はてなキーワード: テレビドラマとは
()はヒーローチーム。
初登場 | DCコミックス | マーベルコミック |
---|---|---|
1938 | スーパーマン | |
1939 | バットマン | |
1940 | フラッシュ グリーンランタン シャザム キャットウーマン ジョーカー | |
1941 | ワンダーウーマン アクアマン グリーンアロー | キャプテン・アメリカ |
1942 | ||
1943 | ||
1944 | ||
1945 | ||
1946 | ||
1947 | ブラックキャナリー | |
1948 | ||
1949 | ||
1950 | ||
1951 | ||
1952 | ||
1953 | ||
1954 | ||
1955 | ||
1956 | ||
1957 | ||
1958 | ||
1959 | (スーサイド・スクワッド) スーパーガール | |
1960 | (ジャスティス・リーグ) | グルート |
1961 | (ファンタスティック・フォー) | |
1962 | スパイダーマン ハルク ソー アントマン | |
1963 | (アベンジャーズ) (X-メン) アイアンマン ドクター・ストレンジ ワスプ | |
1964 | デアデビル ホークアイ ブラックウィドウ スカーレット・ウィッチ クイックシルバー | |
1965 | ||
1966 | ブラックパンサー | |
1967 | キャプテン・マーベル | |
1968 | ||
1969 | ||
1970 | ||
1971 | ||
1972 | ゴーストライダー ルーク・ケイジ | |
1973 | ブレイド ドラックス | |
1974 | ウルヴァリン パニッシャー アイアンフィスト | |
1975 | ストーム ガモーラ | |
1976 | スター・ロード ロケット・ラクーン | |
1977 | ||
1978 | ミスティーク | |
1979 | ウォーマシン | |
1980 | サイボーグ | |
1981 | ||
1982 | ||
1983 | ||
1984 | ヴェノム | |
1985 | ||
1986 | (ウォッチメン) | |
1987 | ||
1988 | ||
1989 | ハントレス | |
1990 | ケーブル | |
1991 | デッドプール | |
1992 | レニー・モントーヤ | |
1993 | ハーレイ・クイン | |
1994 | ||
1995 | ||
1996 | (バーズ・オブ・プレイ) | |
1997 | ||
1998 | (ビッグ・ヒーロー・シックス) | |
1999 | ||
2000 | ||
2001 | ジェシカ・ジョーンズ | |
2002 | ||
2003 | ||
2004 | ||
2005 | ||
2006 | バットウーマン | |
2007 | ||
2008 | (ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー) | |
2009 |
シーズン2がキャスト一部変更で牧が出ないことはまあ仕方がないなと思うし、だいぶ前から予想はしてた。2016年の単発からの流れを考えたら一番可能性高そうだったし、あれだけ劇場版で完結完結って言われてたし。できればキャスト総入れ替えが良かったなとは思ったけど。
でも、たとえキャスト変更が覆らなかったとしても、それを元からのファンが穏やかな気持ちで受け入れられるようにしてほしかった。
新シリーズが発表されてからの荒れっぷりは、公式のツイートについているリプライを見れば分かると思う。実際にはあの何倍もの人が伏せ字や鍵垢で怒ったり悲しんだり黙ってアカウントを消したりしている。
公式に対して怒っている人への批判とか、民度がどうこうみたいな話も見るけれど、この状況はなるべくしてなったと思う。「キャスト変更がなるべく受け入れられるようにシーズン2へ移行する」ことが目的だったと考えたら、おっさんずラブ公式は悪手を重ねすぎている。
まず、完結編と謳っていたにも関わらず、映画で春田と牧の物語がきれいに終わったとは言い難かった。劇場版のyahooレビューを役立ち度順に並べると低評価のものがずらっと並ぶし、絶賛していたファンでも「完結編として最高だった、ここまでやりきってくれたならこれ以上は不要」と思っている人は少数派だと思う。春田と牧の関係は始終ギスギスしていて、劇中で二人がぶつかる問題はほとんど解決しないまま放ったらかし、ラストシーンは離別エンド。映画をやらずに連続ドラマだけで終えていたほうがよほどきれいな完結だった。
それでも好意的なファンはまだまだ劇場に足を運び、考察を重ねて楽しんでいて、公式も毎日オフショットを投稿していて、まだまだ盛り上がりが続いている状態。そんな中で公式が続編の詳細を発表し、強引に打ち切るように公式アカウントをシーズン2に切り替えた。まだ劇場版の公開からたった1ヶ月しか経っていないのに、今日の夜には応援上映だってあるのに (私は元から行くつもりなかったけど、どんな状態になるのか想像するだけでこわい)。放送時期が半年遅かったら、せめて冬クールだったら、と何度思ったか分からない。
発表前日の夜からの流れは本当にひどかった。「2人の幸せがこれからもずっと続きますように🌸」という言葉とともに結婚指輪をつけた春田と牧の手の写真を投稿、その翌日の朝にはアイコンを変更しプロフィールを書き換えて新シーズンの詳細を写真つきで発表。この間、たったの6時間。私は深夜3時に早バレを踏んだのでその時点で泣きながら公式アカウントのスクリーンショットを撮って全アカウントで公式をブロックして回ったから発表後のダメージはそこまでくらわずに済んだけれど、結婚指輪ツイートを目にした時にはもう新アイコンだった人とか、大丈夫だったんだろうか。せめて一日空けていれば、だいぶ違っただろうになと思う。
という感じで、制作陣が作ったものと上層部が下した決定と公式アカウントによる宣伝戦略とが最悪に組み合わさった結果があの阿鼻叫喚だった。
逆になんでこれで燃えないと思ったの??????? と一日中思っていたけど、そうじゃなかったんだとさっきようやく気づいて、それでまたちょっと泣いた。
燃やさないつもりなんてきっと最初からなくて、元からいたファンがどんな気持ちでシーズン2の詳細を知ろうが、それでどれだけ悲しい思いをしようが、どうでも良かったんだろう。むしろ炎上商法を狙っていたのかもしれない、認知度は上がるしハードルは下がる、減ったフォロワーは新しい人気俳優の名前で取り戻せる。なるほどなと思った。
公式がコンテンツやそれを好きなファンを大事にしてくれるのは当たり前じゃないって、けもフレ2の騒動とかも知ってたけど、自分が当事者になるのは初めてだった。
テレ朝はもう一生信用しないし、新シーズンも他のテレビドラマも万が一好きになってしまったら怖いから観ないようにしようと思う。クソ重オタクが民放ドラマなんかを本気で好きになってしまったのが間違いだったんだ。
シーズン2がヒットするかはどうでもいいけれど、春田の中の人のことは好きだからせめてコケないといいな。2018年版の奇跡をありがとう。
NHKに怒る人、JASRACに怒る人、あとWikipediaがウザいと思う人
色々居る
誰も、喫茶店に言ってコーヒー300円ですと言われて怒る人は居ない
でも、知人の家に行って、コーヒーを飲んだあとで300円ですって言われるとイラッとすると思う
3000円のゲームと、基本無料だけど内部で3000円課金が必要なゲームが有ったとする
たぶん、自分の見積もったものより上振れるとイラッとするんだろう
あとは自由意志か
「ラストは映画でやります」と事前告知してればイラッとしないが
最後間際になって「続きは映画で!」となるとイラッとする、サンクコストが発生してるから自由意志がない
当時の映画好きが「邦画は本当にやばい」と絶望してたのを覚えてる。
トップの興行収入だけだとわかりづらいが、全体的な客数でいえば00年代以降、洋画が減り邦画が増えている。
それに対して映画好きが「いや探せばいい映画もたくさんある」って紹介する流れがあるけど、
90年代はむしろ映画好きが積極的に邦画は糞だと言ってたかもしれない。
いうても、日本が良質な映画作りをできてたのはスタジオシステムのおかげで、
それが崩壊したのが70年代半ばだから、80年代も結構ひどかったんだけどね。
ジブリの知名度が一般に広がったのはトトロがVHSで発売された90年前後からなんだけど、
そのブランド力がうまい具合に邦画の低迷期を支えてくれる形に。90年代のジブリ映画が本当に質が高かったのかどうかは別として。
で、情けないことに、実写邦画の低迷をすくったのが、
テレビ資本の大作邦画というモデルはこの辺りから始まって、現在まで続いてる。
東映のこどもまつりをドラマでやってるのと同じ、ともいえるけど。
クオリティも似たようなもんだ。
アメリカに10年ほど住み100%英語で専門職の仕事をしています。英語にはレベルがあると思います。
1.GoogleTranslate使いながら、辛うじて技術文書の意味が取れる。
2.技術文書とかStack Overflowとかは一通り読める。
3.日本語の半分くらいの速度で英語が読める。ニュースはすらすら読める。
4.映画とかテレビドラマの会話が、専門用語やスラングも含めて完全に聞き取れる。
日本に住む、英語を武器にしない専門職なら、レベル2で十分でしょう。英語で困らない、というのはレベル3になります。レベル3までは、日本で英語教材として売っているレベルのものを丁寧にやれば達すると思います。読むのが遅いのは、単純にインプットが足りません。
レベル4あれば、ネイティブと知的な会話がこなせます。私はレベル3ですが、レベル4のためには、日本でいうと、方広寺に刻まれた有名な銘とか、カツオくんが好きなスポーツと友達の名前とか、そのレベルで知識がいるので、若干諦め気味です。たぶん本と映画とドラマを大量にインプットするしかないと思います。
韓国人に反感を抱いた人は割とリアル世界にも沢山いるということが、日常生活を送っているだけでわかる。
インターネッツでは「フェミはこの件はだんまり」とう言説が流行っていた。
フェミ=韓国好き(慰安婦擁護派?)っていう偏見がそもそも大きすぎるらしい。
「MeToo関係者沈黙」とかになってるの、完全にマッチポンプやんけと思う
と、普通にこの暴行韓国人に反発心を抱いたフェミの自分は思う。
逆にフェミニズム勉強してないので、きれいな反差別思想とか持っていないから
韓国等に反感を抱くんだろうか。
だとしたら、ツイフェミってバカにされてる人たちの方がちゃんとしたフェミニストなのでは??
でも歴史ある(?)フェミニストって、かなり過激なことしてたって聞いたぞ。
ネトウヨ気味の人でも社会福祉系にはよく文句言ってるじゃん。ブラック企業とか嫌いな人多そうじゃん。
話戻るけど
オタクとしてインターネッツをしてきて思春期にまとめサイトとか見てきたのに
いきなり韓国好きになれるわけないだろう。
昔はオタク男性たちも仲間だと思ってたのだが、女叩きの記事の時だけ疎外感でなんだかんだ悲しかったんだよな
でもスイーツ(笑)って面白がって自分も言ってたわ。女性専用車の「私は別にどこでもいいです」の画像見てめっちゃ笑ってた。
大人になったからこれらがそういうオタクコミュニティにおける同調圧力だって気づいたので
でも別にオタクなのはずっと変わってないな。というかそれが仕事だ。今はオタク産業に身を置いている。
「えっそんなこと言う人いるんですか?しかも新大久保で??」と思わず聞き返したけど、
物腰柔らかな人だし、そこで別にけんかはしていないらしい。
でもこの人が「独島は我が領土」とか言い出したら私は内心キレるだろう。職場だから言い返さないが。
もちろん職場だから、韓国人同僚もそういうことは言ってこない。
あと、更に話変わるけど
でさ、顔がいいっていう褒め方、結構してたんですけども
芸能人に言うのと同じように一般人の女性に対して「綺麗」っていうこと失礼だなって気づいて最近脳がバグってるんですよ。
そんな感じで色々なきっかけで根幹の価値観が変わってしまうこと、よくあるんだなと思う。
あ、でも今思えば中学生の時に漫画嫌韓流とかを読んで「価値観変わったな」と思ったことあったな。
今思えばヤバく偏ってたなぁ。今も反対から見たら超偏って見えるのかな。
表面的には順調な人生だ。それなりの大学を出て、それなりの給与で会社に勤め、健康的な妻子がいる。二人とも誰かに迷惑をかけるようなこともしていない。俺も多分、していない。
会社に勤めてそろそろ二十年。若いころは現場が楽しかったが、中間管理職になって部下の後始末ばかりの日々。部下が無能というわけではない。経験不足で足りない部分があるから、これまでの知見でそれを補う。その過程で社内外の関係各方面に迷惑をかけることもあるから、頭を下げる。ひたすら頭を下げる。ただただ頭を下げる。まったく楽しくない。頭を下げるだけなら、俺じゃなくてもいい、俺がいなくても構わない。そう思う。管理職になれるのは社内の限られた人数だが、俺は別に管理職にならなくても良かった。現場にいたかった。
単身赴任は間もなく五年。妻と息子のいる家にたまに帰っても、いいことはない。妻はずっとテレビを見ている。くだらないテレビドラマ。「私の唯一の趣味」というから、好きにさせている。最近は贔屓の役者のファン同士、ツイッターで交流している。テレビはつけっぱなし、目はスマホでツイッターのタイムラインを追っている。テレビの内容でファンが盛り上がっているそうで、たまに変な笑い声を上げる。息子は息子で、ひたすらユーチューブを見ている。テレビつけっぱなし、妻はツイッター、息子はユーチューブ。それが食卓の風景。俺がいなくても構わない。家族といても休みは日中、昼寝をしている。つけっぱなしのテレビは妻と息子の物だし、俺にはほかにやることもない。夜は飲みに出かける。
つまり、俺は典型的なおっさんだ。いてもいなくてもいい。居場所なんてどこにもない。
会社にとって、俺の存在意義は体のいい弾除け。厄介ごとを下処理する係。代わりはいくらでもいる。
家庭にとって、俺の存在意義は金。生活費、学費、住宅ローンを払うだけの財布。今のところ代わりはいないが、俺が死んで妻に保険金でも入ればそれで最低限の生活はなんとかなるんじゃないか。家を売ってもいいだろうし。
会社をやめたいな、と毎日思う。でも、やめたら、妻と子の生活はどうなるんだ。そう考えて思いとどまる。思いとどまって単身赴任先から家に帰ると、テレビつけっぱなしのツイッター妻とユーチューブ息子がいる。これまでさしたる感謝の言葉を聞いたこともなかったが、この二十年、俺には所詮、財布としての価値しかなかったのだから、仕方がないのだろう。俺が死んで妻子に金が入ればそれで彼らは充分に幸せに生きていけるような気がしてくる。
ああ、会社やめたいなあ。ああ、死にたいなあ。そんな風に思いながら、それでもまだ生きている。いつまでこんな風に生き続けるのだろう。ああ、会社やめたいなあ。ああ、死にたいなあ。それでもまだ生きている。こうやってみんな生きながら葬られていくんだ。人生って初めから終わっていたんだな。やっとわかったよ。そんな簡単なことに気づけなかったなんて、俺は本当にバカだったな。
テレビドラマのおっさんずラブを観た。面白いドラマだと思った。
しかし、おっさんである俺が職場で「おっさんずラブ、面白かったよ」と言ったのが運の尽き。
イキった女たちが同志を見つけたとばかりにあれこれ言ってくる。
ハルマキだとか、どうでもいい。
俺としては俺なりの面白さがあったし、それは俺の中で完結しているから、別にお前と共有したいわけではない。
熱く語るのは好きにすりゃいいけど、熱く語りたい人たちで勝手にやってくれ。
映画封切りだの何だので盛り上がるのなら、勝手に盛り上がってくれ。
一番ムカついたのは「観客動員数は週末カウントされるはずだから、週末に動員しないとね」とか言ってたバカ。
動員って何だよ。
手前は人様のことを何だと思ってるんだよ。
自分の好きなものを人にすすめるときは謙虚に、相手にあわせてすすめるもんじゃないのか。
動員って発想がクソすぎる。
自分の好きなものが評価されればそれでいい、素晴らしいものをまだ知らないアホを都合よく巻き込めばいいって、どんだけ上からの発想だよ。
オタクが世間で嫌われたことを、一からやっている自覚がないんだろうな。
賢いオタクは、そういうことを言ったり、やったりしているとドン引きされるってわかって、自分の熱量と、それ以外の人たちのクールさを天秤にかけて、立ち振る舞うって学習したんじゃなかったのか。
おっさんずラブ好きだけは、そういうウザい振る舞いをしても許されると思ってるのか。
絶滅したはずの(というか、絶滅危惧種の)ウザいイキリヲタがこんなに湧くとは思わなかった。
お前ら、虫だぞ。
そうして紹介されたのは「ナンチューカ」
――うん 美味い
ミミセンくん:まあ 平均的な美味さだね
シロクロさん:あったかけりゃ何でも美味い!
――いわゆる本場のじゃなくて 地元の人たちが慣れ親しんだ味で食べやすい
お忍びの取材であることを忘れて ついテレビマンの癖が出てしまうディレクター
――え 初めて?
マスダくん:俺も初めて この場所に店出すと絶対に流行らないんだよ
ミミセンくん:僕たちの間では有名なんだ 前あった店も一年ともたなかったよね
タオナケちゃん:私も知ってるけど 一年ももたなかったのは その前の前にあった店だったと思うわ
――なぜここを紹介したの……
マスダくん:ここの中華屋もいつか潰れるだろうし せっかくだから一回は食べとこうかなあって
店主:一週間後に閉店です……
マスダくん:丁度いい時に来れてよかったなオッサン ここの中華は二度と食えないぞ
――そ そう……
腹もふくれたところで次の場所へ
近くに小さな博物館があるということで アルブス・オークを離れ そこへ向かってみることに
テレビドラマの撮影にも使われたことがあり この町でも割と有名な場所らしい
しかし
マスダくん:あれ 道間違えた? ここになかったっけ
ミミセンくん:ああ~ かなり前に潰れたっぽい
どうやら数年前になくなってしまった模様
タオナケちゃん:私も3回しか行ってないけど いざなくなると ちょっと残念
――もっと行っておけば 良かったね
タオナケちゃん:残念とは言ったけど3回で十分よ 別に何回も来るような場所じゃないわ
ミミセンくん:博物館の営業努力の問題さ 或いは市か区の管理問題 それにすら見限られたから潰れたんだよ
マスダくん:まあ 地元の俺たちがこの程度の認識なんだから そりゃ潰れるよな
シロクロさん:さもありなん!
気を取り直して次の場所へ
――ん あの 建物はなに?
道中 独特な見た目の建物が 遠くに
マスダくん:火力発電所だっけ?
ミミセンくん:確か ゴミ焼却場だったはず
タオナケちゃん:私もそう思うけど この町のお偉いさんって 変なところで見栄っ張りなの
この子たちによると アノニ町が観光名所といわれている秘密は“見栄っぱり”からきているんだとか
――この町 風車があるんだ
マスダくん:エコなエネルギーブームに乗っかって作った風力発電所な
マスダくん:市長があの風車だけで夏を乗り切ろうとした時は マジで酷い目にあった
タオナケちゃん:ジョークで言ったんだろうけど そういうの嫌いだわ
――す すいません
面白かったけれど物語として詰めの甘いところが2か所ある。そこが違和感に感じて視聴後に納得しきれない感じが残った。
銃は突然でてきて突然使われる。どういう意味を持つか劇中で全く説明されていないから銃の意味を理解できない。
大人への抵抗の象徴として表すならその威力を知るシーンがほしかった。劇中のテレビドラマで銃で撃たれるシーンをみてほだかがドキリとするとか、すがさんが銃を見つけてその恐ろしさをほだかに脅すとかがあれば銃の意味を感じられた。
最後にすがさんが待ち構えているシーンは何だろうと考えると愛する人を失って生きてる大人が大人の生き方を教える役割なんだろうな。
「苦しいがこうやって生きていける。今なら大丈夫だ。戻ろう」って諭す役割なのにすがさんがびびってる。混乱してる。導く役割なのに導けない。
直前に泣いたすがさんの涙は何だったのか。ひなさんと離れたほだかに自分を重ねたからじゃないのか。だからほだかのために最後でてきたのではないか。なのにほだかのためじゃなく自分の恐怖のために表れた。
オタク界隈にとっては「萌え〜」から始まって「バブみ」「尊い」というのが文体、クリシェ。
例えとすると、「陰キャ」「陽キャ」はオタク以外にも使われる罵倒語だよね。
あとなんJ。なんJはオタク以外もたくさん人口がいる。もともと野球を元ネタとして生まれたものだし。
ニコニコで言うと淫夢だね。ニコニコは淫夢以外にも動画としての「お約束」がある。ドワンゴ爆破や大規模爆発ドリフとか。
ニコニコはコメントにも同質性があるね。だいたいゴミみたいな人権意識皆無のアレなんだけど。
文章を書くのって結構頭をつかうので、SNSへ気軽に自分で書くにはどうしてもコードや他人から拝借したクリシェが必要になる。
これは2ちゃんみたいな大量の人間が書き込む匿名掲示板が出てきたころから必要な文化であって、オタクがどうこうという話ではない。
あ、2ちゃんより前に新聞や雑誌への投稿もあるね。同じような文体、語彙になる例ってのは昔からある。
文体や話題、語彙、思考の同質性は人が何を見ているか、どういったコミュニティに所属しているかが大きく影響してくる。
例えば、お母さんからもらった手紙がテレビドラマやドキュメンタリーと同じような内容だったという経験がある人は少なくないと思う。
うざったい感傷たっぷりみたいなやつ。まあ感動しちゃうんだよね。自分に向けられた無償の愛みたいな感じの文章だから。早くしねばいいのに。
それは、自分の親が「テレビドラマ」「ドキュメンタリー」などから影響を受けた文章しか頭にないからだと考えられる。
子供の感情を揺さぶるには、そのような技術を援用するしか手がないから。本当に早くしねばいいのに。
増田にもあるでしょ。今の流行りだったらKKOとか女はいつも親叩き(興味ないからあやふや)みたいなやつ。
インターネット、SNS、それ以外にも文章の殆どは何かのコードやクリシェを使われているので、その指摘は「コミュニティの語彙」を指しただけに過ぎない。
特定のコミュニティが独特の語彙を繰り返し使用することに批判することがあるとすれば、インターネット利用者の拡大において同じ文体、同じ語彙が広がりすぎて、より大きなコミュニティ、つまるところ日本語圏の思想の多くが単純化するという部分くらいでしかない。
「オタク」に限定するなら、とにかくくだらない議論(例:カップリング論争)が昔から繰り返されてるので同じ語彙と文体を使っていても思想は違うというよくわかんない状態が続いてるのでまあいいんじゃないかなとか思いました。キャラに尊さ感じてるくらいなら別に社会になんの影響もないわけだし。
平成も終わろうとしている今日、今敏監督作品「パーフェクト・ブルー」を昨日視聴した。
私は、今敏監督作品では「パプリカ」が一番好きでパーフェクト・ブルーは二番目に好きなのだが、やはり名作である。
パーフェクトブルーという作品は当時(1997年)には珍しいインターネットやストーカーを題材としたサイコホラー作品なのだが、その恐怖は今でも、いや今だからこそ色濃く感じる。
「あなた、誰なの?」
パーフェクトブルーを象徴する台詞の一つだ。この台詞は主人公の未麻がテレビドラマの撮影中に放つ台詞である。その目線は画面の向こうの観客を捉え、こちら側に訴える。
「あなた、誰なの?」それはもはやインターネットが当たり前になった世の中では忘れ去られつつある感覚かもしれない。ツイッターを開けば私達は毎日画面の向こうにいる他人の呟きを見て、世界の何処かにいる誰かの喜びに共感したり、怒りに賛同したりする。
近年思う。インターネットに居る「誰か」というのは、勿論現実に生きている人ではあるが、現実での人格とは別にインターネットの中でのみの人格を形成している人が多いのではないかと。
ツイッターで多く見られる旦那への愚痴アカウント、これらはほぼ匿名であり、現実の旦那への怒りのガス抜きとして利用しているのだろうが、共感できるツイートには多くの賛同コメントがつく。
毎日息をするように呟かれる旦那の愚痴だけを見ると、あたかもその人の旦那は酷い人物のように見えるが、画面の向こうで実際どのような生活をしているのかは誰も分からない。もしかしたら、子どもも旦那も、その人が作り出した妄想上の産物である可能性もあるのだ。
そのようにインターネットでは、誰も知らない「誰か」がいとも容易く作り上げられてしまう。現実では弱気な人がインターネットでは強気な意見をしたり、性別を偽ったり、実際の生活水準より上に見せた生活に見せたりと、枚挙にいとまがない。
インターネットの書き込みは今や「便所の落書き」ではなく、何気ない一言で人生を変えるほどの現実である。だが、インターネットでは毎日のように人を攻撃し、楽しむ人もいる。
「叩かれて当然のことをしたから」この風潮があまりにも蔓延しすぎているのもあるが、一番に忘れられているのが「実際に画面の向こうには生きている人間がいる」という事実である。
インターネットでは、相手をどれだけ殴ろうが、叩こうが、血は流れないし痛みも感じない。だが、画面の向こうでは血は流れなくとも確実に傷ついている人間がいるのだ。
死ねとクソリプを送る人は、生身の人間を前にして同じことを言えるだろうか。本当に相手が死んでしまったら、死んで当然だと遺族の前で言えるのだろうか。
10年以上フォローしているフォロワーでも、本名も知らない一面も多くある。インターネットで見られる誰かの一面は、その他の面を一生知ることがないままが大半だ。
平成は終わり、令和という新しい時代を迎えれば、インターネット技術は益々発達し、それこそ今敏監督の作品のように夢と現実が交錯するような世界もあながち妄想でなくなる日が来るのだろうか。
そういった世界を前にしてこそ、インターネットという空間において「あなた、誰なの?」という感覚を持っていることは、大切だと感じる。