はてなキーワード: セルフイメージとは
なんかさ。
女性を助けるとか善いことすれば認めてもらえるとか
感謝されるとか報われる、って思ってる男、多くね?
荒廃した世界だろうと、どこだろうと、ただ一人誰に向けるでもなく踊り続けるマン。
世間からは、そんな風に見られてると、そう思っておくくらいで丁度いい。
先んじて突っ込まれてるけどさ。
でも、女性にAEDを使って感謝されると無邪気に考えてる奴も有害なんだよ。
二本樹⇨性被害を受けた全日空ホテルの鍵の形状から「合鍵を作成しジャニーに渡した」事になり、ホテルの信用問題に発展。文春が記事を編集するも魚拓済み https://onl.tw/MCnUHCu
https://twitter.com/diver_down_fly/status/1663168501887160320?s=20
こういう嘘つきはアウト。
素行不良なのも嘘つきだとわかる。
@aoyagi_h
1時間
ジャニー喜多川前社長からの性被害を訴えている元ジャニーズ事務所の橋田康さん始め3名の方々が、児童虐待防止法の改正を求める39,326名分の署名を持って維新の衆議院控室に来られました。芸能界だけでなく幅広い場で未来の子どもたちを守りたいとの思いをしっかりと受け止め、党の対応を協議します。
アメリア。
@sanbonAmeria
二本樹さんは講師として勤めていた塾の女子生徒を問い詰めて性被害を聞き出したと話しています。
この話がもし本当なら、問い詰めて無理やりカミングアウトさせ、児童の心を傷つける行為をしたと感じていますが、これは精神的な児童虐待にはならないのでしょうか?
重大な問題です。精査してください。
アメリア。
@sanbonAmeria
1時間
証拠は何もなく、証言のみなのに「あった」という既成事実になっています。
所属タレントや元タレントのお子様にまで、誹謗中傷や公式アカウントへの卑猥なコメントなど二次被害が出てます。
彼らのこと、彼らの後ろについてる政党・団体、よくお調べになってください。
https://twitter.com/sanbonAmeria/status/1665663804116701189?s=20
暇空茜
@himasoraakane
2時間
PENLIGHTの正体は慰安婦団体キボタネ!! https://youtu.be/Kz27HRI6tSE
ジャニーズを叩いてるPENLIGHTは慰安婦団体キボタネで北朝鮮スパイとつながりのある正義連と強いつながりがあります!!
ジャニーズを北朝鮮スパイとつながってる人達や仁藤夢乃が攻撃してます!
https://twitter.com/himasoraakane/status/1665646986941566976?s=20
@kintsugi_love
あ、ちなみにジャニーズ事務所を執拗に攻撃しているpenlightと懇意にしているキリスト新聞の日本基督教団とは、例の西早稲田のあそこです。
https://twitter.com/kintsugi_love/status/1664789245767331841?s=20
西早稲田とは
https://twitter.com/KurenaiShohko/status/1665367483690401792?s=20
https://twitter.com/KurenaiShohko/status/1665374709750595585?s=20
https://twitter.com/KurenaiShohko/status/1665356496480157699?s=20
@kintsugi_love
朝日新聞くん、君んちの捏造記事で作り出された韓国の反日慰安婦団体に資金提供してるキボタネのスタッフ、penlightの話なのに、何が天声とかおこがましい立場で語ってるの?
毎日死にたいと思っていた、いまでもフラッシュバックが 元ジャニーズJr.の二本樹さん
2023/6/1 16:30有料記事
毎日死にたいと思っていた――。ジャニーズ事務所の創業者、ジャニー喜多川氏(2019年死去)の性加害疑惑をめぐって、5月31日に国会で野党の会合に出席した元ジャニーズJr.の二本樹顕理(にほんぎあきまさ)さん(39)が朝日新聞の個別取材に応じ、性暴力によるトラウマに苦しんできたことを明らかにした。「自分には価値がない」との思いにさいなまれ、うつや依存症に苦しんだ日々を振り返った。
二本樹さんは現在、大阪でギター教室を開いている。中学1年でJr.に加入し、喜多川氏からホテルで性被害を受けたという。「ショックで頭が真っ白だった。セルフイメージ(自己像)を砕かれた」。仕事は増え、性加害を受け入れることが活躍につながると思っていたが、嫌気がさし、中学3年のときに事務所を辞めた。
「そこから、両親もさじを投げるほどグレた」。髪を金色に染め、たばこを吸い、酒を飲んだ。無免許でバイクに乗った。「大人を信用できなくなっていた。大人から虐待され、だれも助けてくれないんだと思った」
父親の仕事の関係で渡米し、ロックバンドのギタリストとしてメジャーデビューしたが、自己肯定感は極めて低く、不特定多数の女性と関係をもつ性依存などにもなった。バンドは2年ほどで解散。その後はうつがひどくなり、「毎日、死にたいと思っていた」。21歳で帰国し、半年カウンセリングを受けた。結婚した妻にすべてを話し、少しずつ回復の道を歩んできた。
いまでも体験を話した後はフラッシュバックが起き、吐き気に襲われることもある。それでも、「被害者に、生涯にわたってトラウマを残す卑劣な性暴力をなかったことにはできない」と語る。(編集委員・大久保真紀)
福岡や大阪あたりに住んでるカッペがめちゃくちゃ嫌いなんだけど、あいつら何が下品かって、東京に対しては「東京モンは地方への偏見や差別をやめろ」なんて言ってる癖に、当の自分達は東京が地方を見下す時と全く同じ価値観で他の地方の人間を見下すところ。
どうも彼らのセルフイメージって「他の従順な地方民とは違い東京への反骨心を忘れていない誇り高き地方民」みたいな感じなんだけど、実際は単に自分達よりも豊かな相手に対して憧れと嫉妬に塗れた被害者感情を拗らせてるだけだったりする。
東京を嫌ってる本人達自身が実は誰よりも東京的な価値観に染まってて、だから常に東京にコンプレックスを抱く一方で自分達よりも貧しい地方のことは野蛮な風習の残った未開の人間達みたいに見下しても問題無いと思ってる。
この「都会に対する下から目線」と「田舎に対する上から目線」を相手の住んでる地域によって都合よく使い分けるところがめっちゃ嫌い。
相手のちょっとした仕草や発言から、相手の意図を勝手に推測して、
勝手に作り上げた相手のイメージと脳内で勝手に対話して、勝手に喧嘩して勝手に敗北してることが多い。
だからなんか妙にチクチクした態度取ってくるなぁって人と話してみると
女『あのときあなたはああいう態度を取った!!これはつまりこれこれこういうことで、それは私に対しての侮辱だ!!許せない!!!』
そして、なによりも楽だ。
静かに黙ってるだけで良識ある人間と見てもらえるのは、女だろうが男だろうが楽だ。
しかしそれが許されるのは女だけで、静かに黙ってるだけの男は無価値であり、都合のよい道具にされがちである。
男はそうやって”対話”してきましたよ?
伸びていて驚いた、きっとこんな卑屈なお気持ち文にはお叱りや罵詈雑言が飛び交っていると思ったら優しいコメントも非常に多く、また泣いた。
友人がそうであるように、この世には驚くほど優しい人がいる。私は彼彼女らから施しを受けた時にどうすればいいのかわからない、何も持たない私がどうやってその恩に報いればいいのかわからないのだ。(私の感謝の気持ちはLINEで送るスタバのドリンクや近所の洋菓子店で買った焼き菓子なんかじゃとても足りないのだ)
人はセルフイメージから離れた扱いを受けるとそのギャップに戸惑うと聞いたことがあるけれど、私の場合まさにそれだ。
先述の通り親はおらず、いた時期も父親に日常的に言葉と物理で殴られていた。(高校に上がるまで人差し指の第二関節を突き出した拳で頭を殴られると痛い、長い髪は手に巻きつけられたら逃げられない、というのはこどもの常識だと思っていた)
私は幼少期に無条件で愛された記憶がない。ゆえに私は自己肯定感が低い、その土台、底がない。
そんなもんは気の持ちようだと思われるかも知れないが、こればっかりは後天的に養うのは難しい、同じ境遇の人なら、なんとなく共感してくれるのではないかと思う。底蓋がないから、とれだけ自己肯定感を注いでも流れ落ちてしまう。
だから”フリ”をして生きている、擬態と言ってもいい。かつて、それなりの親に愛され、いっぱしの自己肯定感を育まれた人間として振る舞っている。
周囲の人が私がこんな卑屈な文章を書き散らかしていると知ったら引くと思う。
「友人ガチャ成功したんだからIQ下げて喜んどけ」という旨のコメントは目から鱗だった、ひとしきり笑った後、ああそうだなと深く納得した。何も持たない私だが、あんなに素晴らしい友人が私にはいるじゃないかと。
そもそも私は賢くないので、身の丈にあった思考で生きたら幸せなんだろう。
それでも現状をポジティブに捉えるための最適解があるのではないかとあれこれ考えてしまうのだ。重ねて言うが私は彼女(友人)が好きだ。だからこんな卑屈さをとっぱらって彼女と接したいのだ。
最後になるが、これを読んでる優しい人がいたらどうか教えて欲しい。
人は無条件の愛情にどう反応したら良いのだろう。
なんかアイコン揶揄してる件についてのブクマで、ブクマカとか質悪いのわかってんじゃんみたいなコメントあったけど、手斧とか言ってた時代のブクマカって「頭は良いけど口は悪い」みたいなセルフイメージだったんだよな。
いまじゃ国語力増田先生の専売特許みたいになってるけど、当時は「国語の成績が悪い」とかいうタグが一般に貼られまくってたんだぜ。ほかにも「脳の失敗」とか言ってたりあたまは良いけど社会的なモラルとかはないってのが当時のはてなのイメージだったわけ。
いまはもうろくにブクマも読めてないのがふつうじゃん。それにむしろ社会的なモラルを押しつける側のほうが大きな勢力だし。
昔のはてなが良いって言いたいわけじゃ無くて、いまのユーザー層とはだいぶ違うよねということがいいたい。
手斧とかの代表例ってotsuneとか村長とかそのへん?そいつらもうはてなにはほぼいないよね。
あとアイコン揶揄に関しては馬鹿とかそういうのじゃなくてあんなあからさまな話題そらしにウキウキでスターつけちゃう連中が沢山居るっつうことに対してだよ。
しいていうなら嶋は「『生意気な若い女』『だから』批判されている」と思っているけど、
それが根拠0である以上、ただのレッテルに過ぎないうえに、そういうセルフイメージ(北村氏が自信に対する、ではなく、人文村における人文村に対するセルフイメージ、だけど)という証拠になってしまっている
小山はこの批判を割と何度も言ってるので間違いないし、当人に確認しても否定しないと思います。
要するに「39歳にもなって”生意気な若い女”などという被害者っぽいセルフイメージを描くのはやめろ北村紗衣!お前は加害側だ!」と北村を批判しています。
小山(狂)氏(@akihiro_koyama)が以下のをツイートをした。
twitter.com/akihiro_koyama/status/1563756228810903552
女性用風俗の本番強要とかマジで闇深なんですよね。店側が強く注意しないからレイプまがいの本強が平気でまかり通ってる。ホストへの枕強要もそうですが、男相手のレイプは不可視化され過ぎてる。
twitter.com/akihiro_koyama/status/1563756814616776704
生意気な若い女(39)とか私のミニスカに執着するな(46)とか典型ですが、いい歳して「若い女」としてのセルフイメージを更新できない中高年女性が多すぎるからこんなことなってるんですよ。自分の歳を考えろ。加害性を自覚しろ。
twitter.com/Kelangdbn/status/1564010970468339713
@bokukoui
の発言であり北村紗衣先生のセルフイメージではないです(変なレッテル貼った嶋氏は彼女の名誉を棄損してると思う)。Open Letter事件は伝聞から起きた暴走です。ファクトは大事にしましょう。
twitter.com/bokukoui/status/1564044925376667649
私がいつ、北村紗衣先生を「生意気な若い女」呼ばわりしたか、具体的に示してください。私のツイッターを検索しても bit.ly/3Arkh8Z 研究ブログに書いた呉座さんの件に関する記事を探しても researchmap.jp/rshima/%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0 そのような表現は見当たりません。「ファクトを大事」とは片腹痛い。
少し時間が経ってから吉峯耕平氏(@kyoshimine)が、情況2022で墨東公安委員会氏が北村氏に言及する文脈で「生意気な若い女」と発言している証拠をアップロードした。
twitter.com/kyoshimine/status/1564432369356263424
もしかして、ネット上の執拗な北村叩きは、邪道に陥った者どもが、正道をしれっと説いて実践して見せている「生意気な若い女」への、嫉妬だったのかもしれない
情況2022を以ってSpica氏のツイートは正しいことが確認され、論争は終了するかに思われた。しかし墨東公安委員会氏はSpica氏のツイート中の「発言」を「呼ばわり」に読み替えたため、さらに反論が続くことになった。
twitter.com/bokukoui/status/1564044925376667649
『情況』誌も原稿も今手元にないので確認できませんが、書いたとしてもそれは、まさに「北村先生を攻撃する連中が、北村先生を『生意気な若い女』だと見ているのだ」という文脈です。切り取って無茶な攻撃をするのは極めて不誠実な行為です。
twitter.com/bokukoui/status/1564056991487561728
すでに多くの方がご指摘くださっていますが、引用符をわざわざつけて書いているのは、他者の発言を引用するなど、特別な含意を持っている場合です。この文脈で、私が北村先生を「生意気な若い女」と中傷している、と読むのは明白に誤読です。はなはだ遺憾です。
そう、墨東公安委員会氏は確かに、北村氏を「生意気な若い女」呼ばわりしたことはない。でも、そもそもSpica氏はそんなことは言っておらず、「生意気な若い女」は墨東公安委員会氏の発言であると指摘しただけである。だから、落ち着いて。
興味深いのは「発言」を「呼ばわり」に読み替えられた点に気付かずに、反応しているツイートが多いことだ。
twitter.com/kamatatylaw/status/1564018285112283136
twitter.com/Umu999_0YOtJHCt/status/1564483268233162752
この文章読んで著者が北村氏を「生意気な若い女」だと思っていると読んじゃうのか…
なんか凄いなぁ。こういう人たちがフェミたたきやってんだなぁ。
twitter.com/yeuxqui/status/1564535169284861952
まあでもこんなふうに読んじゃう人たちがいるのは良くわかる。
実の所、墨東公安委員会氏が「発言」を「呼ばわり」に読み替えていることを、自分もすぐには気付かなかった。情況2022の該当箇所を知らなければ、このすり替わりに違和感を持つのは難しい。だからこのようなコミュニケーションエラーが伝播したのではなかろうか。
このコミュニケーションエラーの伝播はちょっと興味深い。エコーチャンバーによる考え方の過激化もこういう所から生まれるのだろうか。
前述した通り、「生意気な若い女」は墨東公安委員会氏の発言である、とSpica氏は指摘しただけであり、墨東公安委員会氏は北村氏を「生意気な若い女」呼ばわりした、とはSpica氏はツイートしていない。それにも関わらず、後者の誤った解釈で墨東公安委員会氏を擁護している人が多いのは何故か。自分もしばらくこの「発言」から「呼ばわり」へのすり替わりに気付かなかったのだが、思うにSpica氏のツイートの丸括弧の文言が誤読を誘う原因ではないかと思う。
情況2022の記述を知らずに、上記の丸括弧の記述と合わせて「発言」のセンテンスを読むと、墨東公安委員会氏が悪意を持って北村氏を「生意気な若い女」と形容した、と解釈するのが自然になってしまうだろう。実際にはSpica氏は情況2022の記述を念頭に置いており、丸括弧の部分は以下のようなニュアンスで書いたのではないかと思う。
改めて見直してみると、Spica氏のツイートは確かに誤解を招きやすい表現であった。情況2022の記述を知らないと、墨東公安委員会氏は北村氏を「生意気な若い女」呼ばわりしたとSpica氏は指摘している、このように誤読されるのも無理からぬ面がある。
しかし、情況2022を執筆した当の墨東公安委員会氏も誤読するのはどういうことなのだろうか。
自分の現時点での理解では、「生意気な若い女」の発言者は墨東公安委員会氏だと考えている。すなわち、
と墨東公安委員会氏は推論したが、この推論を情況2022で発表したのは彼である以上、「生意気な若い女」の発言者は同氏であると自分は解釈している。
ところが墨東公安委員会氏は「生意気な若い女」は引用などであると示唆している(「引用など」の「など」が他に何を含意しているのか分からなかったが)。
twitter.com/bokukoui/status/1564600464494063617
すでに多くの方がご指摘くださっていますが、引用符をわざわざつけて書いているのは、他者の発言を引用するなど、特別な含意を持っている場合です。この文脈で、私が北村先生を「生意気な若い女」と中傷している、と読むのは明白に誤読です。はなはだ遺憾です。
もちろん繰り返し述べているように、墨東公安委員会氏は北村氏を「生意気な若い女」と中傷してはいない。しかし、「生意気な若い女」との発言も、墨東公安委員会氏は行っていないのだろうか。
もしも「生意気な若い女」が引用ならば、墨東公安委員会氏は引用元を明示すべきである。この文言が引用ならば、そもそも冒頭のSpica氏の「発言」ツイートも誤りだったということになる。この投稿の論考も全てひっくり返る。
念のためTwitterの検索で以下のクエリを確認してみたが、情況2022発売前に北村氏を「生意気な若い女」と中傷するツイートは見当たらなかった。
since:2021-1-1 until:2022-4-1 "生意気な若い女" saebou
since:2021-1-1 until:2022-4-1 "生意気な若い女" 北村
以下のクエリで検索するとヒットするが、ほとんどが北村氏と無関係に見える。
since:2021-1-1 until:2022-4-1 "生意気な若い女"
もしかしたらWebサイトや書籍で、北村氏は「生意気な若い女」と中傷されているのかもしれない。是非とも、墨東公安委員会氏には「生意気な若い女」の引用元を明らかにして頂きたい。あるいはこの文言が引用でもなく同氏の発言でもないならば、いったい何なのか、「引用など」の「など」が意味する所を教えて頂きたい。
普通に生きることはできないけど、普通じゃなく生きることもできない。
小学校のころは、いつもクラスで一番賢かった。本当はそうではなかったかもしれないけど、少なくともセルフイメージはそうだった。誰よりも本を読み、おばあちゃんからはいつも「〇〇ちゃんが賢いのは本をよく読むからだね」と言われた。
発言するのが好きだった。その割に学級委員などをしたことがなかったのは、人望が無かったからだ。正義感も強く、ただ時々パニックになって泣き出したり起こりだすことがあった。大体ちびまる子ちゃんの前田さんを想像してもらえればいい。正義感が迷惑な方向に強い子。自分の思い通りにならない世界が気に入らない子供。
神童と呼ばれた(主におばあちゃんから)私は母に進められて中学受験をした。勉強は少しもしなかったけど、模試でA判定以外を取ることはなかった。難なく合格し、通い始めた矢先、課題が終わらずに不登校になった。
休みがちになった秋、親からスマホを買ってもらった。それまでは3DSでインターネットをしていた。いつもエロい知恵袋の質問や、まとめサイトを見ていた。スマホを買ってもらってからは、ツイッターと2ちゃんにのめり込んだ。ツイッターは今も続けているが、今に至るまで特定の友人どころかコミュニティに所属するということが、インターネット上ですらできずにいる。
同じ秋、所属していた部活のライングループに、エロ画像を誤爆した。ますます学校に行きづらくなり、挨拶もせず部活を辞めた。
不登校でもエレベーター式に高校生になれてしまった。単位制のため出席しないと卒業ができない。私は頑張って学校に行った。高2までギリギリで単位を取ったが、高認の存在を知って通学をやめた。本当は理系に行きたかった。忙しいからと親から文系を勧められて、結局文学部に行った。この選択が合っていたのか間違っていたのか、今となってはわからない。
出席日数はギリギリでも、高校に入って勉強を始めた私は中学の頃は酷かった成績が、上位20%程度をキープするようになった。学校に行かないでこれなら何でみんな学校なんか行くんだろう、間抜けめwと、内心私は天狗だった。しかし逆だ。クラスメイトの顔を覚えず、交流しようという気もなく、家でテスト勉強だけしてていいなら誰だってその程度の成績は取れる。
私は良い気になっていたが同時に辛かった。どうして自分は普通みたいに楽しいJK生活を送れないのだろうと思った。中学生のオタクが皆そうであるように、オタクの友達なら私にも数人いたが、一人はいつの間にか学校を辞め、何人かはCP違いで喧嘩になり(というか私が一方的に攻撃し、当然縁を切られた)、何人かは私が約束をドタキャンするなどの不義理を重ねたため、話しかけて来なくなった。
どうして普通にできないんだろう、どうして私に楽しいことは何も無いんだろうと思った。担任の勧めでバイトを始めた。短期の品出し。お金をもらえるというのが嬉しかった。対等に評価される。私以外のバイトはみんなでラーメンを食べに行ったりしていたが、私は一度も行かなかった。それでも、自己啓発本を読むのが趣味だという大学生と話したり、専門学生のお姉さんに「メイクしないの?」と聞かれたり、他校の男の子の「卒業したら髪を赤に染めたいが、バイトは続けたいから毎日黒染めスプレーをする」という馬鹿げた計画を聞いたりするのは楽しかった。ほんの少しでも社会と関われている実感があって、確かにそうだった、と思う。
友達はできなかったが、生きていけるという自信はついた。ノー勉で高認を取得し、センターを受け、思ったよりも点が良かったので、国立大学を受け、受かった。思えば、この時が一番楽しかった。
話は飛んで私は大学生になる。大学は心地がよかった。一人でもそんなに浮かない。文学部の評価はほとんどがレポートだから、過去問がなくても単位が取れるし、中高を反省した私は、頑張ってなんとか講義を休まないようにした。
それでも6年間の癖は抜けず、授業を寝過ごし、サボり、単位は落としたし、レポートの締め切りを勘違いしたり、必要な事務手続きを怠ったりして苦労したが、なんとか見かけだけは論文に見えないこともないボロボロの卒論を出し、私は卒業した。
専攻の人数は少なく、みな友人同士だった。私だけがその誰とも仲良くなかった。挨拶をすれば仲良くなれるというネットの記事を鵜呑みして半年間毎週挨拶だけしていたオタクっぽい女の子たちも、学期が終わると他人同士になった。
卒業式には行かなかった。
私は公務員試験を受けたが、筆記は受かるのに、面接は全部ダメだった。
大学に行けばなんとかなると思ったが、ならなかった。どうやって生きていけばいいのかわからない。私は自分が頭がいいと思っていたが、どうやらそうじゃないらしい。
世間の普通に当てはまることができないとずっと悩んでいたけど、大学に入ってから、世間の普通に当てはまらない人をたくさんみた。大学院でラカンの研究をしている人、アーティストとしても活動する非常勤講師、批評家、作家。
私はなんとなく自分が作家になると思っていた。昔から国語が得意だったし、私は世間の普通とちょっと違うから。
でも、大学に行って、どういう人がそうなるのかを知った。書く前から私は何かになることを諦めた。それに、これを読んだ人ならわかるだろうけど、私は決して文章が上手くない。現代文の偏差値は、果たして何を図っていたのか、私にはわからない。
でも編集者は忙しそうだから辞めた。コミュニケーション能力がいるらしいし。私にはもっと地味な仕事が向いてる。
どうすればいいんだろう。
そして、世間の一般人の多くは萌え表現の価値を理解していないし、大して必要な物とは考えていないので、萌え表現が問題になった時の反応としては、フェミニストが騒ぐほど萌えキャラが問題になるようには思えないが逆に「なんでオタクの方も、たかが絵に執着するの?」だったりするのだ。
世間一般のごく普通の人にも大抵は好きなアーティストや作品等があるが、それほど執着が強くないのだ。だから、萌え表現を攻撃されて普段は大人しいオタクが激怒する様を見て「ここまで執着するのは何か怪しい」と思ってしまうし、マスコミ等により植え付けられたオタクに対するネガティブなイメージを思い起こして異様に思ってしまうのである。
本当に規制派・反規制派どちらの意見に対しても共感せずどーでもいいと思っている人なら「オタクが激怒する様」に引くのと同じように、特に自分が問題とも思わずスルーしていた表現に対してなぜかいきなりブチ切れて排斥運動まで行い出す人達にもドン引くと思うんですが。
まあ、セルフイメージの構築に関してはフェミニストの方が一日の長があるから、その部分、世間を騙くらかせている部分はあるが。
マジで分かってなさすぎるだろ……。
殺人犯の言い分を聞いてしまったら、コミュニケーションの手段としての殺人が広まってしまうと思っているとかならいいんだが、本当にただ理解できないだけなのだとしたら呆れるほどの共感能力の低さだ。
関わりたくない相手を拒絶して「救う必要のない赤の他人」という立場に押し込めることで解決しようとする世界の無責任さに対して、「お前ら!この社会の歪みを弱いやつに押し付けることに加担し続けたツケは突然払うことになるぜ!自分たちが持つべき責任から背を向けてきた罪を受けろよ!」という叫びがぶつけられているのは明白だろ。
「理不尽」「なんで私(あの人)が」「唐突すぎる」「周りは何をやっていたんだ」「自分のことしか考えてない」、こういった大量殺人犯への言葉はそのまま、自分たちが日頃弱い人間、たとえばクラスでいじめにあっている人間を「アイツは社会からはみ出たから仕方ないんだよ」と切り捨て続けてきた行為へと帰ってくることからずっと目を逸らすのか。
せめてメディア関係者、その分野について取材や考察を行った人間ぐらいはそこに背を向けて誤魔化すのはやめろよ。
なんつうかさ、そういう態度が結局また次の大量殺人犯を生むんじゃねえかな。
まあ現代社会においてそれなりに生きていくにはこの世界の歪みを弱い立場の人間に押し付けるしかない所はあるよ。
でもそれは自分はそういうのに加担してませんよって態度を不特定多数にまぎれてやれる時だけにしろよ。
少なくとも自分から近づいていって「社会からはみ出た失敗作がよお……「普通の人間サマ」に迷惑かけてんじゃねえよ……?殺処分されてえのか?この駄犬は???」って首根っこ掴みに行くようなのは流石にアウトだろ……。