小山(狂)氏(@akihiro_koyama)が以下のをツイートをした。
twitter.com/akihiro_koyama/status/1563756228810903552
女性用風俗の本番強要とかマジで闇深なんですよね。店側が強く注意しないからレイプまがいの本強が平気でまかり通ってる。ホストへの枕強要もそうですが、男相手のレイプは不可視化され過ぎてる。
twitter.com/akihiro_koyama/status/1563756814616776704
生意気な若い女(39)とか私のミニスカに執着するな(46)とか典型ですが、いい歳して「若い女」としてのセルフイメージを更新できない中高年女性が多すぎるからこんなことなってるんですよ。自分の歳を考えろ。加害性を自覚しろ。
twitter.com/Kelangdbn/status/1564010970468339713
@bokukoui
の発言であり北村紗衣先生のセルフイメージではないです(変なレッテル貼った嶋氏は彼女の名誉を棄損してると思う)。Open Letter事件は伝聞から起きた暴走です。ファクトは大事にしましょう。
twitter.com/bokukoui/status/1564044925376667649
私がいつ、北村紗衣先生を「生意気な若い女」呼ばわりしたか、具体的に示してください。私のツイッターを検索しても bit.ly/3Arkh8Z 研究ブログに書いた呉座さんの件に関する記事を探しても researchmap.jp/rshima/%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0 そのような表現は見当たりません。「ファクトを大事」とは片腹痛い。
少し時間が経ってから吉峯耕平氏(@kyoshimine)が、情況2022で墨東公安委員会氏が北村氏に言及する文脈で「生意気な若い女」と発言している証拠をアップロードした。
twitter.com/kyoshimine/status/1564432369356263424
もしかして、ネット上の執拗な北村叩きは、邪道に陥った者どもが、正道をしれっと説いて実践して見せている「生意気な若い女」への、嫉妬だったのかもしれない
情況2022を以ってSpica氏のツイートは正しいことが確認され、論争は終了するかに思われた。しかし墨東公安委員会氏はSpica氏のツイート中の「発言」を「呼ばわり」に読み替えたため、さらに反論が続くことになった。
twitter.com/bokukoui/status/1564044925376667649
『情況』誌も原稿も今手元にないので確認できませんが、書いたとしてもそれは、まさに「北村先生を攻撃する連中が、北村先生を『生意気な若い女』だと見ているのだ」という文脈です。切り取って無茶な攻撃をするのは極めて不誠実な行為です。
twitter.com/bokukoui/status/1564056991487561728
すでに多くの方がご指摘くださっていますが、引用符をわざわざつけて書いているのは、他者の発言を引用するなど、特別な含意を持っている場合です。この文脈で、私が北村先生を「生意気な若い女」と中傷している、と読むのは明白に誤読です。はなはだ遺憾です。
そう、墨東公安委員会氏は確かに、北村氏を「生意気な若い女」呼ばわりしたことはない。でも、そもそもSpica氏はそんなことは言っておらず、「生意気な若い女」は墨東公安委員会氏の発言であると指摘しただけである。だから、落ち着いて。
興味深いのは「発言」を「呼ばわり」に読み替えられた点に気付かずに、反応しているツイートが多いことだ。
twitter.com/kamatatylaw/status/1564018285112283136
twitter.com/Umu999_0YOtJHCt/status/1564483268233162752
この文章読んで著者が北村氏を「生意気な若い女」だと思っていると読んじゃうのか…
なんか凄いなぁ。こういう人たちがフェミたたきやってんだなぁ。
twitter.com/yeuxqui/status/1564535169284861952
まあでもこんなふうに読んじゃう人たちがいるのは良くわかる。
実の所、墨東公安委員会氏が「発言」を「呼ばわり」に読み替えていることを、自分もすぐには気付かなかった。情況2022の該当箇所を知らなければ、このすり替わりに違和感を持つのは難しい。だからこのようなコミュニケーションエラーが伝播したのではなかろうか。
このコミュニケーションエラーの伝播はちょっと興味深い。エコーチャンバーによる考え方の過激化もこういう所から生まれるのだろうか。
前述した通り、「生意気な若い女」は墨東公安委員会氏の発言である、とSpica氏は指摘しただけであり、墨東公安委員会氏は北村氏を「生意気な若い女」呼ばわりした、とはSpica氏はツイートしていない。それにも関わらず、後者の誤った解釈で墨東公安委員会氏を擁護している人が多いのは何故か。自分もしばらくこの「発言」から「呼ばわり」へのすり替わりに気付かなかったのだが、思うにSpica氏のツイートの丸括弧の文言が誤読を誘う原因ではないかと思う。
情況2022の記述を知らずに、上記の丸括弧の記述と合わせて「発言」のセンテンスを読むと、墨東公安委員会氏が悪意を持って北村氏を「生意気な若い女」と形容した、と解釈するのが自然になってしまうだろう。実際にはSpica氏は情況2022の記述を念頭に置いており、丸括弧の部分は以下のようなニュアンスで書いたのではないかと思う。
改めて見直してみると、Spica氏のツイートは確かに誤解を招きやすい表現であった。情況2022の記述を知らないと、墨東公安委員会氏は北村氏を「生意気な若い女」呼ばわりしたとSpica氏は指摘している、このように誤読されるのも無理からぬ面がある。
しかし、情況2022を執筆した当の墨東公安委員会氏も誤読するのはどういうことなのだろうか。
自分の現時点での理解では、「生意気な若い女」の発言者は墨東公安委員会氏だと考えている。すなわち、
と墨東公安委員会氏は推論したが、この推論を情況2022で発表したのは彼である以上、「生意気な若い女」の発言者は同氏であると自分は解釈している。
ところが墨東公安委員会氏は「生意気な若い女」は引用などであると示唆している(「引用など」の「など」が他に何を含意しているのか分からなかったが)。
twitter.com/bokukoui/status/1564600464494063617
すでに多くの方がご指摘くださっていますが、引用符をわざわざつけて書いているのは、他者の発言を引用するなど、特別な含意を持っている場合です。この文脈で、私が北村先生を「生意気な若い女」と中傷している、と読むのは明白に誤読です。はなはだ遺憾です。
もちろん繰り返し述べているように、墨東公安委員会氏は北村氏を「生意気な若い女」と中傷してはいない。しかし、「生意気な若い女」との発言も、墨東公安委員会氏は行っていないのだろうか。
もしも「生意気な若い女」が引用ならば、墨東公安委員会氏は引用元を明示すべきである。この文言が引用ならば、そもそも冒頭のSpica氏の「発言」ツイートも誤りだったということになる。この投稿の論考も全てひっくり返る。
念のためTwitterの検索で以下のクエリを確認してみたが、情況2022発売前に北村氏を「生意気な若い女」と中傷するツイートは見当たらなかった。
since:2021-1-1 until:2022-4-1 "生意気な若い女" saebou
since:2021-1-1 until:2022-4-1 "生意気な若い女" 北村
以下のクエリで検索するとヒットするが、ほとんどが北村氏と無関係に見える。
since:2021-1-1 until:2022-4-1 "生意気な若い女"
もしかしたらWebサイトや書籍で、北村氏は「生意気な若い女」と中傷されているのかもしれない。是非とも、墨東公安委員会氏には「生意気な若い女」の引用元を明らかにして頂きたい。あるいはこの文言が引用でもなく同氏の発言でもないならば、いったい何なのか、「引用など」の「など」が意味する所を教えて頂きたい。
コミュニケーションエラーというか、ただ墨東公安委員会氏(@bokukoui)が邪悪なだけじゃないのこれ
雑誌記事内に記述された言葉が、発言に変えられてる点
甲が「乙は丙を生意気な女だと思っているんだろう」と書くことは、結局のところ丙が生意気な女であるというイメージを増強する効果があるよね