はてなキーワード: ホームパーティーとは
あとで詳しく言うけどな、「お酌問題」って発想の順序が逆。
でもこれが、カワイイねーと左手で子供の頭を撫でるのだったらどうだ?
チームの仲間からホームパーティーに招待されないと不安になるアメリカ人は多い。
国が違えば、文化に差があることはわかるから理解できることでも、同じ日本人ってだけで気が付かないことは多い。
身内に不幸があった家が年賀状を出さないのは一般的でも、1年鳥居をくぐらないって地域も日本にはある。
海外って言葉が一般的に通用してしまうように、ついつい一国の中に多様な文化が存在することを忘れがちになる。
「文化」を定義すると本が一冊くらい書けるんだろうが、まあ「ある振る舞いの総体」ってとこだろうな。
で、「お酌問題」ってのも、文化的な衝突なんだよ。
しかも、年代と地域によって大きく異る文化だから、まさに異文化交流と言っていい。
んでな、これ話としては順序が逆なんだよ。
手酌が失礼にあたるとか言われても、若い人にゃピンとこないだろ。
オマエソレ楽しそうにLINEしてるけど、なんで合コン来たの?みたいな。(それでも古いイメージかも知れんが)
宴会においては、美味い酒を飲む・美味いメシを食うってのは二の次で、基本は「メシ食って仲良くなろうぜ」が目的なワケだ。
するってえと、当然のことながら、
という構図になるわけだ。
するとだ、先にお酌するのは当然部下で、場に女性が居ればその女性が酌して回る、
逆に言えばだ、「その場に居る一番若手からの酌を待てないのは、大人として常識はずれ」とされてたわけだ。
部長が手酌で飲んでるってのは、ご機嫌ナナメで宴会を楽しんでねぇって幹事の責任問題になってたんだよ。
まあ、山の手言葉が標準語ってことになったのと同じで、東京は一部の企業での狭い内輪の文化でしか無いこういった話が、
マスメディアの発達とともに、適度に変容して地方にも伝わったり色々して、今に至るわけだ。
まあ「お酌」にまつわる昭和な文化ってのは、平等がどうの性差がどうのってこっちゃない。
共通認識が共通認識をつくり上げるというか、常識が拡大再生産されるというか、まあそういうモンだ。
当時のソレが良かったとは思わん。非効率だし、性差別だし、滅私奉公なんざ封建社会もいいとこだ。
そう思う人達が多かったから、今はそういうの減ってきてるんだろう。
喜ぶべきことだと思う。
ただ、だ。
コンプライアンスだ男女同権だ平等だ、封建社会じゃなく先進国だと言ったところで、
じゃあ、未開の住人の迷信は、笑い飛ばしてナイガシロにするのが、「文明人」のヤルことなのか?って問題は残る。
そりゃ、「あけましておめでとうございます」って言ったところで、死んだ旦那は帰ってこねぇ。
でも、旦那が死んだの知ってりゃ、正月だって「こんにちは」って挨拶するモンだ。
正解は無い。
ただ、少なくともお酌は強要するもんじゃねぇし、今となっちゃマナーでもしなきゃならんことでも無い。
マナーとかプロトコルってのは、メンドクセエから決めとく「考えなくて良いように共通化しといた作法」なワケだ。
いまは、昭和にマナーとされて決まってたことが、良く考えたら良くねぇな、と解体されてる。
だから、郷に入っては郷に従えとは言わん。
ヤなことは嫌でいいと思うし、判らんことは判らんと言って良い。
年長者が年少者に対して思いやれないのであれば、そりゃ単なるオシツケだ。
宴会断って評価が下がるだの昇進できねえだのってのも減っては来てるだろ。
でも、自分が理解できん文化を軽視するのは、異なる文化を持つ人に対峙する態度として正しいだろうか?
(相手が正しくない態度だからといって、自分までそうするこたないと、俺は思う)
まあ、部署で宴会するから断りきれなくて、と参加しちまった時は、ホンの少しだけで良いんだ。
思い出して欲しい。
目の前に居るのは、自分とは違う赤の他人で、全く違う時代を生きてきて、全く違う文化を持ってる人間だってことを。
たぶんガキの頃の遊び方も、家庭の考え方も、ハレの日の食い物も、何が良しとされるかも違ってきた。
同じ日本人に見えるかもしれないが、そこに居るのは大抵の場合、異文化人だ。
文明人未踏の未開の地で、(嫌々ながらかも知れんが)部族の一員になって、その部族の祝宴に招待された。
そうしたときにどう振る舞うのが良いのかは、各々の信念に基づくだろうが、ちっと思いやってもバチは当たらねぇよ。
最近、そこまで親しくない独身の友達からやたら電話がかかってくるから、しぶしぶ出たら
「すごい人と知り合えたから、お前紹介してやるよ。港区の一等地に住んでて、目の前に東京タワーあるんだぜ。今度ホームパーティーやるっていうから行かない?かわいい子いっぱい来るぞw」
ハア、上京したての大学生かよ…。適当に聞いてたら、サプリメントがどーのこーの言い出して、さらに引き出したらまあおなじみマルチ商法を始めたとのことでした。
ここ一年で三回目。30代に突入した途端、この手のお誘いが爆発的に増えた。ウルセーーー!モテないしイケてない俺を心配してなのかしらんが、俺は充実している!!まことに失礼である!!俺は学生時代の大事な友人(数名)や、社会人になっても趣味i(釣り)を通してちらほら楽しげな知り合いもいる。もう少ししたら鮎の季節だからな!ハーー楽しみで仕方がないよ!モテはしないがオリンピックぐらいの頻度で彼女はいるんだよ!生活に苦しまない程度には稼いでるし、そもそも躍起になるほど金も要らぬ。お前らの言う夢なんてのは俺にとってはどうでもいいぜ!今の生活に不満はない!あーーー本当にウルセー!
たぶん同族嫌悪なんだろうな。あいつらよりましだ!と思いたいのかね俺は。ただ友人を金ヅルに換金するようなマルチはクソって考えは一生変わらないから、どんな理由があれやってる人間は切るぜ。さよなら俺の独身仲間よ。
白、赤それぞれ好きなものを飲む。
決して高くはないんだろうけれども、
どこかの酒屋やコンビニで買ったような酒ではなくて、
ある種の特別感が感じられた。
料理はしない主義、と言うか出来ないんだ。
他のところで十分に埋めて余るくらいの成功を手にしている。
ワインに詳しくったって腹は膨れないけれど、
こころの余裕が伺える。
住まいや家具、グラスなんかを見ると稼ぎが良いのは見るからに明らかだ。
それは、
20代中盤から後半にかけた若者たち男女が10人くらい集まるホームパーティだった。
私は30代中盤だ。
何とも言えない劣等感を感じた。
参加者はみな優秀で、会社経営者や大手メーカーのトップセールス。
決して天狗にはなっておらず、それが当たり前の世界の若者たち。
そんな20代後半にまぎれて、
どうしようもない30代の中盤のおっさんが参加してた。
彼らのような優秀さはないように思う。
少なくとも年収が圧倒的に低い。
胸を張れない、と言うか。
バネにする。
今一瞬ネガティブな事書きそうになったが、
踏みとどまった。
誰に何を言われようとも、
一つ一つ、コツコツと。
みなさんも記憶に新しい、崖の家とガラスの家とが、あまりにも見事な典型例だったため勢いで書く。
まず、そもそもの前提として、普通の場所に普通の家を立てるのは、
小市民的には夢のマイホームであっても、TV的には何のオモシロミも無い。
というわけで、(ドリームハウスでドリームなハウスができあがるのはなぜか http://d.hatena.ne.jp/lastline/20130430/1367305630 )で挙げられているように、ドリームハウスでは概ね3パターンの地獄への道が敷かれている。
崖の家は、典型的な「無茶な立地」だ。
前記のブログでもある通り、コレが一番なんとかなる可能性がある。
実況スレでも概ね「奥さんがビッチっぽいこと以外は良いな」という評価だった。
お宅訪問時の奥さんの満足そうな表情と、旦那の小市民的な挙動が、末永く幸せそうで何よりだと思う。
(尚、2chでは「ビッチ≒俺達とは相容れないタイプの女性」くらいの意味)
完全な布基礎だったらアレだろうが、繋いであるしキッチリ設計されている気配がする。
そしてコレが重要だが、崖の家向かって左側の家は鱗のような壁であり、正面向かいの家の駐車場には薪が積んである。
つまり、この辺り一帯が趣味人の家であり、外壁が杉板でもまったく浮かないことが予想できる。
伝説の「借景の家」とは異なり、この立地で海や日の出を遮るような建物を立てるのは相当に困難だ。
良い家だと思う。
空き地時代には、道路沿いに見事な紫陽花が咲き近所の人の目を楽しませていたと思うので、
拘りがないなら植えといてご近所付き合いのキッカケにすると良いんでないかな。
家は独立して存在するが、地続きの周辺環境との調和で完成する。
(まあ、シーランチ・コンドミニアムを建てたいと望む施主なら、感覚で理解している気もする)
建築家に責を求める声が実況スレにも多かったが、これは責められない。施主に問題がある(断定)
建築家の責としては(「無茶な建築家」要素が関連するが)、設計してしまった事だと思う。
あのガラスの家を酷評する前に、一旦ドリームハウスの事は忘れて、次のような想像をしてみよう。
どうだろうか。施設としては、無くはない形状ではある。
では、これらに共通の要素はなんだろうか?人が定常的に住まない?それはそうだろう。
一番大きいポイントは、「通常、外履きで歩きまわる建物である」というところ。
あれは、「外からやってきて、一時的に滞在して、また出て行くタイプの建物」なのだ。
それがよく分かるのが、床だ。
法律で木造住宅の基礎の立ち上がり(地面から木を置くとこまでの距離だと思いねえ)が30cm以上と決められてるのには理由がある。
基本的には、土台の腐敗を防ぐのが目的だ。木が腐るのは湿気だ。地面からの湿気と雨水な。
床に直接本を重ねて置いとくと、下から波打ってきちゃうタイプの建物だ。
ただまあ、住めないわけじゃない。
普段から靴で生活するとか、ホームパーティーバンバンやったりするタイプの家族が住む可能性はある。
そもそも「床に本をおいておいたら波打った」とか「梅雨時にフローリングがしっとりしてる」とかは、経験ある人も居るだろう。
それが住環境としては致命的だ、ということじゃない。
どういうことかというと、それぞれの要素に対しては回答があるのだ。
外壁のガラスは、ビルなんかでよく見るカーテンウォール(建物を支える壁ではなく、全部とっても家が崩れない壁)だろうし、高層ビルなんてな全面ガラスってのもよくある。
平屋建ても大開口もソコソコたってるし、天井配線だってまあまあある。
それぞれの要素要素で見ていけば、ありえなくはないし、一般家庭以外ではおなじみの作りもある。
じゃあどういうことなのか。
番組を見ていた人は思い出して欲しいのだが、崖の家にも「大開口」は付いている。3m近い巨大な窓だ。
あれに違和感がないのはなぜだろうか。
あの窓に対して、「特注だろうし割れたら高くつく」とか「夏場は暑い」とか「結局カーテンつけっぱになるだろ」なんてのはナンセンスだ。
翻って、ガラスの家はどうだろうか。
何を「見る」為の大開口だろうか。何を楽しむための大開口だろうか。
あの環境下で、あのガラスの家は、周辺の住民にとって完全な罰ゲームだろう。
ビニールハウスでイチゴ栽培始めましたっていうほうがインパクトは小さい。
家は独立して存在するが、周辺環境も込みで完成するのだ。あれは、あの場所に建ててはいけないタイプの建物なのだ。
一族が所有する絶海の孤島に、森を感じられる建物としてあれが建っているのであれば、なんかの賞は取れるかもしれない。
あのガラスの家をどうにかしようと思うと、相当難物だ。
もし自分があの物件をタダで手に入れて、しばらく住もうとするのであれば、レンガの塀を作ると思う。
高さ1.2mのギリギリサイズの赤レンガの塀で周囲グルっと囲み、ツル性の植物を植えて回るだろう。
芝生のままでも良いが、普通に造園業者に入ってもらって、築庭すると思う。
周辺からの視線を完全に遮った上で、庭の緑を楽しむ家としてなら悪くない。
ロール網戸を付けるような建物にはなってないから、エアコン代は屋上に太陽光パネルでも載せて足しにするか。
台風の度に大事になるだろうが、ま、沖縄の店舗なんかも似たようなもんだ。
正直、あの家って、紅花の咲く頃に愛人と一緒に長期滞在する別荘ぐらいしか使用方法が思いつかんのだよな……
まあ、売りに出たら愛人がいる人はご一考を。
【注意】
この記事で言うカツラはドンキで売ってるチョンマゲとかリーゼントといった、いわゆる被り物のことです。頭皮の砂漠化が深刻な人はお呼びでないです。
少し前に増田で「バーに行ったら出会いがあったよ!」みたいな記事があって、バーに行くことの是非はともかく現状を変えるためにちょっと変わった行動をするのは悪くないと思いました。
そんなわけで、数年ぶりに会った友人から「ホームパーティーやるんだけど一緒にどう?」と言われて「うわー、ホームパーティってマッチョでジョックなアメリカ人がやってそうなイベントじゃないか」と思ったのですが、参加しようと思ったのです。
ところが、連絡事項に載ってたのが『被り物持参』でして。
その時点でウッとなったのですが、頑張って参加しようと思ってドンキに被り物を買いに行ったんですよ。
ドンキの被り物コーナー(コスプレグッズとかパーティグッズとかいっぱい置いてあるとこ)を眺めてたら、充実した大学生活を送ってる大学生が飲み会でウェエエエエイって言いながら着用してるシーンが容易に想像できて、その中に自分が入ったところで苦笑いし続けることしかできないんだろうなぁと思ったりして。
そんなわけで飲み会に行く気が失せてしまいました。頑張って行くよていですけども、まさか被り物だけであそこまでテンションが下がるとは。ただのホームパーティーだったらここまでテンション下がらなかったんだろうなぁ。
とてつもなくうれしい。
英語もそこそこ好きだった。
行く前には、サークルの友達とかが盛大に送り出してくれてうれしかったな。
けど、だめだった。
英語は読み書きはできるけど、英会話が全くできない私は、現地の国際交流のサークルに入ってみた。
国際交流のサークルだったらいろんな国の人とも出会えるし、そんなに英語がうまくなくてもやっていけるかなと思って。
正直一緒の大学から派遣されてきた日本人の子達とあんまり仲良くなりたくなかったから、個人で乗り込んでみた。
キリスト教系のサークルで表だっては、誰でもウェルカムみたいな感じだった。
週一回やっているミーティングに顔だしてみると、
2時間のウチ前半はゲーム(トランプとかボードゲームとか中学生みたいなゲーム)、
後半はディスカッションで。
ゲームも糞ダサいし、ディスカッションもなんか宗教的なものばっかりでちょっと引いちゃった。
でも、これも経験だと思ったし、英語が喋れるからいいかなとか思って一カ月ぐらい毎週いってた。
このサークルの母体となるキリスト教の大人版の国際交流団体みたいのが主催する月一でのホームパーティーがあった。
個人宅で開かれたパーティーに行ってみてびっくり。
「日本はかわいそうだ。キリスト教じゃないからみんな地獄に行くんだ。」
そこで出会った人達も同世代の男達はマリファナばっかやってて。
大麻とかだけはやりたくなかったから折角できた友達から自分から離れていった。
日本でよく留学行ってた人が大麻持って帰ってきてつかまるじゃん。
なんかそれがいまじゃよくわかる。
そういう事とかあって、完全に孤立しちゃった。
残りの9か月は、たまに日本人の友達とスカイプするぐらいでほとんど声を出さない生活だった。
日本の大学では毎日楽しくて、彼女はいなかったけどそれなりに友達もいた。
それが一転。
人と会わない生活。
留学なんて行かなきゃよかった。
あと、お店とか少ないところに住んでる、とくに大人たちはどこで気晴らしするの?
大学進学と同時に実家を出てしまったので正しい回答が出来る自信はないが、個人的な意見で答える。
「お店とか少ないところ」の「お店」ってのは、スーパーじゃないよな?
とりあえず、実家にあったお店というのは、こんなだよ。
スーパーはある。
ドラッグストアはない。
小さな薬局があった。
コンビニは、高校に入った頃に出来た。
お菓子屋はあった。
服屋というのは、高校指定の制服とかジャージとか売ってる店を指すならばあった。
雑貨屋に相当する店というと、文房具とプラモデルを売っている店があった。
食器を店頭販売もしている窯元があった。
スナックもあった。(入ったことがないので詳しくはわからない)
そして、それらは点在していて、モールや駅前商店街という一角に集まってるわけじゃない。
言い忘れたが、駅はない。
パチンコ屋があった。
あとは、神社とか、寺とか?
大学進学と同時に実家を出てしまったので、成人男性成人女性がどこでどう気晴らしをしてるかはよくわからない。
田舎はパチンコくらいしかとよくいわれるが、当時高校生だった自分には経験がなかった。
パチンコ屋もどんどん潰れてたので、田舎の娯楽を独占してるというわけでもない気がする。
で、どこでといわれると、圧倒的に「家で」だ。
「だれだれんち行こーよ」
だった。
都会っ子でも小学生とかはそれだろ?
高校くらいになると、原付乗って出かけるということを覚えたりだけど、基本は「誰々の家に行く」が遊びの基本だった。
そんなノリで異性を連れ込んじゃうし、ホイホイやってくるもんだから、デキ婚率が高い。
出かけるとなると、ミニバンに乗って、今で言えばイオンがあるような大きな街まで。
アメリカじゃバーベキューセットが、日本の田舎ではホットプレートになり、フローリングの広い部屋が、畳に布団で引き戸に代わる感じ。
オープンカーにタンクトップとキャミソールの男女が4人乗ってヒャッハーのアメリカの風景が、スウェットのガキどもがミニバンでNHKFM聞きながらで田んぼ道。
当たり前だけど、田舎にも一定の割合で他人と遊ぶのが嫌いなやつがいる。
一人でテレビゲームしたりとか。
俺もそっち側の人間だった。
慣れだよ慣れ。
言うまでもなく都会の方が便利。
ピザが食べたけりゃピザ屋に電話一つ、セックスがしたかったらデリヘルに電話一つ。
でも、休日はゲームして、明るいうちから風呂に入って腹いっぱい飯食って、ちょっとだけ飲んで、寝て、それで幸せだし。
わざわざ、映画行きたいとか、ディズニーランド行きたいとか、そういう願望が湧いたことがないのでちょっとわからん。
(ディズニーランドは行ったことがないのでなんともいえんが)
http://himasoku.com/archives/51769232.html
この記事に寄せてちょっと書いてみる。
知り合いに対するインプレッションがかなり入っているので、あえて増田で。
親日国と言われるが、日本人というだけで親切にされるというのは流石に嘘らしい。
トルコ人的には、ヨーロッパの仲間入りをしているつもりで、「イスラム」や「アラブ」という言葉でくくると嫌な顔をする。
「政教分離してるし、そもそもアラブって「アラビア人の」って意味だからトルコと関係ないし!」
と。
自分の国だけが近代化=西欧化に成功して、他国は現代でもなお宗教に縛られてる全時代的な国家、と思ってる節がある。
トルコ国民という意識は強いが、トルコ民族という意識は弱い感じがする。
その悪魔合体が、オスマン人もトルコ人も何人もかに人も、みんなトルコの旗の下に団結したんだからっていう理屈。
「単一民族単一国家なんか古いよ。トルコ国民として団結しよーぜ。クルド人、いい加減にしろ。」
反米国家として有名だが、国民感情として一人ひとりがアメリカを嫌ってるというわけでもないらしい。
そもそも親米すぎることに宗教学者と軍部が先導してクーデターが起こして反米国家になったという経緯なので、好きと嫌いが入り混じった不思議な感じ。
公の場での宗教的な締め付けを厳しくしたゆえに、お楽しみはホームパーティーでっていうアメリカ的な文化。
国費留学生で日本にくるような人たちは敬虔なムスリムで、国費以外でくる人たちはその真逆の、ほぼアメリカ人て感じの「コカ・コーラとピザが大好きさ。ホームパテーティしてれば酒は当たり前だし」って感じの人。
なんで麻薬の売人として捕まるのはイラン人ばっかりなんだよ!って聞きたいけど、流石に面と向かっては聞けない。
イスラム以前のオリエント文化圏というのは、ほとんどペルシャ、つまり全部自分たちの功績!くらいに思ってる。
古代ギリシャすら、ペルシャの猿真似で、ヨーロッパもアジアも、期限はペルシャ、くらいに思ってる。
(たしかに世界史の教科書はギリシャをヨーロッパの文化的なオリジン扱いしすぎてると思う)
一緒にしないでくれ。」
「コーランって聖書とかと違って現地語に翻訳してなくて、当時のままなんだよね。1000年以上前の本で、しかも外国語だもん。寺の和尚さんだってサンスクリット語すらすら読めるわけじゃねーだろ。あんなもん一般人が読めてたまるか」
http://anond.hatelabo.jp/20120709232530
こちらを書いたモンですが、そもそもホームパーティー云々に限った話ではなく、お店で飲む場合を含めてもう根本的に価値観がずれてるのかなと考えたのでさらに書く。
家/店問わず、また出てくるものの内容を問わず「飲み会って言ったら一回5~6000円でしょう(東京での実感)」という相場感覚が無駄な出費を量産してるんじゃなかろうかと思う。
もちろん食べ物/飲み物にこだわりのある人たちの集まりであれば、出した値段分だけ「おいしいね」と言い合えるから問題ないのだけれど、社会人になってからの実感として「あくまで交流の場であって、料理/酒はその場に置いてあればいい。味はどっちでもいい。」って人のほうが多数派なんじゃなかろうか。
本来であれば横っちょに置いとくだけの料理にそんな金かけるのもばかばかしいのだけれど、相場が5~6000円だから、って理由で割と多数の人がそれだけ払っちゃう。んで、そんな主旨でもそれなりに人が集まっちゃう。
ああ、ここまで書いてみて思ったよ。
むしろフィルタリングされて弾かれたのは俺のほうだ。俺は俺で「ちゃんとおいしいもの食べたい社会人の友達」作ったほうがいい。
せっかく俺が幹事でいい店選んだって、おいしいカルパッチョが「ほらほら俺がとりわけますよ」合戦の道具になるだけで泣きたくなるもの。
黒船もまた、軍艦であるということが、増田は今ひとつ理解していない。
兵士に与えられた自由は限定されている。
新卒として日本の大手出版社で正社員として勤務し、そのあと出版系のベンチャー企業に転職したものの、そこが潰れたため、外資系金融業の広報で派遣社員として働き、そのあと再び日本の出版社で、契約社員として働いて3年目に入ったのではないか。
その経歴では、外資系のいいところしか見ることはなかったのだろう。
今時、金融の大手企業なのに、パワハラ、セクハラなどが蔓延している職場なんて、あるのか?
銀行、保険会社、証券会社などでは、コンプライアンス研修が毎月のようにあり、訴訟の芽は事前に摘まれる。
それは、この15年近くで劇的に変わった。
パワハラ・セクハラが無かったのは、外資系だったからではなく、金融業だからではないのか?
そもそも出版社やマスコミなどは、現代日本の中では意識改革が相当遅れた業界としても有名だ。
いまだにパワハラ・セクハラが蔓延していて、例えば有名作家や取材対象の政治家などに遅くまで女性社員が接待したり、大手出版社の社長が地方支社に愛人がいるのが当たり前だったり、部下をしかるのに灰皿を投げつけるようなボス猿がのさばっていたりする。
サービス残業が当たり前の本当に糞のような業界が、日本の出版社・マスコミの姿なのだ。派閥も多いし、くだらない足の引っ張り合いも日常茶飯事。
そして、同業他社は、お互いの短所を知っていても、かばい合い、罪の追求をすることはない。
製造業や官僚の罪は追求するワイドショーのスタジオで、ADが失敗してボコボコに殴られていても、注意するくらいで加害者を処罰することすらしないのが、この業界なのだ。
そりゃ、増田もつらかっただろう。
それに、増田は外資系では派遣社員だった。日本でも、派遣社員の処遇は相当に守られている。
なぜなら、契約書で、残業代をきっちりと払うことが明確に定められていて、例外を認められていないからだ。
しょせん、他社の人間であり、身内のようにムリを効かせることはできない。
増田が今の職場でそれを強いられているのだとしたら、契約社員という、正社員を餌にされた準社員の地位にいるからだ。
派遣社員と契約社員の立場の違いが、増田の処遇の差になったとは考えられないか。
さらに、外資系の人間関係を天国のように増田は評価するが、外資系の正社員同士の社内政治がいかに大変か、増田は知らなかったのだろうか。
2年弱といえば、長いようで短かったのかもしれない。
何故彼らは、頻繁にホームパーティーをするのだろうか。
会社を離れたら友人だよ、というスタンスで、フレンドリーに接するのが欧米流。
だが、そんな訳があるはずがない。
上司であっても、友だちとしてつきあわなければならないのは、義務だからだ。
こちらの方が、逆にきつくないか?
プライベートに仕事を持ち込みたくない、という人間は、少しずつ疎外され、出世から外れていく。
とアピールしあい、価値観が違う者同士なのに、相手の趣味に合わせて笑い、会話をし、お互いの家族について相談を「しなきゃならない」。
日本の武道を習いに来た欧米人に、日本の道場のどういう点がいいか、聞いたことがある。
「日本の道場は、上下関係がきっちりと決まっているからとても楽で居心地がいい。欧米では演技が必要で、フレンドリーに接しながら腹を探り合わねばならず、ストレスがたまる」
このような接待方法に近いことを、日本だとMRがやっている。彼らの顧客の医者は、ロジカルで欧米的な個人主義者が多いのも関係があるのかもしれない。
医者は、仕事帰りに居酒屋で飲むのをあまり好まない(中にはキャバクラ大好きの医者もいるけれども)。
それよりも多いのが、週末のつきあいだ。
そこで、週末、医者の野球チームのメンバーになったり、バーベキューを開催したりして親睦を図る。
MRをやっている友人曰く、「自分だけでなく、時には妻にまで、バーベキュー場で顧客のために肉を取り分けさせたりせねばならないのがつらい」とのこと。
増田は、お客様として外資系の上澄みだけに浸り、外資系の賛美者となってしまった。
外資系で本格的に働くと、相当に人間関係で苦労する。それは日本の非じゃありませんぜ。
しかし、文化の違いを乗り越えて、彼らに仲間として認められた時の喜びは、それ以上のものだ。
それは、社内政治を勝ち抜き、圧倒的な業績を上げ、奴隷以上に長時間働いてのち、得られるものだ。
増田のような人間の賛美は、外資系のイメージを上げるという点ではいい宣伝になるけれども、外資系で戦力となる仲間を必要とする者にとってみれば、ありがた迷惑だ。
http://d.hatena.ne.jp/ever_neet/20110113/1294916683
国連の調査員いわく「日本の差別問題は根が深い」「役人たちはこの問題の大きさを認識していない」のだそうである。
穏やかじゃないですなと読み進めると、"日本の差別は、日本人の見えない輪をつくり、そこに「違う者」が入ろうとする「忙しい」などの建前を使い静かに拒絶すること"であり、"悪意はなく、酷い差別を受けることも無いが、友好的な人からも小さな差別を沢山受ける"ことであると。
欧米の某国に長く住んでいる人間として言わせてもらうなら、これを人種差別ととらえることこそ、問題の本質を理解していない。このような仲間/よそ者の区別はどの国にも存在し、それをレイシズムと定義している国をほかに知らない。そして、このマイルドな「差別」を一概に悪いことであると定義してしまうべきでもない。
たとえば、自分が昔ロンドンの会社で働いていたとき、外国人(非英国人)向けの「イギリスでの生活になじむための講習」のようなものを受けさせられたことがある。そこで最初に言われたのが、「イギリス人の友達が出来なくても心配しないように」ということ。実際その通りだった。ホームパーティーに誘われることは何度もあったが、例外なく外国人から。外国人の同僚に尋ねても、一様に同じ感想を漏らしていたし、イギリス人の同僚もその傾向があることは認めていたから、講師が言ったことはある程度一般化可能な事実だったのだろう。ちなみに、ロンドンは移民の人口が3割を超える多民族都市だ。
ニューヨークですら、事情は大して変わらない。アメリカ人は「イギリス人とそれ以外」のような分け方はしないが、「アメリカ的な振る舞い」をしない人間に対しては厳しい。そして、それは当然不文律であって、社会人になってからでは学ぶ機会が無いし、そもそも不文律自体が場所とコミュニティで異なる。個人的には、イギリスに比べればだいぶやりやすいとは思うけれど。
どちらも、上で紹介したブログが書くところの「静かな拒絶」の一例だ。それは確かに広義の差別になるのかも知れない。しかし、このような「差別」をしなければ、人種差別は確実に激化する。世の中には生き方の違う人間というのが確実に存在するのであって、そういう人たちを遠ざけたり遠ざかったりして無用な摩擦を避けるのは、ごく一般的な生活の知恵だ。この棲み分けが機能していない社会では、大抵人種差別が起こる。生き方も考え方も違う人間が密接に関わりあえば、当然不愉快な経験もする(ルームメイトがウンコのついた左手で蛇口をひねり、そのまま蛇口を洗い忘れて出て行った、とか。どこの国の人かは敢えて書かない)。そういう「不快な経験の積み重ね」が人種差別を拡大させる。こういう差別は理屈ではないので、より根深く残る。
こういうことを書くと「異文化を真っ向から乗り越えてこそ真の理解があり、人種差別の解消はそこを目指すべき」みたいな幸せなことを言い出す人達がいるが、そういう人間に限って「異文化を真っ向から乗り越える」経験をしていない。それがどれだけの時間と忍耐を要求するかを理解していない。この世の中には異文化摩擦を乗り越えることに生活をささげられるほど暇な人はほとんどいないのだ。人種差別反対、あらゆる差別に反対、と叫んで悦に入るのは気持ちいいのだろうが、もう少し現実を見ろと言いたい。
人種差別には反対だが、それを抑制するために、少なくともそれによる不利益を抑制するために、受け入れたほうが良い差別はある。受け入れ側の日本人が「外国人をもっと平等に扱おう」と考えるその心根は善い。だが、それこそが日本人の人種差別に火をつける可能性は考慮すべきだ。目をきらきらさせて非現実的な理想を語る前に、カエサルの言葉をかみ締めよう。
「どんなに悪い結果に終わったことでも、それがはじめられたそもそもの動機は、善意によるものであった」
『手術台の上のこうもり傘とミシンの出会いのように美しい』
ゲーマーの中でこのセリフを聞いたことがある人間は少数だろう。え、どんな意味かって?それは自分でググれ。まぁもっとも、大抵のゲーマーには意味が分からないだろうが。ゲームばっかりやって芸術とかに興味がないから、ゲームの枠組みでしか物事を図れないんだ。きっと。
やはり、ゲームは一般ユーザーに開けていないといけない。そう、wiiのように。数年前、僕はこれで友達とのホームパーティー(笑)が楽しくなると思って、wiiを買った。最初はマリオカートwiiを買って、自分ひとりで遊んでいた。いつかはみんなで楽しむことを夢見て。
だが、僕の部屋には友達は来なかった。もともと僕は友達が少ないのだ。さらに部屋は狭いし、汚い。一回せんべいを食べた後友達が来て、「くっせ~!お前の部屋せんべいくさっ!」と言われたことがある。今の僕の部屋は海苔くさいだろう。今一人で海苔食ってるんだ、ごはんにも付けずに。
CMのアレはいったい何なのだろうと思った。あの、楽しさ。ああいうのにあこがれて買ったはずだが。付いていない。付属していない。『和気藹々』が付属してませんよwiiには!!!寂しい人間にはいつまでたっても『和気藹々』は訪れませんよ!!
ところで、冒頭のセリフは、やはり特殊な精神の持ち主が考えたらしいよ。じゃなきゃあんな意味不明な言葉を紡がないよね。
そんなある日、僕はあの番組を見る。僕はうれしくなった。笑顔になった。僕は言った。
『ソファの上のPS3と万能ねぎの出会いのように美しい』
と、いうか宅飲みとかオウチ会とか人によっていいかたは色々だろうけど、ともかく「ホームパーティー的なもの」をする人種とはわかりあえない気がする。
たいていは「友達」の多い人で、年に何回もやってるの。
そういう人って、クラスに何人かはいるような「リーダー格」っていうのかなあ…せんたいモノだとレッドの立ち位置にくるような。
呼ぶ人数も、ともかく多い。友達の友達はみんな友達と言った感じでワイワイやって楽しむ。飲んだり食べたり、食事つくったり、ゲームしたり。。
主催者は前述のように「友達の多い人」だから自分も呼ばれたりするんだけど、どーもなじめない。
自分も部屋に人を呼ぶことはゼロではないけどたいてい1人、最大でも3人。友人が少ないせいもあるけれど、1:1で遊ぶのが好きだからすっごく仲いい人でも沢山の人たちと同時に遊ぶなんて考えられない。
もしや、これも一種の嫉妬なのかな。
後輩は、いろいろな才能を持っている。
まず、スポーツ万能だ。国体出場歴もある。筋肉の引き締まった、すごくいい身体をしている。
カラオケもべらぼうに上手い。聞いていて女子社員の半分が涙ぐむほど上手い。
男なのに料理が上手い。一度彼のマンションでホームパーティーをしたことがあるが、どこのフレンチレストランからケータリングしてきたんだ?ってぐらい本格的な料理が出てきた。
絵も上手い。何かの賞に入選したこともあるらしい。前述のホームパーティーの時に作品を見せてもらった。俺は絵のことはよく分からないが、上手いということは分かった。
本や映画にもやたら詳しい。話題作はほとんど見ているみたいだ。「あの本、タイトル何だっけ」って時は、彼に聞けば大抵分かる。
が、彼は仕事が出来ない。
運動も音楽も料理も絵も本も映画も、SEの仕事には全く関係ない。
頭が悪いわけではない。有名大学を出ている。単純に、自分の才能を生かせない仕事に興味が持てないのだろう。
タチが悪いのは、これらの才能があったが故に、学生時代はかなり周りからちやほやされていたということだ。
社会人になってからは、評価の基準が「仕事の実績」であり、他の才能があってもちやほやされない、ということは頭では分かっているみたいだ。でも、納得はしていない。いつもくすぶっている。
彼は、どんな職に就けば幸せだったのだろう。
元スポーツ選手とはいえ、それで食っていけるほどの成績ではなかったのだろう。
料理人になるのは、有名大卒という彼の学歴を考えると勿体ないような気がする。
天は二物を与えず、と言うが、二物を与えられてしまった人は不幸なのかもしれない。身体は一つしかないのだから。
http://anond.hatelabo.jp/20080922081838
ゲイの知人のホームパーティーなんかでそんな話になると、みんなふむふむと聞いているが、自分にとってそんな話は不愉快以外の何者でもない。
まあそのなんだ。
ゲイという「ひとつの性的趣向」を元に、人格や思考を分類する方が馬鹿馬鹿しいとは思うんだけど、
増田みたいな
・マスコミに弱い
・流行に弱い
という図式を何時まで続けるつもりなんだ?
「馬っ鹿じゃねえの?」
と内心思ったとしてもだ。
それを信奉している人間が目の前に居たら、
「ふむふむ」
って相槌打ってやるのが大人のマナーだよな。
ましてや同意求めてどうすんの。
それともアレか。
自らそうでありたいのか。
それなら仕方ないじゃないか。
ゲイなんだから
ここ数年、TVで人気の太った霊媒師とか、黄色い髪の老婆のおかげで、ゲイの世界で異変が起こっている。
彼らのようなインチキ占い師のマネごとをして悦に入っているゲイが明らかに増加しているのだ。
彼らの言う事には一定のパターンがあり、
1. オーラが見える。
2. 生霊が見える。そして自分にはそれを祓う力がある。
3. 体調が悪いのは憑き物のせい。(普通のゲイならまず性病と成人病を疑うべきである。)
亜種になると、手相が見えるとか妖精が見えるとかの方面に行く者もいる。
で、彼らがそういう話をあれやこれやとしている時の彼ら自身のゴールは、あの黄色い髪の老婆と同じで、要約すると
「私はすごい人物だ」
なのである。
ゲイの知人のホームパーティーなんかでそんな話になると、みんなふむふむと聞いているが、自分にとってそんな話は不愉快以外の何者でもない。
最近ではそういう話をアホらしいと思うゲイを探す方が、とても大変である。
他力本願で本当に申し訳ないんだけど、人口の9割を占めるノンケの皆様へお願いです。
早くあの二人をTVから駆逐してください。しかも彼らにとって屈辱的な形で。