該当する例とその社会への受容のされ方を考えていただきたい。

 と思いつくものを上げてみた。どれが差別に当たるかは皆さんに考えて、議論していただきたい。正解は存在しない。なお、私の中での差別定義は「絶対選択不可能属性事実に基づいて行われる区別」と考えている。これに立脚するなら1-3までが差別に該当し、私は公立中学に関して「動物園」と評するなど、悪い評価を与えるものについては差別表現ではないと考えている。なぜなら公立中学に進むかの選択自由意志に基づくものである経済的事情などにより私立への進学は到底不可能な方がいるのは重々承知している。その実態はともかく)からだ。ただ、その表現は褒められたものではないのは確かで、やはりひどい公立中学の現状があるのだとしてもそれへの是正措置に関する言及があるべきだっただろう。つまりこれは差別問題として扱うのではなく、公的機関から財政支援などによる学習の機会均等や学習環境改善問題還元されるべきである。これを差別であるからと現状への批判を封じるのは実態への改善議論を封じることになり、好ましくないと考えている。ただ、度を過ぎた中傷理由の如何を問わず控えられるべきであることは注記しておく。

 また、学歴問題は、生来変更不可能ものではないのでこれもまた差別ではないと考えている。ただ、大学の再入学を経た後の不利な扱いは年齢差別として問題視されるべきだとも考えている。年齢への差別に関してはこれを問題視し、排除へと議論がより進むことを期待したい。

 ここまで様々な属性への区別について述べてきたが、おそらくそれぞれの考える差別があったことだろう。ただ、差別問題を考える際に忘れてはならないのはそこへの是正措置である公立中学問題に関してもそれを差別であるから議論提示を封じるのではなく、ではそこにどのような是正措置が行えるだろうかと考えてもらいたいのである。なぜなら本来理想状態であれば誰でも自由にその中学に行くか選択できるから、そのような偏見など生じないかである偏見差別現在の不完全から生まれる。差別問題センセーショナルになりがちで議論している双方が異なる差別概念を持っており、話がかみ合わないという事はありふれたこである。そうなりそうなときには一度立ち止まって双方が差別概念を共有するよう歩み寄ってもらいたい。以前として世界にはびこる差別への問題提起および是正きっかけとなればうれしく思う。

anond:20201210074954

2020-12-10

anond:20201210101058

全体的な傾向から共学出身者が男を立てる女ばかりって意見、それこそミクロマクロ混同して本当に頭が悪いと思うけど。君の周辺の話だよね?

それとも、統計でもある?

2020-12-06

anond:20201206192155

ミクロで見たら暴力のがつえーからだよ

人類史って単純に強い猿に勝てねー弱猿が、頭使って徒党組んでボコって知能勝負に持ち込んだ歴史やろ

レイプドラッグ違法何でも有りの方が本能的で直接対決には強い

2020-12-04

楽しみ方を知ってる、という爆アド

この前に東京から田舎就職してカルチャーショックホームシック呪詛ぶちまけてた増田いたよね。私がアレ見て一番もったいないなって思ったのは、折角の田舎給料結構もらってるのに、車も持たずに広い良い部屋にも住まずに嘆いてたこと。いい部屋ならインドア趣味捗るし、車があればアウトドア趣味だって良い。なんなら車なしの縛りプレイを楽しめるなら最強。田舎在住だって楽しみ方はいくらでもあるのだ。

もっと小さいとこでもいい。日々の料理を、自分が飢えないために強制されてる作業と思ってたらそりゃつまらない。幸いなことに、私は料理の楽しみ方を知っているので、独り身ながら毎日弁当簡単料理を作って、週1で手の込んだ料理してる。賞味期限直前食材限定で縛りプレイしてもいいぞ。最近は特売の野菜数種類から数日分の献立を作る縛りプレイマイブーム

もっとミクロでもいいぞ。ちょっとから私はチョコミントが楽しめるようになった。これは歯磨き粉ではない。チョコミント食べ合わせなんだよ。

そして最近仕事の楽しみ方をを覚えてしまったのだ。如何に手を抜いて良いアウトプットを出すか、というスコアアタックだ。毎月10時間くらいは残業ついてたが、先月ついに残業0を達成したぞ。褒めてくれ。

困ったことに、肝心の人生の楽しみ方がわからん。何が楽しいんだ人生って。ホームシック増田は帰るとこ、帰りたいところがあっていいな。私には無い。積極的に楽しみに行っても、せいぜいその行動が楽しいのであって、人生は楽しくない。本当に死ぬまでの暇つぶし。なら今死んでも変わらなくね?って思いながら日々ぐちゃぐちゃ気持ち悪く生きてる。何の縛り入れたら人生って楽しいんだ?それとも縛りが入りすぎてて楽しくないのか?わかんねー。助かるにはどうしたらいいんだ。どうやって生きたら良いんだ。

2020-12-03

鬼滅の刃を蹴ってさらざんまい放送するテレビ局ってめちゃめちゃ尖ってるよな?

ちょっと前にゴシップ誌だか痛いニュースかに

フジテレビ鬼滅の刃(一期)の製作に関わることを断っていたという記事投稿されて

はてブでも「だからフジテレビは駄目なんだ」と例の如くパプリックエネミーFNNを叩いて勢に浸る遊びが開催されていた。

でも2019年の春クールフジテレビ放送されていたアニメってワンピDB以外だと「ゲゲゲの鬼太郎」と「さらざんまい」なんだよ、覚えてるか?

無期限の長期放送に入ってるワンピDBと定期的にリブートすることが伝統と化しているゲゲゲを除けばフジに空いている枠はノイタミナしかない。

そのひと枠に天下のジャンプ連載の勧善懲悪ヒーローアクションものを蹴って幾原邦彦オリジナル企画を選ぶというこの選択かなりぶっ飛んでるし、

プロデューサーより上にある程度理念みたいなものがないとやっぱできない気がする。

ウテナもうっすらそういうテイストあるけど、ピンドラから始まる21世紀幾原邦彦作品って「規範に潰される若者」の物語なんだわさ。

長男から」とか「強くならなきゃ」とか「先輩だから」とか「欲しがるばかりの奴は」って言葉ですり潰されそうな奴らが物語の中心にいる。

マクロ視点での善悪否定登場人物個人ミクロ感情肯定していく。そして最終的にそういう奴らが互いを理解し融和していくことで救済される。

例えるならサイコロ先輩のジレンマとか獪岳の苦悩に目一杯フォーカスを当てて、

彼らを「そうだよね君らにだって少しも慈愛がないわけじゃないし、不真面目なわけでもなかったんだ」って抱擁するのが幾原作品世界観だと僕は思う

ネットにおけるフジテレビは雑に言って「体育会系のノリでコミュニケーション弱者嘲笑文化を持っている」「軽薄で流行りに乗っかるしか能がない」というイメージで取り扱われている。

が、しかノイタミナは「連ドラのようにカジュアルに楽しめるアニメを」というマイルドヤンキーに向けた方向性を打ち出しながらも、

出版社業界力学オタクカルチャーゲームマンガラノベ等)のトレンドに左右されず、独自の指針に沿って型にはまらない企画を発表し続けてきた。

からこそオリジナル企画も多く、ただの深夜のアニメ枠でしかない「ノイタミナ」がブランドとしての意味合いを帯びてきたのだ。

視聴者と変わらない普通な現代社会で生きる、エリートでなければ超人的な能力も持たない平凡な人間叙情主題にした「あの花」は、

とらドラ」でその萌芽を見せていた超平和バスターズスタイルを完成させたとともに、アニメ純粋ヒューマンドラマを展開するエポックメイキングになった。

PSYCHO-PASS」は倫理観倒錯する未来ハードボイルド調に描いたディストピアサイバーパンクの秀作として10年代象徴する一作となった。

四畳半神話体系、ピンポンつり球といったメディアミックス作品ではなかなかお目にかかれない斬新な映像表現を打ち出した(それでいてストーリー構成にもそつがない)作品もなかなか実現は難しかっただろうしノイタミナでなければあそこまで好意的に受け取られただろうか?と思う。

「冴えカノ」や「DIVE!」のような「ラブコメ」や「スポ根」モノでさえ少年誌ライトノベルテンションから一歩引いたような独特なオフビート感がある。

これもノイタミナというフレームの影響にあると思うのは考えすぎだろうか?

個人的に次期の「2.43」がハイキューとどう差別化を図ってくるかにすごく興味が湧いているし、実のところ「ノイタミナ放送されているアニメ」然とした物が見られることを僕は既に期待してしまっている。

ノイタミナはなんとなくだが、社会から弾かれた者や、秀でた物がなくうだうだする若者に優しい作品が多い気がする。無邪気なラブコメヒーロー物を避け続けた結果なのだろうけど、そこが僕にとっては安心材料になりつつあるのだ。

話を戻すとして、

まずフジ鬼滅の刃を断った背景として、近い時期にジャンプアニメ放送が集中していたことが大きかったのではないだろうか?

周知の通りワンピDB放送しつつ、更に19年冬にはネバラン(一期)を放送していたので、19年春に鬼滅ということになると流石にジャンプコンテンツに偏りすぎるのではと危惧されたということがあり得なくもない。

日和見主義ゆえ、鬼滅の奇抜な作風グロテスク描写拒否反応を示した」というような粗雑なコメントニュース記事では散見されたが、ノイタミナでは過去鬼滅の刃と同系統の「甲鉄城のカバネリ」の製作積極的に関わっていた。故にジャンプ掲載される程度にはマイルドなこの作品を渋る理由としては考え辛いのではないだろうか。

追記

キャロル&チューズデイの存在をすっかり忘れていたことに気がついた。キャロル&チューズデイは19年4月から9月までの2クール放送されていて、鬼滅と丸被りしているので、邪推するならばこの代わりに鬼滅の刃放送されていたかもしれない。

まあとどのつまりそんなことどうでもいいんだけどね。

あいう未熟者が成長して真っ当に何者かになろうとする話は気持ちいいよね。

キャロル&チューズデイはアニメの中でも一際丁寧な作品だったと思う。音楽のこだわりもそうだし、渡辺信一郎さんといえばといった感じのスペースオペラ調のロマンに溢れた雰囲気も流石だなあといった感じだった。

まあこれは観るの中断してそのままになってるからあんまりわかったようなこといいたくないけどね。

実のところ+Ultraの存在自体すっぽり忘れてたんだけど(Great PretenderとかBeastarsみてたのに)、ケモノ物やわりかしハードSF物とかそういうのが多くて、ノイタミナとはまた違った形で硬派の作品を増やしていく感じがして面白いと思う。

2020-11-25

anond:20201125232145

ミクロの話にずらしても、10人に1人は年収200万だし、10人に2~3人が年収200万代前半なのはただの事実からなあ。

2020-11-24

anond:20201121194314

マクロの話とミクロの話を意図的に置き換えるマンじゃん

今の日本で不幸なやつはどの国でも不幸やで

こんなに無能に優しい国はねえよ

2020-11-15

もうじき40代かばを迎えるプログラマー遺言(少し追記)(もうちょっと追記)(さらにもうちょっと追記)

世の中にはプログラマー35歳定年説というものがあった。昔からそんなのはないという人と、あるという人がいた。40代も半ばになったときに「あぁ、これが35再定年説の根拠か」というものがなんかちらほら見えるようになってきたので書いてみようと思った。

世の中にはものすごいプログラマーというのはやっぱりいる。なんなら死ぬまでプログラミング書いていられるという人たちもいる(ブラック的な意味ではなく)。そんな彼らからしたらプログラマー35再定年説とか意味がわからない都市伝説しか映らないだろう。

だが、普通に職業プログラマとして生きている俺のような人からすると、この35歳定年説はかなりの真実味を帯びている。

だが、そんな俺でも40代半ばまで延命できたのはやはり技術革新のおかげかもしれないが、結局平均寿命が伸びただけとも言えるだろう。

まず、技術に対する姿勢が変わる。正直言うとプログラミングとかもうしたくなくなる。というか、そもそも一生プログラミング仕事にしたいと思う最初の頃は好きだと思っていたが、仕事にしてしばらく経ったら大して好きでもなかったな、と思うようになる。

大して好きでもないことを仕事にし続ける体力はやはり年とともになくなり、体力がなくなった分「自分本質的にしたいと思うこと」が見えてくる。そしてそれはプログラミングではないため、ギャップがきつくなっていく。

おそらく、この辺が35歳くらいのあたりに来るのではないだろうか。35歳定年説と言ったら35歳ピッタリしか想像できないのが離散数学世界で生きているプログラマらしいといえばらしいが。

そんな感じでやってても、20年もやればそれなりにスキルも身につく。さすがにGoogleの一線で働くような大天才たちと渡り合うことはできないが、もしかしたらGoogleの片隅で働ける程度のスキルはあるかもしれないが、正直もういいっす、っていう気持ちのほうが大きくなる。

次に、自分がどうにか身につけてきた知見というものがなかなか広まらない。コンセンサスが取れない、という状況にも苦しくなってくる。

自分がやってきたプロジェクトでこういうことをやったらうまく働いた、というような知見は共有するが、なかなか価値観が共有できないことに気がつく。若いうちは「だったら俺が全部やりますわ」くらいの気合を見せられたものだが、年を取ってくると「あ、そうですか・・・」となってしまう。純粋に体力も気力もなくなっていく。

プログラミングをやっているだけありみんな論理的思考が大変上手だ。「皆さんホント論理的でいはりますなぁ」と言いたくなるわけだが、悲しいことに自分たちの振りかざす論理が、単なる正論、飛躍、極論、屁理屈、と言ったものであることに気づけない人も結構多い。こういうのを各個撃破するのも疲れる。

これからプログラミング仕事にする人たちに言っておきたいことがある。もしこの世界で長く働きたい、定年までコード書いていたい、と思うなら、常に勉強をしなくてはならない。もしあなたFラン出ているなら、他の人の倍努力しなくてはならない。できないならそこそこで転職したほうがいい。この世界にいるといか若いうちの勉強大事だったかを日々痛感する。

実務の上での俺の感じていることを書く。DDDだとかクリーンアーキテクチャだとかも大事だがもっとそれ以前に俺が根源的に重要だと考えているポイントだ。この辺をないがしろにしたらDDDクリーンアーキテクチャ絶対崩壊する。

コードを書くとき重要ポイント

まず、心得てほしいのはどんなにすごいプログラマでも意図の通じないコードは本当の意味で直せないということだ。

まず、引数チェック、状態チェックは必ずやれ。コードが語る、というようなことを言ってやらないやつが昔は多かったが、今もいるんだろうか。悲惨バグメンテナンス性の低下はそういった自分意図の表明を横着したコードから起こり始める。「俺はこれをやる、だからこの機能を呼び出すならこういう状態にした上でこういう情報を渡せ、じゃないならやらない」とはっきり言え。もしこの辺を冗長だと考える同僚がいるならもう辞めたほうがいい。

引数チェックや状態チェックのコードで画面の半分が埋まったならそのコード設計おかしい。一旦手を止めてよく考えろ。一つの機能を動かすのにそんなに引数がいるのか、そんなにチェックする状態が多いのか、そしてそれらは本当に必要検討しろ

テストコード絶対に書け。テストコードが書けない技術絶対に使うな。意味のあるテストが書けないならやめたほうがいいという輩もいるが、とにかく意味があろうとなかろうと書け。引数にこれを入れたらこうなる、こういう状態でこういう事したらこうなる、というお前の意図はとにかく示せるだけ示せ。

だいたいこの辺を横着したやつは翌年酷く後悔するか、そこのメンテ担当した同僚を攻撃している。

就職活動するとき重要ポイント

コードが書けなくても大丈夫、という会社は、コードが書けたほうが有利な会社ではなく、本当にコードを書かない会社だというこは肝に銘じておけ。身につくスキルEXCEL方眼紙を最低限の手数で作れるようになることか、本気でやればビジネス理解できるかもしれないが、お前の技術者としてのキャリアはそこで止まる。

仮に憧れのスーパーハッカーがいる会社を目指しているとして、彼らがそこでどう働いているか、なにが泥臭いのかを想像できない、聞くことができないならやめておけ。浮かれ過ぎだ。

仮にGithubURLを教えろという会社を目指しているとして、そこのリポジトリを飾り立てようと考えたならやめておけ、そういう会社Githubアウトプットすることを日常的な趣味として苦ではなくやり続けられる人を求めている。

年収をその会社選択基準にしているならそこはおまえには分不相応会社からやめておけ。仮に入れたとしても馴染めることはまず無い。これは年収が低くても同じだ。

人間関係重要ポイント

嫌いな人がいるならその会社はやめていい

少しだけ追記

コメントを観てこの「最小且つ単一論理でなにか否定できた気になる」という輩への対処が一番疲れる

もうちょっと追記

一晩立ってみたらこんなにブクマついててびっくりした。気になったブコメもあったのでちょっと追記しておく。

いきなり視点ミクロに、と言うやつなんだが、結局若いうちにこういうのできてないやつはあとで苦労するが、最初のうちは体力でカバーできている。体力でカバーできなくなったときに本当の意味でつけを払う羽目になるという意味で言ったり、あとオレみたいなおっさんが大変つらい思いをする、という意味でも言っている。

Fラン関係なくねっていうやつだが、昭和世代ステレオタイプかもしれない、ごめん。勉強する習慣もなければ大してやってきてもいないやつはこの業界だと倍苦労する羽目になるというふうに言いたかったと思う。どんな業界でもそうだとは思うが。

返す刀で結論づけしたがる人々がやっぱり現れるな、君たちはそう思わない人なんだろうし議論する気もないが何かしら言いたい人なんだろう。別にそれはそれでいいよ。お仕事頑張ってね。

「俺は大して辛くないけどなー」っていう人もやっぱり現れるな。辛くないんだったらいいことだと思う、お仕事頑張ってね。

4Kモニターものすごく細かい文字を読んでいる若者を見た、という人、俺も同意する。もう見ていられないんだよね。

関白宣言っぽいな、というのは俺も思った。

結局の所、プログラマ35歳定年説は俺も打ち破りたいと思っていた口なんだが、打ち破れる人とそうでない人がいる、ということで、俺は後者だった、ということだ。当然50過ぎてもプログラマやっている人は見かけるので、数学的な真理というわけではなく、統計的な傾向なんだろうと思っている。

若いうちから、いい環境で働かないと、気持ちのほうがどこかで先にギブアップする。いくら大好きで転職だと思う仕事だとしても、体力や若さで捻じ曲げていることはなかなか気づかない。色んな本を読んで客観的指標判断したほうがいい。

遺言とか言って書いておいて追記したら俺はソンビか亡霊なんだろうか?

さらにもうちょっと追記

びっくりした。こんなおっさん愚痴みたいなエントリーがこんなにブクマされるとは思ってなかった。いくつか気になったブコメがあったのでやはり書いてみたくなったので書く。

まず、この遺言最後にいなくなるのかという話だが、おそらくいなくなる。ゾンビで居続ける体力ももはやない。

次の準備はすでにしている。それは俺が本質的にやりたかたことに近いことだと思うのをピックアップしている。

本質的にやりたかたことって何かという話なんだが、まず俺が感じるプログラマーという仕事は「良き作り手であり続けること」が根本的なモラルだと思っている。若手で右も左もわからないような状態でも、それこそやっとフィズバズが理解できたような状況でも今持っているレベルで最大限にできうる一番いいもの模索し続ける仕事だと思っている。初心者にはチェックコード書け、意図はできるだけ込めろというのはそういう意味でもある。これを真正から受け止めてくれる職場を探したほうがいいというのは追加しておきたい。

プログラム論とかそういう話がしたいんじゃないということだけは言っておく。

俺も体力があるうちは良きつくり手を目指していたのだが、本質的にやりたいこと、もうちょっと言うなら、俺のモラルの軸は作ることにではなく使うことにあった。プログラミングというアクティティを挟んでこっちにつくり手がいてあっちに使い手がいる。仕組みを理解して作るのがプログラマーなら、作ったプログラム理解してよりよい日常模索するのが使い手、と言ってもいいかもしれない。いいフィードバックループのあっちとこっち、と言ってもいいかもしれない。俺は「良き作りてが使ったものを使う良き使い手でいたい」ということに気づいたので、遺言を書くことにした。少なくともこれに気づいた時点でプログラマーとしての俺は死んだ。

まだ直感的なものしか無いので、うまく言語化できていないのは申し訳ないんだが、今後10年位はそれを模索していくのではないだろうか。

anond:20201115115432

ミクロでもマクロでも何も言い返せてなくてただ同じ文言コピペだけをし続けるロボット以下の怠け者だから

仕事他人を養うことも

誰かをケアして養われることもできないんだな

しろ自分自分を養えてもいないだろうな

親御さん可哀想

anond:20201115115139

ミクロで言いくるめようとしても、男女の賃金格差が縮んでも女が下方婚してないのは事実だしなあ。

anond:20201114190135

増田マクロの話してんのにミクロ個人が都会に出てくりゃいいじゃんとかいう反応意味不明

田舎のやつ全員都会に引っ越せってか。そうなるわけもないから、だれか残ってそこで生活する奴が出てくる。こいつらの言う通り都会に出るやつが増えれば増えるほど地方人手不足になり格差は拡大する

それを無理くり延命させるための技能実習生だったけど、当然問題だったってわけだ

まり自民臭いものに蓋してただけで、日本はもうだいぶ前から終わってるんだよ。衰退への道をたどっている

少子高齢化地方が死んで、その影響が都会にも出てくる。ずっと前から分かってたことだよね?

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